うろ覚えライフ。

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川島なお美さん

2015年10月15日 | 芸能ログ

○[川島なお美さん葬儀]盛大な拍手で出棺 鎧塚さん涙で「最後のお願い」

 

  胆管がんのため9月24日に死去した女優の川島なお美(本名・鎧塚なお美)さん(享年54)の葬儀が2日、東京・青山葬儀所で営まれ、関係者やファンら参列者1500人が拍手で出棺を見送った。川島さんの曲「偶然の後で」が流れる中、喪主を務めた夫でパティシエの鎧塚俊彦さんが「最後は大きな拍手で女房を送ってやっていただきたい」と涙でお願いすると、川島さんの棺を乗せた霊きゅう車に向けて参列者から盛大な拍手が送られ、「なお美ちゃーん!」「ありがとう!」と声も飛んだ。

 喪主を務めた夫でパティシエの鎧塚俊彦さんは出棺を前にあいさつに立ち、「妻・川島なお美は女優として貫き通してきました。そして今、最後の幕のどんちょうがまさに下りようとしています」と語り、「女房は拍手をいただけることを何よりも喜びとし、生きがいとしていたといっても過言ではありません。最後は大きな拍手で女房を送ってやっていただきたい。アンコールはございません。割れんばかりの拍手でなお美を送ってやってください」と涙で語った。

 この日の葬儀には、友人で作家の林真理子さん、川島さんが女優として憧れ、家族ぐるみで親交があった女優の倍賞千恵子さんをはじめ関係者900人が参列。林さんと倍賞さんが弔辞を読み、所属事務所の先輩で親交のあった片岡鶴太郎さんからの弔電も読み上げられた。また、敷地内には献花台も設けられ、駆けつけたファン600人が川島さんとの最後の別れを惜しんだ。

 ◇主な参列者(敬称略)

 倍賞千恵子▽林真理子▽別所哲也▽秋野暢子▽秋元康▽デヴィ夫人▽三波豊和▽中島美嘉▽湯川れい子▽吉田照美▽彦摩呂▽ウド鈴木▽松本明子▽小倉久寛▽錦野旦▽西川史子▽黒岩祐治▽鳩山邦夫

批判、共感、羨望――川島なお美に女性が向けた思いと、“女優”であり続けた彼女の生き方


  9月24日、女優の川島なお美が逝去した。ガンを公表していたとはいえ、直前まで頻繁にメディアに登場していたし、舞台にも出演していたこともあり大きな驚きだった。筆者の周辺でも特に40代~50代の女性が、大変ショックを受けていた。女子大生、お嬢様ブームの礎を作り、バブルの申し子のような立ち振る舞い、ペットの犬を溺愛し、ワインをたしなむ。晩婚でも年下の“世界のパティシエ”をゲットし、喧嘩の様子を披露しながらも実は仲睦まじい。

 こんななお美をある時は批判し、ある時は共感し、羨む。なお美と共に歩いてきた世代だからだろう。亡くなってその存在の大きさ、強烈さを見せた。それが川島なお美という女優だったのかもしれない。ワイドショーも連日トップ扱いでこれを報じているが、個人的にも「噂の真相」(噂の真相)時代、筆者にとってなお美はスキャンダルターゲットとして絶大な存在だった。『失楽園』主演をゲットし、その原作者の作家・渡辺淳一との不倫関係に陥る。枕営業などという批判などものともしない関係が続き、北海道への不倫旅行を楽しむ。「噂の真相」ではそれらを追跡し、記事にしてきたからだ。

 そして女性週刊誌も各紙揃ってなお美を取り上げている。そこに描かれるのは死の直前まで“女優”であり続けた壮絶なまでの生き方だ。

 なお美は今年1月と2月に行われたミュージカル『パルレ~洗濯~』に出演し、9月からの再公演にも出演していたが、主演の石川えりは「週女」の取材にこう答えている。

 「私たちにはつらそうなそぶりも見せませんでした。私たちの知っている“元気ななお美さん!”という感じで。正直、私はそんなに体調が悪くなっているなんてわからなかったんです」

 近くで接していた仕事関係者がこういうのだから、世間はもっとそうだ。しかしなお美は日々激痛と闘っていたという。

「川島さんが、激痛や闘病の涙を人には見せまいとしたのは、“女優として人生を全うしたい。最期の瞬間まで舞台に立っていたい”という願いがあったからだという」(「女性自身」より)

「激やせした姿で堂々と公の場に現れ、ブログに病床の写真を公開する。どこまでの女優魂なのか――」(「女性セブン」より)

 2013年夏の時点で余命1年だと宣告されたなお美だったが、しかし前向きだった。それは女優としてだけではない。

 「亡くなったシナモン(なお美の有名な愛犬)の“甥”に子供たちが生まれたのですが、川島さんが『うちのコにどうかしら』と検討していたというのです」(「女性自身」より)

 また夫・鎧塚俊彦へのサプライズ誕生パーティも予定していたことも明らかになっている。

 追悼のヨイショ記事を超え、胸に迫るものがある。それが川島なお美の生き方だった。ご冥福を祈りたい。

 そして最後にひとつ気になったこと。それが芸能人は亡くなると呼び捨ての敬称略から“さん”付けされることだ。今週の女性週刊誌の中では唯一「セブン」だけが逝去前に書かれた記事で「川島なお美」と呼び捨て。他2誌は“さん”付けしているが、以前の記事は呼び捨てだ。

 芸能人は亡くなると“さん“が付く。なんとなくわかっていたけど、あらためて新鮮な発見だった。

 

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 僕の若い頃、 川島なお美さんはアイドルで、20代半ば頃の年齢だった僕は、川島なお美さんが大好きでした。アイドル時代の川島なお美さんは、本当に可愛かった。

 当時は、サラリーマンの僕が都内中央区にある営業所から、群馬太田から埼玉熊谷へと左遷というか、都落ちみたく、都内中央の営業所から地方の営業所へ飛ばされたときで、当時、僕は行田市内の、会社借り上げのアパートに住んでいて、元来僕は酒飲みでもないのに、近所の酒屋で、普段は飲みもしない高いウイスキーを買って、景品というかおまけの、川島なお美の特大ポスターを貰って来て、殺風景な部屋に貼って、毎日うっとり眺めていたものでした。あの当時、多分、サントリーだったんだろうな、リザーブだったか何だったか、ウイスキーを買うと、川島なお美さんのレオタード姿か何かの、多分、レースクイーンみたいな格好だったと思うんだけど、特大ポスターが貰えました。それが欲しいばっかりに僕は、飲みもしないウイスキーを買って来た。

 今の僕は全くアルコール類は口にしませんが、会社員当時は、普段、家では飲まないけれど、付き合いでは大いに飲酒していました。職場で上司や同僚と飲みに行った際には、けっこう飲んでました。付き合いで飲むだけでしたが、ときどきは大酒喰らってベロベロに酔っ払ってましたね。まあ、若い頃の話ですが。僕は酒は弱い方なんですけどね。飲み過ぎた翌日は、大変なことになってました。翌日の勤務先で、こんな思いをするんなら、あんなに飲むんじゃなかった、っていつも後悔してましたが、付き合いだと何故か、割りと大酒飲んでましたね。でも基本、僕は酒は弱い方だった。勿論、付き合いだからこそ飲むんであって、決して酒好きでも何でもなかった。だから、独り酒はほとんどしたことないですね。

 また、僕の若い頃のサラリーマン時代の中の、その、熊谷営業所勤務時代、僕は会社のセールス車バンを、熊谷駅から近いパーキングに駐車して、熊谷駅を中心とした繁華街や熊谷のオフィス街をセールス鞄を提げながら、ワイシャツ・ネクタイ姿で客周りで、よく歩き回っていましたが、ある日のこと、熊谷駅構内で、「川島なお美一日駅長さん&ミニミニコンサート」という、小さなイベントがありまして、これはウィークデーの日中でしたが、僕は勤務時間中でしたが、営業の仕事で街を歩きがてら、駅に立ち寄り、川島なお美ミニミニコンサートを見ました。入場料は、普通の駅の入場券でOKでしたから、お金はほとんど掛からなかった。

 このときのミニミニコンサートで、川島なお美さんは多分、二曲ぐらい歌ったと思うんですが、実際のところ、多分、レコードかテープか音源を流して口パクだったと思いますが、そのイベントが終わった後、新曲レコード即売&握手会がありましたが、勤務時間中の僕は恥ずかしくて、握手にはとても行けず、このときはミニミニコンサートを見た後は駅を立ち去り、後で熊谷商店街のレコード屋さんで、川島なお美のアルバムのカセットテープを買いました。

 とても可愛らしいアイドルだった川島なお美さんに関する、若き日の僕の思い出はこの二つですね。

 その後は、やはり「お笑い漫画道場」ですね。この番組が好きで、いつも見ていたように思います。この頃の川島なお美さんも可愛かったですねえ。「お笑い漫画道場」って、いつ頃やってた番組だったんだろう?って調べてみたら、かなり長期に渡って続いてた番組だったんですねえ。マドンナレギュラーが、川島なお美さんに変わって、森山祐子さんのときも見てた。何と76年から94年まで、18年間くらいやってたバラエティー番組だったんですねえ。僕が見てたのは後半ですね。多分、「お笑い漫画道場」を見始めたのって、東京の会社を辞めて地方に帰って来てからこっち、でしょうね。僕が見始めたときから番組のマドンナは川島なお美さんで、89年からマドンナは森山祐子さんに変わった。森山祐子さんも好きなタレントさんだったけど。森山祐子さんというと印象に残っているのは、SFアクション映画の「ゼイラム」だな。

 でも、ま、「お笑い漫画道場」というと、川島なお美さんですね。大好きでしたねえ。その後は、土曜ワイド劇場など2時間ドラマでよく見た川島なお美さん。特に印象深く憶えているのは、愛川欽也さん扮する考古学の大学教授の助手役で出てたシリーズ。あの頃も可愛かったなあ、川島なお美は。

 僕は18歳から30歳までTVを持たなくて、ほとんどTV見ない生活をしてたんですが、帰郷して地方で生活を始めてからも、TVはよく見てましたが、30代40代はドラマはあんまり見てませんでした。で、僕は2時間ドラマを見る習慣がほとんどなくて、2時間サスペンスはあまり見て来なかったんですが、当時、仕事を終えて、ちょこっと寄り道しながらも帰宅すると、調度TVの2時間サスペンスが始まったくらいの時間で、今は亡き僕の母親が、2時間サスペンスが大好きで各局の2時間ドラマ、全部見ていて、帰宅した僕が夕飯食べてるとき、TVで映ってた。僕は積極的にちゃんとドラマを見てた訳ではないけど、そういう訳で、川島なお美さんが出演する2時間ドラマも部分部分で見ている。で、一番印象深いのが、考古学教授の助手役を可愛らしく好演していた川島なお美さん。でも、この頃の二時間サスペンスは、僕の晩飯中に見てただけで、後は風呂入ってたから、前半を部分的に見てたくらいですけどね。

 川島なお美さんは30歳を過ぎても可愛らしく、そしてその後の女優人生でも、年齢を感じさせずいつまでも美しい女性だった。バラエティー番組でのアシスタントやゲストでも、流暢に喋り滑らかに番組を進行させ、番組の随所で気の利いたコメントを出し、実に如才がなく、頭の良さを感じさせるタレントさんだった。僕は女優の川島なお美さんを、あんまりよくは見てないんだけど、その頭の良さやタレント性から、女優の才能もたいしたものだったんだろうと思います。

 54歳で亡くなるのはあまりにも若いですが、僕の若き頃、その可愛らしさで、僕を夢中にさせてくれて、どうもありがとうございました。青春の一ページの一片の思い出ですね。天国でも、美しく優雅に過ごされてください。

 追伸みたくなりますが、川島なお美さんの歌では、僕は♪Ash Wednesday-アッシュウェンズデイ- という曲が好きでした。♪ラブミータイトという曲もうろ覚えで憶えている。ヒットした、中原メイ子さんが作詞作曲した曲、♪GEMINI-ジェミニ- という歌もなかなか良い曲だったな。懐かしい。はっきりしない記憶だけど、♪Ash Wednesday という曲は、作ったのは杉真理さんだったんじゃなかったかな。作詞作曲どっちもだったかはよく憶えてないけど、作曲は杉真理さんだったように思う。川島なお美さんの歌はカセットテープでしか持ってなくて、もう随分前から手元にはないけど。

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 調べたら、♪アッシュウェンズデイは作曲だけ杉真理さんで、作詞は別の方。♪ジェミニは作詞作曲、中原メイ子さんですね。

 


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2 コメント

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Unknown (田中良和)
2021-03-08 23:44:46
当時、大学生だった自分も川島なお美さんのミニコンサートを写真を撮りながら観ていた観客の一人です。ミニコンサートが終わってレコードを買いサイン色紙と握手をしてもらいました。凄く綺麗でとても可愛いく、手を洗いたくない気持ちにもなったのを思い出しました。自分は田舎者なのでまさか、川島なお美さんが駅に来るなんて思いませんでしたし、会えるとも思っていませんでしたので夢の様でした。実家に今も写真とサイン色紙があり、当時の事を昨日の事の様に鮮明に覚えています。川島なお美さんの訃報を聞いてとても残念で仕方がありませんでした。
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Unknown (naojiixx88)
2023-04-28 22:12:06
大変遅くなりまして申し訳ありません。
田中良和様、コメントどうもありがとうございます。
川島なお美さんは中年のお歳になっても綺麗な方でしたが、若き頃の川島なお美さんは、それはもう本当に可愛かったですね。当時は大好きな芸能人でした。
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