三池崇史監督の話題作映画『一命』(松竹)で、主演を張りながら公開初日の舞台挨拶に欠席した市川海老蔵に批判のコメントが多く寄せられている。彼が欠席した理由は、名古屋での歌舞伎公演のため。仕事の都合上仕方のないことのように思われるが、ネットでは、「あれだけ叩かれてなお初日に顔を出さない神経が信じられない」や「わがまま」「何様だ」と非難の嵐。昨年の暴行事件以降、海老蔵関連の記事に寄せられたコメントのほとんどは、こうした非難で埋め尽くされている。
この海老蔵と同じような状況にあるのが、8月に芸能界を引退した島田紳助。引退以前からネット上はアンチ紳助の多い場所だったが、引退以降になるとそうした輩が急増。暴力団関係者との黒い交際という引退理由は、紳助を公然と非難できる免罪符になってしまったのかもしれない。また、彼らと同様に、何をやっても非難されるのがアグネス・チャンだ。
今月8日、ユニセフの大使としても知られるアグネスは、自身の公式ブログ(「アグネスちゃんこ鍋」http://ameblo.jp/agneschan/)で、ソマリアへの募金を呼びかける内容を配信。これに対しネット住民は即座に反応、多くの書き込み掲示板で話題に上がり、「日本が震災で大変な時期にバカなことを言うな」や「相変わらず空気よめない」「無神経」といったコメントが寄せられた。
ユニセフ大使として募金を呼びかけただけでこの有様。アグネスの嫌われようは、海老蔵、紳助にも引けを取らない。そんな彼女への批判の大きな理由は、彼女が大使を務める日本ユニセフ協会という団体への不信感と、アグネスの持つ胡散臭さ。都内一等地に巨大なビルを構える日本ユニセフ協会は、ニューヨークに本部を置く国際連合児童基金(ユニセフ)との協定といって、募金から経費を差し引くいわばピンハネを公然と行い、募金ビジネスと叩かれることもしばしば。そんな団体の大使の座に就くアグネスも、「子どもの未来のために募金を」と言いながら、センスのかけらもない豪邸に住んでいる。
2010年の春に放送されたテレビ番組で自宅を公開したアグネス。「社会にはびこる害から子どもたちを守る」という彼女の主張は大変立派なものだが、そんな大層なことを言って募金を呼びかけながら、自分はシャンデリアの輝く豪邸に住んでいる......。彼女のこうした態度にネットユーザーは激しく反応。以降ネットでのアグネス批判は過熱していった。
アグネスは、ネットで巻き起こった「自宅が豪華すぎる」という批判に対し、ツイッターで「あれは事務所です」と反論している。しかし、ネットユーザーたちにとって、そんなことはどうでもいいのかもしれない。彼らを突き動かすのは、「子どもの未来のため」と言いながら、豪華なシャンデリアを自慢する中年女性から漂う"嘘っぽさ"だ。言い換えれば"偽善者の臭い"。もちろん、これはネットユーザーたちの勝手な憶測に過ぎない。本当のアグネスは聖人かもしれない。彼女がどういう人間なのか、それは誰も知ることができないのだから。
ただ、人を評価する上で、イメージや印象、当人から漂う雰囲気というのは、大事な指標になる。心の中が見えない以上、それしかないともいえる。ネットユーザーは、メディアなどから漏れる情報を元に、アグネスのイメージを作り上げ、そこから抱いた印象に忠実に批判を繰り返しているに過ぎない。彼女がどう反論しようが、それはどうしようもないことだ。しいて言うなら、そんな印象を抱かせてしまった自分がいけない。
紳助や海老蔵もまた同じだろう。彼らには、騒動の以前から"どこか嫌な感じ"があった。その要因は、たびたびメディアを通じて報道される、酒癖の悪さや女癖の悪さだったり、「素敵やん」と呟きながら後輩芸人を恫喝するお山の大将ぶりだったりとさまざま。そういった全てを総合して、彼らには"嫌な感じ"が漂う。そして彼らは騒動を起こした。批判を繰り返すネットユーザーにとってみれば、「それ見たことか」ということなのかもしれない。
有名人に非難の言葉を投げかける人々のほとんどが、本人には会ったことがないだろう。しかし彼らは有名人の人間性まで否定するコメントを書く。テレビや雑誌から得た情報に過ぎないにも関わらず、どうしてそこまで書けるのかと思ってしまうようなものもある。ただ、一般の人々にとって有名人とはそういうもの。そういった批判にさらされるのが嫌なら、どうにかして清廉なイメージを与えるか、有名になったことを後悔しながら気にしないことしかない。
ネットの世界は、雑誌やテレビなどと違って出回った情報を半永久的に残す。ネット上で飛び交った非難の言葉は消えることがない。海老蔵、紳助、アグネスらは、もはや何をやっても非難され続けることだろう。最後に、いちおう断っておくと、こういった偉そうな記事もまた、ネットでは非難の的となる。
ネットのコメントは民意の現われか?というのはありますね。ネットのコメントというのも、2chのような巨大掲示板に寄せられる数多いコメント、BlogやTwitterのようなものから独自に発信するコメント、またそこの意見に対して入れられるコメント、ニュースサイトの記事に対して入れられるコメント。これら大衆からの発信するコメントは、各元ネタ情報ごとであれ、多分、毎日毎日ものすごい数量になるでしょうね。昔は巨大メディアからの一方通行の情報と、それに対する、メディア側の人とプロの意見のみ、だったのが、現代ではネットを通じて、一般大衆がそれぞれの意見を発信する。それは毎日毎回膨大な数量だ。その一つ一つが取り上げられることはほとんどないが、同じような似たような意見が数多くある場合、相当な数量になるが、類似の意見には、巨大メディアも反応せざるを得ない。また、それはネット上で大衆が見て知るから、世間一般的には、集約された大きな意見として民意的に認知される。ネットのコメントは民意の現われか?
でも現代は多分、巨大メディアも巨大企業も政治家たちも、ネットの大衆の意見、は無視は出来ないでしょう。ネットのコメントというのは類似の大多数の意見は、世の中の巨大なものや権力を動かす力がある‥、のかどうか少なくとも世の中の巨大な力たちが無視は出来ないところまでの、新しい力にはなって来ているのではないか。世界的には、雪崩込むように連鎖的に起こった中東民主革命とかは、その機動力はFaceBookやTwitterとかネットの力でしょう。日本でも、ついこの間の韓流偏向報道へのフジTV抗議デモも花王不買運動連動抗議デモでも、予想外の数千人単位の人が集合参加していたし。まあ、今の日本の世の中でネットの意見だけが総民意か?というとまた違うとは思うけど。民主革命の起こった中東諸国と現代日本の環境は、無論全然違う訳だし。まだ日本のネットの世界の大衆コメントは、「アソビゴコロ」でやってる人がかなりの割合を占めている、という気がする。エビゾーもシンスケもアグネスも、ネットやってる大衆の個人個人に取っては、日々の生活から考えると本当は「ドーデモイイコト」なんだと思う。エビゾー・シンスケ・アグネスへの悪口や批判は「アソビゴコロ」の一環にあるんだろう、と思う。やっぱり超の着く有名人の「有名税」は厳然とある。これは有名人は仕様がないよ。TVという世界によく顔を出す「有名」という力を持ってるんだから。だいぶ前のだけど、ネット記事で、ある調査で、2chやってる人は意外にも、若者というよりもけっこう中年に多い、という結果が載っていた。中年て30代後半から50代かな。最初は若者に多そうな気がしていたが、ネットのコメントらんを回っていると内容から、これはそんなに若手ではないな、という書き込みが多かった。多分、けっこう30代以上が中心なんじゃないか、と思う。ネットって、何かイメージとしてニートや引き籠もりがやっている、という雰囲気もあるけど、本当はそうじゃなくて、もう老齢域に入っている人は別として、かなりの割合で仕事を持っている人が多いんじゃないかなあ。というかやっぱり何がしか仕事持って稼いでる人が大多数でしょう。ネットは、例えそれが政治的関心にせよ、真面目な主義主張を持ってやっていたとしても、やっぱり娯楽的側面は大きいと思う。ネットの趣味的側面から、日頃のストレス解消の一面は絶対ありそうな。だから、ネットで嫌われる有名人は、多分ほとんどが富裕層だろうし、まあ仕方ないよ、有名税だよ。毎日毎日コツコツあくせく働き続けている労働者たちの、国民の、ウサの捌け口になれるんなら、それもいいじゃないですか、有名人の皆さん。