生きたまま極楽! 

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小松左京先生、逝く…

2011年07月28日 | Weblog

 

○「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去

 

  「日本沈没」や「復活の日」で知られるSF作家・小松左京さんが26日、肺炎のため死去していたことがわかった。80歳だった。

 SF文学の草分け的存在として知られる小松さんは62年、「SFマガジン」に「易仙逃里記」が掲載され、作家デビュー。その後「復活の日」や「さよならジュピター」などを発表し、歴史や文明をテーマにスケールの大きな世界を描き、SF作家の地位を確立した。74年には「日本沈没」で日本推理作家協会賞を受賞、85年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。

 また、70年に行われた日本万国博覧会で、テーマ館のサブプロデューサーを務めたほか、90年には「国際花と緑の博覧会」の総合プロデューサーを務めるなど、マルチに活躍した。

 葬儀は親族だけの密葬で執り行われたという。

 

 

 

 SFランドという土地を星新一が見つけ、その土地を小松左京がコンピューター付きブルドーザーで開拓し、そこへ筒井康隆が真っ赤なスポーツカーで乗り付けた…、だったっけかな、昔はそういうふうによく言われていた。まあ、僕には、らしい‥でしかないけど、これが日本のSF御三家の通説の話だ。小松左京さんは日本SFのために最大限尽力された方だ。戦後・昭和の時代から今までの、日本SFの最大・最高の重鎮。後続の日本のSF作家たちは全員が口を揃えて、その素晴らしい頭脳を賛美していた。昔から日本SF御三家と呼ばれていた、星新一、小松左京、筒井康隆、は三人ともタイプは違えどもまごうことなき天才だ。筒井康隆は子供の頃の知能検査でIQ数値が180以上も出たという。星新一はその膨大な作品を十数編くらいでも読めば、この人が天才だと解るだろう。そして小松左京を天才と呼んだ知識人や作家は数限りない。

 SFってね、ある一面、僕に取っては青春だったんですよね。僕は若い頃、漠然とSF作家に憧れていた。それは勿論、夢そのものだった。僕は、別に、SFの習作を独りしこしこ書いていた訳でもないし、SFの同人誌のようなサークルに入ったこともないし、SFファンの集いに参加したこともない。けれども、漠然とSF作家に憧れ、夢が叶うことでもあれば是非SF作家になりたい、と神様に望みを掛けるようなレベルの願いはしていた。けど、まあ、もともとアタマは悪いしセンスはないし、何の教養も持たない。正真正銘の夢だった。

 僕の青春の一面にもなるSFに引き込まれたのは、19歳か20歳のときに読んだ、小松左京の書いた短編小説のSFがきっかけだ。多分、文庫本の短編集で偶然読んだのだろうけど、小松左京作の「劇場」という短編を読んだ。猛烈に衝撃を受けた。「ああ、これはSF。これこそがSFなんだ!」と感激する。そこからSFにのめりこんだ。

 16歳で小説の読書を覚えた僕は、16歳17歳と、松本清張、五木寛之、野坂昭如に心酔する。18歳で大江健三郎の短編に感銘、だが大江の長編は難解で挫折して海外の英仏文学へ。勿論、海外文学は翻訳ものだ。19歳は大衆小説系は一つも読まず、漱石も太宰も含めたいわゆるちゃんとした文学ばかり読んでいた。そして20歳でSFへ。

 星新一は高校生の頃、一冊は読んでいたけど、小松左京の傑作短編「劇場」を入り口のきっかけに、星新一も数冊、そして小松左京、筒井康隆は交互というくらいにぶっ続けで何冊も何冊も読み耽って行った。あの時代、文庫本でだが、小松左京と筒井康隆は本当によく読んだ。筒井康隆には腹を抱えて笑ったが、その才能に敬服した。小松左京には驚かされた。小松左京のSFには難解な作品もあった。筒井康隆の難解な作品というのは、文学の実験小説が多かった。大宇宙や未来を舞台にテーマにした小松作品には、僕のオソマツなアタマではよく解らない作品もけっこうあった。また、小松左京のホラーは非常に怖かった。普通の風俗小説もあった。また、実験作品だろうが、SFのハードボイルドミステリもあった。ハードボイルドの装いでSFをテーマに、ミステリの謎解きをやった短編連作だった。その後の理系ミステリの先駆けだろうか。

 あの時代、僕は漠然とSF作家に憧れ、SF作家になるためには先ず一番肝腎な理科の教養を身に付けないといけない、と講談社ブルーパックスを何冊も買って来てムリムリ読んだ。僕のオソマツな脳味噌はてんで理解できなかった。講談社の科学専門誌クウォークやニュートンを買って来て活字を追った。当時のSF専門誌「SFマガジン」「SFアドベンチャー」「奇想天外」「SF宝石」は毎号購読していた。でもまあ、いかんせん、アタマのデキが悪過ぎた。SF小説は、小松左京、筒井康隆から当時の若手、平井和正、豊田有恒、山田正紀等等へ。そして海外SFへ。日本のSF御三家をかなり読んだところで英米の世界SF大御三家へ。アシモフ、ハインライン、クラークへ挑戦する。ヴォネガットも読んだ。PK・ディックは面白かった。古本屋で早川SF全集のぶ厚い一冊、「古典編」を買い求め読む。エドモンド・ハミルトンが面白かった。もともとアタマのデキのよろしくない僕には、どれも遅読だったけど、とにかく読み進めて面白く味わった。難しいのと退屈なのはムリムリだけど。

 当然のように僕はSF作家にはなれなかったけれど、当たり前だが、でも、あの若き時代、悪いアタマながらもSFに没頭していた時代、あのSFの時代は僕の青春だった。それは間違いないと思う。

 僕自身は、歳を取ってこんな人間にしかなれなかったけれど、あの若き時代、小松左京先生にも、先生の作品を通していろいろなことをよく教わった。僕のような人間でも、人間の誇りのようなものを持ってもいいのだとすれば、あの若き時代、小松左京作品他たくさんのSF文学を読んで行ったあの膨大な時間は、僕に取っての誇りだと思う。小松左京先生、ありがとうございました。御冥福をお祈りいたします。天には手塚治虫先生とその隣に小松左京先生の、ひときわ明るい巨星が二つ並ぶ。

 

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ガガ様っ!

2011年07月02日 | 芸能ログ

 

中学時代いじめられていたガガ ゴミ箱に捨てられたことも

 

  6月21日、「日本の為に祈りを。」と書かれたチャリティーのリストバンドを巻き、東日本大震災で苦しむ日本を励まそうと来日したレディー・ガガ(25)。ワイドショーや新聞がこぞって追いかけるほど、話題になっているが、いったい彼女って何者?

 1986年3月28日、ニューヨーク州ヨンカーズ市に生まれ、ステファニーと名付けられた。両親はイタリア系アメリカ人。IT関係の実業家の父と、教育熱心な母の下、リッチな家庭で大切に育てられた。4才にして聴き覚えでピアノが弾けるようになるなど早くから音楽的才能を発揮した。

 中学は、マンハッタンのカトリック系の私立学校に進学。年間の学費は2万ドル(約160万円)。ヒルトン姉妹なども通う超お嬢様学校だった。しかし、その学校生活は、ステファニーにとって地獄のようだった。アメリカで行われたあるインタビューでは、自分は変わった子で、いじめられていたと告白している。

 クラスメートの女の子と一緒にいた、顔見知りの男の子がステファニーを抱えて通りのゴミ箱に投げ入れたこともあった。ちょうど帰宅時間だったから、同じ学校の子たちも、ステファニーがゴミ箱にはいっているのを見たのだが、みんな彼女を笑うだけだった。だから、彼女自身も自分を笑うしかなかったという。

「いつも神経質に笑っていたし、涙をこらえて唇が震えていたのを覚えています」(前述インタビューより)

 またスカートの裾を規則よりも短くして、学校指定の靴でなくスニーカーをはいていた彼女は、先生たちからも煙たがられる存在だった。クラスメートも、髪形やメイクに気合をいれる彼女を見て鼻で笑った。

「あなたって何者? レズビアン?」
「誰もあなたのことなんか見ちゃいないわよ」

 そんな意地悪な声は容赦なくステファニーの心に深く突き刺さっていった。

 自身もガガのファンという作家の辛酸なめ子さんはこう話す。

「あるインタビューで彼女は、いじめの経験から“いまでも自分は負け犬みたいに思う”と発言していたんですね。見た目は奇妙なんですけど、育ちのいいお嬢様らしく、謙虚で真面目、そしてなにより品がいい。彼女の行動や言動からは“人に愛されたい”“好かれたい”というものを感じるんです」

“リトルモンスター”と呼ぶファンを何よりも大切にしているガガ。サインを求められれば、いつでもどこでも笑顔で応じる。それをボディーガードが阻止すると、時に声を荒らげて怒るほどだという。

 

○レディー・ガガ、日本びいきの理由…きっかけは親友!新作ジャケットは日本からの影響大!

 

  6月21日より来日しているレディー・ガガが、都内ホテルにてインタビューに応じ、その奇抜なファッションや日本からの影響について語った。ガガがこれほどまでに日本のファンになったのは、彼女の親友が日本人とのハーフだったことがきっかけだったという。

 6月21日に来日して以来、その一挙手一投足が日本中から注目を浴びているレディー・ガガは、3月の東日本震災が発生した折も、誰よりも早くチャリティー活動を行った。日本に興味を持った理由について、ガガは「わたしの親友でスタイリストのニコラが、日本人とのハーフなの。もともと日本のカルチャーには興味があったけど、直接のきっかけは彼ね」と友人の存在が大きかったことを説明すると、日本からの影響はファッションや建築、アニメなど多岐にわたっていることを明かした。

 ガガといえば、その奇抜なファッションが話題を集めがち。オフのときの服もステージ衣装と変わらないと語ったガガは、「自分の人生すべてがパフォーマンス・アートだと思っているし、すべての瞬間自分が舞台に立っていると思っているわ」と持論を展開した。来日してからは常に日本の服を身に着けているといい、「どれもすごく生き生きとしていて、ストリート感覚があるわ」とお気に入りの様子。この調子なら、いつかガガがステージでジャパニーズ・ファッションを披露する日も近いのかもしれない。

 新アルバム「ボーン・ディス・ウェイ」は全世界600万枚、ここ日本でも60万超というヒットを記録している。ガガとバイクが合体するという衝撃的なジャケットが話題になったが、意外にもガガは、「新作のジャケットには、どこか日本っぽい部分があるとわたしは思っているわ」と日本からの影響に言及。「『ボーン・ディス・ウェイ』を作ったとき、日本からも多くの影響を受けました」と明かすと、昨年に続く来日に「日本にまた戻ってこられて大変光栄です」とラブコール。ハリウッドスターをはじめとして、多くの著名人が来日を見合わせる中での来日したということをみじんも感じさせない態度を見せていた。

 

寄付金着服の疑いがかけられたレディ・ガガ、「見当違い」と猛反論!

 

   全額寄付を謳ったチャリティブレスレットの収益の一部を着服したとして、米ミシガン州の弁護士グループから提訴されていたレディ・ガガが、ようやくコメントを発表した。

 ガガは今年3月の東日本大地震発生直後、1本5ドル(約400円)のチャリティブレスレットをウェブサイト上で販売。この収益の全額を義援金として日本赤十字社に寄付するとしていたが、今回弁護士グループが提出した訴状によると、ガガは輸送費や手数料などを水増しし売上の一部を着服したとされている。

これを受けて現地時間28日、ガガの代理人は「全く見当違いの訴状です」と声明を発表した。

さらに「収益は全額、被災者の方々に送られます。輸送量が個人の利益に当てられたなどという事実はありませんし、販売税は国の条例に従って課金されています。この件が日本を応援しているファンの関心を削いでしまうことは非常に残念です」と続けている。

「レディ・ガガは個人的にも義援金を寄付するなど、被災者の方々をサポートし続けています」。

もうしばらく闘いは続きそうだ。

 

○ガガ「アリガトウ」でお別れ…菅首相から緑のバラ贈られた

 

   6月21日に来日した米歌手のレディー・ガガ(25)が1日、プライベートジェット機で羽田空港から離日し、台湾に向かった。自らデザインしたユニクロのチャリティーTシャツ姿で報道陣に「アリガトウ!」と日本語でお別れ。菅直人首相(64)からバラの花が届いたこともツイッターで明かし「(バラは)ビューティフル」と最後までご機嫌だった。

 唐突な?菅首相からのプレゼントに、ガガは「自分のキャリアの中で最も格別な瞬間。この名誉をありがとう」とツイッターで大喜びした。

 関係者によると、菅首相は30日夜、ガガが滞在していた東京・六本木のリッツ・カールトンホテルに直径10センチほどのバラとメッセージを送った。ガガはツイッターに「Teal Rose」と書いており、直訳すると「暗緑色のバラ」。首相は来日時の緑ずくめ衣装にちなんだようだ。緑のバラの花言葉は「希望を持ち得る」や「穏やか」。復興への希望を込めたとみられる。 

 メッセージでは謝意を伝えるとともに、ガガのファンを意味する「リトルモンスター」を使い「あなたのリトルモンスター 菅直人」と英語で書いた。ガガはその日のうちにツイッターで花の画像とメッセージを掲載した。

 ガガは震災直後から「日本の為に祈りを」と書かれたリストバンドを5ドル(約400円)で販売。これまでに約300万ドル(約2億4000万円)を寄付した。日本滞在中はショッピングのほか、しゃぶしゃぶ、すし、居酒屋など積極的に日本料理店に足を運び、世界に日本の安全をアピール。関係者によると、菅首相は、ガガの支援に対する感謝の気持ちを込めたという。

 先月25日にMTVのライブイベントに出演したほか、28日には日テレ系「スッキリ!!」に生出演。ほか、11日間の滞在で12番組の収録もこなしたガガは、この日午後3時すぎにホテルを出発。4時45分、羽田空港のロビーに姿を現した。

 来日時の緑ずくめから一転、出国はカジュアル。袖をカットしたTシャツにスカート、小さなリュックに20センチのヒールブーツで、報道陣や免税店の店員に手を振って笑顔を振りまいた。日本滞在を「ワンダフル」と振り返り「I miss you(寂しい)」と繰り返した。

 搭乗のため一度乗ったバスからわざわざ降りて写真撮影に応じるなど、菅首相の“バラ効果”もあったのか終始ご機嫌。バラについて「ビューティフル」と振り返り、機上の人となった。

 見事にガガの心をつかんだ菅首相だが、積極的な支援活動をしている有名人は、ガガだけではない。現在、国際的に最も影響力のあるガガへの“特別待遇”を「浅はかすぎる人気取り」と、やゆする声も上がっている。いずれにしても、最後まで話題を振りまいたガガ様だった。

 

 

 

 もう、この来日で、より、ガガ様のことを知ることになり、私もガガ信者になってしまいました。今回来日のライブ後での会見や、スッキリのインタビュー出演時の様子など見ていると、案外に、可愛い女の娘な部分も大きくて、NHKニュース9の真面目なキャスターの英語インタビューではきちんと大人の会見で真っ当な意見を述べていたし、女の娘の可愛らしさと大人の常識的な面を表現する知性を、同時に合わせ持ち、状況や相手によって自分のキャラを変えられる、とてもアタマの良い人なんだとよく解りました。若干25歳のギャルにして世界最高峰のショービジネスの最先端に君臨する、世界一有名なロックミュージシャンでありながら、この優しさ。感動ものでした。日本人の大半は多分、彼女のロックの曲は知らなくとも、レディー・ガガの名前と容貌は、親愛なる好感度と共に脳裏に焼き付けたんじゃないかな。

 

Twitterでも、ワシは、レディー・ガガ様に関して28日から2日まで、いくつもつぶやきました。

※ガガ=ポーカーフェイス(黒カピバラ)

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