うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

昭和グループサウンズ

2017年03月12日 | ミュージックログ
 
 
 
 

 人気ミュージシャンのかまやつひろしさんが、2017年3月2日、病気で亡くなられました。享年78歳でした。

 
 

 かまやつひろしさんは、日本のロック、ポピュラー、ニューミュージック、Jポップなど、日本の商業音楽の発展に関係し、今のJポップを作り上げるに至った、日本商業音楽の道程に影響を与えた数多くのミュージシャンの一人でもあり、往時はヒット曲を飛ばし、デビュー当時から楽曲制作を行いシンガーソングライターの先駆けでもありました。60年代のGSブームの立役者の一人でもあります。

 
 

 昭和のGS ブームの折り、かまやつひろしさんはザ・スパイダースのメンバーでした。後の芸能事務所、田辺エージェンシーの社長、田辺昭知さんらが1961年に作って活動していたグループ、ザ・スパイダースに63年に加入し、ボーカルやコーラス、リズムギターを担当していましたし、時にはスパイダースの楽曲の制作もやってました。

 

 

 

 享年78歳のかまやつひろしさんは、1939年=昭和14年生まれで、グループの中では田辺昭知さんと共に年長の方のメンバーでした。

 
 

 また70年代の後半にTV のCM ソングから火が着いて日本でヒットした陽気で明るい曲、カナダ人女性シンガー、タニヤ・タッカーが歌った全部英語歌詞の曲、「ハロー・ミスターサンシャイン」は、実はかまやつひろしさんの作曲でした。タニヤ・タッカーのこの歌は当時はけっこうヒットしたので、後でかまやつひろしさんの曲だと知って驚きました。

 
 

 吉田拓郎さんの作詞・作曲の「我が良き友よ」は当時大ヒットしましたね。1975年のリリースか。吉田拓郎さんとかまやつひろしさんのツインボーカルのデュエット曲、「シンシア」とドーナツ盤でそのB 面曲「竜飛崎」も当時話題になりました。曲リリースは「我が良き友よ」前年の74年ですね。

 
 

 僕自身は、かまやつひろしさんはそんなに好きなミュージシャンでもなかったんだけど、僕は70年代を通して吉田拓郎さんの大ファンだったので、「シンシア」や「我が良き友よ」は興味津々でしたね。僕はこの二枚のドーナツ盤は買わなかったけど、当時の友人が持っていて友人の部屋で聴いてました。

 
 

 「我が良き友よ」の思い出というと、当時の入社した会社の同期で、同じ職場の同僚だったIK 君が、職場の飲み会で歌ってたのをよく憶えてます。当時はまだカラオケが普及する前で、みんなアカペラでみんなの手拍子で歌ってた。その前の飲み会では、僕が大好きだった沢田研二ソロのヒット曲、「危険なふたり」をアカペラで熱唱してた。懐かしいなぁ、IK 君。ふだんはそんなに仲の良い友人でもなかったけど、正月に上司の家への年始に僕を誘ってくれたりした。良いヤツだったなぁ。

 
 

 沢田研二さんは60年代後半はザ・タイガースのボーカルで、タイガースは大ヒットを幾つも飛ばしてた。60年代後半GS ブームの御三家は、ザ・スパイダースとザ・タイガースとブルーコメッツの三大バンドですね。

 
 

 60年代後半は、グループサウンズの大ブームで、とにかく若者から子供までグループサウンズに熱狂してた。30代以上の大人は眉を顰めて好もしからざる思いだったみたいだけど。良識派の大人たちから、グループサウンズとそれに熱中するファンの若者は不良、って思われてた時代。

 
 

 日本のロックバンドはそれ以前からあったけど、とにかくグループサウンズの一大熱狂ブームに火を点けたのは、1966年のビートルズの来日だな。あれを境にバンドの数が一気に増えた。ビートルズ来日前から十倍くらいに増えたんじゃないかな。

 
 

 加山雄三の大ヒットシリーズの青春映画、「エレキの若大将」のロードショー公開が65年12月だから、ビートルズ来日以前に若者にバンドブームは静かに盛り上がって来てはいたんだけど。

 
 

 子供だった僕もよく憶えてる、大晦日のNHK紅白歌合戦の裏番組の民放特番で、四時間くらいぶっ通しでたくさんのグループサウンズの演奏を流して行くライブ番組をやってた。僕はまだ小学生だったから、67年の大晦日かな?このとき、ザ・ダイナマイツが持ち歌の「トンネル天国」を歌ったんだけど、学校で、クラスメートのKT君が、ダイナマイツのことを話して、「♪ラララ トンネル抜けて~‥」と歌ってたのを印象深く憶えている。それが紅白の裏番組見た後の年が開けて三学期のクラスでの話か、それとも、当時は今と違って歌番組がいっぱいあったから、他の歌番組で見た翌日に学校で話したのか、そこまでは憶えてないけど。

 
 

 この間、TVで吉田拓郎さんが映ってて、かまやつひろしさんと大ヒット曲「我が良き友よ」の話をしていたんですが、いきさつは最初、かまやつさんが拓郎さんに「曲を作って」と頼んで、「我が良き友よ」を持って行ったら、「こういう歌は嫌だ」とかまやつさんは拒否したけど、プロデューサーに説得されて、しぶしぶレコーディングしてリリースしたら大ヒットしたんだとか。

 
 

 また一人、昭和のポピュラー音楽界を作った人の一人が逝ってしまいましたね。昭和はどんどん遠くなる。寂しいものですね。

 
 
 

◆スーパーベスト グループサウンズ オムニバス (アーティスト), & 8 その他 形式: CD

 
 

◆100年後の日本人に残したい・・・究極のグループ・サウンズ オムニバス (アーティスト), その他 形式: CD

 
 

◆ムッシュー~かまやつひろしの世界 Original recording remastered かまやつひろし 形式: CD

 
 

◆あゝ、我が良き友よ かまやつひろし 形式: CD

 
 

◆ザ・スパイダース ツイン・ベスト・セレクション ザ・スパイダース 形式: CD

 
 
 
 
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恋人にしたいアーティスト

2014年05月28日 | ミュージックログ

○恋人にしたい音楽アーティスト 男性1位は「福山雅治」、女性1位は?

 

  音楽情報誌「CD&DLでーた」(KADOKAWA ブランドカンパニー エンターブレイン)は、10~60代の男女を対象に「恋人にしたい音楽アーティスト」ランキングを発表した。この幅広い世代からモテモテだったアーティストはこちら!

「福山雅治」人気の秘密は?

<恋人にしたい男性音楽アーティスト>

1位:福山雅治
2位:櫻井翔(嵐)
3位:木村拓哉(SMAP)
4位:稲葉浩志(B’z)
5位:桜井和寿(Mr.Children)

(有効回答者数 n=1685人)

1位には「福山雅治」が輝いた。世代別ランキングでも、なんと全世代で1位を獲得。歌やルックスだけではなく、「努力している」、「素敵な年齢の重ね方をしている」、「ひょうきん」など、生き方やパーソナリティも人気の理由となった。

2位は嵐の「櫻井翔」だった。嵐は「大野智」が6位、「松本潤」が7位、「二宮和也」が8位、「相葉雅紀」が10位とメンバー全員がトップ10入りした。

女性1位は20~40代男性に人気の「miwa」

<恋人にしたい女性音楽アーティスト>

1位:miwa
2位:YUI
3位:aiko
4位:安室奈美恵
5位:May J.

(有効回答者数 n=1482人)

1位には長い黒髪が印象的な「miwa」がランクイン。学生からの支持が多いかと思いきや、20~40代の3つの世代で1位を獲得した。

同誌の分析によると、男性が女性アーティストを支持する理由は「かわいい」、「歌がうまい」など、「ルックス面と音楽面の両方満たしていること」だったそう。それぞれの得票数に大きな差はなく、ランキングは男性の好みが表れたのかもしれない。

その他、男性アーティストでは「福山雅治」以外は全員グループだったが、女性アーティストは全員がソロアーティストだった。

 

恋人にしたい男性音楽アーティスト
(有効回答者数 n=1685人)
順位:アーティスト名
1位:福山雅治
2位:櫻井翔(嵐)
3位:木村拓哉(SMAP)
4位:稲葉浩志(B'z)
5位:桜井和寿(Mr.Children)
6位:大野智(嵐)
7位:松本潤(嵐)
8位:二宮和也(嵐)
8位:平井堅
10位:相葉雅紀(嵐)
10位:桑田佳祐

恋人にしたい女性音楽アーティスト
(有効回答者数 n=1482人)
順位:アーティスト名
1位:miwa
2位:YUI
3位:aiko
4位:安室奈美恵
5位:May J.
6位:大島優子(AKB48)
7位:きゃりーぱみゅぱみゅ
7位:西野カナ
7位:吉岡聖恵(いきものがかり)
10位:中島みゆき

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福山☆夏の大創業祭 稲佐山 【初回限定スペシャルパッケージ盤】 [DVD]

15(初回限定スペサルBOX仕様)(初回限定封入特典:パスステッカー2枚付) [DVD]

 

 これは芸能人、有名人というワクでなくて、もっと狭い、アーティスト括りなんですね。僕は男性なんで、先ず始めに「恋人にしたい女性音楽アーティスト」で考えてしまいますけど、このラインナップは超有名人ばかりですね。男性陣もそうだけど。メディア露出の超多い芸能人ばかり。TV放送の音楽番組でよく見掛ける(見掛けた)人たち。いえ、例えばアニソン歌手とか、若手のシンガーソングライターとか、可愛い人、綺麗な人、いっぱい居ますよね。YouTubeでアニソンや若手Jポップ歌手捜して、パフォーマンス見ると、よく解ります。アニメ主題歌や自作のJポップ、フォークを歌っている若手シンガーには、美形がメチャ多い。美人度で言えばそりゃあもう、ここの10名よりずっと上を行く美貌の人たち。いっぱい居ますね。まあ、そう言っちゃうと、ここのラインナップの超有名人や、もう大御所域に入ってんじゃないか、という歌い手の皆さんに大変失礼なんですが。中島みゆきさんとか、レジェンド的大御所ですよね。まあ、ここのBest10の方々も、美形だったり可愛かったりなんですけどね。

 ここのベスト10ラインナップの方たちも、非常に魅力的な人たちばかりですけども、まあ、皆さん、お顔の美醜も並よりも上域のお顔でしょうが、正直、そんな、「美貌の持ち主!」という程でもないのでは、と思います。まあ、芸能人は特にBigになればなる程、プロの化粧術が施されるものでしょうし。性格は、TV画面上や舞台やライブなど、メディアの中で映るものでは、はっきりとは、本当のトコロは解らないですよね。芸能人に取っては、好感度はかなり重要でしょうから、ファンの目に留まるメディア上では、自分の変な性格部分や性癖など、ボロは極力見せないようしてるでしょうし。高飛車部分とか、ワガママなトコとか、“陰険!”とか、一般的に人に嫌がられそうな性格部分は、表面に出ないように、見えないように、努力はしてるんでしょうから。まあ、芸人やタレントとか、キャラを作って活動してる芸能人は別でしょうが。今の時代の芸能人に取っては「キャラ」は、重要な戦略でしょうからね。「キャラ」に寄って、芸能界で生き残って行けるかどうかが決まる、という部分があるくらいでしょうし。

 男性ベスト10の中には、「チャゲ&飛鳥」の飛鳥涼は入ってないんですね。チャゲアスは最近はヒット曲がありませんでしたからね。飛鳥涼は結婚してるし。ミスチルの桜井さんは結婚はしてないんだっけか(?)。でも、キムタクも桑田圭祐も結婚してるしね。飛鳥涼はルックスはハンサムだけど、もう50代のオヤジだし、何よりも昨年の薬物疑惑スキャンダルと薬事法違反容疑が効いちゃってるね。そしてつい先頃、覚醒剤で逮捕されたし。アンケート時点では逮捕されてはいなかったけど。アンケートは、覚醒剤所持や使用で逮捕される、前だけど、ダークな疑惑は昨年からあったしね。女性ベスト10はオール独身女性だけど、男性ベスト10には家庭持ってるアーチストも交ざってる。そこんとこが男女の違いがありそうですね。家庭をキチンと維持して行ってる、包容力感かな。Best男性陣は、桑田さんや平井堅はどうかな、って感じもするけど、全員がまあ、イケメンですよね。ほとんどの人がルックスが良い。桜井さんも平井堅も、まあ良い男の内でしょう。イケメンと人気でいうと「嵐」はメンバー全員入ってるのか。福山、桑田、桜井、というのは金持ってるよなあ。かなりの額の金持ってそう。キムタクも金持ってそうだけど、家庭があるからなあ。まあ、この投票はミーハーですね。B'zの稲葉さんも結婚してんだな。

 「恋人にしたい女性アーティスト」Best10ラインナップだと、僕はやはりMIWAちゃんとかYUIちゃんとかかなあ。aikoさんとかは性格で選ばれてそうな。アムロさんはカッコ良さ、かな。YUIさんは綺麗ですよねえ。クールビューティー。でも何か性格に裏面を持ってそう。悪い意味じゃないんですけど、何か裏面にある部分が難しそうな雰囲気ある。何かチラッとゴシップで見たんですが、ソロやめて彼氏のバンドのボーカルになった後、よくは知らなくて済みませんだけど、パニック障害か何か起こしたんだっけか(?)。YUIさんは母子家庭で育って昔はけっこう貧乏してるような話を聞いた、というか読んだし、若くしてけっこう苦労してるんだよね。その頃のトラウマがあって後々出たのかも知れないし。子供の頃や若いときの精神的打撃は無意識の内にトラウマとした残って、忘れた頃に発症することって多いですからねえ。まあ、YUIさんがどうなのか、本当のところはシロートの僕には全く解りませんが。MIWAちゃんは明るく溌剌としてて良いですね。慶応行ってるんですよね。もう出てるんだっけか?詳しくは知らないけど。お嬢さんで育ちが良い感じ。きゃりーちゃんはちょっとあまりにも個性的過ぎるように見えて。まあ爺さんのワシが何をほざいてんだ、って話ですが。しかし、ワシよりも年上の中島みゆきさんがランクインしてるなあ、と驚き。それこそ金持ってそう、だからか。作ってる歌はメチャメチャ暗い歌が多いけど、ラジオのDJではキャラが全然違いますからねえ。歌の内容とDJのキャラが全く違ってて明るく面白い。まあ、人はみんな性格の裏面持ってるし、有名人も本当のところは解らないですよねえ。イメージだよなあ。May.Jさんも綺麗だし。まあ、ここの選ばれたラインナップは男性も女性も、みんな、イメージ的に性格良さそうに思える人たちばかりですよね。

 

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ポール・マッカートニー

2013年12月11日 | ミュージックログ

○ポール懸賞旗写真に大喜びし帰国の途

 

  11年ぶりの日本公演の全日程を終えた英歌手ポール・マッカートニー(71)が22日、成田発ロンドン行きの航空機で帰国した。前日21日に最終公演を東京ドームで行ったが、疲れた表情も見せず、笑顔で搭乗口に姿を見せた。東京ドーム公演と大相撲九州場所に懸賞金を出したことを大々的に伝えた日刊スポーツ紙面を本紙記者が見せると「グレート!」「ベリーグッド!」と大喜び。ご機嫌の様子で機上の人となった。

 愛用品のバイオリンベースを手にしたポールが、成田空港の搭乗口に姿を見せたのは午前11時過ぎ。出発時間の直前だった。サングラスをかけ、黒いコートに同色のスラックスとシックな装い。空港職員ら10人以上が警護したが、ポールご一行はわずか数人だった。9日に関西空港に到着した際はチャーター機を利用したが、この日は民間機。来日時は関係者の求めに応じて法被姿でファンサービスに努めたが、この日は静かに日本を離れようとしていた。

 ところが、表情が一変する瞬間が訪れた。東京ドーム公演の様子と懸賞金や懸賞旗を写真入りで大きく報じた本紙紙面を見た時だった。本紙記者が示した22日付の紙面を指さしながら「グレート!」「ベリーグッド!」と大喜び。さらに「ポール・マッカートニーNEW発売中!」と新アルバムの告知がデザインされた懸賞旗の写真に目を留めると「スモウ、スモウ」と連呼した。

 大阪から福岡、東京と会場を移し、6公演で約26万人を動員した一大ツアーを成功させた。14日には福岡で念願の大相撲観戦も実現。そこで初めて知った懸賞も21日に出して大満足の滞在となった。楽しい思い出がよぎったのか、足取りは軽やかだった。

 見送りの日本側スタッフには「マタアイマショウ」と日本語で呼びかけて再会を誓った。フラッシュを浴びせていた本紙カメラマンに対しても「グッドモーニング。アリガトウ~」と手を振った。

 ステージ以外の場所での取材を好まないと言われるポールだが、日本ツアーに強い満足感を得たのか、疲れも見せず、充実感を漂わせる笑顔で飛行機に乗り込んだ。

◆ポール・マッカートニー記事
※(2011-05/09)
※(2008-03/28)
※(2010-06/08)
※(2008-08/04)
※(2005-10/07)
※(2008-01/31)
※(2006-07/28)
※(2013-11/18)
※(2013-11/15)

 

 ポール・マッカートニー、いつの間にか離日してた。来たときはメディアがあんなに騒いだのに、TV各局で空港に現れた姿から大相撲見物まで映し出してニュースにしてたのに、英国帰国は全く報道されませんでしたね。ネットの玄関サイトのニュースにも出てなかった。報道したのはスポーツ新聞くらいだろう。それも何面かに比較的小さくだろうけど。捜せばネットのニュースでも上がってたんだろうけど。来たときは何十億円のか、それ以上かの経済効果と騒いでましたが、帰るとなると、マスコミ、何にも報道しませんね。実際、どのくらいの経済効果があったのか、とか教えてくれる訳じゃない。ポールが、大相撲に懸賞金出してたのも知らなかった。まあ、いいんですけど。ポール、いつの間にか日本を飛び立ってた。

 どのドーム公演も大入り満員だったようですね。メディアの紹介でも、僕ら以上から団塊世代、それ以上までのオールド世代が、ノスタルジックに感激していた模様。中年以上のタレントや有名人が各Blogなどで、ライブに行って感動して涙が出た、っていうメッセージを発信してた。ライブの感激を、TVでコメントするタレントも。オールド世代には、もう、ポール・マッカートニーというよりも“ビートルズ”ですね。ビートルズへのノスタルジーで感激し涙を流していた。まあ、ポール・マッカートニーはビートルズ以後も世界の音楽シーンでずっと活躍して来てるから、日本人のもっと若い世代、さらに若い世代にまで広くファンが居るでしょうけど。ビートルズじゃなくて、純粋にポールのファンも多かったでしょうね。何はともあれ、帰っちゃった。まあ、ご健在ですからね。しかし、71歳で世界ツアーでロックのライブは、「凄い」の一語に尽きますが。

 僕が初めてビートルズの“Please Please Me ”を聴いたのは小学生の頃ですが、ビートルズサウンドに熱中し始めたのは中三、14歳頃の時代です。当時のクラスメート、親友のK君が自分ちにある数々のビートルズのレコードをシングル・アルバム、いっぱい貸してくれて、僕自身もシングル盤を何枚かは自分で買って来て、毎日ビートルズサウンドを洪水のように浴びて、嬉々として独り熱狂してました。学校でもK君といつもビートルズの話ばかりしてた。

 当時から無論、僕はポール・マッカートニーが一番のファンでしたが、他のメンバーも大好きでした。まあ、大好きって、メンバーのことは、レコードで聴く楽曲と、K君がおごってくれて劇場で見た映画「レット・イット・ビー」と、TV放映した「ヤア・ヤア・ヤア」と「ヘルプ」の映画で見たこと、くらいしか知りませんでしたが。でも、ビートルズはリンゴまで、大好きだった。

  K君もビートルズ大好き少年だったけど、そういえば子供の頃、家が近所で幼馴染のF君も、小学校・中学校当時のクラスは違ってたけど、ビートルズはかなり好きみたいで、中三卒業のクラス寄せ書きにビートルズ・ヒット曲のタイトルをいくつか書き込んでた。「悲しみはぶっとばせ!」とか寄せ書きに相応しそうなタイトルもあったし。あ、確か「Let It Be」も入れてた。なるようになるさ、なのかな。F君とはビートルズの話はあんまししたことなかったな。K君が言うに、映画「レット・イット・ビー」、同じ日、劇場に来てたらしい。まあ、昔々のコトゴトですが。

 で、僕が、ビートルズで二番目に好きだったジョージ・ハリスンの、僕の好きなジョージ曲のランキングです。あくまで、僕自身の好きな曲をビートルズ時代から、ソロのアップルからダークホースレーベルまでのジョージ・ハリスンの曲を敢えて、順位を着けると、という僕の好きな順ランキング、Best15。ただし12位の「セットオンユー」のみ、カバー曲ですね。

1.Here Comes The Sun

2.Something

3.My Sweet Lord

4.You

5.While My Guitar Gently Weeps

6.All Those Years Ago

7.What Is Life

8.For You Blue

9.Awaiting on You All

10.Give Me Love

11.Devils Radio

12.Got My Mind Set on You

13.Isn't It a Pity

14.Ding Dong,Ding Dong

15.Piggies

  あ、15位はPiggiesよりも同じホワイトアルバムのジョージ曲で、「Savoy Truffle」の方が印象深いかな。楽曲としてはPiggiesよりもSavoy Truffleの方が好きだな。ホワイトアルバム中のジョージ曲だと、あとLong, Long, Longも好きな曲だったな。

  ポール、ジョージの曲をランキング着けして、ジョン・レノンの曲の順位を語らないのは片手落ちなので、世界的“ロックのカリスマ”の一人、ジョン・レノンの僕の好きな曲の順位も。あくまで僕自身が好きなジョン曲のランキング。ビートルズ以後、ソロのジョン・レノンの僕が好きなランキング、Best10。7位に上げた「スタンドバイミー」はカバー曲。

1.Imagine

2.Whatever Get You Thru the Night

3.Mother

4.(Just Like)Starting Over

5.Jealous Guy

6. #9 Dream

7.Stand By Me

8.Woman

9.God

10.Instant Karma!

 

 思い出したんだけど、一度だけ、幼馴染のF君とビートルズの話をしたことがあった。中三のある日の登校路の路地。多分、晩秋か冬だろうな。僕がF君にビートルズ話題を投げかけ、「ビートルズ、解散するらしいね?」とか何とか訊いたら、F君が「あれはポールが悪い。ビートルズは自分(ポール)でもっていたグループ、なんてコトを言うから‥」とか何とか言うコメントを、F君は返して来た。後にも先にもF君とビートルズの話をしたのはこれだけ、という気がする。何十年も昔の記憶だから、もし違ってたらゴメンナサイだけど、多分そうだと思う。そして、その当時、K君が僕んちに遊びに来てて、僕の家の裏庭に居たとき、近所のF君ちの窓から、ビートルズの名曲の一つ、♪All You Need Is Loveが流れ聞こえてた、と話していた。僕は記憶にないんだけど。だから、当時の冬の朝の、登校路の途中で僕がF君にビートルズの話題を投げかけたのか。それとも、ユナイト映画「Let It Be」をF君も劇場に見に来ていた、とK君が話してたから、それで、僕は、F君もビートルズに興味があるんだナ、とF君に問いかけたのか。あれから数十年経った今となっては解らない、まあ、ドーデモイイよーな、何でもないことです。はい。F君は野球部だったけど、走り高跳びが得意で、メチャ高く跳んでた。僕も小六、中一くらいまで走り高飛びはけっこう跳んでたけど、とてもF君には及ばなかった。懐かしいね、イロイロ。

 で、The Beatlesのオリジナルアルバムを、僕の個人的な趣味で、勝手に好きな順位を着けると、やっぱり1位は「LET IT BE」、2位が「ホワイトアルバム」、3位が「HEY JUDE」って、後期のアルバムばっかだね。う~ん、3位は「ABBEY ROAD」だろうか。両方3位で、4位が「RUBBER SOUL」ってとこかなあ。

◆ジョージ・ハリスン オールタイム・ベスト

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ポール・マッカートニー

2013年11月18日 | ミュージックログ

○ビジネスマンはポール・マッカートニーに職人魂を学べ!

 

  ロック界の大御所、ポール・マッカートニーの単独来日公演が11年ぶりに実現。11日から京セラドーム大阪でツアーをスタートさせており、大阪、福岡、東京の3都市をめぐり、日本中のファンに71歳にしていまだ現役の力強いサウンドを届ける。

今回のジャパン・ツアーは、今年5月にブラジルを最初にスタートしたワールド・ツアー「OUT THERE! TOUR」の一環で、「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」と名付けられており、ビートルズ時代から10月にリリースした新譜『NEW』までのキャリアを総括するものとなっている。

デビュー以来ずっと音楽界のトップに君臨し続けるポールだけに、その仕事ぶりには学べる点が多い。たとえば、ビートルズが最後に録音したアルバム『アビイ・ロード』に収録されているポールが歌う『オー!ダーリン』は、ソウルフルな声を音源に収めるため、スタジオに早く入り声を潰してからレコーディングに臨んだと言われている。

また、映画『レット・イット・ビー』では、音にこだわりすぎてギターのジョージ・ハリスンと喧嘩になっているところが確認できる。こうしたこだわりの職人魂は、ビジネスマンも見習いたいところだ。

キャリアも実力も人気もあり、誰よりも音に対して注意を払う彼だけに、すべて自分の感覚だけを頼りに作品を生み出してきたかと思いがちだが、実は決してそうではない。彼の素晴らしいところは、自分よりもかなり若いミュージシャンや助言してくれる人間を制作に招き入れる点だろう。

新譜『NEW』にもエイミー・ワインハウスらを手がけたマーク・ロンソンや、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子、ジャイルズ・マーティンをプロデューサーに迎えている。自分にはない感覚を取り入れることで、自分の枠から一歩先へ進めることを知っているのだ!

どこまでも仕事に向き合い、さまざまな考えを取り入れ進化しつづけるからこそ、長い間にわたりファンを生み続けられるのかもしれない。常にクオリティの高いパフォーマンスをし続けこだわりと謙虚さが必要なのだ。

 

来日記念で“ポール・マッカートニーカフェ”登場!!

 

  11年ぶりの来日を果たしたポール・マッカートニー(71)。その来日公演「アウト・ゼアージャパン・ツアー」の開催を記念し、期間限定でオープンした「エイトデイズ・カフェ」が話題になっている。

 「来日コンサートを100倍楽しむ」をコンセプトとした店内には、ザ・ビートルズとポール・マッカートニーに関わるレコードジャケットをはじめ、さまざまなビジュアルコンテンツが設置され気分を盛り上げる。また、ミュージッククリップやあらゆる曲を迫力溢れるサウンドで楽しみながら、料理を楽しむことができる。グッズも販売されており、ファンがトータルでザ・ビートルズの世界を楽しめるコンセプトカフェとなっている。

 「エイトデイズ・カフェIN 東京」は東京・千代田区の霞ヶ関にあるが、近隣のビジネスマンだけではなく、親子連れや若い女性の姿もみられるという。

 「見る・聴く・食べる」がそろった「エイトデイズ・カフェ IN 東京」は12月末日までの営業を予定しており、期間中は無休。営業時間は11時から23時30分。詳細 http://www.8dayscafe.com/ まで。

 

○ポール・マッカートニー、BBCラジオ出演時の舞台裏映像を公開

 

  現在、来日公演を行っているポール・マッカートニーが、10月にリリースした新作『NEW』のプロモーションのために、BBCラジオに出演した際の舞台裏映像が公開されている。

当日は、抽選で招かれた数百人の観客の前で、新作『NEW』の楽曲はもちろんのこと、ビートルズ時代の楽曲や、ソロ時代の楽曲も演奏された。

 

 ポール・マッカートニー 3番目の妻は資産500億円!

 

  あっと言う間にチケットが完売し「経済効果100億円」という声まで飛んでいるポール・マッカートニー(71)の来日公演。

 14日には大相撲九州場所を観戦し、歓声を浴びていた。ところで、気になったのは、隣に座っていた3番目の妻であるナンシー・シェベル(52)だ。過去2人の夫人と比べてかなり地味。世界のポールの妻にしては、どうにもオーラに欠ける。でも、ポールに負けないくらいの大富豪なのだ。

「ポールは1969年に米国人写真家のリンダ・イーストマンと結婚。29年に及ぶ結婚生活で3人の子供をもうけたが、リンダは98年、乳がんで亡くなっています」(音楽雑誌編集者)

 2002年に、下着モデルだったヘザー・ミルズと再婚。ところが、わずか6年で破局してしまう。慰謝料2億ドル(約200億円)を要求されるドロ沼の離婚劇を繰り広げ、ポールは5000万ドル(約50億円)を払って和解している。

 3番目の妻となったのが、19歳年下のナンシー・シェベルだ。2011年、ポールが69歳の時、結婚している。ナンシーには弁護士の夫がいたが07年に別居し、その直後からポールと交際。夫と離婚後、すぐにポールと入籍している。
「ナンシーは、親の遺産だけでも5億ドル(約500億円)という大富豪です。シェベル家は運輸関係の財閥。ただ、彼女の評判はあまりよくない。NY市の公共交通機関をつかさどるMTAという役所の重役を務めていた時、MTA役員に発行される〈特別駐車許可証〉を、美容院に行くために使って違法駐車しているところをパパラッチに撮られている。NYはどこも路肩はクルマで埋まり、有料駐車場はバカ高い。大富豪のナンシーが特権を使ったことに庶民はカンカンでした」(現地日本人)

 離婚しても、ナンシーも大富豪だけに巨額の慰謝料を取られる心配だけはなさそうだ。


※ポール・マッカートニー(2013-11/15)

  

 ワタクシ(naojii)が自分の趣味で、ワシの好きなポール・マッカートニー曲を勝手に順付けした独自の、ポール・マッカートニー曲Best10&以下順位曲。

1.Eat At Home

2.Band on the Run

3.Hope Of Deliverance

4.Listen to What the Man Said 

5.Let 'em In

6.Some People Never Know

7.With a Little Luck

8.Another Day

9.This One

10.No More Lonely Nights

11.Jet

12.Freedom

13. Bluebird

14. Tomorrow

15.Silly Love Songs

16.Mull of Kintyre

17.Junior's Farm

18.Too Many People 

19. Heart Of The Country  

20.Monkberry Moon Delight  

21.Mamunia

22. Long Haired Lady 

23. Hi,Hi,Hi

24.Rock Show

25.Mary Had a Little Lamb

26.The Girl Is Mine

 

 26位に挙げた、マイケル・ジャクソンとのデュエット曲、The Girl Is Mineは曲を作ったのはマイケル・ジャクソンの方だけど、僕自身、何となく当時の思い出があるんで、特別に26位で入れました。あと、僕の好きな曲でも、Getting CloserやPress等、Best26選曲に漏れた名曲もありますけどね。他にも、まだ。“アイルランドに平和を”とかOff The Groundとかも良い曲だ。ビートルズ時代のポール曲を入れると、上位にそれらが何曲も喰い込むし‥。


  で、ビートルズ時代のポール曲で、ワシの好きな曲を敢えて順位付けすると、下記のようになります。あくまでポールの曲のみで。勿論、ビートルズはジョンの曲もジョージの曲も好きな曲はいっぱいありますが。また、ビートルズ時代はジョンとポールの合作も多いし、ビートルズ時代のポール曲は、多分にジョンのアドバイスや、アレンジ面でのジョンや他のメンバーたちからの影響もあったものだろうと思われます。無論、Yesterdayみたいにポール独自の曲もあったでしょうが、バンドでやってる限りは、曲の成立には他のメンバーや当時のプロデューサーの影響は絶対あったでしょうね。僕自身の、ビートルズ時代ポール曲の、好きな順位。

1.Let It Be

2.The Long And Winding Road

3.Get Back

4.Hey Jude

5.I Will

6.All My Loving

7.And I Love Her

8.ObLaDi,ObLaDa

9.Lady Madonna

10.I've Just Seen A Face

11.Rocky Laccoon

12.I'm Looking Through You

13.Good Day Sunshine

14.Hello, Goodbye

15.Tell Me What You See

16.Yesterday

 記事冒頭の画像フォトは、ビートルズ解散後のソロ・ポールがバンド結成した、ポールとリンダ主導のロックバンド、Wingsのデビューアルバム、1971年発表の「Wild Life」のジャケットフォトです。ワタクシには思い出深い一枚で、名曲「Some People Never Know」「Tomorrow」が収録されています。

 あ、Two Of Us入れるの忘れてた。Two Of Us好きな曲なんだけどなあ。ビートルズ時代のポール曲ではかなり上位に好きな曲。あと、She Came in through the Bathroom Windowとかも好きだなあ。でも「Abbey Road」B面のBecauseからHer Majestyまでの一連の曲は、長い一曲というかメドレーみたいなもんだもんな。 

◆ NEW ポール・マッカートニー 2013年11月の日本ツアーが話題沸騰中のロック・レジェンド、ポール・マッカートニー。
ロック・アルバムとして6年ぶり、オリジナル・スタジオ・アルバムとして16作目!

オン・エア~ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2

ポール・マッカートニー・アンソロジー 1970-2005 [DVD]

Ram(ラム)1971 -Spec- [CD, Special Edition, Import]

(2016-8) この間、月村了衛のSF 警察活劇小説、「機龍警察-自爆条項」読んでたら、アイルランド紛争が一つのテーマになっていた。小説は勿論フィクションだが、主要登場人物の一人が、元アイルランド紛争関係のテロリストで、物語の中で日本でテロを起こすアイルランド人テロリストの連中が、同じくアイルランド紛争関係のテロ組織の構成員となっている。実際に北アイルランドとその周囲で起こったアイルランド紛争は、1960年代から98年まで続いた地域紛争で、北アイルランド問題とも呼ばれていた戦闘である。この地域戦争を戦っていた一つの勢力がアイルランド共和軍=IRA である。よく海外のアクション映画にIRA のテロリストとか、元IRA テロリストと称する危険人物が出て来るけど、このIRA にちなんで、物語上作り上げた架空の、危険な戦闘員(テロリスト)ですね。で、小説「機龍警察-自爆条項」のお話で扱われているのは、実在したIRA から派生した、月村了衛が物語上作ったテロ組織、IRF (アイリッシュ·リパブリカン·フォース)です。これは物語の上で、IRA から派生した過激派テロ組織、IRF という設定になってます。

 この小説には、月村了衛が物語上作った事件や組織や、架空のテロリストたちが出て来ます。読んでると、IRF という組織が本当にあって、“アゲン”というテロ事件が本当にあったことかと錯覚します。調べて見て初めてIRF もアゲンも作者が考え出した架空のものだと解る。だけど、“アゲン”の元となる悲惨な軍事事件、「血の日曜日」という殺戮行為は本当にあった事件です。1972年1月、北アイルランドの都市でデモ行進中の市民が、イギリス落下傘連隊に銃撃されてたくさんの死傷者が出た悲惨な軍事事件です。物語中の“アゲン”という呼び名は、「血の日曜日事件」が再び起きた、という意味の“アゲン”なんでしょう。

 1972年にポール·マッカートニー&ウイングスが発表したシングル盤のヒット曲、「アイルランドに平和を」原題Give Ireland Back to the Iresh は72年1月の「血の日曜日事件」を受けて、その悲惨さを世に問うたポール作詞作曲のメッセージソングです。「アイルランドに平和を」の原題を直訳すると、アイルランドをアイルランド人に返せ、と言っている。イギリス政府へのプロテストソングですね。歌で抗議された方のイギリス政府は、当時、国内の多くのメディアでこの曲を放送禁止にしたらしい。

 ビートルズ解散後、二枚のソロアルバムを経て、ポール主体のバンド、ウイングスを結成、ウイングスデビューアルバム「Wings Wild Life 」を発表します。当初はこのアルバムに収録された曲「Love Is Strange 」を、ウイングス初のシングル盤としてリリースする予定だったのが、「血の日曜日事件」を受けて急遽、ポールの作ったプロテストソング、「アイルランドに平和を」に差し換えて72年2月にリリースした。

 中三でビートルズ·キチガイというくらいのビートルズ音楽のファンになった僕は、メンバーの中でポールが一番好きで、ビートルズ解散後は最初のソロアルバム「McCartney 」は購入しなかったものの、その直ぐ後に出した二枚目ソロアルバム「Rum 」からは、ウイングス結成後のバンドデビューアルバム「Wild Life 」、続く大ヒットアルバム「Band On The Run 」と買って行き、80年代までポールのアルバムは出れば即レコード屋に走って購入してました。90年代に入ってからは網羅はしてないけど、気になるポールソロのアルバムは買って聴いていた。僕がポール·マッカートニーのアルバムを買ってたのは2000年代前半までだけど。ビートルズ時代から続けてずっと、ポールは大好きでしたねえ。

 ビートルズ解散後のポールソロの初シングル盤「Another Day 」は当時大好きな曲で、買って来て何度も何度も聴きましたが、ポールのバンド、ウイングスの初シングル盤「アイルランドに平和を」は、当時何故かこの曲をよく知らなくて、聞けば良い曲なんですが僕としては素通りしてしまった曲で、だから、このシングルB面の「メアリーの子羊」という曲は名曲ながら、僕自身は長らく知らなかった。「アイルランドに平和を」と「メアリーの子羊」はアルバム未収録でしたからね。その直ぐ後のシングル「Hi Hi Hi /Cムーン」は購入して、日夜何度も聴いたんですけどね。

 高校を卒業してからの僕は、確かに18歳くらいのとき、チェ·ゲバラの伝記や大江健三郎のエッセイ集なんか読んでましたが、基本的にノンポリで、良い若者が情けないくらい政治や国際情勢に関心がなかった。だから、後々ポールの歌「アイルランドに平和を」を知って聴いても、歌う詞の意味やこのシングル盤が出されたいきさつなど、関心を持たず詳しいことは何も知らなかった。高校生の頃、地理の教科に使う地図帳のヨーロッパ地図に、イギリスの大ブリテン島の直ぐ横の島に「エール共和国」と書いてある。エール共和国ってどういう国なんだろう?とは思いもしたものの、そこから深く調べることもせず、エール共和国がアイルランドと知ったのは、30歳を過ぎてからだった。まあ、僕は経済も含めて、政治や国際情勢に無関心で無知な、馬鹿な若者でした。

 僕が中学生頃に、森永製菓のミルクチョコレートで、“森永エールチョコレート”というチョコ菓子が販売されていて、TVのCMで、作曲家の山本直純さんが出演して♪「大きいことは良いことだ~」とバックコーラスで歌われていました。当時は、このエールチョコレートの「エール」とエール共和国とは、何か関係があるんだろうか?とか疑問に思っていました。今の時代の自分なら、ネットで調べるところですが、少年時代の僕は疑問を持ってもそのままにしておく向学心ゼロのしょうがない子供でしたから、疑問はそのままで、その内忘れました。

 この間、TVのさる番組に東大生が出てて、高卒の若者に、子供の頃から例えば風呂に入ってるときの天井から落ちて来る水滴だったり、日々の生活の中で疑問に思って調べたりすること、根本的に疑問を持つことはないのか、と言ってました。東大に入るような子供は日々の姿勢からして違うもんだなぁ、と感心して思ったものです。

 でも、大人になった僕ですが、ネットなんて便利なものがあるのに、未だに森永エールチョコレートの「エール」はどういう意味でネーミングされたのか、は調べてはいません。大人なっても、しょうがねえな‥は続いている訳ですが、まぁ今は、子供時代よりも疑問を調べるようにはなってるかな。多分、エールは「エールを送る」とかいうときの「エール」なんだろうな、とは思っていますが。

 “yell”の直訳は、大声を出す、叫び声を上げる、となってますから、「エールを送る」は声援する、ということですね。多分、森永エールチョコレートは「エール共和国=アイルランド」とは関係ないですね。

 ビートルズ解散後からポールと確執のあった、ビートルズ音楽の盟友、ジョン·レノンは、ポールの「アイルランドに平和を」という政治メッセージ曲の発表行為を称賛しながらも、曲そのものには、詞が幼稚過ぎる、などと酷評した。だいたい解散後のジョンとポールは、お互いの出すアルバムの中の楽曲で、相手を批判したり中傷したりする詞を書き込んでましたね。まあ、ぶっちゃけお互いの悪口の応酬みたいな。

 勿論、僕はビートルズ解散後のジョン·レノンも興味·関心は強くて、ジョンのアルバムは「Mother 」が入ってる「ジョンの魂」から、ジョン·レノン最後のオリジナルアルバム「ダブルファンタジー」まで続けてずっと買って来て聴いていた。ジョンはシングル盤で買ったのはないな。全部アルバム。ジョージ·ハリスンの曲はシングル盤は「マイスウィートロード」「ギブミーラブ」「ディンドン」と買って、アルバムは「All Things Must Pass 」と「ジョージ·ハリスン帝国」しか買ってないかな。後は90年代以降にCD版二枚買ったくらいか。シングル盤は「All Those Years Ago 」が、ジョージの曲では最後だな。

 あ、ジョン·レノンのオリジナルアルバムで、「Some Time In New york City  」というのは買ったことないな。このアルバムは聴いたことない。多分、収録されてる曲の幾つかは知ってるだろうけど。それとジョン·レノン最後のオリジナルアルバムは、もう一つ別にあるんですね。ジョンが殺害されたのが1980年12月で、ジョンの死後になる、84年リリースになるアルバム、「ミルク&ハニー」。このアルバムは僕、知りませんでした。聴いたこともありません。80年に亡くなったから80年発表の「ダブルファンタジー」が最後のアルバムだとばかり思ってた。

 ジョン·レノンはポール·マッカートニーに対抗心を燃やしたのか純粋に北アイルランド問題を訴えたかったのか、ジョンも北アイルランド紛争の「血の日曜日事件」に対する政治メッセージ曲を発表している。タイトル「血まみれの日曜日」という曲と「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」という曲。僕はこの二つの曲を知らなかったのだが、それもその筈、この二曲はアルバム「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」に収録されている。シングルにはなってないようですね。上記で書いたように僕はこのアルバムを聴いていない。

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ポール・マッカートニー

2013年11月15日 | ミュージックログ

○ポール・マッカートニー、法被姿で11年ぶりに来日

 

  ポール・マッカートニーが9日午後、関西国際空港に降り立ち、詰めかけたファンからの声援が飛び交う中、約11年ぶりとなる来日を果たした。

チャーター機で英ロンドンから関空入りを果たしたポールは、同日午後6時40分頃、彼を一目見ようと駆けつけた約1000人のファンと多数の報道陣が待つ到着ロビーに、妻のナンシーさんとともに登場した。

ポールの姿を見つけるなり沸き起こったファンからの大歓声の中、ベースを弾くしぐさをしておどけてみせたポールは、ニュー・アルバム『NEW』のロゴをあしらった法被(はっぴ)姿。1966年にザ・ビートルズとして初来日した当時を想起させる姿で、集まったファンを興奮させた。ゆっくりと歩きながら、黄色い歓声に両手を振り、日本語で「オスッ!」と応えるなど、終始上機嫌でファンと報道陣に接していた。

10月に発売されたニュー・アルバム『NEW』を携えて開催される、「アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー」と題された今回のツアーは、今年5月4日のブラジル公演を皮切りにスタートしたワールドツアー(OUT THERE TOUR)の一環として行われる。ポールにとって4回目の来日ツアーで、ザ・ビートルズの来日公演を加えると、5回目の来日となる。

ポールは追加公演となった11日の京セラドーム大阪を皮切りに、12日に京セラドーム大阪、15日に福岡ヤフオク!ドーム、18日、19日、21日に東京ドームでステージに立つ予定だ。詳細は日本公演公式サイトまで。
 
一方、公演初日の本日(11日)、ザ・ビートルズの新作『オン・エア-ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』が世界同時リリースされた。


 

ポール・マッカートニー、日本ツアー初日となった大阪公演の写真とセットリストを掲載

 

  ポールは開演予定時刻より10分ほど遅れた午後7時10分にステージに登場。すると、過去3度の来日公演では披露されなかったザ・ビートルズの“エイト・デイズ・ア・ウィーク”でライヴをスタートさせた。他にも“オール・トゥゲザー・ナウ”“ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト”など、日本初披露となるザ・ビートルズ時代の楽曲が登場。ライヴは2度のアンコールを含め、2時間45分の長時間にわたって行われ、ザ・ビートルズのナンバー23曲、ソロ・ナンバー14曲、合計37曲もの楽曲が披露された。


 

○来日中のポール・マッカートニーと『スティーブ・ジョブズ』世界を変えた規格外のアップル

 

  11月11日、ポール・マッカートニーの11年ぶり4度目の来日公演が行われた。ビートルズナンバーを中心とした数々の名曲に大満足の観客。しかし、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」の日本公演への道は、思いのほか長く曲がりくねったものだった。

成田に降り立ったポール・マッカートニーを襲った災難

 1980年1月、ポールはウィングスのメンバーとともに、成田空港へと降り立った。ところが、大麻取締法違反で現行犯逮捕。数日間勾留ののち国外退去処分となり、解散後初となるはずだった元「ビートル」来日公演は中止となった。

 1975年、薬物使用歴で予定されたコンサートがキャンセルとなる過去があっただけに、音楽ファンは「なぜ?」という思いでいっぱいだった。

 解散後もコンスタントにヒット曲を出していたポールは、5月、ソロ名義のニューアルバム「マッカートニーⅡ」をリリース。その第1弾シングル「カミングアップ」は全米ナンバーワンヒットを記録した。

 しかし、前年12月スコットランド最大の都市グラスゴーでのライブバージョンで聞かれる観客の熱狂ぶりに、胸中複雑な日本人は多かった。

 そんなポールの新作は、半ば活動休止状態にあったジョン・レノンをも奮い立たせた。そしてニューアルバム「ダブル・ファンタジー」が完成。

 1980年代に入り、再出発の決意をうかがわせる先行シングル「スターティング・オーヴァー((Just like)Starting over)」も、12月初め、快調にヒットチャートを駆け上がっていた。

 20世紀最大のソングライターとも言われるレノン、マッカートニーの復活劇に満足する世界中の音楽ファン。しかし、12月8日、衝撃的なニュースがその思いを粉々にしてしまう。ジョンがニューヨークの自宅アパート前で射殺されたのである。

 突然の訃報に、リンゴ・スターはバハマからフィアンセを伴ってすぐさま駆けつけた。そのフィアンセとは、のちに生涯の伴侶となる映画『おかしなおかしな石器人』(1981)で共演したばかりの女優バーバラ・バック。

 この頃、リンゴは、3人の元「ビートル」とも競演予定のニューアルバム「バラの香りを(Stop and smell the roses)」の制作中で、合間のひとときをフィアンセと過ごしていたのである。

そんななか、既にレコーディングが始められていたジョージ・ハリスンとの競演曲が、ポールが加わるなどして生まれ変わり、ジョージ名義の追悼シングル「過ぎ去りし日々(All those years ago)」となった。

影の立役者となったリンゴ・スター

 残された3人のジョンへの思いのこもったこの曲は全米2位を記録、1970年代後半、低迷気味のジョージ久々の大ヒットとなった。ビートルズという並外れた才能と個性を持つ集団の中で、緩衝材のような役回りをこなしてきたリンゴはここでも影の立役者となった。

 そんなリンゴは、4人の中で最も積極的に役者稼業に取り組んでいた。その最高傑作とも言えるのが『マジック・クリスチャン』(1969)。

 ピンクパンサーシリーズで知られるピーター・セラーズと共演する皮肉たっぷりの反体制コメディには、ジョンとヨーコも顔を出し、オープニングを飾るバッドフィンガーの曲「Come and get it」はポールの作曲だった。

 ちなみに、このバッドフィンガー、1968年、出版、小売、エレクトロニクス、映画製作配給などもめざしビートルズが設立した企業「アップル・コア」の中心をなす「アップル・レコード」の秘蔵子。のちに「Day after day」などの名曲も生み、解散後のビートルたちの多くのアルバムでもプレイしている。

 この映画が製作されていた頃のビートルズは、一体感が失われつつあった。そのあたりは、1970年4月のポールの脱退表明後に公開となった映画『レット・イット・ビー』でも窺い知ることができる。

 しかし、この映画のサントラ盤としてリリースされたビートルズのラストアルバム「レット・イット・ビー」には、今回のコンサートでも演奏された表題曲や「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」など人気曲も多く、そうしたことは感じ取れないかもしれない。

 もともと、1969年1月、スタジオ技術に頼らず原点に戻るという「ゲット・バック・セッション」の様子を記録する主旨で撮られたこの映画だが、音楽そのものが散漫な出来となってしまい、直ちにアルバムリリースはできなかった。

 そのため、名プロデューサー、フィル・スペクターの手により新たなる命を与えられたのち、翌年になってアルバムは発売されたのである。

 そうした再生作業の中には、1970年1月の再録音もあった。そんな1曲が「アイ・ミー・マイン」。そして、この曲以来のジョン以外3人の競演となったのが、10年後、ジョン亡きあとの追悼盤「過ぎ去りし日々」だったのである。

ジョン射殺というショッキングな事件から世界がまだ立ち直れない12月12日、もう1つのアップルが注目の的となっていた。アップルコンピュータである。

 その株式公開に世界の興味の目は注がれ、創立4年にして長者番付にも名を連ねる資産を手にしたスティーブ・ジョブズは時代の寵児となった。

30歳で失意のどん底に落とされたスティーブ・ジョブス

   そんなジョブズとビル・ゲイツとの関係を描くテレビ映画「バトル・オブ・シリコンバレー(原題Pirates of Silicon Valley)」は、1984年1月の初代マッキントッシュ発表の頃から始まる。

 『ブレード・ランナー』(1982)で知られるリドリー・スコットが監督する、ジョージ・オーウェルの「1984」をモチーフとして、IBMを独裁者に見立てたCMは、スーパーボール中、全米に流され、大きな話題となった。

 そして、株主総会で、まるでロックスターかのような存在感をジョブズは見せるのである。

 しかし、翌年リドリーの弟、トニー・スコット監督によるCMは不評に終わり、業績も思うに任せない状況が続くなか、ジョブズは30歳にして自らが築いた会社を去ることになってしまう。

 1989年1月、ジョンの半生を追ったドキュメンタリー映画『イマジン』(1988)が日本公開となった。同じ年、熱狂の武道館公演以来23年目にして、ついに「ビートル」の来日公演をリンゴが実現。

 1980年の事件もあり実現は無理と半ばあきらめられていたポールも翌年来日を果たし、91年にはジョージもやって来て、ようやく日本のファン長年の夢は実現した。

 さらに、映画『イマジン』で掘り起こされたジョンの音源に、残るビートルたちの演奏を加えた「real love」などが、「ビートルズ」としてシングル発売され1996年に世界中でヒット、既にCD世代となっていた若者たちにもビートルズは身近なものとなっていった。

 こうした「復活劇」にテクノロジーが果たした役割は計り知れないが、同じ頃、テクノロジーがアニメーション映画の歴史を変えた『トイ・ストーリー』(1995)も公開されていた。・・・・・・

 

○「ポール・マッカートニーのベスト・ソング TOP10」を米サイトConsequence of Soundが発表

10. “Vanilla Sky”
Album: Music From Vanilla Sky (2001)

9. “Coming Up”
Album: McCartney II (1980)

8. “My Brave Face”
Album: Flowers in the Dirt (1989)

7. “Another Day”
Album: ”Another Day” single (1970)

6. “Dear Boy”
Album: Ram (1971)

5. “The World Tonight”
Album: Flaming Pie (1997)

4. “Here Today”
Album: Tug of War (1982)

3. “Uncle Albert / Admiral Halsey”
Album: Ram (1971)

2. “Every Night”
Album: McCartney (1970)

1. “Maybe I’m Amazed”
Album: McCartney (1970)

「ポール・マッカートニーのベスト・ソング TOP21」を米サイトGrantlandが発表

21. "Country Dreamer," "Helen Wheels" B-side (1973)
20. "That Would Be Something," McCartney (1970)
19. "No Values," Give My Regards to Broad Street (1984)
18. "Friends to Go," Chaos and Creation in the Backyard (2005)
17. "Little Willow," Flaming Pie (1997)
16. "Magneto and Titanium Man," Venus and Mars (1975)
15. "The Pound Is Sinking," Tug of War (1982)
14. "Rinse the Raindrops," Driving Rain (2001)
13. "I'll Give You a Ring," "Take It Away" B-side (1982)
12. "Don't Let It Bring You Down," London Town (1978)
11. "I'm Carrying," London Town (1978)
10. "Mama's Little Girl," "Put It There" B-side (Recorded 1972)
9. "Golden Earth Girl," Off the Ground (1993)
8. "Nothing Too Much Just Out of Sight," Electric Arguments (2008)
7. "Wanderlust," Tug of War (1982)
6. "Some People Never Know," Wild Life (1971)
5. "Beware My Love," Wings at the Speed of Sound (1976)
4. "Monkberry Moon Delight," Ram (1971)
3. "Treat Her Gently/Lonely Old People," Venus and Mars (1975)
2. "Oh Woman, Oh Why," "Another Day" B-side (1971)
1. "Little Lamb Dragonfly," Red Rose Speedway (1973)

 

来日中のポール・マッカートニー、Surfaceと電撃コラボ!

 

 11年ぶり4回目の単独来日公演となる「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」を、11月11日からスタートしているポール・マッカートニー。これまでの単独来日公演にはなかったザ・ビートルズ時代のヒットナンバーを披露しているほか、新曲「NEW」を引っ提げての公演ということもあり、話題を集めている。 そのポール・マッカートニーが、来日にあわせて、日本マイクロソフトのタブレット「Surface」との電撃コラボを展開しているのだ。

 何の予告もなく開始されたこのコラボは、SurfaceのTVCMに、ポール・マッカートニーの新曲「NEW」が使用されたスペシャルバージョンを用意し、期間限定でオンエアするというもの。通常版では、クリス・ペプラー氏による特徴説明を中心としているが、同じ映像を使用しながら、音楽をマッカートニーの歌声に変えたことで、まったく雰囲気が異なるものとなっている。最後のクリス・ペプラー氏による「これさえあれば、何もいらない」のフレーズは共通だ。

 11日、12日の大阪・京セラドーム、15日の福岡ヤフオク!ドーム、18日、19日、21日の東京ドームでの公演にあわせて、11月10日〜20日までオンエアされることになる。

 今回の来日にあわせたコラボTVCMは、ポールファン、Surfaceファンに限らず、ぜひ見てほしい。

マイクロソフト Surface Pro 128GB [Windowsタブレット・Office付き] 5NV-00001

マイクロソフト Surface 2 32GB 単体モデル [Windowsタブレット・Office付き] P3W-00012 (シルバー)

 

 
◆ポール・マッカートニー記事
※(2011-05/09)
※(2008-03/28)
※(2010-06/08)
※(2008-08/04)
※(2005-10/07)
※(2008-01/31)
※(2006-07/28)

 

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メロディアスな80年代サウンドの再燃

2013年08月19日 | ミュージックログ

○聖子、チェッカーズ、マッチ、杏里…「あまちゃん」効果で再ヒット相次ぐ「80年代サウンド」の〝メロディアス〟

 

  NHKの朝ドラ「あまちゃん」が1980年代音楽のブームを作り出している。ドラマは母子のアイドルへの夢がテーマで、現代と80年代の芸能界が描かれている。今月末にはドラマの中で登場するヒット曲を集めたアルバムが2社から同時に発売。朝ドラ効果で当時、圧倒的人気だった松田聖子さんのアルバムの売れ行きも伸びている。

 ドラマは、海女からアイドルを目指す主人公アキ(能年玲奈)と、80年代にかつてアイドルを目指しながら断念した母、春子(小泉今日子)を軸に展開する。

 7月31日にはドラマの挿入歌で、出演者の小泉さんが役名の「天野春子」名義で歌う「潮騒のメモリー」を発売。すると、今月12日付のオリコン週間シングルランキングで初登場でいきなり2位に。小泉さん自身、シングルがトップ3入りするのは約20年半ぶりだった。

 そのほか、ドラマでは80年代のヒット曲が多く流されており、今月28日にはそれらを集めたアルバム「春子の部屋」が2社から発売。選曲、監修はドラマの脚本を手がける宮藤官九郎さんが担当した。

 アルバムは、小泉さんが所属するビクターと、劇中で伝説的に語られる松田聖子さんが当時所属していたソニーミュージック。

 ビクター編には小泉さん自身のヒット曲「まっ赤な女の子」や「時をかける少女」(原田知世)など。ソニーミュージック編には松田さんの「風立ちぬ」や「魅せられて」(ジュディ・オング)などが並ぶ。

 一方、劇中で扱われないが宮藤さんの思い入れのある曲も選曲され、ビクターの担当者は「あまたある80年代の曲から、隠れた名曲も探していただいてこれぞクドカンという遊び心あるセレクトになった。もちろんドラマの世界観も感じられます」と説明する。

 「あまちゃん」がきっかけで80年代のほかのCDの売り上げも後押しする。

 ソニー・ミュージックダイレクトは松田さんが80年代に発表したオリジナルアルバム16作品を高品質CDにした商品を7月に発売した。担当者は「あまちゃん効果で80年代が注目されているので売れ行きも予想以上」という。昨年12月発売のCD5枚組のBOXもドラマが始まった4月以降、月間の売れ行きが1・5~2倍となっている。

 さらに同社は今月21日には「涙のリクエスト」(チェッカーズ)や「スニーカーぶる~す」(近藤真彦)、「CHA-CHA-CHA」(石井明美)、「恋におちて-Fall in love-」(小林明子)、「My Revolution」(渡辺美里)などヒット曲36曲を集めた2枚組CD「オールスター・エイティーズ・ベスト」も発売する。

 担当者は「ドラマで80年代の曲を聴いてあの年代の曲の再評価につながっているようだ。80年代の音楽は一聴してメロディーが残るメロディアスな曲揃い。懐かしいと感じる世代にも、新しく聴いた世代にもそこが支持されるのでは」とさらなる反響にも期待する。

 シンガー・ソングライターの杏里さんも7月、自らが80年代に発表した曲を新録音したアルバム「Surf City -Coool Breeze」を発売した。キャッチフレーズは「思い切り、エイティーズ」。杏里さんは「80年代当時、バブルの絶頂期で、みんな一体になって聴いていたメロディアスな音楽、キラキラと輝いていたサウンドがあった」と振り返る。アメリカに拠点を置く杏里さんだが「アメリカでも若い世代の間で数年前から70年代、80年代の曲が注目され、よく聴かれています。今、日本でエイティーズが人気なのも当然の流れなのでは」と話している。

 

青春歌年鑑 80年代総集編

アイドル・サマー’80

 

 

 子供の頃、TVっ子だった僕は毎日TVで放送される、当時の日本の歌謡曲が大好きだったけど、どうしてか演歌だけは好きになれなかった。ムード歌謡もそれなりに好きでしたね。中学生になる頃には、フォーククルセダーズが「帰って来たヨッパライ」を空前の大ヒットさせ、ザ・ダーツの「ケメ子の歌」とかもヒットして、あの時代から和製フォークソングやコミックソングに夢中になった。もっとも、コミックソングは子供の頃からクレイジーキャッツで親しんでいたし、後続のザ・ドリフターズの歌も好きだった。中学も上になって来ると、ビートルズに熱中する。中三の頃はクラスメートのK君と学校で毎日、ビートルズの話ばかりをしていた。当時のクラスの仲間たちは学校へそれぞれ、洋楽のヒット曲のドーナツ盤を持って来て交換して聴いていた。中三の頃の僕は、ビートルズキチガイみたく熱狂してましたね。

 70年代の僕は洋楽リスペクトで、特に洋楽のヒット曲ばかりを聴いていた。FMラジオの洋楽ベスト10を聴いて、気に入った洋楽ヒット曲は、直ぐにドーナツ盤を買い求めていた。あの時代、何だか、僕は日本の歌謡曲を馬鹿にしていて、たまに荒井由美のアルバムとか買って来て聴いたりしていた。70年代は僕は、ほとんど日本の歌謡曲を聴かなかった時代だなあ。あ、吉田拓郎は別。

 80年代に入ってから、当時の仲良くしていた友人から松田聖子のヒット曲ばかりを収録したカセットテープを貰い、松田聖子を聴いてみたんだけど、これがけっこう良くって、それから当時の80年代の歌謡曲を聴くようになった。僕が80年代の日本の歌謡曲を聴くようになったのはここからだ。80年代に入って来ると、カラオケブームがやって来て、初めはまだ、音楽だけ流れて歌詞本見ながら歌うんだけど、やがてレーザーディスクカラオケになってモニター画面に歌詞が出るようになった。職場仲間としょっちゅう行くカラオケスナックで、当時のヒット曲を覚えましたね。80年代半ばには自宅では、杉真理と山下達郎に熱中していた。カラオケで歌うのは歌謡曲だけど。

 90年代以降の、いわゆるJポップって、従来の日本歌謡というよりも、極端な話、洋楽のロックやポピュラーに日本語詩を乗っけた曲、って感じがする。昭和初期から戦後、昭和時代の日本独自の演歌やムード歌謡、アイドル歌謡曲、日本独自のポップス歌謡などの流れからは外れた、というか飛躍し過ぎた、というか洗練され過ぎた、というのか、もっとゆっくりしてた、歌う方ももっとゆっくり歌ってたし、また歌えた、昭和の歌謡曲に比べて、難しくなり過ぎたんじゃないのか、って気がする。90年代以降のJポップは。全部じゃないけど。

 70年代80年代の日本の歌謡曲って、日本人がカラオケでも歌いやすいし、聴く分も安心して落ち着いた気分でゆったりと聴けるんじゃないかな、とかってことも思う。90年代以降のヒット曲って、曲自体かなり速いし、やたら騒がしい歌が多いんじゃなかろうか。って気もしなくもない。まあ、音楽は聴いて楽しむもんだし、いつの時代のどんな曲も、人それぞれ聴いてて心地良かったり楽しかったら良いんじゃないか。人それぞれの思い出とか、イロイロな思いもあるもんだし。

 最近の歌番組はほとんどが、過去のヒット曲を短くいっぱいダイジェストで流すヤツやるよね。歌謡特番も、昔の曲のコラボを新しいアレンジでいっぱい流すし。昔の「今週のヒット速報」とか「ザ・ベストテン」とかって、新曲ばかりの歌番組はないですね。四十年前三十年前二十年前十年前にヒットした曲を流すばかり。人口自体が高齢化社会で子供や若者が少なく、中年以上の年齢が多いというのもあるんでしょうね。団塊の世代前後の人口はメチャメチャ多いだろうし。まあ、昔の歌は良い歌も多いしね。70年代80年代昭和歌謡の黄金時代。

 正直、僕は「あまちゃん」は見ておりませんが。今の80年代ヒット曲の再燃ブームって、40歳以上の中年とか壮年、老域に入ろうかって人が聴いているのかな。それとも現代の今の若者にウケてるんだろうか。今の若者が買ってるんなら本当のブームだろうけど。

 

春子の部屋~あまちゃん 80's HITS~ビクター編

 

春子の部屋~あまちゃん 80's HITS~ソニーミュージック編

 

 

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星空のサザンクロス

2011年10月15日 | ミュージックログ

○柳ジョージさん死去…「雨に泣いてる」「微笑の法則」が大ヒット

 

   「雨に泣いてる」などのヒット曲で知られる歌手の柳ジョージ(本名・柳譲治、やなぎ・じょうじ)さんが13日までに死去していたことが分かった。63歳だった。1970年代半ばから「柳ジョージ&レイニーウッド」のボーカルとして、独自のブルースと歌唱力で人気に。関係者によると、ここ数年、肝臓とすい臓の病気を患っており、今年8月のライブをキャンセルしていた。葬儀は近親者により済ませたという。

 親しみのある口ひげと、独特のしわがれ声。“和製クラプトン”とも呼ばれ、日本のブルース・ロックの先駆けだった柳さんが天国へ旅立った。

 柳さんは今年8月20日に横浜のライブハウス「FRIDAY」で予定していた公演をキャンセル。同店によると、8月上旬につえをついて店を訪れ「これから入院する」などと話していたという。その後、横浜市内の病院を一時退院したが、今週、帰らぬ人となった。

 酒豪で知られる柳さんだが、数年前から肝臓とすい臓の病気を患っていたという。12日には訃報を聞いた音楽仲間が横浜市内の飲食店に集まって追悼した。

 柳さんは、「ザ・ゴールデン・カップス」などを経て、1975年に6人編成の「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。78年、萩原健一主演のドラマ「死人狩り」(フジテレビ系)の主題歌「雨に泣いてる」が大ヒットしてブレーク。演歌・歌謡曲が隆盛だった当時では異端だったR&B(リズム・アンド・ブルース)で人気を呼んだ。司馬遼太郎さんの作品をモチーフにした「酔って候」や「『祭ばやしが聞こえる』のテーマ」「微笑の法則」などがヒット。日本武道館公演を成功させ、解散後の82年にはソロとしてレイ・チャールズと日本ツアーで共演した。

 当時の所属事務所社長だった知久悟司氏は「一度聞いて『すごい歌い手だ』と。当時の日本人にはいなかった。大好きだった司馬遼太郎さんからサインを頂き、無邪気に喜んでいた姿が忘れられない」としのんだ。

 近年は、2005年に「柳ジョージ&レイニーウッド」を再結成するなど地元・横浜を中心に意欲的に活動。08年にはフジ・ロック・フェスティバルにも出演した。

 今月22日には、柳さんを悼み、横浜・中区のライブハウス「FRIDAY」で親交のあったミッキー吉野(59)やエディ藩(64)を中心にライブイベントを開催する。

 柳ジョージ 本名・柳譲治。1948年1月30日、横浜生まれ。高校でバンドを始め、日大在学中にグループ「パワーハウス」でデビュー。GSブーム時の70年、「ザ・ゴールデン・カップス」にベーシストとして参加。一時、音楽を捨てサラリーマンになったが、3日でやめて渡英。帰国後の75年、リーダーとして「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。85年、アルバム「GOOD TIMES」で日本レコード大賞企画賞。タレント・所ジョージの芸名はその名に由来。宇崎竜童が名付けた。

 

  

 柳ジョージさんて、スタイルとかやってる楽曲とか、雰囲気がエリック・クラプトンぽいなあ、と思っていたら、本当に“和製クラプトン”て呼ばれてたんだ。

 やっぱり僕が最初に惹き付けられた曲は、レイニーウッド名義時のヒット曲、「雨に泣いている」でしたね。メチャメチャ大好き!という程の曲でもなかったけど、当時の日本のポピュラー界では非常に珍しい、ロックでブルースな曲でカッコイイ!と魅せられて、レコード屋さんでシングル盤を買って何度も聴いた。

 柳ジョージさんで一番好きだったのは、「星空のサザンクロス」という曲。これは良い曲でしたねえ。魅せられた。当時はドーナツ盤を何度も何度も聴きました。TVドラマ「さりげなく憎いヤツ」という番組のテーマ曲だったらしく、このドラマには多分、大原麗子さんが出演していたと思います。といってもこの時代の僕はTVを持たず、普段はほとんどTVを見ない生活を送っていたので、実際にこのドラマを見たこともないし、TVドラマオープニングなどで聞いたことはありません。また、ドラマの内容も全然知りません。ひたすら、部屋でレコードプレイヤーで聴いていたか、せいぜいラジオですね。ただ、主題歌「星空のサザンクロス」は名曲でした。良かった。ちょっと調べましたが、ドラマ「さりげなく憎いヤツ」は1982年の、藤竜也、大原麗子主演の、TBS系列のTVドラマですね。

 僕は特別、柳ジョージさんの楽曲ファンでもなかったので、他の曲は実はよくは知りません。まあ、あの時代、他の曲も耳には入ってはいたでしょうけど。だから、アルバムとかは買っていないですね。多分、シングルレコード盤で「雨に泣いている」と「星空のサザンクロス」だけ、買って来て聴いているんだと思います。元々、僕はブルースロックとかリズム&ブルースとかのジャンルはあんまし趣味じゃないですからね。本家、エリック・クラプトンだって、「promises」みたいなポップなフォークロック調の曲以外の、もろブルースロックは趣味じゃなかった。

 エリック・クラプトンというと、僕は若い頃、クラプトンの武道館ライブに行って、ずうーっと寝てたのを思い出します。調度12月のメチャ忙しい時期で、当時の仕事が毎日毎日遅くまで残業で疲れ果てていて、やっとの一日、定時で帰れた日、クラプトンライブに行って眠りこけてしまった。ようやく目が覚めたらもう終わり間近だった、という馬鹿みたいな思い出があります。この時のライブで僕は「promises」が聴きたかったんだけど、多分最後まで結局やらなかったと思います。まあ、寝てたんだけど。クラプトンの真骨頂、ブルースロックのオンパレードだったと思うけど、僕はあんまし楽しくなかった。まあ、寝てたんだけど。

 「雨に泣いている」って78年くらいの曲かな。柳ジョージさんは、僕には90年代以降(80年代後半以降かな)はあんまり印象にないんだけど、ずっと日本の、シブイ玄人好みのロックの舞台で活躍し続けていたんでしょうね。ゴールデンカップスのメンバーだったなんて、日本のロックの草分け的存在でもあるんですね。ミッキー吉野さんは知ってたけど、柳ジョージさんがゴールデンカップスに在籍してたなんて全然知らなかった。日本ロック界ではブルースロックの名手的存在だったのでしょう。

 

 63歳での逝去というのは若過ぎる。何だか最近は若くして、というか60代で亡くなる有名人が多いという気がしますね。現在の60代というと団塊の世代も含んだ昭和20年代生まれになりますから、特にこの時代生まれの人たちは人数が多いですからね。年代別で行くと断然、昭和20年代生まれが多いでしょう(と思う)。多分、昭和30年代生まれよりも多いと思う。80年代以降の年代出生数に比べると、ヘタすると3倍くらいは居るんじゃないですか。もっとなんじゃないか、という気さえする。だから昭和20年代生まれの現在の60歳代の人たちの死亡が目立つのかも。まあ、どうだか解んないですけど。現在の60代の人たちでもっともっと長生きする方たちも多いでしょうし。80歳90歳まで生きる人たちも。100歳までも生きる人も。まあ、長生きだけが価値じゃないのかも知んないけど。

 本当に天国なんてところがあったら良いですね。そこで亡くなった歴代のミュージシャンたちがセッションとかやってたら楽しいだろうな。新たに柳ジョージさんも参加して。

 音楽は良いですね。「星空のサザンクロス」を何度も何度も聴いていた、その当時の僕の人生の一断面の頃の生活をぼんやりと思い出しました。懐かしい。決して帰って来ないけど。

   

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ポール・マッカートニー

2011年05月09日 | ミュージックログ

 

ポール・マッカートニー、3度目の結婚へ…17歳下の運送会社副社長と

 

  ビートルズの元メンバーのポール・マッカートニー(68)が、米国・ニューヨーク在住の運送会社役員・ナンシー・シェベルさん(51)と婚約したことが分かった。AP通信などが6日(日本時間7日)報じた。今回が3度目の結婚になる予定で、2人は2007年ごろからツーショットの姿が目撃されていた。シェベルさんと知り合った後の08年には2番目の妻・ヘザー・ミルズさん(43)と離婚。多額の慰謝料をめぐり訴訟に発展していた。

 ポールの4年越しの愛が実った。複数の米メディアなどによると、ポールの広報担当者が婚約の事実を認めたという。

 お相手のシェベルさんは米国では有名なビジネスウーマンだという。ニューヨークの公共交通を運営する都市交通局の幹部であると同時に、シェベルさんの父が経営するニュージャージー州の運送会社の副社長も務めている。まさにセレブ婚といえそうだ。シェベルさんにも弁護士の夫がいたが、08年12月に離婚しているため、ともに再婚となる。

 ポールは1998年に30年連れ添った元妻のリンダさん(享年56歳)を乳がんで亡くした。その後25歳年下の元モデルで地雷廃止運動家のミルズさんと2002年に再婚。家庭を大事にするポールと、運動に尽力するミルズさんとの間ですれ違いが生じ、約2年間の訴訟のすえに08年2月に離婚が成立。ポールが総額2430万ポンド(約47億円)の高額な慰謝料の支払いを命じられたことも話題を呼んだ。

 ポールとシェベルさんは07年、ニューヨークの高級リゾート地・ハンプトンで出会った。ともにまだ結婚している状態だったが、交際をスタート。その後はポールの娘でデザイナーのステラさん(39)がプロデュースするファッションショーやポールのコンサートなど、公の場にたびたびツーショットで登場。家族ぐるみの付き合いを続けていたようで、09年頃から結婚秒読みとうわさされていた。

 米メディアなどによると、2人は昨年の冬ごろから結婚準備を進めていたというが、ポールの広報担当者は「プロポーズの方法などについて詳細は控えたい」としているという。

 ◆現在、5人の父親 〇…ポールは、現在5人の子供の父親だ。最初の妻・リンダさんとの間に写真家のメアリー(41)、ステラ、ミュージシャンのジェイムズ(33)の1男2女をもうけ、さらにリンダさんの連れ子も養女として迎え入れている。ミルズさんとの間には娘・ベアトリス(7)が1人。年齢的には微妙ではあるものの、3度目の結婚で新しいベビーが誕生する可能性もある?

 

○地球を貪り食う/ポールマッカートニー

 

  

地球上には現在200億頭もの家畜がいますが、この数は世界総人口の3倍以上。肉の生産を減らせば畜産で使われていた穀物分で途上国の飢餓を充分救えます。
牛に限って言えば、地球上の土地、46億ヘクタールの牧草地で、13億5000万頭の牛が食用に飼育されています。(中国人の人工を上回ります)

13億匹の牛は、莫大な量の草・とうもろこし、小麦などを食べ、イギリスの場合では農園の80%がその家畜のエサ(飼料)の栽培に使われています。

私たちが肉食をしなければ、現在の30%の土地で化学肥料を使わずに全人口の食料を生産できるのです。

主に牛の牧草地や肥料の大豆栽培のために世界の雨林が消えていっています。
1950年以前、世界の土地の14%は熱帯雨林でした。
今では半分が消失し、毎年イギリスに相当する広さが消失していっています。
コスタリカでは、伐採された土地の71%は牧草地。
ネパールはここ20年で、家畜の飼育を続けるために半分の森林を失いました。

肉食をやめるということが、今人類が抱えている食料・環境問題を解決する最も簡単で根本的な方法であり、この問題を解決できるかどうかは、私たち一人一人の行動に鍵があるというポールマッカートニーのメッセージが込められた動画です。                        

 

 

 どーも、僕には、前妻ヘザー・ミルズは、財産狙いで結婚したとしか思えないんだけどね。たった4年間だけ一緒に居ただけで、47億円とかふんだくり過ぎだろ。自分が何したのか考えろよ。って言いたい(ま、本当は詳細な事情は僕には全然解らないのだが、メチャメチャPoul贔屓で)。ポールは、あの偉大なビートルズなんだぜ。その後のウィングスだってポール個人だって常に世界第一級のミュージシャンだ。ポピュラーミュージックといえど、イングランドの人間国宝級じゃん。それをたった4年くらい一緒に居ただけで、47億も掠め取るとかもうムチャクチャ。06年から08年は別居生活だろ。この泥棒女!ポールとの間の小さな女の子ベアトリスちゃんだって、引き取ってる訳じゃないじゃん。ポールと新しいナンシーさんと一緒に映ってるじゃん。腹が立つなあ、前妻ヘザー・ミルズ。ポールも悪いのに引っ掛かったもんだ。へザーの後ろには影の悪い男が居たんじゃないのか(!?)。今度のナンシーさんが良いひとならいいけどねえ。多分、きっと良いひとだろう。ポール、おめでとう!

 世界中の60億以上が全部菜食で果たしてやっていけるのか??僕には無理な気がするが。ポールが現状で完璧菜食主義でいけるのは、ポールが大金持ちだからだろう、と思うけど。元々は肉食の飼い犬を、飼い主が菜食で飼うのは、動物虐待になる、という話があるけど。自然界の摂理には“食物連鎖”というのがあるけど。ライオンを菜食にするのは難しいだろう。人類全部がオール菜食にして、だから農業のみでまかなえるかな?無理な気がする。例えどんなにしても、人間というものは、肉を好きな者は狩をしてでも肉を食い、貝は美味しいし、魚も食べるだろう。禁止だって言っても魚なんてすぐ獲れるから人は食べるだろう。まあ、昔の日本人はだいたいが農耕民族だし、大勢は菜食だったんだろうけど。アメリカ人に牛を食うな、中国人に豚を食うな、と言ってもやめさせることは先ず、無理だろう。全人類が肉食をやめて完全菜食にするなら、人類は何処でも農業重点になって、産業構造は著しく変わるだろうなあ。産業の発達・発展が止まるか、かなりスローになるのでは。経済そのものも成長はかなりスローになりそうな気がする。経済は落ちるだろう。という気がする。ポールも大金持ちの贅沢で便利な生活が出来なくなるんじゃないのか?まあ、素人の僕には確かな予想は出来ないけど。

※2010年6月8日ポール・マッカートニー
※2008年3月28日ポール・マッカートニー

 

 

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ポール・マッカートニー

2010年06月08日 | ミュージックログ

 

○「曲を作りすぎて歌詞を思い出せない」ポール・マッカートニーが激白

 

      6月2日(現地時間)、米のホワイトハウスで、オバマ大統領から直々にガーシュウィン賞を受け取ったポール・マッカートニー。ホワイトハウスという特別なステージでライブパフォーマンスも披露した。ポールはスピーチで、40年以上の音楽活動を通じて、あまりにもたくさんの曲を作りすぎていて、古い曲の歌詞を思い出せないと激白した。

 オバマ大統領からポール氏に贈られたのは、ガーシュウィン賞。同賞は、ポピュラー音楽に影響を与えたミュージシャンや作曲家に贈られるものだ。米国議会図書館が選定し、授与する。2007年より設けられた賞は、第1回ポール・サイモン、第2回スティービー・ワンダーに贈られた。そして今回、元ビートルズメンバーで、現在のポップシーンに多大な貢献をしたポールに贈られたのだ。

ポールは、「ツアーに出かけるために、たくさんの曲を頭に入れて演奏に臨むのだが、全てを記憶に保持しておくのは難しい」と語り、40年以上の音楽活動の苦労について打ち明けている。

また、ポールは音楽活動をしている場面以外でも、リクエストに応じなければならないことが多々あるそうだ。例えばパーティに出席し、会場にピアノがあると、ビートルズの往年の名曲『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』や『レディ・マドンナ』『ブラックバード』などをリクエストされる。その他、自身の楽曲についてもリクエストされ、応えるのに必死のようだ。もはやスムーズに思い出すことは非常に難しいとのこと。

ポール・マッカートニーは今年67歳。還暦を過ぎ、70歳の呼び声も聞こえて来るほどの高齢だ。それでも果敢にアルバムを制作し、ツアーも行っている。やはり、彼が歌詞を思い出せないのは、高齢のためだけでなく、彼が言うようにたくさんの曲を作りすぎたでいなのかも知れない。

ポール・マッカートニー・・・ザ・ビートルズの中心メンバー。ギネス・ワールド・レコードに『ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家』として認定されている。

 

 やっぱり僕の中でのナンバー1は、ポール・マッカートニーだよなあ。確かにこの半生、小学・中学生時代の歌謡曲、フォークソング、ニューミュージック、Jポップ、大好きになった曲はいっぱいあるけど、カラオケの十八番は日本の歌だけど、僕に、「一番て何?」とか「誰?」とか訊かれれば、文句なく、1番はポール・マッカートニーなんだなあ。

 中二頃から欧米のポピュラーやロック・フォークに目覚め始めて、中三でビートルズに熱狂する。その前にモンキーズに憧れたが、音楽的に初めて熱中したのはビートルズだ。

 中三で映画「Let It Be」を見た。完璧にノックアウトされた。もうビートルズの虜、状態。程なくビートルズの解散を知る。

 中三というか、15歳は僕の人生の初めての大転換期だった。僕は子供の頃は地方の町で、周囲に比べると比較的裕福に育った方だ。商店街の中で、自分で言うのも何だが、まあ、坊ちゃん坊ちゃん育った。5歳までは山と田んぼの中のド田舎に住んでいたが、周囲に比べてかなり裕福だったと言える。

 15歳の時に、僕はいきなり大貧乏になった。というか、僕の家庭だけど、見るも無残に貧乏に陥った。僕の住む家庭は、それまでの暮らしが嘘のように、食べるのがやっとの生活になってしまった。悲惨だった。

 僕が15歳の時、ジョン・レノンが「マザー」を、ジョージ・ハリスンが「マイ・スウィート・ロード」を、そしてポール・マッカートニーが「アナザー・ディ」をと、ビートルズの面々がソロ曲のシングルレコードを出した。まだ裕福な家庭の残滓があったのか、15歳の僕は、ジョージの「マイ・スウィート・ロード」とポールの「アナザー・ディ」を、商店街のレコード屋さんから買って来て、AB面4曲、貪るように毎日聴いていた。

 しかし、その内、母親が食べて行く生活費がないと、僕の聴いていたステレオセットを当時の質屋に入れてしまった。僕は小学生の頃から買って来ていたレコード盤をいっぱい持っていたが、その時点で、レコードの音楽は聴けなくなった。まだ15歳だ。当然だが、そこからしばらくは新しいレコード盤も買っていない。

 ああーっ、話がものすごく辛気くさくなった。

 だからね、僕は周囲がみんなまだ貧しかった時代は、比較的裕福に暮らしていて、高度経済成長下で、総体的に国民が豊かになって行っている時の、周囲の家庭の所得が増えて、まあま、みんな豊かになった時に、がくんっ!と落ちぶれてしまって大貧乏になった。要するに、僕の家の生活度は、世間と逆の現象になったんだよね。いやあ~、それからは貧乏そのもの。そうか、これが貧乏か!というものだった。まあ、僕自身、落ちぶれたのはかなりショックで悲しかったよ。

 話が、ポール・マッカートニーとは関係無い。ポール・マッカートニーは大富豪です。僕は少年時代、若い頃、ムチャクチャ、ポール・マッカートニーに憧れましたが、ギターやベースをばんばん弾いて、シンガーソングライターになってバンドやってロックスターになりたかったが、僕は小学校からずうーっと、音楽は“2”ばかりの成績で、ハーモニカもリコーダーも全く吹けないし、音符は全然読めない。音楽の先生がオルガン弾いて、「今の音は何か?」と訊くヤツで当たったタメシがない。

 で、まあ、その、その先、僕も金銭的に余裕が出来るようになって、堰を切るようにバンバンと、ビートルズ、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニーのソロとウイングスのアルバムを買って行って揃えて、毎日訊いてました。やっぱ、ポールでしたねえ。ポールは最高だった。

 ポール・マッカートニーが70年代に出した全アルバムの中の曲には、もう“珠玉!”と賞賛する名曲があり余って溢れるくらいです。今でも僕の中では、70年代ポールの名曲の数々を越える楽曲は一つとしてありませんね。

 それだけだけど、つい、貧乏くさい、辛気くさい話をしてしまった。ポールは大富豪なのに。

 でも考えて見ると、ポール・マッカートニーって、そんなに、貧乏した不遇時代ってないよなあ。子供の頃から。強いていえば、クオリーメン時代か。62年に爆発的デビューをする前の何年間か。まだ青年時代だし貧乏って程でもないよなあ。80年代に入ってちょっとだけパッとしなくなるが、90年代になってまたまた大ヒットして盛り返すしなあ。あ、ウイングスの時代も最初の方で、パッとしないか。でも「バンドオンザラン」は世界的大ヒットだもんなあ。ウイングスはパッとしないのは最初だけで、後はもう破竹の黄金時代だったし。もう、ずうーっと第一線のロックの神様、生きる伝説。音楽史上最大最高のメロディーメイカー。人類史上、偉大なロックミュージシャン。後は言うことなし。

  

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歌は世に連れ世は歌に連れ

2009年02月28日 | ミュージックログ

  

 夜の7時から10時半頃まで長々、フジの「開局50年僕らの心に流れる歌もう2度とない完全永久保存版‥」とかいうエラい長いタイトルの特番を見て、懐かしくイロイロと昔を思い出した。

 完全永久保存版とか、タイトルにあるみたいだが、無論、僕は録画してません。僕の持ってるDVD機器は再生のみだし、VHSビデオ機器は、どーも壊れてるようで、もう今はTVと繋いでいない。

 だいたい僕がビデオ録画してたのって、K-1とかプライドの格闘技特番ばかりで、他の番組を録画したのって、95年頃の年末、ビートルズの歴史みたいのをテレ朝で夕方から5時間くらい流してて、録画ビデオの時間が足りなくなって、慌てて近所のコンビニに走った覚えがあるけど、それくらいだ。で、5時間録画したビデオは結局、一度も再生して見ないままだ。その後、3セット6枚組みでCDが発売されたので、それを自動車の中でもっぱら聴いてたからだ。TV放映を最後にビデオ録画したのって、03年か04年の年末のプライド男祭りくらいだろう。多分、そのくらいで後はほとんど使っていない。今は、特別、格闘技のスペシャル番組を録画してまで見たい、という熱意もないし。

 フジのスペシャル歌番組は、本当に懐かしかったなあ。70年代から90年代までの日本の流行歌のヒット曲の数々。まだ少年の頃に聴いていて熱中した歌。歌ってのは、思い出装置ですね。当時好きだった歌を聞くと、その時代その時代の、自分のいろいろな思い出がよみがえって来る。その時代その時代の流行歌の、好きだった曲々で、自分のいろんな年代のときの、いろんなシーンが一つ一つ、見事によみがえって出て来る。勿論、嫌な思い出もたっぷりあるが、そういうのは、多分ホントは、脳が意識してるんだろうが自然とポイッと何処かへ飛ばしてしまう。今の自分の精神に毒とならないように、うまく、好ましくも懐かしいシーンばかりが目の前に浮かび上がる。

 僕は子供の頃も3度引っ越してるし、初めに就職した会社は転勤が多くて、いろんな地域に移動してるし引っ越してるし、大企業を辞めた後はけっこう、職を転々としていろんな場所へと行ってるし、思い出すシーンも豊富にある。僕の場合、行く先々で出会った人々、仲良くして貰った人たち、そのときどきの友達や好きだった女の子たち等等、いっぱい、人との思い出も記憶にある訳だが、どちらかというと、人間の思い出よりも、その街々のシーンを思い出す。その時代その時代に行ったいろんな場所のシーン。いろいろな街角。勿論、そのシーンには当時の人たちも映っているんだけど、全体として、街や風景で思い出すなあ。雰囲気。イメージ。情景のような、そういうシーン。懐かしいなあ。

 僕は中2の頃かにビートルズと出会ってから、30代まで洋楽のロック・ポピュラーが好きだったけど、無論、いつの時代でも日本の歌謡曲、J・ポップも大好きだった。演歌でも好きな歌はいくつかある。「柔」とか「姿三四郎」とか「北国の春」とか「北酒場」なんか。司会のみのもんたさんが、90年代にはミリオンヒットでCDが売れた曲が173曲ある、とか言っていた。ほんまかいな?と疑いたくなる数字だが、確かに90年代はJ・ポップの黄金時代で、トレンディードラマなどの人気TVドラマに連動して大ヒットした曲はいっぱいあった。80年代後半から90年代の日本のバンドのいわばJ・ロック曲も、良い曲がいっぱいあって懐かしいですね。ガールズバンドやバンドの女性ボーカルがメチャ良かった。良い時代だった。何だか、時代時代の曲々で、思い出す時代は、みんな、良い時代だった‥、と言いたくなる。

 途中、テレ朝の「ミュージックステーション」を入れたのは、昨年デビューの、日本-イギリスのハーフの、ボーカルガール、Michiの新曲を聴くためだ。最近、僕は滅多にお気に入りの曲に当たらない。年寄りになってかなり感性が鈍ったせいだろう。無論、聴力・聴覚の衰えが大きい。昨年のMichiのヒット曲、「Promise」はそんな、滅多にない中での、昨年の僕のお気に入り曲だった。知った当初は何度も何度もYouTubeで繰り返し聴いた。でも今回の新曲は僕には、あまり良い曲ではなかったなあ。「Change The World」は僕のお気に入り程にはならなかったなあ。といって、これが曲そのものが悪いと言っている訳ではない。ただ、現在の歳喰い過ぎの僕の好みにならなかったというだけだ。音楽とは各人それぞれ、みんな好みは違う。番組では、倖田來未とmisonoの姉妹デュオもあったけど、勿論、見ないで、フジTVにチャンネル戻しました。僕、倖田來未もmisonoも興味ない。

 そういえば、テレ朝「ミュージックステーション」も、80年代末から90年代初め頃は毎週欠かさず見てたし、90年代まではちょくちょく見てたなあ。フジの「夜ヒット」も80年代後半は90年の終了時まで、毎週と言っていいくらいよく見てたな。21世紀に入ってからは年々、年寄り化が進むごとに、新しい曲になじめなくなり、現在の曲が聴けなくなって行っている。悲しいね、爺ィになって行くのは。

 しかし、何ですな、いつの時代にも、歌ってのは、良い歌がいっぱいありますな。膨大な過去を思い出して、お腹いっぱい。

   

 

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