うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

上田馬之助さん逝去

2011年12月27日 | 格闘技ログ

○馬之助さんの遺影と10カウント/新日本

 

  21日に亡くなった元プロレスラーの上田馬之助さん(享年=71、本名・上田裕司)の追悼セレモニーが試合前に行われた。出場全選手がリング下に整列する中、坂口征二顧問(69)が遺影を抱えてリングに上がって、10カウントの弔鐘が鳴らされた。

 坂口顧問は「新日本の中でも、上田さんを知っているのは俺くらいになってしまった。日本プロレスのときの先輩で、最初のころはおとなしい人だった。酒を飲んだらうるさかったけどね(笑い)。普段は温厚だった」と振り返った。

 アメリカ遠征時にはタッグを組んで戦ったが、日本に帰ってきて北米タッグ王座をめぐって戦った。「(タイガー・ジェット)シンと組んだ上田さんと、よく戦った。金髪に染めて竹刀でぶったたいて、独特のキャラがあった。リングに上がっただけで絵になる人だった。リングを降りても憎まれ役に徹していた」と話した。

 昨年は山本小鉄さん、星野勘太郎さん、安達勝治さん(ミスター・ヒト)、柴田勝久さんと同世代が亡くなった。「今年は大丈夫かと思ってたんだけどね。1人、1人逝かれると寂しいね。その分、俺と(アントニオ)猪木さんが元気なんだけどね」と力なく笑った。

 

○上田馬之助さん死去…金髪に竹刀「まだら狼」

 

  悪役プロレスラーとして活躍した上田馬之助(うえだ・うまのすけ、本名・裕司=ひろし)さんが21日午前10時7分、呼吸不全のため、大分・臼杵市の病院で死去した。71歳だった。上田さんは、まだらに染めた金髪と竹刀を振り回すスタイルで「まだら狼」「金狼」の異名を取り、人気を博した。1996年に交通事故で脊髄損傷の大けがを負った。妻・恵美子さんによると、自宅で療養しながらリハビリを続けていたが、21日の朝食後、喉を詰まらせた様子を見せ、救急車で病院に運ばれた。

  上田さんは40年6月20日、愛知・弥富市で生まれた。58年に大同工高を中退し、大相撲の追手風部屋に入門(最高位は序二段12枚目)。60年に日本プロレスに入門し、70~80年代には、本格ヒール(悪役)レスラーとして、国際、全日本、新日本プロレスなどで活躍した。事故後、胸から下が動かなくなったが、車いすで度々ファンの前に姿を見せ、講演や福祉活動も行っていた。

 上田さんとタイガー・ジェット・シン(63)の凶悪タッグと、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木(68)は、所属事務所を通じ「また一人、同じ時代を過ごし、戦いを通じて信頼し合えた友人の旅立ちを見送るのは大変つらい気持ちです」とコメントした。

 葬儀・告別式は24日午後1時から玉泉院臼杵会館(臼杵市市浜1126)で行われる。喪主は妻・恵美子(えみこ)さん。

 

○シン国際電話で馬之助さん夫人にお悔やみ

 

  21日に亡くなった元プロレスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司、享年71)の通夜が23日、自宅のある大分・臼杵市内の斎場で行われた。喪主を務めた恵美子夫人(72)によると、新日本などで凶悪タッグを組んだタイガー・ジェット・シンからこの日朝、国際電話があった。「ママ元気? タイガーも元気。上田はNO・1の親友だった。(今月)28日に日本に行く予定」と励ましの言葉をかけられたという。

 斎場にはシンをはじめ、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木や、名誉顧問を務めていた大分のローカル団体FTOからの献花が多数飾られていた。亡くなった時、あまりのショックで足から崩れたという恵美子夫人は、祭壇の上田さんの現役時代のパネルを前に「満足していると思います」と親族を代表してあいさつ。人柄に触れ「お人よしで優しい人でした」と振り返った。今日24日に告別式が行われる。

 

 

 

 幼い頃や若い頃というのは、“人生”というものが解らないから、「プロレス」という舞台だと、アントニオ猪木やタイガーマスク、それにジャイアント馬場、古くは力道山などといった、正義サイドのヒーローに一方的に肩入れし、ファンになり熱狂し応援するが、歳を喰って“人生”というものがある程度解って来ると、実は“悪役”の方が深いのだ、と知る。もっとも力道山は深いけどね。日本における「プロレスの父」、在日であり大相撲出身の暴れん坊で野心家、実業家であり、時に狂気の、力道山の人生はかなりディープだけど。まあ、猪木にも、ブラジル移民の子であり、現地で力道山にスカウトされて、随分力道山に苛められ、どうしても追い付けないエース馬場との確執、日本プロレス興行会社の反逆児、という猪木の人生にも、かなりな深みがありますけどね。昭和のプロレスというのは“人生”の縮図ですね。

 プロレスの「悪役」は決して悪人ではない。当たり前ですけど。悪役の重みがありますね。職業=悪役プロレスラーだったんですね。正義ヒーローの引き立て役。まあ、引き立て役は、タッグマッチの正義サイドにも居ますけどね。いわゆる「やられ役」。悪者チーム、昭和40年代50年代前半頃までは外人チーム、それ以降は日本人の悪役チーム、その敵側に試合前半、反則攻撃でメッタメタにやられる、正義サイド二番手三番手の良いひとレスラー。タッグマッチの前半、外人の反則攻撃で必ず流血させられるレスラーですね。敵討ちにエースが出て行き、試合後半で悪者レスラーたちをこてんぱんに叩きのめす。昭和のプロレスの試合の構図は単純明快でした。それで満員のお客さんは大喜び。昭和も終わり頃、平成に入ってからはプロレスも試合進行の構図が複雑になって行ったみたいですね。でも、基本、正義のヒーローが居て、やっぱり悪役が居た。プロレス図式のベビーフェースとヒール。今、プロレスは日本プロレス史上一番の下火状態でしょう。極寒の冬の時代。昔の単純なプロレス図式ではお客さんは納得しない。力道山時代から、プロレスの構図には必ず物語があった。遺恨のストーリー。逆襲のストーリー。実は客はここに酔ってたんでしょうけど。今でも多分、この物語性を入れてシリーズをこなして行ってるんでしょう、とは思うけど。

 プロレスの世界って、だいたい基本、新人で入って来る若者はそのプロレスの会社ないしプロレス界に憧れのレスラーが居て、それはほとんどが正義色の強い団体のエースでヒーローレスラーです。団体エースのヒーローレスラーに憧れてプロレス界に入る訳だけど、次期エース的若手レスラーになれるのはほんの一人二人で、あとは正義側と悪役側に振り分けられる。特に女子が顕著でしたね。ビューティー・ペアに憧れてプロレス界に入ったダンプ松本とかブル中野、クラッシュギャルズに憧れてレスラーになったアジャコングとかね。プロレスの悪役は仕事なんですね。普通、仕事って自分の好きなことだけやれないじゃないですか。「こんなことやりたくねえなあ」って仕事も引き受けないと仕事は成立しない。同じですね。でも「悪役レスラー」という仕事はキツい。職場の嫌われ役、とかよくいわれますけど、究極の嫌われ役が悪役レスラーです。ヘタすると自分だけではなく家族までもが嫌われ被害を被る。場合に寄っては、悪役レスラーの女房子供、親までもが難を受ける。

 上田馬之助さんも、新日などで悪役レスラーをやっていた時代、上田さんには家族が居たから、上田さんの家に石を投げられて家の窓を割られたりしていた。上田さんの現役時代、家族に及ぶ危険にはかなり心配していたようですね。日本人の悪役レスラーは、ギャラはヒーローレスラーよりも外人レスラーよりも安いし、ファンからは忌み嫌われ邪険な扱いを受けるし、家族のことは被害が及ぶんじゃないかと心配だし、ホント、良い事ない損な役目ですね。でもプロレス興行の中では是非とも必要な役。日本プロレスではヒーローだった馬場選手もアメリカへ遠征に行けば、アメリカマット界では髭を生やして人相を悪くし、下駄を履き竹刀を持って悪役を演じていた。

 とうとう故人となられてしまいましたけど、上田馬之助さん、懐かしいですね。「上田馬之助」って歴史上の人物が居るんですね。剣の達人で新撰組の隊士の一人。多分、プロレスラー上田さんのリングネームもそこから取ったんでしょうね。70年代後半から80年代の猪木のとこのプロレス。インドの狂虎、タイガージェット・シンとのタッグを組んで、当時の新日マットで猪木他正義レスラー軍を反則攻撃で徹底的に苦しめた、金狼、狂えるさすらいのまだら狼、悪役レスラー、上田馬之助。当時は僕も興奮してTVで試合を見てました。猪木やタイガーマスクの大ファンである、20代の僕は、タイガージェット・シンも上田馬之助も大嫌いでした。上田馬之助さんも昭和プロレス史を飾る一人です。

 昔から、プロレスラーの人は早死にが多い、と言われます。過酷な職業ですからね。相当危険な仕事だし。大きく見せるためにいっぱい食べなきゃならないから決して健康に良い訳でもない。体力維持と試合中の危険回避のために、いつでもトレーニングをしてなくちゃならない。キツくて危険。悪役だと嫌われ恨まれるし。割に合わない仕事なんでしょうね。特に2000年代後半からは、格闘技熱も醒めて、プロレスは本当に下火も下火状態だし、プロレスラーやっててもまとも生活して行けるのかどうか。資本である身体の体力のためにはいっぱい食べなきゃいけないし、栄養とスタミナを着けるためには金が要る。プロレスラーって現代のワーキングプアなんじゃないですかね。

 上田さんは71歳まで生きられたんだから、プロレスラーとしては長生きした方なんでしょうか。晩年は事故の後遺症で大変でしたね。悪役レスラーの人って、本当は良い人が多いんですよね。けっこうとっても良い人だったりする。“人生”の深みを教える、悪役レスラー。昭和を飾った有名人がまた一人逝った。寂しいですね。

 あ、思い出した、懐かしいな。「俺たちひょうきん族」の中のひょうきんプロレスで、竹刀を持った上田馬之助さんが乱入して来て、タイガージェット・シンに扮していた片岡鶴太郎さんが近付いて行き、自分指差して「トモダチ、トモダチ」とかあるいは「仲間、仲間」とか言ったら、上田さんが竹刀を振り回して追っ払ったシーン。懐かしい、昭和の時代。

 

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森田芳光監督逝く

2011年12月26日 | 芸能ログ

○北川景子、恩師・森田芳光との別れに号泣 織田裕二らも参列

 

  12月20日に急性肝不全のため急逝した森田芳光監督(享年61)の葬儀ならびに告別式が12月24日(土)に行われ、織田裕二、北川景子、黒木瞳、三田佳子ら監督の作品を彩った俳優陣や映画関係者ら400名が参列した。

23日の通夜に続いて多くの映画関係者や一般のファンが葬儀場に足を運び、監督に最後の別れを告げた。黒木さんは弔辞で、大ヒットした『失楽園』での監督との初対面を「初めてお会いしたとき、私は『この役は私でいいんですか?』と尋ねましたよね? 監督は『あなたがいい。あなたじゃなきゃいけないんです』とおっしゃってくださり、そのまっすぐな瞳を見て『私の女優人生をこの監督に賭けてみよう』と思いました」とふり返り、「今日の日は、映画のワンシーンだとおっしゃって下さい」といまだ信じられぬ、監督の早逝の悲しみを語った。

三田さんは、『おいしい結婚』での監督との初めての仕事について「新鋭監督らしいオーラが素敵でした。若い監督からのオファーは新鮮で私もウキウキしていました」と懐かしそうに述懐した。

『間宮兄弟』で映画デビューを飾った北川さんは突然の訃報が信じられない様子で、泣きじゃくりながら報道陣の前に姿を現した。「最初にオーディションでお会いしたとき、監督に『私が誰か分かりますか?』と聞かれたのですが、新人で緊張していて『すいません、分かりません』と答えたら笑顔で『監督の森田です』と言ってくださったのを思い出しました。恩師のような人でお慕いしてきたので」としゃくり上げた。監督から「ありのままの北川さんが素敵だと思うので、やめないで女優を続けてほしい」と言われたと明かし「その言葉通りに続けてきたので本当に大きな存在です」と悲痛な思いを語った。

同じく『間宮兄弟』に出演した「ドランクドラゴン」の塚地武雅は「映画の仕事をさせてもらっているのも監督のおかげ。感謝してもしきれない」と思いを吐露。「照れ屋でこっちにイタズラを仕掛けてきて『ヒヒヒヒ』って笑ってた顔が浮かんできます」と思い出を語った。

法名は故人の名前と映画から一文字ずつ取った常然院釋芳映(じょうねんいんしゃくほうえい)。遺影の周りには監督が好んだ白い花が供えられた。棺には参列者がつづった監督への手紙が入れられ、森田組のスタッフたちに抱えられて午後1時、出棺となった。喪主を務めた妻で森田作品のプロデューサーでもある和子さんは「映画関係者のみなさまで(思いを)引き継いでやってほしい」と参列者に向かい思いを語った。

   

○■追悼・森田芳光さん 「個人の中から普遍性追求したライバル」大森一樹監督 

 

   同じ時期に8ミリを撮って認められ、商業映画の世界に入ったほぼ同期生です。周りは私たち2人をセットにして呼ぶことが多かったけれど、本人同士はあいさつを交わすのも照れくさく、切磋琢磨(せっさたくま)した感じでもなかった。ただ、亡くなって初めて思いましたよ、ずっとライバルとして意識していたんだなって。マラソンに例えると、1980代の最初から一緒に走ってきた。

 森田さんといえば「家族ゲーム」です。私が80年に「ヒポクラテスたち」で「キネマ旬報日本映画ベスト・テン」の3位になって、翌年に根岸吉太郎監督が「遠雷」で2位。その後、森田さんが「家族ゲーム」で1位になった。われらの仲間がついに上り詰めた、やりやがったなと思いましたね。

 「家族ゲーム」では、当時はアクション俳優と思われていた松田優作さん(故人)を家庭教師役に使い、“静かなアクション”に仕立てた。座っていても、ごはんを食べていても、俳優にとっては演技自体がアクションだなと気づかされました。従来の映画では互いに向かい合う家族のだんらんとしてあった食事場面でも、横一列に並べたのは演出として新しい。「阿修羅のごとく」などでも、古い日本映画の伝統を継承しつつ、根底から家族のあり方を否定するのではなく、新しいアングルでみせようとするところにセンスのよさを感じた。

 最近の若い監督たちにみられる「個人が大事」といった映画が多い中、森田さんは個人の中から普遍性を引き出していこうとした。他者とのかかわりや社会とのつながりを常に意識していたと思う。これからの10年、どうやっていこうかと併走者として気にしていたので、ぽっかり胸に穴が開いた気持ちです。(談)

                   ◇

プロフィル森田芳光

 もりた・よしみつ 昭和25年、東京都出身。日大芸術学部在学中から8ミリ映画を製作し、56年に「の・ようなもの」で劇場映画デビュー。代表作に「家族ゲーム」「メイン・テーマ」「失楽園」「それから」「阿修羅のごとく」など。20日、急性肝不全のため死去。61歳。

                   ◇

プロフィル大森一樹

 おおもり・かずき 昭和27年、大阪市出身。61年の「恋する女たち」、平成8年の「わが心の銀河鉄道~宮沢賢治物語」で日本アカデミー賞優秀監督賞受賞。

 

 

 森田芳光監督は若い頃、日活ロマンポルノの映画を撮っていたよなあ、と思って、調べてみたら、二本あった。もっとあったように思うんだけど、僕がネットで調べられたのは「マルホン噂のストリッパー」と「ピンクカット太く愛して長く愛して」の二本だけだ。多分、二本とも見ていると思うんだけど、「ピンクカット‥」の方ははっきりしない。「噂のストリッパー」は、子役時代に一世を風靡した感の“おもちゃ屋ケンちゃん”が、ストリップ小屋の踊り子のステージに上がって行ってエッチする役で驚いたので、印象深く覚えている。僕は20代、暇があればよく日活ロマンポルノを見に行っていた。勿論、他の普通の映画もよく見てましたけどね。当時の日活ロマンポルノはAVやピンク映画とは違って、ストーリーもちゃんとしててエッチ場面が異常に多い他は普通に映画作品だった。原作に文学作品を持って来たものもけっこう多かったし。ただ、エッチ場面がムチャクチャ多かったですけどね。現在の大御所、巨匠、中堅以上の監督で日活ロマンポルノ出身の映画監督は多い。それはTVの2時間サスペンスの監督もそうだ。昔は日活ロマンポルノは若手監督の修行時代や登竜門といった意味合いが強かったですね。勿論、当時の日活ロマンポルノでメガホン握る巨匠や鬼才も居ましたけどね。

 「のようなもの」は、この日活ロマンポルノの前に撮った森田芳光作品なんですね。これも若い頃見ました。好きな映画でした。ソープ嬢役に秋吉久美子さん。落語界に入門した落語家の卵の修業時代の青春もの。とんねるずの「そろばんずく」も見た。「家族ゲーム」も見たなあ。何か不思議な雰囲気の映画だった。「のようなもの」に流れる雰囲気の延長のような。普通の人、市民の生活をユーモアで包んで見せてくれる。何かあるのか、何もないのか、ただ普通の市民の生活の断面が奇妙でおかしい。ギラギラするものは何もなかったけど、印象深く記憶に残る作品だった。「そろばんずく」は僕には、コメディーのアヴァンギャルドに思えて笑えなかったなあ。解らなかったというべきか。あとは最近のでは、「椿三十郎」は見てるなあ。「黒い家」や「模倣犯」も森田芳光監督作品だったんですねえ。大竹しのぶさんが重要な役をやる、「黒い家」は見たかったですねえ。

 「間宮兄弟」も見たかった映画で結局見てない作品ですが、北川景子さんの映画デビュー作なんですね。ドラマでは実写「美少女戦士セーラームーン」でしょうけど。「間宮兄弟」の時、まだ十代だったんだ。この映画のオーデション時や撮影時を思い出して北川景子さんは号泣したんですね。発掘と最初の演技指導、恩師なんでしょうね。しかし61歳は早過ぎるなあ。今年は、昭和に活躍した有名人たちが、変な言い回しですけど続々と、現世を退場して行った年ですけど、森田監督ら60代で亡くなられた有名人も多い。何だかここ最近は戦後すぐや団塊世代生まれの方で亡くなられる方も多いように見受けられますね。

 アマゾンで森田芳光監督作品を検索したら、今さらながら森田監督は話題作とか有名な作品を数多く撮ってますねえ。大森一樹監督も、僕は若い頃、「オレンジロード急行」や「ヒポクラテスたち」など見ました。当時の映画館で。自分の青年時代を思い返して懐かしいです。

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加護ちゃんです。Ⅱ

2011年12月21日 | 芸能ログ

 

加護亜依、結婚&妊娠!自身ブログで公表

 

  元モーニング娘。のタレント、加護亜依(23)が21日未明、自身のブログで結婚と妊娠を公表した。

 ブログでは、「以前からお付き合いしていた方と今月、入籍したことをご報告させて頂きます。そして、最近…新しい命が宿っていることも分かりました」としている。

 「今までたくさん、ご心配をおかけしましたが、加護亜依は加護亜依らしく、23歳の女性、妻、母としてしばらくの間、この幸せを噛みしめて大切に守っていきたいと思っております」などと記している。

 加護といえば、恋人の飲食店企画会社役員(44)が恐喝未遂容疑で逮捕され、9月27日に処分保留で保釈されていた。同月には自殺未遂騒動なども起こしていた。その後、この男性と同居していたと報じられていた。

 

 

 げげえ~。相手の男は誰なんだろう? まさか、あの相手‥? もしそうならヤクザじゃん。最悪。元、華原朋美の彼氏でDV振るってた疑惑の濃い男でしょ。当然のように離婚経験者だろうし、多分‥。いやあ~、加護ちゃんはファザコンが強いのか、相手に選ぶのは中年男ばかりだし、それに不倫が多い印象だよね。ダメンズウォーカーというか何というか、いつも、その相手は絶対駄目でしょ系な感じを受けるんだけれども。妊娠!なんて、最悪だな。何かもう先が見えてる感じを、どうしても受けてしまうのだけど。

 まあ、まだ相手が誰なのかはっきりしてないし、続報が待たれる。続報を知りたい。願わくば違う男、カタギの真面目な男であって欲しいけれども。何かこの人は、普通の常識的真面目な男には絶対行かなさそうな雰囲気だしな。とにかく続報ですね。

 

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北川景子さん

2011年12月17日 | 芸能ログ

○北川景子のひとり勝ち!? 実写版『セーラームーン』出演陣 どこで差が付いた...... 

 

  11月23日に放送されたドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ系)第7話の、幼稚園のお遊戯会を中止にしてほしいという「業務命令」を受け、金属バットを手にしたミタさんが幼稚園に乱入する場面。その対応に追われる保母さんを演じていた女優は、かつて実写版『美少女戦士セーラームーン』(TBS系)で主役のセーラームーンを演じていた、沢井美優だった。

 2003年から04年にかけて放送された実写版『セーラームーン』(TBS系)。今年の秋に同番組のDVDボックスが発売されたばかりなのだが、この番組、ドラマ『謎解きはディナーのあとで』(フジテレビ系)や映画『パラダイス・キス』(新城毅彦監督)などに出演し、今や若手トップ女優のひとりとなった北川景子の女優デビュー作でもある。

 ある特撮関係者が言う。

「北川景子が演じていたのは、セーラー戦士のセーラーマーズ。彼女をはじめ、セーラー戦士全員が今もそれぞれ芸能界で活躍しているというのは、異例のことかもしれませんね」

 セーラームーン役の沢井、マーズ役の北川をはじめ、セーラージュピターを演じた安座間美優は「CanCam」(小学館)、セーラーマーキュリーの泉里香(当時は浜千咲)は「Ray」(主婦の友社)の人気モデル。セーラーヴィーナスの小松彩夏や、当時子役だった小池里奈も、グラビアやドラマなどで活躍中だ。

「団鬼六の映画で再ブレークする前の杉本彩が悪の女王的な役で熱演してます。男性陣でもまだ駆け出しのころの黄川田将也が出ていますし、今見ると豪華な顔ぶれのドラマなんですよね」(前出関係者)

 現在も当時のメンバーで集まって食事をすることがあったりと、メンバー同士の仲はいいよう。ただ、それぞれが活躍中とはいうものの、『ミタ』でのちょい役などと比べてしまうと、やはり北川景子の活躍ぶりが群を抜いている感がある。アイドル事情に詳しい編集者は言う。

「放映当時は、原作のキャラクター人気も相まって、マーキュリー人気が高かったように思います。マーキュリーが悪役化してしまうなど、ストーリー上重要なポジションも割り当てられていました。北川のマーズは、変身後の黒髪ロングの姿などが印象的で存在感もあったのですが、役的には正直3番手、4番手の扱いでしたからね。その後のブレークぶりには驚きました」

 とはいえ、『セーラームーン』出演時の北川と安座間は、雑誌「Seventeen」(集英社)のミスセブンティーンとして、一部ではすでに有名な存在でもあった。前出の編集者は分析する。

「業界内でのそこそこのポジションとマニア層とは別に、最初から一般層の、しかも同性に支持されていたことが、実は地味に影響しているかもしれません。特撮番組の当たり役に恵まれた場合、その後もずっと役名のまま呼ばれたり、役のイメージがどうしてもつきまとってしまうこともありますからね。沢井美優はまさにそのパターンになってしまったかもしれません。今も彼女を"うさぎちゃん(役名)"と呼ぶファンは多いです。いったん休業し、芸名を変えて再スタートした泉里香なんかは、リセット成功といっていいのかもしれません」

 さらに、北川は『セーラームーン』放映中に、現在も所属する大手事務所スターダストに移籍している。

「常盤貴子 や竹内結子、柴咲コウなど大物が多く所属していて、タレントを売り出すことに関しては力が大きい事務所ですよね。いきなり映画『間宮兄弟』(森田芳光監督、06)で注目されるなど、与えられたチャンスに着実に応えられてきたのが、今につながっているのかなと思いますね」(同編集者)

 かつて、浜崎あゆみが無名のころ出演していた持田真樹主演作『すももももも』(今関あきよし監督、95)が、あゆのブレーク後、あゆの出演シーンは少だけなのにもかかわらず、DVDのパッケージにデカデカと顔写真と名前がプリントされたことがあった。今回発売された『セーラームーン』DVDでは、「北川景子初出演作品」みたいに、分かりやすく北川の名前で売るという分かりやすいことはしていなさそうで何より。


 

 残念なことに僕は、「美少女戦士セーラームーン」実写版を見てないんですねえ。見逃している。そういうのがあったと後で知った時は、本当に見逃したことを口惜しく思いました。今は、別に、実写版「美少女戦士セーラームーン」のDVDをレンタルして来てまで見たいとも思いませんが。当時は何ていうか、セーラームーンとかのコスプレをした実在美少女たちの姿を見たいばっかりだったんでしょうねえ。今はたいして興味ないんだけど。北川景子さんをTVで初めて見たのは、深夜ドラマでやっていた「モップガール」でかなあ。それ程興味深く毎回見ていた訳ではありませんが、夜中にTV点けたらやってたから何度か見た、くらいかな。実写「セーラームーン」が2003年から04年で、「モップガール」は2007年だから、TVでは随分、間が開いているんですねえ。映画に出てたのも2006年07年だし、実写「セーラームーン」からはメディアに出るのは少々休んでるんですね。下積み?学業? まあ、別にいいんですけど。僕も特別、景子さんのコアなファンでもないし。そりゃあ北川景子さんは魅力的な美人ですけど。ただ、北川さんだけでなく、あの時代、コスプレ「セーラームーン」の美少女たちは見ておきたかったな、と。僕は、特別アニメのファンでもないし。そういえば、昔、ワクワクして初めてエロアニメを見て、たいして、あんまし乗らなかったのを覚えています。それ以来積極的にエロアニメを見ることもないし。

 北川景子さんで見ているのは、「モップガール」何回かと後は映画で「ハンサムスーツ」、それとこれも毎回ではないけど、織田裕二さん主演の学園もの「太陽と海の教室」は何回か見てる。月9神話が崩れ始めた頃かなあ。これの視聴率は確か惨敗ぎみだったんでしょ。調べたら平均視聴率14.8%。今だったらそう悪い数字でもないですよね。これはとうとうDVD化されなかったということですけど。ネットが発達して来たのと比例して、TVの視聴率は総体的に年々降下して来ている。まあ、ケイタイ等モバイルの発達、電子ゲームの普及も大きいのでしょうけど。現在の視聴率ではドラマで14パーセント越えは“御”の字ですよね。

 北川景子さんが明治大学を卒業されたとき、同期で同じ明治(学部は違う)で同じ日に卒業を迎えられた若手女優の井上真央さんの方が、当時のTVのワイドショー関係の番組では大きく扱われて、北川さんの方が二番手で、映し出された時間も少しだったんですけど、あの当時は井上真央さんの方が「花より団子」主演の成功で人気的に格上扱いだったように思うのですが、その後の活躍では北川さんの方が目覚しいように思ったものですけど、しかし、井上さんの方はNHK朝ドラ主演やNHK紅白の赤組司会もするというし、同じ女優としては井上さんも路線は違えど、かなりの勢いで活躍してますよねえ。若者人気は北川さんの方がありそうですが、まあ、互角の勝負、といったところでしょうか。

 本格推理小説のベストセラーのTV連続ドラマ化、「謎解きはディナーの後で」も好調でしたね。この時代に視聴率は良かったです。だいたい、平均16パーセントくらいの視聴率キープで来ましたからねえ。TVでは若者向けドラマとして今風コミカルに描いていますが、原作の小説「謎解きはディナーの後で」は堂々、「週刊文春2010ベスト10」第10位、「2010本格ミステリベスト10」第9位にランキングされた、ミステリ小説としてはホンモノ格のものです。北川景子さんは、主人公の「嵐」櫻井翔と共に、ダブル主演で番組を引っ張り、昔の同系スタイルの刑事ドラマ、「富豪刑事」の深田恭子演じるヒロインとはまた全然違うキャラで、ドラマヒロインとして好演して人気を博しています。北川景子さん、美人で魅力的ですね。何でもヘビースモーカーだという噂ですけど。今や若手トップ女優の一人、北川さんに取っては黒歴史だろう、「美少女戦士セーラームーン」のセーラーマーズのコスプレでアクションする姿、見ときたかったです。ヒノレイちゃんなら巫女さん姿もやってたのか。ヤッホー。見たかったな。

 

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ミンボーの女・実録

2011年12月15日 | Weblog

 

○クレーマーを味方に変える謝罪術 歌舞伎町のジャンヌ・ダルクが語る 

 

   周囲には十数の組事務所が居を構え、客室には組員が長期滞在。ロビーはチンピラと風俗嬢の休憩所代わりとなり、時には薬物常習者がうろつくことも……。そんな歌舞伎町ならではのビジネスホテルに新支配人として赴任したのが、三輪康子氏。宿泊名簿への記入をお願いするだけで、クレーマーと化すヤクザたちと怯まず向き合い、ホテルの健全化に成功。その功績を讚えられ、新宿署から“歌舞伎町のジャンル・ダルク”と評される彼女の謝罪力の源とは?

「私の根本にあるのは、相手がヤクザだろうが、クレーマーだろうが、どんな人でも思いは通じるという信念です。クレーム対応とは、全力で相手の気持ちを理解すること。つまり、人への対応です。例えば、宿泊代を払わないとゴネるヤクザを相手にお金で解決することは簡単です。でも、それは問題の解決ではなく、放棄。ましてや歌舞伎町では“あそこはクレームに弱い”と噂が立つと、次々とつけ込まれます。ですから、粘り強く、“なぜこんなに理不尽なことを言うのだろう?”とお客さまの気持ちに寄り添い、話を聞き続ける。すると、怒りのピークがすぎ、場が弛み、こちらの筋を通せる瞬間がやってきます」

 ヤクザは泊めないという筋を通し、出口まで相手を案内。「ありがとうございました」と頭を下げ、ホテルから送り出す。それが三輪氏の謝罪スタイルだ。とはいえ、相手はヤクザ。怖さに押し切られることはなかったのだろうか。

「昔から見て見ぬふりができない性格で、“怖い”よりも先に体が動いてしまうんです。その結果、エレベーターホールで日本刀を突き付けられたり、駐車場で危機一髪のところを警察官に救われるなど、命の危険を感じたことも何度かあります。それでも“お客さまを救い、従業員を守らなきゃ”という正義が、信念になりました」

 何者も怖がらず、クレーマーの話をしつこいくらい聞き続ける三輪氏。その姿勢に惚れ込んだヤクザの幹部から「姐さん」と慕われ、ホテル前の違法駐車を注意すると、数台の黒塗りのクルマからいっせいにヤクザが降り、全員が並んで最敬礼したという『極道の妻たち』を地でいくような逸話も。

「怒鳴られるのはつらいですし、謝罪は面倒なことかもしれません。でも、体当たりで向き合ってみると、クレームは相手の人となりを知るチャンスになります。きれいごとだと笑われても、それを実行し続けたから今があるのです」

【三輪康子氏】

有名ホテルグループに勤める現役支配人。実績等が評価され10年度MVPを獲得。今年7月『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』(ダイヤモンド社)を上梓した

 

 


 映画「ミンボーの女」を地で行くような話ですね。
 「ミンボーの女」って映画も舞台は、ヤクザのユスリ・タカリの憂き目に合ってるホテルでした。もう十何年も前公開の映画で、監督は今は亡き伊丹十三さん。このユスラレ・タカラレでヤクザのイイカモ状態のホテルを救うためにやって来たのが、勇気と法知識の正に女傑の、女優・宮本信子さん扮する女性弁護士。身体を張った果敢な勇気で、正義を行動で示し貫き通し、ヤクザの理不尽な犯罪的行為に決然と立ち向かい、ヤクザの行使する悪質な恐喝や暴力にひるまず逃げず、勇気を持って堂々と渡り合い、暴力団を排除することをホテル従業員や一般市民に示し教える、といった内容のドラマでした。この、「民暴」「暴排」をテーマとした映画の公開直後に、伊丹十三監督は不埒な暴力団員に襲撃されて重症を追わせられる、という凶悪事件も発生しました。92年のこの、大きな災難の事件と被った重症から回復し、その後も意欲的に映画製作に取り組み続けましたが、97年、伊丹さんは惜しくも亡くなられました。今でも、確かな理由など詳細はよくは解らないようですが、結局伊丹さんの自殺ということで決着しました。

 この上記ニュース記事にあるホテル支配人の勇敢な、正に女傑の女性の記事文を読んで、伊丹十三監督の「ミンボーの女」という映画を思い出した次第です。それにしても、勇敢な女性がいるものですねえ。何だか現代は、「勇気」とか「勇敢」とか「行動力」とか「実行力」とか「決断力」とかいう言葉は、女性の方が目立つ時代になっているような気がする。肉食系女子、草食系男子。優柔不断で逃げ隠れしたがる男子、勇敢さと実行力の女子。ジャンヌダルクは昔の男社会でこそ貴重で珍しかったが、何か現代のイメージはあべこべ社会ですね。でも現代でも、昔ながらの快男児や“漢”も存在するのでしょうけど‥。とは思うが。

 

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立川談志さん

2011年12月12日 | 芸能ログ

 

○立川談志 亀田興毅や石原慎太郎にも辛辣な言葉を発していた

 

  11月21日に喉頭がんのため亡くなった立川談志さん(享年75)。破天荒で毒舌を吐きまくった印象が強いが、その素顔は人情味にあふれる、優しき男。75年のその人生は、笑いあり涙あり、人を引きつけてやまないあの高座そのものだった。

談志さんは1983年に落語協会真打昇進試験を巡って、落語協会の会長を務める師匠の柳家小さんと対立した。

「昇進試験が厳しすぎるといわれたら、全員合格にする。全員合格に批判が出たら、また突然厳しくする。当時の昇進試験はあまりに場当たり的でした。談志さんはもともと若手は早く真打にして活動させたほうがいいという立場。そんなある日、談志さんが仕事で昇進試験の審査員を欠席していたときに自分の弟子2人が落とされて、“我慢できねぇ”ってなったんです」(落語関係者)

弟子には厳しくも、優しかったという談志さんは、一門16人を引き連れて落語協会を脱退。古典落語に噺家の個性を盛り込み、世相や流行も反映する独自の立川流落語を創設した。当時世の中は、空前のお笑いブーム。島田紳助(55)や明石家さんま(56)らを頂点に、ダウンタウンら若手も次々に育っていた。

「談志さんには、古典落語のままでは漫才には勝てないという思いがありました。これまで大事にしてきた古典落語を残すために、新しいものを取り入れようと勉強に励んだんです」(前出・落語関係者)

前落語協会会長の5代目・鈴々舎馬風は、談志さんをこう評したことがあった。

「天才が勉強するんだからかなわない」

談志さんの時代を見る目は鋭くなり、辛らつな言葉で幾度も時流を切り取って見せた。時には電車内でメイクをする女性たちを批判し、2006年8月に判定勝ちした亀田興毅(25)に八百長といい放つ…。

2007年、盟友の石原慎太郎都知事(79)についてコメントを求められたときには、こういい放った。

「彼は都知事以外にポジションがないんだろ。プライドを満たすところ、居場所なんだな。小説は大したことないし、総理にはなれないし。なんにもやるな、っていってるんだよ」

いくら盟友とはいえ、あまりに辛らつな言葉。それが、「あれは彼特有の愛情表現なんですよ。石原さんも、それが努力に裏打ちされた知識ゆえの発言と理解しているから、怒るどころか、はいはいって許してしまうんですよ」

 

○爆問・太田、死後の報道に皮肉

 

  お笑いコンビ、爆笑問題の太田光(46)が27日、相方の田中裕二(46)と司会を務めるTBS系「サンデー・ジャポン」(日曜前10・0)に生出演。21日に喉頭がんのため死去した落語家、立川談志さん(享年75)をしのんだ。(サンケイスポーツ

 談志さんとの出会いは十数年前、爆問が立川流落語会の前座を務めたのがきっかけ。それから親交を深め、談志さんから「あれ(太田)はオレの隠し子」「太田が落語家だったら太田に任せる」などと評価されていた。

 太田は「覚悟はしていたけど、突然だった」と吐露。昨年、タレントのビートたけし(64)と3人で会食したことを明かし、「師匠は『この楽しい時間を中断したくない』って小便、ずっと我慢してて。天下のビートたけしと師匠のやりとりをみてるだけで、もうすごい幸せで…」と穏やかな表情で振り返った。

 その後、TBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」(日曜後1・0)に出演。死去が大きく取り上げられた状況を皮肉りながら、「師匠は『オレがすごいんじゃない、古典落語がすごいんだよ』って言ってるんじゃないかな」と思いをはせた。

 

 

 立川談志師匠は先月21日にお亡くなりになったんですけど、ちょっと遅くなってしまったのですが、ニュース記事アップと僕の感想文です。

 何年か前、「週刊現代」を愛読していて毎週購読していた。その頃はろくに本を買って読んだりしないくせに、「週刊現代」の書評欄を読むのが好きで、けっこう目を通していた。数ページ書評欄が続く中で、毎週連載の「リレー書評」というコーナーがあった。この連載コーナーは季節ごとに書評家が交代するんだけど、その期間も四人くらいの読書マスターみたいな人たちがこの一ヶ月くらいの間に読んだ本の中で、印象深かったものを紹介して行くコーナーで毎号楽しみにしていた。季節ごとでなく、交代は半年間か一年間か、ちょっと今の僕には解りかねるが、まあ、調べれば解ることかも知れないんだけど、済みません調べません、で、まあ、担当した書評家は数ヶ月から一年の間に間歇的にコーナーを受け持ち本を紹介する。そこで、調度僕が愛読していた期間内に、女流作家の桜庭一樹氏が担当していた。調度、直木賞を取ったくらいの時期で話題の人だったから、僕も桜庭さんの書評を興味深く読んでいた。その時期と調度同じかその後の期間だったか、立川談四楼という方が書評をやっていて、小説も評論も紹介していたがけっこう難しそうな本も多く、この人は多分、立川談志さんのお弟子さんで落語家なんだろうけど、インテリなんだな、とちょっと意外に思ったものだ。まあ、落語家にインテリが居て変な訳じゃなく、落語家もアタマを使う仕事だから、むしろインテリが居てもちっともおかしくはないんだが、その時は落語家で相当な読書家で識者、というのが今一つマッチしなかった。まあ、イメージかな。この立川談四楼さんも落語立川流である。

 立川談志さんには錚々たる有名人のお弟子さんが多い。ビートたけしに爆笑問題太田、バラエティーで一世を風靡した放送作家・高田文夫、上岡龍太郎、ミッキーカーチス、野末陳平、漫画家の内田春菊や高井研一郎‥等等。ここに上げた著名人たちはどの人も、ひとくせもふたくせもある頭の良い才人ばかりである。談志さんに、インテリ落語家の弟子が居てもおかしくはない。立川談笑さんは早稲田卒だし。立川談志さんはあの石原慎太郎氏とも友人関係だったし、弟子たちの顔ぶれもすごいし、やっぱり何か持ってる人だったんだろうな。まあ、昔から自分のことを天才と名乗っていたけど、これは半分遊びで言っていたとはいえ、相当頭の回転の早い、確かに頭の良いずば抜けた才人であり、また面倒見も良く、洒落っ気たっぷりで人間として魅力に溢れた人ではあったんだろう。

 やっぱり僕らの世代だと“お笑い”の原点は「大正テレビ寄席」で、この、ウクレレ漫談の牧伸二さんが扉と進行を勤める演芸番組は、漫才と落語と漫談、たまにコントで構成されていた。落語も毎回演目があるのだが、人気があるのは難い古典落語ではなくて、現代風な洒落た笑いの漫談風の落語だった。子供だった僕には普通の落語は難しくてよく解らなくて、幼い僕が好きだったのは、漫才や、落語でも流行語でも生み出しそうなギャグ風落語だった。漫談も好き嫌いがあったなあ。やっぱり僕は子供だったから子供ウケしそうな漫談、漫才が好きだった。この時代の「大正テレビ寄席」に立川談志さんが出演していたかどうかは僕はもう憶えていない。多分、後期には出演していたのだろう、と思う。

 僕は漫才に比べたら落語はそれ程は好きではなかった。元々アタマの出来のそんなに良くない僕には“笑い”としては落語は難し過ぎたのだろう。その後も僕は落語ファンにはならなかった。その後も現在まで僕はずうーっと、漫才やコントのお笑いファンではあるけれど、古典落語などはさっぱり解らない。

 立川談志さんは子供の時分や少年時代、よくTVで見ていた。TVの中で、毒舌で辛辣でズケズケものを言う談志さんを、僕はあんまり好感を持って見ていなかったように思う。少なくとも好きなタレントではなかった。幼稚な僕には人間を見抜く才などあろう筈もなかったし。政治の世界に入ったことも知ってはいたが、当時の僕は日本の政治なんてほとんど関心がなかったし、タレント候補・議員には興味はなかった。ただ、大人になってからは、ビートたけしや景山民男や高田文夫という、馬鹿なことばかり考えてる風で本当は相当に頭がキレ頭の良い才人たちがこぞって、どうしてあの立川談志さんという落語家の弟子になるまでに近づいて行くんだろう、と不思議には思っていた。

 立川談志さんという人は、TVなどメディアの前では立川談志を演じていたのだという。あれはキャラだったのだ。こぞって、あれだけの数の弟子が着き、あれだけの数の有名人・文化人が近寄って行く、立川談志さんという人は実は相当な魅力的な人物だったのだろう。無論、本業の古典落語の腕は超一流で、そしてメディアの前ではいつもの毒舌辛辣・嫌なヤツを含んだべらんめえ面白ろキャラ。実は面倒見が良いオヤジ。粋な才人だったんだろうな。

 もうここのBlogで何度書き込んだか解らないセリフだけど、昭和を作った有名人・文化人たち、僕が子供の頃、少年時代TVで慣れ親しんだ顔が、また一人、現世を退場して行く。まただ。この十年、そして昨年、今年ともういったい何人数えるのか。昭和は遠くなって行く。やはり寂しい。 

 

 

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市川森一さん逝く

2011年12月11日 | Weblog

 

○市川森一さん急死 NHK大河などの名脚本家

 

   NHK大河ドラマ「黄金の日日」や「ウルトラセブン」、映画「異人たちとの夏」などテレビや映画の脚本などを多く手がけた脚本家・市川森一(いちかわ・しんいち)さんが10日午前4時43分、肺がんのため東京都内で死去した。70歳。数カ月前に肺炎にかかり、検査で肺がんが発覚。先の仕事を多く抱え、関係者の中には「急死では」と早すぎる死を惜しんだ。今年11月11日に、自作の長編小説が原作で脚本も担当したNHKドラマ「蝶々さん」の試写会に登場した際には「こういう作品が生涯の遺作になれば幸運」と語っていたが、くしくもその言葉通りとなってしまった。

 死期を悟っていたのか。今年11月11日、市川さんは自身の長編小説が原作で、脚本を手がけた「蝶々さん」の試写会に登場した際、最初のあいさつで、いきなり「遺作」という言葉を持ち出した。

 「この年になると、1作1作が遺作のつもりでやっている。作品によっては、これが遺作になるのはイヤだなと思ったりする。今日、この作品を拝見して、こういう作品が生涯の遺作になれば幸運だなと思ったりしました」と語った。

 公の場に登場したのは、この時が最後となった。「遺作」という言葉を持ち出したが、終始元気な様子だった。ただ、関係者の話を総合すると、すでにこの時点で肺がんであることは知っていたようだ。

 市川さんと女優・柴田美保子さん夫妻と20年のつきあいがあるという長崎県壱岐市「平山旅館」の女将(64)によると、市川さんは数カ月前に肺炎を患い、通院を余儀なくされた。その過程で肺がんが発覚した。

 だが、この事実を周囲に知らせることはなかったようだ。「蝶々さん」で一緒に仕事したNHKの関係者も「大病を患っていることは試写会の後に聞いた。それまでは病気のことは、一切言っていなかった。試写会当日も、体調を崩したので、出席は微妙と聞いていたので心配したが、元気な様子でしたので」と振り返った。

 元気そうなそぶりとは裏腹に病状は確実に進行していたようで、試写会から12日後の11月23日には夫婦で壱岐に赴くと旅館の予約をしていたが、直前になり市川さんの体調不良でキャンセル。夫婦の旅行はかなわないまま、市川さんは逝った。

 テレビ界の主流だったホームドラマのハッピーエンドを嫌い、脱ホームドラマ、脱リアリズムを掲げ「太陽にほえろ!」なども手がけるなど、人間の聖と俗にこだわり描き続けた市川さん。

 「遺作として幸運」な作品で華々しい人生を締めくくれたことを、天国で満足しているに違いない。

 

 

 僕は子供の頃、「ウルトラセブン」が大好きだった。「ウルトラセブン」で一番印象深く憶えているのは勿論、金城哲夫さん。その次が実相寺昭雄監督。そして市川森一さんだ。まあ、勿論、脚本に限っては他に、上原正三さん、佐々木守さん、藤川圭介さんなども有名だけど。特に市川森一さんはその後の、大人向けの本格ドラマや時代劇、映画脚本などでも有名になり、脚本家としてメジャーになり成功された方だと思う。「怪獣ブースカ」の脚本を書いていたとは知らなかったけど、これがTV脚本の初仕事らしい。その後も、デビュー後初期は、「帰って来たウルトラマン」他、TVの子供向け番組の脚本仕事が多かったみたいですね。懐かしいな、「マキちゃん日記」の脚本も書いていたんだ。僕の少年時代、日曜日の朝やってました。マキちゃんの憧れの、義理のお兄さん(叔父さん)役で関口宏さんが出演していた。何でも市川さんの奥様は、その「マキちゃん日記」で出演されていた女優だった人だとか。市川先生は見るからに知的な相貌で、頭の良さとインテリ味がにじみ出てるような、品の良い紳士然とした雰囲気の方だった。あの雰囲気の初老はカッコイイな、と思っていたものです。懐かしいな、九重由美子の「コメットさん」の脚本も書いたんだ。「仮面ライダー」も。

 相変わらず、僕が子供の頃や少年期のTVや映画、雑誌などの、いろいろな面で活躍し、昭和を作った有名人や文化人たちが、ここ十年、毎年毎年、あるいは毎月のような早さで、次々と現世を退場して行く。今年は何人亡くなったろう。数え上げても十脂では足りない。寂しいですねえ。昭和はどんどん遠くなって行く。

   

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田中理恵さん

2011年12月11日 | スポーツログ

 

○理恵満足!跳馬で昨年に続き2位

 

  女子跳馬で田中理恵(24)=日体大大学院=が昨年に続いて2位に入った。

 田中理恵は2本とも安定した試技を見せ、昨年に続き2位。現在は修士論文の作業でなかなか練習時間もなかっただけに「あまり調子は良くなかったけど、まとめられて良かった」と、ホッとした笑みを浮かべた。最終日は床に出場。「自分らしく、笑顔で美しい体操を見せたい」と、年内最後の演技に気合をみなぎらせた。

 

○理恵、ロンドンへ卒業後も拠点は母校・日体大

 

   体操女子日本代表の田中理恵(24)=日体大大学院=が5日、都内で行われた森喜朗元首相(74)への日体大名誉博士称号授与式に出席。ロンドン五輪に向け、来年春の大学院修了後も母校の日体大を練習拠点とすることを明かした。大学院2年の理恵は現在、横浜市の日体大体育館を拠点に練習。来年春で修士課程を修了するが、「環境を変えずにやるのが一番だと思う」と五輪まで母校で練習を続ける意向を示した。所属は調整中で、同校職員などで母校に残る可能性もある。

 

○ 田中理恵がほしい!芸能プロが争奪戦「なでしこより上」「アイドル以上」

 

  ロンドン五輪予選を兼ねた体操の世界選手権(7日開幕、東京体育館)に出場する日本女子の田中理恵(24)=日体大大学院=に、複数の大手芸能事務所やマネジメント会社が獲得に向けたオファーを検討していることが明らかになった。田中はロンドン五輪に備え、大学院修了後の来春も日体大に残る可能性が高く、五輪後の“争奪戦”はヒートアップが必至。今や、なでしこ級の存在感だ。日本女子はこの日、本番の会場で公式練習を行った。

 “美しすぎる体操選手”の獲得に、多くの芸能人やアスリートを抱える超一流事務所が、こぞって名乗りを上げた。

 「欲しい逸材です。あの笑顔はアイドル以上の癒やし効果があるでしょう」(大手芸能事務所)

 「一度競技生活で挫折しながらここまでもってきた精神力はすばらしい。タレントの原石としても、なでしこジャパンより上です」(大手芸能プロダクション関係者)

 「美しい体操の技と華麗な容姿。女子体操で伝説になり得る存在です。ぜひ一度、お話を聞きたい」(某スポーツマネジメント会社)

 田中は昨年のロッテルダム大会では個人総合17位ながら、美しい演技をした選手に贈られる「エレガンス賞」を獲得。演技だけでなく美貌にも注目されてテレビ出演が相次ぎ、写真週刊誌の表紙も飾った。

 

 

 そりゃあ芸能界は欲しいだろうなあ。実際にMCみたいなこと、リポーターみたいなこと、メディアで何か喋る能力があればなお良い訳だけど、とにかく美しいし、清楚だし、凛としたひたむきさ。文句なく好感度バツグンでしょうね。現在のままのキャラなら絶対に大衆ウケして国民的アイドルクラスになれそう。やっぱ何だかんだ言ったって時代が変わろうが、清楚さや真面目さが大好きなんだよね、国民は。性格も良さそうだし。その美しさから真央ちゃん以上かも。正に、まんま“ヤマトナデシコ”キャラ。今のところは意外とCMにはあんまり出てないですよね。オリンピック目指すアマチュア選手だし、CMやTVバラエティーとか芸能関係は、まだ控えてるのかな。ワシみたいな爺さんが言うと気持ち悪いと言われそうですが、ワシも理恵ちゃん、大好きです。頑張れ~!

 

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加護ちゃんです。

2011年12月07日 | 芸能ログ

 

○加護亜依がブログ、Twitterを再開「元気になりましたよ!」

 

  9月に自殺未遂を起こしたことが報じられたモーニング娘。の元メンバーでタレントの加護亜依が、ブログ、Twitterを再開した。

 加護は21日、約2カ月半ぶりとなるブログを更新。「すっかり冬の季節になりましたね。ブログでのコメントや、twitterからも沢山のメッセージが届いていました。ご心配をおかけしましたが、元気になりましたよ! ありがとう」とファンにメッセージをおくり、「今日からまたブログを始めていきます」と宣言した。

 また、Twitterでも「お久しぶりです」と約2カ月ぶりにツイート。フォロワーからは「加護ちゃんお帰りなさい」「待ってたよ!」など、再開を歓迎するコメントが寄せられている。

 加護は9月に自殺未遂が報じられ、同月17日にTwitterで「ファンの皆様にご心配をおかけしてしまい、本当にごめんなさい」と謝罪。「しばらくはゆっくり休みます。もうご心配をおかけしません!」コメントしていた。

 

○加護亜依、所属事務所から損害賠償請求! 気になる今後は?

 

  もはやお騒がせ要員としての立ち位置が定着してきた感のあるタレント・加護亜依だが、所属事務所社長が、加護を相手取り、総額1億5,000万円もの損害賠償を求める訴訟の準備を進めていると6日発売の「女性自身」(光文社)が報じた。

 同誌に社長が語ったところによれば、事務所と加護は2013年の3月末まで専属契約を結んでおり、"加護亜依"という名称の商標権も所有しているという。今回の訴訟は、この専属契約の確認と、仕事のキャンセルによる損害賠償を求めるものになるようだ。社長はサンケイスポーツの取材にも、「最後の仕事をドタキャンして事務所を飛び出し、連絡が取れなくなってから約1年がたつ。親心で復帰を待っていたが、もう限界」と語っており、堪忍袋の緒が切れたといった様子だ。

 加護は周知の通り、恋人である飲食店プロデューサーのA氏が9月6日、恐喝未遂容疑で逮捕された直後、自殺未遂騒動を起こした。同月11日午前に、加護の代理人を務める弁護士のもとへ電話をかけ「私、リストカットしたみたいです」と告げ、その後入院となった。このときも、社長は加護の入院先を訪れているが、面会は叶わなかったという。  

 このA氏については、華原朋美の元恋人として知られているが、華原へのDV疑惑がささやかれているほか、カネを巡る黒いウワサも絶えない。結局A氏は9月末には処分保留で釈放となり、加護も退院後は再びA氏のもとへ戻りたいとコメントしていた。入院時、面会に駆け付けた社長が、加護とA氏の関係がまだ切れていないことについて、「芸能人としてあり得ない。これが分からなければ、また同じことをする」と一刀両断していたが、加護には届かなかったのか。

 加護は現在、ブログやTwitterを再開し、11月末にはヨーロッパへ旅行してきた旨の記事をアップしていたが、東スポによれば、退院後はA氏ではなく、元競輪選手・中野浩一氏の妻で歌手のNAOMIが面倒を見ているとのことで、このヨーロッパ旅行も2人で行ってきたものとみられている。新しく頼りになる人間を見つけ、心機一転のスタートをネットでアピールしていた矢先の、損害賠償請求騒動。今後、加護は一体どうなってしまうのだろうか。

「過去、本人がブログで"正式に契約解除をしている"と記載しており、円満な契約終了であることを強調していましたが、実際はそうではなかったのかもしれませんね。額と、本人の支払い能力には関係がありませんから、仮に負ければ、財産やこれからの給与差し押さえなどで丸裸となることは確実です。過去、所属事務所から損害賠償請求を起こされたタレントとしては、契約解除を求めて訴訟を起こしたが、逆に損害賠償を求める反訴状を提出された......という眞鍋かをりの例が有名です。これを見れば、係争中も他の事務所に所属するなどの方法で、芸能界の仕事を続けることはできますが、加護の場合はバックにA氏の存在がまだ色濃く残っています。このままではダークなイメージが強すぎて、どこも使ってはくれない。A氏と決別できないのなら、芸能界での未来はないでしょう」(芸能ライター)

 A氏との決別か、泥沼裁判への突入か。いずれにしても早急にダークなイメージを一新させ、芸能界で生きる術を見つけることができなければ、加護の将来はかなり暗いものになるだろう。

 

加護に“1億円払え”所属事務所が訴訟へ

 

  ‥加護亜依(23)の所属事務所社長、伊藤和幸氏(60)が加護を相手取り、契約違反などを理由に総額1億円以上の損害賠償を求めて民事訴訟を起こす準備を進めていることが5日、分かった。
  ‥「最後の仕事をドタキャンして事務所を飛び出し、連絡が取れなくなってから約1年がたつ。親心で復帰を待っていたが、もう限界。訴訟内容は(2013年3月末までの)専属契約の確認と、これまでの出演や契約のキャンセルによる損害賠償」と説明し、「損害額は1億円以上になる。…

   

 

 ドリームモーニング娘。は、今現在の芸能界でこの時期TVでよく見掛けて、往年のヒット曲をメドレーで歌い上げ健在振りを誇示しているかのようで、AKBにも存在感を突きつけているかの如き感じだけど、メンバーとして一緒にパフォ-マンスしていない辻や後藤の名前はトークの間によく出ている。しかし、その名前を出すことがグループのタブーなのか、「加護亜依」の話題も名前も絶対に出て来ない。加護自身が見ているかどうかは知らないが、往年の仲間たちドリームモーニング娘。の活躍をTV画面で見たら、きっと涙が出るくらい寂しいだろうな。かつて田代まさしが刑務所内のTVで、往年のシャネルズ(ラッツアンドスター)の再集合してのパフォーマンスを見ていて、「俺、どうしてあそこに居ないんだろうな‥」と涙が出てとても寂しかった、という話があるが、加護も似たような気持ちになるだろう、と思う。勿論、加護は刑事罰の犯罪を犯した訳ではないが。未成年喫煙は違法ですけどね。何でしたっけ、霊能力者というか宗教家の下よし子さんの実の息子と不倫して、下さんもカンカンに怒っていたが、元妻になるのかな、息子の当時女房から訴えられていた。そういえば、あの訴訟はどうなったんだろう? 僕はちょっと知らないし調べてはないけど。

 何かあれですよねえ。加護ちゃんは危なっかしいというのか、情緒不安定というのではないけれど、そういう一面もあろうかとも思うけど、何か行動がしっかりしていない。どーも堅実な道が歩めないよーな。あ~あ、そっち行っちゃった、みたいな。またかよ、いい加減学習せいよ、みたいなイメージ。今そっち行っちゃったら結局先で損するだろう、みたいな。やっぱ、はっきりしないしフワフワして頼りなく、子供っぽい頑固さや意地だけはけっこう強くて、そのために他人の正統派アドバイスが聞けずに失敗する、みたいな。ちゃんとした人の正統派アドバイスには、劣等感からか被害妄想ぎみからか、まるで馬鹿にされているように取って、反撥して素直になれず、頑固で意地っ張りで、言うことをきかず間違い方向に行っちゃうみたいな。何かそんな感じキャラに見えてしまうな。見掛けの可愛さに反して中身は頑固、みたいな。いや、本当はどうなのかは、勿論、僕は知りませんけど。済みません、テキトーな推測で。

 誰かに頼ってないと生きて行けない、みたいなトコもあるのかな。まあ、中学生という少女時代から、芸能界という特殊な大人の世界で、言われるままに仕事ばかりして生きて来たんだしね。サポートしてくれる、面倒見てくれる人の運、というのも持ってないのかも。まあ、解らないけど。良い人にも巡り合うんだけど、要領が悪くて逃しちゃうみたいな。運が掴めない運。不運。もっと、精神的に自立して欲しいですけどね。逮捕収監されてて保釈されて出て来た中年オッサンのヤクザな恋人と、またヨリを戻すような情報が流れてたけど、このニュース記事だとヤクザな男とは一緒には居ないような記述だけど、解らないしね。この人は相当男で左右される人みたいだし。変な男に着いて行かなければいいんだけど、どーも生来のダメンズウォーカーみたいだし。相手がダメンズだと安心するのかな。その、歌手のNAOMIさんとかがきちんとサポートして守ってやって、ちゃんと導いてやって欲しいもんですね。でも、後何年か掛けて精神的自立して、一人前の大人になって、胸を張って表街道を闊歩出来るようなキャラになって欲しいですね。それが一番。奈良の田舎とかに帰ったり地方に行ったりして、普通の一般人として生活して行くという生き方は出来ないのかな、難しいのかな。失礼な言い方で申し訳ないけど、タレントとして末永く芸能界で生き残っていけるような、目立って才能のある人には、あんまり見えないんだけどなあ。(でも、持って生まれた脆い心、幼少時に形成された脆い心、幼少時に受けたトラウマ、などは後々いくら精神的に鍛えようが、どうにもならないという面、もありますからねえ‥。)

  

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人生SASUKE

2011年12月07日 | Weblog

 

○モンスター・ナインなど2社(テレビ番組制作、「マッスルミュージカル」興行会社)、破産

 

  帝国データバンクによると、番組制作会社「モンスター・ナイン」と関係会社が11月11日に自己破産を東京地裁に申し立て、破産手続き開始決定を受けた。負債総額は2社で約35億6600万円。

 TBS系「筋肉番付」などを手がけたスタッフらで2005年に設立され、TBS系「スポーツマンNo.1決定戦」「SASUKE」「KUNOICHI」などの特番や、テレビ東京系「ソロモン流」、TBS系「筋肉祭」などのレギュラー番組を手がけ、テーマパーク「マッスルパーク」を東京・お台場と北海道千歳市などに展開。08年3月期には約31億5000万円の売り上げがあった。だがその後番組制作の受注が減り、さらに千歳マッスルパークが今年8月末に閉園するなどしていた。

 関係会社のデジタルナインは、体操選手などが出演するショー「マッスルミュージカル」などのイベント興業を手がけていた。東日本大震災後に同ショーが全て中止となり、再開のめども立たないことから事業継続を断念した。

 

○モンスター・ナインなど2社(テレビ番組制作、「マッスルミュージカル」興行会社)、破産

 

   (株)モンスター・ナインは、2005年(平成17年)2月に設立され、テレビ番組の企画・制作を主体とするほか、アミューズメントパークを経営していた。具体的には、TBS系「スポーツマンNo.1決定戦」、「サスケ」、「KUNOICHI」などの特番や、テレビ東京系「ソロモン流」、TBS系「筋肉祭」といったレギュラー番組を手がけ、「マッスルパーク」をお台場、北海道千歳などに展開し、2008年3月期には年収入高約31億5000万円を計上していた。

 しかし、番組制作の受注が減少していたことに加え、2011年春頃に実施を予定していた大規模なイベントが中止になったことや、千歳マッスルパークが客足減少から2011年8月末で閉園したことで業況は大きく縮小していた。

 (株)デジタルナインは、1997年(平成9年)6月設立されたイベント興行事業者。具体的には「マッスルミュージカル」と称するショーで、元体操選手などがアクロバティックなスポーツショーを行っていた。2009年3月期は年収入高約17億円を計上していた模様であるが、震災後の「マッスルミュージカル」が全て中止になったことに加え、2011年10月以降の再開のメドが立たなくなり、事業継続を断念、今回の措置となった。

 負債はモンスター・ナインが債権者約104名に対し約18億600万円、デジタルナインが債権者約116名に対し約17億6000万円で、2社合計で約35億6600万円。

 

 

 このニュースが報道で発表されたのは新聞でもネットでも先月11月13日で、ここにアップするのはおよそ一ヶ月近く経った後で、とても申し訳ないんですが、まあ、ワシの感想です。まあ、ワシの感想読んだところでしようがないでしょうけど、「SASUKE」制作会社が倒産した、という情報をご存知なかった方も、 居たでしょうから。そういう意味では、ま。
 「人生SASUKE」という、これがキーワードですね。特に、今までみんながやっている、既成のスポーツではなく、何というのかなあ、言ってみれば“忍者ごっこ”のリアル実現版、みたいな。普通に職業持って毎日働いて生活している素人の人の中でも、体力自慢の人たちが、「スポーツ」でなく、サバイバル技術のような、いにしえの忍者の訓練みたいな、次々の難易度の高いアスレチックに挑む。だから、あくまで趣味の領域ですよね。アマチュアの体力競技。一般人の腕自慢の人たちの、身体能力だめし。もう十年以上は続いていますよね。同系の番組は。最初の「筋肉番付」からこっち。ある程度の、一定以上の視聴率はずっとあるんでしょうね。これだけ長い間続いているんですから。まあ、季節番組ですけど。TVはお正月とか季節特番の目玉番組の一つとして、視聴率はある程度は取っていたんでしょうけど、現在の日本経済の中でご他聞に漏れず、TV界も財政的に厳しくなっている。TV界残酷物語、なんでしょう。キー局・制作局は、丸投げの下請けの制作会社を資金面で叩く。そのまた孫請けもさらに厳しく叩かれる。かつがつやりくりしていた制作会社は、例えば震災などの影響で資金的に厳しくなると、こういうことになってしまう‥。「筋肉番付」系の体育館みたいな室内競技ではそうでもないでしょうけど、まあ、それでも相当な費用は掛かるんでしょうが、屋外に幾つもの大掛かりな仕掛けを建設する、「SASUKE」系は莫大といっていいようなお金が掛かるでしょうからねえ。あれ、素人の参加競技者は全員手弁当なんですかね? 食費と交通費くらいは出るんだろうか? 多分、出演料はないんでしょう。それでも勝ち抜いて来てTV画面に映る人たちなんでしょうからね。TVは決勝大会みたいなものでしょうから。あれでTVに映るのは一つの名誉でしょうし。「人生SASUKE」。やっぱ、普通に仕事を持った一般人の趣味スポーツの一環ですよね。「SASUKE」というアマチュアスポーツみたいなものですね。あれだけの大掛かりな仕掛けを建設して揃えるのはTV局でも動かなければ普通には無理ですし、一般人が集まってお金を出し合っても仮にスポンサー見つけて来ても、あそこまでのアスレチック施設を作るのは無理ですね。やっぱ東京キー局のTV番組でこそやれる競技ですよ。「人生SASUKE」。普通に仕事持って生活し、余暇に、季節のTV決勝大会を目指して、毎日毎日暇さえあれば何がしか身体鍛えてる人たちは、登ってた梯子外されたみたいでガックリと落ち込んでいるでしょう。だって、自分ちの庭先や職場の空いたスペースに一つ二つ手製でアスレチック作って、毎日毎日鍛えてるんですから。「人生SASUKE」、TV決勝目指している人に取っては、希望とか目標ですよね。既成スポーツの全国大会と何ら変わりなく‥。けっこう見てたんですけどね。「SASUKE」「KUNOICHI」。積極的に見よう、というんでもなくても見始めたらつい、最後の決勝ファイナルまで見てしまいますね。それなりに視聴率、取ってたろうに。
※SASUKE-究極のサバイバルアタック『SASUKE』オフィシャルサイト‥では、放送は終了しました。たくさんの応援ありがとうございました。-とありますね。「第27回」とはあるけど、完全終了のような文句だし。多分、2012年新年特番は無いんだろうね。「人生SASUKE」の方々は気の毒だ。TV局は「知ったことじゃない」だろう。

   

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