生きたまま極楽! 

ワタクシ、naojiiの、巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。

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ポール・マッカートニー

2013年11月18日 | ミュージックログ

○ビジネスマンはポール・マッカートニーに職人魂を学べ!

 

  ロック界の大御所、ポール・マッカートニーの単独来日公演が11年ぶりに実現。11日から京セラドーム大阪でツアーをスタートさせており、大阪、福岡、東京の3都市をめぐり、日本中のファンに71歳にしていまだ現役の力強いサウンドを届ける。

今回のジャパン・ツアーは、今年5月にブラジルを最初にスタートしたワールド・ツアー「OUT THERE! TOUR」の一環で、「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」と名付けられており、ビートルズ時代から10月にリリースした新譜『NEW』までのキャリアを総括するものとなっている。

デビュー以来ずっと音楽界のトップに君臨し続けるポールだけに、その仕事ぶりには学べる点が多い。たとえば、ビートルズが最後に録音したアルバム『アビイ・ロード』に収録されているポールが歌う『オー!ダーリン』は、ソウルフルな声を音源に収めるため、スタジオに早く入り声を潰してからレコーディングに臨んだと言われている。

また、映画『レット・イット・ビー』では、音にこだわりすぎてギターのジョージ・ハリスンと喧嘩になっているところが確認できる。こうしたこだわりの職人魂は、ビジネスマンも見習いたいところだ。

キャリアも実力も人気もあり、誰よりも音に対して注意を払う彼だけに、すべて自分の感覚だけを頼りに作品を生み出してきたかと思いがちだが、実は決してそうではない。彼の素晴らしいところは、自分よりもかなり若いミュージシャンや助言してくれる人間を制作に招き入れる点だろう。

新譜『NEW』にもエイミー・ワインハウスらを手がけたマーク・ロンソンや、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子、ジャイルズ・マーティンをプロデューサーに迎えている。自分にはない感覚を取り入れることで、自分の枠から一歩先へ進めることを知っているのだ!

どこまでも仕事に向き合い、さまざまな考えを取り入れ進化しつづけるからこそ、長い間にわたりファンを生み続けられるのかもしれない。常にクオリティの高いパフォーマンスをし続けこだわりと謙虚さが必要なのだ。

 

来日記念で“ポール・マッカートニーカフェ”登場!!

 

  11年ぶりの来日を果たしたポール・マッカートニー(71)。その来日公演「アウト・ゼアージャパン・ツアー」の開催を記念し、期間限定でオープンした「エイトデイズ・カフェ」が話題になっている。

 「来日コンサートを100倍楽しむ」をコンセプトとした店内には、ザ・ビートルズとポール・マッカートニーに関わるレコードジャケットをはじめ、さまざまなビジュアルコンテンツが設置され気分を盛り上げる。また、ミュージッククリップやあらゆる曲を迫力溢れるサウンドで楽しみながら、料理を楽しむことができる。グッズも販売されており、ファンがトータルでザ・ビートルズの世界を楽しめるコンセプトカフェとなっている。

 「エイトデイズ・カフェIN 東京」は東京・千代田区の霞ヶ関にあるが、近隣のビジネスマンだけではなく、親子連れや若い女性の姿もみられるという。

 「見る・聴く・食べる」がそろった「エイトデイズ・カフェ IN 東京」は12月末日までの営業を予定しており、期間中は無休。営業時間は11時から23時30分。詳細 http://www.8dayscafe.com/ まで。

 

○ポール・マッカートニー、BBCラジオ出演時の舞台裏映像を公開

 

  現在、来日公演を行っているポール・マッカートニーが、10月にリリースした新作『NEW』のプロモーションのために、BBCラジオに出演した際の舞台裏映像が公開されている。

当日は、抽選で招かれた数百人の観客の前で、新作『NEW』の楽曲はもちろんのこと、ビートルズ時代の楽曲や、ソロ時代の楽曲も演奏された。

 

 ポール・マッカートニー 3番目の妻は資産500億円!

 

  あっと言う間にチケットが完売し「経済効果100億円」という声まで飛んでいるポール・マッカートニー(71)の来日公演。

 14日には大相撲九州場所を観戦し、歓声を浴びていた。ところで、気になったのは、隣に座っていた3番目の妻であるナンシー・シェベル(52)だ。過去2人の夫人と比べてかなり地味。世界のポールの妻にしては、どうにもオーラに欠ける。でも、ポールに負けないくらいの大富豪なのだ。

「ポールは1969年に米国人写真家のリンダ・イーストマンと結婚。29年に及ぶ結婚生活で3人の子供をもうけたが、リンダは98年、乳がんで亡くなっています」(音楽雑誌編集者)

 2002年に、下着モデルだったヘザー・ミルズと再婚。ところが、わずか6年で破局してしまう。慰謝料2億ドル(約200億円)を要求されるドロ沼の離婚劇を繰り広げ、ポールは5000万ドル(約50億円)を払って和解している。

 3番目の妻となったのが、19歳年下のナンシー・シェベルだ。2011年、ポールが69歳の時、結婚している。ナンシーには弁護士の夫がいたが07年に別居し、その直後からポールと交際。夫と離婚後、すぐにポールと入籍している。
「ナンシーは、親の遺産だけでも5億ドル(約500億円)という大富豪です。シェベル家は運輸関係の財閥。ただ、彼女の評判はあまりよくない。NY市の公共交通機関をつかさどるMTAという役所の重役を務めていた時、MTA役員に発行される〈特別駐車許可証〉を、美容院に行くために使って違法駐車しているところをパパラッチに撮られている。NYはどこも路肩はクルマで埋まり、有料駐車場はバカ高い。大富豪のナンシーが特権を使ったことに庶民はカンカンでした」(現地日本人)

 離婚しても、ナンシーも大富豪だけに巨額の慰謝料を取られる心配だけはなさそうだ。

 


※ポール・マッカートニー(2013-11/15)

  

 ワタクシ(naojii)が自分の趣味で、ワシの好きなポール・マッカートニー曲を勝手に順付けした独自の、ポール・マッカートニー曲Best10&以下順位曲。

1.Eat At Home

2.Band on the Run

3.Hope Of Deliverance

4.Listen to What the Man Said 

5.Let 'em In

6.Some People Never Know

7.With a Little Luck

8.Another Day

9.This One

10.No More Lonely Nights

11.Jet

12.Freedom

13. Bluebird

14. Tomorrow

15.Silly Love Songs

16.Mull of Kintyre

17.Junior's Farm

18.Too Many People 

19. Heart Of The Country  

20.Monkberry Moon Delight  

21.Mamunia

22. Long Haired Lady 

23. Hi,Hi,Hi

24.Rock Show

25.Mary Had a Little Lamb

26.The Girl Is Mine

 

 26位に挙げた、マイケル・ジャクソンとのデュエット曲、The Girl Is Mineは曲を作ったのはマイケル・ジャクソンの方だけど、僕自身、何となく当時の思い出があるんで、特別に26位で入れました。あと、僕の好きな曲でも、Getting CloserやPress等、Best26選曲に漏れた名曲もありますけどね。他にも、まだ。“アイルランドに平和を”とかOff The Groundとかも良い曲だ。ビートルズ時代のポール曲を入れると、上位にそれらが何曲も喰い込むし‥。

 
  で、ビートルズ時代のポール曲で、ワシの好きな曲を敢えて順位付けすると、下記のようになります。あくまでポールの曲のみで。勿論、ビートルズはジョンの曲もジョージの曲も好きな曲はいっぱいありますが。また、ビートルズ時代はジョンとポールの合作も多いし、ビートルズ時代のポール曲は、多分にジョンのアドバイスや、アレンジ面でのジョンや他のメンバーたちからの影響もあったものだろうと思われます。無論、Yesterdayみたいにポール独自の曲もあったでしょうが、バンドでやってる限りは、曲の成立には他のメンバーや当時のプロデューサーの影響は絶対あったでしょうね。僕自身の、ビートルズ時代ポール曲の、好きな順位。

1.Let It Be

2.The Long And Winding Road

3.Get Back

4.Hey Jude

5.I Will

6.All My Loving

7.And I Love Her

8.ObLaDi,ObLaDa

9.Lady Madonna

10.I've Just Seen A Face

11.Rocky Laccoon

12.I'm Looking Through You

13.Good Day Sunshine

14.Hello, Goodbye

15.Tell Me What You See

16.Yesterday

 記事冒頭の画像フォトは、ビートルズ解散後のソロ・ポールがバンド結成した、ポールとリンダ主導のロックバンド、Wingsのデビューアルバム、1971年発表の「Wild Life」のジャケットフォトです。ワタクシには思い出深い一枚で、名曲「Some People Never Know」「Tomorrow」が収録されています。

 あ、Two Of Us入れるの忘れてた。Two Of Us好きな曲なんだけどなあ。ビートルズ時代のポール曲ではかなり上位に好きな曲。あと、She Came in through the Bathroom Windowとかも好きだなあ。でも「Abbey Road」B面のBecauseからHer Majestyまでの一連の曲は、長い一曲というかメドレーみたいなもんだもんな。 

 

◆ NEW ポール・マッカートニー 2013年11月の日本ツアーが話題沸騰中のロック・レジェンド、ポール・マッカートニー。
ロック・アルバムとして6年ぶり、オリジナル・スタジオ・アルバムとして16作目!

オン・エア~ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2

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(2016-8) この間、月村了衛のSF 警察活劇小説、「機龍警察-自爆条項」読んでたら、アイルランド紛争が一つのテーマになっていた。小説は勿論フィクションだが、主要登場人物の一人が、元アイルランド紛争関係のテロリストで、物語の中で日本でテロを起こすアイルランド人テロリストの連中が、同じくアイルランド紛争関係のテロ組織の構成員となっている。実際に北アイルランドとその周囲で起こったアイルランド紛争は、1960年代から98年まで続いた地域紛争で、北アイルランド問題とも呼ばれていた戦闘である。この地域戦争を戦っていた一つの勢力がアイルランド共和軍=IRA である。よく海外のアクション映画にIRA のテロリストとか、元IRA テロリストと称する危険人物が出て来るけど、このIRA にちなんで、物語上作り上げた架空の、危険な戦闘員(テロリスト)ですね。で、小説「機龍警察-自爆条項」のお話で扱われているのは、実在したIRA から派生した、月村了衛が物語上作ったテロ組織、IRF (アイリッシュ·リパブリカン·フォース)です。これは物語の上で、IRA から派生した過激派テロ組織、IRF という設定になってます。

 この小説には、月村了衛が物語上作った事件や組織や、架空のテロリストたちが出て来ます。読んでると、IRF という組織が本当にあって、“アゲン”というテロ事件が本当にあったことかと錯覚します。調べて見て初めてIRF もアゲンも作者が考え出した架空のものだと解る。だけど、“アゲン”の元となる悲惨な軍事事件、「血の日曜日」という殺戮行為は本当にあった事件です。1972年1月、北アイルランドの都市でデモ行進中の市民が、イギリス落下傘連隊に銃撃されてたくさんの死傷者が出た悲惨な軍事事件です。物語中の“アゲン”という呼び名は、「血の日曜日事件」が再び起きた、という意味の“アゲン”なんでしょう。

 1972年にポール·マッカートニー&ウイングスが発表したシングル盤のヒット曲、「アイルランドに平和を」原題Give Ireland Back to the Iresh は72年1月の「血の日曜日事件」を受けて、その悲惨さを世に問うたポール作詞作曲のメッセージソングです。「アイルランドに平和を」の原題を直訳すると、アイルランドをアイルランド人に返せ、と言っている。イギリス政府へのプロテストソングですね。歌で抗議された方のイギリス政府は、当時、国内の多くのメディアでこの曲を放送禁止にしたらしい。

 ビートルズ解散後、二枚のソロアルバムを経て、ポール主体のバンド、ウイングスを結成、ウイングスデビューアルバム「Wings Wild Life 」を発表します。当初はこのアルバムに収録された曲「Love Is Strange 」を、ウイングス初のシングル盤としてリリースする予定だったのが、「血の日曜日事件」を受けて急遽、ポールの作ったプロテストソング、「アイルランドに平和を」に差し換えて72年2月にリリースした。

 中三でビートルズ·キチガイというくらいのビートルズ音楽のファンになった僕は、メンバーの中でポールが一番好きで、ビートルズ解散後は最初のソロアルバム「McCartney 」は購入しなかったものの、その直ぐ後に出した二枚目ソロアルバム「Rum 」からは、ウイングス結成後のバンドデビューアルバム「Wild Life 」、続く大ヒットアルバム「Band On The Run 」と買って行き、80年代までポールのアルバムは出れば即レコード屋に走って購入してました。90年代に入ってからは網羅はしてないけど、気になるポールソロのアルバムは買って聴いていた。僕がポール·マッカートニーのアルバムを買ってたのは2000年代前半までだけど。ビートルズ時代から続けてずっと、ポールは大好きでしたねえ。

 ビートルズ解散後のポールソロの初シングル盤「Another Day 」は当時大好きな曲で、買って来て何度も何度も聴きましたが、ポールのバンド、ウイングスの初シングル盤「アイルランドに平和を」は、当時何故かこの曲をよく知らなくて、聞けば良い曲なんですが僕としては素通りしてしまった曲で、だから、このシングルB面の「メアリーの子羊」という曲は名曲ながら、僕自身は長らく知らなかった。「アイルランドに平和を」と「メアリーの子羊」はアルバム未収録でしたからね。その直ぐ後のシングル「Hi Hi Hi /Cムーン」は購入して、日夜何度も聴いたんですけどね。

 高校を卒業してからの僕は、確かに18歳くらいのとき、チェ·ゲバラの伝記や大江健三郎のエッセイ集なんか読んでましたが、基本的にノンポリで、良い若者が情けないくらい政治や国際情勢に関心がなかった。だから、後々ポールの歌「アイルランドに平和を」を知って聴いても、歌う詞の意味やこのシングル盤が出されたいきさつなど、関心を持たず詳しいことは何も知らなかった。高校生の頃、地理の教科に使う地図帳のヨーロッパ地図に、イギリスの大ブリテン島の直ぐ横の島に「エール共和国」と書いてある。エール共和国ってどういう国なんだろう?とは思いもしたものの、そこから深く調べることもせず、エール共和国がアイルランドと知ったのは、30歳を過ぎてからだった。まあ、僕は経済も含めて、政治や国際情勢に無関心で無知な、馬鹿な若者でした。

 僕が中学生頃に、森永製菓のミルクチョコレートで、“森永エールチョコレート”というチョコ菓子が販売されていて、TVのCMで、作曲家の山本直純さんが出演して♪「大きいことは良いことだ~」とバックコーラスで歌われていました。当時は、このエールチョコレートの「エール」とエール共和国とは、何か関係があるんだろうか?とか疑問に思っていました。今の時代の自分なら、ネットで調べるところですが、少年時代の僕は疑問を持ってもそのままにしておく向学心ゼロのしょうがない子供でしたから、疑問はそのままで、その内忘れました。

 この間、TVのさる番組に東大生が出てて、高卒の若者に、子供の頃から例えば風呂に入ってるときの天井から落ちて来る水滴だったり、日々の生活の中で疑問に思って調べたりすること、根本的に疑問を持つことはないのか、と言ってました。東大に入るような子供は日々の姿勢からして違うもんだなぁ、と感心して思ったものです。

 でも、大人になった僕ですが、ネットなんて便利なものがあるのに、未だに森永エールチョコレートの「エール」はどういう意味でネーミングされたのか、は調べてはいません。大人なっても、しょうがねえな‥は続いている訳ですが、まぁ今は、子供時代よりも疑問を調べるようにはなってるかな。多分、エールは「エールを送る」とかいうときの「エール」なんだろうな、とは思っていますが。

 “yell”の直訳は、大声を出す、叫び声を上げる、となってますから、「エールを送る」は声援する、ということですね。多分、森永エールチョコレートは「エール共和国=アイルランド」とは関係ないですね。

 ビートルズ解散後からポールと確執のあった、ビートルズ音楽の盟友、ジョン·レノンは、ポールの「アイルランドに平和を」という政治メッセージ曲の発表行為を称賛しながらも、曲そのものには、詞が幼稚過ぎる、などと酷評した。だいたい解散後のジョンとポールは、お互いの出すアルバムの中の楽曲で、相手を批判したり中傷したりする詞を書き込んでましたね。まあ、ぶっちゃけお互いの悪口の応酬みたいな。

 勿論、僕はビートルズ解散後のジョン·レノンも興味·関心は強くて、ジョンのアルバムは「Mother 」が入ってる「ジョンの魂」から、ジョン·レノン最後のオリジナルアルバム「ダブルファンタジー」まで続けてずっと買って来て聴いていた。ジョンはシングル盤で買ったのはないな。全部アルバム。ジョージ·ハリスンの曲はシングル盤は「マイスウィートロード」「ギブミーラブ」「ディンドン」と買って、アルバムは「All Things Must Pass 」と「ジョージ·ハリスン帝国」しか買ってないかな。後は90年代以降にCD版二枚買ったくらいか。シングル盤は「All Those Years Ago 」が、ジョージの曲では最後だな。

 あ、ジョン·レノンのオリジナルアルバムで、「Some Time In New york City  」というのは買ったことないな。このアルバムは聴いたことない。多分、収録されてる曲の幾つかは知ってるだろうけど。それとジョン·レノン最後のオリジナルアルバムは、もう一つ別にあるんですね。ジョンが殺害されたのが1980年12月で、ジョンの死後になる、84年リリースになるアルバム、「ミルク&ハニー」。このアルバムは僕、知りませんでした。聴いたこともありません。80年に亡くなったから80年発表の「ダブルファンタジー」が最後のアルバムだとばかり思ってた。

 ジョン·レノンはポール·マッカートニーに対抗心を燃やしたのか純粋に北アイルランド問題を訴えたかったのか、ジョンも北アイルランド紛争の「血の日曜日事件」に対する政治メッセージ曲を発表している。タイトル「血まみれの日曜日」という曲と「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」という曲。僕はこの二つの曲を知らなかったのだが、それもその筈、この二曲はアルバム「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」に収録されている。シングルにはなってないようですね。上記で書いたように僕はこのアルバムを聴いていない。

 
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ポール・マッカートニー

2013年11月15日 | ミュージックログ

○ポール・マッカートニー、法被姿で11年ぶりに来日

 

  ポール・マッカートニーが9日午後、関西国際空港に降り立ち、詰めかけたファンからの声援が飛び交う中、約11年ぶりとなる来日を果たした。

チャーター機で英ロンドンから関空入りを果たしたポールは、同日午後6時40分頃、彼を一目見ようと駆けつけた約1000人のファンと多数の報道陣が待つ到着ロビーに、妻のナンシーさんとともに登場した。

ポールの姿を見つけるなり沸き起こったファンからの大歓声の中、ベースを弾くしぐさをしておどけてみせたポールは、ニュー・アルバム『NEW』のロゴをあしらった法被(はっぴ)姿。1966年にザ・ビートルズとして初来日した当時を想起させる姿で、集まったファンを興奮させた。ゆっくりと歩きながら、黄色い歓声に両手を振り、日本語で「オスッ!」と応えるなど、終始上機嫌でファンと報道陣に接していた。

10月に発売されたニュー・アルバム『NEW』を携えて開催される、「アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー」と題された今回のツアーは、今年5月4日のブラジル公演を皮切りにスタートしたワールドツアー(OUT THERE TOUR)の一環として行われる。ポールにとって4回目の来日ツアーで、ザ・ビートルズの来日公演を加えると、5回目の来日となる。

ポールは追加公演となった11日の京セラドーム大阪を皮切りに、12日に京セラドーム大阪、15日に福岡ヤフオク!ドーム、18日、19日、21日に東京ドームでステージに立つ予定だ。詳細は日本公演公式サイトまで。
 
一方、公演初日の本日(11日)、ザ・ビートルズの新作『オン・エア-ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』が世界同時リリースされた。


 

ポール・マッカートニー、日本ツアー初日となった大阪公演の写真とセットリストを掲載

 

  ポールは開演予定時刻より10分ほど遅れた午後7時10分にステージに登場。すると、過去3度の来日公演では披露されなかったザ・ビートルズの“エイト・デイズ・ア・ウィーク”でライヴをスタートさせた。他にも“オール・トゥゲザー・ナウ”“ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト”など、日本初披露となるザ・ビートルズ時代の楽曲が登場。ライヴは2度のアンコールを含め、2時間45分の長時間にわたって行われ、ザ・ビートルズのナンバー23曲、ソロ・ナンバー14曲、合計37曲もの楽曲が披露された。


 

○来日中のポール・マッカートニーと『スティーブ・ジョブズ』世界を変えた規格外のアップル

 

  11月11日、ポール・マッカートニーの11年ぶり4度目の来日公演が行われた。ビートルズナンバーを中心とした数々の名曲に大満足の観客。しかし、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」の日本公演への道は、思いのほか長く曲がりくねったものだった。

成田に降り立ったポール・マッカートニーを襲った災難

 1980年1月、ポールはウィングスのメンバーとともに、成田空港へと降り立った。ところが、大麻取締法違反で現行犯逮捕。数日間勾留ののち国外退去処分となり、解散後初となるはずだった元「ビートル」来日公演は中止となった。

 1975年、薬物使用歴で予定されたコンサートがキャンセルとなる過去があっただけに、音楽ファンは「なぜ?」という思いでいっぱいだった。

 解散後もコンスタントにヒット曲を出していたポールは、5月、ソロ名義のニューアルバム「マッカートニーⅡ」をリリース。その第1弾シングル「カミングアップ」は全米ナンバーワンヒットを記録した。

 しかし、前年12月スコットランド最大の都市グラスゴーでのライブバージョンで聞かれる観客の熱狂ぶりに、胸中複雑な日本人は多かった。

 そんなポールの新作は、半ば活動休止状態にあったジョン・レノンをも奮い立たせた。そしてニューアルバム「ダブル・ファンタジー」が完成。

 1980年代に入り、再出発の決意をうかがわせる先行シングル「スターティング・オーヴァー((Just like)Starting over)」も、12月初め、快調にヒットチャートを駆け上がっていた。

 20世紀最大のソングライターとも言われるレノン、マッカートニーの復活劇に満足する世界中の音楽ファン。しかし、12月8日、衝撃的なニュースがその思いを粉々にしてしまう。ジョンがニューヨークの自宅アパート前で射殺されたのである。

 突然の訃報に、リンゴ・スターはバハマからフィアンセを伴ってすぐさま駆けつけた。そのフィアンセとは、のちに生涯の伴侶となる映画『おかしなおかしな石器人』(1981)で共演したばかりの女優バーバラ・バック。

 この頃、リンゴは、3人の元「ビートル」とも競演予定のニューアルバム「バラの香りを(Stop and smell the roses)」の制作中で、合間のひとときをフィアンセと過ごしていたのである。

そんななか、既にレコーディングが始められていたジョージ・ハリスンとの競演曲が、ポールが加わるなどして生まれ変わり、ジョージ名義の追悼シングル「過ぎ去りし日々(All those years ago)」となった。

影の立役者となったリンゴ・スター

 残された3人のジョンへの思いのこもったこの曲は全米2位を記録、1970年代後半、低迷気味のジョージ久々の大ヒットとなった。ビートルズという並外れた才能と個性を持つ集団の中で、緩衝材のような役回りをこなしてきたリンゴはここでも影の立役者となった。

 そんなリンゴは、4人の中で最も積極的に役者稼業に取り組んでいた。その最高傑作とも言えるのが『マジック・クリスチャン』(1969)。

 ピンクパンサーシリーズで知られるピーター・セラーズと共演する皮肉たっぷりの反体制コメディには、ジョンとヨーコも顔を出し、オープニングを飾るバッドフィンガーの曲「Come and get it」はポールの作曲だった。

 ちなみに、このバッドフィンガー、1968年、出版、小売、エレクトロニクス、映画製作配給などもめざしビートルズが設立した企業「アップル・コア」の中心をなす「アップル・レコード」の秘蔵子。のちに「Day after day」などの名曲も生み、解散後のビートルたちの多くのアルバムでもプレイしている。

 この映画が製作されていた頃のビートルズは、一体感が失われつつあった。そのあたりは、1970年4月のポールの脱退表明後に公開となった映画『レット・イット・ビー』でも窺い知ることができる。

 しかし、この映画のサントラ盤としてリリースされたビートルズのラストアルバム「レット・イット・ビー」には、今回のコンサートでも演奏された表題曲や「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」など人気曲も多く、そうしたことは感じ取れないかもしれない。

 もともと、1969年1月、スタジオ技術に頼らず原点に戻るという「ゲット・バック・セッション」の様子を記録する主旨で撮られたこの映画だが、音楽そのものが散漫な出来となってしまい、直ちにアルバムリリースはできなかった。

 そのため、名プロデューサー、フィル・スペクターの手により新たなる命を与えられたのち、翌年になってアルバムは発売されたのである。

 そうした再生作業の中には、1970年1月の再録音もあった。そんな1曲が「アイ・ミー・マイン」。そして、この曲以来のジョン以外3人の競演となったのが、10年後、ジョン亡きあとの追悼盤「過ぎ去りし日々」だったのである。

ジョン射殺というショッキングな事件から世界がまだ立ち直れない12月12日、もう1つのアップルが注目の的となっていた。アップルコンピュータである。

 その株式公開に世界の興味の目は注がれ、創立4年にして長者番付にも名を連ねる資産を手にしたスティーブ・ジョブズは時代の寵児となった。

30歳で失意のどん底に落とされたスティーブ・ジョブス

   そんなジョブズとビル・ゲイツとの関係を描くテレビ映画「バトル・オブ・シリコンバレー(原題Pirates of Silicon Valley)」は、1984年1月の初代マッキントッシュ発表の頃から始まる。

 『ブレード・ランナー』(1982)で知られるリドリー・スコットが監督する、ジョージ・オーウェルの「1984」をモチーフとして、IBMを独裁者に見立てたCMは、スーパーボール中、全米に流され、大きな話題となった。

 そして、株主総会で、まるでロックスターかのような存在感をジョブズは見せるのである。

 しかし、翌年リドリーの弟、トニー・スコット監督によるCMは不評に終わり、業績も思うに任せない状況が続くなか、ジョブズは30歳にして自らが築いた会社を去ることになってしまう。

 1989年1月、ジョンの半生を追ったドキュメンタリー映画『イマジン』(1988)が日本公開となった。同じ年、熱狂の武道館公演以来23年目にして、ついに「ビートル」の来日公演をリンゴが実現。

 1980年の事件もあり実現は無理と半ばあきらめられていたポールも翌年来日を果たし、91年にはジョージもやって来て、ようやく日本のファン長年の夢は実現した。

 さらに、映画『イマジン』で掘り起こされたジョンの音源に、残るビートルたちの演奏を加えた「real love」などが、「ビートルズ」としてシングル発売され1996年に世界中でヒット、既にCD世代となっていた若者たちにもビートルズは身近なものとなっていった。

 こうした「復活劇」にテクノロジーが果たした役割は計り知れないが、同じ頃、テクノロジーがアニメーション映画の歴史を変えた『トイ・ストーリー』(1995)も公開されていた。・・・・・・

 

○「ポール・マッカートニーのベスト・ソング TOP10」を米サイトConsequence of Soundが発表

10. “Vanilla Sky”
Album: Music From Vanilla Sky (2001)

9. “Coming Up”
Album: McCartney II (1980)

8. “My Brave Face”
Album: Flowers in the Dirt (1989)

7. “Another Day”
Album: ”Another Day” single (1970)

6. “Dear Boy”
Album: Ram (1971)

5. “The World Tonight”
Album: Flaming Pie (1997)

4. “Here Today”
Album: Tug of War (1982)

3. “Uncle Albert / Admiral Halsey”
Album: Ram (1971)

2. “Every Night”
Album: McCartney (1970)

1. “Maybe I’m Amazed”
Album: McCartney (1970)

 

「ポール・マッカートニーのベスト・ソング TOP21」を米サイトGrantlandが発表

21. "Country Dreamer," "Helen Wheels" B-side (1973)
20. "That Would Be Something," McCartney (1970)
19. "No Values," Give My Regards to Broad Street (1984)
18. "Friends to Go," Chaos and Creation in the Backyard (2005)
17. "Little Willow," Flaming Pie (1997)
16. "Magneto and Titanium Man," Venus and Mars (1975)
15. "The Pound Is Sinking," Tug of War (1982)
14. "Rinse the Raindrops," Driving Rain (2001)
13. "I'll Give You a Ring," "Take It Away" B-side (1982)
12. "Don't Let It Bring You Down," London Town (1978)
11. "I'm Carrying," London Town (1978)
10. "Mama's Little Girl," "Put It There" B-side (Recorded 1972)
9. "Golden Earth Girl," Off the Ground (1993)
8. "Nothing Too Much Just Out of Sight," Electric Arguments (2008)
7. "Wanderlust," Tug of War (1982)
6. "Some People Never Know," Wild Life (1971)
5. "Beware My Love," Wings at the Speed of Sound (1976)
4. "Monkberry Moon Delight," Ram (1971)
3. "Treat Her Gently/Lonely Old People," Venus and Mars (1975)
2. "Oh Woman, Oh Why," "Another Day" B-side (1971)
1. "Little Lamb Dragonfly," Red Rose Speedway (1973)

 

 

来日中のポール・マッカートニー、Surfaceと電撃コラボ!

 

 11年ぶり4回目の単独来日公演となる「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」を、11月11日からスタートしているポール・マッカートニー。これまでの単独来日公演にはなかったザ・ビートルズ時代のヒットナンバーを披露しているほか、新曲「NEW」を引っ提げての公演ということもあり、話題を集めている。 そのポール・マッカートニーが、来日にあわせて、日本マイクロソフトのタブレット「Surface」との電撃コラボを展開しているのだ。

 何の予告もなく開始されたこのコラボは、SurfaceのTVCMに、ポール・マッカートニーの新曲「NEW」が使用されたスペシャルバージョンを用意し、期間限定でオンエアするというもの。通常版では、クリス・ペプラー氏による特徴説明を中心としているが、同じ映像を使用しながら、音楽をマッカートニーの歌声に変えたことで、まったく雰囲気が異なるものとなっている。最後のクリス・ペプラー氏による「これさえあれば、何もいらない」のフレーズは共通だ。

 11日、12日の大阪・京セラドーム、15日の福岡ヤフオク!ドーム、18日、19日、21日の東京ドームでの公演にあわせて、11月10日〜20日までオンエアされることになる。

 今回の来日にあわせたコラボTVCMは、ポールファン、Surfaceファンに限らず、ぜひ見てほしい。

マイクロソフト Surface Pro 128GB [Windowsタブレット・Office付き] 5NV-00001

マイクロソフト Surface 2 32GB 単体モデル [Windowsタブレット・Office付き] P3W-00012 (シルバー)

 

 

 
◆ポール・マッカートニー記事
※(2011-05/09)
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お千代さん恐怖の黒歴史

2013年11月13日 | 芸能ログ

○故・島倉千代子さんに合掌──細木数子に“地獄を見せられた”波乱の人生に幕

 

  芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 「東京だよおっ母さん」や「この世の花」のヒットで戦後の歌謡史を飾り、「人生いろいろ」で庶民を励ました島倉千代子さんが、肝臓がんのため死去、享年75歳だった。

 島倉さんといえば、決して忘れられないのは、細木数子女史が絡んだ愛人の借金問題だ。ヒット曲を次々に飛ばして大スターだった島倉さんは、1961年にファンが投げたテープが目に当たって失明寸前に陥った。島倉さんの目を救ったのは当時、五反田で眼科医を開業していたM医師だった。失明の危機を救ってくれたM医師は島倉さんにとっては“命の恩人”。ところが、その感情がいつの日にか愛情に変わっていた。

 しかし当時、島倉さんは元阪神タイガースの藤本勝巳内野手と結婚していたために、M医師とは不倫関係に陥った。その後、離婚が成立。島倉さんは、晴れてM医師との関係を深めた。

 だが、金のなる木をつかんだM医師は眼科以外の事業に手を出して、失敗。振り出した手形が不渡りになって、2億4,000万円という莫大な負債を抱え、蒸発した。すると、手形の裏書をした島倉さんの元には、連日のように暴力団関係の債権者が押しかけ、激しい取り立てをしたという。ショーが終わって新宿コマ劇場の楽屋を出て車に乗ると、暴力団関係者が車のボンネットの上に乗って嫌がらせをするなど、地獄の日々を送った。

 そんな時に島倉さんの前に現れたのが、占い師になる前の細木数子女史だった。2人は「ミュージック・オフィス」という事務所を設立。一緒になって、借金を返済してくれるという細木女史は、島倉さんにとって救世主だった。細木女史と組んだのち、大スターだったため、電車の切符の買い方も知らなかった島倉さんは、借金返済のために電車にも乗って働き続けたという。しかし、働けど働けど、借金は減らず。逆に2億4,000万円が12億円の負債に膨らんだという。

 いくら世間知らずの島倉さんでも、おかしいと思ったようだ。一説には、細木女史は愛人だった暴力団組長とグルになって、島倉さんを騙していたともいわれた。騙されたことに気がついた島倉さんは当時のコロムビアレコードの会長に泣きついて、借金を肩代わりしてもらい、細木女史と袂を分かったというのだ。

筆者は、この一件について島倉さんに直接取材したが、島倉さんは「細木さんは、一度はお世話になった方。死んでも真相は話しません」と固く口を閉ざした。

 それからしばらくたってから、細木女史が占い師としてデビュー。取材に行った筆者は、細木女史の暴力団組長の愛人について質問したところ、「昔だったら、人別帳に載っていない人」と答えたので、それをそのまま掲載したところ、細木女史から「こんな品性下劣な記者に初めて会った」とお叱りをいただいた。その後、占いなどで暴利をむさぼり続けている細木女史には、その言葉をソックリ返したいと思ったものだ。

 細木女史に見なくてもいい地獄を見せられながらも、再起して歌い続けた島倉さんに、あらためて合掌!

 

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(2016-5)ここ上記に挙がっている記事は、2013年のネットの玄関サイトに挙がってたニュース系記事ですが、この記事に書かれている趣旨は、「細木数子の黒い真実」や「細木数子-魔女の履歴書」「細木数子 地獄への道」などのノンフィクション、告発系ルポルタージュ本を読めばとても詳しく書かれていてよく解ります。最初に読んだのは「細木数子の黒い真実」だったかな。読んだあと直ぐに、当時、僕は毎週「週刊現代」を読んでて、溝口敦さんの細木数子リポートの連載が始まり、興味深く毎週、「週刊現代」の特集連載記事を読んでた。連載修了後、このリポートは加筆·再編集されて書籍化したので、僕はこの単行本も買って来て読んだ。当時のネットで「細木数子-被害者の会」なるものの存在を知って、細木数子の背景に驚き、胡散臭く思うようになり、「細木数子の黒い真実」「細木数子-魔女の履歴書」と立て続けに読んだことで、その正体を知った。それまでは恥ずかしい話ながら、毎日のようにTV で見る細木数子を、その占いも人物もけっこう信用していた。だが「細木数子の黒い真実」と「細木数子 魔女の履歴書」を読んだことで、その人物評は180度変わり、悪いイメージが徹底した。また、そういう背景の胡散臭い人物も視聴率が取れるならば持ち上げてスターとして掲げる、メディアの裏側の拝金主義に、世の中の汚く醜い一面を覚えた。メディア側に居て娯楽を作る人たちは、そこに居る立場だからこそ、細木数子の背景なんて元からよく知ってたろうに、細木数子が視聴率を取れるキャラクターであると、視聴率を得るためだけに、解っていてもその黒い背景には目を瞑って、スターとして持ち上げ続けて大衆を煽る。視聴率という金になるからだ。

 僕は男のくせに、若い頃からけっこう占い好きで、調度、“血液型と性格”に興味を持った頃かな、18歳末か19歳頃か、西洋占星術、いわゆる星占いも興味を持ちました。20代になると、四柱推命にも興味持ったし、この頃からずっと、恥ずかしながら占い好きでしたね。細木数子の六星占術に興味持ったのは30代かな。昔は 、九星術から十二支から、占いは何でも好きで、占いというと全部調べて見てました。それでも、気学とか方位学とか、 風水とかはやったことないですね。風水とか何か面倒くさくて。風水は興味持たなかったなあ。手相は20代はよく、街の辻占い師に見て貰ってましたね。毎回、当時の相場の2千円とか3千円とか払って、いろんな街の占いの爺さん婆さんに、何度も。馬鹿ですねー。手相の本も今の年齢までの生涯で10冊と言わず買ってますね。

 僕は20代30代って、あんまりTV 見なかったんで、細木数子はよく知らなかったんですが、若い頃の僕は毎日のように本屋へ行ってたんで、目に着いた「六星占術」の本を買って来て、“四柱推命”と似てるなー、とか思いながら読んでました。30代末から40代くらいになると、仕事から帰って来ると、家で、ちょっと遅い夕飯食べてるときに、母親がテレビで細木数子が出てる、何か人生相談みたいな番組を熱心に見てる。当時の僕はあんまりTV 見る方じゃなかったけど、夕飯食べながら何気なく番組見てた。何か毎回見てる内に、信じて来ましたねえ、細木数子の六星占術。番組内で細木数子が「地獄に落ちるわよ」と言うとき、TV 見てる僕も戦慄して怖くなったもんです。

 僕も用心深いように見えて抜けている、というか間抜けな部分も大きく、案外、お人好しな面も多くて、若い頃は詐欺に掛かったことも騙されたこともあります。けっこう信じてしまいやすい。TV 視聴率の女王に君臨した頃の、時代のカリスマ然としていた細木数子を、他の数多くの視聴者·大衆同様、僕も信じていました。あの当時、後から出て来て、美輪明宏と共に、一方のカリスマとなった、江原啓之も信じてましたねえ。何か馬鹿ですねえ。当時の番組の中で、霊障があるというロケ地の通りで、江原啓之が「おおっ!」とか言いながら、背中をまるめてヨタヨタして見せる。案内役タレントが、どうしたのかと訊くと、江原啓之が「今、突然、子供の霊が背中におぶさって来た」と答える…。番組でやるこういうパフォーマンスを全て、当時の僕は信じてました。馬鹿ですねえ、ホント。

 以前、TV によく出ていた頃の話で、細木数子が直接占ったら、最低でも30分=10万円と言ってたから、もうちょっと詳しく占ったら、もっとお金が掛かるのだろう。当時のとある番組の中で、被占い者、まあ、占いをして貰うお客さんの一人、イイトシのオバハンが高額な占い見料払って、細木数子に罵倒されるように怒られて泣いている場面が映ってた。これはTV では、その後、怒り狂う細木数子が罵倒して泣いているオバハンに、金返すから「帰れ!」って言って、細木数子の弟子か使用人に、返金するよう命じて泣いてるオバハンを外に摘まみ出したんだっけかな(?)。昔見た番組だから細部はよく覚えてないけど、TV のカメラが回ってたからあれで済んだ映像だったんだろうけど。多分、占い見て貰いに来た客を値踏みして、30分10万の、あんまり金持ってなさそうな、頭が悪そうに見える一般人だと踏んだら、ロクに占いもせずに説教だけして返すんだろうな。カメラがあったから、あのときは返金したが、少しでも言葉を掛けたら、しっかり最低10万の見料取ってたんだろ。

  結局、“搾取”ですよね。僕は細木数子は相当、頭の良いオバハンだと思っていた。知識もあったし、相当に弁が立つ。仏教などの勉強もかなりしていると思う。占いもね、易教や方位学など古典的なものから、かなり本格的に勉強してるし(僕にはそう見えたけど、案外、師匠筋となる安岡正篤の占術だけかも知れませんが)、ある程度教養も身に付けてますよね。論理的に畳み掛けて行く論理力もありましたよね。但し、これは肝の座った動じない胆力と、ここぞと見たら容赦なく恫喝する、計算された、何ていうんだろう、人と相対して話をする駆け引きのうまさも含んだ、やっぱりコミニュケーション力なのかな。相手を呑み込む力。こういう技術に裏打ちされたものだな。たいした“ワル”なんだけど、人間力持ってる、っていう。何か凄い自信があるし、ハッタリも利くよね。威圧感。やっぱり、渡って来た凄まじい人生が作り上げた、何か、持ってるんだろうなあ。“ワル”くて頭が相当良い。こういう人が、精神的に弱い方で頭もそんなに良くない、どっちかっていうとヒトノイイ、一般大衆を搾取する。悩みを抱えた一般大衆から搾取して大金持ちになる。

 確か、本には、占いを見て、とても悪いがこうしたら良くなる、とか解決法を言って、それが基本、先祖供養で、高額なお墓を買わせる、霊感商法みたいなやり方で金儲けしてたんだと書いてありました。僕が本を読んだのは、もう10年近く前になるので内容は詳細は忘れましたが、「娘茶屋」の家に生まれて、学校はロクに出てないが十代で水商売の店を経営したんだっけかな(?)、十代でもうホステスはやってたんだよな、若い頃から商才に長けていて頭が良く、その後、地域のヤクザの親分の奥さん、アネサンになり、社会的地位もある高名な占術家が高齢で、その金持ち老人の愛人になり、もう先の見えないヨボヨボ状態の高齢占術家と、まるで“後妻業”の如くムリムリ結婚して、六星占術の元となった占いの秘法を盗み、これはこの高名占術爺さんが死んだ後、財産も譲り受けたんだっけかな(?)。まあ、詳細は忘れましたけどね。戦後の焼け跡から昭和の時代、波乱の人生を生きて来た怪物みたいなオバハンですよね。もう78歳だから婆さんか。細木数子、TVによく出てたとき、自分は120歳まで生きる、って豪語してたけど、現在78歳。どうだろうか?120歳!

 前に読んだ週刊誌の記事で、細木数子は京都だっけかな、何か宗教の本山みたいな、大教会みたいな建造物立て、そこを道場と称しているけど、そこに居ると、昔、ヤクザの親分の奥さんだった頃の、子分筋の旧知の男たちが「アネサン、アネサン」と慕ってやって来るんで、「おまえたち、来るな!」と追い返している、とか書いてました。これももうだいぶ前の週刊誌だったけど。「細木数子の黒い真実」「細木数子-魔女の履歴書」「細木数子 地獄への道」の三冊は是非お薦めです。面白いですよ。戦後の豪傑女の吸血鬼的人生。

 さようなら細木数子 単行本 上村 孝男 (著)

 「さようなら 細木数子」という本が2010年に出てるんですけど、この本は、もともと、2005年に出した「細木数子 地獄への道」を、加筆修正して、細木数子の占いの、有名人への占い結果も含めて、占いが当たった確率を記したものらしい。うろ覚えだけど、確か、細木数子の占いの当たった確立は40数パーセントとか言ってなかったか。以前、何かで読んだのかな。40%とは、半分近く当たっているんだから凄いけど、逆に見れば50%以上は外れてるんですね。半分当たる確率も持たない。

 細木数子の占い人生の何よりの罪は、霊感商法ですね。詐欺まがい新宗教みたいなこともやってたんですね。セミナーみたいな勉強会というのを開いて、参加料を皮切りに次々とグッズを買わせて行く。その内、段階が上がった参加者は、京都の本部みたいなトコの道場に呼びつけて、脅迫的な恫喝の挙げ句、高額な仏壇や墓石を買わせて、仏具屋や墓石店からバックマージンを貰う。占いで脅し上げてるから、被洗脳状態の勉強会参加者は怖くて怖くて言われたままに高額なお墓を買ってしまう。

 「細木数子 被害者の会」なるものが存在してたくらいだから、訴えられたことも何度もあったでしょうね。何か、佐賀での訴訟が有名らしいけど、結局、詐欺罪や恐喝罪での逮捕はないから、刑事事件にまでなることはなかったんでしょうね。多分、宗教や占いの「詐欺罪」を立証するのはなかなか難しいんでしょうね。宗教、占いといったら、必ず霊感商法なんですけどね。そういうものにすがる被害者の方にも、何か落ち度みたいな面があるのか。心の弱みをグイッて抉られちゃうと、脳味噌が混乱して常識的思考ができなくなるんだろうなあ。精神的に弱い人や、精神的に弱い立場に陥ってる者は、自信たっぷりに尊大に、威圧感を持って恫喝されれば、訳解らなくなって動揺し混乱して、言われた通りになってしまうんでしょう。もう、洗脳方法ですね。

 正に弱肉強食の体現者だな。悩める弱い庶民を喰い物にして肥え太る。しかし、僕も含めて人って占いが好きだなあ。占いに嵌まる心の弱さという隙間に入り込んで、狡猾にふてぶてしく金儲けする、計算高く冷酷なオバハン。もう婆さんか。でも多分きっと、シビアな反面、アネゴ肌の良い面も持ってはいるんでしょうね。少しは。

 人生を極端に分けて言うと、良いとき·悪いときがある訳ですが、例えば四柱推命だと10年周期、六星占術だと12年周期で運勢が巡るという解説ですね。それで良い年·悪い年って言う訳だし、占い師が見るとき、その人の誕生年月日から計算して運勢年表みたく書いて、未来予言みたいにしてその人の将来の運勢見て行く訳ですが、まあ、占いは当たるも八卦·当たらぬも八卦の世界ですからね。僕も30代くらいまでは、四柱推命の本を何冊も買って来て、計算して自分の命式を作ったりとかして、あとは手相の本を何冊も見て、占いに凝ってましたが、この歳になるともう占いとかドーデモイイって感覚ですね。今はあんまり興味ないかな。占い関係の本もしばらく読んでないかな。手相も見ないし。30代までは凝ってた四柱推命も詳しい内容は忘れてしまってます。細木数子の六星占術って、元は算命占術とかってものだっけかな(?)。忘れた。何かで読んだんだけど。もう占いにあんまり興味ないから、今さら占いのこと調べ直そうとも思わないしなあ。ただ、人は誰も間違いなく、運勢の良い悪いという、運の流れはありますよ。何をやっても上手く行く良いときと、何をやっても上手く行かない運勢の悪い時期。これはみんなあります。不思議と運の流れはありますね。幼児期から死ぬときまで、ずーっと幸運なんて人は居ません。必ず、誰しも運の良い時期と、何をやってもダメなくさる時期があります。順風満帆が10年も15年も続くってことはない。16年目に人生の落とし穴に落ちて、そこからしばらく苦しい時代が来たりする。この運気の流れはみんな違うしいつどうなるか解らないものですね。

 だから悪いときが続いている人も、ある年から運の目が変わるときが来る。例えば、中学校時代に苛めに合ってて苦労した子供も、高校生になったら運の目が変わって、苛め地獄から抜け出して、楽しい学園生活が来たりする。運は周期的に変わる。悪い時期が続いた人も、何年目かには運の目が変わって良い時代が来る。人生は雨の日ばかりではない。その後は必ず、良い時代が来る。運とは、人生とはそういうものです。

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障害者虐待実情

2013年11月11日 | 時事社会ログ

○<障害者虐待>1524件認定 防止法半年で通報の3割

 

  障害者虐待防止法施行(昨年10月)から半年の全国の通報や認定の状況を厚生労働省がまとめた。国による集計は初めてで、通報は4502件に上り、このうち3分の1の1524件で虐待があったと認定された。虐待された障害者は半年間で1699人に達し、うち8割程度が知的障害か精神障害を抱え、苦しみを伝えにくい人が被害に遭いやすい実態が浮き彫りになった。

 集計では、家庭の養護者による虐待、福祉施設での虐待、職場での虐待の三つに分類。家庭の虐待通報は3260件あり、うち1311件(約40%)で虐待を認定し、一時保護などの措置を取った。認定された虐待の86%が家庭で起きた形。虐待の内容は身体的虐待が60.3%を占め、暴言や無視など心理的虐待34.8%▽賃金の搾取など経済的虐待27.2%▽介助などの放棄・放置21.1%−−など。

 被害者は40〜50代が41.5%を占め、虐待したのは60歳以上が36.7%。高齢の親と中高年の子が孤立し、虐待につながっている状況が浮かんだ。

 福祉施設での虐待の通報は939件で、うち認定されたのは80件。割合は約9%で、家庭での虐待とは大きな差がみられた。同省などによると関係者が多岐にわたる上、施設側が調査に非協力的な場合もあり、事実関係の確認に時間がかかるという。虐待被害者は家庭での虐待とは違って20〜30代が半数近くを占め、虐待の内訳では身体的虐待が57.5%と最多。性的虐待も12.5%と目立った。

 職場での虐待の通報は303件で、うち認定されたのは133件(約44%)。最低賃金法違反など経済的虐待が84.5%を占めた。

 虐待されたと認定された1699人が抱える障害(複数回答)は、知的障害52.4%▽精神障害33.7%▽身体障害25.1%−−など。厚労省は「助けてと言いにくい人の被害が多く、重く受け止める」としている。障害者虐待防止法は施行3年で見直すことが定められており、同省は今後の対応を検討する。

 

障害者虐待1500件、家族が8割・死亡3人

 

  昨年10月の障害者虐待防止法の施行後、今年3月末までの半年間で虐待の相談・通報が全国の自治体に計4502件寄せられ、このうち1524件で1699人が虐待を受けたと認定されたことが厚生労働省の初調査でわかった。

 家族や親族らによる虐待が8割を超え、3人が死亡していた。

 調査は、全国の1742市区町村と47都道府県を対象に実施。昨年10月からの半年間に寄せられた相談・通報件数や、自治体の対応状況などを聞いた。

 認定された1524件のうち、障害者の家族や親族ら身の回りの世話をする人によるものが1311件と86%を占めた。福祉施設の職員らによるものが5%、職場の雇用主らによるものが9%だった。

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