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星由里子さん逝く

2018年06月01日 | 芸能ログ

加山雄三 星さん悲報に「澄ちゃんの存在は永遠」、役名で悼む

 

 心房細動および肺がんのため16日に京都市の病院で74歳で死去した女優星由里子(ほし・ゆりこ、本名清水由里子=しみず・ゆりこ)さんの悲報に触れた芸能関係者が18日、悲しみのコメントを寄せた。映画「若大将」シリーズで共演した加山雄三(81)は「澄ちゃんありがとう」と、星さんが演じたマドンナの名前を使って追悼。葬儀は家族葬で営み、後日「お別れの会」を行う。

 星さんの訃報を所属の東宝芸能が18日に正式に発表した。関係者によると、昨年秋に心房細動(不整脈)が出て治療を始め、年明けに肺がんが見つかった。5月に入って体調の不調を訴えて入院。不整脈を抱える中でどういう治療が効果的かを医師と相談していた直後に容体が急変し、16日午後11時5分に夫の清水正裕氏にみとられて息を引き取った。

 1月に中国映画、2〜3月に日本映画と、未発表の作品に2本出演し3月末に行われた東宝芸能の年度末懇親会にも出席。「痩せていることもなかったし、お元気で病気ということを感じさせなかった」と関係者は説明。がんが見つかった後も「仕事を入れてね」と要望するなど前向きだったという。

 スクリーンや舞台を爽やかに彩った星さん。1961年に始まった「若大将」シリーズで、全17本のうち第12作「リオの若大将」(68年)まで恋人・澄子を演じた星さんとの突然の別れに加山も言葉を失った。

 「僕は君が先に逝ったことを信じたくないけど…澄ちゃんの存在は永遠だよ。若大将映画の中でマドンナの澄ちゃんは見事に若大将と青大将を盛り上げてくれました。感謝の心いっぱいでお見送りしたいと思います」

 05年から14年まで、5度も「北島三郎特別公演」に花を添えた星さん。北島も「悲しみで胸がいっぱいです。公演中も常に明るくスタッフや共演者にも分け隔てなく接してくれて、俳優としても人間としても素晴らしい方でした」としのんだ。

 ▼司葉子 全く突然で驚きです。星さんのデビュー作は東宝映画「すずかけの散歩道」で私と共演でした。後に舞台でも共演し、とても頑張り屋さんでした。強力なライバルがいなくなって残念です。

 ▼沢口靖子 映画やドラマで娘役をさせていただきました。共演させていただくたびに「あなたにぴったりの役ね」「あなたの代表作になると良いわね」と穏やかに優しくお声を掛けてくださったことは忘れられません。

 

○星由里子さん死去 74歳「若大将」シリーズヒロイン、文芸作品など出演

 

  東宝「若大将」シリーズのヒロイン・澄子役など、さわやかなお嬢さんイメージで人気だった女優の星由里子(ほし・ゆりこ、本名清水由里子=しみず・ゆりこ)さんが16日、肺がんのため京都市の病院で死去した。74歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで営まれる。文芸作品からアクション、怪獣映画まで幅広く活躍した。

 古希を過ぎても若々しく、昨年も「大岡越前スペシャル」(NHK・BSプレミアム)や「水戸黄門」(BS―TBS)などテレビ時代劇を中心に活躍していた星さんが静かに逝った。「健全な娯楽を広く大衆に提供すること」という東宝の企業理念を見事に体現した名女優だった。

 肺がんと闘病していたという情報はなかった。京都の自宅で家人も「急なことでした」と話し、「葬儀は京都のお寺で営みます」とスポニチ本紙の取材に言葉少なに答えた。

 実家は東京・神田の乾物店。5人きょうだいの末っ子として生まれた。58年に東宝が宝塚歌劇団の東京公演にちなんで開催した「ミス・シンデレラ娘」に姉が応募し、当選して芸能界入り。翌59年に「すずかけの散歩道」で銀幕デビューした。60年には浜美枝(74)、田村奈巳(76)とともに「東宝スリーペット」として売り出された。

 加山雄三(81)の主演で61年に始まった「若大将」シリーズが代表作になった。全17本のうち、第12作「リオの若大将」(68年)まで、若大将の恋人・澄子を演じた。一方「モスラ対ゴジラ」(64年)や「クレージーだよ奇想天外」(66年)など特撮映画や娯楽作品でもヒロインを務めた。

 「若大将」シリーズを卒業した後は日活「忘れるものか」(68年)で石原裕次郎さんと共演。翌69年には東映「日本侠客伝 花と籠」で高倉健さんとも共演を果たしている。90年代以降は舞台「蝉しぐれ」(大阪松竹座)や「北島三郎特別公演」、NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」「ほんまもん」、テレビ朝日「科捜研の女 第3シリーズ」「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」などに出演。清そな美しさは健在だった。

 私生活では3度の結婚を経験。最初は69年に財界人の横井英樹氏の長男とゴールインしたが、性格不一致のために3カ月で離婚。75年に脚本家の花登筐氏と再婚したが、83年に死別。その後、90年に会社役員の清水正裕氏と再々婚し、京都市内のホテルで盛大な披露宴を開いて話題を呼んだ。

 ◆星 由里子(ほし・ゆりこ)1943年(昭18)12月6日生まれ、東京都出身。精華学園女子高校(現東海大市原望洋)卒業。1年後輩に吉永小百合がいた。58年に東宝入りし、「八重歯のシンデレラ」のキャッチフレーズで売り出された。成瀬巳喜男、岡本喜八といった巨匠の映画作品にも幅広く重用された。

 

○ 「若大将」シリーズのヒロインの星由里子さん死去

 

  東宝「若大将」シリーズのヒロインなどで知られる女優の星由里子(ほし・ゆりこ、本名清水由里子=しみず・ゆりこ)さんが16日深夜、心房細動および肺がんのため、京都市内の病院で死去した。74歳だった。葬儀・告別式は家族葬で行う予定。関係者によると、今年3月まで新作映画の撮影など、女優としての仕事をしていた。

 58年に東宝に入り、芸能活動をスタートさせた。当時のキャッチフレーズは「八重歯のシンデレラ」。59年「すずかけの散歩道」で映画デビューを果たし、その後は浜美枝、田村奈巳と「東宝スリーペット」として売り出された。

 61年にスタートした加山雄三(81)主演の映画「若大将」シリーズのヒロイン、澄子役に起用され、国民的スターとなった。美貌と清楚(せいそ)な魅力を生かし、その後も、68年「忘れるものか」で石原裕次郎さん、69年に「日本侠客伝 花と籠」で高倉健さんと共演するなど銀幕で活躍を続けた。

 90年代に入ると、活躍の場をテレビや舞台に広げた。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」や、最近では16年にテレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未知子~」にも出演していた。

 私生活では、69年に実業家横井英樹さんの長男と結婚したが、わずか3カ月で離婚。75年に脚本家花登筐(はなと・こばこ)さんと再婚したが83年に死別。90年に会社役員と結婚した。

 

○ 荻野目洋子、初めての連ドラで共演した星由里子さんを追悼「悲しいニュースです」

 

  歌手の荻野目洋子(49)が18日、自身のツイッターを更新し、16日に74歳で亡くなった女優の星由里子(ほし・ゆりこ、本名・清水由里子=しみず・ゆりこ)さんを追悼した。

 荻野目は「おはようございます。西城秀樹さんの訃報に続き、初めての連ドラで共演した星さんの訃報、悲しいニュースです…心よりご冥福をお祈り致します」と悼んだ。

 荻野目は、1986年に主演したTBS系ドラマ「早春物語」で星さんと共演していた。


◆若大将 サーフ & スノー DVD-BOX 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 福田純 (監督) 形式: DVD

◆若大将キャンパス DVD-BOX 加山雄三 (出演), 有島一郎 (出演), 杉江敏男 (監督) 形式: DVD

◆若大将 アラウンド・ザ・ワールド [DVD] 加山雄三 (出演), 有島一郎 (出演), 岩内克己 (監督) 形式: DVD

◆エレキの若大将 [DVD] 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 岩内克己 (監督) 形式: DVD

◆大学の若大将 [DVD] 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 杉江敏男 (監督) 形式: DVD

◆クレージーだよ 奇想天外 [DVD] 谷啓 (出演), ハナ肇 (出演), 坪島孝 (監督) 形式: DVD

◆わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語 [DVD] 緒形直人 (出演), 水野真紀 (出演), 大森一樹 (監督) 形式: DVD

◆今日もわれ大空にあり [東宝DVD名作セレクション] 三橋達也 (出演), 佐藤允 (出演), 古澤憲吾 (監督) 形式: DVD


 星由里子さんというと先ず真っ先に思い浮かぶのは勿論、東宝往年の加山雄三主演の大ヒットシリーズ「若大将シリーズ」のヒロイン、“澄ちゃん”ですが、その次に星由里子さんと聞いて思い出すのは、僕が中学生時に見た、テレビ放映の連続ドラマ「さくらんぼ」です。ドラマ「さくらんぼ」のオリジナル放送は67年の12月から68年1月の間、キー局NET (今のテレ朝)系列で毎週木曜夜10時に、全八回で放映されたらしいのですが、僕がドラマを見たのは中学生時の冬休みの間のウイークデー毎日午後でした。午後1時頃から放送してたんだろうか。時間的に僕が見た分は多分、再放送だったんだと思います。

 「さくらんぼ」はジャンル的にはホームドラマで、星由里子演じる主人公が二十代前半のOL という立ち位置で、友人や恋人の男性とのあれこれ若者世代のやり取りがあり、ホームドラマだからこその父母兄弟との家庭でのやり取りがあり、家庭でのちょっとしたイザコザ、仕事や結婚を見据えた恋愛の悩みなど、青春恋愛ものでもありました。そんなに深刻な問題もない、当時の若者青春群像劇みたいな。

 若いOL で、中流のキチンとした家庭の娘さん役の星由里子さんが、清楚で綺麗で凛としてて魅力的で、恋人役は大きな会社に勤めてて余技で会社の剣道部に入ってて、剣道でも活躍してる爽やかでカッコ良い青年で、演じていたのは山口崇さんだった。他の出演者なんて全然覚えてないけど。他に石立鉄男·松山省三·中村敦夫·笠智衆とかの、名俳優の出演があったんですね。星由里子·山口崇の他は全く記憶してない。

 ドラマオープニングのタイトルバックの主題歌、♪おひとついかが さくらんぼ あなたが好きよ~… とかって歌も好きだったし、多分再放送だろうが僕がドラマ見てたのは中学生の冬休みのときで、僕も年頃的に本格的に色気着いて来た頃だし、ドラマはほんわか恋愛ムードもあったし主演の星由里子は綺麗なお姉さんで憧れるし、何かその先大人になってもずっと印象深く記憶に残り続けた青春ドラマでしたね。お話のベースが特に深刻な問題のない、社会人若者等身大の生活を描いてたのが、安心して見れる青春ドラマで良かったのかも。

 この後も星由里子さんはいろんな映画やドラマで活躍し、また歳を重ねて中年域になられても気品のある美しさを持ち続け、六十代に入っても各ドラマで重要な脇役を好演されていました。

◆アルプスの若大将 [DVD] 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 古沢憲吾 (監督) 形式: DVD

◆世界大戦争 [東宝DVD名作セレクション] フランキー堺 (出演), 宝田明 (出演), & 2 その他 形式: DVD

◆グレイテスト・ヒッツ ~アビーロード・スタジオ・マスタリング CD Yuzo Kayama 加山雄三 形式: CD

◆加山雄三 シングル・コレクション 加山雄三 形式: CD


 僕が小学生~中学生だった九年間住んでた家は商店街に面していて、当時は街は大いに賑わっていて昼間の人通りも多く、通りの両サイドには、食料品店·肉屋·複数の洋服屋·家具屋·文房具屋·酒屋·製氷店·オモチャ屋·自転車屋·寿司屋·中華料理屋·歯医者·内科医院·喫茶店·パチンコ屋·軽食飲食店と、通りに隙間ないようにぎっしり商店が並んでいた。また、家の前の通りから少し歩いて踏切を渡るとアーケード商店街に続いていて、この、先で直ぐに分岐するアーケード商店街も当時はたいそうな賑わいだった。現在は、というより数十年前から当時僕の住んでた家自体はもうないのだが、現在のその通りはおよそ商店街と呼ぶにはほど遠い、空き地と空き家と少数の民家という寂しい通りになっている。また、通りから続くアーケード商店街もシャッター通り商店街と化して人通りも本当に少なくなっている。

 僕の住んでるT 市は終戦の二年前にI 町とG 町が合併してできた市で、昔の賑わいを考えると、僕の小学生時代には現在の三倍くらいの人口が居たんじゃないかと思う(あの賑わいを思い出すともっと居たようにイメージする。あの当時は街々に活気が溢れてたし)。僕が街に越して来た六歳の頃、市内には七館の映画館があった。その内の一つが、当時僕の住んでた家の斜め前にあった。七館の内四館は僕が小学校三年生くらいまでの間になくなった。その中には火事で焼けてそのまましばらく空き地になっていたとこもあった。僕が中学校に上がった頃には市内の映画館は二つだけになっていた。

 僕が家の斜め前の映画館で初めて見た映画は、小学校一年生時の夏、東宝の怪獣映画「キングコング対ゴジラ」だった。生まれて初めて映画館で見た映画は、僕がまだ5歳のときG 町の映画館で見た、同じく東宝の怪獣映画「モスラ」だった。僕は「キングコング対ゴジラ」を皮切りに家の斜め前の映画館によく行くようになる。最初の頃は同級生の友達と行っていたが、その内映画館には一人で行くようになった。タマに親父の顔パスやウチの事務所に出入りしてる顔利きのオッチャンの顔とかでタダで入ることもあった。親父の仕事関係の人の奥さんが映画館で働いていて、そのセンでタダで入ったこともあった。東宝の怪獣映画で始まった僕の映画館通いは、クレイジーキャッツの喜劇映画、後にはドリフターズやコント55号の喜劇映画、他には何故か東宝の恋愛映画まで見に行ってた。多分、森繁久彌の社長シリーズとか駅前旅館みたいな喜劇映画も見に行ってる。東宝だけでなく、日活の石原裕次郎や吉永小百合、坂本九の映画も、この映画館で見た記憶もある。

 この時代、僕が特に大好きだったのが、クレイジーキャッツも怪獣映画も好きだったけど、何と言っても加山雄三の「若大将シリーズ」。加山雄三演じる田沼雄一はカッコ良くって憧れたなぁ。ギターが弾けて歌が上手くてスポーツ万能で、正義感が強くて男らしくて爽やかで、女の子にモテモテで、とにかくカッコ良くて憧れた。一応若大将の友達の一人で、金持ちのボンボンの馬鹿息子然としていて、狡くてセコくて何か心根の汚い野郎イメージの青大将も、その品性卑しい根性に腹が立ちながらも、間の抜けたトコが多くて、カッコ悪さが可笑しくていつも笑わせられた。いつもカッコ良い若大将と好対象の青大将がドラマに良い味出してましたね。そして何よりも星由里子演じるヒロイン、“澄ちゃん”が清楚でちょっと凛としていて、綺麗なお姉さんで憧れたなぁ。若大将は田沼雄一、青大将は石山新二郎(新次郎)で全作品通してたけど、“澄ちゃん”は下の名前は「澄子」で固定だけど名字は作品ごとに違うんですよね。

 僕が初めて見た「若大将シリーズ」は「海の若大将」で、公開は65年の夏。そこからは、家の斜め前の映画館に「若大将シリーズ」の新作が懸かるたびに見に行った。68年夏公開の「リオの若大将」はどうだろうか?68年の夏は僕はもう中学生だから見に行ってないかな。僕が中学校に上がったくらいから家の経済状態が傾いて来たから、小学生時代みたいに頻繁に映画を見に行けなくなった。中二からは全く映画見に行ってない。67年12月公開の「ゴーゴー若大将」は、僕はまだ小学校六年生だから見に行ってると思うんだけど、はっきりしないな。67年夏公開の「南太平洋の若大将」はどうだろうなぁ?もっとも「若大将シリーズ」は大人になってから、都会の名画座で「若大将シリーズ」特集とかでやってたシリーズ三本立、五本立とかで見てるし、またテレビ放映したものもあったしで、子供時代・大人になってから合わせて、多分僕は「若大将シリーズ」は全作見てる。67年の東宝の正月映画である「レッツゴー若大将」は、間違いなく家の斜め前の映画館で見てる。これは記憶している。

 「若大将シリーズ」は大人になってリバイバル上映やテレビ放映で見たものを含めて、多分全作品見てると思うけど、やっぱり一番印象に残ってて一番好きなのは、一番って二作だけど「エレキの若大将」と「アルプスの若大将」ですね。僕の10歳11歳のとき。“澄ちゃん”は素敵なお姉さんだったな。僕はまだガキだったけど、何かホンワカ憧れていたと思う。

 主人公・田沼雄一が大学生時の「若大将シリーズ」のヒロインは全部、星由里子さんだった。後々大人になって見た社会人「若大将シリーズ」ではヒロインは酒井和歌子さんなんだけど、勿論、社会人「若大将シリーズ」も加山雄三が主演したものは全て見ているけど、何か酒井和歌子さんのマドンナの印象は薄い。「若大将シリーズ」というと、やっぱり“澄ちゃん”の星由里子さん。酒井和歌子さんも綺麗で魅力的な人で憧れた女優さんだったけど、「若大将シリーズ」の星由里子さんは何か別格だったなぁ。

 僕はクレイジー喜劇や怪獣特撮や若大将シリーズ以外にも、家の斜め前の映画館で見てるんで、当時は星由里子さん出演の恋愛映画なども見ている。また、「モスラ対ゴジラ」など怪獣特撮にも星由里子さんは出演してましたね。

 僕が美人女優·星由里子さんに憧れてたのって中学生までかなぁ。中三くらいの頃になると酒井和歌子さんの方が憧れが強かったようにも思う。星由里子さんも69年には最初の結婚をしちゃったしね。二度目の結婚が75年で相手は当時の超売れっ子脚本家の花登筐氏。花登筐氏の作風というと、ど根性·人情ものって感じでしたね。貧乏と苛めと逆境にど根性で立ち向かい乗り越える、みたいな。花登筐さんとは83年に死別して、90年に一般人の方と再々婚したんですね。

 星由里子さんは2018年5月、肺の病気で亡くなられました。2016年の統計で日本人女性の平均寿命は87.14歳ですから、星由里子さんの享年74歳というのは病死とはいえ、現代女性で考えると少しばかり早い死だったのかも知れません。僕の子供のときから少年時代、銀幕やテレビの中で憧れた人たちは、男性も女性も大半は現世を去られましたね。寂しいもんですけど自分も歳喰っちゃってるしな。

◆想文~おもひぶみ~ [DVD] 星由里子 (出演), 寺田農 (出演), & 1 その他 形式: DVD

◆日本侠客伝 花と龍 [DVD] 高倉健 (出演), 星由里子 (出演), マキノ雅弘 (監督) 形式: DVD

◆モスラ対ゴジラ【60周年記念版】 [Blu-ray] 宝田明 (出演), 星由里子 (出演), 本多猪四郎 (監督) 形式: Blu-ray

◆クレージーの殴り込み清水港 [DVD] 植木等 (出演), 谷啓 (出演), 坪島孝 (監督) 形式: DVD

 僕が中学生時代の冬休みに再放送で見たドラマ「さくらんぼ」は、あの時代の人気作家·源氏鶏太の小説が原作だったんですね。当時のナショナルゴールデン劇場の時間帯だったらしい。何でも星由里子さんテレビ初出演のドラマなんだとか。このナショナルゴールデン劇場ワクの中で「さくらんぼ」は“フルーツシリーズ”という、同系統ドラマシリーズの第一弾だったらしい。その後に同じく星由里子主演で恋愛コメディ味のホームドラマ、「フルーツポンチ3対3」というドラマが放映されてたらしいのですが、こっちの方は確かにそういうタイトルは聞いたことあるように思うけど、ドラマの内容とか全く記憶にない。中学生の僕は夜10時から放送のドラマは当時は見てないですね。夜10時はまだ寝てはいないだろうけど勉強部屋に引っ込んで何か独り遊びをしてたんでしょう。

 中学生で深夜に籠って独り遊び、って何か意味深だけど、何て言うか僕はもう小さい頃から独り遊びが大好きな子供で、毎日自分オリジナルの漫画描いてたし、架空のプロレス団体を考えて作って自分オリジナルのプロレス新聞書いて独りで喜んでたし、空想の友達が何人か居てずっとエア友達と会話してたし、つまりずっと独り言喋ってたし、他にもいっぱい独り遊びしてたからね。だから夜9時以降は家族とテレビ見るんじゃなくて独り言喋って遊んでた方が多かったと思う。従って多分夜10時からのドラマは見てなくて、たまたま親がテレビ見てるトコに行き合わせて「フルーツポンチ3対3」のタイトルだけが頭に残ってたのかも。まぁ、どっちでもイイ話ですけど。

  話は星由里子さんと全く関係なくなるんだけど、以前、フジ系情報バラエティー「ワイドナショー」を見ていて、月イチくらいのコメンテーター、一応肩書き社会学者の古市憲寿さんが番組の中で話していてツッコマレたりイジラレたりしてたんだけど、古市憲寿さんは家に帰ってから独りになり例えば仕事とかの反省とかしてるとき、空想の相手、実体のないエア相手を作って話し掛けて、つまり独りで対話形式で反省とか今後の方針とかを考えているらしい。つまりこれは外側から見ると一人二役で独り言で対話してるんですね。そうやって昼間の社会生活であったモロモロの反省とか問題考察とか今後どうして行くか、とかを独り考えてる訳ですね。
 
 以前何かの番組で若いアイドルかタレントの女の娘が、自分には家にエア友達が居て、家で独りになるといつもそのエア友達と会話してると話してた。古市さんといいこの若いタレントといい、意外とこういう性癖の人は居るもんなんですね。
 
 僕は子供の頃から如何にも目の前に相手が居るように対話形式の独り言ばかり喋ってたんで、僕の母方の祖母なんかは「あの子は頭がおかしいぞ」とか言ってたんで、僕は子供の頃から漠然と自分は頭がおかしいんだ、って思ってましたが、まぁ、世の中にはけっこうそういう人は居るもんなんですね。僕の場合は、エア友達と普通に子供の親友どおしがするような子供の日常会話のやり取りを独り言でやってた訳ですが。何人か居たエア友達にはみんな名前があって個性も違ってたし。彼らが消えたのは僕が高校に進学する前くらいかなぁ…。
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科学雑誌ニュートン

2017年03月01日 | ブックログ

○科学雑誌「ニュートン」出版社の元社長ら逮捕 出資法違反の疑い

 

  科学雑誌「Newton(ニュートン)」を発行する出版社ニュートンプレス(東京都渋谷区)の元社長、高森圭介容疑者(77)ら2人が2017年2月17日、出資法違反の容疑で山口県警に逮捕された。各メディアが報じた。

   報道などによると、高森容疑者らは定期購読者3人に元本と年5%の利息を約束して出資を募り、計1200万円を集めた疑いがもたれている。容疑を否認しているという。

   「ニュートン」は1981年創刊の科学雑誌で、最新の科学研究を写真やイラストを交えて紹介している。初代編集長は地球物理学者の故竹内均・東京大名誉教授が務めていた。

 

○科学誌「ニュートン」元代表取締役逮捕 出資法違反容疑

 

   教材の開発名目で不正に現金を預かったとして、山口県警は17日、科学雑誌「Newton(ニュートン)」を発行するニュートンプレスの元代表取締役、高森圭介(77)=東京都杉並区永福4丁目=、子会社の管理部長関博和(69)=さいたま市南区白幡4丁目=の両容疑者を出資法違反預かり金の禁止)の疑いで逮捕し、発表した。高森容疑者は「お金を借りただけ」と否認し、関容疑者は「不特定多数から集めたわけではない」と一部否認しているという。

 発表によると、2人は2015年2月~16年3月、同誌の定期購読者の70代男性3人から、元本と年5%の利息の支払いなどを約束し、4回にわたって同社の口座に現金計1200万円を振り込ませ、不正に預かった疑いがある。タブレット端末で使用する小中学生向けの理科用教材の開発資金と説明していたという。

 県警によると、15年7月、山口市に住む定期購読者の40代女性が銀行で振り込もうとしていたところ、行員から「多額の振り込みをしている人がいる。詐欺ではないか」と通報があり、その後の捜査で今回の事件が発覚した。

 県警は14年12月~16年3月に43都道府県の266人から出資金として約7億円を集めたとみており、出資金の多くは会社の運転資金に使われたという。

 高森容疑者は昨年末、代表取締役を退任し、現在は子会社の役員を務めているという。

 同社は取材に対し「詳細がわからないのでコメントは差し控えます」としている。

Newton(ニュートン) 2017年 04 月号 [雑誌] 雑誌 – 2017/2/25

脳のしくみ―ここまで解明された最新の脳科学 (ニュートンムック Newton別冊) ムック

食品の科学知識 増補第2版 (ニュートン別冊) ムック – 2016/11/9

体と体質の科学 増補第2版 (ニュートン別冊) ムック – 2016/7/19

 

○ニュートンが民事再生申請 元社長らの出資法違反事件

 

   科学雑誌「Newton」の発行会社ニュートンプレス(東京都渋谷区)は20日、東京地裁に民事再生手続きを申し立てたと発表した。

 

 同社を巡っては、山口県警が17日、雑誌の定期購読者から違法に金を集めたとして、出資法違反容疑で元社長ら2人を逮捕。経営状況が悪化しており、県警は集めた金を運営資金などに充てたとみている。

 

 同社は「元社長の逮捕などさまざまな状況を踏まえ、裁判所の監督を受けながら経営改善を進めることが最良と判断した。Newtonを存続することが社会的使命と考え、全力で再建に臨みたい」とコメントした。

 


 科学情報誌「ニュートン」は1981年に教育社というところから創刊され、今はニュートンプレスという会社が発行している月刊雑誌。創刊当時は40万部も出ていたというんだから、難しそうな科学専門誌がけっこう売れてたんだなぁ、と思う。ちょっと驚きの部数だったんだな。

 僕は一時期この「ニュートン」を愛読していた。まぁ、愛読という程は熱心に読んでた訳じゃないけど、1990年代後半頃、僕はこの「ニュートン」と、講談社から当時出ていた科学情報誌「Quark-クォーク-」を毎月買って来て読んでいた。でも、まぁ、どっちも科学専門誌で難しいから、そんなにちゃんと読んでいたというよりは、まぁ、活字を追っていたというか、パラパラ見てた部分も多い読み方で、気になる箇所だけ読む、テキトー読みかな。

 講談社の科学雑誌「クォーク」は1982年創刊で、97年には休刊(事実上の廃刊)になってる。僕は90年代の半ば頃からニュートンとクォークを買ってたけど、毎月必ずでもなく、まあま、毎月に近く買ってたけど、気が付いたら「Quark-クォーク-」の方はいつの間にかなくなってた。

 んー、ニュートンも買ってたのは2000年代初めくらいまでかな。多分、その内あんまり読まなくなったんだと思う。自慢じゃないが、僕はあんまり頭が良くない。だから、難しい雑誌も毎号、そんなに読み進まない。いわゆる積ん読が溜まる。読まずに置いておくバックナンバーが溜まって行くから、とりあえずバックナンバー読まなきゃ、っていう圧力が自分の中にあって、新しいのを買わなくなったんだな。

 トランプ大統領のイスラム教圏の国や信徒の排除的行動(政策)とか、娘のイヴァンカさんが結婚に際してユダヤ教に改宗してたとか、清水富美加の幸福の科学教への専念と芸能界引退とか、まぁ、世の中では今、宗教がイロイロとクローズアップされてるけど、宗教哲学って言葉があるように、宗教って、その人が生きる、人生の重大なバックボーンになるよね。まぁ、みんな、宗教に限らず、人それぞれに哲学とか思想とか、主義主張とか人生観とか、人間が生きて行く上でのバックボーンみたいな、内なる重大な柱を持つことってあるよね。その重大な柱を宗教にしてる人も多い。無論、無宗教の人でも、自分の内面に確固とした信念を持って生きている人も居る。仕事でも社会運動でも、それが精神的支柱になってる人も多いと思う。

 昔から僕も欲しかったんだよね、自分の内なるバックボーン。それでこの時期、二冊の科学雑誌を毎号読んで頭に科学の教養を着けて、自分のバックボーンにしようと思った。けど、いかんせん元からの頭が悪過ぎて、結局、理想に終わった。科学専門誌は、僕のような理科や数学の素養の全くない人間には、けっこう難しかった。

 でも、僕は昔から何か、自分の精神的支柱が欲しかったんだよね。僕は自分が学もなく頭の悪いこともよく知ってたから、昔から頭の良い人に憧れていた。頭の良い人になりたかった。それで自分の中に、何か“知性者”みたいなバックボーンを築きたかった。だから若い頃からSF とか科学に憧れて、それの何か知識とか情報とか自分の中に取り込んで、自分の中の太い柱にするのが夢だった。でも頭が悪過ぎて単なる夢で終わった。

 SF は俗に別名、「理科系の文学」と呼ばれる。僕は若い頃、SF は普通の文学よりも凄いと思ってた。僕の中ではSF の方が文学よりも上位にあると思って、超リスペクトしてた。文学は単に文学だけど、SF はそこに科学の知識や情報や未来想像力が上乗せされている。それだけでも凄いものだ、と思ってた。だから何かSF を自分の中にモノにしたい、とSF に憧れた。

 まぁ、結果はSFも科学も憧れと夢で終わって、たいして何も身に着かなかった。いかんせん基本的に頭が悪過ぎた。仕方がない。もともと知能も低いし幼少時から勉強大嫌い、子供の頃は活字読むの大嫌いだったし。育った環境も周囲に、教育熱心な人も教養人も、ずば抜けて頭の良いような人も居なかったしな。頭も悪いが運も悪いし。 育った家が書斎があって本がダーッて並んでて、親が教育熱心だったら僕も幼少時から頭が良くなる環境に居たら、もっと頭の良い少年、ひいては知的で頭の良い大人になってたかも知れない。生まれて来る子供は環境は選べないからな。

 かくして僕は自分の中に「哲学」みたいな太い柱、精神的支柱を築けなかった。悲しいね。だから僕には「主義」とかない。個々の事象に対してはその都度、自分自身の意見は考えるけどね。

  本が売れない時代。専門誌がなくなるのは寂しいことだ。社会の文化的にもやはりダメージの大きい現象だと思う。やっぱりネットが原因かなぁ。専門書といえば、大きく分ければ辞書も専門書みたいなところに入りそうだが、今やスマホでネット検索すれば、例えばwebloとか辞書サイトが幾つかあるから、イチイチ本の辞書引かずにスマホやパソコンで調べる。そっちの方が手っ取り早いし。多分、今や辞書や百科事典の売れ行きも落ちてるんだろうなぁ。専門的なことを調べるといえば、間違いも多いとも言われるけど、wikipediaも、簡単なこと調べたいときは重宝する。けっこう詳しく書き込まれてるし。専門家でもなければ何事もそこまで詳しい情報が欲しい訳じゃないし。物事の外郭の情報さえ知れば良いときには、とても便利だ。やっぱり紙の本の脅威の敵はネットなんだろうな。

 紙の本も減少しないで欲しいですね。紙の書物がなくなることがあってはいけない。特に専門書も専門雑誌も。何でも、本がなくなるのは寂しい。

 

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恋のバカンス

2016年08月03日 | 芸能ログ

 ザ・ピーナッツの妹さんの方の伊藤ユミさんが、2016年6月、亡くなられた。お姉さんの方の伊藤エミさんは2012年に亡くなられていた。ザ・ピーナッツは間違いなく、日本エンタティンメント史に残る、アーティストの一グループだと思う。戦後の娯楽界、日本でTV放送が始まってからの、TV黎明期、モノクロテレビの娯楽番組を支えた、多くの芸能人の中の、レジェンドな一組です。高度経済成長期の国民に癒しを与えた、偉大なアーティストの一組でしょう。

 ♪ウナセラディ東京、♪ふりむかないで、♪恋のフーガ、♪恋のバカンス、♪砂に消えた涙…。忘れてはならないのが♪モスラの歌。幼児期から小学生の時代、ザ·ピーナッツの歌を聞いて育った、といっても過言でないくらい、僕の子供の頃、いつも周りでザ·ピーナッツの歌が流れていたような気がする。毎日見るモノクロテレビの歌番組やバラエティー、通りにあるパチンコ屋で掛けてる音楽、住んでた家の斜め前の邦画封切りの映画館。商店街のレコード店。周りの大人たちが口ずさむ鼻歌。子供の頃の僕の回りにはいつも、ザ·ピーナッツの歌が流れていた気がする。

 TV の人気番組のザ·ヒットパレードやシャボン玉ホリデーや、その他の歌番組。しょっちゅう通ってた家の斜め前の映画館では、まだスクリーンに幕が掛かってる、明るい待ち時間に流れてるBGM 。勿論、ザ·ピーナッツが出演する映画もいっぱいあった。クレイジーキャッツ、坂本九、ダニー飯田とパラダイスキング、スマイリー小原、青島幸夫…。思い出し始めたらキリがない、あの時代のスターたち。テレビはまだ大半がモノクロTV だった。

 僕は十代末から二十代、TVを持たず、部屋では毎日ラジオを聞いて過ごしていた。特に十代末から二十代前半は、家の中に居るときはいつでもFMラジオを入れていた。二十歳くらいの頃だろうか、ある晩、FM ラジオの一時間番組で、竹内まりやが中心になって、桑田圭佑や世良公則が各楽器パーツに入り、即席バンドを組んで、オールディーズを番組の中で演奏していた。番組ホストの竹内まりやはキーボードとメインボーカルで、番組オンエアの中では一言も喋らなかったが、ドラムスは山下達郎だった。

 「二人のバカンス」というシングル曲を出したばかりの竹内まりやの提案で、即席バンドの一曲目は「恋のバカンス」だった。このとき二十歳くらいの僕は、小学校低学年の頃によく聞いた曲が懐かしかった。「恋のバカンス」は、TV でザ·ピーナッツが歌っていた当時のヒット曲だ。タイトル名から、僕は、あの時代の傾向だった、英米仏·洋楽曲の日本語カバーだとばかり思っていたら、これは日本のオリジナル歌謡曲なんですね。

 このラジオ放送時では、即席バンド名を、大橋純子のバックバンド「美乃屋セントラルステーション」にちなんで、竹内まりやの実家の旅館から取って、“竹野屋セントラルヒーティング”と名付けていました。wiki 見たら驚いた、「恋のバカンス」の項で、この放送の件が書き込まれてました。

 竹野屋セントラルヒーティングの最後を飾ったのは、ビートルズ、メインボーカル·ジョンレノンの、♪ツイストアンドシャウト。もともとは1962年、アイズレーブラザースのヒット曲ですが、この時はビートルズ版「Twist and shout 」のカバー演奏でしたね。キーボード担当の竹内まりやが「あたしこれしか弾けないの」と言って間奏を弾き、桑田圭佑が応えていた。

 ザ·ピーナッツの、歌手業を含む芸能界現役引退が1975年。また驚いたのが、この年、元ザ·タイガースのメインボーカルで、後の連続大ヒット歌手、沢田研二とピーナッツ姉の伊藤エミが結婚。ジュリーがピーナッツの片方と一緒になったというのが、この時、本当にびっくりしました。で、伊藤エミさんは1987年に離婚。ザ·ピーナッツは結局、芸能界復帰はなかったんですね。どうやって生計を立ててたんだろ?姉のエミさんが2012年に亡くなられ、妹の伊藤ユミさんが2016年6月に亡くなられた。

 後年、竹内まりやさんがカバーした「砂に消えた涙」は、フレンチポップスだとばかり思っていたら、「砂に消えた涙」はイタリアのヒット曲なんですね。「砂に消えた涙」はザ·ピーナッツのカバーで覚えていたけど、弘田美枝子さんもカバーしていて、ピーナッツ版よりもむしろ弘田版の方がヒットしたらしい。僕に取っては「砂に消えた涙」も、ザ·ピーナッツのヒット曲の一つとして記憶にあったんだけど。弘田美枝子が歌ってたというのはよく覚えてないなあ。僕は曲としては、「恋のバカンス」よりも「砂に消えた涙」の方が好きだけど。「砂に消えた涙」は、50年代末頃から60年代初頭頃のオールディーズとばかり思っていたら、日本で弘田美枝子やザ·ピーナッツがリリースしたのは、1964年65年なんだそうです。子供の頃の記憶はけっこうあいまいですね。ザ·ピーナッツの「砂に消えた涙」はシングル盤では出してないのかな(?)。

 多分、僕はまだ五歳だったと思うけど、母親に連れられて東宝の特撮映画「モスラ」を見に行っている。この時のはっきりある記憶は、映画が終わって帰る夜遅く、母親と一緒にちびっこの僕が、二階にある劇場から階段を降りて行く時の記憶。映画の記憶は、何しろ五歳だから、東京タワーに巨大な繭が作られたところくらいしか憶えてない。それと、まだ幼少期の僕の記憶に焼き付いたのは、二人の可憐な小人。後にあれは「小美人」と呼んだんだと知った。南国原住民のような衣装の、双子の美女。守護神·モスラを呼ぶ妖精、小美人役のザ·ピーナッツ。

 完璧余談な幼少期の僕の思い出なんですが、僕が小一くらいのとき、住んでた電力会社の社宅の柵の、一段降りた向こうに二件続きの長屋があって、そこの一部屋に水商売関係のお姉さんが住んでいた。いつも着物を着ていたけど、そこによく、僕よりも一つ二つ年下になる、小さな女の子が遊びに来ていた。その女の子がね、いつもザ·ピーナッツの「モスラの歌」を歌ってたんだよね。小一の僕は柵を乗り越えて、着物のお姉さんのとこに遊びに行っていた。このカワユイ女の子が歌ってた「モスラの歌」を、何故か印象深く記憶している。

 無論、小一の僕が、着物のお姉さんが水商売関係の人なんて解る訳もなく、裏庭の柵の直ぐ下に住んでる人だから、子供の興味本意で、柵乗り越えて行ってたんでしょうが。後々、僕が大人になって思い返すに、この着物の、多分まだ二十代だったろう女性は、僕の青年時大ファンだった劇画家、上村一夫さんの作品に出て来る妖艶な美女のキャラクターに、顔つきや雰囲気がよく似ていたと思う。上村一夫の描く美女を称して、誰だったか評論家が「ヒルのような…」と例えたけど、本当にその例えは、美女キャラクターの顔つきや雰囲気をよく捉えた言い方だったと思う。昔々の裏の着物のお姉さんも、何て言うか、なまめかしさがヒルのような、何かヌルッとしたような妖艶さがあったように思う。まあ、小一当時の子供の僕が、そんなふうに見る訳がなく、大人になってから思い返すに、だ。特に上村一夫さんの劇画をあれこれ読んで、あの子供の頃のお姉さんを思い返したんだと思う。ザ·ピーナッツとは全く関係ないけどね。

 ここのタイトルの「恋のバカンス」に戻るが、知らなかったけど「バカンス」ってフランス語なんですね。多分、英語の「バケーション」と同じような意味なんでしょうね。バカンスが何処の国の言葉かなんて考えたこともないけど、無意識的に英語で、バケーションみたいな言葉と思ってたんだろうな。

 これも記憶違いの話なんだが、僕は1961年のモスラの映画は、併映が「銀座の恋の物語」で、僕の母親は、石原裕次郎と浅丘ルリ子の主演する「銀座の恋の物語」見たさに子供の僕を連れて映画館に行ったんだ、と思い込んでいたが、後年、よく考えたら「モスラ」は東宝映画だし、「銀座の恋の物語」は日活映画だ。新作ロードショー館で映画会社の違う二作をカップリングはない。名画座とか二館三館落ちとかなら別だけど。ネット時代になって便利になった。調べたら、「モスラ」は1961年公開、「銀座の恋の物語」は1962年公開だった。で、東宝の「モスラ」の併映は「アワモリ君売り出す」ってなってる。正直、僕の記憶には「アワモリ君売り出す」などという映画は、一シーンも記憶にない。はっきりと、見た記憶がない、と思う。逆に、日活映画「銀座の恋の物語」は併映が同じ日活の「上を向いて歩こう」で、僕はおぼろな記憶なんだけど、確かにこの二本の日活映画は見ていると思う。1962年は僕は六歳だから映画の内容などは、多分よく解らなかったろうと思うが、映画館で見たことは間違いないはず。

 日活映画「上を向いて歩こう」を調べるとね、公開が1962年3月4日になってる。僕はまだ小学校に上がってない。上映が二週間続いたとしても、学校上がる前だ。いくら家の斜め前が映画館でも、この時期に映画館に行ったかなあ?この3月というのは引っ越して来たばっかりの時期だ。「モスラ」はまだザ·田舎の前の家に住んでたときで、「モスラ」見た映画館は「上を向いて歩こう」とは別の映画館だ。僕の小学校時代の家の斜め前の映画館は、確かに邦画封切り館だったけど、何しろ地方の映画館だし、都市部のロードショー公開とは遅れていたのかも知れないな。でも確かに「上を向いて歩こう」と「銀座の恋の物語」は映画館で見たという記憶はある。六歳で見たんだろうなあ。誰と行ったんだろ?「銀座の恋の物語」は内容は全く記憶していない。

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  ザ·ピーナッツというと、僕に取っては、小学生時代に親しんだザ·ピーナッツで、やっぱり当時の二大バラエティー、「ザ·ヒットパレード」と「シャボン玉ホリデー」ですね。「ザ·ヒットパレード」は歌番組だけど。子供の頃の僕は「シャボン玉ホリデー」が大好きで、やっぱり小さい頃からお笑い好きだったから、クレイジーキャッツ中心のコントが楽しみだったんだろうなあ。ザ·ピーナッツ中心の歌謡ショー、というか、ビッグバンド演奏の洋楽に乗って踊って歌うコーラスのショーが、あの時代にあってとても洗練されていた。本場アメリカの歌謡ショーにも負けないくらいの、おしゃれで洗練された歌謡ショーだったように思う。

 「シャボン玉ホリデー」のコントは可笑しかったなあ。毎回ゲラゲラ笑って見てた。植木等の「およびでない。こりゃまた失礼しました」に、ハナ肇とピーナッツの「お父さんお粥ができたわよ」「いつも済まねえなあ」から始まるコント、監督かディレクター役のなべおさみが、助監督かAD の安田伸をメガホンみたいので何度もはたくヤツ。その他イロイロ爆笑コント。

 「ザ·ヒットパレード」は1959年に始まって70年まで番組が続いてるし、「シャボン玉ホリデー」は1961年に始まって72年まで番組が続いている。どちらも日本のTV 黎明期に始まった代表的な娯楽番組で、高度経済成長期を通して安定成長期に入るところまで続いた長寿番組でした。高度経済成長期の国民の癒しの一つだったと言っても良いような番組でした。僕が夢中で番組を見ていたのはどちらも前半部分で、僕が小学校高学年になった頃は、両番組とも見ていなかったように思う。どちらも番組を見ていたのは小学校四、五年くらいまでだろうか。

 僕が小学校二、三年生くらいの頃から、TV では次々と子供向けのアニメ番組が始まったし、当時は子供向けアニメも視聴率は高かった。「ザ·ヒットパレード」の裏番組にどんな番組があったかよく覚えてないけど、日曜日の夕方六時半からは、67、8年くらいの話になるけど、フジ系列で「忍風カムイ外伝」がやってたしその後番組が「サザエさん」だった。65年66年当時はTBS 系列で日曜6時半から、大瀬康一主演で探偵アクションドラマ、「バックナンバー333」というのをやってて、こっちを見てたな。子供時代の僕は無類のヒーローもの大好きな馬鹿ガキだったから、探偵アクションものやスパイアクションものも、ヒーローものドラマとして、けっこう熱中して見ていた。

 調べたら、アニメ「忍風カムイ外伝」の放送は1969年でした。大昔の記憶はやはりあやふやですね。その前の番組が、フジ系日曜6時半は、モノクロアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」やってて、これを見てましたね。「ゲゲゲの鬼太郎」は68年69年の放送。「鬼太郎」の前は「マッハGoGoGo 」をやってたんですね。この時代の僕は子供向けアニメばかりを見ていたのかな。「シャボン玉ホリデー」を熱心に見ていたのは小四くらいまでかも知れないなあ。

 「シャボン玉ホリデー」は僕は最初から最後まで、モノクロTV でしか見たことがないけど、実は全編カラー放送だったらしい。最後まで、って72年までの放送のいつ頃見たのが自分の見た「シャボン玉ホリデー」の最後なのかよく解らないけど、いつの間にか放送が終わってた。でも、僕が高校生になった頃まで番組が続いていたなんて驚きだ。

 ♪シャボン玉ルルルルル、シャボン玉ラララララ、ロマンチックな夢ね~…。ザ·ピーナッツの歌う「シャボン玉ホリデー」のオープニングテーマ。懐かしいなあ。エンディングの、宵闇のガス灯のもとで、ピーナッツが歌う「スターダスト」。エンディング歌うピーナッツの後ろに現れたハナ肇が、ピーナッツ二人の肩に手を置き、「いかがでしたか…」と番組締めの言葉を喋り始め、最後にピーナッツへの、何ていうか今ふうに言えばdisる言葉、悪口や軽い暴言を吐き、そこで両ピーナッツがハナに肘鉄を喰らわし、ピーナッツの二人は笑顔というエンディング。 

 

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私 結婚できないんじゃなくて、しないんです(現代恋愛諦め男子)

2016年06月05日 | Weblog

 TBS系列・金曜ドラマワク、2016年4~6月期ドラマに、「私結婚できないんじゃなくてしないんです」という、中谷美紀と藤木直人が主演するドラマがありますが、これはテーマがアラフォー女性の婚活で、原作はベストセラー本「スパルタ婚活塾」という、まあ、ハウツー本ですね。このドラマの主題が婚活で、最近は、結婚をしないというか、まだまだ若いのにもう最初から結婚を諦めてる若者、それどころか、若いのに、もう異性との交際さえ最初から諦めてる若者(特に男子)が多いという話を、情報としてよく聞きまして、そういう話に関連した内容の、2014年にネットニュースからピックアップして当Blogに挙げといて、まだ記事アップはしてないトコを思い出し、ここのニュース記事に急いで、ワタシの感想コメントを入れて、記事アップするコトにしました。だから、元記事は2年前のニュース記事です。

 

○「彼女諦め男子」50%超のホンネ

 

  恋愛に消極的な男性が多いと言われて久しいが、最近では「彼女を作ることを諦めている」と公言する男性も増えてきたような…。彼女がいない20~30代の男性200人にアンケート調査を行ったところ、51.5%が「彼女を作るのは無理、となかば諦めている」と回答。さらに、「この先も彼女ができないんじゃないかと思う」男性は59.0%に及び、悲観的な様子が見て取れる。

 その理由として最も多いのは「収入が低く、金銭的余裕がないから」(45.0%)という切ないものだったが、「自分の性格に問題があると思うから」(38.3%)、「容姿が人並み以下だと思うから」(29.2%)などネガティブな回答も多かった。この自信のなさはどこからくるの? 武蔵大学で「男性学」を教える田中俊之先生にうかがった。

「70年代まで、恋愛は結婚の準備段階と捉えられ、社会的に重きをおかれていませんでした。しかし90年代以降は、マニュアル本の登場やデートスポットの増加などにより“結婚とは別に楽しむモノ”として定着。恋愛の価値が上がったことにより『性格や容姿がよくないと満足させられないのでは』と不安になる人が増えたのではないでしょうか」

なるほど。でも、90年代は今よりガツガツしている人が多かったイメージがある。近年はなぜ諦めモードに?

「“草食系男子”などの概念が普及し、恋愛に積極的ではないと主張しやすくなったことが背景にあるのでは。私の授業でも『僕は草食系だ』と言う男子学生が増えましたね。20年前であれば、思っていても公言できなかったでしょう」

彼女はいらない、無理に恋愛しようと思わない―などと言いやすくなったことで、“諦めやすくなった”という側面も。生きやすい時代になったともいえるけど、女子としては、ちょっともったいない気がします…。

 

○恋愛ドラマ、なぜウケなくなった?ケータイ普及、若者の恋愛離れという言い訳は本当か?

 

  4月25日、フジテレビの亀山千広社長が「若いつくり手たちが恋愛ドラマに興味をなくしている」「恋愛ドラマをつくりづらくなっている」などと発言し、話題を呼んだが、恋愛ドラマがとにかくウケない。

 今は「企業モノ」「組織内不和」「逆転劇」がブームで、恋愛は不要コンテンツともいわれる。1対1の人間関係で問われる「個」よりも、やたらと「集団」が描かれるほうが断然多い。個人的に「トレンディドラマ」や「恋愛モノ」にはあまり(というかほとんど)興味がないので、この傾向に憤慨するでもなく寂しいとも思わない。ただし、主にフジテレビやTBSが着実に築いてきた恋愛ドラマブームで育った人々(30代後半~50代前半)は嘆いているらしい。なぜ恋愛モノがウケなくなったのか。

 

 恋愛なんてホントに「こっ恥ずかしくて情けないこと」の連続だ。他人から見れば、実に間抜けな行為である。理性を失ったり、のぼせあがったり、不毛な疑念を抱いたり、不埒な妄想をしたり、傷ついたり、裏切られたり。間抜け上等、それが恋愛である。また、不倫も略奪愛も同性愛も駆け落ちも腹上死も心中も、立派な恋愛である。

 

 往年の恋愛ドラマでは、こうした愛の形(負の部分も含め)を猪突猛進で追い求めればよかった。『東京ラブストーリー』(1991年)、『101回目のプロポーズ』(同)、『あすなろ白書』(93年/いずれもフジテレビ系)や『想い出にかわるまで』(90年)、『クリスマス・イヴ』(同)、『高校教師』(93年/いずれもTBS系)あたりまではよかったのだろう。

 

 ところが、このバラエティに富んだ間抜けさの集合体である恋愛が、ドラマで描かれる際にいつの間にか「素敵系」へと美化されてしまった。セックスのセの字もない、不倫どころか奪い合いもない、執着しない・あきらめのいい・素直な人物ばかりが登場してきて、表面的なやりとりで恋愛を表現するようになった。要は「きれいごと」である。

 

●面白くないからウケない

 

 恋愛の根底にある愚かさと間抜けさを絵ヅラにせず、主役をカッコよく見せることばかりに専念しすぎたせいで、つまらない恋愛ドラマが増えてしまった。スポンサーへのごますりなのか、巨大事務所への接待なのか、小うるさいクレーマー視聴者対策なのか、いろいろと事情はあるのだろうけれど、制作側の及び腰が最大の問題だと思う。「携帯電話やらSNSが普及して、すれ違いの恋愛を描きにくくなったから」とか、「若者の絶対的な恋愛離れ」とか、ただの言い訳にすぎない。面白くないからウケない。その一言に尽きる。

リアリティのない恋愛ドラマを見るくらいなら、東海テレビが鼻息荒くつくり出す、ドロドロ&修羅場が定番の昼ドラのほうが面白いもの。「きれいごと」に物足りなさを感じる世代は、イマドキのうすっぺらい恋愛ドラマから離れていくワケだ。

 窪美澄原作・タナダユキ監督の映画『ふがいない僕は空を見た』(東京テアトル/2012年)で、印象的なセリフがあった。主人公の高校生が人妻とコスプレセックスを愉しんでいたことがインターネット上で拡散されてしまい、彼の母親が営む助産院のホームページが悪意と嫌がらせで炎上した。それに対して、ベテラン助産師がひと言、吐き捨てる。

「ばかな恋愛したことない人なんて、この世にいるんすかねー」

 まさしくそのとおり。恋愛なんて本当にばかばかしくて、恥ずかしいもの以外の何物でもない。葬り去りたい黒歴史は、恋愛につきもの。そこを描かずに惚れた腫れたなんて、嘘くさいに決まっている。そろそろ空気を読むのをやめて、真剣に「ばかな恋愛ドラマ」をつくってほしいと思う。

 

○これを読んでも、本当に「独りでポックリ逝きたい」ですか? 若者にも身近な「孤独死」の実態

 

  若者にとって、「孤独死」は決して遠い問題ではない。現に、恋愛や結婚で盛り上がる女子会の中で、恋人のいない者が「孤独死」をリアルなものとして語るのをチラホラと見かける。ひとりで何も予定もなく家でダラダラと過ごすと、きっと自分の老後はこんな風に孤独なものになるのだろうと思えてくるのだという。「恋愛も友達付き合いも面倒だなぁ」などと思っていると、誰にも気づかれぬままひっそりと亡くなり、気づけば死後数日発見されない…なんてことになってしまうかもしれない。そう思うと悲しい心持ちがしてこないだろうか。

結城康博氏著『孤独死のリアル』(講談社)によれば、「孤独死」で亡くなる人の数は年間で3万人と推計されている。1日に100人近くが孤独死している現状があるのだ。結城氏に言わせれば、「最期は家で独りで」の時代が当たり前になろうとしているらしい。2015年には、65歳以上の独り暮らし高齢者は全国で600万人、30年間で5倍に増えている。老夫婦もいずれかはどちらかが亡くなり、「独り暮らし」世帯となる。三世代世帯は約50%(1980年)から約15%(2011年)と激減しているのに加え、結婚しない人の割合の増加も最近の傾向。これから益々、「孤独死」の割合は増えていきそうだ。

 結城氏によれば、寿命が長い分、独り暮らし高齢者の割合は女性の方が多いが、「孤独死」するのは男性の場合の方が多い。「孤独死」で亡くなる人のうち、男性の割合は全体の7割以上を占めていると結城氏はいう。孤独死対策で全国でも名高い千葉県松戸市常磐平団地自治会の中原卓実会長によれば、これは生活習慣とも関係しているそうだ。独り暮らしの男性は、近所の人とのコミュニケーションを断つ人が多く、あいさつすらしない。そして、「家族もいない。電話もしない。あいさつもしない」といったような「ないないづくし」が孤独死を招くひとつの原因だと中原会長は指摘している。会社が定年となって在宅生活が始まった後、打ち解けて地域のコミュニティに参画できない者が多いというのが現状らしい。

 地域とのコミュニケーション能力に欠ける人は「孤独死」で亡くなる可能性が高く、身寄りが見つからず自治会でごく簡単な葬儀を行うことも珍しくはない。そして、無縁仏として葬られることになる。役所が死者の戸籍を辿り、遠い親族と連絡がとれるケースもあるが、多くの場合、遺産のことを告げると、親族は現れ、一方、全く遺産がないと、「役所で葬って下さい」との返答が返ってくるらしい。

 「孤独死」と一口にいっても、発見される日数によってその悲惨さは異なる。結城氏は、首都圏で検視医を務める田中努氏(仮)にも取材しているが、死後2、3日中に発見される遺体は周りから気にかけられていた存在であり、必ずしも悲惨な状態とは言えないという。だが、2週間から1ヵ月以上も経った場合は、遺体からの異臭や窓にたかる蠅などの異変に近所の住民が気づいて行政担当者や警察が部屋に入って発見されることになる。遺体は腐ると、身体の脂が滲み出て液化するため、家の床もすべて張り替えなければならない状態だ。

 特掃隊長著『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、遺体痕処理から不用品撤去・遺品処理・ゴミ部屋清掃・消臭・消毒・害虫駆除まで行う「特殊清掃」作業の中で特掃係長が見た「生」「死」について描かれている。妻に先立たれた独り暮らしの老人が「最期は部屋でポックリ死にたい」と発言したことに対して、多くの遺体痕処理をしてきた特掃係長は「気持ちは分かるけど、おススメできない」と感じたという。一般の人は、自らが死んだ後の身体については深く考えない。人が死んだ後の自らの身体について考える時、せいぜい、「最期はなにを着せてもらおうかな?」「遺骨はどうしようか」ということくらいだと特掃係長はいう。自分の身体が腐っていく状況を想定している人はいないだろう。だから、自宅でぽっくり逝くことを安易に望むかもしれないが、その現実はそう簡単でなかったりする。夏だと遺体の損傷は早いし、冬場でもコタツに入ったままで下半身がミイラ化した遺体や電気毛布の中で発酵した遺体等、暖房が遺体を腐られてしまうこともあるのだ。目をそむけたくなっても、「孤独死」にはそんな死がつきものであるのだ。

 どうあがいても、死はやってくる。だから、何処で死ぬかなど決められるものでもない。だが、最期をどう迎えたいのか、もう少し具体的に考えみてもいいのではないだろうか。「孤独死」の問題は個人がいかに死と向き合うのか、そして、地域社会とのコミュニケーションをいかにとっていくかで変わるように思える。老いも若きも、「終活」を今一度考えてみてはいかがだろうか。若いアナタだって、「孤独死」する可能性は決してゼロではない。

 


 このネットニュース記事を、元記事として揚げたのが、2014年6月で、公式のニュースサイトでももうとっくにこの記事は削除されて跡形もないでしょう。「生きたまま極楽!」Blogを開いてから2、3年までは、もっとかな、3、4年までは、いや、思い切って4、5年まではと言っておこう、まあ、ブログ開いてからしばらくは、ネットの玄関サイトでトピックニュース捜して、これはって目に付いたニュースはコピーペーストしてリンク張って、ニュース記事揚げて、僕自身の感想コメントをつたない文章で長々書き込んで行ってたんですが、その内面倒くさくなって、というか、2011年春の僕の左目の網膜剥離症が大きかったですね。イロイロ理由あって、病院懸かるのが送れて、入院即手術したけど、左目の視力回復があんまり思わしくなかった。まあ、僕の病院懸かるのが遅かったのが一番悪いんですけどね。で、失明危機から手術後回復した僕の左目の裸眼視力は、0.01もなくなった。元は両目裸眼0.1だったんですけどね。これで、モノ見るのに、歳喰ってから元々疲れやすかった目が、さらに直ぐ眼精疲労するようになってしまった。左右の大き過ぎる視力差で、活字やパソコン見るのが視力的に辛くなってしまった。眼鏡で離れて見てるTVは結局右目の視力だけで見てるから、まあ、何とか良いんだけど、それでも昔に比べるとTV見てるだけでかなり眼精疲労する。2000年代後半に比べて、2011年以降の僕のBlog記事Upの頻度が激減したのはこの身体的理由が一番大きいですね。

 それでも2011年の左目手術後の左目の視力が極端に落ちて、物を見るのに不自由するようになってからは何かそれが悔しくて、この2011年からこっち、2014年くらいまでは片目だけで文庫本をめっちゃ読んで行きました。何だか視力障害に負けたくなくて。片方の目をタオルかガーゼで隠して片目だけで読んで行く。疲れるけど自分としてはかなり頑張って本をいっぱい読んで行きました。でももともと悪い目で片方の目だけで読むのはやはり疲れるのが早い。それでも自分としてはかなり読んだ方です。でも2015年くらいになると目の疲れが進み、読書ペースが落ちて来た。加齢もあるんでしょうね。2015年くらいになると読書量は半減しましたね。2016年に入るともっと減った。かなり読まなくなった。両目で活字追うと視力差が大き過ぎて、行が重なって読めず、仕方なく本は片方の目を隠して片目で読む。直ぐに疲れますね。

 本題と関係ないですね。ここに挙げてるネットニュースは、いわば“若者の恋愛離れ”という問題ですよね。テレビで恋愛ドラマが流行らなくなった、とか。でも、コミックでは「恋愛マンガ」は売れてるでしょう。「恋愛小説」もそれなりに売れてるんじゃないかなあ。ライトノベルも舞台設定がSF や魔法やファンタジーでも、かなり恋愛要素に重点置いてて、けっこう売れてるでしょう。映画も相変わらず恋愛もの多いし、ヒットしてる恋愛映画は(観客)入ってるんじゃないですか。ただ、TV の恋愛ドラマが昔ほどウケないだけで。

 時代背景が、トレンディードラマ全盛時代と、全くと言っていいくらい変わったんでしょうね。トレンディードラマ全盛時代って、どれくらい?広くは80年代·90年代ですね。経済成長安定期で豊かな日本、Japan  as No. 1 、バブル時代へ。バブルが弾けた後も、ロストゼネレーションとか言われたけど、90年代は何となく世の中は漠として“バブル”の余韻は残ってて、雰囲気漂ってたんじゃないかな。2000年代に入って、あの栄光の時代は終わったんだよ、ってなって来たけど。

 でも、現在、恋愛に関する関心度は男女差がかなりありますね。恋愛マンガの読者も恋愛映画の観客も恋愛小説の読者も、みんなほとんど女性でしょう。で、現実的な女性は、金持ってなくてサエなくて貧乏くさい、現実のホンマモンの男に行かなくて、物語世界の綺麗で魅力的な男に恋する。勿論、実体の無い擬似恋愛だけど、現実のサエない男と仲良くなって苦労するより良い。現代女性は恋愛には憧れるけど、現実のサエない男との苦労の多い楽しくない恋愛は嫌、というコトでしょう。夢みたいなファンタジー的なとびきり楽しい恋愛に憧れる、と。

 今の人は「自由を愛する」というのも強いですね。「自由」というか、「自由な生活」「自由な暮らし」ですね。“家庭”に縛られず自由に生きて行きたい、という。また、現実に、先のこと·将来のこと、考えなければ何か仕事して収入得て納税してれば、その生き方も許されるし。親や周囲や国家が厳しく「結婚して自分の家庭持て」と言って来る訳でもない。昔は、昭和の時代は、絶対結婚しなきゃいけない、結婚しないと人間じゃない、みたいな暗黙の掟が厳然とあったけれど、21世紀になって、何かそんな雰囲気は薄らいじゃったでしょう。みんな自由に暮らして良いんだよ、って空気。

 よく、このジャンルの評論家みたいな人、ワイドショー·コメンテーターみたいな人が、今の若者も本当は異性と交際して結婚したいのだ、って言いますね。本心は彼女欲しい、結婚したい。でも現代の男の子は自信がなくて消極的。消極的過ぎて、もう最初から諦めてる、と。

 でも、若者に結婚して貰って家庭作ってできれば二、三人子供作って貰わないと、明日の日本を担う次世代が生まれない。国の将来を担う次世代が生まれないというのは最凶の国家的危機ですよ。若者にはもっと恋愛に積極的になって貰わないと、冗談でなく国が困る。若い皆さんは恋愛に関心持ちましょう。特に男の子。

 ドラマは、婚活に必死なアラフォー女性の奮闘というか、迷走を描いた物語で、上記に挙げた二年前のニュースサイトの記事の内容とは、直接は関係ありませんが、広くは“結婚”や“恋愛”という枠組みの中で、ムリムリ感も強いけど、まあ、一緒みたいなモンかな、と。そーいう訳でTV 新作ドラマとちょっと前のニュース記事を強引にくっつけて挙げました。

 

 

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高部あい続報 3

2016年05月08日 | 芸能ログ

○コカインを使用したとして逮捕された高部あい 不起訴処分に

 

  東京地検は29日、コカインを使ったとして麻薬取締法違反容疑で逮捕されたタレントの高部あい(本名・中山あい)さん(27)=横浜市青葉区=を起訴猶予処分とした。

 地検は「(コカインの)所持料が微量だったことや社会的制裁を受けたことなど諸般の事情を考慮して処分した」としている。

 高部さんは東京都内の当時の自宅で微量のコカインを所持、使用したとして逮捕されたが、地検は処分保留で釈放。任意で捜査を続けてきた。

 高部さんは平成16年、「全日本国民的美少女コンテスト」のグラビア賞を受賞。ドラマや映画に出演するほか、声優としても活躍していた。

 



 上に挙げたニュース記事は、2016年3月末のネットニュースのリンク張り記事ペーストですが、ネットニュースの新しい、高部あいさんの近況ニュースで、4月5月頭現在、高部あいさんは実母が再婚して住む実家に引き籠り生活しているんだとか。また、ネットの大手玄関サイトのニュース記事ではなく、情報出もとがはっきりしないというか、正確性では怪しいのかも知れないネットサイトのニュース記事で、高部あいさんがコカイン所持で逮捕されて拘留中に発覚した、高部さんの妊娠初期ですが、もう既に堕胎して始末したんだとか。で、現在も海外に居ると言われてる、高部の懐妊したお腹の中の、多分相手の男だろうと目されるセレブ男性とは破局したんだとか。相手の男も、高部が捕まって後、高部のことをメチャメチャ罵倒して怒っていて、高部の方も愛想をつかせてるんだとか、そこのネットサイトに上がってた情報です。まあ、僕は多分、その通りなんだろうな、って思いますが、ニュースの信憑性については、はっきりとは解りません。

 高部あいさんのニュースは、他の、例えば、のりピーとかASKAとか清原とかの違法薬物犯罪の事件のようには、TVではニュースとして取り上げませんね。逮捕劇のときでもTVのニュースの扱いでは小さかったし、TVでは、高部あいさんの件は「続報」はまったく取り上げていません。のりピー、飛鳥涼、清原に比べたら、こう言うのは何だけど、「小物」だからなんでしょうね。一般的な知名度は、酒井法子とかに比べたら、ぐんと低い。一般的には知らない人の方が多いくらいのタレントさんでしたからね。高部あいの続報なんて、ネットのニュースを見ないと解らない。

 メディアで取り上げたニュースの大きさだったら、小向美奈子さんの方が盛んに報道されましたね。僕はタレントや女優時代の小向さんをあんまりよく知らないのですが、というか、最初に覚醒剤で逮捕されるまで小向美奈子を知らなかったくらいで、その点では僕自身は高部あいさんの方がよく知ってたくらいなんですけど、まあ、この二人がタレントや女優としてTVによく出てた時期は違うし、小向に比べればTV露出度は高部の方が低いんだと思います。

 小向さんに比べてもタレント知名度は高部さんの方が低いから、実際、逮捕劇まで高部あいを知らなかった一般の人は多かったでしょう。昔、主演したドラマは深夜ドラマだし、主演映画も美少女·女子高生ゾンビハンターものみたいな、OV映画みたいな作品だし、最近ではアニメ声優での方が有名だし、タレント知名度はアニメファンを主体に小さい方だったでしょうね。

 小向美奈子はタレント知名度はまだあったし、実際、ファンの数も多かったんでしょうね。何よりも小向美奈子の事件の方がドラマ性があったから、視聴者や読者が事件とその後に食い付いた。最初の逮捕前から、週刊誌の芸能界の裏側のダーク部分暴露告白記事だとか、話題になってたし、その後も、保釈されてからも家出してお父さんが捜して回ってるとか、突如のストリッパー転身と公演初日のストリップ小屋前に押し寄せるファンの人だかりだとか、その後のストリップ公演の盛況から、団鬼六の代表作「花と蛇」映画版の主演、再度の薬物疑惑、シャブ抜き逃避行と疑われたフィリピン滞在、その後のAV 女優転身と本人のアダルトビデオのバカ売れ。またしても薬物疑惑。とうとう覚醒剤所持で捕まって、今度は実刑喰らって服役。小向美奈子さんは人気もあったんでしょうが、事件の流れにドラマ性がありますね。こういう流れはマスコミはたまらんくらい美味しいんでしょうね。

 それに比べると、高部あいの方は地味で、事件の後の拡がりもないし、もともとそれほどタレント人気もない方だったし、釈放後もおとなしくひっそりと引き籠りだし、事件は不起訴になったし、人でなしマスコミも面白くないのでしょう。これがアメリカ滞在とか言われる、高部の妊娠相手だと推理される、元交際相手のセレブ男性の限りなく黒色に近いダークな疑いが、黒色と証明されて捕まったり、と事件の拡がりを見せたり、タレント仲間に飛び火してたら、マスコミは狂喜する如く事件を追うんでしょうけど。

 調べて確認してないので申し訳ないけど、前に何処かで見たネットのニュースで、服役中の小向美奈子が牢屋の中で苛められてるとか、小向は刑務所で石鹸作ってるとか、情報が上がってたように思います。石鹸だったかな?済みません、よく覚えてない。ああ、ここは小向さんの記事じゃなかった、高部あいの続報だった。それにしても、今さらですが、高部あいさん、TV で見てた分には正に、清純派然としてたのになあ。本当に人は見掛けに寄らない…。

 

※(2015-10/29)高部あいちゃんとコカイン
※(2015-11/05)高部あいコカイン 続報
※(2015-11/18)高部あい 続報2

 

 

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そこまで美女じゃないけどソソられる有名人ベスト

2016年05月01日 | 芸能ログ

○そこまで美女じゃないけど、男がソソられる有名人10。ぶっちぎり1位は色白の…【アラサー男性が選出】

 

 美しい顔をしていても「アイツ色気ねぇんだよな」と陰口をたたかれたり、逆に普通の顔でも、男性がゴクリとつばを飲んでしまう女性っていますよね。

 そこで、女子SPA!編集部が独断と偏見で、「そこまで美人扱いされてないけど色気がある」女性有名人20名をピックアップ。27~33歳の男性300人にアンケートを実施してみました。

 さて、男性人気が高いのは誰なんでしょうか?

Q.そこまで美女じゃないけどソソられる(色気を感じる)有名人は誰ですか?

1位 水卜麻美(日本テレビアナウンサー) 31.7%
2位 手島優(グラビアアイドル) 13.7%
3位 多部未華子(女優) 13.0%
4位 木村多江(女優) 12.0%
5位 蒼井優(女優) 11.3%
6位 剛力彩芽(女優) 9.0%
7位 福原愛(卓球選手) 8.3%
8位 安藤美姫(元フィギュアスケーター) 8.0%
9位 倖田來未(歌手) 7.7%
10位 HKT48・指原莉乃(タレント) 7.3%

11位 黒木華(女優) 6.0%
12位 友近(お笑い芸人) 4.0%
13位 高橋真麻(フリーアナウンサー) 4.0%
14位 aiko(歌手) 3.0%
15位 菊地凛子(女優) 3.0%
16位 寺島しのぶ(女優) 2.3%
17位 オアシズ・大久保佳代子(お笑い芸人) 1.3%
18位 椿鬼奴(お笑い芸人) 1.3%
19位 澤穂希(サッカー選手) 1.0%
20位 オアシズ・光浦靖子(お笑い芸人) 0.0%

 



 この芸能関連ニュース記事は、2015年五月中頃にネットのニュースサイトに上がっていた記事で、この元記事だけリンク張りでペーストして、そのまんまほったらかしていた記事です。元記事だけ載せといて、近い内にボクの感想コメント入れて仕上げてアップしようと思って、そのまんまほったらかしになってたものです。

 「そこまで美人じゃないけど男がソソられる有名人…」なんて、随分失礼な言い方ですよね。ここに名前の上がってる有名人は勿論ですが、女性が聞いたら腹が立つ言い方でしょう。「そこまで美人じゃない…」なんて言われたら、蒼井優も剛力彩芽も面白くないでしょう。倖田來未もみんな、ここに名前の上がった人たちは、「余計なお世話だ」って気分、害するでしょうね。

 ここに上がってる女性有名人たちの、こう言っちゃって良いのか、何て言うか「美醜」の間の差の幅が、けっこう広いように思えますね。こう言っては悪いのですけど、まあ、ここに上がってるメンツで、大久保佳代子さんとか光浦靖子さん、椿鬼奴さん、澤穂希さんあたりは、ごめんなさい、どちらかと言うとブサイク方向のルックスなのでは、と思いますけど。寺島しのぶさんも、まあ、そっちの方かなあ(済みません‥)。確かに、黒木華さん、アイコさん、友近さん、菊地凛子さん、福原愛さんとかは、「美人」ではないですよね。安藤美姫さんは、もうちょっとブサイク方向かな。手嶋優さん、倖田來未さん、木村多江さんも、「美人」ではないよーな。ルックス的に微妙ですがもう少しだけ、ランク的にホンの少し上が、高橋真麻さんとか指原莉乃さん、水卜麻美さんとかかなあ。多部未華子さん、蒼井優さん、剛力彩芽さんはもう、「美人」カテゴリに入れて良いんじゃないかと思いますが。この女優三人は、メディアが名前を挙げるとき、一応「美人」扱いでしょう。“美人女優”って呼ぶでしょう。黒木華さんは“美人女優”とは呼ばない気がする。普通、メディアでは“美人女優”と呼ばれないとき、“演技派女優”と呼びますね。

 こうやって書いて行くと、随分失礼な言い方になっちゃってますが。これも男目線のランキングリストですが、やっぱり個々の好みというものがあるから、例えば男が「女」として見て、大久保佳代子さんに魅力を感じる人も居る訳ですよね。セックスアピール感じて「好きだ」って言う人が。椿鬼奴さんに対しても。人の好みも、それぞれに好き好きですからね。 

 ボクは高橋真麻さんなんて好きですけどねえ。水卜麻美さんも良いけど、高橋真麻さん好きだなあ。指原莉乃さんも、お化粧バッチリしたらまだ若いだけに、けっこう綺麗ですよね。雑誌のグラビアとか写真集のはもう、「美人」ですよね。蒼井優のルックスも独特の魅力があるし、「美人」ワクだよなあ。

 もう年寄り域のボクが、TVに出てる誰を好きになろうが、別にドーデモイイ事なんですが、ここの記事の感想書いてるのボクなんで、まあ、続けて書くと、ボクは子供の頃からメンクイだったので、ここのラインナップだと、やはり、多部未華子とか剛力彩芽とかかな。蒼井優もけっこう魅力的だし、ボクは高橋真麻は好きだし。まあ、水卜麻美も好きですが。あとはあんまりなあ…。指原莉乃はタイプじゃないけど、仲の良い友達になってお喋りしたら楽しそうですね。

 まあ、TV なんかを通して見てる有名人とかは、如何にバラエティーやトークで見てても、いざ目の前にして実際に人間付き合いしたら、またTVの印象と全然違うかも知れないし、異性の相手でも性格的な相性もあるし、まあ、妄想ですね。実際に人間付き合いしてみないと、解らないですからね。“魔性の女”と呼ばれる蒼井優さんと対面して、話したり友達付き合いしてみたら、本当はどういう人間なのか、とか、ちょっと考えちゃいますけどね。まあ、僕は“魔性の女”とか好みじゃないし、僕の若い頃でも、“魔性の女”などに溺れない自信はありますけど。キャラクター的には高橋真麻さん、面白そうだなあ。

 ここのラインナップで、この人だけは絶対お断り、とかって言うのは、ボクの如きが何ですが、安藤美姫さんとかかなあ。安藤美姫さんに失礼だけど。大久保佳代子さんとか光浦靖子さんとかは頭良さそうだし、話したら面白そうな感じする。でもそう言っても、TV露出の多い芸能人てプライド高そうですからね。けっこう見下して喋って来るんだろうな。メディアでよく見る有名人はみんな、頭高いんだろうな。手嶋優さんとかも面白そうだな。

 と、いうのは妄想でした。元記事も、妄想アンケートですよね。集計人数もしょせん300人程度だし。TV画面で見てルックスで好きになるのと、恋人として付き合って好きになるのとは、また違うしね。男でも女でも、ルックス的にブサイク方向な相手でも、妙に相性が良い、とかってのもあるしね。その内好きになってしまったら、絶対手放したくない相手、っていうふうになるかも知れないし。絶世の美人みたいなルックスの相手でも、性格的に全く合わなくて、大喧嘩になって最悪な感情でお互い罵倒しながら別れる、なんて相性もあるかも知れないし。まあ、美人は見る分は良いものだけど、付き合うとなると必ず相性はありますからね。



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男目線魅力女優ベスト

2016年04月28日 | 芸能ログ

○SEXしたい「30代させごろ女優」ベスト20

 

  昔は清純派だったあの子も、大人になるにつれ、メスの本性が露わに。食べ頃美女のエロ暴走が止まらない。

「30代の女優というのは、芸能界を生き抜いてきたサバイバー。いわば、"選ばれし女たち"なんです。それだけでもたいしたものなのに、そこに女としての成熟味が加わるわけですから、鬼に金棒。俗にいう"三十させごろ"美女の宝庫といえるんです」
こう断言するのは、TV美女研究家の八木晶王氏。

男を奮い立たせる三十路の美女優を、読者の声と識者の意見に基づいて、編集部が独自に"格付け"した。

美女の群れから頭ひとつ抜け出して、1位に輝いたのは深田恭子。

4月からはNHKドラマ『サイレント・プア』で、シリアスな演技を披露している彼女だが、CMや写真集ではエロさ大爆発。

「『ポカリスエット・イオンウォーター』のCMでは人魚に扮して、体のラインと豊満な胸の谷間を露出。3月発売の写真集『(un)touch』では、セクシーなランジェリー姿を披露して、"さすがは深キョン"とファンを唸らせています」(芸能記者)

私生活では、結婚秒読み説もあった2歳年下の五十嵐麻朝と別れ、イタリア料理店オーナーが新恋人として急浮上。公私ともに話題豊富な深キョンなのだ。

「三十路女優の中でも、やはり深キョンは別格の存在ですね。顔も体も劣化とは無縁。むしろ、ますますキレイになっている。あれだけ浮名を流しているのに、汚れたイメージにならないのも彼女のすごさ。打算抜きに、無名の俳優やタレントと平気でつきあっちゃうあたりは、いっそ清々しいくらいです」と、前出・八木氏も深田恭子を大絶賛する。

続く2位は、根強いオヤジ人気を誇る優香。
近年は女優業を中心に活動している彼女だが、昨年、12年ぶりとなる水着写真集『優香グラビア』を出版して話題になった。

「全盛期のパッツンパッツンに張ったおっぱいは影を潜めましたが、贅肉(ぜいにく)を削ぎ落とした優香ボディからは、大人の女のエロスが匂い立つようでした」(グラビア誌編集者)

というわけで、「昔の優香も最高だけど、抱くなら、ちょっとやつれた今の優香だね」(47=自動車解体業)なんて声も。
三十路ならではの"女の年輪"にソソられるのだそうだ。

以前は岡田准一、妻夫木聡、松本人志ら錚々たる面々との噂もあった優香だが、志村けんの寵愛を受けるようになってから、浮いた話は激減した。

「レギュラー番組『志村笑!』では、志村やゲストの前で"気になる人はこの中にいません"と発言。"志村離れ"宣言かと、話題になりました」(夕刊紙記者)

かくして、いま芸能界には、優香に虎視眈々(こしたんたん)の男たちが激増中なんだとか。

3位は壇蜜。映画やグラビアでは脱ぎまくり、バラエティでは下ネタを連発する"エッチなお姉さん"の人気は不動のようだ。

映画評論家の秋本鉄次氏は次のように言う。
「壇蜜は映画『私の奴隷になりなさい』に続いて、『甘い鞭』でも思いきりよく全裸になってくれました。脱ぎもせず、ママゴトみたいな濡れ場でお茶を濁している女優は、彼女を見習ってほしいですね」

エロトークにも定評がある彼女は、先日、出演したバラエティ番組で「時々、抱かれるくらいがちょうどいい」と、衝撃発言。

「なんとブレイク中の昨年も、そういう相手と某ホテルで待ち合わせをしたそうです。"指定されたホテルを間違えて、ホテル街をさまよっちゃいました(笑)"なんて大胆告白までしていましたよ」(テレビ誌記者)

そんな話をサラリと言えるのも、壇蜜の魅力なのだ。

4位は、いまや"視聴率女王"となった米倉涼子。
「もちろん、女医コスプレを希望。最近、元気のない愚息をビンビンにしてもらい、"だーかーら、私、失敗しないので!"とか言わせたい」(56=自営業)

人妻フェロモンむんむんの井川遥は5位。
「癒し系の魅力と人妻の色っぽさ、妖艶さを兼ね備えているのが井川遥の強み。彼女が出演している『サントリー角ハイボール』CMのポスターを"欲しい!"といってるオヤジは、私の周りにもゴロゴロしてますよ(笑)」(秋本氏)

6位の真木よう子は3月に行われた「第37回日本アカデミー賞」で、最優秀主演女優賞(『さよなら渓谷』)と、最優秀助演女優賞(『そして父になる』)をW受賞する快挙を達成。

「『さよなら渓谷』では全裸ファックシーンに挑み、汗だくになりながらG乳を99%オープンする熱演。"やるときはやる"彼女の脱ぎっぷりのよさは、アッパレとしか言いようがないですね」(前同)

7位は広末涼子。
2010年10月にキャンドルアーティストのキャンドル・ジュン氏と"子連れ再婚"。
翌年5月に次男を出産した広末だが、今年2月にイケメン俳優・佐藤健の自宅マンションで、お泊まりしていたことが発覚。

「広末は12センチのピンヒールに網タイツという"勝負服"で佐藤宅を訪問。相当、気合いが入っていたようです(笑)」(芸能記者)

思えば、広末は10代のアイドル時代から三十路の現在まで、一貫して肉食系。
「広末には"土佐の女"ならではの豪快さがあるんですよ。カツオのたたきを肴(さかな)に日本酒を飲み、酔ったら"一発やろう"という。まさに"よさこいのノリ"ですね」(八木氏)

8位・吉瀬美智子には、「ボディクリームのCMで見せた生足がエロすぎ。彼女とクリームの塗りっこがしたい」(39=会社員)

磯山の体はDNAに訴える!

9位の香里奈は2年前、ハワイに語学留学したときの"ベッド写真"とされる1枚が写真誌『FRIDAY』で報じられ、大騒ぎになった。

「現在も交際中というハワイ在住の台湾人男性とベッドインしているとされる写真で、うち1枚は大股開きの彼女が、パンティの上から自らの股間をスリスリしているように見える衝撃的なものでした」(芸能記者)

女優にとって大ダメージになりかねないが、「これまで香里奈には完璧すぎて近寄り難い印象があったんですが、あの写真を見て、私はむしろ好感を持ちました」(八木氏)

10位の観月ありさも名うての肉食系だが、新恋人の建設関連会社社長・A氏とは結婚も視野に入れていると、もっぱらだ。

11~20位もソソる美女優が目白押し。

11位の小池栄子は近年、女優としての評価がうなぎ登りだ。

「小池の91センチ・Fカップのメロン乳が人妻になってどう変化したか、この目で見届けたい」(41=公務員)

12位の菅野美穂は昨年4月に堺雅人と入籍。
仲睦まじい夫婦として知られる。

「堺は映画のロケ中、溜まった下着をわざわざ自宅に送り、菅野に洗濯してもらっているそうです」(女性誌記者)

あげまん菅野は実際に献身的な妻でもあるようだ。

13位・磯山さやかもオヤジ支持率は高い。
「私は磯山さやかが嫌いという男に出会ったことがありません。いそっちの釣鐘型の巨乳、安産型のどっしりした下半身は、日本の男がDNAレべルで好む女性像そのものです」(八木氏)

17位の仲間由紀恵には、「沖縄が生んだ最高傑作。姿形もそうだけど、実は声もゾクゾクするほど色っぽい。彼女に耳元で囁かれたら暴発しちゃうかも」(47=量販店勤務)

人気と実力に大人の色香が加わった"させごろ"美女優は、今が旬なのだ。

 

2000人が選んだ発表!SEXしたい女優BEST 10  あなたは誰としたいですか?

 

  2000人によるアンケートの結果、はたしてセックスしたい女優一位の栄冠に輝くのは? では10位から発表させていただきます。

 

10位 松下奈緒

9位 北川景子

8位 吉高由里子

7位 吉瀬美智子

6位 石原さとみ

 

10位の松下奈緒は『クリアアサヒリッチ』のCMのセリフ、「ね、リッチしよ」が「エッチしよ」に聞こえると評判になった。
「ピアニストでもある彼女のフィンガーテクを堪能したい」(58=食品会社勤務)さもありなん、である。

9位の北川景子には、「美人なのに、お高く止まってないところがいいね。居酒屋でイッキ飲みして彼女をツブし、お持ち帰りしたいです」(48=理容師)
美女なのに気さく、と評価する声が多かった。
「北川景子は以前、とんねるずの"食わず嫌い王決定戦"で口いっぱいにご飯を詰め込み、食べ方が下品、汚いと言われました。あの豪快な食べっぷりから類推して、彼女は男のペニスと睾丸を、いっぺんに口に含む荒技を得意としているのではないか。

8位の吉高由里子は意外にオヤジ好きするようで、「一緒に飲んだら楽しそうだよね。下ネタも得意だっていうし、この際、とっておきのワイ談を披露しちゃおうか」(47=会社員)
「気まぐれな小悪魔・吉高由里子に振り回されたい」(39=旅行代理店勤務)

来年春にはNHKの朝ドラ『花子とアン』に主演する彼女だが、キャラが立ってる彼女には、お父サンたちも興味津々のようだ。

ベストテンの中で唯一の人妻・吉瀬美智子は7位。
この夏、長女を出産してママになった彼女には、「顔も体も、どストライクゾーンです。ローション塗りたくって極上のマットプレイを希望」(62=無職)

6位の石原さとみも、いまやベストテンの常連だ。
「あの、ぽってりした唇がたまらんね。彼女が出演している焼酎のCMみたいに、"間接キス、してみ"とか言われてみたいです」(53=建設会社勤務)

「SEXしたい女優」でV3を果たしたこともある綾瀬はるかは、今回は5位。
NHK大河ドラマ『八重の桜』の視聴率が伸びなかったことが、5位転落の一因かもしれない。
それでも、「スレンダーなのにおっぱいは凄い、プロポーション抜群の綾瀬はるかに一票。オールナイトで攻めまくります」(45=郵便局員)など、"綾瀬命"の熱心なファンが多かった。

前出・八木氏がイチオシするのも彼女だという。
「大河の視聴率が低迷してガックリきている綾瀬は、いま狙い目かもしれません。"君が悪いんじゃない。毎週『八重の桜』を見てたけど、素晴らしかったよ"といって口説けば、ホロリとして思わず体を開いてくれるかも(笑)」

 

5位 綾瀬はるか

4位 深田恭子

3位 壇蜜

2位 長澤まさみ

1位 米倉涼子

 

今年の彼女は、映画『ルームメイト』で北川景子と共演して話題になったが、「一人だけ選ぶなら、やっぱり深キョン!」(40=ホテルマン)など、根強い支持があるのが特長だ。

なかには、「あれだけ男を食いまくってきたのに、汚いイメージにならないのは、さすが。どさくさまぎれにオレのことも食ってくれないかな~」(38=製薬会社勤務)なんて声もあった。

昨年、大ブレークした壇蜜は今年も映画、ドラマ、CMと幅広い分野で活躍し、堂々3位に入った。
「見るからにねちっこいセックスをしそうな壇蜜に、アレがふやけるまでフェ○させたい」(54=団体職員)
「耳元でハァハァされたら、それだけでイッちゃうかも」(29=アルバイト)

壇蜜の"黒髪のエロス"に夢中という男性多数。
エッセイストの下関マグロ氏も、こう絶賛する。
「彼女はどんどんエロくなってますね。西友のCMで"浮気しちゃ、イヤ!"とか言ってますけど、私は、あのCMを見ただけでヌケますからね(笑)」

わずか7票差で大魚を逸した2位・長澤まさみの人気も高値安定だ。
"隠れ巨乳"の"隠れ"が取れて、天下御免のデカパイ娘となった彼女には、「彼女のおっぱい、飲んでみたい」(33=ガソリンスタンド勤務)
「あの長~い脚を抱えて立ちバックしたいね……でも、届かなかったりして」(41=運送会社勤務)

ミュージシャンでタレントの掟ポルシェ氏は、こう話す。
「以前、彼女にお目にかかったことがありますが、非常に感じのいい人でした。もう土下座してお願いしたら、私のような者にもエッチさせてくれるんじゃないか。つい、そんな勘違いをしてしまうほど人当たりがいいんですよ。そんな彼女独特のユルさが、お父サン世代にもやっと浸透したんじゃないですか」

今回は上位3人が4位以下を大きく引き離す展開になったが、混戦を制して戴冠したのは米倉涼子だった。
「やっぱ女医コスプレで、お願いしたい。最近、お疲れ気味の愚息をオペしてほしい」(48=会社員)
「あの美脚で足コキされるのが夢」(52=公務員)
「米倉涼子と、お医者さんごっこがしたいです。ぶっとい注射をするのはオレだけど(笑)」(36=商社勤務)
女医を意識した願望が多かったのは、明らかに米倉主演の『ドクターX外科医・大門未知子』(テレビ朝日系)の影響だろう。

TV美女研究家の八木晶王氏は、こう分析する。
「女医というのは、男にとって特別な存在ですからね。ナースとはまた違った白衣のエロスがあるんですよ。その女医を姐御肌の米倉が颯爽と演じる『ドクターX』は、まさに彼女のハマリ役。米倉の1位は当然と言えるでしょうね」

 



 これは2014年五月末にリンク張りでアップした、アップした、ってこの時、実際にはアップしてないんだけど、アップするつもりでペーストした、ニュースサイトの芸能面記事だけど、結局アップせずにほったらかしにしてた記事ですね。記事は取り上げていたけどボクの感想は何も書いてなく、ほったらかしてた記事。一応タイトルに「エッチ」と入れてました。「エッチ」って、まあ、芸能面の記事だけど内容が男目線のエッチな思いだから、この時のボクは仮に「エッチ」と入れたんでしょうね。基本、男の女に対する思いは先ず「やりたいやりたい、ああ、やりたい」ですもんね。地球上の生き物の、種族繁栄の、基本的な本能ですよ。仕方がない。女は違いますけどね。同じ種族繁栄の本能を持っていても、女はもっと複雑です。だって子を宿して育てなければならないんだから。あくまで基本的な本能の話です。熊はオスがセックスだけして立ち去って、後は子を宿した熊のメスが出産から子育てまで全部独りでやる。だから血の繋がった熊の子が、実の親父と、そうと解らずナワバリ争いとかで戦うこともある。極端な話、これが一番シンプルな種族繁栄の仕組みですね。勿論、生き物の種類に寄っては、カップルで育てるものも、あるいは群れで育てるものも居るのですが。まあ、恋愛というものに対しては男は基本、性的で、女はもっと複雑だから、もっと深く考える。と、ボクはそう思う。で、男の女を見る目は最初に「やりたいやりたい、ああ、やりたい」から入る。それだけの男も多い。ああ、それと、ボクが上記のように書いたからって、何も、男が働いて女は家庭で子育てに専念しろ、と言ってる訳ではありません。日本人の少子化対策には、女性が専業主婦で三人以上の子育てに専念するという、昭和の家庭モデルが一番手っ取り早い気はしますが、能力的には女性も男に劣らず社会的能力を持っているし、細かく分ければ男性よりも優れた能力を持っている面もあるでしょうし、家庭に埋めておくには勿体ない、女性の人材もいっぱい居ると思います。また、社会で活躍したい女性も多いでしょう。ただ、少子化対策にヨーロッパモデルをそのまんま持って来ても、日本人独特の意識や伝統的生活スタイルがあるでしょうし、なかなかヨーロッパモデルのベタマネでは進まないように思いますね。

 と、話が上記アップのニュース記事と全然関係ない方向へ行ってますので、戻しますが、米倉涼子。米倉涼子さんが一位なんですね。ただ、この芸能ニュース記事は2014年5月末のものだから、現在は違って来てるんじゃないのかな。この後、米倉さんは結婚して、スピード離婚じゃないけど、まだ離婚はしてないんでしょうが、結婚してあんまり経たずに別居生活に入っていて、その後、もう離婚をするばかり、という状態なんだとか、芸能ゴシップですけど。このニュース記事から二年経って、米倉さんの男目線評価はちょっと落ちたんじゃないかなあ、とボクは思いますけど。でも、これと同じ最新のアンケート調査結果とか知らないから、実際のことは何とも言えないけど。

 まあ、感想書いてるのはボクですから、ボクの個人的な好みだと、米倉涼子さんは素敵ですけど、ボクの好みではないですね。お前如きが何をほざく、ですけど。三位の壇蜜さんもそれ程ファンでもないし。二位の長澤まさみと四位の深田恭子はグッと来ちゃいますね。ズバリ、好きです。五位の綾瀬はるかはそんなにタイプでもないなあ。後は、ここのランクインでは、北川慶子と石原さとみですね。北川慶子さんは結婚しちゃったから、2年前とは順位が変わるかな?やっぱり未婚既婚で男の見る意識も変わるでしょうからね。まあ、男の妄想の世界ですよね。ボクは、深田恭子、石原さとみ、長澤まさみ、北川慶子ですね。この面々にグッと来ちゃいますね。10位の松下奈緒さんとかは、ボクはタイプではないですね。まあ、男も女もみんな、個々に好みがありますからね。良いんじゃないですか。人気商売に対しての妄想ごっこくらい。

 「セックスしたい30代させごろ女優」ってもろ露骨なタイトルですね。恥ずかしいくらいな。まあ、女性誌でも、「抱かれたい男」なんてやってるくらいですからね。ボクは子供の頃からメンクイだったからなあ。それとボクは身体が大きい方なので、長身の女性よりもどちらかというと、小柄な女性を好む方が多かったみたいですね。セクシーよりも可愛い系か。まあ、みんな妄想の世界です。




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変態さんが行く 3

2016年03月31日 | 芸能ログ

○元キンコメ高橋被告、制服盗認める 「間違いありません」

 

  高校から女子生徒の制服を盗んだとして、建造物侵入と窃盗の罪に問われた元人気お笑いコンビ「キングオブコメディ」の高橋健一被告(44)=東京都大田区=は2日、東京地裁(菅原暁裁判官)で開かれた初公判で「間違いありません」と起訴内容を認めた。

 起訴状によると、昨年4月25日午後1時すぎ、東京都世田谷区の高校の女子更衣室に侵入し、女子生徒3人のブレザーを盗んだなどとしている。

 高橋被告は今野浩喜さんとコンビを組み、コント日本一を競う「キングオブコント2010」で優勝した。平成27年12月の逮捕後、所属していた芸能事務所「プロダクション人力舎」に契約を解除され、コンビは解散した。

 

○元キンコメ・今野浩喜、相方逮捕を自虐「グループ内に泥棒がいた」

 

  元キングオブコメディの今野浩喜が28日、『第16回ビートたけしのエンターテインメント賞』の激励賞を受賞し、都内で行われた授賞式に出席した。司会者の江口ともみから「相方の逮捕で、コンビ解散となりました今野浩喜さんです」と紹介され、登壇した今野は「実際に『相方が捕まって』と言われると、けっこうグッとくるものですね」と素直な気持ちを吐露した。

 審査委員長のたけしは「(コンビとして)これからって時だったのになぁ」と今野に同情しつつ「落語の上下(かみしも)もちゃんとできるし、いい腕を持っている。あなたはあなたで、これにめげることなく芸能界で、特にお笑いの世界で頑張るべきだと思う」とエール。最大級の賛辞を送られた今野は「知らない方もいると思うんですが、同じグループ内に泥棒がいたんです。これ以上細かく言うと生々しくなるので…」と、たけし流の“毒ガス噴射”で元相方の逮捕を振り返った。

 先日の会見で、激励賞のごほうびとして「北野映画に出させてください」と懇願していた今野だが、たけし本人を前にして改めて「激励賞を選んだたけしさんには、責任を持ってもらいたい。しっかりと僕を北野映画に使っていただきたい。どんな役でもやります」とアピール。司会のガダルカナル・タカから「例えば、女子高に忍び込んで…」とブラックなネタで突かれるも「それは、元相方に言ってください…」と気丈に切り返していた。

 その後の囲み取材で、今野はたけしの激励に「おちゃらけただけかと思っていたんですが、あんなに真面目に思ってくれているんだとびっくりしました。いい思い出になりました」と感謝。「たけしさんから『アイツにやってよかったな』と思ってもらえるような活躍をしたいと思います」とさらなる飛躍を誓っていた。

 

○元キンコメ今野 逮捕の相方高橋に怒り

 

  相方の高橋健一被告が住居侵入と窃盗の疑いで逮捕、後に起訴されたためお笑いコンビ・キングオブコメディが解散となった今野浩喜(37)が26日、出演する舞台「カサネ」の記者発表会に出席した。高橋被告の事件後、初めて本格的に取材を受けた今野は、高橋に対しては「怒りはあります」と心境を吐露。ビートたけしから今後に注目されていることを報道陣から伝え聞くと、北野映画出演に期待を寄せた。

 相方の事件以来、俳優業の仕事ばかりになっている今野。俳優なのか、芸人なのか、と質問されると「自分でも分からないんですよ」と苦笑い。「ああなってから俳優の仕事しかしてないんでね。おれ本当に何者なんだろうと。喜劇役者だと思っています、今や。人の台本でやるのが面白いですね。演じがいがあります。来たものを拒まずという感じで。歌でも何でも」と、戸惑いながらも仕事をこなしている様子だった。

 高橋については「ご迷惑をおかけしまして。その点はすいませんでした。全般にいろんな人に迷惑をかけた怒りはありますね」と心境を語った。舞台の共演者も同席していたことから、「今、こんな話をする場ではないので」と恐縮していた。

 

○初公判で暴かれた…元キンコメ高橋健一被告の“異常性癖”

 

  都内の高校に侵入し女子生徒の制服を盗んだとして、窃盗と建造物侵入の罪に問われたお笑いコンビ「キングオブコメディ」の元メンバー・高橋健一被告(44)の初公判が2日、東京地裁で開かれた。

 高橋被告は14年12月、東京・江東区の高校に侵入。女子生徒のブレザーなど44点を盗んだほか、昨年4月にも世田谷区の高校に侵入して女子生徒のブレザーなど25点を盗んだとされる。高橋被告は「間違いありません」と消え入りそうな声で起訴事実を全面的に認めた。

 高橋被告は20年ほど前から窃盗を繰り返していて「制服を見ながら自慰行為をしたり、女子高生を空想したり(していた)」と話しているという。

「公判では、制服一式を揃える目的で、上履きや靴まで盗んだことが判明。かなり重度の“JKフェチ”でした。自宅からはすでに、ポリ袋に入った制服など約600点を押収。現場ごとに袋を分けるなど異常ぶりが際立っていました。“収納先”が徐々になくなり、バレるのを恐れてか、自宅に芸人仲間を呼ぶことはなかったそうです」(芸能ライター)

高橋の逮捕で「キンコメ」は解散。しかし、相方の今野浩喜(37)はNHKの大河ドラマ「真田丸」に出演するなど、役者として評価を高めているのが不幸中の幸いか。先日行われた「東スポ映画大賞」では審査員長のビートたけしから「今度、映画に出てよ。『サドルを盗む役』とかで」と騒動をネタにされていたが、犯罪者役がリッパに演じられるようになれば役者としても一人前だ。

 

○ 【制服窃盗】元キンコメ高橋被告 重い“制服依存症”のメカニズム

 

  重度の依存症だった!! 2つの高校に忍び込み女子生徒の制服など計約70点を盗んだとして窃盗の罪に問われた元お笑いコンビ「キングオブコメディ」の高橋健一被告(44)の初公判が2日、東京地裁(菅原暁裁判官)で開かれた。裁判では、これまでの取り調べで高橋被告が制服ドロへのこだわりについて供述していることも分かった。コンビ結成前の約20年前から制服類を盗んでいた高橋被告。違法だと分かっていても、盗まずにはいられなかった重い“制服依存症”のメカニズムをマニアが分析した。

・・・ 取り調べではさらに「盗品の制服を見て自慰行為をしていた。女子高生の姿を空想していた」と供述していたことや、靴や上履きまで盗んだ理由について「制服として一式揃えたかった」と話していることも分かった。父親と2人暮らしの実家で、空想上の女子高生カノジョとの“愛の巣”を築いていたようだ。

・・・ さらに同マニアは「自宅に保管する行為はさながら、自分しか知らない場所に女の子を監禁している気分になるのです。1回こっきりの援交より、目の前にある制服を着た“空想の”女の子を鳥かごに入れたような支配欲の方がよっぽど性欲を満たせるのです」と続けた。

 高橋被告は奇想天外の発想力でコント職人としてファンからも芸人仲間からも一目置かれていただけに、想像力は常人と比べ物にならないほどたくましいのだろう。話もつまらなく、男心も分からない生身の同世代女性に興味を持てず、究極の“女子高生カノジョ”を創り上げてしまったのか。

「制服でオナニーするクセがつくと、リアルな女性の肌のキメにも嫌悪するようになりますよ。話をするのもおっくうになる。何しろ飽きたら代わりの女の子(制服)はいくらでもいるわけですから、リアルな女に目を向けることがなくなります」(同)

 20年も理想の女の子のパーツ集めに奔走した高橋被告。弁護士によると「いろんな人に迷惑をかけてしまい深く反省しています」と話しているというが、逮捕を機にスパッとやめられるものなのか。

 前出のマニアは「高橋被告の場合は、ブルセラなどで購入する制服では興奮できないでしょうから一生、制服ドロ欲と闘わざるを得ないのでは」と指摘する。

 制服泥棒、下着泥棒、盗撮、痴漢などは変態的な性癖というより性依存症のひとつで、心の病だとされる。治療を受けなければ、やめられないのかもしれない。

 

※(2012-11/22)変態さんが行く

※(2015-11/14)変態さんが行く2 

 

 元キングオブコメディ・高橋健一が高校に侵入して、女子高生の制服を盗んだ容疑で逮捕されたのが2015年末で、ここの上記に挙げているネットサイトニュース記事は、その後の高橋の裁判などを報じた記事で、2016年の3月初旬のものばかりです。ですから、僕が書いているこの事件に対する感想コメは、ちょっと日にちが経ってから書き込んでいます。

 キンコメ高橋については、前に何かニュースになってたよなあ、くらいの記憶だったんですが、調べてみると、2007年に一度、電車内での痴漢容疑で逮捕されてるんですね。逮捕の二日後に釈放、後に不起訴になって、事務所の意向で芸能活動を自粛したものの、後に復活、本人は痴漢犯罪は否定したままだったんですね。

 でも20年前から中高に忍び込んで女生徒の制服などを盗み続けて、何と700点もの女子生徒の学校制服を蒐集していたとは、この2007年の痴漢犯罪も本人は否定したままだけど、怪しいものですね。

 このニュースを聞いて腹が立つことは、窃盗被害になった女学生のことだ。この馬鹿が泥棒に入った学校がお嬢様学校で、所属する生徒がみんな裕福な家庭の子供たちばかりなら、良いけど、まあ、窃盗は犯罪だから本当は駄目だが、それでも、制服を盗まれた女子生徒が金持ちの娘なら、別に、直ぐに保護者が替えを買ってくれて、それほどは問題はないだろう。ただ、その日は体操着で下校しなければならないくらいのものだろう。

 でも、この馬鹿が入った学校はお嬢様学校ばかりでもないだろう。今は特に子供の貧困が叫ばれている時代だ。この馬鹿は考えないのか。こいつが制服を盗んだら、比較的貧しい暮らしの家庭の娘は、翌日から学校へ着て行く制服がなくて、とても困ることを。

 今は母子家庭も多い。日々の生活がやっとの家庭は想像以上に多い。そんな貧しい家庭から何とか子供を高校へ通わせてる家も多い筈だ。今の学校の制服は高額だ。比較的貧乏な家では、なかなか直ぐにおいそれとは替えの制服が買えないだろう。

 本当にこいつには腹が立つ。明日から学校へ着て行く制服のなくなった子供の身になってみろ。翌日、私服で学校行くのは恥ずかしいぞ。ひょっとしてからかう意地悪なクラスメイトだって居るかも知れない。家計の理由でなかなか替えの制服が揃えられなかったら、しばらく私服で通わなければならなくなる。教師から指摘されたりするだろう。恥ずかしくて学校行けなくなるじゃないか。

 この馬鹿、ぶん殴ってやりたいよ。欲望か何か知らないけど、ふざけたことやって。変態でも良いから、他人に迷惑掛けるなよ。キングオブコント優勝の実力でけっこう売れてて仕事もあったんだから、稼ぎもけっこうあったろう。自分でちゃんと普通に、洋品店で制服をいっぱい買って来て、新品で妄想すりゃ良いじゃねえか。芸人なんてクリエイティブな仕事してるんだから、新品でもそこは想像力だろう。

 自由社会だから変態でも良いんだよ。お金出して風俗行っても秘密クラブ行っても良いじゃないか。金持ってるんだから。金使ってマニア向けの店行けよ。他人に迷惑掛けるなよ。この馬鹿が制服盗んだことで、本当に困る子供もその母親も、実際出ているだろう。自分の欲望のことばかりじゃなくて、ちっとは他の人のことも頭巡らせろよ。ニュースで知ってたろう、子供の貧困とか、母子家庭の問題。子供を高校通わせるのに大変な家庭も多いんだよ。そういう世の中の困ってる人のことも考えろよ。TV出る仕事してるくらいなんだから、世の中で起こってることにも目を向けろよ。今、TVの報道番組とかでも、貧困問題いろいろやってるだろ。

 本当にこいつには腹が立つ。盗むな、馬鹿。他人の迷惑を考えろ。特に世の中のイロイロ困っている層の人たちのことを考えろ。

 僕の話になるが、僕の中三卒業時、家が破産して親父が家を出て行き、僕が高校進学時、家は超貧乏になった。幸い、当時進学する高校は制服が学ランで、僕の中学時の学生服か兄貴の着古しを着て高校へ行けた。でもやっぱり進学で新たに高校ヘ行くとなると、たくさんの教科書や指定された体操着などなど、いろいろとお金が掛かって本当に大変だった。母親に苦労を掛けた。だから貧しい家庭の子供のことはよく解る。家のお金がなくて、僕は高校の修学旅行へ行ってない。これも仲の良い友達がみんな旅行へ行く中、自分だけ残るのは辛かった。本当にね、貧乏な家の子供は大変なんだよ。いろんな思いしながら、それでも将来を見据えて学校通ってんだよ。

 学校で体育や部活動の時間の間に制服を盗まれた子供は大変だろうな、と思う。家が比較的裕福な家庭の子供は一過性だろうが、貧しい家庭から何とか通っている子供は、高い制服の替えはおいそれとは買えない。今の時代、学ランやセーラー服なんてほとんどなくなって、各学校指定のブレザー仕様の制服だろう。本当に今の制服は高額なのだ。

 だから、自分のクルクルパーみたいな欲望を満足することしか考えず、他人の困ることを指先ほども考えない、この変態には本当に腹が立つ。芸人なんて仕事してるんだから、もっと想像力働かせて他人のことも考えるべきなのに。

 何度も言うが、別に変態は良いんだよ。他人に迷惑さえ掛けなきゃどんな変態だろうと良いんだ。ヒトのものとか盗むなよ。ヒトに迷惑掛けずに自分で勝手に変態プレイで楽しんでろよ。他人に迷惑さえ掛けなきゃどんなプレイも良いんだから。芸人で稼いでたんだから、マニア向け風俗店に行けば良いんだよ。

 判決はまだなんだろうけど、この男の罪はどうなるんだろう。数が多いもんなあ。700点もの女子中高生の制服。長年の学校侵入と窃盗の犯罪件数はもの凄い数なんだろうからなあ。件数がかなり多そうだから、初犯だろうけど、執行猶予は付かないのかなあ。女子生徒の制服700着!やっぱり実刑だろうなあ。

 フェティシズム変態からの犯罪だけど、これも病気っちゃ病気的でもあるよな。こういう性癖って治らないって聞くしなあ。病気みたいなものでもあるんだから刑務所に何年か入ったからってその性癖がなくなる訳でもないだろうしなあ。むしろ、シャバに出て来たら、何年かぶりで同様の犯罪行為をやりたくてうずうずするんじゃないのか?何年か服役しても再犯してしまうんじゃないだろうか。

 精神医学や心理学の学者や研究者で、人間の性癖、「変態」を研究している人は、確実に居るんだろうからなあ。やっぱり、完治するのかどうか素人の僕には解らないけど、変態は「病気」の一種と考えて、法に違反する変態行為で罪を問われた者は、実刑になったとしてもただ刑務所に入れるだけではなく、できるだけ「変態」から解放されるように、何か治療的なことをやる方が良いと思うのだけど。でないと、この性癖を持ったままだと、単に服役中に我慢してただけで、シャバに出て来ると自由の身になって、またその性癖が現れて来るんじゃないのか。

 フェティシズム変態はまだ良い方で、被害は衣服や下着や靴なんかを盗まれるまでだけど、ロリコンも変態の一種に入れて考えられてるんだろうが、ロリコンはヘタすると殺人事件にまで発展する困った性癖だからなあ。児童誘拐から拉致監禁。ヘタするとその先は殺人事件だ。皆さんもご承知の通り、このロリコン誘拐から殺人事件というケースはけっこう多い。ロリコン変態は凶悪事件に発展する場合も、ケース的に多いとても困った性癖だ。潜在的に「ロリコン」を持っている男性は実は相当多いのだろうからなあ。

 ここでは元キンコメ高橋の犯罪の話だから、フェティシズム変態の性癖の話だ。同じ変態を扱っても、ロリコンはともすれば凶悪犯罪になってしまう重大な問題になる。ロリコンを扱うと話の幅が拡がり過ぎてしまう。フェティシズムは少なくとも直接的には人の命の問題まで行かないもんね。ケースに寄っては、フェチ犯罪で見つかった犯人が地位があって、自分の罪が露見したら社会的な打撃が大き過ぎるからと、見つけた人や被害者を始末してしまおうと考えたとき、二次犯罪が重大な犯罪になることもあるかも知れないけど。

 キンコメ高橋は、あ、元キンコメだけど、高橋被告は、詳細に読んでないけど、生い立ちに複雑な環境で育って、精神的に悪い影響を受けている‥、とかいうネット記事も見掛けたが、この男は四年制大学を卒業してるし、プロ芸人としては大賞まで獲得して成功を見ている。世の中には不幸な人はいっぱい居る。不運な環境で育った人もいっぱい居る。この男は恵まれてる方だ。痴漢犯罪逮捕からも不起訴で復活してたのに、本当に馬鹿な奴だ。刑務所で頭冷やして、出所後は二度と窃盗犯罪はやらないで欲しい。必死で欲望を抑えろ。

 

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 (2016-6)6月7日に元キンコメ·高橋は200万円の保釈金を払って、一応シャバに出て来ましたが、まだ判決が降りた訳ではないので、保釈の身で裁判は続いている訳です。警察に逮捕されて直ぐに事務所解雇と同時に漫才コンビ解散ですね。

 20年間に渡る窃盗犯罪で盗んだ女生徒制服1000着。どうなんだろう?判決は実刑が来るか、執行猶予が着くのか?逮捕歴は初犯ではある訳ですよね。何年か前に電車内での痴漢行為で挙げられたけど、あれは結局、冤罪ってコトで落ち着いてるんでしょ?罪は問われてないんですよね?やっぱり不起訴処分で冤罪扱いで落ち着いたんですね。逮捕された事件の中身から、何かこれも怪しく思われてしまいますけど。

 この人の犯罪は病気的傾向が強いので、これから通常世間で生きて行くのに果たして抑えて行けるのか?って疑問はありますよね。何しろ20年間も隠れてやって来た犯罪ですから。仮に実刑になっても、刑務所に居る間は強制的に我慢させられてるってだけで、この性癖が根本的に治る訳じゃない訳ですからね。


 

 

 

コメント

野坂昭如先生逝く‥

2015年12月16日 | ブックログ

○「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去

 

   社会批判とユーモアに満ちた活動を続けてきた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなった。不意の別れを惜しむ声が、各界からあがっている。

 関係者によると9日午後9時半ごろ、自宅で横になっていた野坂さんの意識がなくなっているのを家族が見つけ、救急車を呼んだ。病院に搬送したが、午後10時半ごろ、肺炎からくる心不全のため死去したことが確認されたという。

 編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った。

 美術家横尾忠則さんのもとには、雑誌の往復書簡企画のための手紙が、先週届いていた。眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え、原発問題についても懸念する内容だったという。「野坂さんは60年代から一貫して貴重なメッセージを発信してきた。病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う」

 永六輔さんが出演するTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」では、7日の放送で野坂さんからの手紙を紹介していた。日本が真珠湾を攻撃した12月8日が近付いていることにふれ、「日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と現代日本の針路を危ぶんでいた。

 野坂さんの厳しい社会批判の言葉の裏には、空襲体験や家族を失った悲しみに根ざした弱者への愛が常にあった。「戦争童話集」シリーズの絵を担当したイラストレーター、黒田征太郎さんは「『戦争童話集』には胸を突く言葉があふれている。戦争をテーマに人間のちっぽけさを語ることができる人」と惜しんだ。

 

○「野坂昭如、ノーリターン。合掌。」 五木寛之さん寄稿

 

  作家・五木寛之さん(83)は、長年の「共闘者」野坂昭如さんを惜しむ文章を朝日新聞に寄せた。

 いずれどちらかが先に逝くだろうと覚悟していたが、突然の訃報(ふほう)に呆然(ぼうぜん)としている。

 新人として登場した頃から、偽悪、偽善の両面を役割分担しつつ、微妙な距離感を保って50年あまりが過ぎている。

 彼が選挙に出たときには、応援演説もしたし、「四畳半襖の下張」事件では弁護側証人として法廷にも立った。また「対論」という型破りの本も一緒に作った。私生活ではお互いに意識的に離れながらも、時代に対しては共闘者として対してきたつもりである。

 ジャーナリズムの奔流の中で、くじけそうになるたびに、野坂昭如は頑張っているじゃないか、と自分をはげましたものだった。そんな意味では、恩人でもあり、仲間でもあった。大きな支えが失われたようで、淋(さび)しい。無頼派を演じつつも、傷つきやすい芸術家だったと思う。

 野坂昭如、ノーリターン。合掌。

 

○吉永小百合さん「非戦への思いを…」

 

  「焼け跡闇市派」を自任、本業の作家以外にも作詞や政治など多彩な活動で話題を集めた元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日、心不全のため死去した。85歳だった。通夜・密葬は近親者で営む。本葬は19日午前11時、東京・青山葬儀所。喪主は妻暘子(ようこ)さん。

タレントで元参院議員・野末陳平さんの話

 私にメディアの世界のことを教えてくれたのは野坂さん。20、30代の頃は居候して、いつも一緒に仕事をしていた。「ワセダ中退・落第」コンビ名で漫才をし、全く受けなかったのは笑い話だが、彼は作詞家として売れても、人のやらないことをやってやろうと考えていた。普段は温厚で物静かだが、酒が入ると面白く大胆になる。世間の印象は後者だろうか。互いの病気もあって長く会っておらず、昔話がしたかった。

俳優・吉永小百合さんの話

 ご回復を待っていましたのにかなわず、残念です。野坂さんの飛び抜けた行動力と非戦への思いを、今しっかりと受け止めたいです。

長く交遊があった直木賞作家の長部日出雄さんの話

 黒眼鏡できまじめさを隠し、不幸だった人を語り伝える小説を書いた。「火垂るの墓」ほど銃後の不幸を描いた小説はない。日本の文学史に語り継がれる作品であり、野坂さんは戦後を代表する作家になった。広い分野で活躍されたが、私にとっては信頼できる小説家でした。ご本人は亡くなっても多くの作品が、日本人のなかに生き続けると思う。

作家、瀬戸内寂聴さんの話

 作家として非常にすばらしい才能があった人で、本当に惜しい方を亡くした。最近は体が弱ってきて書くことも大変だった様子。最近、雑誌上での私との往復書簡では、政府の動きを受け「日本が非常に怖いことになっている。心配してても病気で体力が無いと何もできない」などと書いていた。どんどん私より若い人が亡くなり本当にさみしい。

 

沈黙の奥のやさしさに 寂聴さん、野坂昭如さんを悼む

 

  野坂さん、あなたが亡くなったと朝から電話がひっきりなしに入り、新聞社という新聞社から、あなたの逝去を知らせてきました。野坂さんの生前の思い出はどうかという質問と、追悼文を書けという話ばかりでした。すべての電話に同じことを答え、しまいには自分が機械になったような気がしました。ようやく電話が来なくなった時は、一四時半になっていました。

  今日わかったのですが、あなたは八十五歳にもなっていたのですね。全くのおじいさんじゃありませんか。世の中では長命な方といわれましょう。野坂さんの随筆で、長命など望んだことがないとあったのを覚えています。私も全く望みませんでした。それなのにいつの間にか九十三歳にもなっています。昨年大病したのに、死に損なってまだ生きています。でも長生きしている自分をめでたいとか、幸せとか喜んだことは一度もありません。野坂さん、あなたもそうでしたね。

 たまたま、久しぶりで何気なく書棚からひっぱり出してあなたの「シャボン玉 日本」という本を読み返していたところだったのです。表紙に、黒めがねの、つやつやした肌のハンサムなあなたが大きく写っています。アラーキーのその写真は、何時のものかわかりませんが、御病気後のものでしょう。もしかしたら四年前、私がお宅へ伺った日のものかもしれません。

 あの日は、あなたからの初めてのお誘いで私が参上したのでした。タクシーの運転手が気が利かなくて、あなたのお宅のまわりで三十分も迷いました。とても寒い日でした。あなたがオーバーも着ず、玄関の外に出てずっと待っていて下さったのに驚きました。何てやさしい方なのだろうと思いました。三時間余り居た間、あなたは一言も喋(しゃべ)らず私一人が喋り通して疲れきりました。脳梗塞で倒れられて、ずっと療養中のあなたは、文は書かれるけれど、会話はまだ御不自由なのでしょうね。その日、困った編集者が、最後に、

「瀬戸内さんをどう思われますか?」

 と訊(き)いてくれた時、ゆっくりと、しかしはっきりと「や、さ、し、い」と答えて下さいましたね。どんなたくさんの対談よりも、その一言を何よりの慰めとして帰ったのでした。

 それから、たちまち四年が過ぎ、今度も突然、野坂さんから雑誌に往復書簡をのせようと話があり、私から先に書くことになりました。お返事は雄弁で、私のことを、いつでも体当たりで生きているのがいいと書いて下さいましたね。「シャボン玉 日本」を今、読めと、あなたがさし出してくれたような気がします。

 この中には、今の日本は戦前の空気そのままに帰ってゆく気配がすると、政治の不安さを強く弾劾していますね。今、この本を若い人たちに読んでほしいと、私に告げて、あなたはあちらへ旅だたれたのですね。長い間お疲れさまでした。私も早く呼んで下さい。私も何やらこの日本はうすら寒い気がしてなりません。

 

○「火垂るの墓」ゆかりの神戸、震災時に支援物資 同級生「もう一度飲みたかった…」

 

   「焼け跡闇市派」として戦争を見つめた視線は、幼少期を過ごした兵庫を襲った未曾有の災害にも向けられた。9日、85歳で死去した直木賞作家、野坂昭如さん。小説「火垂(ほた)るの墓」に神戸の風景を登場させて平和を語る一方、平成7年の阪神大震災では、舞台となった場所に支援物資を届けていた。

 自身の空襲体験を基に、空襲で両親を失い孤児となった幼い兄と妹を哀切に描き、アニメ映画も評判を呼んだ「火垂るの墓」。作中、空襲で焼け残った姿が登場する御影公会堂(神戸市東灘区)で食堂に勤める鈴木真紀子さん(52)は、阪神大震災後に訪れた野坂さんの姿が忘れられない。公会堂は大きな被害を受けなかったが、薬などを支援してくれたという。

 「風邪薬などの支援物資を届けてくれたことは、今でも感謝している」

 野坂さんが脳梗塞(のうこうそく)で倒れる十数年前まで、年に数回程度来店していたのを覚えており、「またお目にかかり、ゆっくりお話ししたかった」と目を伏せた。

 野坂さんは震災当時に神戸を訪れたことを7年2月の産経新聞紙上で書いた。

 《御影公会堂は、さほどでもなかったが、かなりの異臭が避難所にたちこめている。終戦後、駅構内に、人間が生きている以上、いかんともしがたく発する臭い、排泄(はいせつ)物も含め、染みついて、二、三年は残っていた。臭(にお)いの記憶は、強烈に刻まれるらしく、たちまち五十年前に立ち戻り、少し大袈裟(おおげさ)だが言葉を失った。

 昭和20年の神戸大空襲と震災を比べ、《地震による破壊は比較にならぬほど、無惨(むざん)である》とも書いた。

 野坂さんゆかりの兵庫では、突然の悲報に驚きと悲しみが広がった。

 火垂るの墓に登場する同市や兵庫県西宮市の戦跡を巡る「火垂るの墓を歩く会」。毎夏の計17回開いてきた同県尼崎市の公務員、辻川敦さん(55)は「戦争を伝える良い作品を残していただいた。できる限り活動を続け、野坂さんの思いを伝えたい」と話した。

 西宮回生病院(西宮市)も作品に登場する。現存建物は老朽化のため一部解体されるが、井上馨院長(59)は「新病院になっても野坂さんの平和への思いを引き継ぎたい」。

 神戸市の旧制中学で同級生だった洋画家、吉見敏治さん(84)=同市長田区=は「級長を務めて成績も優秀だった。約20年前にテレビの対談企画で再会する予定が、酒の飲み過ぎで体調を悪くしたようで会えず、空襲後は結局会えずじまい。戦争を生き抜いた同級生みんなで、もう一度飲みたかった」と語った。

 

戦争の本質を伝え続け 野坂昭如さん死去

 

   野坂昭如さんにとって戦争体験は、半世紀を超える創作・言論活動の原点だった。1945年6月、幼少時から住んでいた神戸の大空襲で養父が焼死し、養母が重体に。幼い妹を連れて、火炎に包まれた町から逃げ延びたものの、敗戦後1週間で妹を餓死させた。

 この痛切な体験を、直木賞を受賞した「火垂るの墓」や長編の傑作「一九四五・夏・神戸」に描いている。幼い妹を死なせながら、なお、飢えをしのいで自分は生き延びようとする。「人間がいかに愚かで、いったん事あれば、ガラリと変わり、人間が人間でなくなってしまう。そんな生きものであるということを身をもって知った」。昨年出したエッセー集「シャボン玉 日本」に書いたこの思いは、野坂文学を貫く不動の立脚点だった。

 エッセーやテレビ出演など多彩な活動を通じて、戦争の本質を語り続けた。戦後の日本を振り返り「すべては砂上の楼閣」と言い放った言葉は、戦争体験を忘れつつある日本人への忘れがたいメッセージである。

 

シャボン玉 日本 迷走の過ち、再び 単行本

アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集~忘れてはイケナイ物語り~ 単行本

騒動師たち―野坂昭如ルネサンス〈4〉 (岩波現代文庫) 文庫

野坂昭如リターンズ〈4〉一九四五・夏・神戸、東京十二契 単行本

幻の名盤解放歌集 絶唱!野坂昭如 マリリン・モンロー・ノー・リターン 野坂昭如 (アーティスト) 形式: CD

 

 「♪ジンジンジンジン血がジンジン‥」「♪バイバイベイビー‥」「♪男と女の間には~」「♪この世はもうじきお終いさ‥マリリンモンローノーリターン~」…。十代末頃、僕は野坂昭如さんのアルバムレコードを買って来て、毎日聴いて、野坂昭如さんの歌をイロイロ憶えた。初めて野坂昭如の歌を聞いたのはTV番組の中で、僕はまだ高三だった。その後、会社の歓送迎会とか忘年会の酒席で、僕は酔いに任せてよく、野坂昭如の卑猥な歌詞の歌を、威勢良く歌った。よく歌ってウケていたのは、「♪ぼんぼの唄」だった。野坂さんの歌で好きだったのはやっぱり、「♪マリリンモンローノーリターン」だったかな。まだ、カラオケが普及する前の時代、僕はよく酒場で、無伴奏手拍子やクラブのピアノ演奏だけで、「黒の舟歌」を歌った。「黒の舟歌」も僕の好きな歌で、加藤登紀子さんのカバー版も好きだった。

 ♪マリリンモンローノーリターンの曲は「♪この世はもうじきお終いさ‥」で始まるが、あの当時、僕は野坂昭如の説く終末思想にかなり影響されていた。18歳になってたと思うが、調度その頃、大江健三郎のエッセイ集を読んで、その中で、大江健三郎さんの友人の話が書いてあって、この、件の友人が、核戦争に寄る終末ノイローゼで、日々、いつ核爆弾が頭上から降って来るかと怯えながら生きている、ということだった。実際、“ダモクレスの剣”みたいなイメージの症状かな。大江さんのエッセイには、随所に核と人類滅亡のことが強調して書かれていた。と思う。野坂昭如さんは、僕が高三の終わり頃か、もうちょっとその後だったか、その頃、「終末から」という定期刊行雑誌も出していて、責任編集に就いていた。僕が高二高三時代に読んだ、野坂昭如さんの小説にも、短編長編、“死”を扱った作品が多かった。

※(後で調べたんだけど、「終末から」という雑誌は、1973年に筑摩書房から創刊された隔月刊雑誌で、あんまり流行らず、僅か9号で廃刊になったらしい。75年にはなくなったらしいですね。それと、野坂昭如責任編集は僕の記憶違いで、野坂昭如さんは主要な執筆陣の一人だったようですね。僕は創刊頃に二冊くらい買っただけですね。読んでるだろうけど、あんまり面白くなかったのか、続けて購読はしてませんね。)

 十代末から20代の前半、23、4歳頃までの僕は、終末思想に取り憑かれていた。「どうせ先では核戦争で人間はみんな滅ぶんじゃないか」。本気でそう思い込んでいた。それが5年先か10年先か20年先になるか解らないが、きっと世界的な核戦争が起こって人間は滅亡する、とそう信じていた。また、20代前半には、PK・ディックのSFも読んでるし。ディックさんのSFには、世界的な核戦争が起きた後、荒廃してしまった地球上が舞台のお話も多い。だから、僕は一方で、どうせ人間は先で滅ぶ、今の文明も跡形も無くなる、と思い込んでて、虚無的な思いに支配されてた。でも、ニヒリズムだけじゃ生きて行けないから、勿論、それなりに希望も抱いて生きていたけど、心の奥には「どうせ人類は滅ぶ」みたいな、諦念的な虚無感が横たわっていたように思う。

 20代も半ば頃になると、僕も終末思想からは解放されてたけどね。18歳頃から取り憑かれた終末思想だったけど、いつまで経っても核戦争は起こりそうにもないし、実際、毎日ニュース聞いてても、キューバ危機みたいな時局も来なかったし、何かその内、気分も緩くなって“終末”も忘れて来て、どうでも良くなって、終末感はなくなって来た。だから、僕も20代後半はあんまり、「人類滅亡」とか考えなくなってたよね。でも何となく、虚無的な感じは持ち続けてたかな。

 実際、冷戦時代は、アメリカを代表とする西側とソビエトを代表とする東側、合わせて何万発という核爆弾が地球上に存在した。勿論、当時よりも数はぐんと減ったろうが、今現在も核爆弾は、地球の生物を何回も絶滅できるほどの核が、地球上にある訳だけど。冷戦時代、そりゃあ、両サイドとも核の管理は厳重だったろうが、何かの拍子にICBMで仮想敵圏の都市に向けて、核爆弾を撃たないとも限らない。すると、やられた側はやり返す。全面全滅戦争だ。アメリカとソビエトでICBM何発も応酬すれば、NATOともワルシャワ条約機構とも関係しない国々も、やがて地球全上空を回る放射能で壊滅的打撃を受け、その後、地球上のほとんどの生物は死滅するだろう。若い頃、僕はこれはね、けっこう信じてたんですよね。両サイドが明らかな戦術核として数を競って保有してても、何かの間違いでつい、一発撃ってしまった、ということだって起こりうるだろう‥、って。そこから報復の核の応酬が起きて、やがて人類は滅亡する、と。だから、当時の僕は「どうせ人類は滅ぶ」、みたいに漠然と思ってた。

 僕が高校を卒業して社会に出た70年代って、野坂昭如さんやメディアを代表する当時の知識人で、「終末論」を語る人ってけっこう多かったし、小松左京の「日本沈没」は大ベストセラーになったし、同じく小松左京の「復活の日」も小説も売れたけど、映像化された角川映画もヒットした。73年には「ノストラダムスの大予言」が刊行されて、これも大ベストセラー本になった。「ノストラダムスの大予言」は、けっこう長くブームでしたよね。僕自身はこの本には特に影響されなかったけど。あの時代は何か、流行みたいに「終末思想」の雰囲気が漂ってましたよね。

 高二の春に転向して来たクラスメイトが貸してくれた、松本清張と五木寛之の文庫本がきっかけで、僕は当時の流行小説の虜になった。16、17、18歳の高校三年間、僕は毎夜、当時の流行小説を読み耽って過ごした(高一の一年間は本読まなかったから、実質、高二高三の二年間)。松本清張、五木寛之、遠藤周作、井上ひさし、野坂昭如‥。柴田錬三郎なんかも読んでたな。あと、純文学分野になるけど、庄司薫や柴田翔とか。吉行淳之介もけっこう読んだな。読んでいたのはほとんど当時の流行小説で、こういう本は学校の図書館には置いてないから、当時は学校の昼食を抜いて、昼飯代を貯めて本屋で買って来て夜中に読んでた。市立図書館に行けば当時の流行小説だってあったんだろうが、馬鹿な高校生だった僕は気が付かなかったのか、公共の市立図書館利用の選択肢は、当時はなかったな。

 松本清張、五木寛之から、次に僕が熱中した作家が野坂昭如だった。16歳で読書を覚えてから、10代末まで僕が一番影響を受けた作家が、野坂昭如だった。作家というより、一番影響を受けた人間かも知れない。松本清張の社会派推理小説はメチャ面白く、五木寛之の小説はカッコ良くて憧れ、野坂昭如にはもっと深いところで影響を受けた。野坂さんの小説は面白くて笑えるのだが、もっとブラックで毒があり、虚飾を剥いだ人間の滑稽さや物悲しさがあった。笑える情けなさ。泣き笑いしてしまうような情けなさ、滑稽さ。野坂さんの書く小説は「深い」と思った。少なくとも、カッコ良くって憧れた五木寛之の小説よりも深いな、と感じた。勿論、早い内から「アメリカひじき・ホタルの墓」も読んだし、「騒動師たち」や「とむらい師たち」は笑えて面白く、後から毒に気付く。僕は五木寛之の数多くの短編作品も大好きだったが、野坂昭如の短編も好きで面白く、短編集もいっぱい読んだ。「骨餓身峠死人葛」「受胎旅行」「死の器」などなどの短編集。この当時読んだ記事で、野坂昭如さんの作品が英語翻訳されてアメリカで刊行されるということで、アメリカでは「サルトルに迫る‥」というキャッチーで発売される、という話だった。野坂文学には、題材に死や性を扱ったり、人間の虚飾を剥ぎ取って、生身の人間そのものを見せる作風の小説が多かった。人間の滑稽さ、愚かさ、情けなさ、悲しさ。

 頭の悪い少年だった僕だが、当時は、僕は文学的には、五木寛之の作品よりも、野坂文学の方を上位に見ていたように思う。当時は、五木寛之のエッセイ集なんかもいっぱい読みましたけどね。五木寛之と野坂昭如の対談本とか、シビレル感じで読んでた。当時は両流行作家とも大ファンだったから。

  四畳半襖の下張り掲載に寄る猥褻事案裁判、圧倒的強さを誇る元総理地元新潟3区での田中角栄対敵立候補と、野坂昭如さんは一貫して、強大な権力と戦う姿勢で居た人でした。反権力の人で、バンカラな面とユーモラスで紳士然とした面を併せ持ち、テレ屋で偽悪の人だが、内に秘める正義感の強い人だった。大酒呑みだが、ラグビーやキックボクシングのようなハードなスポーツを頑張る姿も、カッコ良かった。

 野坂昭如さんの小説も面白かったが、僕は、当時、中央公論社から発刊されてたハードカバーのエッセイ集本に魅せられていて、確か全6巻で、「日本土人の思想」「風狂の思想」「卑怯者の思想」などと全部、「‥の思想」というタイトルが着いていた。この思想シリーズの野坂昭如さんのエッセイ集は当時大好きで、大袈裟な言い方かも知れないが、言わばバイブルみたいに当時は、僕のフェバリットな本だった。「騒動師たち」や「とむらい師たち」などの長編、「死の器」などの短編集など野坂昭如の小説群にも影響を受けたが、野坂昭如のエッセイ集にはもっと影響を受けたように思う(このエッセイ集本に関しては当時は印象に残るところを何度も読み返してるんじゃないかな。何十年も昔のことでよくは憶えてないけど)。

 でも、僕が野坂昭如さんの著作物を読んでいたのって、17歳から19歳の終わり頃か、多分、20歳になったばかりの頃までだと思う。自分自身では、野坂昭如的な考え方や思想から卒業した感じだったのかな。僕は基本、一度読んだ本は再読はして来なかったので、野坂昭如さんの著作も、ハイティーンの頃、かなりいっぱい読んでるけど、一冊も再読してないので、野坂昭如さんの作品も今となっては、小説もエッセイ集も内容はほとんど憶えてない。まあ、漠然とだいたいの感じは覚えてはいるけど、小説はストーリーさえ忘れきってる作品も多い。タイトルだけ思い出したが、「真夜中のマリア」なんて、どんな話だったかもすっかり忘れてる。確かに読んではいるんだけど。また、野坂昭如の処女作「エロ事師たち」は、十代末、文庫本で買って来てるけど、途中まで読んで本が何処か行って、そのまま完読はしていない。僕が野坂昭如に熱中していたのは、だいたい20歳頃までだ。20歳を過ぎて、何か、熱が冷めちゃったな。

 野坂昭如さんは1974年7月、参議院選挙に立候補して落選したが、僕はこの時、この選挙運動中の野坂さんが、7月のある日、渋谷の駅前で、選挙カーの屋根に立って立候補演説をしているのを偶然見掛けて、生の野坂昭如を初めて見ることができて感激したのを、今でもはっきりと記憶している。独身寮の友人何人かと、東京の繁華街をウロウロ散策しているところだった僕は、街中の雑踏で、超“憧れの人”野坂昭如を発見し、もっと見ていたかったし話も聴いていたかったのだが、一緒に歩いていた連れの友達たちが誰一人、興味も関心も示さなくてみんな素通りして行くので、僕は仲間に合わせて仕様が無く、友達に着いて渋谷駅前を立ち去った。あの当時の僕の周りで本を読んでる人間ったら、勤務場所の上司のSさん一人くらいのもんだったし。僕もその時、仲間を離れて別行動取れば良かったけど、僕の性格から友達に気を遣い、仲間に着いて行った。こういうトコ、僕は弱いんだよね。

 20歳を過ぎた僕は、野坂昭如に対しての関心もかなり薄くなり、20歳からは五木寛之も野坂昭如も読まなくなった。それから、熱中していた頃の小説もエッセイも再読していない。20代前半はSFに嵌まっていて、小松左京や筒井康隆や他の、当時の日本の若手SF作家の小説ばかりを読んでいた。20代後半は都筑道夫などのミステリ小説を読んでたな。引き続きSFも読んでたけど。再読といえば、30歳になって東京から帰郷して来て、自宅に残ってた高校生の頃読んだ五木寛之の短編集が懐かしく、その時だけ、二、三冊、五木寛之を読み返した。後はどんな小説もほとんど再読はしていない。野坂さんの本も読み返した本はないな。

 それから、10代末から20代前半、取り憑かれて陥ってた、大国間の核爆弾の撃ち合いの最終戦争に寄る、全地球規模被害からの人類滅亡イメージ、だけど、思わぬところでこれが晴れることとなった。僕の20代後半になっても、現実的には核戦争の恐怖が去ってしまっていた訳でもないのだが、僕自身、歳を取るごとに“核”に対してのイメージは鈍感になっていた。20代後半には僕も、もうそんなことは普通に気にしなくなっていた。そんなとき、アメリカからニュースが飛び込んで来た。1983年、当時のアメリカ大統領、ロナルド・レーガンの提唱した「スターウォーズ計画」だ。僕はこのニュースを聞いて感激して涙した。地球は救われるんだ、と。

 スターウォーズ計画とは、地球上空軌道上の宇宙空間に浮かぶ、軍事衛星から、敵国から発射された大陸間弾道弾をレーザー照射で撃ち落とす、という、成層圏以上の上空・宇宙空間での軍事攻撃による、対ミサイル兵器防御システムだ。当時、僕は嬉々として喜んだ。 大国どおし、お互いに核爆弾ICBMを撃っても宇宙空間で爆破することができ、地上での被害は受けなくて済む。放射能も宇宙空間に飛散するから、地上にはたいして害はない筈だ。僕はそう考え、これで人類は核戦争に寄って滅ばずに済む、とそう思って、本気で芯から喜んだ。僕がもっと若かった頃、まるで病気に掛かっていたように陥ってた、いわば、核ノイローゼ症状から僕は、全面的に解放された。

 この感激の喜びを誰かに伝えたいと僕は、その当時仲良しだったOSさんと、OSさんの住まいのアパートの近くのスナックで、お互いしこたま飲みながら、このスターウォーズ計画に寄る核戦争の回避に着いて熱く語った。回避というか、敵同士お互い撃ち合っても、宇宙空間迎撃でお互いの核攻撃が無効になる、という話だが。僕が酔いに任せて、熱くこの感動を語ると、OSさんと日大の先輩になるというスナックの中年マスターは、二人して、真っ向から僕の喜びを否定して、馬鹿みたいにだだっ広い宇宙空間でもの凄い高速で飛ぶ大陸間弾道弾を、軌道上宇宙空間に浮かぶ軍事衛星のレーザー照射で、ピンポイント撃墜なんてできるもんか、という反論だった。言われてみればそうカモな、とも思うけど、この時は僕も自分の信じる、信じたいスターウォーズ計画を肯定して主張し続け、二対一でけんけんがくがく論争してた。他に客の居ない店内で、マスター以外にもう一人居る、雇われママらしい熟年オバサンが僕らに向かって、「あんたたちは飲み過ぎで酔っ払ってるね‥」とかって呆れてた。これもよく憶えてる懐かしい、昔の一場面だな。

 僕が小学生・中学生時代に影響を受けた漫画家やTVタレント、映画俳優、お笑いの人などの有名人たちは、悲しいかな、もうほとんどの人が現世を退場してしまった。僕は中学生時代まで漫画漬け生活で、本はほとんど読まなかったが、高二から熱中し始めた流行小説の世界では、影響を受けた遠藤周作氏はもう早くに亡くなってるし、ついに野坂昭如先生までも他界された。野坂昭如さん85歳。思えば僕も歳を喰ったものだと思う。自分が少年時代、青春時代に慣れ親しんだり熱中したり影響を受けたりしたものの、作り手、送り手の人々がもうあらかたこの世を去ったという事実を考えると、ただ寂しいばかりだ。何て言うか、空虚感。そんなものか、っていう感じかな。あっけないような。人は必ず死に行く。寂しいものだ。 

 

 

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妖怪の王様・水木しげる先生、逝く

2015年12月02日 | ブックログ

○水木しげるさん死去:悼む声、各界から

 

  ◇同志であり戦友 敗戦後、中国からの引き揚げで苦労した漫画家のちばてつやさんの話

水木さんとは、年はひとまわり以上違うものの、70年以上前、同じように戦争で死線をさまよい合った。その後の漫画週刊誌の黎明(れいめい)期から今日まで、共に締め切りと闘ってきた「同志」であり「戦友」であり、我々漫画家たちの優しい「お兄さん」でした。訃報を聞き、今は言葉にできないほど悲しくて、寂しいの一言です。

 ◇戦争悲しく描写 哲学者で国際日本文化研究センター顧問の梅原猛さんの話

一度対談しただけだったが、印象的だったのは「自分の漫画は梅原さんが研究した神話からこぼれ落ちた妖怪たちを描いたもの」と言っていたこと。戦場では、辛うじて生き残ったと聞いた。戦争をあのように描いた悲しい漫画はない。戦後を代表する芸術家だった。

 ◇気取らず純粋な人 初代鬼太郎役の声優、野沢雅子さんの話

テレビアニメのシリーズで、初めて主役を務めたのが「ゲゲゲの鬼太郎」でした。声優としてここまでやってこられたのも鬼太郎との出会いがあったからこそ。先生は気取らず、生まれっぱなしのような純粋な人でした。いろんなところに行くのが好きでしたから、今もきっと旅に出られたんだろうなと思っています。そちらでも旅をしながら作品を書いてくださいね。

 ◇不条理をユーモアに 吉村和真・京都精華大副学長(思想史・マンガ研究)の話

 戦争の実体験を基に、余人に代え難い作品を残した。救いのない戦争や、人間とは異質の妖怪の描写が際立っているが、不条理を「そんなものだ」と引き受けたうえで、明るいユーモアがある。そこには当たり前の日常の幸せを実感させる大きな思想があり、戦後を生きる人にとって救いになった。

 ◇偉大な指標失った 小説家で、妖怪研究家としても知られる京極夏彦さんの話

 唯一無二の偉大な指標を失い、言葉もありません。水木しげる大先生(おおせんせい)の遺志を継ぎ、弟子筋一同「妖怪」推進に励むことを誓うとしか、今は申し上げられません。ご冥福をお祈りいたします。

 ◇雰囲気憧れでした NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で、水木さんをモデルにした漫画家役を演じた俳優の向井理さんの話

 初めてお会いしたのは撮影の数日前でした。作品の中では、私はしげるさんの背中を追いかけるのが精いっぱいでしたが、多くのものを感じ、影響を受けました。もうあの時のようにお会いすることができないという現実を受け止めるのには時間がかかりそうですが、どこかで見守っていただければうれしい限りです。「女房」である布枝さんにもお会いできたのは私の財産です。お二人の醸し出す雰囲気が大好きでした。憧れでした。

 ◇天国で漫画描いて欲しい 同テレビ小説でヒロインを演じた女優の松下奈緒さんの話

 突然の訃報に深い悲しみでいっぱいです。撮影が始まる前に、初めて水木先生と奥様にお会いさせていただきました。本当になんてすてきなご夫婦なんだろうと思ったことを今でも覚えています。天国でも大好きな漫画を描き続けていただきたいです。ご冥福をお祈り致します。

 

○家族も僕もファンもみんな水木作品 京極夏彦さん追悼文

 

  ■水木しげるさんを悼む 小説家・京極夏彦

 いつも、必ずどこかにいる。いちいち確認しなくても、ずっといる。いることがわかっているから、安心できる。僕にとって水木しげるさんは、そういう人でした。僕が生(うま)れた時、もう水木漫画はありました。その後ずっとあって、今もある。物心つく前から水木作品にふれて、水木作品と共に育ち、水木作品と共に老いて、今の僕はあります。

 九十三歳、画業は六十年以上。その長きに亘(わた)り、常に第一線に立ってひたすら娯楽を生み出し続けてきた水木さんの功績は、いまさらくり返すまでもないでしょう。それは僕たちの血となり肉となり、そして日本文化の一側面を築き上げたといっても過言ではありません。日本文化の持つ創造性や特異性を「妖怪」という形で結実させ、再発見させてくれたのは、誰あらん水木さんその人でした。

 水木さんには左腕がありませんでした。戦争という抗(あらが)いがたい魔物が水木さんに消えない傷を刻みつけたのです。その残酷な目に見える現実世界と、妖怪という目に見えない精神世界との間を自在に往還し、水木さんは「生きることは愉(たの)しいし、生きているというだけで喜ばしいのだから、もっと喜べ」と、作品を通じ、また身をもって教えてくれました。

 一介の熱心なファンだった僕は、そのうちひょんなことから水木さんと知り合う機会に恵まれ、やがて一緒にお仕事をさせていただくことになりました。ご一緒する機会も多かったのですが、同じ場所にいるだけで「意味もなく幸せな気分になれる人」というのは、そういるものではありません。水木さんはそういう人でした。

 

○水木しげる漫画があったから、この世界に「自分がいてもいいかもしれない」と思えた

 

   水木しげるさんが亡くなった。たくさん「死」や「死後のこと」について描かれた方なので、「ご冥福をお祈りします」でいいのか、ちょっと分からない。とにかく、「ありがとうございました」という気持ちだ。

かなり色々なものを、こんなにたくさん作って残した。未来の人にも読まていくだろう。

人間が死んでも、その人が作ったものが残ってくれて、本当にありがたい。残ってくれなかったら本当にやばい。歴史を変えた発明とか法律だけじゃなくて、漫画だってそうだ。水木漫画なんて、とくに僕はそう思う。

水木しげるは手塚治虫みたいな「漫画のスーパーエリート」って印象が薄い。戦争や貧乏で苦労しまくったイメージが強くて、絵も独特だから、なんとなく「王道じゃなくてもいいんだ」という勇気がもらえる感じがある。「本当はどうか」は別にして。

鬼太郎も悪魔くんも、スーパーヒーローって感じじゃない。薄汚れてたり、お小遣いも少ない(たぶん)。いじめられたり弱さを持った悪魔くんの仲間たちが集まる「見えない学校」も、フリースクールみたいな雰囲気を僕は感じてた。なんかそういう「僕だって!」感が良い。

そんな水木漫画のおかげで「変わった漫画」を作る道に進んだ人も多いと思う。たとえば、勧善懲悪も感動スポーツも、刺激的恋愛とかもないような漫画。そういう漫画を描く人にとっては、「世の中に多様性があって、変わった場所からでもうまくいった先生がいる」って、本当に心強い。

もちろん「鬼太郎みたいな大ヒット作品が作れる可能性が自分にも!」ってことじゃない。「変なもの」って、その存在を認めてもらえないと、ただ作ってるだけでも心が削れる。だから水木漫画みたいなのはすごく心強くて、「自分がいてもいいかもしれない」「自分の好きなものを好きなままで大丈夫だ」って思える。僕も、心の支柱のうち一本は水木漫画だ。

兵庫県の神戸市に、水木通りっていう場所があって、水木しげるの「水木」の由来だ。僕は25ぐらいの頃、その通りのアパート1つ裏、中道通りっていうところに住んでた。彼がここに住んでいたのも僕と同じ頃だった。

だから自然と、頻繁に水木しげるの人生を思い浮かべたりしていた。彼は戦争で腕を失って日本に戻って、画家を諦めたり、紙芝居や貸本で食べられなくなって漫画に至った。ままならないことばかりだけど無鉄砲なわけでもないし、彼の人生はとても参考になった。

「マイペース」という彼の有名なイメージについてもよく考えてた。

 彼のマイペースは、「頑固」「執念」、強く自分を持って「嫌なものは嫌だ」と突っぱねる精神と一式な気がする。僕も自分でいるために、「自分らしくないもの」を避けたり、「自分を脅かすもの」から逃げたりするのは大事だなと思う。そう思うことは、今でも多い。

思うことはたくさんあるけど、とにかくまず第一に、今は「ありがとうございました、これからも作品にお世話になると思います」という気持ちだ。

水木作品は、いろんな出版社から様々なまとめ方をされてて僕は混乱することもあるけど、もし自伝的なものなら『完全版 水木しげる伝』が僕のおすすめだ。講談社から文庫で出ていて、ほどよい長さで、入手もしやすいと思う。

 

○【追悼】妖怪の世界を描き続けた「水木しげる」さんの魅力について / “水木力” あふれる名言3選

 

  突然の訃報に日本全国民が言葉を失った……2015年11月30日、心不全のため漫画家・水木しげるさんが亡くなったのだ。93歳という高齢であったが、いつまでも生き続けてくださることを信じて疑わなかったのは記者だけではなかろう。

この世ならざるモノに大きな関心を寄せ、次々とカタチにしてきた水木さん。きっと今頃、あちらの世界でも「フハッ!!」と鼻息荒く、興味津々で楽しんでいらっしゃるに違いない。残された私たちにできることは、そんな水木さんの思いをつないでいくこと。水木さんの魅力を振り返ってみよう。

・最高傑作は “水木しげる” さんご本人

生涯現役を貫いた漫画家・水木しげるさん。『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』など、数々の名作を世に出してきたことは誰もが知るところ。亡くなる半年ほど前の2015年5月まで、ビッグコミックで『わたしの日々』を連載していた。 

曲がりなりにも “妖怪文化研究家” を名乗っている記者は、直接言葉を交わしたことはないが何度かそのお姿を拝見し、お話を拝聴したことがある。そのたびに話の内容はもちろん、水木さんそのものからあふれ出す魅力がハンパないと感じた。

あんな93歳はほかにいない。作品はもちろん、何よりも “水木しげる” さんご本人が一番の傑作だと断言できるほどだ。水木さんが幸せになるための知恵を説いた『幸せになるための七カ条』は有名だが、それ以外にも数々の名言を残しているので紹介したい。

・ “水木力” が感じられる言葉3選

その1:餓死です、そういう連中を待ってるのは。私はそういうヤツには「死にたければやれ」と言うんです。「死んでもいいです」と言ったところから、出発するんです

軽い気持ちでマンガ家を志望する人について聞かれた時の水木さんの言葉だ。戦争を含め、数々の難局を乗り越えて来たからこそ言えるセリフ。ひょうひょうとした様が印象深い水木さんだが、その実、かなりガッツのある方でもあった。私たちも、少々のことで文句を言ったり投げ出したりしてはいけないと、気を引き締めさせられる一言だ。

その2:戦記物をかくと、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う

戦争を体験し、戦場で左腕をなくし、激動の時代を “絵を描き続ける” ことで生き抜いた水木さん。あまり積極的に戦争体験を話すことはなかったようだが、私たちが想像し得ないほどの苦しい状況を、かいくぐって生きてきたことは確か。心の内に秘めた思いが垣間見える貴重な一言。

その3:人生はあんた、面白くなりかけたころに寿命がくるんです。秘密がわかりかけたころに。神様がわからないようにしてるんだ。

いつだったか、水木さんがテレビの取材で「人生は90歳からが面白い」というお話をされていたと記憶している。些細なことに囚われなくなるから、といった内容だったはずだが、93歳で亡くなったのも水木さんが人生を楽しみ始めていたからか。そうであったらイイなと思う一言だ。

以上、名言を3つ紹介したが、ここでは語りつくせないほど数々の偉業を成し遂げていることは周知の通り。とにかくユニークでお茶目で、とても賢い人だった。間接的にしか存じ上げない記者でも、人間力というか「水木力」が全身から放たれている、魅力的な人だということを知っている。

是非とも、一人でも多くの人に水木さんの作品を読んでもらいたい。そして水木さんの魅力に触れ、彼の遺したものを次の世代へつなげていってほしい。水木さんが、あの世で楽しんでいらっしゃることを願いながら。今までお疲れさまでした。そしてまた、そちらの世界でお会いできることを楽しみにしています。

 

 

 ああ、ついに水木しげる先生も逝ってしまわれた。世間では、水木しげる先生は妖怪の世界へと戻ったのだ、という声も大きいけど、やっぱり先生は現世を退場してしまって、もうこの世には居ない。寂しいですね。

 このブログでも他のブログでも何度も書いてるけど、僕の子供時代、僕に取っては紙の漫画が一番で、つまり印刷された紙面の漫画作品が、もうとにかく、まだこの世に生を受けて何年か、せいぜい十年くらいでも、とにかく紙に印刷された漫画がこの世で一番のもので、とにかく人生一番は漫画というか、絶対漫画という子供時代だった。その次がTV番組で、次が何だろう?家族か友達か。僕は、学校は小学一年から大嫌いだった。

 小学生で漫画が命、みたいな思いで生きてて、学校は嫌いだし、行きたくないけど母親に怒られるから仕様が無いから行ってただけで、担任教師に対しても、今から考えても、正直、そんな「恩師」ってほどの思いもない。全部の学校時代、忘れられない印象に残り続ける先生、とか、ごめんなさい、正直な話、一人も持ってはいない。勿論、いろんな先生、憶えてはいるけれど。学校では授業時間はいつでも、ずーっと、ボーッとして過ごしてた。落書きか窓の外を見てるか、空想・妄想に耽ってるか。だから学業成績もひどいものでした。

 そんな、漫画にどっぷり浸かった、身も心も漫画の子供時代、毎日毎日、熱中して読んでた漫画は、僕の第一番目の教科書でした。その次の教科書がTV番組。次が映画。次が家族と家に来るお客さんとか親父や母親の友達・知人、そして学校の友達。そこから、う~んと離れて教科書。いや、学校の教科書は面白くなかったなあ。宿題しないから、家で開くのも嫌だったし。

 だから、毎日毎日、夢中になって読んでる漫画作品を描いている、漫画家の先生こそ、小学生の僕に取っては学校の先生そのものだった。中学でも同じようなもの。水木しげる先生は、子供時代の僕が非常に良く親しんだ先生だ。勿論、水木先生にお会いしたことなぞ一度もないけど、水木先生は僕に取っての恩師の一人だ。

 いつ頃だったっけ、2000年頃だろうか(?)。水木先生がTV番組の「波乱万丈」に出演されて、もう80歳くらいにはなられていたのかな、それほどはTVを見ない生活をしていた僕が、何十年ぶりかで、いや、実際、動画で水木しげるを見たのは初めてだったのかも知れない、お歳を召されても元気な水木先生の姿をTVで見て、どういう訳か、つうーっと涙が頬を伝った。それまで、少年マガジンの写真でしか見たことない先生を、お顔を何十年ぶりかで見て、僕は泣いた。後から考えるに、あれは、それこそ何十年ぶりかで恩師に会った涙だったのだ、と思った。

 水木しげる先生は、子供時代の僕に、怪奇と幻想とか異世界とか、イマジネーションを膨らませるものを教えてくれたけど、同時に何か、別の価値も教えてくれたように思う。それは、“生物多様性”と似たような価値観だろうか。この世界にはどんな生き物も居て良いんだよ、というような。上級も下級もない、もっと、地球上の全部の生き物を宇宙空間から見て、何だ、みんな生きてて、しょせん一緒じゃないか、というような価値観だろうか。一仕事終えた鬼太郎を称えて「♪ゲゲゲのゲ」と歌う虫たちや、赤塚不二夫の漫画で土管で暮らす猫も虫も、みんな生きてて同じだよ、というような価値観だろうか。水木しげる先生が漫画を通して、作風の怪奇と幻想だけでなく、何か、別のことを教えてくれたように思う。

 かつて、中島梓さん(小説家としての栗本薫さん)が、私は子供時代、学校のどんな教科や教科書よりも、人生で大切なことを、手塚治虫の漫画で学んだ、と書いていらっしゃったが、それと同じだと思う。僕は無論、手塚治虫先生からたっぷりいろんな事々を学んだし、もう少し大きくなって、中学生くらいになってからは梶原一騎先生から学んだものもある。子供時代、他にも、藤子不二雄両先生にも赤塚不二夫先生にも、石森章太郎先生にも学んでいるけど。

 そうやって考えると、楳図かずお先生も桑田次郎先生も入って来るし、キリが無いな。中学生から高一くらいになると、真樹日佐夫先生も入って来る。忘れてた、大きな影響受けた白土三平先生。他にもいろいろな漫画家先生を思い出す。みんな恩師みたいなもんだ。あっ、さいとうたかを先生。「鉄人28号」「伊賀の影丸」の横山光輝先生もだな。

 僕に取っての一番の恩師は、やっぱり手塚治虫先生と水木しげる先生だろう。“漫画の神様”手塚治虫を自分の恩師などと呼ぶのは畏れ多いけど。白土三平先生も大きいか。でも親しみを持つのは、やっぱり水木しげる先生だな。

 僕が子供時代、少年時代、青年時代に影響を受けた、各先生方は、もうあらかた亡くなられてしまったような感じだ。寂しい。残られた先生方もご高齢だし。

 高校生時代に夢中になって読んだ、五木寛之先生と野坂昭如先生は、まだご存命だな。ご存命とかいう表現は何か縁起悪い言い方だけど、両先生ともお元気なんだろう。野坂昭如先生は闘病生活みたいな、けっこう大変な状態なんだろうけど。青年時代に影響受けた小松左京先生は亡くなられたし。青年時に熱中して読んだ筒井康隆先生はお元気だ。まあ、影響受けたなんてたいそうな言い方で書いてるけど、この僕が、何かそんなたいしたものを自分に身に着けた訳でもないけどね。でも、五木先生、野坂先生、小松先生、筒井先生には著作物を通して、小さなものならいっぱい影響受けてるように思う。野坂昭如先生には思想的な面で明らかに影響受けたな。

 水木しげる先生があの世に行っちゃったのは、けっこうショックが大きいなあ。やっぱり寂しいですよ。何か、一つポカンと穴が開いたような‥。

 

 

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