直ぐ上の写真は、多分、その上の近所の人と写真を撮ったときに一緒に兄弟だけで撮って貰った一枚だろう。僕ら兄弟の右端に写る木造の建物が、この当時の、この辺り一帯管轄の電力会社の事務所。親父が1人できり回してた。台風のときとか応援が要るときは何人か電力会社の作業員が来て、ここが、この地域の電気の修復の拠点となったのだろう。ときどき電気代を持って来る人がいてオフクロがお金の授受をしていた(電気料金は集金主体で集金専業の人たちがいた)。
直ぐ上の写真は、多分、その上の近所の人と写真を撮ったときに一緒に兄弟だけで撮って貰った一枚だろう。僕ら兄弟の右端に写る木造の建物が、この当時の、この辺り一帯管轄の電力会社の事務所。親父が1人できり回してた。台風のときとか応援が要るときは何人か電力会社の作業員が来て、ここが、この地域の電気の修復の拠点となったのだろう。ときどき電気代を持って来る人がいてオフクロがお金の授受をしていた(電気料金は集金主体で集金専業の人たちがいた)。
ビートルズの来日が1966年で66年は兄貴は17歳くらいかな。日本のGSブームが67年、多分兄貴は18歳。兄貴は高校生の頃、友達からビートルズの初期アルバムやこの当時のJ ポップ系の日本のたくさんの流行歌のレコード盤を借りて来て聴いていた。高校生時代の兄貴は深夜ラジオも聞いていたようだ。
7つ8つ年上の兄貴の勇姿。兄貴が22歳か23歳ころ。
TBS系列・金曜ドラマワク、2016年4~6月期ドラマに、「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」という、中谷美紀と藤木直人が主演するドラマがありますが、これはテーマがアラフォー女性の婚活で、原作はベストセラー本「スパルタ婚活塾」という、まあ、ハウツー本ですね。このドラマの主題が婚活で、最近は、結婚をしないというか、まだまだ若いのにもう最初から結婚を諦めてる若者、それどころか、若いのに、もう異性との交際さえ最初から諦めてる若者(特に男子)が多いという話を、情報としてよく聞きまして、そういう話に関連した内容の、2014年にネットニュースからピックアップして当Blogに挙げといて、まだ記事アップはしてないトコを思い出し、ここのニュース記事に急いで、ワタシの感想コメントを入れて、記事アップするコトにしました。だから、元記事は2年前のニュース記事です。
恋愛に消極的な男性が多いと言われて久しいが、最近では「彼女を作ることを諦めている」と公言する男性も増えてきたような…。彼女がいない20~30代の男性200人にアンケート調査を行ったところ、51.5%が「彼女を作るのは無理、となかば諦めている」と回答。さらに、「この先も彼女ができないんじゃないかと思う」男性は59.0%に及び、悲観的な様子が見て取れる。
その理由として最も多いのは「収入が低く、金銭的余裕がないから」(45.0%)という切ないものだったが、「自分の性格に問題があると思うから」(38.3%)、「容姿が人並み以下だと思うから」(29.2%)などネガティブな回答も多かった。この自信のなさはどこからくるの? 武蔵大学で「男性学」を教える田中俊之先生にうかがった。
「70年代まで、恋愛は結婚の準備段階と捉えられ、社会的に重きをおかれていませんでした。しかし90年代以降は、マニュアル本の登場やデートスポットの増加などにより“結婚とは別に楽しむモノ”として定着。恋愛の価値が上がったことにより『性格や容姿がよくないと満足させられないのでは』と不安になる人が増えたのではないでしょうか」
なるほど。でも、90年代は今よりガツガツしている人が多かったイメージがある。近年はなぜ諦めモードに?
「“草食系男子”などの概念が普及し、恋愛に積極的ではないと主張しやすくなったことが背景にあるのでは。私の授業でも『僕は草食系だ』と言う男子学生が増えましたね。20年前であれば、思っていても公言できなかったでしょう」
彼女はいらない、無理に恋愛しようと思わない―などと言いやすくなったことで、“諦めやすくなった”という側面も。生きやすい時代になったともいえるけど、女子としては、ちょっともったいない気がします…。
○恋愛ドラマ、なぜウケなくなった?ケータイ普及、若者の恋愛離れという言い訳は本当か?
4月25日、フジテレビの亀山千広社長が「若いつくり手たちが恋愛ドラマに興味をなくしている」「恋愛ドラマをつくりづらくなっている」などと発言し、話題を呼んだが、恋愛ドラマがとにかくウケない。
今は「企業モノ」「組織内不和」「逆転劇」がブームで、恋愛は不要コンテンツともいわれる。1対1の人間関係で問われる「個」よりも、やたらと「集団」が描かれるほうが断然多い。個人的に「トレンディドラマ」や「恋愛モノ」にはあまり(というかほとんど)興味がないので、この傾向に憤慨するでもなく寂しいとも思わない。ただし、主にフジテレビやTBSが着実に築いてきた恋愛ドラマブームで育った人々(30代後半~50代前半)は嘆いているらしい。なぜ恋愛モノがウケなくなったのか。
恋愛なんてホントに「こっ恥ずかしくて情けないこと」の連続だ。他人から見れば、実に間抜けな行為である。理性を失ったり、のぼせあがったり、不毛な疑念を抱いたり、不埒な妄想をしたり、傷ついたり、裏切られたり。間抜け上等、それが恋愛である。また、不倫も略奪愛も同性愛も駆け落ちも腹上死も心中も、立派な恋愛である。
往年の恋愛ドラマでは、こうした愛の形(負の部分も含め)を猪突猛進で追い求めればよかった。『東京ラブストーリー』(1991年)、『101回目のプロポーズ』(同)、『あすなろ白書』(93年/いずれもフジテレビ系)や『想い出にかわるまで』(90年)、『クリスマス・イヴ』(同)、『高校教師』(93年/いずれもTBS系)あたりまではよかったのだろう。
ところが、このバラエティに富んだ間抜けさの集合体である恋愛が、ドラマで描かれる際にいつの間にか「素敵系」へと美化されてしまった。セックスのセの字もない、不倫どころか奪い合いもない、執着しない・あきらめのいい・素直な人物ばかりが登場してきて、表面的なやりとりで恋愛を表現するようになった。要は「きれいごと」である。
●面白くないからウケない
恋愛の根底にある愚かさと間抜けさを絵ヅラにせず、主役をカッコよく見せることばかりに専念しすぎたせいで、つまらない恋愛ドラマが増えてしまった。スポンサーへのごますりなのか、巨大事務所への接待なのか、小うるさいクレーマー視聴者対策なのか、いろいろと事情はあるのだろうけれど、制作側の及び腰が最大の問題だと思う。「携帯電話やらSNSが普及して、すれ違いの恋愛を描きにくくなったから」とか、「若者の絶対的な恋愛離れ」とか、ただの言い訳にすぎない。面白くないからウケない。その一言に尽きる。
リアリティのない恋愛ドラマを見るくらいなら、東海テレビが鼻息荒くつくり出す、ドロドロ&修羅場が定番の昼ドラのほうが面白いもの。「きれいごと」に物足りなさを感じる世代は、イマドキのうすっぺらい恋愛ドラマから離れていくワケだ。
窪美澄原作・タナダユキ監督の映画『ふがいない僕は空を見た』(東京テアトル/2012年)で、印象的なセリフがあった。主人公の高校生が人妻とコスプレセックスを愉しんでいたことがインターネット上で拡散されてしまい、彼の母親が営む助産院のホームページが悪意と嫌がらせで炎上した。それに対して、ベテラン助産師がひと言、吐き捨てる。
「ばかな恋愛したことない人なんて、この世にいるんすかねー」
まさしくそのとおり。恋愛なんて本当にばかばかしくて、恥ずかしいもの以外の何物でもない。葬り去りたい黒歴史は、恋愛につきもの。そこを描かずに惚れた腫れたなんて、嘘くさいに決まっている。そろそろ空気を読むのをやめて、真剣に「ばかな恋愛ドラマ」をつくってほしいと思う。
○これを読んでも、本当に「独りでポックリ逝きたい」ですか? 若者にも身近な「孤独死」の実態
若者にとって、「孤独死」は決して遠い問題ではない。現に、恋愛や結婚で盛り上がる女子会の中で、恋人のいない者が「孤独死」をリアルなものとして語るのをチラホラと見かける。ひとりで何も予定もなく家でダラダラと過ごすと、きっと自分の老後はこんな風に孤独なものになるのだろうと思えてくるのだという。「恋愛も友達付き合いも面倒だなぁ」などと思っていると、誰にも気づかれぬままひっそりと亡くなり、気づけば死後数日発見されない…なんてことになってしまうかもしれない。そう思うと悲しい心持ちがしてこないだろうか。
結城康博氏著『孤独死のリアル』(講談社)によれば、「孤独死」で亡くなる人の数は年間で3万人と推計されている。1日に100人近くが孤独死している現状があるのだ。結城氏に言わせれば、「最期は家で独りで」の時代が当たり前になろうとしているらしい。2015年には、65歳以上の独り暮らし高齢者は全国で600万人、30年間で5倍に増えている。老夫婦もいずれかはどちらかが亡くなり、「独り暮らし」世帯となる。三世代世帯は約50%(1980年)から約15%(2011年)と激減しているのに加え、結婚しない人の割合の増加も最近の傾向。これから益々、「孤独死」の割合は増えていきそうだ。
結城氏によれば、寿命が長い分、独り暮らし高齢者の割合は女性の方が多いが、「孤独死」するのは男性の場合の方が多い。「孤独死」で亡くなる人のうち、男性の割合は全体の7割以上を占めていると結城氏はいう。孤独死対策で全国でも名高い千葉県松戸市常磐平団地自治会の中原卓実会長によれば、これは生活習慣とも関係しているそうだ。独り暮らしの男性は、近所の人とのコミュニケーションを断つ人が多く、あいさつすらしない。そして、「家族もいない。電話もしない。あいさつもしない」といったような「ないないづくし」が孤独死を招くひとつの原因だと中原会長は指摘している。会社が定年となって在宅生活が始まった後、打ち解けて地域のコミュニティに参画できない者が多いというのが現状らしい。
地域とのコミュニケーション能力に欠ける人は「孤独死」で亡くなる可能性が高く、身寄りが見つからず自治会でごく簡単な葬儀を行うことも珍しくはない。そして、無縁仏として葬られることになる。役所が死者の戸籍を辿り、遠い親族と連絡がとれるケースもあるが、多くの場合、遺産のことを告げると、親族は現れ、一方、全く遺産がないと、「役所で葬って下さい」との返答が返ってくるらしい。
「孤独死」と一口にいっても、発見される日数によってその悲惨さは異なる。結城氏は、首都圏で検視医を務める田中努氏(仮)にも取材しているが、死後2、3日中に発見される遺体は周りから気にかけられていた存在であり、必ずしも悲惨な状態とは言えないという。だが、2週間から1ヵ月以上も経った場合は、遺体からの異臭や窓にたかる蠅などの異変に近所の住民が気づいて行政担当者や警察が部屋に入って発見されることになる。遺体は腐ると、身体の脂が滲み出て液化するため、家の床もすべて張り替えなければならない状態だ。
特掃隊長著『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、遺体痕処理から不用品撤去・遺品処理・ゴミ部屋清掃・消臭・消毒・害虫駆除まで行う「特殊清掃」作業の中で特掃係長が見た「生」「死」について描かれている。妻に先立たれた独り暮らしの老人が「最期は部屋でポックリ死にたい」と発言したことに対して、多くの遺体痕処理をしてきた特掃係長は「気持ちは分かるけど、おススメできない」と感じたという。一般の人は、自らが死んだ後の身体については深く考えない。人が死んだ後の自らの身体について考える時、せいぜい、「最期はなにを着せてもらおうかな?」「遺骨はどうしようか」ということくらいだと特掃係長はいう。自分の身体が腐っていく状況を想定している人はいないだろう。だから、自宅でぽっくり逝くことを安易に望むかもしれないが、その現実はそう簡単でなかったりする。夏だと遺体の損傷は早いし、冬場でもコタツに入ったままで下半身がミイラ化した遺体や電気毛布の中で発酵した遺体等、暖房が遺体を腐られてしまうこともあるのだ。目をそむけたくなっても、「孤独死」にはそんな死がつきものであるのだ。
どうあがいても、死はやってくる。だから、何処で死ぬかなど決められるものでもない。だが、最期をどう迎えたいのか、もう少し具体的に考えみてもいいのではないだろうか。「孤独死」の問題は個人がいかに死と向き合うのか、そして、地域社会とのコミュニケーションをいかにとっていくかで変わるように思える。老いも若きも、「終活」を今一度考えてみてはいかがだろうか。若いアナタだって、「孤独死」する可能性は決してゼロではない。
このネットニュース記事を、元記事として揚げたのが、2014年6月で、公式のニュースサイトでももうとっくにこの記事は削除されて跡形もないでしょう。「生きたまま極楽!」Blogを開いてから2、3年までは、もっとかな、3、4年までは、いや、思い切って4、5年まではと言っておこう、まあ、ブログ開いてからしばらくは、ネットの玄関サイトでトピックニュース捜して、これはって目に付いたニュースはコピーペーストしてリンク張って、ニュース記事揚げて、僕自身の感想コメントをつたない文章で長々書き込んで行ってたんですが、その内面倒くさくなって、というか、2011年春の僕の左目の網膜剥離症が大きかったですね。イロイロ理由あって、病院懸かるのが送れて、入院即手術したけど、左目の視力回復があんまり思わしくなかった。まあ、僕の病院懸かるのが遅かったのが一番悪いんですけどね。で、失明危機から手術後回復した僕の左目の裸眼視力は、0.01もなくなった。元は両目裸眼0.1だったんですけどね。これで、モノ見るのに、歳喰ってから元々疲れやすかった目が、さらに直ぐ眼精疲労するようになってしまった。左右の大き過ぎる視力差で、活字やパソコン見るのが視力的に辛くなってしまった。眼鏡で離れて見てるTVは結局右目の視力だけで見てるから、まあ、何とか良いんだけど、それでも昔に比べるとTV見てるだけでかなり眼精疲労する。2000年代後半に比べて、2011年以降の僕のBlog記事Upの頻度が激減したのはこの身体的理由が一番大きいですね。
それでも2011年の左目手術後の左目の視力が極端に落ちて、物を見るのに不自由するようになってからは何かそれが悔しくて、この2011年からこっち、2014年くらいまでは片目だけで文庫本をめっちゃ読んで行きました。何だか視力障害に負けたくなくて。片方の目をタオルかガーゼで隠して片目だけで読んで行く。疲れるけど自分としてはかなり頑張って本をいっぱい読んで行きました。でももともと悪い目で片方の目だけで読むのはやはり疲れるのが早い。それでも自分としてはかなり読んだ方です。でも2015年くらいになると目の疲れが進み、読書ペースが落ちて来た。加齢もあるんでしょうね。2015年くらいになると読書量は半減しましたね。2016年に入るともっと減った。かなり読まなくなった。両目で活字追うと視力差が大き過ぎて、行が重なって読めず、仕方なく本は片方の目を隠して片目で読む。直ぐに疲れますね。
本題と関係ないですね。ここに挙げてるネットニュースは、いわば“若者の恋愛離れ”という問題ですよね。テレビで恋愛ドラマが流行らなくなった、とか。でも、コミックでは「恋愛マンガ」は売れてるでしょう。「恋愛小説」もそれなりに売れてるんじゃないかなあ。ライトノベルも舞台設定がSF や魔法やファンタジーでも、かなり恋愛要素に重点置いてて、けっこう売れてるでしょう。映画も相変わらず恋愛もの多いし、ヒットしてる恋愛映画は(観客)入ってるんじゃないですか。ただ、TV の恋愛ドラマが昔ほどウケないだけで。
時代背景が、トレンディードラマ全盛時代と、全くと言っていいくらい変わったんでしょうね。トレンディードラマ全盛時代って、どれくらい?広くは80年代·90年代ですね。経済成長安定期で豊かな日本、Japan as No. 1 、バブル時代へ。バブルが弾けた後も、ロストゼネレーションとか言われたけど、90年代は何となく世の中は漠として“バブル”の余韻は残ってて、雰囲気漂ってたんじゃないかな。2000年代に入って、あの栄光の時代は終わったんだよ、ってなって来たけど。
でも、現在、恋愛に関する関心度は男女差がかなりありますね。恋愛マンガの読者も恋愛映画の観客も恋愛小説の読者も、みんなほとんど女性でしょう。で、現実的な女性は、金持ってなくてサエなくて貧乏くさい、現実のホンマモンの男に行かなくて、物語世界の綺麗で魅力的な男に恋する。勿論、実体の無い擬似恋愛だけど、現実のサエない男と仲良くなって苦労するより良い。現代女性は恋愛には憧れるけど、現実のサエない男との苦労の多い楽しくない恋愛は嫌、というコトでしょう。夢みたいなファンタジー的なとびきり楽しい恋愛に憧れる、と。
今の人は「自由を愛する」というのも強いですね。「自由」というか、「自由な生活」「自由な暮らし」ですね。“家庭”に縛られず自由に生きて行きたい、という。また、現実に、先のこと·将来のこと、考えなければ何か仕事して収入得て納税してれば、その生き方も許されるし。親や周囲や国家が厳しく「結婚して自分の家庭持て」と言って来る訳でもない。昔は、昭和の時代は、絶対結婚しなきゃいけない、結婚しないと人間じゃない、みたいな暗黙の掟が厳然とあったけれど、21世紀になって、何かそんな雰囲気は薄らいじゃったでしょう。みんな自由に暮らして良いんだよ、って空気。
よく、このジャンルの評論家みたいな人、ワイドショー·コメンテーターみたいな人が、今の若者も本当は異性と交際して結婚したいのだ、って言いますね。本心は彼女欲しい、結婚したい。でも現代の男の子は自信がなくて消極的。消極的過ぎて、もう最初から諦めてる、と。
でも、若者に結婚して貰って家庭作ってできれば二、三人子供作って貰わないと、明日の日本を担う次世代が生まれない。国の将来を担う次世代が生まれないというのは最凶の国家的危機ですよ。若者にはもっと恋愛に積極的になって貰わないと、冗談でなく国が困る。若い皆さんは恋愛に関心持ちましょう。特に男の子。
ドラマは、婚活に必死なアラフォー女性の奮闘というか、迷走を描いた物語で、上記に挙げた二年前のニュースサイトの記事の内容とは、直接は関係ありませんが、広くは“結婚”や“恋愛”という枠組みの中で、ムリムリ感も強いけど、まあ、一緒みたいなモンかな、と。そーいう訳でTV 新作ドラマとちょっと前のニュース記事を強引にくっつけて挙げました。
◆スパルタ婚活塾 単行本(ソフトカバー) – 2014/7/23
◆恋愛体育教師 水野愛也の「スパルタ恋愛塾」ソフト編 [DVD] 形式: DVD
◆【早期購入特典あり】私 結婚できないんじゃなくて、しないんです DVD-BOX(ポストカード付) 形式: DVD
○タイプ診断 キャラ脳 「腕組み」と「指組み」でわかる性格とは?
うさ脳とは、指組み・腕組みが以下の状態になる人のことで、情報の入力を右脳/出力を左脳で行い、性格は「世話好き・愛情豊か・義理人情にもろい」です。
- うさ男
- 直感力に優れ、自分の確固たる信条があるため、周囲に流されることはない
- その反面、融通が利かずに損をすることも多い
- 冷静に見えるが実は義理人情に厚く、心を許した相手の面倒見は良い
- うさ女
- いつもニコニコ笑顔で、相槌上手
- 直感力に長けていて、他人の気持ちを瞬時に察知するのが得意
- 自分を犠牲にしても、相手に誠意を尽くして面倒を見ようとする愛情深い面もある
- ただし、頼み事を断れない弱さがあり、相手に合わせ過ぎて苦労することもある
うさ脳には、以下の有名人がいます(五十音順・敬称略)。
- うさ男
- 安倍 晋三
- えなり かずき
- キングコングの梶原 雄太
- キングコングの西野 亮廣
- 土田 晃之
- 古舘 伊知郎
- 松本 潤
- ロンドンブーツ 1 号 2 号の田村 淳
- うさ女
- 蛯原 友里
- 大塚 愛
- 仲間 由紀恵
- 光浦 靖子
- 梨花
さう脳とは、指組み・腕組みが以下の状態になる人のことで、情報の入力を左脳/出力を右脳で行い、性格は「社交家・状況判断が鋭い」です。
- さう男
- 論理的に物事を考え、情緒豊かに表現する
- 仕切り上手で、会議や話合いでは最初は聞き役で、最後はまとめ役
- 話に起承転結があり、オチも欠かさない
- コミュニケーション能力の高い自信家
- 他人との程良い距離感を大切にするので、「心を開かない」と思われることもあるが敵は少ない
- さう女
- 冷静かつ理性的な視点で物事を把握して、場の空気を読む能力に優れている
- 話題豊富で、如才なく世間を渡り、盛上げ上手
- 頼られるのが好きで、他人の愚痴や弱音の聞き役にもなる
- ただし、頑張り過ぎることもある
さう脳には、以下の有名人がいます(五十音順・敬称略)。
- さう男
- 明石家 さんま
- 石原 良純
- 大竹 まこと
- 金剛地 武志
- 所 ジョージ
- 福澤 朗
- 渡辺 謙
- さう女
- 川田 亜子
- 黒柳 徹子
- 長澤 まさみ
- 久本 雅美
ささ脳とは、指組み・腕組みが以下の状態になる人のことで、情報の入力も出力も左脳で行い、性格は「理論派・完璧主義者・几帳面・努力家」です。
- ささ男
- 何事も論理的に計画を立てて行動する
- 真面目で誠実、情報収集や分析が得意
- 意外と男っぽい熱い思いを持っているが、相手に伝わらないことも多い
- 「できない自分」が大嫌いで、すぐに意地を張る
- 縄張り意識が強く、図々しい人が苦手
- ささ女
- 徹底的に真面目な完璧主義者
- 上品で清潔感があり、男性に媚びることはない
- 用件を端的に伝えることが上手だが、愛想笑いや相槌は少ない
- 他人に触られるのが苦手で冷たい印象を与えることもあるが、周囲からは信頼される
ささ脳には、以下の有名人がいます(五十音順・敬称略)。
- ささ男
- 石原 慎太郎
- 中居 正広
- 爆笑問題の田中 裕二
- フットボールアワーの岩尾 望
- フットボールアワーの後藤 輝基
- 舛添 要一
- 宮本 恒靖
- ささ女
- 堀北 真希
- 和田 アキ子
うう脳とは、指組み・腕組みが以下の状態になる人のことで、情報の入力も出力も右脳で行い、性格は「本能優先・楽天的・マイペース・行動派」です。
- うう男
- 何事にもまっすぐにぶつかっていく行動力と、裏表のない性格が周囲から好感を持たれる
- 前向きで明るいムードメーカーで、自分をいかに格好よく見せるかが大切
- 洋服はもちろん、眼鏡などの小物にもこだわる
- 仕草や話し方も研究して、サラリと気障なことをやってのけるところもある
- うう女
- 猪突猛進で行動力があるかなりのチャレンジャーで、危ない橋を渡ることも多い
- 見た目は個性的で、新しい言葉を造ったり鼻歌を歌ったりする
- 感情が顔に出るので、何を考えているか周りにすぐばれる
うう脳には、以下の有名人がいます(五十音順・敬称略)。
- うう男
- インパルスの板倉 俊之
- インパルスの堤下 敦
- 木村 拓哉
- 新庄 剛志
- 高田 純次
- タモリ
- 塚本 高史
- 出川 哲朗
- 二宮 和也
- うう女
- 飯島 愛
- 押切 もえ
- YOU
- 米倉 涼子
◆利き脳片づけ術: 脳タイプで、お部屋も心も未来もスッキリ! (実用単行本) [単行本]
両手を組んで、左手の親指が下に来て、両腕を組んで右腕が下に来る僕は、この表から言うと、「さう脳」になります。「さう男」の項を読んでみるとね、当たっているような気もしないこともないけど、「さう男」の代表例に挙がる有名人、明石家さんまさんはキャラ的には僕とはあまりにも違い過ぎます。大竹まことさんとかならちょっとは近いような。でも、大竹さんの方が僕よりも何倍も優秀なキャラでしょうが。「さう脳」のインプットを左脳、アウトプットを右脳で行う、と言われれば、なるほど、そんな気もします。「さう脳」の特徴だという、「仕切り上手」や「コミュニケーション能力の高い自信家」というのは、先ず僕にはない気がする。それからね、付き合いで、「他人との距離感を置きたがる」というのは当たっている気がしますね。「心を開かないと思われることもある」というのは、僕はそうですね。人との距離を保ちたがるから、よっぽど仲良くならないと、言い換えれば心を許した相手にしか心は開かないよーな感じかな。あと、「相手に寄って付き合い方を変える」というのもあったけど、これも当たってるよーな気がする。僕は若い頃、ひと頃、“カメレオン”て呼ばれてましたから。僕には、いろんな人たちとコミュニケーションを取るに当たって、各々に対して、自分のキャラを少々変えるトコロがあったカモ。まあ、コミュニケーション力には自信はありませんけどね。
でも、もともと僕は集団の中では平和主義者で、あんまり争いごとを好まないから、誰とでも仲良く、というか誰とでもうまくやろうとする。だから悪く言えば「八方美人」に見られやすいと思う。とにかく、組織というとオオゲサだけど、その集団内で難なくうまくやっていたいから、誰とでもうまくやって行こうとして、相手に寄っては自分を変え、みんなと合わせようとする。悪く言えば自分がない。そして一日、集団の中で一生懸命みんなとうまくやって、その後一人になってホッとする、という感じだろうか。まあ、人生、そんなうまくやって来れた訳じゃないけど。はっきりしないから、そういう手合いを嫌う連中も居るだろうし。派閥を作りたがる連中も多いし。この社会の集団では、人間関係を敵味方で考える人も居るしね。集団があればボスが出来たり、ボスが二人出来て、派閥になることも多いし。まあ、大人の社会とは、企業内組織だったら、競争社会になることが多いしね。まあ、そんな中で競争が苦手な僕は、誰とでもうまくやろうとして、疲労困憊してた訳だ。つまり、僕は先ず絶対に、集団のリーダーや牽引役になる人間じゃない。僕はスポーツといえば中学校以来、剣道とか空手とか格闘スポーツしかやったことないけど、これは僕が直接的な競技が好きな訳ではなく、生来臆病者の僕が「被害妄想」的だったからだ。常に鍛えてないと世間が怖かっただけの話だ。
でも、論理的にインプットしたがる、というのは解る気がする。若い頃からけっこう小説とか読書好きだったし、もとからの頭が悪いので、難しい理論は理解不能なので、あんまり学術的なものとかは読んで来なかったが、例えば漫画評論とかなんて、読んで面白ければ良いだけの漫画を、これでもかと理屈に理屈を重ねてムリムリにでも解析して論ずる漫画評論とか、大好きだったし、理屈っぽいのがけっこう好きなトコロあるんだよね。今でも、TVの情報番組とか見て、論理的に情報を頭に入れたがる傾向はあるし。そのクセ、アウトプットの方、表現として表に出るのは、感情的に出ることが多い気がする。モノゴトの感想も、感覚的に抽象的な表現が出て来るような気がするなあ。せっかく論理的にイロイロ情報を頭に入れたのに、表現として出て来るのが感覚的だったり感情的になってたりしたら、元も子もない気がするけど。
まあ、こういう占い的なもの、性格判断や人間分類みたいなものはえてしてみんな、ああ当たってるなあー、ってトコロもあれば、いやいや俺は私はそういうトコロはない、という否定する箇所もあるもんだよね。血液型もそうだが、これもどだい、人類70億、日本人1億2、3千万居る中で、いろいろな性質・性格、多彩なキャラが居る人間を、たった4つに絞り込むのは無理が在り過ぎるよね。でも、各脳カテゴリに分けられてる有名人の顔ぶれ見ると、何か共通点あるようにも思えるけど。キャラ的に何か、ああこの人たちは同種かも知れないな、と思えそうな気がする。つい占いを信じ込んじゃう思い込み心理かも知れないけど。でも、自分のコトで考えると、自分のキャラと明石家さんまや所ジョージはあまりにも違い過ぎる。僕みたいな何処にでもいるどころか、平凡よりも下の下なキャラが、天下の芸能界のトップに君臨する才能たちを比較対象に使うのはあまりにもおこがまし過ぎるけど、あえて言えば、僕のキャラは明石家さんまや所ジョージよりも、あくまでキャラ的にはタモリやビートたけしの方が近いような気がする。無論、今の爺さんになった両雄で、若いころの戦闘的なビートたけしなんかでは全然ない。タモリもたけしさんも精神力は凄いもの持ってるし。勿論、運や才能もあるけど、僕も、彼らの何分の一かの精神力も欲しかったよ。
この四つの中で、論理的にインプットして、論理的にアウトプットできる「ささ脳」、最強だな。こういうキャラには憧れるな。ユングのタイプ論で言えば、思考タイプ。外向的思考タイプ。良いなあ。そういうキャラで生きてみたかったな。
○なぜB型差別は始まったの? 意外と長い血液型性格診断の歴史
「自分さえ良ければ良い」「マイペース」「自己中心的」「ワガママ」…。血液型の話題となると、決まって蔑まれるのが、B型の人間だ。もし、血液型が本当に性格を決定づけているとしても、他の血液型にだって欠点はあるだろう。それなのに、なぜB型だけが世間から虐げられているか。B型は世間から日頃どんな目に遭っているというのだろうか。
『B型ですが何か?』(シバキヨ/イースト・プレス)は、B型代表、主婦兼マンガ家のシバキヨ氏がB型の実態を描き出したコミックエッセイだ。シバキヨ氏に言わせれば、世の中はB型差別で溢れている。血液型の話題で毎度悪口を言われて気まずい思いをすることもしばしばだ。おまけに某質問サイトでは、当たり前のように、こんな質問が投稿されていたりする。
「理不尽な隣人に悩んでます。ゴミの出し方ひとつでも自分のやり方と違うと言ってどなりこんできます。どうしたら、このB型人間を黙らせることができるのでしょうか。」
日本の人口1億2000万人の内の約20%、つまり2400万人がこんなB型差別に苦しんでいるというのだ。
なぜ、B型ばかりがバカにされるのだろう。B型のシバキヨ氏は、A型の夫を見ていると、「A型の人って人間的に小さい」としばしば感じている。たとえば、A型の夫は初めて結婚指輪をはめた時、指輪と指の間の隙間に菌が繁殖しないかを心配したり、財布の向きが揃っていないとブツブツ言ってきたり、ボタンの表示が手あかで薄くなるのを恐れてカーステレオのボタンの真ん中を押そうとしなかった。A型人間もかなり特殊であるのに、なぜB型ばかりが差別されるのか。
そもそも、「B型」にマイナスのイメージがついたのはいつの時代からなのか。『B型ですが何か?』の中では、シバキヨ氏の夫がA型らしい几帳面さでその歴史について語っている。意外なことに日本における血液型で性格診断を行う歴史は意外と古いらしい。1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)教授の古川竹二氏が血液型に関する研究や発表を行っていたのが始まりだという。
古川氏の説によれば、A型は「他人に尽くす」「控え目」「多感な」「温厚な」性格を持つというが、B型は「陽気」で「活動的」であるが、「出しゃばり」で「根気がない性格」。なんだかB型に関する記述が悪口めいていることに気づく。ちなみに、古川氏に言わせれば、O型は「自発的」「理性的」「意志が強い」、AB型は「外面的にはB型に類似し、内面的にはA型に類似」。他の血液型と比べても古川氏の説はなぜかB型への当たりが強いことがわかる。だが、当時、古川氏のこの研究は大変話題になったようだ。ドイツで高い評価を得ただけでなく、当時の権威だった金沢医科大学教授の古畑種基氏もこの説を認めたために、かなり一般的にこの知識は普及してしまったそうだ。
以降、1932(昭和7年)年に古川氏は『血液型と気質』(三省堂)という本を出版、さらに性格との関連を広めることに成功した。その後、いい加減な研究という批判が多くなり、一時は下火になったものの、能見正比古氏が古川氏の説を元として1970年代に出版した『血液型でわかる愛称』『血液型人間学 あの人の心の秘密がわかる!』(ともに青春出版社)がベストセラーとなり、さらに血液型での性格分析は広く世間に普及していき、現在に至るのだ。大正、昭和と昔の人々も相当血液型トークが好きだったことが伺い知れる。シバキヨ氏はこの事実に思わず苦笑しているようだが、私自身も実際に古川氏の論文「血液型による氣質の研究」(『心理學研究』)や日本大学教授の大村政男氏らによる企画シンポジウム録「古川竹二:血液型気質相関説の光と影 東京女子高等師範学校・教育心理学・性格理論の歴史的検討」(『日本パーソナリティ心理学会大会発表論文集』)に目を通してみたところ、古川氏が親族わずか11人の血液型と性格の分析を行なっただけでこの説を提唱したということもわかり驚かされた。B型の人間にとっては、たったひとりの学者の学説から始まって、マイナスイメージを引きずり続ける羽目になったのだから、迷惑な話である。
だが、B型にももちろん良い面がある。シバキヨ氏に言わせれば、B型は明石家さんまや安倍晋三のようにリーダー的素質がある者も多いし、大島優子、綾瀬はるか、篠原涼子に代表されるように、ひとつのことに取り組む芸術家肌の人も多い。そして、何よりも素直で表裏がなく、付き合いやすい面もある。そんなB型のノリの良さ、コミュニケーション能力の高さに甘えて人は思わずB型差別をしてしまうのかもしれない。時代を経ても愛され続ける「いじられキャラ」がB型であるのだ。
◆血液型くん!(初回限定盤) [DVD] 「A型くん」・・・福山潤(本人もA型) (出演), 「B型くん」・・・中村悠一(本人もB型) (出演), 大山佳久 (監督) | 形式: DVD
◆血液型自分の説明書シリーズ『B型自分の説明書』(DVD) 趣味 (出演) | 形式: DVD
◆人生の9割は血液型で決まる! [単行本] 小萩 喜一 (著)
◆気になることが全部わかる!怖いくらい当たる「血液型」の本―あの人との相性、向いている仕事、人づきあいの方法まで! (王様文庫) [文庫]
◆美女の血液型BOOK [単行本] エリカ アンギャル (著)
僕が初めて“血液型性格学”とか“血液型人間学”みたいな本を買って読んだのって、20歳くらいのとき、多分19歳のときだと思う。同時に星占いの、詳しく書いた本を買って読んだのも、この頃だろう。占いに凝り始めたのって、19歳くらいが初めて、だろうな。血液型別で性格を論じるのが「占い」になるのかどうか、だけど、まあ、世間一般的には普通、「占い」カテゴリに入れてるよね。19歳当時、初めて読んだ血液型と性格の本は二冊で、鈴木芳正という人と能見正比古という人の書いたものだった。19歳の僕は、星占い=西洋占星術と一緒にどっちも信じた。僕自身はA型で、もともと人見知りが強く、受身で自己主張せず、積極性に欠ける(と思い込んでいる)自分は、「A型だから駄目なんだ」と、思い込んでいた。A型人に対して失礼な話だけど。随分前に何かで読んだ話だが、とある女性が求職中で、ある求人広告に「B型の人求む」とあって、広告主に理由を訊いたら、「B型は積極的だから」という答えだったので、その女性は面接に行って、「私はA型ですが、物凄く積極的です」と言ったら、採用され、事実バリバリ仕事してる、というような内容の話だった。当時の僕は「A型性格」というのを、もの凄くネガティブに捉えていた。人見知りとか、自己主張せずに遠慮がちで受身、とかいうのは、僕という個人の性格だ。
実際、僕のこれまでの人生で、A型でも、勝気で強気で、常に自分の意見を言い、積極的なキャラクターの人にも、出会ったことはある。また、B型で、人見知りふうで、おとなしい人にも出会っている。若い頃、僕が出会ったB型の二人は、どちらも普段口数が少なく、出しゃばらず、行動も、周囲のみんなに合わせていたように思う。仲間内では、けっこう僕の方がうるさかったくらいだ。また、O型のおとなしい人も居たし。その人は、自分はO型だと言ってたけど、地味で口数少なく、そんなに行動的でもなかった。僕の出会って来た人たちには、O型にもB型にも、普段口数が少なくおとなしい印象で、あんまり社交的でなく、普通、周囲のというか、大勢の意見に従って行動する、そんな印象の強い人が複数居た。また、A型で、社交的で活発な人も居た。
多分、A型O型B型AB型、それぞれ、内気な人も、受身な人も、もの静かな人も、社交的で外向的で友人・知人の多い人も、自己主張が強く勝気な人も、行動的な人も、イロイロ、さまざまなキャラクターの人が居る。これは間違いなくそうだと思う。また、多分、子供の頃、若い頃、中年時代、老域に入ってから、と、性格が変わった、という人も居ると思う。頻繁に、ではなくて、子供時代と大人になってから、あるいは、若い頃と老人になってから、とかいうふうにね。これは生きて来た人生の環境だろう。自分の意志と努力で、性格を変えれた人だって居るかも知れない。苦難の境遇にあって、例えば人間不信とかになってしまって性格の変わった人も居るだろう。苦労して辛く悲しい目にあって、性格の変わった人も、多分けっこう多いだろうし。人生のある時点での環境が性格を変える、というのはあるだろう。消極的で受身な性格から、これでは駄目だと一念発起、強固な意志と努力で、決して諦めない積極人間になった人だって居るんだろう。人間は血液型だけでは決まらない。
でも、ね。何か信じちゃうんだよなあ。血液型による人間分類。性格というのか「気質」というのか。勿論、科学的根拠とか、「根拠」はない、と思ってるし、解ってるんだけど、何か、ありそうなんだよね。どーも、捨てがたい、血液型とヒトの性格。
そもそも僕自身、これまでの、まあ、長いって言えば長い、社会の中のいろんな人間関係で、だいたいB型が苦手、として来ているんだが、実際は、僕の若い頃、都会のサラリーマン時代の十年余りの間、いつもツルんで貰ってて、親友然と一緒に居ることの多かった友達、OSさんは一つ二つ年上だったが会社の後輩で、この人はB型だったし、それから、生鮮野菜果物・生鮮魚介類の航空輸送専業課の職場に居たとき、後輩だがよき相棒になってくれてた、KT君もB型だったし、群馬大田や埼玉熊谷の営業所勤務時代、下請け会社の運転手をやってて仲良くしてもらってたKRさん、彼には、彼の趣味のスキューバー・ダイビングに連れて行ってもらい、ダイビングクラブやショップを紹介してもらって、ダイビング仲間として一緒に遊んでくれた、このKRさんもB型だった。この時代の親友というと、他に、独身寮で同じ部屋だったKT君など居るが、彼はA型だった。高校生の頃の親友の二人は、どちらもO型だな。高二のときに、五木寛之と松本清張の文庫本を数冊貸してくれて、僕に「読書」を教えてくれた不良の文学少年、MT君はAB型だった。小学校のときの近所の幼馴染で、一緒に遊ぶことが多くて、けっこう僕にイロイロ教えてくれてた、成績優秀なMM君、彼もAB型だった。もう一人の、子供のとき、よく一緒に遊んでた幼馴染の、FT君の血液型は解らないのだが、多分、A型じゃなかろうか、と思う。こういう推測がいけないんだよね。そもそもこういう推理・推測が、要するに「血液型と性格」ってコトだね。でも、F君はA型で間違いないような気がするんだけどなあ。
次に、女性相手で考えると、僕は、もとからの性格が内気で人見知りが強く、奥手だったから、恋愛方面はあんまり得意科目ではなかった。小学生の頃まで、女の子とは普通に喋って、何でもなく普通に関わっていたのに、思春期になって異性を意識するようになると、突如として女の子と話ができなくなった。まあ、だいたい僕はウブでしたね。大人になってからはオバサン連中とは普通に会話してたけど、同世代の女性は意識してなかなか喋れませんでしたね。まあ、それでも歳を重ねるごとに喋れるようになるんだけど。でも、相手を意識しちゃうと駄目でした。それでも若い頃はムリムリ、突撃精神でけっこう積極的に、アタックやナンパに行動してましたが、当然のように玉砕ばかりしてました。酒の力を借りて酔っ払ってたり、ガチガチに緊張して行ってたんですから、成功する訳がないんですが。でも割と数撃っては見てた方だとは思いますよ。内気で人見知りなのに健気にも。何か、男は口説きに行かなければいけないのだ、みたいな精神があったよーな、そんな感じだった。で、絶対の義務として大緊張して行って、馬鹿みたく玉砕してた。
だいたい僕は、最初から思い込み的に「B型苦手」意識があって、相手がB型だと解ると、「あ~、B型なのかあ」と、残念感、諦め感になってしまうトコロがある。それは女性相手でもあって、特に相手の人が恋愛対象になりそうなような、例えば年齢など、対象域だと、例えば僕はもう、昔からメンクイだったから、美女とか可愛い人を相手にして、その人に“女”を意識して関心を持っても、相手の人がB型だと知ると、自然、除けて行ってしまう。何か、避ける。実際、僕は、若い頃は、相手の同世代の女性がB型の場合、だいたい全部のケースで、最初はけっこう明るく陽気に会話するんですが、その内、喧嘩になってしまう。僕が若いとき、相手がオバチャンなら別ですが、同世代だとほとんど全ての場合、大喧嘩してる。同年代、年下のB型女性とはよく衝突した。そうだったと思う。そんな気がする。これは相手の女性がB型に限ってですが。他の血液型のときはそういうコトはありませんでした。と思うけど。まあ、相手女性がA型でも言い争いや諍いになったコトもあったでしょうが、そんなたいしたコトにならず、そのときだけ、という場合が多かったように思う。そういえば、O型女性やAB型女性と喧嘩した記憶はないなあ。あったのかも知れないけど、覚えてない。何か一言、言われて傷付いた、とかは多分、いっぱいあるような気がする。
僕はもともと人見知りで恥ずかしがりの内気で、ど緊張するアガリ症で、どちらかというと対人恐怖症のケもあるんですけど、若い頃は、そんな性格でも頑張って行かねばらないのだ、と思い込んでいたから、そんなネガティブ性格でも、アタックやナンパに行ったりしてました。無論、結果は惨敗ばかりでしたけど。そんな中でも仲良くなれた相手は全部、AB型女性でした。僕の出会ったAB型女性はみんな心優しい人ばかりだったので、多分、僕の妙ちくりんな、変てこりんなキャラクターにも合わせてくれてたんでしょう。感謝ですね。
この間の第6回AKB総選挙、上位組、選抜メンバーに入った人たちですが、「B型が多いなあ」って見てたんですけど、1位まゆゆAB、2位サシハラO、3位ユキリンと4位松井jがB、6位山本サヤカB、13位横山結衣B‥、ってそうでもないか。O型がけっこう多いですね。Oの人が一番多いのかな。次がBで、その次がABか。意外と少ないのがA、なのかな。まあ、そんな極端な偏り現象、表してる訳でもないですね。渡辺美優紀とか入山杏奈のB型は何か、意外な気もした。まあ、僕はAKBオタではないし、AKBのCD一枚も持ってないし、ライブも握手会も行こうなんて、先ず思いませんが、こういう血液型分布とか分類現象みたいなのには、興味津々な気持ちが沸いてきますね。
昔NHKアナで、フジの目覚ましTVの元メインやってた、フリーアナの大塚範一さんが、病気治療の手術で臍帯血移殖をやって、元はB型だった血液型が、移殖後A型に変わり、大塚さんの言うに、「アナウンサーにはB型が多いので、A型になっちゃったから、今後の仕事に支障を来たすのでは‥」なんて冗談めかしで喋ってたけど、日本人て、中年以上のイイ大人や老人域に入ろうという人で、しかも高学歴で社会的地位のある人でも、肯定的に「血液型と性格」の話をする人は多い。高い教育受けて社会の上位に居るのに、科学的根拠のない血液型性格学を信じてるふうな感じ。まあ、絶対の信頼すべき情報として、ではなく、ほとんどは、占いみたいな感覚に近いような、占い程度の気持ちで、世間話の中で、例えで持ち出す程度なんだろうケド。僕も基本的にタテマエ、科学的根拠はない、で、ちょっと馬鹿にしたような態度ですが、本心はかなり信じてます。ABO式血液型と性格。
A型といえば、几帳面でキレイ好きというイメージがあるが、なかには“だらしないA型”の人もいる。「どっちが本当のA型なの?」と首を傾げたくなるけれど、実は元にある基本的な性格は同じ。
「A型の根っこには“不精”があります。洗濯も掃除もせずにダラッとしている“干物女”、それがA型の本性なのです。精(エネルギー)を使いたくない、面倒だから早めに片づける。整理整頓しないと混乱するから、整理整頓をするんです」(『人生の9割は血液型で決まる!』(世界文化社)の著者・小萩喜一氏以下「」同)
几帳面でテキパキするか、干物女になるかは、親から受けてきたしつけと、本人の自覚次第。
「もともと農耕生活のなかで生まれてきた血液型なので、集団生活のなかでのルーティンワークや繰り返し作業は得意中の得意。そうした教育をきちんと受け、自律できているA型は、集中力と地道な努力で歩み続けることができます。女性であっても父性の強さが真骨頂で、やるべきことをやり、悪いことは悪いと言ってブレずに人を育てられるのもA型の特徴です」
創造性には欠けるものの、自分の不精さを自覚し、スムーズに行動に移せる習慣を身につけているA型は、仕事でも家事でも無敵なのだ。
ただし、集団生活のなかで他人の目を気にする側面もあり、自分の不精さを隠して真面目そうに見せるなど、“仮面”をかぶってしまうことも。それが時には「あの人がああだから」「パソコンの調子が悪いから」といった責任転嫁や、嫌味や愚痴、批判、悪口など“ひと言いいたい癖”につながりがち。口が災いのもとになって失敗するケースが多いのもA型の特徴だ。
「気取ったり、偉ぶったりせずに、どんな時もポーカーフェイスを心がけること。ネガティブな言葉を吐かないように気をつけることも大切です」
(2016-5)僕も随分昔から血液型と性格について書いた本を読んで来た。たいていは新書判の大きさのハウツー本。まあ、だいたい書かれてることは同じような内容だったかな。各血液型の特性も昔から、その時代時代に出てる本で、解説されてる内容は、まあ、同じだったと思う。僕は子供の頃から人見知りが強くて内気で積極性に欠け、人に気を遣い、リーダーになるような面はなく集団では意見を言わずに他に着いて行くタイプだった。と思うけど、それだけでなく別の面もあった。小学生の頃の血液型の検査でA型と言われた僕は、その後、検査はしてないけどA型で間違いないでしょう。初めて血液型と性格について書いた本を読んだのって、18歳の終わり頃か19歳のときだと思う。A型について書いてあることは自分でだいたい当たってるな、と思った。まあ、僕は暗示に掛かりやすい人間だし信じやすいタイプの、基本的には素直な性格だ。まあ、ひねくれた面も持ってるけど。基本、僕は自信のない人間で、A型について書かれた内容をネガティブに取って、「A型だから駄目なんだ」と思い込んでしまった。日本人の40%もがA型なのに、他のA型人に失礼だ。だから若い頃から自分がA型であるということがコンプレックスで、「O型になりたいなあ、B型は良いなあ、AB 型に憧れるなあ」とかっていつも思ってた。
「内気」っていったら僕は内気な方なんだけど、僕は子供の頃は、学校の友達や近所の友達と一緒に、毎日のように外で遊んでいたけど、同時に家の中では毎日鉛筆殴り書き(描き)のオリジナル漫画を描いていて、家の中では僕には四人の空想の友達が居て、そのエア友達としょっちゅう話をしていた。母方の祖母などは僕が毎日いつも独り言話してるので、僕のことを頭のおかしい子、だと思い込んでいたらしい。僕は家の中では本当に一人遊びが好きだった。でも同時に学校など外では仲の良い友達も居る。少年時も後期になると、僕は自分が「内向的」な性格の人間だと思った。
20歳くらいの頃だと思うんだけど、22、3くらいだろうか、宝島社からA5くらいのムック本で、けっこう厚い活字ばっかりの本だったけど、別冊宝島のシリーズで「性格」について書かれた本が出て、僕は興味深く読んだ。心理学系の本と言った方が良いのかな。ユング心理学をベースに人の性格を説いた本で、ユングのタイプ論に基づいて人の性格を幾つかに別けて解説していた。内容の中に百の設問に対して答えて行って、ユングのタイプ論別に、読者の性格診断するページがかなりの分量で割かれていた。このときは本の中の百の設問に答えて、僕は「内向的感覚タイプ」と出て、当時本業サラリーマンのくせに、“感覚タイプ”なんて何かクリエイティブな人みたいで嬉しかった。やっぱり「内向型」だった訳だが。でも心理学で言う“内向·外向”というのはちゃんと理屈があって、僕たちが普通に使う、人見知りが強くて遠慮がちで非社交的で消極的で内気、というような性格を表す言い方と、一概に、同質なものだ、とは言えないものかも知れない。済みません、不勉強なもので。
自分が、人見知りが強くて遠慮がちで非社交的で消極的で内気な性格なものだから、血液型の本を読んで、A型の項で、少しでも何か似たような事柄が書かれていたら全肯定して、不遜にも短絡的にも自意識過剰にも、「俺のような人間がA型なんだ」って何処か思い込んでしまった。当時の周囲の人間関係の中でも、比較的内気でおとなしそうな性格の三、四人くらいがA 型だったので、都合よくそう信じた。もっと良く積極的に周囲の人たちの血液型を探れば、活発で社交的で明るく積極性の強いA型の人も、間違いなく居たんだろうけど。自分の考えに都合よく決めつけちゃうんだよね。考えの理窟に都合の悪い事実は無視傾向になる。
僕が10代末に読んだ、能見正比古版の巻末に著名人の血液型分類表が載ってて、そこに手塚治虫はB型、小松左京はO型とあって、それからずっと、手塚先生はB、小松先生はOで来てた。この能見正比古版から既にA型は創造性に乏しい方で想像力も突飛な、というのかブッ飛んだような想像力は得意でない、みたいなことが書いてあり、作家でもノンフィクションや推理小説にA型者は多いが、SF 小説を書く作家にA型は一人も居ない、と書かれていた。ただし、海外だとSFの大御所のハインラインはA型だと、確かこの本にも書いていたように思う。90年代くらいに入って読んだ、誰の著書だか覚えてないけど、このときの血液型と性格の本では、小松左京はA型と書いてあった。本人が「A型」と言ったそうだからA型で間違いないのだろう。また、その後、何かで著名人の血液型分類表を見たら、手塚治虫はA型になっていた。手塚先生は子供の頃、軍医が調べた折りにはB型と診断されたが、後年、50を過ぎて手術の際か何か、病院で採血して調べたら実はA型だったらしい。
R.A.ハインライン、手塚治虫、小松左京は三人とも天才だけど、三人ともがSF のレジェンドであり、その作風は素晴らしい想像力が紡ぎ出した驚きの作品ばかりである。三人ともSF の作風はバラエティー性に富んでいて、イロイロなびっくりする趣向が山ほども築かれているが、常人にはおよそ考えも着かない想像力のたまものである。A型は創造性に乏しく、ブッ飛んだような想像力はない…。はあ?SF のようなものを作るのは得意でない…。はあ?SF のレジェンドのこの三人の大家はA型なのだ。
水木しげる先生もA型なんだよな。水木しげるの描く世界って、想像力以外の何ものでもないだろう。あの世界を作り出すのは生半可な想像力じゃない。大友克洋も高橋留美子もA型って、A型の想像力、何じゃこりゃ!?って感じだよね。やっぱ、A 型人が創造性や想像力が貧弱なんてとても言えないわ。
結論を言うと、僕の人生で、A型でもおよそ僕と正反対みたいな性格の人もいっぱい見て来た。A型の人で、勝ち気で気が強く、自己主張の強い人にも会って来た。血液型がA型だから性格はこうだ、なんてとても決め付けられない。A型でもいろんな人が居る。でも何か、信じちゃうトコ、あるんですよね。血液型性格判断。つい、「あの人はA型に違いない」とか思ってしまう。
300人に1人が悩まされているという「耳鳴り」について、県立医科大の研究グループは、原因となる脳の関連部位が明らかになったと発表した。
同医科大は「発症メカニズムの解明に迫る研究成果」としており、治療法の開発が期待される。
耳鳴りは、実際には音がしていないのに何かが聞こえるように感じる現象で、ひどくなると精神を病んだり、自殺に追い込まれたりする深刻なケースもあるという。根本的な原因は不明で治療法が確立されていないため、複数の病院を渡り歩く患者も少なくない。
同医大は平成23年5月、耳鼻咽喉科や神経精神科、生理学、解剖学などの医師による共同研究グループを立ち上げ、重度の耳鳴りに悩む患者24人に対してMRI検査を実施。重症患者ほど脳の特定部位のネットワークに異常があり、耳鳴りの音は聴覚とは関係なく脳で作り出されていることを突き止めた。
また耳鳴りの強さは、脳の中心部に位置する「尾状核」や記憶などに関わる「海馬」といった部位が関連し、耳鳴りの不快感は前頭葉の一部が関わっていることなども判明。耳鳴りと不快感を分けて治療することで、耳鳴りは治せなくても不快感を取り除ける可能性があるという。
同医科大は、抗てんかん薬の使用や電気刺激療法など治療の道筋が見つかったとしており、今後、耳鳴りと関連する脳の部位をさらに絞り込み、詳しいメカニズムの解明などを進める。
上山敬司准教授(解剖学)は「脳のネットワークが、どのように異常を来しているのかなどについて調べていきたい」と話した。
(2016-5)そういえば、TVの情報番組で、何か、耳鳴りの原因は脳の中にある、みたいなコトをやっていたように思うな。ボーッと見ていたから、内容をよく憶えてないけど。もっとも、よく見てもTVでやってる情報は忘れてしまいますけどね。やっぱり情報が記憶に定着するのは、本で読むのが一番ですけどね。TVの情報番組は情報バラエティーでもですが、けっこう良い番組やっているんですけど、見た後は成程と納得しているんですけど、そのタメになりそうな情報は翌日にはもう、内容の大半は忘れてますね。でも、本で読んだ情報はけっこう記憶に残ってますよ。また、本のは、何だっけ?って本で見返すことができますからね。
かなり以前になりますが、当時の知人が話してたんですけど、その知人の母親が耳鳴りで、週一、二くらいで定期的に病院に連れて行っているというコトだったのですが、当時は僕は世間話として聞いていて、耳鳴りというのはなかなか治らないものなんだな、と思っていました。このときは、まさかこの後、僕が耳鳴り症になろうとは夢にも思わなかったものです。その症状がどれくらい辛いものか考えもしなかった。それが、その後、今から十年くらい前に僕も突如、耳鳴りがするようになり、これが治らない。当時は仕事も忙しく、仕事先も遠かったので、なかなか病院に行けず、勤め先帰りに薬店に寄って、薬剤師なのかどうか、薬店の人に、耳鳴りに効く薬をいろいろと紹介してもらいました。耳の穴に直接塗布する塗り薬と飲み薬。その二つをしばらく続けたけど、一向に耳鳴りは治らず。別の知人に耳鳴りの話をすると、その方の親戚の人が耳鳴りで悩まされて、病院に通ったけど、とおとお治らず、最終的には耳が聞こえなくなった、というショッキングな話を聞きました。
その後、僕は病院へ二箇所行くのですが、最初行った方は耳の中に薬を塗布するだけで、後は飲み薬を処方するだけでした。何回か通って飲み薬も続けたけど、一向に改善せず、結局その病院へ行くのを止めました。次に行った病院では最初に耳鳴りの程度と質の検査をして、看護師さんが、かなり高音だ、と驚いてました。僕の耳鳴りはキーンとかなり高い。医師が診察した後、鼻の穴からけっこう勢い良かったように思うんだけど、水を入れ、水流ですね、空気じゃなくて水だったように記憶するんだけど、あれ?空気だったのかな?忘れた、まあ、水として、水流を中から耳の内側まで勢い良く送り込んで、何だか、耳の内側を膨らます感じだったけど、これをしばらくやった後、不思議と耳鳴りが止んだんですね。ああ~治った!って喜んで先生に感謝して病院出て、車停めてるとこまで歩いてたら、突如、また耳鳴りが始まった。結局、それから治らず。耳鳴りが治まってた時間は一時間も満たない。30分くらいだろうか。
病院もそれっきりで全く治らず、途中、K製薬の外箱に大きな耳の絵の着いた錠剤、中の瓶のラベルというのか瓶に巻いた紙も同じ大きな耳のイラストがありましたが、このK製薬のナリピタンという錠剤も一瓶続けて飲みましたが、全く効果がありませんでした。でも、この錠剤買ったときに効能書きの成分表見て、健康促進用のビタミン剤でよく見るビタミン成分とほとんど一緒で、なあんだ中身は普通にビタミンとかじゃん、と思ったものでした。この錠剤は、僕の耳鳴り改善には効果ゼロでしたね。でもビタミンとか種類がいっぱい入ってたから、他の部分で、何処か身体は健康になってたのかも知れない。耳鳴りには効かなかったけど。
以来10年間、もう10年以上になるかな、耳鳴りはキーンと鳴りっぱなし。最初は気になってイライラしてましたが、何かに熱中してるというか、集中していると、何か物事に気を取られていると、耳鳴りがしてることを忘れてるんですね。耳鳴りは意識すると煩くて堪りませんが、忘れてると忘れてるので平気です。でも治りません。幸い、まだ耳鳴りのしてる方の耳は聞こえています。あ、遅れましたが、耳鳴りが10年続くのは片方だけで今のところ、もう片方は耳鳴り鳴っていないようです。
でも耳鳴りの原因が脳の中にあるのなら、耳の穴から鼓膜付近に薬塗るのは意味ないですよね。ビタミン成分も多分、ほとんど意味がないのではないでしょうか。
俳優でエッセイストの小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。83歳だった。個性的な脇役として舞台や映画で活躍したが、日本の伝統芸能に興味を持ち、研究の道へ。芸能にまつわる数々の著書を残すと同時に、劇団を主宰するなど幅広い活動で知られた。1973年にスタートしたTBSラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」では、名パーソナリティーとして幅広い層に親しまれた。
40年近い間、ラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で独特な語り口と豊富な話題でリスナーを楽しませ続けてきた小沢さん。その声を聴くことは、もうできなくなってしまった。
所属事務所によると、1998年に前立腺がんが見つかり、定期的に治療を続けていたが、一昨年、頸椎(けいつい)に転移。今年8月に検診を受けた際、体力低下の診断を受けて入院することになった。一時退院したものの、9月13日に再入院すると同時にラジオの休養を発表。が、入院中は売店に自力で歩いて買い物に行けるほど元気だったという。
本人の意向で10月22日に退院。外出なども控えて療養に専念した。11月にはラジオに肉声でのメッセージを寄せるなど復帰に意欲をみせていたが、今月10日未明に容体が急変。妻の英子さんにみとられながら息を引き取った。
マネジャーを務める津島滋人さん(63)は「ラジオは生活の一部だった。休んでから寂しそうだった」という。先週、小沢さんを見舞った際は、ベッドに横になっていたが、津島さんを確認すると「ヨッ」と右手を上げたという。
早大在学中から演劇に目覚めた小沢さんは俳優座養成所に入所。卒業後、すぐ舞台に立ち、俳優としてのキャリアをスタートさせた。その後、映画に活躍の場を広げ、主に日活作品に出演。三枚目の脇役を好演することが多く、川島雄三監督の「幕末太陽傳」、その弟子で大学時代の同級生でもあった今村昌平監督の「にあんちゃん」など、映画史に残る名作に多数、出演した。
俳優として着々と歩んでいた小沢さんに転機が訪れたのは69年。初の著書「私は河原乞食・考」を出版したことだった。以前から興味を持っていた日本古来の芸を研究した成果と、自分の芸観を発表したことで、自らの中に眠っていた伝統芸能への情熱に火がついた。71年にはレコード「日本の放浪芸」シリーズを発売、同年の日本レコード大賞で企画賞を受賞した。
73年には「小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙な一人語りで注目を集め、放送回数が1万回を超す人気番組になった。82年には「劇団しゃぼん玉座」を創設。井上ひさし作品などを全国各地で上演するほか、歌手としてもコンサート活動を行っていた。
芸能のあらゆる分野で精力的な活動を続けていた小沢さん。誰よりも日本の芸能を愛していた人が、静かに逝った。
◆小沢 昭一(おざわ・しょういち)本名・小澤昭一。1929年4月6日、東京都生まれ。51年に初舞台を踏み、映画、舞台で活躍。著書に「ものがたり 芸能と社会」「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」など多数。94年に紫綬褒章、2001年に旭日小綬章を受章。04年には愛知・犬山市の「博物館明治村」の村長に就任。「小沢変哲」という俳号の俳人でもあり、永六輔らと「やなぎ句会」を発足している。
○最愛の妻に看取られ…小沢昭一さん、先月16日のラジオ出演が最後の仕事に
俳優でエッセイスト、小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため死去した。83歳だった。自宅で夫人の英子さん(79)に看取られ、亡くなった。小沢さんは1998年に見つかった前立腺がんが、2010年に頸椎(けいつい)に転移。入退院を繰り返し、10月22日に退院してからは自宅療養しながらラジオ番組の収録をするなど、本格復帰へ並々ならぬ意欲を見せていた。が、それもかなわず、帰らぬ人となった。(サンケイスポーツ)
個性的な脇役として活躍し、日本の語り芸にも通じた小沢さんが、大好きだった自宅で最愛の妻に看取られ、逝った。
関係者によると、9日深夜、英子さんが小沢さんの異変に気付いたが、手を施す時間もないまま息を引き取った。苦しんだ様子はなかった。
小沢さんは1998年に前立腺がんが見つかり、2010年に頸椎への転移が判明。11年2月にがんを公表後、入退院を繰り返しながら闘病生活を続けてきた。が、今年8月に体調不良と体力低下で約10日間入院。9月13日に再入院したものの「自宅に帰りたい」という強い意志を主治医が尊重し、10月22日に退院して自宅療養に入った。
自宅では、出版を予定していた俳句集や自ら撮影した写真集の打ち合わせをこなしてきた。今月17日にはTBSラジオ系の長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の収録を予定するなど、最後まで本格復帰に意欲をみせた矢先の死だった。この1カ月間は食も細くなり、点滴と流動食に近い食事をしていたという。
先月16日放送の「-小沢昭一的こころ」への出演が最後の仕事に。自宅のベッドで声を収録した際には「早く元気になって、この心の空(くう)の穴を、みなさんと埋めていきたい、そう思うんであります。よろしく」と小沢節を披露した。
小沢さんは早大在学中に俳優養成所に入所。卒業後に俳優座公演で初舞台を踏み、大学の同窓だった故今村昌平監督の紹介で54年に映画デビューを果たした。「幕末太陽伝」「にあんちゃん」など多くの映画に出演し、脇役中心ながら、鮮烈な存在感を示した。特に性風俗を描いた今村監督の「『エロ事師たち』より 人類学入門」で主演し、賞を総なめに。以降も名脇役として200本以上の映画に出演した。
73年には「-小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙洒脱な語りが人気を集め、放送1万回を超すギネス級の長寿番組に。また、浪花節や猿回しなどの伝統芸、放浪芸の収集にも力を注ぎ、69年に著作「私は河原乞食・考」を刊行。早大演劇科大学院に入学して芸能史研究を深めるなど、小沢さんならではの視点から放浪芸を見つめ直した。
俳優にとどまらず、芸能と風俗を愛した昭和の語り部が、また1人天国へ旅立った。
■ 辻説法 (紙ジャケット仕様) 野坂昭如,小沢昭一,永六輔, Akiyuki
■小沢昭一の「新日本の放浪芸」~訪ねて韓国・インドまで~ [DVD]
小沢昭一さんといえば、やはり僕も、ラジオの「小沢昭一的こころ」ですね。僕が聞いていたのは相当昔な話で、僕が二十代後半、僕が当時勤めていた企業の、東京都心部の中央の営業所から飛ばされて、群馬大田や埼玉熊谷・行田に居た頃のコトですね。夕方でしたよね。午後から会社セールス車バンを運転して田舎道をあちこち走って、夕方・夕暮れ時、調度、営業所に帰って来る道のりだろうか。田舎の営業所のテリトリーは広いから、田舎道を相当遠くまで走って行ってましたけどね。埼玉の関東平野、田圃と畑ばっかりのところ、ひたすら。お客によっては行って帰って来るだけで三時間近く、とか。まあ、ここでは、当時の私の仕事の有様、成績などを語るのは省かせて貰いますけど‥。当時のバンのカーラジオで毎日毎日聞かせてもらってましたよ、一回の時間は短い番組でしたが、「小沢昭一的こころ」。あの当時、いっぱい爆笑もさせて貰っていたと思います。今から思い出すと、あの頃は、会社のバンで、一日中、関東平野を走り回っていたという感じでしたから、ラジオは毎日の友達でしたね。まあ、一応、営業業務で、バンは一人で運転して回っていたから。懐かしいな。
僕が継続的読書を始めたのは、16歳で高二の春からですが、最初に虜になった作家は、松本清張と五木寛之です。そして、五木寛之ほどではなかったけど、当時の売れっ子作家、野坂昭如に辿り着く。野坂昭如には心酔してしまいました。憧れ、信奉。あの時代の僕の「人生の師」みたいな存在でした。五木寛之も野坂昭如も、放送作家やCMソングの作詞家など、当時のメディア方面から出て来て小説家として売れた人ですね。小説で流行作家となってからは、五木寛之さんは文筆業一本でしたけど、野坂昭如さんは小説やエッセイ集も人気作家でしたが、メディアでの活躍は八面六臂で、タレント業から歌手(シンガー)としてもステージに立ってました。売れなかったけど、野末陳平さんと漫才師をしてたコトもあったそうですね。17、18、19歳頃の僕はもう、まるで野坂昭如教信者みたいなもので、当時の野坂小説も、直木賞受賞作の「アメリカひじき・火垂るの墓」も含めて、長編・短編集いっぱい読んだし、エッセイ集も大好きでした。特に野坂さんの数々のエッセイには、当時の若き僕は、相当影響されたと思っています。あの当時、野坂さんメイン司会のバラエティー番組もあったな。後に、野坂さんは政治の世界にまで入って行ったりするし、その後も「朝まで生テレビ」や「TVタックル」などの討論番組で、言論人としても活躍して行く訳ですけど。まあ、僕自身が野坂信者だったのは、10代の終わりまでですけど。
小沢昭一さんでした。野坂昭如さんは、僕が高三くらいの頃、歌手として、「黒の舟歌」とかヒットさせて活躍してたんだけど、当時、小沢昭一さんともコラボというのか、一緒に組んで歌のステージをやってました。「中年御三家」のライブ。「中年御三家」って、小沢昭一と野坂昭如ともう一人は、永六輔さんだったっけか。そういえば、あの当時、野坂昭如ソロのオリジナルアルバムのレコードを買って来て粗末なステレオで聴いてたな。「バージンブルース」や「マリリンモンローノーリターン」だとか。懐かしい。小沢昭一さんの歌う、「♪ハーモニカが欲しかったんだよ~」という歌は何度か聴いたけど、ジンと来ていつも涙が出そうになってた。この「生きたまま極楽」の記事は訃報ニュースが多いんで、訃報ニュースに寄せる僕のコメント文もいつもいつも同じになっちゃうんだけど、やはり、昭和を作った人々、昭和を彩って来た人々、子供の頃や青年時代、TVなどのメディアでしょっちゅう見聞きしていた有名人たちが、鬼籍入りしてこの世を旅立って二度と帰っては来ないというのは、本当に寂しいものです。昭和は遠くへ、遠くへ、と‥。
○太陽系の中外をつなぐ「磁気ハイウエー」、ボイジャー1号が発見
米航空宇宙局(NASA)は3日、探査機「ボイジャー1号(Voyager 1)」が太陽系の端で、これまで全く予測されていなかった「磁気ハイウエー」に遭遇したと発表した。
打ち上げから35年経つボイジャー1号は今年、主要指標の値が上昇したことから「ヘリオポーズ(太陽圏界面)」と呼ばれる太陽系と星間空間の境界に近づいているとの期待が高まっていた。
だが、太陽から噴き出る荷電粒子の影響圏から抜け出る代わりに、ボイジャーは全く予測されていなかったものと遭遇した。
ボイジャー1号から毎日送られてくるデータによると、この領域では低エネルギーの荷電粒子が徐々に減少し、外側から高エネルギー粒子が流れ込んでおり、太陽の磁力線が星間磁場につながっていることが示唆された。
この領域の外では、荷電粒子がまるでヘリオスフィア(太陽圏)内部の「一般道」にはまったかのように四方八方にに跳ね回っていたことから、プロジェクトチームはこの領域を「磁気ハイウエー」と呼んでいる。
チームに加わる科学者の1人、米カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)のエドワード・ストーン(Edward Stone)氏は「ボイジャー1号はまだ太陽圏の中にいるが、粒子がこの磁気ハイウエーを高速で出入りしているので、太陽圏の外側がどんな様子なのかを垣間見ることができる。これが星間空間に飛び出す前の最後の区間だと考えている。あと数か月か、長くて2~3年しかかからないだろう。新たな領域はわれわれが予期していなかったものだが、ボイジャーから予想外の何かが届くことは織り込み済みだ」と述べた。
ボイジャー1号は現在、太陽から約180億キロ離れた位置にある。この距離は地球-太陽間の122倍にあたるが、ボイジャー1号から地球に無線信号が届くには17時間しかかからない。(c)AFP/Mira Oberman
○太陽系、想定より大きかった 探査機「ボイジャー」が新たな領域に到達 NASA
(CNN) 米航空宇宙局(NASA)は3日、1977年に打ち上げられた無人探査機「ボイジャー1号」が、太陽系の果てに近い新たな領域に到達したと発表した。
ボイジャーは現在、太陽から約180億キロの距離にあって、NASAのこれまでの説明によれば、間もなく太陽系の果てに到達するはずだった。
しかし磁力線の方向が変わっていないことから、NASAではボイジャーがまだ太陽系内にいると判断した。星間空間に到達すれば、磁力線の方向が変わると予想している。今回到達した領域は、太陽系の磁気粒子と、太陽系外の星間空間の磁気粒子が合流する地点とみられる。
プロジェクト関係者は「これは星間空間に向けた旅の最後の行程と思われる」と説明、あと数カ月から数年で太陽系の果てに到達するとの見通しを示し、「新しい領域は予想外だったが、ボイジャーの発見は予想外のことばかりだ」と語った。
ボイジャー2は別の行程をたどっていて、現在、ボイジャー1より太陽に数十億キロ近いところにある。
ボイジャー1号なんて、すっかり忘れていた。何と打ち上げは1977年という、今から35年前で、今居る地点は太陽から180億キロ離れた場所。太陽~地球間距離の122倍にあたる。素人はボイジャー1号・2号のことなんてすっかり忘れていたが、ボイジャーは健気にも35年経った今でも毎日通信を送って来ているという。その通信が届くのが光の速さで17時間後。アインシュタインの言う、この速度は万物最速で何者もこれを追い越す速度は出せませんよ、この速度を追い抜く者は未来永劫この世にはありませんよ、という光の速度で17時間。ネットの掲示板関係でコメント読んでたら、光速での一年間の距離、一光年は9兆キロ以上らしいね。180億キロって、一光年にも程遠い、どころかあまりにも遠過ぎる。太陽系に一番近い恒星系のケンタウルス座星系で、4.6光年は離れているんでしょ。確か。調べて確認してなくてゴメンナサイだけど。そんな、人類とは別の知的生命体に出会うなんて、ありうる訳ないじゃん。未来永劫、ないでしょ。また、向こうがどんなに人類よか進んだ文明持ってても、地球になんて来れる訳ないでしょ。だって、想像も着かないけど、一番近いケンタウルス座系でも、45兆キロくらい先だし。ボイジャー、35年掛けて180億キロだよ。まあ、宇宙の話は桁外れ過ぎて、想像も着かない数字ばかりだけど。人間の好奇心とか知的欲求はすごいもんだね。
ネット掲示板のコメントの中に、ボイジャーがビジャーになって帰って来るお話の、1979年の映画「スタートレック」に関して書き込んだものがあって、そういえば当時20歳代前半の僕はこの映画を、当時の日比谷か何処かのロードショー館で見たな、と思い出して懐かしかった。実際のボイジャーの中には、人間のことをイラスト豊富に絵文字的に詳しく書き込んだ金属板を積んである、という話だった。人間の進化や文明、人間のDNAとか。ひょっとしてひょっとしたら、万が一、億が一くらいの確率で、ボイジャーが異性人に、地球外文明に出会うかも知れないから、その時のために、と。まあ、多分、ないだろうな、とは思うけど。ボイジャーは、冥王星軌道は越えたんだろうな。エッジワース・カイパーベルトはどうなんだろう?それも越えた? 調べたら、冥王星までの距離は平均50億キロ以上くらいだな。180億キロまで行っている、ということは、冥王星のさらにさらに先まで行ってるんだな。もうカイパーベルトを越えているのか? オールトの雲の中か? オールトの雲も出たら、何もない宇宙空間。果てしない‥。
「トワイライトゾーン」と並ぶ、60年代のアメリカ輸入のSFドラマで「アウターリミッツ」というのがあったんだけど、多分、僕の記憶では、僕の育った地方では「宇宙の神秘」という邦題を着けて毎週日曜日の午後に流してた。と思う。僕の小学校低学年時代だけど。この題名のように宇宙は本当に神秘だ。途方もない、想像も着かない数量ばかりが出て来て、とりわけ脳味噌のデキのよろしくない僕のような凡人の下みたいな人間には、とても理解できない理論や数字ばっかりだけど、宇宙は神秘そのもので、宇宙は素敵で、宇宙の情報には心トキメキさせられますね。夢があって、ワクワクさせられる。
◆ビジュアル 宇宙大図鑑 太陽系から130億光年の果てまで [大型本]
◆宇宙―太陽系とその惑星から銀河宇宙の果て、地球外生命探査まですべてがわかる [単行本]
◆アウターリミッツ 完全版 2nd SEASON DVD-BOX
◆スター・トレックI/リマスター版スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]