生きたまま極楽! 

ワタクシ、naojiiの、巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。

三鷹女子高生ストーカー殺人

2013年12月20日 | 時事社会ログ

○三鷹ストーカー殺人「彼女の死考えると心安らいだ」

 

  東京・三鷹市で女子高校生を殺害したなどとして元交際相手の男が逮捕・起訴されたストーカー殺人事件で、男が拘留中の拘置所でJNNの単独取材に応じました。「彼女の死を想像すると心が安らいだ」、男は犯行前の心境をそう話しました。

 今月、立川拘置所。面会室で2度にわたって私たちの取材に応じた池永チャールストーマス被告(21)。逮捕時とは変わって、頭を丸刈りにしていました。

 「ストーカーは飢えて渇いている人間、心がさみしい人間なんですよ」(池永被告)

 池永被告の元交際相手・鈴木沙彩さん。女優を目指していたまだ18歳の高校3年生だった鈴木さんの若い命は、およそ2か月前、突然奪われました。今年10月8日夕方、東京・三鷹市。池永被告は、鈴木さんを自宅前の路上で刺して殺害したなどとして、逮捕・起訴されました。事件前、鈴木さんは警視庁に対し、池永被告によるストーカー被害を訴えていましたが・・・

 「私はこれまでストーカーというものに怒りを持っていました」(池永被告)

 では、なぜ、ストーカーまがいの行為を行っていたのでしょうか。“裁判が始まっていないため、事件の詳細については話せない”としながらも、少しずつ、事件に至る心境の変化について語り始めました。

Q.鈴木さんは特別な存在だったんですか?
 「容姿もありますが、彼女は自分と真反対な家庭環境でした。彼女は幼いころから慈愛を受けてきて、人にもそういうことができていました。それが心地よかった」(池永被告)

 鈴木さんの容姿だけではなく、性格に強く惹かれていたという池永被告。その理由は、自分と鈴木さんの家庭環境の違いにあったともいいます。

 「自分は普通の人が 味わわないようなことを味わった」(池永被告)

 日本人の父親とフィリピン人の母親の間に産まれた池永被告。両親は池永被告が2歳のときに離婚しますが、母親は池永被告を託児所に預けるなどしながら働き、数年前には妹も産まれていたといいます。

 「妹のことをすごくかわいがっていて、お母さんのことをすごくきれいな人だとよくみんなに言っていた気がします」
Q.家族に愛されていない感じは?
 「そういうことは全然感じられなくて、仲の良い家族だと思った」(池永被告の高校時代の同級生)

 周囲には家庭に問題があるようには見えなかったという高校時代の池永被告。しかし、卒業文集には自らの環境を嘆くかのような作文を書いていました。

 「世の中には、どれだけ頑張ってもどうしようもないことがあります。どれだけ努めてもどれだけ願ってもかなうことのない、そんな状況を人は絶望というのでしょう」(高校の卒業文集より)

 周囲には見えない何かが家庭にあったのでしょうか。そして、池永被告は鈴木さんに別れを切り出された後、ストーカーまがいの行為を徐々にエスカレートさせていきます。

 「彼女に依存していた。依存していたからやり取りを強要していた。ストーカーというのは、相手が肯定してくれないと、誰が肯定してくれるのかと思ってしまう」(池永被告)

 面会後に池永被告から届いた手紙。そこには「自分の行為がおかしいことはわかっていた」とも書かれていました。

 「必ずしも無自覚というわけではなく、己の行為にわざと盲目になり、正当化しようとする。理屈以上の感情が強く働くからです。諦められないんです。諦めるという選択肢は、これから一生、絶望の中で生きていくということだから」(池永被告からの手紙)

 そして、今年6月には鈴木さんの父親から警告を受け、7月半ばにはすでに殺意が芽生えていたといいます。

 「心にフタができなかった。負の感情が積もり積もっていって、彼女の死を考えると心が安らいだ」(池永被告からの手紙)

 なぜ、鈴木さんが死ぬことを考えることで心の安らぎを得られるのでしょうか。手紙にも、その理由は詳しくは書かれていませんでした。

 「彼女の死を望む、この心のありようが、とても恐ろしく、気持ち悪かった」(池永被告からの手紙)

 そして、池永被告は東京へ向かいますが・・・

 「半年ぶりに彼女を見たとき、 自分の中の何かが決壊したのです。その後、心に従うように凶器であるナイフを購入しました」(池永被告からの手紙)

 悲劇を防ぐことはできなかったのでしょうか。池永被告に「ストーカー加害者とはどのような人物と思うか」と聞くと・・・

 「ストーカー加害者って世界がおそろしく狭いんですね。飢えて渇いている人間、心がさみしい人間なんですよ」(池永被告)

 そして、池永被告は事件の動機についても改めて語りました。

 「よくよく考えたら、インターネットに『恨みがあった』って書き込んでいたけど、恨みはない。何があったかって、ねたみでしょうか」
Q.鈴木さんに対して申し訳ないという気持ちはありますか?
 「やはりあります、複雑な」
Q.後悔していますか?
 「もちろん」(池永被告)

 女優への夢を無惨にも断ち切られた鈴木沙彩さん。私たちは遺族に手紙で取材を申し入れましたが、これまでに返答はありません。

 池永被告の裁判員裁判は、来年3月にも開かれる見通しです。

 

 ○鬼畜画像が流出…高3女子刺殺事件 死後も傷つけられた名誉

 

  「いいお嬢さんでした。近所の幼稚園児と玄関前の道でよく遊んでいました。縄跳びをしたり、道にチョークで絵を描いたり、本当に面倒見がよかった。小学校のときから知っていますが、会えば必ず挨拶をする素直な明るい子でした」(近隣の70代男性)
 
10月8日夕方、東京都三鷹市の閑静な住宅地で、都内の私立高校3年生でタレント・女優として活動していた鈴木沙彩さん(18)がナイフで首や腹を刺され、殺害された。犯行から約1時間半後に逮捕されたのは、鈴木さんの元交際相手の池永チャールストーマス容疑者(21)。父が日本人、母親がフィリピン人のハーフだった。
 
警視庁の調べなどによると、2人は一昨年10月にフェイスブックを通じて知り合い、その後交際に発展。フェイスブックには2人の仲むつまじい写真も残されていた。
 
昨年9月、鈴木さんの海外留学をきっかけに別れたが、今年3月に帰国後、池永容疑者から「よりを戻したい」「写真を送らないと死んでやる」などと復縁を迫るメールや手紙が届くようになったという。同年6月には、鈴木さんは元カレからのメールや電話を着信拒否。元カレは執拗なストーカーへと変身していった。鈴木さんは両親とともに三鷹署に被害を訴えていたが、悲劇は起こってしまった。
 
さらに鈴木さんは、死後も名誉を傷つけられることになる。交際時代に容疑者が所有していたと思われる彼女のワイセツなプライベート画像や映像が、犯行前にネット上にバラ撒かれていたからだ。
 
「断定はしていませんが、彼の仕業とみて捜査を進めています。『復縁しないとバラ撒くぞ』と脅し、拒絶されたために流した可能性もある。一度ネット上に載ると消すことはほぼ不可能ですし、しかも殺しまで。まさに鬼畜の所業です」(警視庁担当記者)
 
ネットが絡む犯罪に詳しいITジャーナリストの井上トシユキ氏は次のように警鐘を鳴らす。
 
「犯人が交際前にどういう情報を相手に伝えていたかはわかりませんが、SNSに書いてあるその人の情報は嘘かもしれないし、自分をよく見せるために盛って書いてあることもある。メールのやりとりで気が合っちゃったというだけで、交際するとトラブルに発展する可能性がより高くなると思います。ネット上の情報は鵜呑みにしないということが基本中の基本です」
 
SNS社会が生んだ悲劇といえよう。

 

○高3女子刺殺事件 犯人を凶行に駆り立てた「劣等感と絶望」

 

  10月8日、東京都内の私立高校3年生で、女優としても活動していた鈴木沙彩さんが刺殺された。帰宅したところを自宅に潜んでいた池永チャールストーマス容疑者(21)に襲われたのだ。自宅から路上に逃げ出した鈴木さんを容疑者は追いかけ、首、肩、腹部に何度もナイフを突き立てたーー。

 容疑者は、鈴木さんの元交際相手だった。池永容疑者は日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた。父を亡くし生活は苦しかったという。京都市内にある実家は築34年の古いマンションで、池永容疑者は家計を助けるために高校時代から近所のスーパーで、アルバイトをしていた。高校卒業後には一時期、自衛隊に入隊していたという報道もある。

  池永容疑者と鈴木さんは2年前の’11年10月ごろフェイスブックを通じて知り合い、交際を開始。容疑者が夜行バスに乗って、東京の鈴木さんに会いに行っていたという。その際、鈴木さんの自宅にも遊びに行ったことがあったようだ。容疑者の母(46)は事件翌々日の10日、文書で次のようにコメントした。

 「鈴木さんとの交際がトーマス(容疑者)の自慢でしたが、昨年の夏ごろには別れ話があり、落ち込み悩んでいました」

鈴木さんの家庭環境は池永容疑者とはかなり異なっている。

 「(鈴木さんの)祖父母や、お母さんも画家だったと思います。ご実家は近所にたくさんの土地を所有している資産家です。鈴木さんは一人娘で、本当に大事に育てられたのです」(鈴木さんの自宅の近所の住人)

 母子家庭のハーフ青年と資産家で女優活動もしているお嬢様、その交際がきしみ始めたころ、フィリピン人母は容疑者に「あなたと彼女では、立場が違いすぎるのだから、そっと彼女の夢を応援し、彼女の気持ちを尊重してあげなさい」と忠告したという。いったい何が、彼を卑劣な殺人者に変貌させたのか。立教大学教授で精神科医の香山リカさんはこう分析する。

 「裕福で、美しくて、有名人とも交流していて……。そんな鈴木さんとの交際は、池永容疑者にとっては“人生の全て”のように感じられ、彼女と別れることは自分を失うような絶望感を生じさせたのではないでしょうか。別れを切り出されたとき、そうした感情が彼女への強い憎しみになったのだと思います」

 

 

 俺は昔の人間だから、「恋愛」と聞くと、小学生の四、五年生くらいから、「好きな女の子」の話とかし始め、早くて小六、まあ、中一くらいからクラスの女子を異性として意識し始め、「好きな女の子」が出来て、早くて中二くらいから「付き合ってくれ」とか言い始め、本格的に交際を申し込むのは、まあ、だいたい高校に入ってから。無論、子供に寄り、早い遅いの個人差があるけど。それが昭和の時代の恋愛模様で、まあ、中三とか高校生になってから何度となく、交際を申し込んで行く訳で、何度もフラれ、付き合えてもイロイロな事情で別れが来る。転校でも、別に好きな人が出来た、でも。「恋」と思い込んでたら違ってた、じゃあね、でも。そうして少年後期から青年期、フラれたりうまく行ったり別れたり、といっぱい恋をする。その度傷付き、ヘタすると相手を憎んだり恨んだりすることもある。ひどいときは真っ逆さまに落ち込み、立ち直りに時間が掛かる。うまく行って相思相愛が続くこともある。そんなシアワセな時間も、お互い若ければ、やがて別れも来たりする。みんなひっくるめて「青春」なのだ。やっぱり人は男も女も、恋してフラれてメチャメチャ傷付いて泣いて、それも一度ならず繰り返して、そこで多分、人間的に成長する。そうなのだと思う。傷付かないとある面、成長はしない。だいたい何でも、自分自身が痛い目に合わないと、ホントには解らないものだ。「ああ、そういうことか」と気付き、理解するのも「成長」だろう。相手の立場や心情も解って来る。自分のことばかりだったのが、相手のことを考えてあげれるようになる。昭和の恋愛はそんなものだ。また、男女間の恋愛も「人間関係」そのものだ。

 恋をして、一度うまく行ったが、それぞれイロイロな事情で、別れが来ることはある。当たり前だ。この人間社会で生きている限り。それも若い頃の経験だ。いや、恋愛は大人になろうと年配になろうとするものだから、一生の内の人生経験だ。それが若い頃の恋愛の一つで、一度失恋があろうとも、最初うまく行ってて中途で、片方が「やめよう」と言い出して片方がフラれても、片方が新たな旅立ちを考え片方に未練があって泣いても、それはそれで小学生の頃から老年に至るまでに、異性を好きになる「恋愛」関連、それこそ長い人生中で何十度あるやも知れぬ、「恋愛」とか「人を好きになること」の内の、まだ若い頃のたった一回だ。何十度か十何度かの恋愛関連の、たった一度の恋愛経験だ。そのエピソードの一つが、最初うまく行って付き合ってたが何がしかの理由で中途で壊れた、一つの「恋」のエピソードだ、ということだって勿論、ある。長い人生の中の、ごく一つのエピソードだ。それを‥。

 それを相手を殺してしまう。自身は逮捕され、死刑にならずとも先ず、二十年前後は刑務所暮らしだ。青春期に犯した凶悪な罪で、今度やっと世間に出て来れば、もう中年だ。いい親父だ。一番元気が良くて一番活動して、ともすれば一番楽しい、一番活躍できそうな、ひょっとすれば少年時代よりも多感で感動や感激が出来そうな、そういう青春後期や青年期、二十代三十代が、多分、一番バイタリティがあって、一番面白い時期が、総てパアだ。コンクリートの塊の中のような、刑務所の中に閉じ込められて、窮屈この上ない場所で、そういう時代が終わる。ともすれば人間として一番輝いているような時代だ。それが、みーんなパアだ。無論、被害者は命を取られて無であり、被害者遺族にはこんな悲しみはない。たった一つの「恋」という、長い人生でのごくごく一部の、一つの「恋」で、男も女も人生は終わる。こういう言い方をすれば被害者サイドに顰蹙を買うかも知れないけど、人間の一生の「人生」を考えるに、あまりにも馬鹿馬鹿しい。アホらし過ぎて涙が出る。被害者は「さあ、これから!」というところで、無残に人生を断ち切られた。本人も親御さんも希望に満ち溢れていたところで。加害者は長い長い牢獄生活を終えて、やっと世間に出れば、元殺人犯の前科者だ。しかももうかなりのイイトシだ。

 被害者女性のこれからの人生だって、この先、女優を目指して芸能界に入って行ったとしても、また大学で英語を勉強して、将来、国際的な仕事に就けるよう頑張ったとしても、この先々がトントンとうまく行く保障がある訳ではない。うまくいくときもあれば、必ず挫折もある。真っ暗闇に落ち込むようなショックを受けることも、完膚なきまでに叩きのめされるコトだって、あるかも知れない。いや、衝撃の大小はあれど、ひどい目に合うこともきっとあるだろう。勝利や幸福を掴むこともあれば、真っ暗闇を味合うことも自信喪失することもある。それも全部ひっくるめて人生だ。男女とも。そしてそれを味わえるのは、無論、「生きていればこそ」だ。彼女は今から羽ばたこうとしていた。未熟ながらも、挑戦の一歩を踏み出そうとしていた。これからイロイロと経験して行くのだ。良いことも悪いことも辛いこともキツイことも、多分、悲しいこともある、人生の荒波に果敢に入って行こうとしていた。青春期の挑戦だ。それが無残にも奪われた。命を取られるという形で、完全に奪われた。こんな理不尽はない。娘の将来に希望の光を見ていた親御さんもたまったものではない。こんなひどい仕打ちはない。

 人生を生きて行く権利は誰にもある。それを奪う権利など誰にも無い。個人にも組織にも国家にも。池永トーマスチャールス(チャールストーマス)被告は愚か者だ。この上なく愚かな「馬鹿」そのものだ。何というエゴ。何という勝手さ。腹が立つ。人の希望も人生も奪いやがって。高校生の女の子に対して「依存症」だと? おまえ、幾つだ。ふざけるな、いい加減にしろ。高三とか、17歳とか18歳のまだ子供じゃないか。子供に「依存」とかするなよ、この馬鹿。拘置中の加害者へのJNN取材インタビューの内容聞いてると、おまえ、愚かな殺人犯のみっともない馬鹿野郎のくせして、何イケシャアシャアと言い訳を答えてるんだよ、と腹が立ちました。取材に落ち着いて答えてる立場か。その場で、面会室のコンクリート壁に自分で頭ガンガンぶつけて、死んで見せなきゃならないような立場だろう。何が「依存症でした」だ。女の子を殺した後、一度は「死のう」と思ったんなら、被害者遺族やその関係者、世間そのものに対して「済みません」と、すぐに死んで見せろ。馬鹿。

 しかし、殺してしまったら、もう、何にもない。

 

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“奇跡のV9・打撃の神様”お別れの会

2013年12月17日 | スポーツログ

○川上哲治氏お別れの会で長男貴光氏が謝辞

 

   プロ野球巨人のV9監督として知られる、10月28日に93歳で死去した川上哲治氏のお別れの会が2日、東京都内のホテルで行われた。長男の貴光(よしてる)氏(67)が謝辞を述べた。

  謝辞 川上貴光(よしてる)

 みなさま、本日はご多用の中、父・哲治のお別れの会にご参集たまわり、まことにありがとう御座います。王貞治さまには、ご丁重なるご弔辞をいただき、まことにありがとう御座いました。

 去る10月28日、朝の10時に入院先の病院から「できるだけ早く来て下さい」と連絡があって、すぐに病室に駆けつけると、父は酸素マスクを付けて、荒い息をしながらベッドに横たわっておりました。前日には、見舞いに来た私の娘の顔を見て、笑顔を見せるほどでしたが、その夕方から血圧が下がるなど、様子が急に変化したそうでございます。

 そして夕方の4時58分。私たち家族に囲まれながら、静かに息を引き取りました。近くにいたのに、息が止まったことに、すぐ気付かないほど、静かで穏やかな、本当に眠るような最期でございました。

 父は生前、冗談とも本音とも言えない、こんなことを私たちに話しておりました。「オレは死ぬときは、坐禅を組んで、飯も食わん、水も飲まんで、木が枯れていくように死んで見せるからな。ようみておけ」

 どこで見たのか聞いたのか、それが1番苦しまない、かっこいい死に方だ、と思っていたようです。しかし、最後の数カ月は、思考力も、意志の力も弱って、かなわぬことでございました。

 それどころか、亡くなる少し前まで、食欲は旺盛で、出前のうなぎを食べたり、「すき焼きを作ってきてくれ」と言われて持っていくと、ぺろりと平らげたり、皆さまご存じの食いしん坊ぶりを発揮して、看護婦さんたちを驚かすほどでございました。

 「テツ、メシば食わるっうちは、絶対死なんバイ」

 父は、いかなる時も、自分の母のこの教えを信じ、固く守っておりました。どんなに連敗が続いたときも、風邪で熱があるときも、手術で入院したときも、食べ続けました。「病気は食べて治す」が父の口癖でした。しかし、亡くなる10日ほど前から、飲み込む力が衰えて、ついに口から食べることができなくなったのでございます。

 

 長男として生まれた私は、60年あまり、いつも父を近くに見て暮らしてきました。生まれたときにはすでに野球人で、私が小学校の6年のときに現役を引退、その後、コーチ、監督として懸命に生きる姿を見て育ちました。

 仕事柄、華やかなスポットライトを浴びることもありましたが、反面、批判、中傷の嵐に晒されるときも何度となくありました。肥後もっこすの頑固者。口下手、言葉足らずで、誤解されることも多い父でしたが、言い訳や、反論が大嫌いでした。そのため、逆風の高波を家族がかぶることもしばしばでございました。

 しかし、父は実に運に恵まれた人でした。

 「これだけの努力を、人は運といい」と、運で片付けられることが不満だった父に叱られそうですが、どこか天から守られていたような強い運気を持っていたように思います。

 小さなころから家が貧乏で、高校時代に下宿先で苦労し、「阿蘇の火口に飛び込んで死んでやる」と阿蘇山に向かったら、様子が変だと父親に通報が行って、すんでのところで助かるということがありました。

 戦時中、飛行場にいたところを敵機来襲の爆撃に遇い、カンが働いたのか、それまで非難していたところから部下数十人を引き連れて別の場所に移動しました。その数秒後に、元いたところが直撃弾でやられて、全員が命拾いをしたということがありました。

 やはり軍人時代、軍服姿で自転車に乗っているとき、今度は艦載機に銃撃されました。この時はとっさに田んぼのあぜ道に飛び込んで助かったそうでございます。

 その後も、早期の胃がんが定期検査で見つかって、事なきを得たり、4年前、自宅で脳梗塞に襲われたときも、運ばれた医療センターの当直が脳外科の先生で、瞬時に処置していただくという幸運があって、全く後遺症も残りませんでした。

 亡くなってから、発売された雑誌の追悼文の中に、「あまり知られていないが、川上は家庭を大事にした人だった」という記事がありました。監督時代、キャンプ地から、選手の奥さんに、また独身の選手には親御さん宛てに手紙を書く。「何々君は毎日頑張っています。寂しいでしょうが、しっかり留守を守って応援していて下さい」

 そんなエピソードが紹介されていました。実際、家庭人としての父は、優しい父親でした。武骨で口下手。「愛してる」「好きだよ」なんて言葉は死んでも口にできない。しかし、私たち家族は、いつも大きく包み込まれるような父の愛情を感じて育ちました。

 私は生意気な息子でしたが、殴られたことは一度もありませんでした。ただ一度、母の心を傷つける言葉を吐いた私に、猛烈に怒ったことがありました。母を泣かせてしまったのです。いきなり私を素っ裸にして、家の雨戸を開けると、横かがえに持ち上げるや、庭に放り出したのです。外は一面の雪で、何十センチも降り積もっていました。そしてぴしゃりと雨戸が閉められたのです。小学生だった私は、泣き叫んで雨戸をドンドンたたきましたが、開けてくれません。

 その15分間のお仕置きについて、父は後にどこかでこんな風に話していました。

 「いやあ、あのときは、雪がこれくらいの深さなら、放り出してもケガはせんだろう。それくらいの計算はありましたよ、ワッハッハ」

 烈火のごとく怒ったように見えたのに、うーん、敵もさるもの、案外冷静だったんだ、と思ったのを覚えています。キャンプに出る前にお灸を据えておけば、留守中2カ月は安心だ。そう考えていたに違いありません。後に監督になって、選手たちにもこんな計算した叱り方をしたのかなあ、だから連覇もできたのだろうか、などと考えてみたこともございます。

 私たち家族の大きな危機は、昭和39年、12月のころでした。36年に監督になった父は、幸運にもその年初の日本一に輝きます。しかし、翌年は4位、その翌年に再び日本一になるものの、次の39年は3位に沈みました。父の口下手、説明不足に起因する、一部選手やコーチとの摩擦やトラブルが表面化し、連日のようにマスコミからたたかれました。批判記事が載らない日がないほどの大騒ぎになったのです。

 家族はもろにその波をかぶりました。まだ学生だった私や妹はそれほどでなくても、母が耐えきれずに倒れたのです。激しい下痢が何日も止まらず、どんどん痩せていく。はじめはガンが疑われましたが、潰瘍性大腸炎という診断でした。

 先生から「ストレスからくるので、やっかいな病気です。完治は難しい」と聞かされました。難病指定のこの病気に、当時は特効薬がありません。

 父は毎日夕方になると病院に行き、朝まで病室の簡易ベッドに泊まり込むようになりました。しかし、病状はいっこうに良くならない。父は私や妹に話しませんでしたが、母はもうこのまま家に戻ってくることはないだろうと思っていたようです。

 ところが、母は敬愛していたある先生から、諄々と諭されたことをきっかけに、奇跡的な回復をみせたのです。病室まで足を運んでくださって、その先生はおっしゃいました。

 「あなたは、死ぬんじゃないかと自分の心配ばかりしている。マスコミにたたかれて、あなた以上に苦しんでいるのはご主人の方じゃないですか。自分がどんなに心配をかけているか、そこに気が付けば必ず病気は治ります」

 快方に向かい、一時帰宅を許されて自宅に戻った母に、父が言いました。

 「このまま監督を続ければ、いつかお前を殺してしまう。いつ監督を辞めてもいい、正直に言ってくれんか」

 父の言葉を遮るように母が言いました。

 「あなたから野球を取ったら何が残るんですか。私はもう大丈夫です。思う存分、野球をやってください」

 安心してキャンプに出かけていった父から、1通の電報が届きます。

 何十年もあとに、私が母から見せてもらった電文にはこう書いてありました。

 「過ぎた20年昨日のごとし。雨あり風あり晴天あり。変わらぬ誠に感謝す。今日あり、明日あり、苦楽あり。喜びに満ちて、生きて行こう。 テツ」

 その日、2月4日は父たちの結婚記念日でした。

 そして、その年から9連覇が始まったのです。

 父はこの3月の誕生日までは元気でしたが、春先に転倒して入院し、それからは日一日と目に見えて弱っていきました。しかし入院の5カ月間、父は自分の望んでいた通りの日々を過ごすことができたのではないかと思っております。

 「災難にあう時節は災難にあうがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」という良寛さんの言葉がございます。今の自分の状況をありのままに受け入れる。じたばたしないで、病気の時は病人になりきり、不自由なつらい思いもやり過ごす。もうだめとなったら、最後は静かに死を受け入れて、大自然に戻っていく。そんな姿を私たちに見せてくれたような気がいたします。

 今日はお別れの会、別れの場でございます。しかしこれまで父がご縁をいただいた、たくさんの方々が一同にお集まりくださった今日の日は、出会いの場であるとも言えるのではないでしょうか。父をしのんで、昔話をしてくださり、そしてそれがまた新しい人と人との出会いになるなら、人の心のつながり、家庭の和、チームの結束を大切にしていた、父の本望ではなかろうかと思う次第でございます。皆さま方には、今日はどうぞ笑顔でお帰りいただきたいと存じます。

 これまで、父を支えてくださった野球関係の皆さま方、ゴルフや釣りなどの遊びにお付き合いいただき、たくさんのご迷惑をおかけしたであろう皆々さま、そして終生変わらぬ温かい声援をいただいたファンの皆さま方、本当にありがとうございました。

 最後に、今日のこの場をご用意下さった読売巨人軍のご厚意、弔辞をいただいた王貞治様、OBの皆さま方、そして東京ドームの関係者の皆さまに心からの感謝を申し上げ、お礼のごあいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。

 

※(2013-12/31)漫画・・「九番打者」~「ミラクルA-エース-」

 

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ポール・マッカートニー

2013年12月11日 | ミュージックログ

○ポール懸賞旗写真に大喜びし帰国の途

 

  11年ぶりの日本公演の全日程を終えた英歌手ポール・マッカートニー(71)が22日、成田発ロンドン行きの航空機で帰国した。前日21日に最終公演を東京ドームで行ったが、疲れた表情も見せず、笑顔で搭乗口に姿を見せた。東京ドーム公演と大相撲九州場所に懸賞金を出したことを大々的に伝えた日刊スポーツ紙面を本紙記者が見せると「グレート!」「ベリーグッド!」と大喜び。ご機嫌の様子で機上の人となった。

 愛用品のバイオリンベースを手にしたポールが、成田空港の搭乗口に姿を見せたのは午前11時過ぎ。出発時間の直前だった。サングラスをかけ、黒いコートに同色のスラックスとシックな装い。空港職員ら10人以上が警護したが、ポールご一行はわずか数人だった。9日に関西空港に到着した際はチャーター機を利用したが、この日は民間機。来日時は関係者の求めに応じて法被姿でファンサービスに努めたが、この日は静かに日本を離れようとしていた。

 ところが、表情が一変する瞬間が訪れた。東京ドーム公演の様子と懸賞金や懸賞旗を写真入りで大きく報じた本紙紙面を見た時だった。本紙記者が示した22日付の紙面を指さしながら「グレート!」「ベリーグッド!」と大喜び。さらに「ポール・マッカートニーNEW発売中!」と新アルバムの告知がデザインされた懸賞旗の写真に目を留めると「スモウ、スモウ」と連呼した。

 大阪から福岡、東京と会場を移し、6公演で約26万人を動員した一大ツアーを成功させた。14日には福岡で念願の大相撲観戦も実現。そこで初めて知った懸賞も21日に出して大満足の滞在となった。楽しい思い出がよぎったのか、足取りは軽やかだった。

 見送りの日本側スタッフには「マタアイマショウ」と日本語で呼びかけて再会を誓った。フラッシュを浴びせていた本紙カメラマンに対しても「グッドモーニング。アリガトウ~」と手を振った。

 ステージ以外の場所での取材を好まないと言われるポールだが、日本ツアーに強い満足感を得たのか、疲れも見せず、充実感を漂わせる笑顔で飛行機に乗り込んだ。

 

◆ポール・マッカートニー記事
※(2011-05/09)
※(2008-03/28)
※(2010-06/08)
※(2008-08/04)
※(2005-10/07)
※(2008-01/31)
※(2006-07/28)
※(2013-11/18)
※(2013-11/15)

 

 

 ポール・マッカートニー、いつの間にか離日してた。来たときはメディアがあんなに騒いだのに、TV各局で空港に現れた姿から大相撲見物まで映し出してニュースにしてたのに、英国帰国は全く報道されませんでしたね。ネットの玄関サイトのニュースにも出てなかった。報道したのはスポーツ新聞くらいだろう。それも何面かに比較的小さくだろうけど。捜せばネットのニュースでも上がってたんだろうけど。来たときは何十億円のか、それ以上かの経済効果と騒いでましたが、帰るとなると、マスコミ、何にも報道しませんね。実際、どのくらいの経済効果があったのか、とか教えてくれる訳じゃない。ポールが、大相撲に懸賞金出してたのも知らなかった。まあ、いいんですけど。ポール、いつの間にか日本を飛び立ってた。

 どのドーム公演も大入り満員だったようですね。メディアの紹介でも、僕ら以上から団塊世代、それ以上までのオールド世代が、ノスタルジックに感激していた模様。中年以上のタレントや有名人が各Blogなどで、ライブに行って感動して涙が出た、っていうメッセージを発信してた。ライブの感激を、TVでコメントするタレントも。オールド世代には、もう、ポール・マッカートニーというよりも“ビートルズ”ですね。ビートルズへのノスタルジーで感激し涙を流していた。まあ、ポール・マッカートニーはビートルズ以後も世界の音楽シーンでずっと活躍して来てるから、日本人のもっと若い世代、さらに若い世代にまで広くファンが居るでしょうけど。ビートルズじゃなくて、純粋にポールのファンも多かったでしょうね。何はともあれ、帰っちゃった。まあ、ご健在ですからね。しかし、71歳で世界ツアーでロックのライブは、「凄い」の一語に尽きますが。

 僕が初めてビートルズの“Please Please Me ”を聴いたのは小学生の頃ですが、ビートルズサウンドに熱中し始めたのは中三、14歳頃の時代です。当時のクラスメート、親友のK君が自分ちにある数々のビートルズのレコードをシングル・アルバム、いっぱい貸してくれて、僕自身もシングル盤を何枚かは自分で買って来て、毎日ビートルズサウンドを洪水のように浴びて、嬉々として独り熱狂してました。学校でもK君といつもビートルズの話ばかりしてた。

 当時から無論、僕はポール・マッカートニーが一番のファンでしたが、他のメンバーも大好きでした。まあ、大好きって、メンバーのことは、レコードで聴く楽曲と、K君がおごってくれて劇場で見た映画「レット・イット・ビー」と、TV放映した「ヤア・ヤア・ヤア」と「ヘルプ」の映画で見たこと、くらいしか知りませんでしたが。でも、ビートルズはリンゴまで、大好きだった。

  K君もビートルズ大好き少年だったけど、そういえば子供の頃、家が近所で幼馴染のF君も、小学校・中学校当時のクラスは違ってたけど、ビートルズはかなり好きみたいで、中三卒業のクラス寄せ書きにビートルズ・ヒット曲のタイトルをいくつか書き込んでた。「悲しみはぶっとばせ!」とか寄せ書きに相応しそうなタイトルもあったし。あ、確か「Let It Be」も入れてた。なるようになるさ、なのかな。F君とはビートルズの話はあんまししたことなかったな。K君が言うに、映画「レット・イット・ビー」、同じ日、劇場に来てたらしい。まあ、昔々のコトゴトですが。

 で、僕が、ビートルズで二番目に好きだったジョージ・ハリスンの、僕の好きなジョージ曲のランキングです。あくまで、僕自身の好きな曲をビートルズ時代から、ソロのアップルからダークホースレーベルまでのジョージ・ハリスンの曲を敢えて、順位を着けると、という僕の好きな順ランキング、Best15。ただし12位の「セットオンユー」のみ、カバー曲ですね。

 

1.Here Comes The Sun

2.Something

3.My Sweet Lord

4.You

5.While My Guitar Gently Weeps

6.All Those Years Ago

7.What Is Life

8.For You Blue

9.Awaiting on You All

10.Give Me Love

11.Devils Radio

12.Got My Mind Set on You

13.Isn't It a Pity

14.Ding Dong,Ding Dong

15.Piggies

  あ、15位はPiggiesよりも同じホワイトアルバムのジョージ曲で、「Savoy Truffle」の方が印象深いかな。楽曲としてはPiggiesよりもSavoy Truffleの方が好きだな。ホワイトアルバム中のジョージ曲だと、あとLong, Long, Longも好きな曲だったな。

  ポール、ジョージの曲をランキング着けして、ジョン・レノンの曲の順位を語らないのは片手落ちなので、世界的“ロックのカリスマ”の一人、ジョン・レノンの僕の好きな曲の順位も。あくまで僕自身が好きなジョン曲のランキング。ビートルズ以後、ソロのジョン・レノンの僕が好きなランキング、Best10。7位に上げた「スタンドバイミー」はカバー曲。

1.Imagine

2.Whatever Get You Thru the Night

3.Mother

4.(Just Like)Starting Over

5.Jealous Guy

6. #9 Dream

7.Stand By Me

8.Woman

9.God

10.Instant Karma!

 

 思い出したんだけど、一度だけ、幼馴染のF君とビートルズの話をしたことがあった。中三のある日の登校路の路地。多分、晩秋か冬だろうな。僕がF君にビートルズ話題を投げかけ、「ビートルズ、解散するらしいね?」とか何とか訊いたら、F君が「あれはポールが悪い。ビートルズは自分(ポール)でもっていたグループ、なんてコトを言うから‥」とか何とか言うコメントを、F君は返して来た。後にも先にもF君とビートルズの話をしたのはこれだけ、という気がする。何十年も昔の記憶だから、もし違ってたらゴメンナサイだけど、多分そうだと思う。そして、その当時、K君が僕んちに遊びに来てて、僕の家の裏庭に居たとき、近所のF君ちの窓から、ビートルズの名曲の一つ、♪All You Need Is Loveが流れ聞こえてた、と話していた。僕は記憶にないんだけど。だから、当時の冬の朝の、登校路の途中で僕がF君にビートルズの話題を投げかけたのか。それとも、ユナイト映画「Let It Be」をF君も劇場に見に来ていた、とK君が話してたから、それで、僕は、F君もビートルズに興味があるんだナ、とF君に問いかけたのか。あれから数十年経った今となっては解らない、まあ、ドーデモイイよーな、何でもないことです。はい。F君は野球部だったけど、走り高跳びが得意で、メチャ高く跳んでた。僕も小六、中一くらいまで走り高飛びはけっこう跳んでたけど、とてもF君には及ばなかった。懐かしいね、イロイロ。

 で、The Beatlesのオリジナルアルバムを、僕の個人的な趣味で、勝手に好きな順位を着けると、やっぱり1位は「LET IT BE」、2位が「ホワイトアルバム」、3位が「HEY JUDE」って、後期のアルバムばっかだね。う~ん、3位は「ABBEY ROAD」だろうか。両方3位で、4位が「RUBBER SOUL」ってとこかなあ。

 

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第10回好きな女子アナBest10 

2013年12月11日 | 芸能ログ

○王者・カトパン敗れる! ぽっちゃり女子アナの水卜麻美が『好きな女子アナ』1位に

 

  12月6日、年末恒例となっているオリコンの『好きな女性アナウンサーランキング』が発表された。昨年V2を達成したフジテレビの加藤綾子アナに代わってトップに立ったのは、日本テレビの水卜麻美(みうら・あさみ)アナ。加藤は2位に下がり、3位にはNY支局から3月に帰国、『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)のキャスター就任が確実視されている大江麻理子アナとなった。大江は2位からのランクダウンで、水卜は昨年の4位から、加藤と大江というツートップを一気に抜き去った形になる。

 4位にはフジテレビの生野陽子アナが、5位には先日イケメン男性との交際報道があったNHKの有働由美子アナが入っている。6位以下も、「おもてなし」で一躍時の人となった滝川クリステル(6位)やネット上では“パンチラ竹内”の異名を持つテレビ朝日の竹内由恵(7位)、TBSの枡田絵理奈など、各局の人気アナがズラリと揃っている。それだけに、水卜の快挙が際立っている印象だ。

「しばらくは加藤の天下が続くと思われていましたから、番狂わせと言ってもいいでしょうね。加藤の先輩である高島彩は5連覇を達成して殿堂入りしましたが、その後に続くのは加藤しかいないと見られていました。ただ、その人気ぶりが裏目に出たのか、この1年だけでも加藤は福山雅治、自民党の小泉進次郎、プロ野球選手の片岡治大との熱愛が噂され、さらには有吉弘行が本命で寿退社という話までまことしやかに流れました。どれも写真を撮られたり確定的な情報には欠けるものの、あまりに多い恋愛話を快く思わない視聴者も出てきたのではないでしょうか」(芸能ライター)

 その加藤を押しのけて首位に立った水卜は、2010年に日本テレビに入社。11年から、ウッチャンナンチャン南原清隆が司会を務める情報番組『ヒルナンデス!』のアシスタントに抜てきされ、現在は『有吉ゼミ』などバラエティにもレギュラー出演している。

 “ミトちゃん”の愛称で親しまれている水卜は、その食べっぷりが話題になることも多い。1日4食で夜は日本酒を飲むと公言するなど、もともと食欲旺盛な水卜。『ヒルナンデス!』ではグルメレポートを担当することが多いが、少し味見をして無難なコメントで締める他の女子アナとは違い、大口を開ける“本気食い”が目立つのが特徴だ。そのため、コメントも実感のこもったものになり、ネット上では「いつもおいしそうにご飯を食べる姿を見て癒される」「いい意味でアナウンサーっぽくない」と飾らない姿が好意的に受け止められているようだ。

「昼の情報番組は主婦など女性の視聴者が多いので、その人気が今回のランキングにもダイレクトに結びついた形ですね。ときに『子豚ちゃん』などといじられることもあるぽっちゃり体型も、ネット上では『これぐらいがちょうどいい』と評判です。食欲を隠さず、体型についてツッコまれたときもうまく切り返す水卜は、いわば等身大キャラです。女子アナといえば、才色兼備でどこかお高くとまった印象を持たれがちですが、そのイメージを覆すような姿に支持が集まっているのではないでしょうか」(同)

 水卜は先日、『ヒルナンデス!』の中で最新掃除機の頑丈さを試すため、黒タイツ姿で掃除機にまたがる姿が放送されたが、その際ネット上で「これはエロい」「騎乗位やないか」などの声が上がったのも、注目度の高さを示しているといえるだろう。

 ちなみに、同ランキングでは「女性が選ぶトップ10」と「男性が選ぶトップ10」も発表されており、水卜は女性が選ぶランキングでも1位となっている。また、男性が選ぶランキングのほうは1位が加藤で水卜は3位。加藤は依然として男性からの支持が高いようだ。初の単独カレンダーに予約が殺到しているという大江も、帰国後はさらに注目度が上がることは間違いない。来年は水卜がトップの座を死守するのか、加藤が返り咲くのか、あるいは大江が追い上げを見せるのか…。“女子アナ戦国時代”と言われる中、なかなか見応えのあるレースになりそうだ。

※第10回好きな女性アナウンサーランキング オリコンスタイル
http://www.oricon.co.jp/entertainment/special/page/843/

 TBS女子アナウンサーカレンダー2014 [カレンダー]
テレビ朝日女性アナウンサー カレンダー 2014年 [カレンダー]
長野美郷 2014カレンダー [カレンダー]

 

 「人気女子アナ」ということではフジTVの独壇場というか、女子アナ人気ランキングはフジの独占状態という状況が長く続いていて、実際「女子アナ王国」なんて言われて来てたんですけど、最近は、かっての視聴率三冠王者の称号がまるで嘘のように、視聴率が振るわず、TV界の絶対的戦いである視聴率争いで、相当な苦戦が続いてるようですが、その凋落に平行して、アイドルアナ路線が飽きられて来たのか、かつてのアヤパン・ナカミーなどなどの、複数居たエース級が、現在はカトパン以外に居なくなって来ているためか、女子アナ王座は奪取され、フジのベスト10独占的状況が崩されてしまって、他局アナにランキングをいくつも喰われてしまっているようです。

 ランキングから、局退社したアヤパン・ナカミーが消え去り、アヤパンの次席、絶対2位に居た、日テレの西尾由佳理も結婚して局辞めたし、絶対王者アヤパン・フジ女子アナ黄金時代から数年、あの時代からかなりラインナップが入れ替わっちゃったみたいですね。あの時代のランキング女子アナも、現在はみんな三十路に入り、人によってはもう三十代後半に入ろうかって人も居るし。ランキング入りメンバーも世代交代してしまった、って感じ。フジのカトパンが王座を守り、かろうじて「女子アナ王国・フジTV」の名前を守っていましたが、一年前か半年くらい前だったか、TV東京の大江麻理子アナに王座を奪われてしまってました。そして今度は思わぬ伏兵か、何と日テレから、水ト麻美アナが登場して、王座をかっさらってしまった。

 いやあ~、水ト麻美人気って、何か不思議ですねえ。何だか、AKB総選挙で、指原莉乃がまさかの、圧倒的トップ票数を取ってしまう、コトに通じるものを感じてしまう。いや、水ト麻美さんは、たいへん魅力的な女性ですけどね。でも、かつての女王やランキング上位者に比べると、ルックス的にはどうなんだろう、とか、ちょっと思ってしまう。あくまで男性目線のルックスで、ですけど。いや、僕は水トさん、好きですけどね。でも、これまでの代々のベスト女子アナたちに比べると、美貌的には、そうでもないかな、って感じは受けるじゃないですか。水トさん、済みません。

 女子アナって、何か、定着イメージとして才色兼備の、女性の中でも上位、特A級にある女性たち、ってのがあるじゃないですか。美貌の他に頭が良くて、礼儀をわきまえソツがなくて、育ちが良いし、まあ高所得でセレブ的、みたいな。そんな、女性の中でも特にハイレベルに居るような。そういうイメージ。今はかなり地に落ちた感じですが、かつての、昭和も高度成長期のスチュワーデスが持ってたイメージ、みたいな。

 フジの「アイドルアナ路線」で、女子アナイメージを少々方向転換して、タレント性を付加して局の一つの目玉とした。才色兼備プラスの、まあ、ちょっと三枚目的なイメージとか、身近に感じるような親しみやすさ、バラエティー・タレント性。そしてフジの「アイドルアナ」路線は成功した。でも、多かれ少なかれ、他の何処の局も真似しだしたし、ちょっと飽きられちゃった感もあるんでしょうね。まあ、世の中、そう良いときばかりが続くもんじゃなくて、肝心の視聴率でフジも失墜しちゃったし、何処もやってるアイドルアナ路線が飽きられたのもあるし、目立たなくなって、世代交代もした。まあ、ここに来て、他局のアナがぐんぐんと出て来た訳ですね。

 今の女子アナは、才色兼備にプラスして、育ちの良さ感と、三枚目的な面を含んだ好感度、ですね。親しみやすさ、という好感度。水トさんの、とにかくよく食べて、ちょっとふっくらしてて、おっちょこちょい面がありそうな感じの三枚目的な面。こういう要素が親しみやすさとなって、水トアナの高い好感度になってるんでしょうね。これまでは考えられなかった、ポッチャリという、ちょこっと肥満的に見える体型。性格が良さそう、というイメージもあるでしょうね。

 まあ、女子アナ人気って、男性が美貌を主体にして見る好感度だけではなくて、女性票もあるでしょうからね。同姓から見る好感度。僕って、少年時代から一貫してスレンダー美人を好んで来たんですけど、まあ、僕ごとき爺ィの好みなぞドウデモイイことなんですが、ツイッギーの時代から美人といえば痩せてることが条件、みたいなトコロはあったけど、現代はけっこう、グラビアアイドルでも女子アナでも、ふっくらとかポッチャリとか、ちょこっと肥満がウケてるようですね。ポッチャリ流行時代か。

 

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