生きたまま極楽! 

ワタクシ、naojiiの、巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。

そこまで言って委員会

2014年02月22日 | 芸能ログ
 
 
  偲ぶ会が3月3日にリーガロイヤルホテル大阪「光琳の間」で行われることが決まり、午後1時からは一般献花もあるそうです。ファンの皆さんはぜひ参列を。そんな中で一つ気になっていたのが、昨年3月に読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」を降板したコラムニスト、勝谷誠彦さんのことです。

 たかじんさんに子分のように可愛がられていたといわれる勝谷さん。当時、マネジメント関係者の「(番組には)近いうちに戻ってくるでしょう」との言葉を鵜呑みにしましたが、そんな簡単な話ではなかったようですね。もっとも、現在も日テレ系「スッキリ!!」をはじめ、同じ読テレ「あさパラ!」(関西ローカル)などに出演し、以前と変わらぬ辛口コメントで番組を締めています。

 ただ、僕の中では、プライベートはともかく、たかじんさんとの関係が切れたままの勝谷さんは何か違和感があって、どこかで“刺客”と“元締め”のようなやり取りが復活すればいいなと願いながら、結局はかないませんでした。

…と思っていたら、勝谷さん。神戸の独立局・サンテレビで昨年10月に新番組を立ち上げていたんですよね。「カツヤマサヒコSHOW」(毎週土曜午後11時30分)。編集長の勝谷さんが売れる雑誌を作るべく、行きつけのバーで各界のスペシャリストと本音トークを繰り広げる…という大人が楽しめるバラエティー番組です。

 「バー」でピンと来た人も多いでしょう。伝説のトーク番組「たかじんnoばぁ~」にイメージが重なるんですよ。ご覧になれば分かります(予告編はネットで視聴できます)。同局の久保仁プロデューサーに経緯を聞きました。

 「『委員会』の件で、他局に勝谷さんを起用しにくい空気があったみたいで、それならウチでぜひ、とお願いしました。辛辣なコメンテーターで通っていますが、編集で面白くしているのは分かっていました。つまり、それを期待する視聴者がいるわけですが、そればかりが取り上げられるのは気の毒です。そうではない勝谷さんを見てもらおうと思い、司会のトーク番組にしました。地元(兵庫県尼崎市)ご出身でもありますから」

 企画段階では、ラウンジ風に横にホステスに座ってもらって…という設定だったのを、勝谷さんが「ふかふかのソファでは喋られへん。バーがいい」と逆提案したそうです。「そこには、たかじんさんへの思いがあったかもしれません」と久保さんは言います。

 ゲストも、作家・百田尚樹さんに始まり、官能小説家でバスガイドの花房観音さん、酒場ライターのバッキ-井上さん、プロボクサーの長谷川穂積さん、野球指導者で画家の野々村直通さん、アンドロイド開発者で阪大教授の石黒浩さん…ら実に多彩でユニーク。本来の、元文藝春秋記者としてのセンスが発揮されています。前回紹介したメッセンジャー黒田さんも登場し、例の暴行事件についても語り合っています。

 酒が入るので、そこは編集長補佐の榎木麻衣アナウンサーがフォローに入る…はずなのですが、彼女がなかなかの“役者”で、脱線に拍車をかけ、時に勝谷さんを困らせています。

 そういえば、勝谷さんは月刊誌「WILL」(ワック出版)の最新号に、たかじんさんへの追悼文を寄稿。その中で「委員会」降板は、たかじんさんのあずかり知らぬところで決まり、激怒させたことを明かしたうえで、その後も《たかじんさんからのメッセージが人づてに届くことはしばしばあった。それは「あいつを使え」「番組作ったれ」などというもので、ごく最近まで耳に入った》と記しています。

 そんな声をおひざ元がくみ取っていた。「縁」ですよね。たかじんさんの訃報に際し、勝谷さんは自身の有料配信メールで「たかじんさんにこの番組へ出てもらうのが夢だった」と悔やんだそうです。

 独立局で予算も少なくPRに苦労しているようですが、4月には番組関連本も出ます。勝谷さんも大好きな「水曜どうでしょう」のように、地方(=北海道テレビ)からじわじわと全国区に登り詰めることを期待します。

 
 
 
 
  歌手でタレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日未明、都内の病院で亡くなっていた。64歳。告別式は近親者で済ませ、大阪市西成区に住む母親もショックを見せているという。

 大阪市生まれで大学時代から歌手活動を始め、「あんた」「やっぱ好きやねん」のヒット曲をリリース。一方で、歯に衣着せぬしゃべりで人気者となり、数多くの冠番組を抱え、「関西の視聴率男」と呼ばれた。

 12年1月に食道がんを公表し休養を宣言。4月に手術をして、翌年の3月に一度は仕事復帰したものの、5月から再び長期療養していた。初期のがんと説明されていたが、実際は予断を許さない症状だった。それでも療養中に北新地のクラブに通うなど、型破りキャラを演じ続けなければならなかった。

「昨年の大晦日に『たかじん胸いっぱい』の特番が放送されました。1000回突破記念とうたった2時間番組。同番組のプロデューサーは、たかじんさんとツーカーの間柄で、声の出演ぐらいはあるかなと思ったが、サプライズ登場はナシ。相当悪いのだろうとウワサされていました」(在阪テレビ局関係者)

 昨秋に32歳年下の女性と結婚。献身的な看病を見せた女性への遺産贈与のけじめとされている。
 
 
 
 
 
  1月3日に64歳で亡くなった、歌手でタレントのやしきたかじんさん。8日、各界から悲しみの声が相次いだ。
フリーアナウンサーの宮根誠司さん(50)は、「かっこよすぎるやろ、たかじんさんと。かっこよすぎるでと、あまりにも。やしきたかじん流を死ぬまで貫き通したんかっていう。なんで黙って逝ってしまったんみたいな、僕は本当に正直な気持ち」と話した。
橋下 徹大阪市長は「たかじんさんの番組で、顔と名前を広く知ってもらえた。それだけで当選したようなもんですから。(会えるとしたら、どんな話をしたい?)いろいろありすぎます」と述べた。
毒舌トークで、関西を中心に高い人気を誇り、司会を務める番組が軒並み高視聴率をたたき出すことから、「浪速の視聴率男」と呼ばれたたかじんさん。
辛辣(しんらつ)な言葉とは裏腹に、甘い歌声で歌手としても活躍した。
1976年のデビュー以降、「東京」、「やっぱ好きやねん」など、次々とヒット曲を発表した。
生前、親交のあった安倍首相も、SNSで「たかじんさんの訃報に接し、本当に悲しい思いです。ご冥福を心よりお祈り致します」と、コメントを発表した。
通夜と葬儀は、親族のみの密葬で済ませたということで、しのぶ会などは今のところ未定だという。
 
 
 
 
 
 
 
 僕が「たかじんのそこまで言って委員会」を見始めたのって、いつ頃からだろう? ある日タマタマ一度見て、面白くて、毎週欠かさず見るようになった。レギュラー放送として毎週放送され出したのは2003年7月からなんですね。すると、どうだろう、2003年の秋冬か、あるいは04年くらいか。僕はVHSビデオ録画機器は持ってたけど、これが調子悪くなってほとんど使わなくなってたんで、当時働いてた職場には日曜出勤もあったし、けっこう日曜日に仕事に出ることも多かったから、放送を毎週見ていた訳ではないけど、日曜日に家に居るときは必ず見てたと思う。痛快で面白かった。何より、国内の政治情勢が解ったのが良かった。
 
 僕は青年時から30代、ずーっとノンポリで、恥ずかしながらほとんど政治に興味がなかった。選挙の投票に行き始めたのも20代後半からで、それも行ったり行かなかったりだ。ハイティーンの頃は、知識的には、雰囲気的に左翼かぶれだった。大江健三郎のエッセイとかけっこう熱心に読んでた。青年時は、どちらかというと左翼的な思想傾向の知識人をリスペクトしていた。まあ、そんなに専門的な書物を読んでた訳でもないけど。でも左翼的なのは雰囲気だけかぶれてて、実質ノンポリそのものだった。まあ、情けないほど馬鹿なのだけれど、若い頃の僕はほとんど政治・経済に興味も関心もなかった。ひどいものだ。僕の若い頃は、雰囲気だけの、一応、心情左翼、かな。
 
 30代に入って、落合信彦の著作物を続けて読んでファンになり、国際政治に興味や関心を持った。十代後半から劇画の「ゴルゴ13」を愛読し続けていたことも手伝ってだろう。その内、船渡与一の冒険小説の虜のようなファンとなり、落合信彦の著書ともども愛読し続け、第三世界・発展途上国を絡めた国際政治に興味津々となった。けどしょせんは対岸の火事、デキの悪いアタマの中でただ思うだけだ。
 
 僕自身が、国内の政治に関心を持つようになったのは、「たかじんのそこまで言って委員会」を見るようになってから、と言っても過言ではない、という気がする。その内、国内の経済にまでもデキの悪い脳味噌なりに、関心を持つようになって行った。僕は若い頃からそのもの「経済」を考えることが苦手だった。この当時、避け続けていた「経済」をやっと、悪いアタマが少しばかり受け入れ始めた。
 
 「たかじんのそこまで言って委員会」や、当時の「太田の私が総理大臣になったら秘書田中」といった番組の良いトコロは、国内の政治や経済という難いテーマで番組を進めても、それがあくまでバラエティーだというトコロだ。一応討論番組形式の「たけしのTVタックル」しかり。政治家・文化人・知識人だけでなく、芸人とかタレントも起用して、あくまでバラエティー番組として進行している。時に爆笑しながらも、肩肘張らずに笑いと共に見れて、政治・経済の情報も得ることができる。これが凄く良いのだと思う。一般大衆がみんなで見れて、いつの間にか一般人が政治・経済など難いテーマに関心を持ち、そういうコトゴトを少しでも考えるようになる。だから、こういった番組は娯楽バラエティーとして、国内の諸問題を広く大衆にアッピールするということで、国民一人一人に問題に関心を持ち、それを考えることを啓蒙して、とても良い番組だと僕は思う。
 
 
 やしきたかじんさんの訃報をネットで知ったのは、 7日の夜、というか8日の未明、そうだな、8日の午前1時過ぎ頃か。翌朝一番にTwitterで書き込んだ、僕のつぶやき、そしてその晩に書き込んだ続報感想つぶやき。先ず最初に、その3件を上げます。
 
 Tweet『まさか、あの、やしきたかじんが逝ってしまうとはなあ。一度復帰したときは元のように元気だったのに。ハワイで札幌で大阪でと、優雅に悠々自適な静養ライフを送っていると思いきや。若い嫁さん貰ったというニュースだったし。癌は侮れないなあ。団塊世代。何か最近60代で亡くなる人が多い気がする。』
 
『たかじんさんの死には、ミヤネも辛坊さんも橋下市長も天童さんもみんな泣いてたな。放っておいたら号泣しそうな勢いで。大阪のメディア関係者などなど、泣いた人はいっぱい居たんだろうな。』
 
『たかじんさんは、ムチャクチャな印象もあったけど、人望のある人だったんだな。ある面、大阪のシンボル的な人。ある種、大阪の灯が一つ消えた感じだろう。例えどんな人でも、人はあっけなく死んでしまうものだ。寂しいですね。』...
 
 
 大阪の歌手としての、やしきたかじん、というのは昔から名前だけは知っていた。多分、歌も聞いたことくらいはあったんだろうが、多分、顔もTVとかで見たことはあったんだろうが、僕は日本歌謡曲の特にムード歌謡みたいなジャンルは趣味でなく、全然関心がなかったんで、「やしきたかじん」のことはほとんど知らなかった、と言っていいだろう。ちょっとだけ見て知ってた大まかな容貌や雰囲気も、何か気の短いコワモテの大阪のアンちゃんかオッちゃんか、という感じを受け、好感を持てるタレントに思えなかった。昔、僕は「やしきたかじん」には興味も関心もなかった。僕が、タレント・やしきたかじんに関心を持ち、好感を持つようになったのは、やはり「たかじんのそこまで言って委員会」を見るようになってからだ。その内、「たかじんノウマネー」などなど、他のたかじんホストの番組も見るようになった。痛快だった。芸人たちがやるお笑いとはまた一種違う笑いで爆笑した。番組は面白かった。僕は昔から今でも、あんまり演歌やムード歌謡が趣味でないので、とうとうたかじんさんの歌はちゃんと聴いたことがない。
 
 やしきたかじんさんは大阪という都市では象徴的な、要人とでも呼んでいいような、地域密着型というか地域限定型というか、そういう大阪を代表する有名人だったんだなあ。ある種、大阪という都市を作って行ってた人、でもあったんだろう。イメージ的にも実際の運動でも。元大阪府知事・市長の橋下徹を生み出した人でもあるし。たかじんの死は、やはり大阪という都市に取っては損失だったろう。そのキャラクターや生き様は、昭和も後期には激減し、21世紀に入っては居なくなった、「無頼派」の有名人だったんだろうな。療養中でTVで見なくても、まさかこの人が死んでしまうとは思いもしなかったが、やはり不摂生は寿命を縮めるということなんだろうな。人はいつの間にか死んでしまう。どんな人も。寂しいけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント