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秋葉原事件家族

2015年08月11日 | 時事社会ログ

○『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」

 

   <「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。
   死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」>

   これは『週刊現代』の「独占スクープ!『秋葉原連続通り魔事件』そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した」の中で、週刊現代記者の齋藤剛氏が明かしている加藤被告の実の弟・加藤優次(享年28・仮名)の言葉である。

   この1週間後、優次は自ら命を断った。これを読みながら涙が止まらなかった。加藤被告の起こした犯罪のために、被害者の遺族の人たちは塗炭の苦しみを味わっている。だが、加害者の家族も苦しみ、離散し、弟は兄の犯した罪に懊悩し、ついには自裁してしまったのだ。

   日本の犯罪史上まれに見る惨劇「秋葉原連続通り魔事件」が起きたのは2008年6月8日の日曜日。加藤智大は白昼の秋葉原の雑踏に2トントラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って7人もの命を奪った。

   弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった。就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。そんな暮らしの中にも、希望がなかったわけではなかったという。事件から1年余りが過ぎた頃、筆者が彼のアパートを訪ねようとしたとき、たまたま女性と一緒に歩く姿を目撃したそうだ。優次は彼女に事件のことも話していたという。

<正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。一度喋り出したら、後は堰を切ったように言葉が流れてました。
   彼女の反応は『あなたはあなただから関係ない』というものでした>

   ようやく心を開いて話ができる異性との出会いは、彼に夢を与えてくれたのだろう。しかし、優次の夢は叶うことはなかった。事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、結婚と聞いたとたんに猛反対したというのだ。二人の関係が危うくなり、彼女も悩んでイライラしていたのだろうか、彼女から決定的なひと言が口をついて出たという。

<一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。
   結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。
   (中略)僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました>

「加害者家族もまた苦しんでいます」面会求める弟、拒否し続けた兄…

   優次は手記に繰り返しこう書いていたという。<兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる>

   そして、<突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある>

   そんな言葉を筆者に漏らすようになっていった。母親は事件後、精神的におかしくなり離婚してしまった。父親も職場にいられなくなり、実家へ帰りひっそりと暮らしている。

   優次は加害家族も苦しんでいることを知ってほしいと、このように書いている。ここには心からの叫びが吐露されているので、少し長いが引用してみたい。

<被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遙かに軽く、取るに足りないものでしょう。(中略)
   ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります。
   そもそも、「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか。被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです。
   だからこそ、僕は発信します。加害者家族の心情ももっと発信するべきだと思うからです。
   それによって攻撃されるのは覚悟の上です。犯罪者の家族でありながら、自分が攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている。(中略)
   こういう行動が、将来的に何か有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる>

   彼は兄と面会したいと願い、50通を優に超える手紙を書いたという。だが1度として兄から返事が来たことはなかった。罪を犯した自分より早く逝ってしまった弟のことを知らされたとき、加藤智大被告は何を思ったのだろう。1度でも会ってやればよかった、そう思っただろうか。

 

 

 結論からいうと、「やりきれない」ばっかり、なんだけどね‥。

 これは2014年のいつ頃の記事だったんだろう。「あ、加藤の弟さん、自殺したんだ‥」と衝撃的なニュースだった。ショックだった。はっきり言って、加藤の弟さんには何の罪もない。でも結局、自殺した。自殺に追い込まれた。秋葉原連続通り魔殺人傷害犯、加藤智大の前代未聞のような凶悪事件が逮捕後もまだ話題が冷めやらぬとき、雑誌・週刊現代のスクープ・犯人肉親インタビュー記事で、弟さんのことを知り、また弟さんの話を読むにつけ、この実弟さんは極めて常識的な普通の人なんだな、と理解した。インタビューに応えるその会話内容から、頭も良さそうな人だな、と思った。ちゃんとした人なんだな、と思った。

 もう何年も前だけど、TVの深夜映画で、東野圭吾さんの小説が原作の「手紙」という映画作品を見た。もう正に、このテーマだった。映画を見たのは、秋葉原殺傷事件の後ではあったと思う。実際は何の関係もない筈の殺人事件の犯人の身内が、事件がメディアに寄って世間で有名になった場合、その後の人生で如何に辛い思いをせねばならないか、これに尽きるテーマだった。たいていの凶悪殺人事件の犯人とは18歳以上で、成人している場合が多い。勿論、未成年の殺人犯の場合もあるけれど。親の責任?どうなんだろう?極端に非常識な親の場合、親の育て方の責任を問われる場合もあるのかも知れない。

 このニュース記事を見つけて、ショックを受けて、自分のBlogに取り上げて、ニュース記事文をアップして本記事サイトにリンク張ったけど、何か気分的にやりきれなくて、凶悪犯のただ兄弟だというだけで、その後の人生でこんな辛い目に合わなくてはならない、救いがない、というのはもうどうして良いか解らない、やりきれないという気持ち、もうこれしか沸いて来なかった。理不尽というか、何というかどうしたら良いのか、兄弟というので何か責任があるのか?両親というのなら、もしかしたら責任を問われる場合もあるのかも知れないが、兄弟というので責任を問われるのは、あまりにも理不尽なのではないか。

 この、極めて常識人で、普通に真面目に働いて、一般人として平凡に生活していた、加藤智大の実弟さんの、最終的な自殺には、もう「やりきれない」しかない。凶悪犯の身内の方々には直接的な罪はないし、大部分のケースでは罪はないんではなかろうか、と思うけど、親ではなく、ましてや兄弟では、と切に思う。罪の無い身内の人間は救われて欲しいなあ。世間というもの、社会というもの、共同体の中で生活して行くということ。簡単に、異端者を疎外する村社会性、というような論理だけで済まされる話でなく、複雑な問題だろうが、受け入れる側の世間体、とかイロイロとあるんだろうが、この弟さんのような方は何とか救われて欲しいなあ。

 

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