生きたまま極楽! 

ワタクシ、naojiiの、巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。

 “人間風車”ビル・ロビンソン

2014年03月07日 | 格闘技ログ

“人間風車”ビル・ロビンソン氏死去 75歳

 

   “人間風車”の異名をとり、日本でも人気のプロレスラーだったビル・ロビンソン氏が3日、米アーカンソー州で死去した。75歳。新日本プロレスが4日、発表した。

 ロビンソン氏は1938年、英国・マンチェスターで生まれ、19歳でプロレスデビューした。ダブルアーム・スープレクスを武器に、60年代後半から国際プロレスを日本の主戦場として活躍。その後、新日本、全日本に活動の場を移した。85年に引退。99年から2008年まで東京・高円寺で後進の指導にもあたっていた。

 

ビル・ロビンソン氏死去 元プロレスラー、「人間風車」

 

  ビル・ロビンソンさん(元プロレスラー)が米アーカンソー州で亡くなったと新日本プロレスが4日、発表した。75歳。

 英マンチェスター出身。15歳で通称「蛇の穴」と呼ばれるジムに入門し、アマチュアレスリングで数々のタイトルを獲得後、21歳でプロレスデビューした。1965年に欧州ヘビー級王座を獲得。大技「人間風車」で知られ、75年のNWF世界ヘビー級選手権でアントニオ猪木と引き分けた試合は「伝説の一戦」として語り継がれている。

 85年に引退後は米国で暮らしていたが、92年、日本のプロレス団体UWFインターナショナルの専任コーチとして若手を指導。99年から東京・高円寺に住み、元プロレスラー宮戸優光氏のジムで08年まで指導していた。

 

 

 ビル・ロビンソンは強かったなあ。子供の頃の憧れの一人でもありました。“人間風車”ビル・ロビンソンは、徹底したベビーフェースで、絶対反則をしなかった。あの“鉄人”ルー・テーズでさえ、ナックルパートっていうのか、拳骨パンチの反則をやってた。まあ、僕が見てた頃のテーズは既に老いていて、ナックルパートでワザの衰えを補っていたのかも知れない。僕がTVのプロレス番組を熱中して見てた、少年の頃は、まだプロレスのマッチワークの構図は、悪の外人レスラーたちを正義の日本人レスラーが迎え撃ち、大きくて不気味で怖そうな外人レスラーたちの、怪物的な力のレスリングや汚い反則攻撃を浴びて、日本人レスラーが最初やられっ放しで苦戦し、後半チャンスを掴み、何とか盛り返し、終盤形勢逆転、悪の外人レスラーをこてんぱんにやっつける、という、まだまだ戦後力道山のプロレスの構図だった。来日する巨漢レスラーたちはみんな、“悪”側だったのだ。悪者側。まあ、例外もありますけどね。例えば“鉄人”ルー・テーズとか。在りし日のテーズは、文句ない世界最強レスラーだったからね。あとは、頑固な正統派レスリングを守る、“神様”カール・ゴッチ。ゴッチが“神様”って呼ばれてたのって、日本だけなんじゃないのかな(?)。まあ、他にもレスリングのワザを主体にしたベビーフェースも居ましたけどね。でも、大半の来日外人レスラーは、不気味で怖い悪役レスラーだったように思う。入れ替わり立ち代りやって来る、反則悪役レスラーたちも、“悪役”の程度の差は個々にありましたけどね。ごく少数のベビーフェース以外、みんな悪者外人レスラー。最後には日本人ヒーローレスラーがやっつけて、戦争に負けた日本国民は溜飲を下げ、スカッと晴れやかな気分を味わう。その方式は、昭和40年代いっぱいまで続いた。

 力道山はキャバレーでヤクザ者に刺され、その二、三日後(正しくは一週間後のようですね)に病院で亡くなった訳だが、それは、僕が七歳当時の、国民的大事件くらいの大騒ぎで、あの時代、力道山のことは日本国中知らない人は誰一人居ないくらいの、スーパースターだったけど、僕の住む地方では当時、プロレス中継はTVでやってなかった。僕がものごころ着いた頃には、既に家庭にモノクロTVはあったし、力道山の存在も幼少時から知っていたけど、僕は実際にリアルタイムで力道山のプロレスファイトを見たことはない。多分、TVのワイドショー的な情報番組か何かでか、雑誌で知ったか、周囲の大人たちの会話から知ったのか、まあ、当時は児童雑誌のプロレス漫画には絶対、力道山が登場したし、僕は見たことないけど力道山の映画もあったろうし、子供向けTV番組で「チャンピオン太」なんてのもやってた。だから、幼少期の僕は、力道山のプロレス試合は見たことないけど、力道山は知ってた。現に幼い頃の記憶で、幼馴染の、向かいのM君が、家の前の、まだコンクリ製に替わる前の樹木・丸太製の、木の電信柱を、手刀でとんとんやりながら、「力道山は空手チョップでこの電信柱折れるかなあ」とか何とか話していたのを、今でも僕はよく覚えてる。当時、僕の住む地方では、TVでプロレス中継放送してなかったけど、力道山亡き後のエース、ジャイアント馬場の存在も僕は知ってた。当時は親父が、読売新聞と西日本新聞の他に、スポーツニッポンも取っていたというのもあったかも知れない。また、当時の親父の職場である、家の前の事務所に来るイロイロな、若い社員とか請負の人や作業員の人たちが、九州スポーツを買って来て置いて行ってたし。力道山亡き後、G馬場は知ってたけど、猪木さんは多分、知らなかったろうなあ。少年マガジンの漫画で「潜艦豊登」というのがあったから、もしかしたら豊登選手は知っていたかも知れない。「潜艦豊登」のマガジン掲載は昭和39年だな。あるいは、吉村道明さんとかも名前くらいは知っていたのかも知れない。多分、あの当時の僕は、イロイロな情報を漫画雑誌で得ていたんだろうな。僕は、小学校高学年とか中学生時代、家から近くのアーケード商店街にあったI書店に、当時の「ゴング」や「プロレス&ボクシング」を立ち読みに行ってた。まあ、I書店に漫画雑誌を買いに行ったついでに、立ち読みしてたんだろうが。そういう専門誌の記事で、プロレス世界ランク番付が載ってて、ベスト10に日本人で唯一人、G・馬場が9位とか10位に入っているのを見て、世界には強いレスラーがいっぱい居るんだなあ、とか感心してた。NWA世界チャンピオンが“荒法師”ジン・キニスキー、WWWF世界チャンピオンがブルーノ・サンマルチノの時代。あの時代、プロレス専門誌をいつ見ても、AWAチャンプはバーン・ガニアだった。

 プロレスの試合が見たくて見たくてたまらなかった子供時代、やっとこさ僕らの住む地方でもTVでプロレス中継が放送されることになった。少年誌の紹介記事を見て、もうワクワク気分に高揚した。何でも、馬場や猪木の居る日本プロレスとは別の団体が、新しく出来て、TBS系列で毎週放送されるらしい。もう本当に嬉しくてワクワク、放送が待ち遠しかった。その新たな団体は、雑誌ではTBSプロレスと紹介されてたが、実際は国際プロレスという新しい団体だった。放送が始まったのは、僕が11歳か12歳のときだ。敵役の外人レスラーたちは僕の知らないレスラーばかりだったけど、もう老境に差し掛かっている、“鉄人”ルー・テーズも外人レスラーの中に居た。そのときのテーズはもう、NWA世界チャンピオンではなかった。しかしテーズは強かった。雑誌で紹介された、迎え撃つ日本人レスラー軍は、いざ試合を見てみるとたいしたことなかった。エースと言われる、グレート草津は弱かった。まあ、みんなプロレスを始めて間もないような、若手選手ばっかりだったからね。アマレス経験のあるサンダー杉山がいくらか強かったけど、テーズを初めとする外人レスラーのワザのテクニシャンたちに比べると、何か泥臭いレスリングだった。日本人選手サイドが勝利する試合も、ふうふうぜいぜい、やっとこさ勝ててるような按配だった。全盛期を過ぎたルー・テーズは、ナックルパートの反則を多用して狡賢く試合運びしても、最後はキッチリ、バックドロップを決めて鮮やかに勝利し、国際プロレスの中でTWWA世界チャンピオンのベルトを巻いていた。まあ、その後ジュニアヘビー級のダニー・ホッジに敗れる訳だけど。国際プロレスにはその後、IWAというベルトが出来るけど、TWWAベルトとは何だったんだろうな。結局、ホッジが持って帰っちまったし。IWAの時代とは、ストロング小林とかラッシャー木村が出て来てからの時代だな。

 TBS系列でプロレス中継が確か、水曜夜七時放送で始まって、敵役の来日外人レスラーには怪力や巨漢や怖そうなのや、けっこう魅力的なレスラーが登場していたけど、それを迎え撃つ国際プロレスのグレート草津やサンダー杉山他が、何かパッとしなかった。強そうにも見えなかったし、正直あんまし強くなかった。途中から、怪力・豊登が参加してから、豊登選手はけっこう強かった。いつも裸足で上背はないが、相撲上がりの身体がけっこう良くて、何せ力がメチャ強くて、ベアハッグとか力ワザが魅力的で、当時の日本人選手中では一番強く、強豪外人レスラーと充分渡り合えた。豊登の活躍で、日本人サイドは救われた。あの時代の国際プロレスには、けっこう有名な外人レスラーが来てるんですよねえ。中には、まだ無名時代のモンスター・ロシモフ、後のアンドレ・ザ・ジャイアントも居たし。そして、次期エースとなるストロング小林やラッシャー木村が、まだメインやセミファイナルを張るレスラーにまで成長する以前に、正統派レスリングの、絶対反則をしないベビーフェイスで超強豪の、ビル・ロビンソンがやって来た。

 いやあ~、ビル・ロビンソンは強かった。反則を全くせず、正統派レスリングのワザだけで戦う試合は見事で、魅力的だった。バックドロップはルー・テーズで知っていた。僕はリアルタイムでカール・ゴッチの試合を見たことなかったけど、日本で原爆固めと呼ばれていたジャーマンスープレックスも、何故か知っていた。けれど、ビル・ロビンソンの、このワザを見たのは初めてだった。ダブルアームスープレックス。このビル・ロビンソンの必殺技をして、ビル・ロビンソンは“人間風車”と呼ばれた。“人間風車”は決めワザだった。ビル・ロビンソン以外の誰も使ってなくて、当時の僕は多分、誰もこのワザを真似できないのだろう、と思っていた。中学生になった僕は、だいたい僕は小さい頃から生まれつき身体が柔らかくて、学校でプロレスごっこをしていて、中一くらいでジャーマンスープレックスが出来た。家では毎日ブリッジをして首を鍛えていた。この当時は毎日、家の畳の上で、腕立て伏せとスクワットと腹筋とブリッジを、日課でどれも百回以上やっていた。首を鍛えていたので、学校のクラスメートに、背筋・腹筋を使って、ゆっくりとジャーマンスープレックスを掛けることが出来た。時折バックドロップもやってた。廊下でいきなり、当時“イタケン”と呼ばれていたI君にバックドロップを掛けたら、モロに後頭部を床で強打して、I君はしばらく立てず心配したが、その内起き上がって、僕は、怒ったI君から顔面を殴られた。殴られたけど、不意打ちにバックドロップを掛けた僕の方が悪いので、僕は素直に謝った。このシーンは今でも覚えている。“イタケン”とのあれこれも懐かしいな。中二か中三時に千葉か何処かへ引っ越しちゃった。あ、いや違った。思い出した。I君は僕の胸か腹を殴ったんだ。顔面を叩かなかったのは、気を使ってくれたんだろう。かなり強くだが、胸か腹だった。しかし、あのときの僕もまたどうして、廊下で出会いがしらにバックドロップなんて掛けたんだろう(?)。で、僕は中学生時、ジャーマンスープレックスホールドが出来た。でも、ダブルアームスープレックスは出来なかった。だが運動神経が良くて野球部所属のY君は、このダブルアームスープレックスが出来た。僕は、凄いな、と驚いて感心した。Y君は運動神経抜群だったけど、けっこう勉強も出来てたな。学業も優秀な方だった。小六頃、小学校の足洗い場で、僕ん家向かいのM君が怒って、Y君の胸をどんどん突いて当たっている(詰め寄っている)シーンを覚えている。Y君はされるままだったな。何か憶えてるシーン。小学校時代、M君とY君は同じクラスだった。ああ、こんなことイチイチ書いてたらキリがないな。まあ、あの当時の、Y君のダブルアームスープレックスは凄かったよ。僕のジャーマンスープレックスもゆっくりゆっくりやって、技を掛ける相手にケガさせないようにしてたけど、Y君も技を掛けてる相手にケガさせなかった。床への落下に気を使って、慎重にやってたんだな。子供の頃のプロレスごっこも懐かしいね。

 どんなに悪役レスラーに反則攻撃を受けても、決して反則で返さずに、正統派レスリングのワザで返す、ビル・ロビンソンのプロレスはスポーツマンシップ的で、繰り出すワザは華麗で鮮やかで、文句なく強くて、また、正義の味方然としてて、カッコ良かった。来日外人選手なのに、日本人側に入って、悪役反則外人レスラーたちを次々やっつけてた。僕が、TVで国際プロレスの試合を見てた時代は、まだ、日本人レスラー正義軍対悪役外人レスラー軍の構図だった。前座以外で、日本人選手どおしが試合することは先ずなかった。最終的には、日本人レスラーが悪役反則外人たちを蹴散らして、見ている観客・ファンが試合後、溜飲を下げて気分をスカッと爽快にさせる、そういう構図の興行だった。日本人選手どおしの遺恨の試合、とかいうシナリオは70年代に入ってからだな。70年代半ば頃からだろうか。新たな構図は、猪木さんが始めたんだろうけど。70年代に入ってから猪木さんは、異種格闘技戦も含めて、プロレスに新しいドラマを持ち込んだ。馬場さんのところは相変わらず、日本人対外人だったけど、80年代に入ると、長州力さんや元国際レスラーとかが合流して、軍団結成方式で、馬場さんの団体に参加して、日本人どおしの抗争ドラマが始まった。80年代以降は日本人選手どおしの遺恨のドラマも、日本のプロレスの柱になったな。力道山の時代から、プロレスを盛り上げるのはドラマ性だったからなあ。ドラマはプロレスの醍醐味。アメリカのスター外人を呼ぶより、日本人選手どおしの方が安く着く、というコスト面もあるだろうな。まあ、猪木対タイガー・ジェット・シンも、ファンク兄弟対ブルーザー・ブロディもあった訳だけど。話がビル・ロビンソンから逸れてしまった。

 ビル・ロビンソンは、カール・ゴッチと共に、日本の古流柔術みたいな、古きヨーロッパの、歴史ある隠れた実力派実戦レスリング、イングランドのキャッチアズキャッチキャンの正統継承者だった。寝技・関節技・レスリングで、文句なく本当に強い実戦レスリング。梶原一騎が「タイガーマスク」の構想でモデルにしたという、「蛇の穴」の出身者。これも、カール・ゴッチともども、蛇の穴=スネーク・ピット=実戦最強レスラー養成所出身の、レスリング実戦高等技術マスターの強者。日本には、カール・ゴッチとビル・ロビンソンの弟子筋がたくさん居る。カール・ゴッチさんが亡くなったのは2007年かあ。“神様”ゴッチの死もショックだったけど、ビル・ロビンソンさんの死も衝撃だなあ。僕らの子供時代、少年時代、青年時代までも、プロレスラーは強さの象徴で憧れの存在だった。僕の子供時代、青年時代のヒーローが居なくなって行くのは本当に寂しい。もうあらかた僕の少年時代のヒーローは、現世を退場したなあ。寂しいなあ。

 

 名勝負数え唄 俺たちの昭和プロレス (アスキー新書) [新書]

プロレス リングの亡霊 (別冊宝島 2084) [ムック]

闘魂の呪縛 王道の絶望―昭和マット界黄金期に隠された「プロレス死滅」の病巣 [単行本]

プロレス 悪夢の10年を問う (宝島SUGOI文庫)

人間風車ビル・ロビンソン自伝―高円寺のレスリング・マスター (BLOODY FIGHTING BOOKS) [単行本]

 

 

 

コメント

剛腕・マイク・ベルナルド、逝く

2012年02月17日 | 格闘技ログ

 

“K-1”マイク・ベルナルド薬物自殺…藤原紀香「信じられない」

 

  格闘技イベント、K-1で活躍した格闘家のマイク・ベルナルド氏が15日、母国の南アフリカ・ケープタウンで急死したことが分かった。42歳だった。関係者によると、薬物で自殺したとみられる。

 ベルナルド氏が所属するジムの会長であるスティーブ・カラコダ氏(59)は本紙の取材に応じ、「ベルナルド氏は14日朝、自宅で大量の錠剤を服用して倒れていた。救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された」と話した。

 カラコダ氏によると、ベルナルド氏は2006年に引退を表明してからは母国・南アフリカに帰国。後進の指導に当たるとともにケープタウン市内の大学に通い、心理学を勉強していたという。

 一方、数年前に離婚。昨年12月にはカラコダ氏とともに会社を立ち上げたが、「多くの人に取り囲まれていたが、同時に孤独にもさいなまれていたようだ」(カラコダ氏)。別のK-1関係者は「ベルナルド氏は、精神的に不安定な面があった。敬けんなクリスチャンで、心の隙間を信仰心で埋めていたようだ」と語る。

 「豪腕」「無冠の帝王」と称されて格闘技ブームを牽引した立役者の急死に、格闘界、芸能界に動揺が広がっている。

 K-1中継の司会を務め、ベルナルド氏と親交のあった女優の藤原紀香(40)は自身の公式サイトで、「ベルちゃん(ベルナルド氏の愛称)はもうこの世にいません。いまはまだ信じられないけど、心からベルちゃんのご冥福を祈っています」などとコメントを掲載。同時期にK-1の舞台で活躍した格闘家、レイ・セフォー(41)が、14日未明に自身のツイッターに英文で、「冥福を祈ります」と投稿するなど、同僚選手らも次々と追悼のコメントを発表した。

 ベルナルド氏は1995年3月のK-1グランプリ(GP)大会に初参戦。翌96年のGP大会で準優勝を果たし、故アンディ・フグ氏らとともに「K-1四天王」の1人として活躍した。

 リング外でもカミソリメーカーのCMに出演。「切れてなーい」と叫ぶ愛嬌タップリの姿が、お茶の間の人気を集めていた。

 ■格闘技ジャーナリスト・片岡亮氏の話

 「ジェロム・レバンナやアーネスト・ホーストといった超大型ファイターたちと真っ向打ち合う姿は、元ヘビー級ボクサーのマイク・タイソンのファイトを目の当たりにしたときと同じくらいの衝撃を覚えたものです。豪腕でひたすら敵を打ちのめす単純明快な格闘技の魅力を体現し、興味がなかった一般人も魅了し、K-1全盛期の最大の功労者といっても過言ではありません。豪腕の印象とは裏腹に、ファンににこやかに手を振り、『ベルちゃん』の愛称で呼ばれるなど多くの人に親しまれた。それだけに(自殺などの報道は)いまだに信じられません。近年は、悩みが多く、人と会うことも拒絶するほど落ち込む日もあったと聞いています。いまは残念の一語です」



○K1ベルナルドさん急死、薬物大量摂取か

 

   K-1の人気選手だったマイク・ベルナルドさんが14日(日本時間15日)、南アフリカ・ケープタウンで急死した。42歳だった。詳しい死因は明らかにされていないが、現地報道や関係者によると、薬物摂取による自殺とみられる。95年からK-1に参戦し、「剛腕」と呼ばれた強打を武器に、故アンディ・フグさんやピーター・アーツらと激闘を繰り広げ、「四天王」の1人と言われた。リングとは対照的な人懐っこいキャラクターで、テレビ番組やCMにも出演し、お茶の間で人気を博した。06年の引退後は、母国で後進の指導にあたっていた。

 

 K-1のレジェンドが突然、帰らぬ人となった。現地メディアや関係者の話によると、ベルナルドさんはケープタウンの自宅で倒れ、緊急搬送先の病院で亡くなったという。薬物の大量摂取による自殺が有力視されているが、敬虔(けいけん)なクリスチャンとしても知られており、死因の詳細は明らかにされていない。現在、警察当局が調査していると思われる。

 

 ジム、選手関係者からの連絡で訃報に接したK-1の谷川貞治イベントプロデューサー(EP=50)は「驚いたし、残念でしかたない。タレント性があり、野獣的でパワフルな選手だった。実は繊細なところがあって、最近は精神的に厳しい状況だと聞いていたので、心配していた」と故人をしのんだ。現役時代には手にしなかったたばこを吸い、過去4度も自殺未遂を起こすなど、精神的に不安定な時期があったという。

  ベルナルドさんは95年のK-1 GP(現WORLD GP)で初参戦。その初戦で優勝候補のアンディ・フグさん(故人)にKO勝ちして衝撃デビューした。翌96年のGP決勝では3連覇を狙ったアーツをKOする快進撃で準優勝。その後もジェロム・レバンナやミルコ・クロコップら強豪としのぎを削り、フグさん、アーツ、アーネスト・ホーストとともに「K-1四天王」と呼ばれた。

  リング外では温厚でユニークな人柄で、テレビ出演を通してお茶の間でも親しまれた。中でも、ひげそりメーカーのシック社製「プロテクター」のCMは、そり上げた頭でほほ笑みながら日本語で言う「切れてなーい」のセリフで話題になった。06年9月の引退式では、早実の斎藤佑樹投手(現日本ハム)をまねて青いハンカチで汗を拭いてみせた。結婚式を日本で挙げるなど大の親日家でもあった。

  00年にはプロボクシングに転向し、マイナー団体のWBF世界ヘビー級王座を獲得した。だが、同年8月にフグさんが白血病で急死すると、盟友の遺志を継ぐためにK-1復帰。タイトルこそ手にできなかったが、情熱的なファイトでファンを魅了した。

  現役引退後は07年のK-1 TRYOUTで、後にヘビー級王者となる京太郎(現プロボクサー)や元プロ野球ロッテなどで強打者として活躍した立川隆史氏らを母国に招いて指導。スポーツ心理学の勉強にも熱心だった。現在もベルナルドさんの直筆サインが入ったヘッドギアを練習で使用している京太郎は「温かい人だった。ジムの経営やボランティア活動で忙しい中、指導してもらった。あの人の思いを胸に刻んで格闘技人生を歩みたい」と残念がった。

  格闘技界黄金期に活躍、多くの人々に愛された「無冠の帝王」。再び世界の表舞台に立つことなく、あまりにも早く逝ってしまった。

 

ベルナルドさん死去、アーツ「悔しい」

 

  「K-1 WORLD GP」で活躍したマイク・ベルナルドさんが14日(日本時間15日)、母国の南アフリカ・ケープタウンで死去した。42歳の若さだった。死因は不明で自殺とみられる。

 ベルナルドさんらと「K-1四天王」と称されたアーツはこの日、IGF東京ドームシティホール大会(17日)に向けて都内で練習を公開。「一緒に酒を飲んだこともある。まだ若いのにもったいない。悔しいし信じられない」と気丈に話した。また、フジテレビのK-1中継にゲスト出演し、ベルナルドさんと親交があった女優の藤原紀香は自身の公式サイトで「悲しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうです。心からベルちゃんのご冥福を祈っています」とコメントした。

 

 

 マイク・ベルナルド選手も強かったなあ。K-1黄金時代の選手はみんな、怪物的に強かったなあ。まだ、セーム・シュルトとかチェ・ホンマンとかボブ・サップとかの、本物の怪獣的怪物が登場する前の、あくまでK-1立ちワザ格闘技の、重量級の迫力を、精緻な技術と共に凄まじい破壊力で、これでもかと見せ付けた、プロスポーツ格闘技のシビレル魅力。あの時代のK-1は、本当に面白かった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ジェロム・レ・バンナ、アンディー・フグ、レイ・セフォー、ミルコ・クロコップ・ジュニア、ステファン・レコ、サム・グレコ、スタン・ザ・マン、マイク・ベルナルド‥。古くはブランコ・シカティックやロブ・カーマン。佐竹雅昭。一試合、一試合、全てのファイトが迫力あって、本当にみんなメチャ強かった。格闘技ファンに毎回、すごい試合を見せてくれて、胸いっぱい堪能させた。格闘技K-1が、メチャクチャ面白い時代だったなあ。剛腕、マイク・ベルナルドのファイトもすごかった。あの一発のパンチの、重量級の迫力ったらなかったよ。アーツは無敵に、メチャクチャ強かったし、やっぱ、重量級選手はワンパンチの破壊力が凄まじかったし、そういう選手はけっこう居た。ベルちゃんもバンナも。それとは違って、素晴らしいテクニックで試合を運ぶ、どっちかというとヘビー級では細身に見える選手。ステファン・レコとか。精密機械、アーネスト・ホーストの技術は芸術的だったね。佐竹雅昭も強かったし、面白い試合を見せたよなあ。アンディー・フグもかかと落としだけでなく、精緻な技術があった。面白かったなあ、あの時代。憧れまくったなあ、K-1ヘビー級の超人たちに。

 ベルちゃん、死んじゃったのか。アンディー・フグも何だか知らぬ間に、あっと言う間に死んでしまったし。ベルちゃんの結婚式が東京でもあって、その時、レイ・セフォーとかアーツとかベルちゃんのK-1ファイターの親友、仲良し4人組みたいので、結婚のお祝いの歌を披露宴で歌ってた。あの結婚も、結局は別れちゃったのか。離婚は相当なストレスが掛かるというしな。死亡原因が自殺が濃厚ということだけど、内側から支えてくれる家族が居なくて家庭もない、というのは、精神的に参っている時期には、リスクが大きかったんだろうな。現役時代でも最高潮が急に来て飛ぶ鳥落とす勢いかと思いきや、何故か急にしぼんじゃった感じだもんね。何か、急に実力が落ちちゃった感じ。あ、そういえば一度、ヘビー級ボクシングに転向していた時期もあったんだな。ジェロム・レ・バンナも一時期、ヘビー級ボクサーやってたけど。往時のファイトで思うように行かなかったし、現役時代に存分に実力が出し切れずに引退しちゃって、不完全燃焼気分でその後のトレーナー人生もモヤモヤして過ごしてたのかな? でも、あの年齢からまた大学行って心理学を学んでいた、とかすごいですね。あれだけの剛腕ファイターだったけど、本当は頭も良かったんでしょうね。42歳は惜しいなあ。若過ぎる死。何だか、結婚してから下り坂になったような。サゲマン? なんて言ったら元奥さんに怒られますよね。でもやっぱ、離婚はネックだったように思うなあ。それと、精神的な心理状態的なものばかりでなく、ああいう激しいスポーツは、特にプロ格闘技でヘビー級のメガトンパンチを喰らい続ける仕事だし、脳味噌そのものにも影響があったんじゃないかなあ。あれだけの重量級過激パンチや蹴りが繰り返し当たれば、頭蓋骨に炸裂するんだし、脳味噌にしてみたらたまらないダメージだよねえ。いってみれば、パンチドランカーにも類するような後遺症の原因もあるんじゃないのかなあ。まあ、解りませんけど。だいたい、プロレスラーとか大相撲の人は、早死にが多いって聞くけど、あれは太り過ぎが大きいだろうし、無論、度重なる肉体打撃ダメージはあるでしょうが。キックボクサーとかボクサーは、もろ、頭部ダメージが大きいですからねえ。42歳って、若くて勿体なさ過ぎるけど、マイク・ベルナルドさん、御冥福をお祈りいたします。クリスチャンでしょうけど。

 しかし、あの、90年代、2000年代初頭の格闘技シーンが、今はウソみたいですよねえ。あの時代の格闘技熱は、メチャメチャ熱かった時代だったけど。僕の30代とK-1勃興時と隆盛期が重なるんですよねえ。また僕は調度、30歳から空手を習いに行って、僕の30代は武道・武術オタク時代だったし。あの時代、K-1ヘビー級のスター達に、ひたすら憧れまくってたなあ。極真の怪物、一撃・フランシスコ・フィリオの登場なんてゾクゾクしたものです。 もう、何だか懐かしい時代。帰らない時代。格闘技ファンにはもう一度帰って来て欲しい時代かも知れないけれど。

 

コメント

真樹日佐夫先生逝く‥

2012年01月04日 | 格闘技ログ

 

○真樹日佐夫氏死去(作家、真樹道場首席師範)

 

  真樹 日佐夫氏(まき・ひさお、本名高森真土=たかもり・まつち=作家、真樹道場首席師範)2日午後5時34分、急性肺炎のため神奈川県内の病院で死去、71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 漫画原作者の故梶原一騎氏の実弟。空手家としても活躍し、80年真樹道場設立。主な著書に「凶器」「兄貴―梶原一騎の夢の残骸」。「ワル」など漫画原作や映画プロデュースも手掛けた。

 

訃報:真樹日佐夫氏が急性肺炎で死去

 

    1月2日(月)、漫画原作者・小説家で、世界空手道連盟・真樹道場宗師の真樹日佐夫氏が急性肺炎のため、死去した。享年71歳。

 関係者によると、真樹氏は2日の午後、神奈川県の逗子マリーナで自身が保有するヨットに乗船しようとした際に倒れて意識不明となり、そのまま県内の病院に搬送され、17時34分に息を引き取った。真樹氏は年末から体調を崩して声が枯れており、本人も周囲も風邪だと思っていたという。

 真樹氏は故梶原一騎氏の実弟で知られる。漫画原作者として『ワル』を手がけ、作家として高森真士(たかもり しんじ)というペンネームで活動し、『凶器』で1968年にオール讀物新人賞を受賞。近年では『サンデージャポン』のサンジャポファミリーとしてVTR出演し、『作家生活50周年記念パーティー』には約1000人の関係者が参加した。

 また真樹氏は1980年に真樹道場を設立。2008年からは格闘技イベント『四角いジャングル』シリーズを定期的に開催し、昨年10月のGRABAKA主催興行では真樹日佐夫プロデュース試合としてミノワマンvsボビー・オロゴンを実現させた。

 葬儀・告別式は家族や親族による密葬として行われ、一般には、有志が集まりお別れ会の開催が計画されている。

 

 

 

 ショックだなあ。真樹日佐夫先生は、ある意味、僕の恩師の一人でもあります。勿論、僕は実際に、真樹日佐夫先生にお目に掛かったことは一度だってありません。が、師である、という気がしてなりません。それは少年時代から、当時熱中愛読していた漫画群の中で、真樹日佐夫原作の漫画作品にもいっぱい触れ、もろもろ、熱狂していたからです。僕の少年期、そして成人してからも愛読し続けた、「ワル」シリーズ。オリジナル「ワル」や「新書ワル」~「ワル」正伝を、繰り返し何度も読みました。「けものみち」も忘れられない劇画作品ですねえ。また、僕は30歳から空手を習い始めましたが、真樹先生の、高森真士名義の小説作品、「ザ・カラテ」や「新宿魔拳街」シリーズや「決闘者」といった、武道・武術格闘アクション小説も愛読しました。真樹日佐夫先生の市街地路上での突然の暴力ざたに見舞われた場合、どう対処すればいいか、という護身法解説の指南書、「ケンカのバイブル」も何度も繰り返し読みました。雑誌の真樹先生のエッセイもよく読んだ。ご自身の武勇伝、護身術、突如の喧嘩ざたの戦い方の指南。漫画も小説もエッセイもどれも面白かった。どちらかというと血湧き肉踊る関係の熱血系で、読むと、何か身体の中に生き生きと元気が出て来た。映画作品もオリジナルビデオ作品も、漫画作品や小説ほどは熱中しなかったけど、面白く、何本も見ています。

 僕は30歳で始めた空手道場通いを、行ったり行かなかったりですが十年間続けていて、その間も、その後の、身体を悪くするまでの2、3年後までも、武道・武術オタクで、晩や深夜の公園グランド独り練習や、あらゆる格闘技関係の雑誌や書物を読んで行く、格闘技漫画も見つけたら全部読む、という感じで、その道オタク業を続けていましたけど、当時、真樹先生の書かれたものは見つければ何でも読んで参考にしていました。例えば、劇画作品「ワル-正伝」(『新書ワル』)での登場人物、空手の達人でありドス使いの殺し屋、角帽マサの使う空手ワザ、「内回し足刀蹴り」や「底足外回し受け」という足ワザは初めて知るワザで、漫画絵の動きどおり真似て、何度も何度も練習しました。これは使えそうな気がして、これを取り入れたコンビネーションを深夜のグランドで独り、黙々とトレーニングしてました。角帽マサの使うワザは、骨法のあびせ蹴りのような、前転かかと蹴りやタンブリングなどもありましたが、これはあまり実戦的でないので練習はしませんでしたけど。でも、前転かかと蹴りはちょっと練習してみたりしてましたね。極真空手の胴回し回転蹴りに似てますけどね。角帽マサの殺しの得意手は、ドス+カラテだったので、僕も真似して、左手に特殊警棒を持って足技と混ぜて使うコンビネーションを考えて練習しました。深夜のグランドで独り黙々。だいたい僕は脳味噌が幼稚な上に被害妄想ぎみなので、こういう練習も独り積んでいたんですね。しかし、「内回し足刀蹴り」は街中で暴漢に襲われ、相手に刃物や木刀を構えられた場合、それを弾き落とすのに非常に有効な気がしていたので、是非マスターしたいと、このワザの練習は相当行いましたね。

 僕が中学生から高校生の時代に連載されていた、真樹日佐夫原作で石井いさみ作画の「のら犬の丘」は素晴らしい青春漫画作品でした。青春漫画の名作と言いたい。僕の中学生時、週刊少年サンデーに連載されていた、ドストエフスキーの「罪と罰」を下敷きにした梅本さちお作画の漫画、「飛べない翼」は長らく、実兄である梶原一騎作品とばかり思い込んでいましたけど、真樹日佐夫原作作品でした。空手の達人、真樹日佐夫氏はカッコ良かったですねえ。数々の武勇伝もだけど、そのたたずまい、執筆する作品の内容、言動。シビレルくらいカッコ良かったなあ。お兄さんの梶原一騎氏同様、多少キナ臭い雰囲気は、まあ、ありはしましたけど。イケてたおじさんでした。還暦にして毎日二時間はみっちり空手の稽古を行う姿勢。真樹道場入門に当たっては都内道場で一番練習がキツイと覚悟せよ。タバコも酒もコーヒーも毎日メチャメチャ多飲するが、その毒を全部稽古の汗で流しきる、という姿勢。カッコ良いねえ。ちょっと真似できない。僕は大山倍達よりも梶原一騎よりも真樹日佐夫が好きでファンでした。早稲田中退学歴の真樹先生は実はかなりアタマの良い方でもあったし。その無頼の男イズムがシビレルくらいカッコ良かったんですねえ。

 それからね、僕、すっごい若い頃ね、羽田空港で働いていて、当時住んでた川崎から通勤してて途中蒲田乗換えで、空港での仕事は交替制で、遅番や夜勤の時は早めに出て蒲田界隈で時間潰したり、退社後は職場の先輩たちとよく蒲田の歓楽街で飲み食いしてたから、真樹日佐夫作品の漫画や小説には蒲田界隈が舞台でよく出て来るんで、後々読んだとき何か懐かしくてね。それも何かね、思い出みたいに残ってる。多分、真樹日佐夫さんは幼・少年期、蒲田界隈で過ごしているんでしょうね。

 このBlogも、最近は、ここ一年、もうちょっと前からか、昭和に活躍した有名人・文化人たちが、言葉は悪いが続々と、現世を退場して行ってしまったいる訳で、何というか記事内容がお悔やみ訃報記事ばかりになってしまっている。まあ、Blogタイトルそのものに「極楽」なんて着いちゃってるから、何なんだけども、本当にお悔やみBlogみたくなってしまっている。僕が書き込む訃報有名人たちはみんな、僕が少年期・青年期、30代と、元気バリバリだった頃にメディアで接した有名人たちで、まあ、ある意味、僕の人生を作ってくれた人たちとも言える。そういう意味では、その死は感慨深く重く、そして寂寥感がある。いや、寂しいですねえ。その一言に尽きますよ。

 

(関連記事)
※漫画作品
「のら犬の丘」完全版07-02/26、「のら犬の丘」05-03/05、「のら犬の丘-2」05-03/08
「ワル-最終章-」05-10/22

◆(2005-03/05)「のら犬の丘
◆(2005-03/08)「のら犬の丘」 ・・・・(2)
◆(2007-02/26)漫画‥ 「のら犬の丘」 ..完全版③④巻
◆(2005-10/22)「ワル」
◆(2005-10/22)「ワル -最終章-」
◆(2012-01/04)真樹日佐夫先生逝く‥


 

コメント

上田馬之助さん逝去

2011年12月27日 | 格闘技ログ

 

○馬之助さんの遺影と10カウント/新日本

 

  21日に亡くなった元プロレスラーの上田馬之助さん(享年=71、本名・上田裕司)の追悼セレモニーが試合前に行われた。出場全選手がリング下に整列する中、坂口征二顧問(69)が遺影を抱えてリングに上がって、10カウントの弔鐘が鳴らされた。

 坂口顧問は「新日本の中でも、上田さんを知っているのは俺くらいになってしまった。日本プロレスのときの先輩で、最初のころはおとなしい人だった。酒を飲んだらうるさかったけどね(笑い)。普段は温厚だった」と振り返った。

 アメリカ遠征時にはタッグを組んで戦ったが、日本に帰ってきて北米タッグ王座をめぐって戦った。「(タイガー・ジェット)シンと組んだ上田さんと、よく戦った。金髪に染めて竹刀でぶったたいて、独特のキャラがあった。リングに上がっただけで絵になる人だった。リングを降りても憎まれ役に徹していた」と話した。

 昨年は山本小鉄さん、星野勘太郎さん、安達勝治さん(ミスター・ヒト)、柴田勝久さんと同世代が亡くなった。「今年は大丈夫かと思ってたんだけどね。1人、1人逝かれると寂しいね。その分、俺と(アントニオ)猪木さんが元気なんだけどね」と力なく笑った。

 

○上田馬之助さん死去…金髪に竹刀「まだら狼」

 

  悪役プロレスラーとして活躍した上田馬之助(うえだ・うまのすけ、本名・裕司=ひろし)さんが21日午前10時7分、呼吸不全のため、大分・臼杵市の病院で死去した。71歳だった。上田さんは、まだらに染めた金髪と竹刀を振り回すスタイルで「まだら狼」「金狼」の異名を取り、人気を博した。1996年に交通事故で脊髄損傷の大けがを負った。妻・恵美子さんによると、自宅で療養しながらリハビリを続けていたが、21日の朝食後、喉を詰まらせた様子を見せ、救急車で病院に運ばれた。

  上田さんは40年6月20日、愛知・弥富市で生まれた。58年に大同工高を中退し、大相撲の追手風部屋に入門(最高位は序二段12枚目)。60年に日本プロレスに入門し、70~80年代には、本格ヒール(悪役)レスラーとして、国際、全日本、新日本プロレスなどで活躍した。事故後、胸から下が動かなくなったが、車いすで度々ファンの前に姿を見せ、講演や福祉活動も行っていた。

 上田さんとタイガー・ジェット・シン(63)の凶悪タッグと、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木(68)は、所属事務所を通じ「また一人、同じ時代を過ごし、戦いを通じて信頼し合えた友人の旅立ちを見送るのは大変つらい気持ちです」とコメントした。

 葬儀・告別式は24日午後1時から玉泉院臼杵会館(臼杵市市浜1126)で行われる。喪主は妻・恵美子(えみこ)さん。

 

○シン国際電話で馬之助さん夫人にお悔やみ

 

  21日に亡くなった元プロレスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司、享年71)の通夜が23日、自宅のある大分・臼杵市内の斎場で行われた。喪主を務めた恵美子夫人(72)によると、新日本などで凶悪タッグを組んだタイガー・ジェット・シンからこの日朝、国際電話があった。「ママ元気? タイガーも元気。上田はNO・1の親友だった。(今月)28日に日本に行く予定」と励ましの言葉をかけられたという。

 斎場にはシンをはじめ、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木や、名誉顧問を務めていた大分のローカル団体FTOからの献花が多数飾られていた。亡くなった時、あまりのショックで足から崩れたという恵美子夫人は、祭壇の上田さんの現役時代のパネルを前に「満足していると思います」と親族を代表してあいさつ。人柄に触れ「お人よしで優しい人でした」と振り返った。今日24日に告別式が行われる。

 

 

 

 幼い頃や若い頃というのは、“人生”というものが解らないから、「プロレス」という舞台だと、アントニオ猪木やタイガーマスク、それにジャイアント馬場、古くは力道山などといった、正義サイドのヒーローに一方的に肩入れし、ファンになり熱狂し応援するが、歳を喰って“人生”というものがある程度解って来ると、実は“悪役”の方が深いのだ、と知る。もっとも力道山は深いけどね。日本における「プロレスの父」、在日であり大相撲出身の暴れん坊で野心家、実業家であり、時に狂気の、力道山の人生はかなりディープだけど。まあ、猪木にも、ブラジル移民の子であり、現地で力道山にスカウトされて、随分力道山に苛められ、どうしても追い付けないエース馬場との確執、日本プロレス興行会社の反逆児、という猪木の人生にも、かなりな深みがありますけどね。昭和のプロレスというのは“人生”の縮図ですね。

 プロレスの「悪役」は決して悪人ではない。当たり前ですけど。悪役の重みがありますね。職業=悪役プロレスラーだったんですね。正義ヒーローの引き立て役。まあ、引き立て役は、タッグマッチの正義サイドにも居ますけどね。いわゆる「やられ役」。悪者チーム、昭和40年代50年代前半頃までは外人チーム、それ以降は日本人の悪役チーム、その敵側に試合前半、反則攻撃でメッタメタにやられる、正義サイド二番手三番手の良いひとレスラー。タッグマッチの前半、外人の反則攻撃で必ず流血させられるレスラーですね。敵討ちにエースが出て行き、試合後半で悪者レスラーたちをこてんぱんに叩きのめす。昭和のプロレスの試合の構図は単純明快でした。それで満員のお客さんは大喜び。昭和も終わり頃、平成に入ってからはプロレスも試合進行の構図が複雑になって行ったみたいですね。でも、基本、正義のヒーローが居て、やっぱり悪役が居た。プロレス図式のベビーフェースとヒール。今、プロレスは日本プロレス史上一番の下火状態でしょう。極寒の冬の時代。昔の単純なプロレス図式ではお客さんは納得しない。力道山時代から、プロレスの構図には必ず物語があった。遺恨のストーリー。逆襲のストーリー。実は客はここに酔ってたんでしょうけど。今でも多分、この物語性を入れてシリーズをこなして行ってるんでしょう、とは思うけど。

 プロレスの世界って、だいたい基本、新人で入って来る若者はそのプロレスの会社ないしプロレス界に憧れのレスラーが居て、それはほとんどが正義色の強い団体のエースでヒーローレスラーです。団体エースのヒーローレスラーに憧れてプロレス界に入る訳だけど、次期エース的若手レスラーになれるのはほんの一人二人で、あとは正義側と悪役側に振り分けられる。特に女子が顕著でしたね。ビューティー・ペアに憧れてプロレス界に入ったダンプ松本とかブル中野、クラッシュギャルズに憧れてレスラーになったアジャコングとかね。プロレスの悪役は仕事なんですね。普通、仕事って自分の好きなことだけやれないじゃないですか。「こんなことやりたくねえなあ」って仕事も引き受けないと仕事は成立しない。同じですね。でも「悪役レスラー」という仕事はキツい。職場の嫌われ役、とかよくいわれますけど、究極の嫌われ役が悪役レスラーです。ヘタすると自分だけではなく家族までもが嫌われ被害を被る。場合に寄っては、悪役レスラーの女房子供、親までもが難を受ける。

 上田馬之助さんも、新日などで悪役レスラーをやっていた時代、上田さんには家族が居たから、上田さんの家に石を投げられて家の窓を割られたりしていた。上田さんの現役時代、家族に及ぶ危険にはかなり心配していたようですね。日本人の悪役レスラーは、ギャラはヒーローレスラーよりも外人レスラーよりも安いし、ファンからは忌み嫌われ邪険な扱いを受けるし、家族のことは被害が及ぶんじゃないかと心配だし、ホント、良い事ない損な役目ですね。でもプロレス興行の中では是非とも必要な役。日本プロレスではヒーローだった馬場選手もアメリカへ遠征に行けば、アメリカマット界では髭を生やして人相を悪くし、下駄を履き竹刀を持って悪役を演じていた。

 とうとう故人となられてしまいましたけど、上田馬之助さん、懐かしいですね。「上田馬之助」って歴史上の人物が居るんですね。剣の達人で新撰組の隊士の一人。多分、プロレスラー上田さんのリングネームもそこから取ったんでしょうね。70年代後半から80年代の猪木のとこのプロレス。インドの狂虎、タイガージェット・シンとのタッグを組んで、当時の新日マットで猪木他正義レスラー軍を反則攻撃で徹底的に苦しめた、金狼、狂えるさすらいのまだら狼、悪役レスラー、上田馬之助。当時は僕も興奮してTVで試合を見てました。猪木やタイガーマスクの大ファンである、20代の僕は、タイガージェット・シンも上田馬之助も大嫌いでした。上田馬之助さんも昭和プロレス史を飾る一人です。

 昔から、プロレスラーの人は早死にが多い、と言われます。過酷な職業ですからね。相当危険な仕事だし。大きく見せるためにいっぱい食べなきゃならないから決して健康に良い訳でもない。体力維持と試合中の危険回避のために、いつでもトレーニングをしてなくちゃならない。キツくて危険。悪役だと嫌われ恨まれるし。割に合わない仕事なんでしょうね。特に2000年代後半からは、格闘技熱も醒めて、プロレスは本当に下火も下火状態だし、プロレスラーやっててもまとも生活して行けるのかどうか。資本である身体の体力のためにはいっぱい食べなきゃいけないし、栄養とスタミナを着けるためには金が要る。プロレスラーって現代のワーキングプアなんじゃないですかね。

 上田さんは71歳まで生きられたんだから、プロレスラーとしては長生きした方なんでしょうか。晩年は事故の後遺症で大変でしたね。悪役レスラーの人って、本当は良い人が多いんですよね。けっこうとっても良い人だったりする。“人生”の深みを教える、悪役レスラー。昭和を飾った有名人がまた一人逝った。寂しいですね。

 あ、思い出した、懐かしいな。「俺たちひょうきん族」の中のひょうきんプロレスで、竹刀を持った上田馬之助さんが乱入して来て、タイガージェット・シンに扮していた片岡鶴太郎さんが近付いて行き、自分指差して「トモダチ、トモダチ」とかあるいは「仲間、仲間」とか言ったら、上田さんが竹刀を振り回して追っ払ったシーン。懐かしい、昭和の時代。

 

コメント

格闘王への道

2011年05月06日 | 格闘技ログ

 

○石井慧 柔道復帰いきなりV!決勝は9秒1本!!

 

  北京五輪柔道100キロ超級金メダリストでプロ格闘家の石井慧(24=アイダッシュ)が柔道の全米制覇を果たした。30日に米フロリダ州オーランドのオレンジカウンティコンベンションセンターで行われた柔道の全米体重別選手権の無差別級に出場。約2年8カ月ぶりの復帰戦を優勝で飾った。1回戦は不戦勝だったが、2回戦、準決勝は一本勝ち。決勝でジェイコブ・ストロメキ(米国)を下して全米の頂点を極めた。

 988日ぶりに柔道の大会に出場した石井が実力通りに全米を制した。初戦のワディム・ペトロビッチ(モルドバ)戦は不戦勝。試合前に入念な準備で備えたが相手が会場に姿を現さずに不戦勝がコールされた。まさかの出来事に石井は「試合をしなかったのは残念だが、自分の名前にびびったのかもしれない」と苦笑いを浮かべた。

 2回戦はうっ憤を晴らすかのような一本勝ちだった。優勝候補のカイル・バシュクラット(米国)に62秒、体落としで快勝。「組んだらいけそうだった。自転車と同じで乗り方は忘れてませんでした。ごっつぁんボーイでした。日本人は強いです」と石井節をさく裂させた。

 圧巻だったのが準決勝。アドリアン・アロンゾ(米国)を開始早々に寝技に引き込むと、わずか28秒、送り襟絞めで退けた。汗一つかかない圧勝で決勝に駒を進めた。「相手が低くて、うまく襟がつかめた。でも、まだまだ。あと一つしっかり締めないとダメ」。自ら気合を入れ直すと「最短で決めたい」と秒殺を宣言した。そして、決勝でもストロメキを9秒で下した。

 米国の市民権がなくオープン参加とはいえ、北京五輪金メダリストの実力を証明し、圧倒的な力の差で無差別級を制した。道着の背中には東日本大震災で被災した人たちのために「がんばれ東北」の言葉を縫いつけた。「被災者に勇気と元気を与えられたと思う。これからは柔道王者としてしっかりと五輪を目指したい」と前を向いた。米国代表で16年リオデジャネイロ五輪を目指す石井が、絶好のスタートを切った。

 

○格闘技班リストラのTBS、大晦日は『ガチ相撲SP』でガチ勝負か!?

 

  5月1日にTBS系で放送された『クイズ☆タレント名鑑SP(仮)USC~史上最大ガチ相撲トーナメント』(以下『ガチ相撲』)が、格闘技ファンの間で大好評を博した。

 『ガチ相撲』は、八百長問題などで存亡の危機に揺れる国技・大相撲の現状を憂い、「今こそ相撲が見たい!」という大義名分のもとに行われた“相撲バラエティ”。ボビー・オロゴンに元・序二段力士の安田大サーカス・HIROや元ボクシング世界ミドル級王者の竹原慎二、そして“元・芸能人横綱”のチャック・ウィルソンといった力自慢の芸能人に、現役K-1王者“巨神兵”セーム・シュルトに新日本プロレスの“野人”中西学ら現役格闘家が土俵の上で集い雌雄を決し、トーナメントの勝者が第64代横綱・曙に挑戦するという超豪華企画であった(気になる曙の相撲だが、トーナメント優勝者の中西に突っ張りで圧勝)。
 取組前には煽りVTRが流れ、入場時にはレニー・ハートが巻き舌で選手名をコールするなど、往年の「PRIDE」を意識した演出に、スタジオの観客も視聴者も熱狂した。

 格闘技的演出となれば、当然番組の制作は「K-1 MAX」「DREAM」を手がける格闘技班によるものと考えたくなるが、当番組の制作はバラエティ班によるもの。
 『ガチ相撲』が放送された5月1日と奇しくも同日に、実はTBS格闘技班が解散していたことが、K-1ファイター佐藤嘉洋のtwitterで明らかになったのだ。

 TBS格闘技班の解散に伴い、莫大な放映権料ありきの大晦日の恒例イベント「Dynamite!!」開催が、おそらく今年から苦しくなってくることは確実。
 そうなるとTBSは大晦日に、この『ガチ相撲』で勝負を目論んでいると推測するのも、あながち荒唐無稽な話ではないのではなかろうか。ましてやほとんどの選手にとって専門外の分野である「相撲」の勝負ゆえに、負けて失うモノもそう大きくはなく、各分野の選手にオファーを出しやすいのもTBSには好都合。

 もし『ガチ相撲』に大晦日用の予算が投入されるならば、参戦メンバーがさらに豪華になることは間違いない。同局の改変期特番『オールスター感謝祭』の人気企画「ヌルヌル相撲」の常連である小川直也(プロレス)、石井慧(総合格闘家。アメリカ代表枠でロンドン五輪も目指す)ら元柔道メダリスト組の出場も堅そうだし、あの朝青龍の招聘だって不可能ではないだろう。

 大晦日はひょっとしたら、「曙vs朝青龍」が紅白歌合戦を喰ってしまうかも!?

 

 

 今は格闘技関係は、一般的には冷え込んでて駄目な感じですね。 本当に今年は、大晦日の格闘技特番は何処の局もやらないかも?という気もします。確か、何かの記事で読んだと思うんだけど、あのK-1でさえ、経営が芳しくないんだとか‥。プロレスも、もうショーとしてしか見ていない雰囲気だし。あ、一般的にはですね。勿論コアなファンというのはいるんでしょうが。でもプロレスはもうここ、ずーっと下火ですね。かといって、真剣勝負味を楽しむリアルファイト系の総合格闘技も、一般的にはパッとしない。K-1的なキックボクシング系もファンは居るでしょうが、一般的な人気はない。どの格闘技もTV地上波ではやらないし。大相撲だって、あの大規模八百長騒動で駄目でしょう。プロボクシングは世界タイトルマッチだけ、時々地上波ゴールデンでやってますね。視聴率は数字取れてるんでしょうか?でも、10パーセントも行ってないんでしょうね。亀田の試合でも観客は入っていないでしょう。格闘技系はここ何年もずうーっと駄目ですね。あくまで一般的には冷え込んだまま、という話ですが。そりゃあ、どの格闘技にも個々にコアなファンは着いているでしょうけど、メジャー性は全然見えないですね。90年代末から昇り調子、2000年代前半から中期のあの輝かしい格闘技シーンが嘘みたいですね。プロレスだって、2000年代前半までは、ドーム興行とかやって4、5万の観客入れてたでしょう。TBSはどうするんだろう?もう、総合のドリームやキックのK-1MAXだって放送から降りるんだろうか? ひょっとして会社としてのK-1も危ないかも?

 石井慧選手だって、プロ格闘家としてはメインの戦場って、海外なんじゃないですか。えーと、戦極で吉田秀彦選手とやって後、誰とやってたんだっけか。日本国内では、TBSドリームで、パンクラス出身の美濃輪育久選手とやって、あと新日の柴田勝頼ともやったんだな。昨年大晦日のダイナマイトで、K-1ジェロム・レ・バンナとやったんだ。タレントとしての石井慧はTVでけっこう見掛けますけどね。TVは格闘技番組やって、石井慧出しても、もう視聴率は取れないぞ、と踏んでいるのかも知れない。石井慧は一般的には、バックグラウンドが柔道金メダリストで格闘家という看板持ったバラエティータレント、としてのイメージでTV露出している、まあ、もう、もろタレントだよね。実際、稼ぎの占める割り合いは、タレント業が大半なんじゃないかな(?)。一度プロになったら日本ではもう、アマチュア柔道には戻れないんでしょうね。国際柔道では、アメリカのレベルはあんまり高くはないらしい。それにしても、アメリカ代表の座を勝ち取るには、アメリカ国籍を取らないと駄目でしょう。もう一度オリンピック金メダリストになるために、日本人を捨てるんでしょうね。北京五輪の後の皇室パーティーの園遊会だっけ、何だっけ、天皇がお出ましになる、活躍した一般人を招き入れて労いのお言葉を掛ける茶会のようなパーティー、何だっけか。あれで天皇を前にして確か、「自分は天皇陛下のために戦っています」とか喋ってたよな。まあ、どうなんだろうな、アメリカ人になるのかな?本人の勝手だろうが。目立つことをやりたいんだろうな。タレント的、ですよね。プロ格闘技も、日本国内じゃ冷え込んでるし、アマチュア柔道の世界に戻った方が、話題の人になって華やかに騒がれると。何というか、“スター”で居たいんだろうな。日本柔道引退してプロ転向しようかって時の、目標がプライドで活躍した“人類最強”エメリヤエンコ・ヒョードルだったけど、ヒョードル自体が年齢は34、5歳くらいだが、格闘技の年季が入り過ぎていて、ここんとこの活躍度はあんまり芳しくなく、ちょっと落ち目イメージだしな。石井慧の格闘王への道は、本音、稼げるマルチタレントへの道、になりそうか??

 

 

コメント

ダイナマイト!

2011年01月02日 | 格闘技ログ

 

○“耳が取れた”桜庭、手術は無事成功=Dynamite!!一夜明け

 

  大みそかDynamite!!の激闘から一夜明けて新年を迎えた1日、東京都内のホテルで会見が開かれた。

 階級を落としてDREAMウェルター級王座に挑戦したものの、耳の裂傷により無念のドクターストップとなった桜庭和志。その後の容体について、笹原圭一DREAMイベントプロデューサーはまず「耳の外側ではなくて、いわゆる中の“カリフラワー”のようになった部分が取れかけてしまった」と負傷の具合を説明。試合後すぐさま病院で形成手術が施され、「血管をつなげる手術も無事成功しまして、2~3日安静の後、退院できるとのことです」と報告した。

 その後の経過についても、分かり次第報告したいと笹原EP。一方、不完全燃焼で防衛する形となってしまった王者マリウス・ザロムスキーは「リマッチがあるかもしれない。その時はもっと長い時間を戦いたい」と再戦に意欲を見せており、笹原EPも「回復状況にもよりますが、また試合を組んでもいいのかなと思っています」と、仕切り直しのタイトルマッチの可能性を示唆していた。

 なお、長島☆自演乙☆雄一郎の飛びヒザに沈み、同じく病院直行となった青木真也だが、笹原EPの説明によれば、脳などへのダメージもなく入院などはしていないという。

 

 

 ひええぇぇぇーっ!耳が取れかけた!?耳そのものじゃあないんだ?中のカリフラワー状部分?すげえな。怖いもんだよ。しかし、中の部分だけが取れるなんてどんな状態だったんだよ(?)。昔々の、プロレスのオールドファンなら知っている人も多いんじゃないかと思うが、ジャイアント馬場の好敵手の一人だった、キラー・コワルスキー。かの長身レスラーが、ええと、誰だっけか名前忘れた、何とかいうインディアンレスラーじゃなかったかな(?)。コワルスキー得意のトップロープからのニードロップで当たり損なって頭部の耳に当たった。多分、顔面に来たから避けようとして避け損なって耳に当たったんだろうな。で、片耳が取れたんだとか。で、その後、片耳無しレスラーは自殺したんじゃなかったか。キラー・コワルスキーはそれからステーキが、ちぎれた耳に見えるようになって、菜食主義者になったんだとか。そんな話だったよーな(?)。ゴメンナサイ、いい加減な話で。そういう話は当時のプロレスファンになら有名な逸話だった。力道山ともやってるんだっけかな(?)。まあ、古い話だしね。思い出して書き始めたはいいが、よく憶えてなくてゴメンナサイ逸話でした。ドン…何だっけかなあ?ドン何とかいうインディアンレスラーだったよーな(?)。死神酋長は猪木だし。

 アントニオ猪木が駆け出しの若い頃、力道山が出演しているTV子供向けドラマで、主人公の少年レスラー太の相手の敵役怪人レスラーを演じることになった。その名も“死神酋長”。ドラマ出演が終わっても、力道山が“死神酋長”というリングネームを気に入っていて、多分、若手の猪木は正式デビューしてなかっただろうな、力道山先生は猪木のプロリングデビューネームを“死神酋長”にしようとした。「先生、それだけは勘弁してください」と猪木はもう泣きながらくらいで必死で頼み込んだ、という話。

 まあ、そういう昔々の逸話はイイのでした。ドーデモ。まあ、どんな仕事でも、デスクワークじゃない限りは危険は何事かはあるかも知れない訳だけど、デスクワークでも一日中パソコン画面とにらめっこは、視神経や眼球、脳味噌そのものとかいう神経系統をいためるリスクもある訳なんだけど、しかし、格闘技は職業としてはやっぱり危険だよ。桜庭さんて結婚してるのかな?してるんだろうな。子供とか居るんだろうか。プライベートのことはよく知らないけど。格闘技選手は職業選手寿命が短いからなあ。まあ、プロスポーツの世界は必ず選手寿命が限られているんだろうけど。ゴルファーは比較的ぐんと長いんだろうけどな。だいたいプロスポーツは40歳というのが限界点という気がするな。まあ、何にせよごく少数限られた選手が40歳過ぎても現役で居ることがあるけど、ほとんどのプロ選手が40歳前に引退せざるを得ないんじゃないかなあ。桜庭さんは40歳を越えてるでしょ。40歳前半内。まあ、プロレスラーだったらその気になれば60歳代までやれるけど。

 私は、2010年大晦日ダイナマイト!は、紅白と代わる代わるで見ていました。今回の大晦日は私には珍しく、けっこう紅白も見た。面白そうな試合とかビッグネームの試合はダイナマイト!の方を見ましたけど。桜庭さんの試合は番組最後のダイジェストでしか見れませんでしたね。無論、地上波の話ですが。昔の格闘技フリークの頃の私でもないもので、まあ、それ程、見たい見たいという程でもないし。昔は興奮してましたからねえ。それこそ大晦日プライドなんて楽しみで楽しみで大晦日夕方が待ち遠しくて、という程でしたが。今の私は、昔のようには、ですね。石井慧の試合はブーイングが出てたんですねえ。知らなかったなあ。それは解らなかった。確かに再三、石井がバンナにグランドで関節などを仕掛けに行っていて、はがゆいくらいどうしても極まらなかった試合でしたけど。意地悪く疑って掛かったら、何だか、石井がグランドでの極めワザを手加減していたようにも、見えなくもないんだけど。石井慧もプロ格闘家だし、バンナもプロの格闘家が職業で、肉体が資本だし。ダイナマイト!といえど、しょせんは興行という面はそりゃあるだろうし。

 紅白もそれなりに楽しかったですよ。AKB48も随所に出ていて。あれは今をときめく大人気のAKBを自分らの楽曲以外でもバックなどで使って出して、視聴率稼ごうという狙いだったんでしょうねえ。オタクも含む若者層視聴者。オタクって、けっこう年齢いってる人たちも多いけど。視聴率はどうだったんだろうか?紅白とダイナマイト!の視聴率。紅白って、今は演歌は少ないじゃないですか。そりゃあ3割~4割くらいは出てるんでしょうけど、昔に比べれば、年々演歌系は減って来ているし、お年寄りさんの視聴者数はどうなんだろう?今のJポップとかでも、老人たち視聴しているのかな(?)。老人って、もう団塊世代でも60歳以上ですからね。まあ、確かテレ東系列で「にっぽんの歌」とかをやっていたとは思いますけど、老人たちも大晦日は慣習的に紅白見るというところがあるものでしょうからねえ。どうなんだろうなあ、戦前生まれの人たちって紅白見てるのかなあ。加山雄三とかも出てたし。まあ、けっこう見てるか。ダイナマイト!見ていた老人たちって居るんだろうか?いや、昔々、力道山とかみつき魔、吸血鬼、銀髪鬼、フレッド・ブラッシーがやった試合で、TV観戦していたお年寄りの人が心臓麻痺か何かでショック死したとかいう、事故が実際にあったというエピソードをつい思い出して。桜庭さんのは、別に耳が取れた訳じゃないんで何なのですけど、もしも裂傷流血部を詳細に映してたら、今の老人もショックを受けるものなのかな、とかブラックなことをつい考えてしまって。ゴメンナサイ。まあ、地上波はダイジェストのみでしたが。

 

 

 あ、それから後で調べたんですけど、キラーコワルスキーがトップロープからのニードロップで片耳をそぎ落としたという逸話の被害者レスラーは、ユーコン・エリックでした。ドン…何とかという名前ではありませんでした。記憶違いです。ゴメンナサイ。どーも、コワルスキーはユーコン・エリック戦の前からの菜食主義者だったようですね。実際は耳が取れたのはリングシューズの紐に耳が引っ掛かって強く引っ張られたせい、とかいう話もあるそうです。また、ユーコン・エリックはその後の夫婦関係がうまく行かずにそれが理由で苦悩して自殺したのであって、耳取れは試合中の事故と理解していて、ユーコン・エリックさんはコワルスキーを恨んではいなかったんだとか。墓場の使者、世紀の殺し屋、殺人鬼、50年代から70年代に掛けてトップヒールレスラーとして活躍した、キラー・コワルスキーさんは2008年に亡くなられているんだとか。81歳だっけか。墓場の使者、長生きしたんですねえ。

 新年から、どーでもいい話で、どーも済みませんでした。

 

 

自演乙が青木に劇勝! ヒザ一閃で病院送りに
石井慧はバンナに判定勝利も観客からブーイング

 

  年末恒例の格闘技ビッグイベント「Dynamite!! ~勇気のチカラ 2010~」が31日、さいたまスーパーアリーナで開催された。

 大会最大のインパクトを残したのは青木真也とDREAM/K-1 MIX特別ルールで対戦した長島☆自演乙☆雄一郎。
 1Rをキックルール、2RをDREAMルールという特別ルールで行われた一戦で、青木はドロップキック、浴びせ蹴りと自ら倒れ込む攻撃を多用してファーストラウンドのキックルールをやり過ごす。
 有効打を与えることなく第1Rを終え、絶体絶命に思われた長島だが、2R開始早々、タックルに来た青木の顔にヒザ蹴りをグサリ。青木を病院送りにするこの一撃で、ないだろうと思われた第2RにKO勝ちを果たした。

 昨年大みそかのデビューから1年の成長を見せるべく参戦した石井慧は、ジェロム・レ・バンナとDREAMルールで対戦。
 バンナの豪腕をかいくぐって組みつき、幾度も大内刈りでテークダウンして極めのチャンスを作ったが、最後まで望まれた一本もパウンドアウトも見せることはできず。3-0の判定で勝利を上げるも、観客のブーイングを浴びる結果となってしまった。
 
 
 大会中盤にはプロデューサーのアントニオ猪木が登場。01年大みそか大会でバンナを破り主役となった安田忠夫、そして亀田三兄弟の乱入があったが、これらの“ハプニング”に猪木はビンタでの闘魂注入、そしてサックスの伴奏を受け自作詩「道」の歌い上げと存分に“猪木劇場”を繰り広げ、最後は得意の「ダーッ!」で締め会場を大いに盛り上げた。

 また、この日はDREAM3階級のタイトルマッチも実施。
 ヘビー級暫定王座決定戦ではアリスター・オーフレイムが得意のヒザからフックで打ち抜き、トッド・ダフィーをわずか19秒でノックアウト。ストライクフォース、K-1に次ぐ3本目のベルトを手に入れた。
 フェザー級タイトルマッチでは高谷裕之がビビアーノ・フェルナンデスにリベンジを成し遂げ新チャンピオンに。1・2Rは拮抗した展開が続いたが、3Rのパウンド攻勢で勝利を決定づけた。
 ウェルター級タイトルマッチでは桜庭和志が王座奪取に挑んだが、耳の負傷という不運な形でTKO負けを喫した。

 

 

コメント   トラックバック (1)

大晦日特番各放送

2010年12月23日 | 格闘技ログ

 

○石井慧はバンナと激突! 元若麒麟・鈴川はボブ・サップと=Dynamite!!追加カード発表

 

  大みそか「Dynamite!!~勇気のチカラ2010~」(さいたまスーパーアリーナ)の追加対戦カード発表会見が22日、都内ホテルで行われ、北京五輪柔道100キロ超級金メダリストの石井慧が、K-1ファイターのジェロム・レ・バンナ(フランス)と総合格闘技ルールで対戦することが決まった。

 そのほか元幕内力士・若麒麟こと鈴川真一とボブ・サップ、水野竜也とセルゲイ・ハリトーノフの計3カードが発表され、K-1 World GP 2010覇者のアリスター・オーフレイム(オランダ)の参戦も決定。これで合計15試合が決まったが、谷川貞治FEG代表取締役は、このほかもう1試合増える可能性も示唆した。

■「Dynamite!! ~勇気のチカラ 2010~」
12月31日(金)埼玉・さいたまスーパーアリーナ 開場14:00 開始16:00

 

 

 最近のバンナの試合を見ていると、いかにもビジネスライク、という感じがするなあ。ショーのデキレースをやっている、とは言わないけれど、バンナは格闘技の試合はもう、仕事としてやっている、という雰囲気。ともすれば“やっつけ仕事”と映る試合もある。

 まあ、格闘技選手もそれが職業なんだから仕様がないとも思うんだけれど。最初の頃はメチャメチャ本気だろうけど、長くやって名も知れて格闘技試合のレギュラーみたいになって来ると、もうそれが仕事の職業選手だから、やっぱり力を入れる試合、手を抜く試合はあるだろうし。プロとなると、無論全ての試合ではないが、プロモーターとかの話を受け入れることもあるだろう。リアルな格闘技選手といえど身体が資本だし、それで生計を立てているんだし。

 石井慧とは総合格闘技ルールなんだろうね。と、なるとバンナの方が不利だね。バンナは総合の試合だからといってことさらに投げ技やグランド技を鍛えて来る選手じゃないし。

 僕はもうここ何年も、いやもう10年間は大晦日の特番は格闘技ばかりだ。紅白なんて相当な期間見たことないな。紅白見てたなんてはっきり言って子供の頃だけみたいな。上京していた時代は帰省しなかったときは友人の家で酒をかっ喰らいながら紅白見て新年を迎えたこともあるけど。30代は大晦日の晩に深夜、近くの運動公園に行って寒中トレーニングをしていた。誰も居ない深夜の公園で吐く息白くシャドーボクシングしたりナワトビ跳んだりしていた馬鹿なワタシ。

 今年の大晦日は、今は大人気の池上彬さんの特番ニュースショーもあるんだよね。テレ朝系の「そうだったのか、学べるニュースショー」の超ワイド版でしょ。池上彬さんて確か団塊世代くらいでしょ。もうちょっと下?4時間くらいの生放送なんでしょ。大丈夫かね、体力は。もうそろそろ爺さんの域だろうし。

 池上彬さんが大人気スターで、池上さんの番組がどれもみんな高視聴率だということは、それだけ国民が時事問題の情報や知識に関心を持っているということで高民度的に大変良いことだとは思うんだけど、それだけ世の中が切羽詰まって大変だという一つの表れかも知れないし。みんなが大晦日でもああいう硬いテーマの番組を見る、という現象はやはり国民が逼迫した状況で生活している証かも知れず、単純には喜べないね。

 

 

コメント

琴光喜元大関

2010年07月20日 | 格闘技ログ

 

琴光喜にワイドショーが接近

 

      野球賭博で日本相撲協会を解雇された元大関・琴光喜が怒り狂っているそうだ。

 琴光喜は「野球賭博をやっていたのは親方衆を含めて他にもいるだろ!」とハラワタが煮えくり返っているのだという。

「素直に罪を認めたら悪いようにはしないと諭されて渋々罪を認めた」(部屋関係者)のに、角界から永久追放ともいえる厳しい処分が下ったことに怒髪天!!

 この“不満分子”の琴光喜に目をつけたのがテレビのワイドショーなどのメディア。スケープゴートにされて怒り心頭の琴光喜に角界の内幕を暴露させようと接近している。

「琴光喜の家賃7万円のアパートに日参して、番組で洗いざらい話さないかと口説いているそうです。相応のギャラも積んでいます」(事情通)

 琴光喜が真相を暴露したら、メディアの前で涙を流した元大嶽親方(元関脇・貴闘力)以上に衝撃的。失うものはない琴光喜の“爆弾発言”は、どのタイミングで飛び出すか――。

 

 

 これまでもうずーっと、それこそ江戸や明治の時代まで遡って、そういう体質だったものを、突然急に「変わりました。これからはそんなでは通りません」、と言われて、その時点でのわずか数名のみ、まるで見せしめの如く解雇されて放り出される、というのは何だか、可哀相な気がする。

 本人たちに取っては日常のことだったのだろう。親方やその前の親方、関取衆、みんな代々やって来たことだったのだろう。長い長い間。ずーっとそれでやって来た体質だったのだ。学校を出てすぐに相撲界に入った少年や若者は、一般の社会を知らず、初めて入る世界の先輩たちが日常やっていて、親方たち幹部連も何も言わないコトゴトは、この世界の常識であり、そこから一歩外へ出た一般社会の非常識だとは、特に思わなかったのだ。

 だいたい興行と暴力団、芸能界と暴力団はセットみたいなもんだっただろうしなあ。勿論、現在は変わって来たんだろうけど、最近の闇社会というのは、グレーゾーン化して解りにくくなっているし。無論、括弧とした暴力団大組織は存在するが、その下にある組織が、暴力団看板を掲げている組織もあるけれど、いわゆる企業舎弟だとかフロント企業だとかいわれるグレイゾーンの組織が圧倒的に数多い。芸能でも格闘技興行でも関わっている人や団体の、素性というのは非常に解りにくくなっているんだよね。

 例えば闇組織との繋がりを無くす、などの、新たな、その世界の改革を、ある時突然、一気にやってしまおう、っていうんじゃなくて、ソフトランディングというのか、じょじょにじょじょにやって行けば良かったんだよ。相撲界の幹部たちが、もっとずっと早く早くに、「もう時代は変わったんだ」ということに気がついて、もっともっとずっと前から“改革”に手を着けて行ってれば良かったんだよ。今の内に闇社会との関係性を整理しておかなければ、この新たな情報化社会の中で、いつかコトが世間の明るみに出て社会問題化して大変なことになるぞ、と気付く幹部が居て良かったんだよ。それが一人も居なかった。時間を掛けて水面下でゆっくりゆっくりと、何とかうまく、時間掛けて今の時代に合うようにじょじょに直して行く。それが必要だった。という気がしてます。ワシの意見としては。

 暴力団関係でないギャンブルは誰でもやってることだしなあ。社会人の趣味のゴルフだって、ほとんどが“にぎる”でしょう。マージャンも賭けない人なんて居るんかいな、と思うくらいだし。公営ギャンブルだって、甲子園だって、間にノミ屋が入ってたりするし。解ってる知らない、意識してる意識して無い、に限らず、ほんまもんのヤクザにしろ、ちょっと関わりある人だったにしろ、全くの素人にしろ、大小いろんなギャンブルにそういう人たちが間に入っていることは、もういっぱいあるよね。

 覚醒剤や大麻などの違法ドラッグはもってのほか、だけど、何だか、日常のギャンブル遊びで、廃業させられたり罰を受けさせられる相撲取りの人は、可哀相に思えるなあ。官権や、管理する方の役人たちも悪いよ。相撲界の上部支配層も悪い。いきなりなんだもの。

 

コメント

ラッシャー木村さん逝く

2010年05月25日 | 格闘技ログ

 

○ラッシャー木村さん:死去、68歳=元プロレスラー

 

      元プロレスラーのラッシャー木村(本名・木村政雄=きむら・まさお)さんが24日午前、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため、東京都内の病院で亡くなった。68歳。所属団体である「プロレスリング・ノア」が同日、発表した。葬儀は近親者のみで行う。

 北海道出身。58年に大相撲・宮城野部屋に入門。65年にプロレスデビューを果たし、以後、数々の団体を渡り歩いた。67~81年の国際プロレス時代には過激な闘いを数多くこなし、「金網デスマッチの鬼」と呼ばれた。また国際プロレス崩壊後の81年、新日本プロレスに「殴り込み」をかけた際には、きまじめな性格ゆえ、リング上で「こんばんは」と丁寧にあいさつをしてしまった逸話を持つ。

 84年からは全日本プロレスに参戦。故ジャイアント馬場選手のタッグパートナーなどを務めたほか、ユニークなマイクパフォーマンスでも人気を集めた。00年に全日本から分離したノアに参加したが、04年に体調不良を理由に現役を引退した。

 

○ラッシャー木村さん、死去。享年68歳-元プロレスラー

 

 ‥ 葬儀は親族のみで行う予定。また所属団体のプロレスリング・ノアは25日の富山大会で、追悼の10カウントゴングを鳴らし冥福を祈る。

 北海道出身。1964年に力道山がつくった日本プロレスに入門。その後、東京プロレス、67年から国際プロレス、UWF、全日本プロレス、ノアと団体を移り、「金網の鬼」と呼ばれ数々の名勝負を繰り広げた。84年の全日本プロレスでは故ジャイアント馬場選手とタッグを組んで参戦したほか、独特のマイクパフォーマンスでも人気を集めた。2004年引退。

 

○猪木沈痛 ラッシャーさんの死を悼む

 

      アントニオ猪木(67)が24日、都内で映画のイベントに出席し、腎不全による誤嚥性肺炎のため68歳で死去したラッシャー木村さんの死を悼んだ。猪木は80年代に新日マットでラッシャーさんと抗争を繰り広げるなどともに昭和のプロレス史を彩った。イベントではにこやかな表情だったが、“戦友”の死についてコメントを求められると「そうですね…」と沈痛な面持ち。2度、3度とうなずき「ご冥福をお祈りします」と声を絞り出した。

 

 

 ラッシャー木村さんも逝っちゃったんだなあ。プロレスラーの人は、早死にが多いですね。サンダー杉山さんもグレート草津さんも、戦艦豊登さんもそう。日本が誇る世界の巨人、馬場さんも早死にだった。みいんな60代で亡くなられてる。イマドキ、木村さんの68歳は早死にだなあ。

 やっぱりプロレスラーは過酷な商売なんだ。試合で死んだ人も半身不随になった人もけっこう出てるしね。八百長だのショーだの見せ物だのと言われて毎日命懸けで働いて、挙句早死にするなんて‥。で、今は稼げないでしょう。昔はプロレス人気は絶大だったからそれ相応の収入はあったんだろうけど。

 今は格闘技人気も、2000年代前半に比べると萎んじゃったし、プロレスも90年代末頃は東京ドームで大入りで興行打ってたのになあ。やはり2000年代前半まではまだプロレスは人気ありましたよねえ。現在はプロレス興行は斜陽の一途、って感じ。今のレスラーは満足に食べれない人が多いんじゃないのか。

 昔は、豊登さんを筆頭に芳の里さんとか、豪放磊落というのかどうか湯水のように金を使う、毎日豪遊したりギャンブルに狂ったり、非常に金遣いが荒い、というエピソードの持ち主が多いですよねえ。日本プロレスの父、力道山もそうだったんでしょうけど。

 ラッシャー木村さんは味のあるレスラーでしたよね。また、不運なレスラーとも言える。国際プロレスでは、豊登、杉山、草津がいなくなった後は、ストロング小林と共に国際プロレスのメインレスラーとなり看板を背負って立つ。小林も去った国際プロレスの末期には、一人で団体のエースとして、金網デスマッチなど毎回流血しながら国際の最後の屋台骨を必死で支えて来た。

 あえなく国際プロレスが潰れ、団体のエースだった木村さんは、新日に移籍して、猪木の引き立て役、屈辱的な、コソコソ汚い反則を繰り返すチンピラの如きヒール役に回った。

 プロレスはフェイクである。プロレスラーはプロレスという職業で働いて金を稼ぎ生活する労働者だ。プロレスリングは試合の内容までもマッチメイクするショー格闘技だ。試合をやっているレスラーは全力を出して真剣そのものだけど。で、ないと大怪我をする。命懸けの仕事だ。

 プロレスのパフォーマンス内容と、レスラーのリアル格闘技の真の実力は違う。ラッシャー木村は、本当は、実力的には相当強い男だったと聞いたことがある。

 プロレスのメインイベンターでなくて、前座の先のタッグマッチで戦ってたりしても、見てくれに華がないというだけで、実際のところは本当は誰が強いかは解らないのだ。藤原善明やその他にも前座に近いタッグマッチなどに出ていたパッとしないレスラーで、実は関節ワザのスペシャリストみたいなレスラーは何人も居た。

 ラッシャー木村さんは記事にあるように生真面目で朴訥としていたんだろう。実力を持っていながら、一時は危険な金網リングなどで毎日流血しながら身体を張って団体を守っても、そのエースとして輝いた期間は短く、その実力とは裏腹に他団体を渡り歩き、そこのエースの引き立て役としての位置に甘んじて、汚くケチな反則ヒールの役も引き受けた。プロレスラー、ラッシャー木村さんには何処か物悲しさ(悲哀感)も感じてしまうが、元は国際プロレスの不動のエースで金網の鬼、プロレスラー、ラッシャー木村さんはプロレス格闘家人生を全うした。

 木村さん、どうぞ、天国でゆっくりと身体を休めて呑気にゆったり暮らしてください。御冥福をお祈りします。 

 

 

コメント

アンチ亀田家Ⅱ

2010年03月30日 | 格闘技ログ

○ 「クビ取ったるど、こら!!」 亀田父恫喝で「永久追放」か

 

     WBC世界フライ級王座統一選でチャンピオンだった亀田興毅選手(23)が僅差の判定で敗れた後、父亀田史郎氏(44)が判定に猛抗議、日本ボクシングコミッション(JBC)の安河内事務局長らを控え室に呼び付けて「恫喝騒動」を起こした。セコンドライセンス無期限停止処分を受けている立場であり、今後ボクシング界から「永久追放」処分の可能性も高まってきた。

 史郎氏は07年10月に、次男の大毅選手と内藤大助戦で反則騒動を起こしたとして、セコンドライセンスの無期限停止処分を受けた。しかし、その後、大毅選手が世界チャンピオンになり、日本人初の兄弟同時世界チャンピオンを育てた功績を考慮して、日本ボクシング協会は3月15日、JBCに対し処分解除の要望書を出すことを決定。そんな矢先の出来事だった。JBCは試合後の「恫喝騒動」は確かにあった、とし、「処分は近日中に発表する」と厳しい姿勢を示している。

 「オレを怒らしたらどないなるか、覚えとけよ!。おのれのクビ、取ったるど、こら!!」

 史郎氏は試合後、JBCの安河内事務局長とガルシア・レフリーを控え室に呼び、こう恫喝したという。ジャッジと採点がおかしすぎるという理由からだ。史郎氏の言い分はこうだ。5回に起きた2回の偶然のバッティング。一度目にレフェリーは、ポンサクレック選手に減点1を科した。二度目のバッティングでもレフリーはポンサクレック選手を1点減点したのだが、二度目の減点を安河内事務局長は認めなかった、というもの。

   レフリーは史郎氏に「5回の減点は2点だった」と説明したが、その後の記者会見でJBCは、「減点は1点で正しい」と発表。仮に2点だったとしても採点上、興毅選手が敗れた事は覆らない、と説明した。

  ‥ 「永久追放」を含めた厳しい処分を考えているようだ。

  ‥ 史郎氏が興毅選手らの努力をブチ壊しているとし、

「息子たちが頑張ってるのに、親父が全てを台無しにしている。本当に息子たちのことを思うなら表舞台から姿を消したほうが良い」
「オヤジさん・・・あんたが息子さんのボクシング界での活動狭くしてるんだよ」

といった批判が多く出ている。・・・

 

 

 亀田史郎さんも、これで若い頃から、いや、子供の頃からやって来たんだろうからなあ。これも一つの親バカだし、史郎さんは正直と言えば正直な人間だよなあ。人はそうそうは変われんもんだしなあ。こういうタチなんだし。あの3兄弟も、こういうオヤジに着いて行って、オヤジを尊敬してもう、ホントにオヤジの言う通りに生きて来て、まあ、世界チャンピオンにまでなったんだし。

 まあ、やることなすことヤクザな人だよなあ。ヤクザの捨て台詞みたいな。「脅迫」とも取られかねないような。

 亀田次男大毅は「ネプリーグ」特番のスポーツチームで出てましたね。何しろ世界チャンピオンなんだからな。大毅の方は、世界、よく取れたよなあ。何か、信じられんなあ。あの史郎オヤジの子供の頃からの英才教育で長男次男続けて世界チャンピオンにまで成ったなんて。興毅はまだしも、大毅の方は「ウソだろう」って言いたくなるよなあ。

 しかし、あのヤクザなオヤジが、子供全員によく愛されてるよなあ。尊敬されてるし。不思議だなあ。3人とも、反抗期とか来なかったのかなあ?思春期頃、疑問が起こるもんなんだけどなあ。普通は。

 興毅は3階級制覇が目標なんだろ。これで世界フライを辞めても、実際2階級は制覇なんだ。次のウエイトには行かないのかな?これで次の階級に転向したら世間が許さんか?

 興毅はまあ、まだ良いんだけど、大毅は嫌いだなあ。「ネプリーグ」点けて出てたから他に回した。亀田オヤジは、何だか、イマドキ面白いなあ。笑えるんだけど。  

  

コメント