うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

ちょお~快挙だ、女子ソフト、金メダル!!!

2008年08月21日 | スポーツログ

 

○日本が米国倒した!悲願の金!上野完投!…ソフトボール

 

        日本が米国に1−3で勝ち初の金メダルを獲得した。球技の日本勢では1976年モントリオール五輪のバレーボール女子以来で32年ぶり4度目の快挙。日本の金メダルは今大会9個目。ソフトボールは次回ロンドン五輪で実施競技からの除外が決まっており、日本が最後のチャンスをものにした。前日2試合21イニング318球を一人で投げ抜いたエースの上野由岐子(26)=ルネサス高崎=は決勝戦も1失点で完投した。

 

 

 もう、上野由岐子さんは、国民栄誉賞ものですね。もう、言葉がありません。前日の試合を2つもやっており、この両試合が延長、それをどちらも一人で完投しており、なおかつ、それから20時間くらいしか間を置かない、21日の決勝戦でも初めから投げて7回完投、勝利投手で金メダルですよ。いや、金メダルが取れなくとも、上野由岐子さんはもう、国民栄誉賞もののファイトだと思ってました。

 鉄腕上野投手は超人的な、見事な3連続快投ですけど、上野由岐子さんは、実は超人ではありません。我々と同じ普通の人だと思います。心が鋼鉄の精神力なんですね。今回の女子ソフトの連戦では、国民の多くが励まされ、勇気と元気を貰いました。すごいなあ、最後に金メダル。本当にもう、何と言っていいのか解りませんね。

 勿論、上野由岐子投手だけではない、ソフトボールはチームスポーツです。ナインが居なくては話にならない。日本女子ソフトナインで獲った金メダルでしょう。ナインて言いましたけど、日本代表チーム全員ですけどね。細かく言えば監督もコーチも含まれるでしょう。

 でもやっぱり上野さんはすごいですね。本当に、何か、尊敬この上ないです。僕なんか、もう、ひれ伏して頭を上げることができません。

 上野由岐子さんはまだ若いし、現実には国民栄誉賞は取れないでしょうけど、でも、疲弊している日本国民に励ましと勇気と元気を与えた、鋼鉄の精神力に寄るファイトは、国民栄誉賞ものです。

 おめでとう、ありがとう。日本代表女子ソフトボールチーム。

 なでしこ、残念でしたね。でもオリンピックでベスト4!たいしたものだ。

  

 

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崖っぷちのホシノ

2008年08月21日 | スポーツログ

 

 ○<五輪野球>日本、米国に敗れる 準決勝は韓国と対戦

 

        北京五輪第13日の20日、野球は1次リーグ最終戦を行った。日本は今大会から採用されたタイブレークの末、十一回、2−4で米国に敗れ、4勝3敗となり、同リーグ4位が決定。22日の準決勝は、1位通過した韓国と対戦することが決まった。米国は5勝2敗で同3位。準決勝はキューバ(同2位)と対戦する。日本は0−0でタイブレークに突入。十一回、岩瀬が連続適時打を浴び、失点を重ねた。このほか、韓国はオランダを10−0の八回コールドゲームで降し、7勝全勝で終了。キューバも中国に大勝し、6勝1敗で終えた。

  今大会4試合目、日本にとっては初のタイブレークで、日本の4番手・岩瀬が3連続適時打などを浴び、4点を失った。しかし日本は先発・ダルビッシュが2回を無安打無失点に抑えたのをはじめ、2番手田中、3番手・川上もキレのいい球を投げ込むなど、投手陣が好調だったのは好材料。逆に打線は、十一回になって米国投手陣を攻めたが、延長戦突入までは緩急を生かした米国投手陣の投球を崩せず、今後に不安を残した。

 

 

 打てませんねえ。ホシノ・ジャパン。確かに対中国戦では10点コールドで猛打を放ったのかも知れないけれど、他の試合は全然打てないで居る。いったいどうしたんだろう?ってくらい打てない。ピッチャーは良いですよね。日本プロ野球の精鋭選抜投手としては、まあ、あんなもんだろう、くらいに良いですよね。けど、打つ方が全然駄目ですね。対中国戦では、緊張の糸がほぐれて緩み、突破口を誰かが切ると、通常の余裕のある精神状態で、みんなが続々と打撃をして行った。

 元選手で野球評論家でタイか何処かの監督やってた、エモやんが言ってたらしい。ホシノ・ジャパンの不振は、みんなが丸坊主にした姿にある!と。予想に反して期待に応えられず、振るわない自分たちを恥じて、ジャパン選手たちが次々と丸坊主にしたけど、ああいう切羽詰った息の詰まる状況が良くないということらしい。つまり戦争末期の特攻隊精神みたいな緊迫した雰囲気が、ホシノ・ジャパンにいつもの野球をやらせていない、ということらしいですね。

 よくは知らないけど、イメージ的に、星野監督には「鬼軍曹」的な雰囲気がありそうだものな。何が何でも死んでも勝たなきゃいけない、みたいな雰囲気が、選手たちをガチガチにしてるんではなかろうか。

 しかし、今日の投手陣は良く投げましたよね。ただ、打てないもんなあ。対中国戦以外は全部、打ててない。あれだけの日本プロ野球の一流スラッガーが揃っていて‥。

 WBCでの王ジャパンも、韓国戦で相当な苦戦をして、3戦して2敗し、キューバ戦の前にやっと勝ったくらいだけど、あの時はイチローという牽引役のキャプテンが良かったように思う。イチローの存在は大きかったように思う。ヤクルトの宮本さんではイチロー程の存在感がないのではなかろうか。こう言ったら宮本さんに失礼になるけれども。あの時は、イチロー他、国際的な選手が何人か居たしね。

 ホシノ・ジャパンは堅苦しくなり過ぎな気がするなあ。ガチガチなような。もっとリラックスして余裕のある落ち着いた精神状態になれば打てるんじゃないかなあ。

 それにしても今回の韓国はとても強い。明日は本当の最後の正念場だ。ただ、何か、今回の大会ではジャパンチームは運が無い感じだなあ。どーも、初めから悪い予感がして‥。女子ソフトに続いて、頑張れニッポン!!

 

  

   

 

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超鉄腕、鉄女、鋼鉄の精神力、上野投手!!

2008年08月21日 | スポーツログ

 

 

○五輪ソフト 日本、豪に勝ち「銀」以上確定 米と決勝へ

 

        北京五輪第13日の20日、ソフトボールの準決勝で日本は米国と延長九回を戦って1−4で敗れた。だが、敗者が銅メダルとなる3位決定戦でオーストラリアに延長十二回、4−3でサヨナラ勝ちし、21日の決勝に進出した。エース上野由岐子(ルネサス高崎)は2試合、計21回で318球を投げて連続完投。初の金メダルを目指す日本は2位以上が確定し、4連覇がかかる米国と再び顔を合わせる。

  米国との準決勝は、0−0で七回終了。タイブレーカー(無死二塁からプレー開始)と呼ばれる方式の延長戦となったが、九回に3点本塁打などで4点を失い、その裏の反撃も1点にとどまった。

 オーストラリアとの3位決定戦は、1点を先取された後、四回に
広瀬芽(めぐ)(太陽誘電)の右越え2点本塁打で逆転。しかし、七回2死から上野が同点本塁打を浴び、この試合も延長に。十一回には両チームともに1点ずつ挙げたが、十二回に1死満塁から西山麗(日立ソフトウェア)が右中間へ決勝打を放ち、壮絶な戦いに終止符を打った。

 

 

 いやあ~、ものすごい激闘でしたねえ。それにしても上野由岐子投手はすごい!すごいなんてもんじゃない。何と形容していいのか解らないくらいにすごい!1日に2つの試合をしてどっちも延長して、全て一人で完投。ムチャクチャなすごさだ。

 すごい投手を鉄腕と呼ぶが、鉄腕なんてものじゃない。超鉄腕。超鉄腕、上野!

 もし僕が、上野さんの前に居たら、即座にひれ伏して土下座します。地面に頭をこすり着けて、おでこが破れて血が噴出すくらいに、地面の泥に頭をこすり着けます。ははあ~、とひれ伏したまま頭を上げられません。そのくらいすごいです。

 この試合を見た国民の皆さんは、すごい大きな勇気と元気を貰ったのではないでしょうか。

 利権に走り、汚職を行い私欲を肥やしている政治家、呆れる無駄遣いをさんざんやって来た官僚は、空港で女子ソフトを出迎え、上野由岐子さんに全員、土下座をやってください。長いものに巻かれて私利私欲に走る議員連中や官僚は、上野由岐子さんの激戦のユニフォームの汗のしぼったのを、みんな一滴づつ飲みなさい。勿論、僕自身も飲みたいものです。

 明日はどうなるんだろうか?まさか、明日も投げるのかなあ?本当に肩など身体壊してしまうよ。明日はサカイさんにたくすのか?

 しかし20日の連投は、負けられない、負けたくない、が作り上げた鋼鉄の精神力だったなあ。冗談でなく、爪の垢でも煎じて飲みたいよ。今の日本人にそういう人はいっぱい居るだろう。

  


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北京オリンピック ..3

2008年08月19日 | スポーツログ

 

○日本、カナダに1対0と辛勝 星野監督は「オレを殺す気か…」

 

         日本辛勝で3勝目! 決勝トーナメント進出に向けて後がない野球日本代表は18日、1次リーグ5戦目のカナダに1対0と辛勝した。5回、稲葉篤紀のソロ本塁打で先制。最少リードを成瀬善久、藤川球児、上原浩治の継投で守り切った。最後まで予断を許さない展開に、星野仙一監督は「オレを殺す気か、ホンマに…」と苦笑いだった。

 

○伊調千春・馨姉妹、現役引退を表明

 

         北京五輪でメダル4つを獲得した日本のレスリング女子選手が18日、北京市内で記者会見し、63キロ級で2連覇した伊調馨(24)と48キロ級2大会連続銀メダルの伊調千春(26)=ともに綜合警備保障=が現役を引退する意向を表明した。

 姉の千春は「すっきりした。(レスリング)シューズを履くことはもうないかな、と思う」と明言。妹の馨も「千春がやめたら、何を目標にしていいか分からない。この大会が最後じゃないかなと思う」と話した。

 

 

 「俺を殺す気か」はないよなあ。だって総責任者は自分だろ。自分が最高責任者じゃん。選手を選んだのも自分なら、選手の管理も、試合の作戦・戦術も全部、自分だろ。自分が責任者なのに、「俺を殺す気か」ってのは、ヒトのせいにしているよ。今回の日本チームの不振を、選手など自分以外のせいにしている言葉じゃん。それはないよなあ。

 星野さんは、ここ何年もの、雑誌なんかの企画の、上司になって欲しい人Bestの上位にいつも鎮座している人で、人気者ですよね。ワイドショー情報番組なんかのレギュラーコメンテーターなんかもやって、もう職分は、タレント文化人ですね。TVのコマーシャルにもいっぱい出てるし。

 星野さんは、オリンピックジャパンチームの総監督を受けたのは、自分の名声欲、名誉欲なんだろう、と僕は思っている。五輪で金メダルを獲れば自分のグレードもステイタスもぐんと上がるし、収入も大増加する、と計算していたのかも知れない。ジャパンチームの監督を受けてからCM出演も増えたし。

 何か、雑誌の4コマ漫画だっけコラムだっけか、星野ジャパンがメダル取れずに終わって、帰国して星野さんの顔が無くなって、あれだけ大言壮語して結果がトホホ‥で、国内で大バッシングを受けて立場も地に落ちて、タレント価値が急下落しTVにも滅多に出なくなって、あんまり表で見なくなる…。みたいな想像をしているのがあった。掲載の詳細は憶えてないが、そんな風なことだったと思う。まあ、現在の人気タレントぶりを皮肉ったような書き込みだったんですね。

 まあ、僕も、そうなったら面白いな‥、みたいなひねくれ気分もあるけど、やはり、ここは素直に、日本プロ野球界を代表する精鋭たちのジャパンチームを応援したい。願わくば金メダルを獲って貰いたい。悪くとも銅メダルは取って欲しい。でも何か雰囲気的に、どーも、メダルは、アメリカ、キューバ、韓国が取って、日本はその外、せいぜい4位のような気がしてるんだよねえ。何かしら雰囲気悪い‥。しかし、メダルを獲ってくれ、星野ジャパン。頑張れ!ニッポン。

 星野さんのことを多少、悪い感じで書いたけど、いつも上司にしたいナンバーワンやツーくらいに居て、人望厚く思われてて人気者で、タレント文化人としてCMにもいっぱい出てるし、まあ、僕も少しはやっかみ気分で、名声欲が強そーに見えて、金稼ぎに走ってるよーに見える姿が、何かちょっと嫌な気分も覚えたものだから。実際、セレブの星野さんて全然知らない人ですからね。上司にしたい人、だなんて解らないよ。上司になんてなって欲しくないよ。僕は。実際、どんな人かは、傍でちょっと付き合ってみないと、人間は解りませんよね。相性もあるし。

 超一流アスリートが、超一流で居られる期間て、だいたい5年間くらいなのじゃないかなあ。ごく稀に、超一流で居る期間が十年続く怪物も出るけれども。

 世界最高峰レベルに居るアスリートって、常人では想像できないようなものすごい努力を、日々行っているんだと思う。ストイックに自分を律した生活を守り、青春を犠牲にして毎日毎日、常人が見れば気が遠くなるような修練を続けているんだと思う。世界レベルに立ち続けている、ということは常人には考えられないような日々を過ごしているんだと思う。それは、9時5時で会社で働いて給料を貰い、退社後は仲間と街で酒を飲んで騒ぎ、カラオケを歌ってはしゃいで、異性を口説き口説かれして週休二日の休日にはドライブして行楽地や避暑地で遊びまわり、たまには羽目を外してみたりもして、カルチャースクールで習い事もし、サークルに参加してレジャーでスポーツを楽しみ、好きなものを好きなだけ食べて、ギャンブルやゲームや趣味をやって余暇を過ごす、なんて生活の方がよっぽど良いに決まっている。超一流アスリートは、自分の青春時代の多くのものを犠牲にして、毎日毎日修練に耐え続けて、薄氷の上のような自分の位置をかろうじて確保しているのだろう。

 女子レスリングの草分け的存在の山本美憂さんは、確か、一度引退したけどカムバックしたんですよね。人生はそれだけじゃないもの。イロイロあって人生ですからね。

 

 

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北京オリンピック 偽装

2008年08月18日 | 時事社会ログ

 

○またか「偽装五輪」56民族も大ウソ 

 

        8日の北京五輪開会式のアトラクションで、「中国の56民族を代表する」と紹介された子どもの多くは、実際には各少数民族の衣装を着ていただけの漢民族だったことが分かった。北京五輪組織委員会が15日の記者会見で認めた。開会式をめぐっては、花火による“巨人”の足形が合成映像だったことや、革命歌曲を歌った少女の歌声が別人のものだったこともすでに判明。同組織委幹部は相次ぐウソ発覚にも「たいしたことではない」と開き直っている。

 

 中国体制の、オリンピック開会式の、花火のCG合成映像や、話題になった可愛い美少女の歌唱が、実は別の歌のうまい少女の歌唱を合わせた口パクだったことなどの偽装には笑ったが、この偽装には笑えない。

 このやり口は、漢民族支配下の独裁政権に寄る少数民族政策を物語っている。このやり口は、体制の少数民族の人権を無視した行為だ。ひどい。

 

 

  



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巨大ロシアのグルジア侵攻

2008年08月17日 | 時事社会ログ

○ロシア軍 数都市に駐留、支配 グルジア 塹壕堀り鉄橋爆破

        グルジア紛争は、ロシアのメドベージェフ大統領が6項目の和平原則に署名したが、16日もグルジアに侵攻しているロシア軍が同国内の数都市に駐留して支配し、緊迫した状況が続いている。首都トビリシでは、西方40キロのイゴエティ村までロシア軍が急接近し、村の付近にある主要鉄橋が爆破された。ロシア軍の強硬姿勢の背景には、南オセチア自治州の実効支配強化に向けて、軍事面でグルジアに圧力をかける狙いがあるものとみられる。

 ロシアは再びソ連になろうとしているのか?強大な戦力の前で殺されている多くの人々は一般市民だ。毎日毎日労働して得たわずかな収入でつつましく生活している、普通の貧しい一般市民たちだ。生き抜けても家は壊され生活は破壊され、食べるのでさえままならない。誰にも迷惑掛けずに暮らしている、ごく普通の人々への、とんでもない人権蹂躙だ。

 TVのニュースで見ていた時、ロシア側は最初に攻撃して来たのはグルジア側だ、と言っているらしいのだが、本当にそうなのだろうか?絶対的軍事力では到底勝ち目の無い、小国グルジアが自分から巨大ロシアに向かって攻撃など仕掛けるだろうか?

 戦車は小国の町を村を蹂躙しまわる。町は村は破壊される。生活は破壊される。武力など皆無の一般市民の命は簡単に奪われる。

 ロシアの強大な軍事力を反映した、侵攻する数多くの戦車などは、「平和維持軍」と言うらしい。「平和維持軍」?悪い冗談なのか、聞いてあきれる。「平和維持軍」?「平和」?

 戦争の影には、領土問題や民族問題、資源ナショナリズムに寄るヨーロッパ向けの天然ガスや石油の輸送パイプラインの問題など、いろいろな問題があるのだろうが、21世紀に入ってもまだ、人間はこんな愚かしいことをして無駄に大量の命を奪っている。奪い合っている。

 何処の地域でも、大衆と言う一般市民たちは、政治と関係なく、貧しくとも隣人同士でお互いに助け合い、平和で安定した日々の暮らしをして、子供たちを育てて生きて行きたいのだ。死んで行くのは弱い人民ばかりじゃないか。

 

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北京オリンピック ..2

2008年08月17日 | スポーツログ

 

○吉田が金メダル獲得、五輪連覇を果たす=女子レスリング55キロ級

 

         北京五輪のレスリング競技が16日に行われ、女子55キロ級フリースタイルに出場した吉田沙保里は決勝で中国のXU Liを下し、金メダルを獲得。アテネ五輪に続く、五輪連覇を成し遂げた。

 

 

 

 9秒69!
 9秒69!
 今の100メートル最速は、9秒69なんてのが出るんだ!
 世界の内には、100メートルを9秒6台で走る男が居る。信じるか信じないかはあなた次第です。みたいな世界ですね。

 僕が子供の頃には、10秒を切って、9秒9で走る!と驚いていたのに、それがいつの間にか9秒97とかを出す人が現れてびっくりしていて、何と今は世界記録、9秒69!驚愕の9秒6台なんだものなあ。

 さすがに陸上100メートルの決勝は、全員、黒人選手ですね。世界記録を出したのはジャマイカのボルト。身体一つ以上開けて見える、ダントツ1位の優勝だった。僕は陸上は詳しくないのだけど、名前だけは知っている、世界短距離の超有名な人、タイソン・ゲイという選手はどうだったんだろう?でもまあ、ここはジャマイカのボルトさんですね、世界最速記録更新!

 TVのスウィッチを入れてチャンネルを回すと、星野ジャパンの韓国戦がやってた。2-0で、日本が勝ってた。おおっ、イイぞ!強いぞ、星野ジャパン!と喜んだのも束の間、すぐにツーランホームラン打たれて同点に並ばれた。何だか嫌な予感がし始めた。

 僕はネガティブな性格の人間なので、僕が見始めたから日本チームが劣勢に入って行ったんじゃなかろうか?と思い始めた。僕は貧乏神みたいなもので、見ない方が日本チームに取って有利に傾くんじゃなかろうか?とかも思い始めた。僕は見ない方がいいに違いない、きっとそうなんだ、と思ってしまって、僕はチャンネルを変えた。でもやはり気になって時折チャンネルを戻して、野球の試合を見た。そうして見ていたら9回に追加3点取られて、5-2と非情な劣勢になってしまった。ドキドキして9回最後の日本の攻撃を見てたが、1点返すのがやっとで、負けた。がっくり。

 韓国というのは野球が強くなったなあ。21世紀に入ってからぐんぐん強くなって行った。あの、日本プロ野球の精鋭たちが集まって、最強の筈の星野ジャパンが、キューバや韓国に対して、こんなもんなのだからなあ。あの、日本プロ野球で選ばれた最強メンバーが、この負け方なんだもの。

 がっくり来たなあ。大丈夫なのか。決勝トーナメント(決勝リーグ?)に行けるのか?不安だなあ‥。

 それにしても女子レスリングの吉田沙保里さんはすごいなあ。最強!敵なし。もう、「最強」以外の言葉が見つからない。とにかくすごいの一語に尽きます。素晴らしい。強い。  

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北京オリンピック

2008年08月16日 | 時事社会ログ

 

 久しぶりで風邪で高い熱を出して寝込んだ。38度5分くらいが3日間続き苦しかった。38度以上の熱を出したのは、ここ何年かぶりだ。僕は頭痛もちで、よく微熱はあるが、このところ滅多に高い熱で寝込むことはなかった。喉が脹れて痛くて、水もモノも飲み込むと激しく痛かった。薬を飲むとがんがん汗が出て止まらず、熱いので扇風機やクーラーの部屋で寝ていると、今度は悪寒がする。最悪だった。治りも悪かった。微熱は続き、しばらく喉は痛いままだった。

 早いもので、北京オリンピックが始まってもう8日か9日経った。今回は、アテネみたいな異常なメダルラッシュはないみたいですね。お家芸と言われて来た柔道も、女子はまあまくらいで、男子はよくない。

 北島康介はすごいな。柔道は全体としては振るわない方だったが、最後の最後に何はともあれ、最重量級で金メダルが取れて良かった。

 しかし、TVはいつ何処つけてもオリンピックばかりで、ニュースやワイドショーは連日連夜オリンピック選手のことばかり。どの局も同じ内容で。何か異常にも感じられる。

 15日は終戦記念日だったが、以前読んだ水木しげるさんの自伝エッセイ漫画で、水木さんが子供の頃、早大出のインテリの父親が、大本営発信の新聞やラジオのニュ-スの戦果に、日本軍の破竹の勢いの活躍に、喜び興奮しているシーンがあったけど、この時代の洗脳された国民の一般市民が、戦争で日本軍の躍進を応援するのと、現代の国民がオリンピックで日本選手を応援するのは、似たようなところが大きいんじゃなかろうか。

 戦争は勝っていても大量の人殺しを行い続けている訳なのだけど、勿論、国民はほとんどが体制に洗脳されていたし、人を殺し続けているとか他国民の人権を蹂躙している、とかいう事実に対しては麻痺してしまっていたのだろう。まあ、大本営の流すニュースの戦果なぞ、ほとんどが統制されたデタラメだったんだろうけど。

 オリンピックで、日本人選手が活躍すれば嬉しいし、メダル獲りなど上位入賞すれば手放しで喜んでしまうが、一歩退いて見ると、別に何処の国が勝ってもイイジャンとも思う。運動の競争をやっているのは個人なんだし。中国の国を挙げてのオリンピックという、見るからの国家主義は何か嫌だね。北島君の水泳というスポーツでの偉業は北島君個人とその周囲のスタッフのものなんだ。それでいいよ。マイケル・フェルプスの超人的活躍も個人のものにしとけよ、アメリカの国威と言わずに。中国も国家主義的にメダル取るなよ。と、思ってしまうなあ。一方でのロシアのグルジア侵攻は悲惨だなあ。

 

 

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稀有の天才、赤塚不二夫先生

2008年08月04日 | ブックログ

○巨匠悼み、ファンが記帳=青梅赤塚不二夫会館-東京

 

        2日死去した漫画家赤塚不二夫さんを悼み、東京都青梅市の「青梅赤塚不二夫会館」は4日、通常の月曜休館を返上、ファンのため記帳を受け付けた。記帳台はJR青梅駅にも設けられ、同日午前中までに800人以上が記帳したという。
 同会館は、町中に映画の看板を掲げるなど「昭和をテーマにしたまちおこし」を進める地元商店街の協力要請に、大の映画ファンでもある赤塚さんが快諾し、2003年10月のオープンにつながった。展示室には赤塚さんが初めて見て感激したという外国映画「駅馬車」の看板や漫画原稿、キャラクターグッズなどがある。

 

○「日本の笑い変えた」=赤塚さん死去に漫画家ら

 

        「日本の漫画を変えた天才」。2日死去した赤塚不二夫さんについて、同時代を生きた漫画家らからは、偉大な才能を評価する声が上がった。
 友人だった漫画家の里中満智子さんは「赤塚以前と以後で日本の漫画は変わった。100年先でも通用するセンスで、単なる『天才』という言葉では表現できない」と話す。
 破天荒な言動でも注目を集めたが、「日常生活をもギャグにしようとしていたが、内心は照れ屋で、『気楽に描いている』というふりをしていた」と振り返った。
 里中さんは、2002年に赤塚さんが倒れた後、見舞いを続けた。「最初はまばたき一つしなかったが、次第に髪の毛につやが出て、指先が動くようになってきた。奇跡を信じていたが」と声を落とした。
 漫画家の黒鉄ヒロシさんは「笑いとはハッピーではなく、死に近いところにあるということを追求した。笑いの骨頂というものを理解しており、作品に投影されていた」と評価する。
 漫画評論家の呉智英さんは「『こっけい話』だった日本漫画の笑いを、爆発的、断片的なものに変質させた。漫画だけでなく、演劇や音楽にも影響を与えた天才だった」とする。
 アルコール依存症や食道がんなど闘病生活が続いたことについては、「まじめすぎる人で、私生活も面白おかしくすることを義務だと感じてしまった。そのストレスから酒に走り、死期を早めてしまった」と語った。

 

○優れた時代感覚のギャグ=幅広くひたむきに笑いを表現-赤塚不二夫さん死去

 

         「誰もやったことがないことにチャレンジしないと、表現者として失格だ」と、口癖のように語っていた。時流に乗ったギャグを追い、常に新たな試みに挑戦し続けた赤塚不二夫さん。常識にとらわれない自由な発想と奔放さが魅力の、ギャグの天才だった。
 「漫画の神様」手塚治虫にあこがれた。「一流の漫画家になりたければ、一流の映画や本、音楽に接しなさい」という手塚の言葉を守り、さまざまなジャンルから貪欲(どんよく)に人を引き付けるセンスを磨いた。
 そうして生まれたキャラクターは200を超える。「天才バカボン」に登場する、目のつながった警官は、安保闘争の権力の象徴、「もーれつア太郎」のニャロメは、人間にこびない猫を反体制派の学生運動家になぞらえた。そこには単なるギャグにはとどまらない、優れた時代感覚があった。
 作品の多くはアニメ化された。人付き合いがよく、大の酒好きでも知られ、個性派の文化人として、タレントやイベントプロデュースなどの分野でも才能を発揮。晩年は病気との闘いだったが、「もっと面白いものがある、それを見つけたいし、作りたいし、描きたい」と語っていた。
 漫画の枠を大きくはみ出した、ひたむきな表現者。バカボンのパパの「これでいいのだ」という名ぜりふそのままに、唯一無二の個性で時代を駆け抜けた。

 当時のイギリスの田舎の小さな町リバプールに、音楽好きな少年ジョンとポールが居て、どういう訳か二人は知り合い、一緒に音楽をやることになった。喧嘩をしながらも続けて行く内に、やがてビートルズが誕生する。ビートルズは、世界の音楽史を塗り替える程の「天才」を創りあげた。ビートルズを解散した、ジョン・レノンとポール・マッカートニーはその後も、世界最高峰レベルのミュージシャンとして活躍したが、ビートルズの十年間で創出して見せた「天才」には及ばなかった。

 イギリスのごく小さな町に二人の、まあ、音楽の才能のある少年が居て、不思議な巡り会わせで一緒に音楽をやる。決して相性の良い仲の良かった親友ではなく、しょっちゅう喧嘩をしていた。この、ごく普通の音楽好きの少年、ジョンとポールが結び着いたことが、後の「天才」を生んだ。本当に不思議な巡り会わせだと思う。

 富山の片田舎の中学校で、ごく普通の二人の少年が出会う。この二人が後に、時代を作った天才漫画家として賞賛されるのはまだ先だ。二人の少年は青年となり、やがて東京豊島区の一軒のオンボロ安アパートで、多少絵心のある漫画好きな青年たちと出会う。ストーリー漫画という新たな世界を切り開いた一人の天才を師と仰いで、彼らは神様に会いたい一心でトキワ荘に集まった。超多忙な神様はすぐに越して行った。トキワ荘には貧しくも希望を持った青年たちが叱咤激励しながらも仲良く、貧乏な青春時代を楽しんで生活した。だが、そのオンボロアパートから、後の一時代を作った天才たちが続々と出て来た。石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫…。21世紀に入り、日本人なら誰でも知ってる大巨匠たちだ。

 才能ある若者たちが不思議な巡り会わせで出会い、集まると、才能どおしが刺激し合い、不思議な相乗効果でとんでもない「天才」が生まれて来ることがある。トキワ荘の若き漫画家のタマゴたちは、仲良く遊び一緒に生活し、お互いに助け合って一緒に仕事をする中で、漫画の腕前が成長して行くが、これが不思議なことに各人、才能が開花した後の作風は、みんな違う。作風は、石ノ森も赤塚も藤子も全然違う。細かく言えば、藤子不二雄も、「海の王子」「ドラえもん」の藤本弘と、「怪物くん」「笑うせえるすまん」の安孫子素雄の作風は、よく見れば全然違う。一緒に修行した仲間内で各人、独自の個性的な作風をものにして、開花させているのだ。これも不思議な話だ。

 当時のトキワ荘に住む漫画家のタマゴの内の一人、シャイでハンサムな貧しい青年、赤塚不二夫は描く漫画はことごとく全然売れなくて、生活に困窮し、同じアパート内に住む石森章太郎の手伝いをして何とか食べていた。石森章太郎が紹介した「まんが王」で、それまでストーリー漫画や少女ものを描いていた赤塚不二夫は、ゆかい漫画(ギャグ漫画)を描いて、それが初めてヒットする。初の連載ゆかい漫画、「ナマちゃん」だ。それから二、三年後、新興の漫画週刊誌、少年サンデーで「おそ松くん」を発表する。

 「おそ松くん」はそれまでの、ほのぼの生活児童ゆかい漫画の世界に革命を起こした。ゆかい漫画というジャンルに取って代わる程の、「ギャグ漫画」というカテゴリを確立した。「おそ松くん」でギャグ漫画の天才の片鱗を見せた赤塚不二夫は、それから、日本の少年漫画界で怒涛の活躍を続けた。次々と発表される驚きのギャグ漫画群。「メチャクチャNo.1」「もーれつア太郎」「レッツラゴン」…。ものすごい数だ。そして、60年代末、「天才バカボン」というギャグ漫画の金字塔を打ち立てた。

 赤塚不二夫はまごうことなき天才となった。60年代、手塚治虫が自分の数ある作品で科学と愛とヒューマニズムという、正統的文化を現出して見せたのに対抗する、まるでアンチテーゼのように、一見すると意味の無い価値の無さそうに見える、ナンセンスやアヴァンギャルドなギャグも含む、笑いのギャグの文化を、だがこれも一つの立派な文化であり教養の一つだと、堂々と表わせて見せた。すごい!

 赤塚不二夫さんは優しい人だった。60年代を通して、「天才バカボン」を代表とする自作のギャグ漫画を次々と大ヒットさせて、財を築いた。戦後の満州から死線を乗り越えて命からがら、引き揚げて日本へ帰って来、その戦後の日本でも赤貧の生活を続ける。しかし60年代を過ぎて長者となった。でも、お金に執着することなくどんどん使った。湯水のように使った。毎夜のどんちゃん騒ぎで、多くの友達・知り合いに大酒を飲ませ、持ってる金を使いまくった。金はしょせんは紙切れだと。

 天才・赤塚不二夫は知っていた。金も権威も虚飾であり、金などしょせんはたいしたものでもないと。心優しい赤塚不二夫さんは人間が好きだった。友達という人たちと触れ合うことを大事にした。金も権威もしょせんは虚飾だと知っていた赤塚不二夫さんは、才能を重んじて見た。才能って、そんな大袈裟なものではない。個性のことだ。だから、赤塚不二夫は、タモリや所ジョージのような面白い個性を仲間として遊んだ。タモリのような面白い個性の面倒を見た。

 しょせん金も権威も虚飾だとよく知っていた、人間愛あふれる心優しき天才漫画家は、人間が生きて行くということ、生き様で、一番大切なものが何かを彼自身、よく解っていたのだろう。

 僕は、子供の頃から青年期もそれからもずっと、「俺は何てどうしようもない人間なんだ」と幾度となく悔やんで来た、ちっぽけなちっぽけな人間で、つまんない人生を歩んで来たけれど、これだけは言える、子供の頃、トキワ荘関係だけで選んで言えば、手塚治虫、赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、寺田ヒロオ、つのだじろう‥他の描く漫画作品群に出会えて、本当に幸福だった、と。特に小学校6年間の時間に出会った、膨大な、素晴らしい漫画作品の数々を思い返すと、しみじみと幸福感に浸ることが出来る。あの子供の頃だけを考えても幸福な人生だった。そして、学生時代、特に小学校では全く勉強をしなかった僕に取って、漫画群は教科書であり、手塚先生も石森先生も藤子先生も赤塚先生も、みんな恩師みたいなものだ。ギャグという一つの教科を教えてくれた赤塚不二夫先生を失ったんだ。それは、僕という人間の精神の脳味噌の、哲学的なものや重大な部分を占めるものを作ってくれた、一人の恩師の死は非情に重いものだし、やはり心にぽっかり穴の開く、空虚感を持ってしまうのは仕方が無いことですね。寂しいです。

 一時代を作った巨匠、赤塚不二夫の訃報に、TVの情報番組ではどれも、アニメの「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」の映像ばかりを流しているが、僕の言う漫画はアニメではなく、あくまで雑誌やコミックスの漫画だ。漫画とアニメは別物だ。赤塚作品はジャンルとしてはギャグだが、だが、その作品群が含む要素はすごい程いろいろなものが込められている。あれらも、ただの笑いだけではなくて、立派な教養なのだ。60年代に大活躍した巨匠たちのコミックは、どんなジャンルであれ、素晴らしい要素をいっぱい含んでいて、一つ一つの教養を与えてくれる。若い世代に、60年代70年代の膨大な漫画群の一読を、是非勧めたい。 

   ※(08-10/10)ココの記事文ワタシの感想冒頭、「当時のイギリスの田舎の小さな町リバプールに…」と書き込んでいるのだが、リバプールとは歴史あるけっこう巨大な都市でした。ヨーロッパ近代史に歴史的に重要な港湾都市です。現在は港湾都市というよりも、どちらかというと観光都市として栄えているようですね。ワタクシの無知に寄る誤った書き込みでした。訂正です。失礼しました。

 

※(08-8/5)ここの項の記事を自分で読み返してみて、十年くらい前に、日テレ系の「波乱万丈」というトーク番組に、水木しげる先生が出演していたときのことを思い出した。いや、番組内のエピソードではなく、僕自身の話だ。十年以上前だったっけかなあ(?)。番組が始まって、まだ会話が始まらず、冒頭、席に座った水木しげる先生の姿を見たとたん、僕は涙が溢れ出してしまったのだ。画面に映る、お元気ではあるが老齢になっている水木しげる先生を見て、トークが始まる前からもう、僕は泣いた。あの時、僕は何故、すぐに泣き出したのか?よく解らなかったのだが、今回の、自分の書いたここの記事の文を読み返して気が着いた。あれは、何十年も経って、年老いた恩師に再会した時の涙だったのだ。そういうことだったのだ。子供の頃に、怪奇とファンタジーとユーモアという教科を教えてもらった恩師に、何十年の時を経て、恩師の姿を見て、感激していきなり涙が出たのだ。そうだったのだ。僕は小学校の勉強はまるでやらなくて、また、解らなくて、小学校低学年の成績は5段階で、1、2、1、2の掛け声調で、小学校中高学年になると、2、3、2、3の掛け声調であった。学業も素行も本当に劣等生だった。でも、家庭学習での漫画の教科は、自分で言うのも何だが、かなりの優等生だった。これでよかったのだ。

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稀有の天才、赤塚不二夫先生

2008年08月04日 | ブックログ

○巨匠悼み、ファンが記帳=青梅赤塚不二夫会館-東京 

        2日死去した漫画家赤塚不二夫さんを悼み、東京都青梅市の「青梅赤塚不二夫会館」は4日、通常の月曜休館を返上、ファンのため記帳を受け付けた。記帳台はJR青梅駅にも設けられ、同日午前中までに800人以上が記帳したという。
 同会館は、町中に映画の看板を掲げるなど「昭和をテーマにしたまちおこし」を進める地元商店街の協力要請に、大の映画ファンでもある赤塚さんが快諾し、2003年10月のオープンにつながった。展示室には赤塚さんが初めて見て感激したという外国映画「駅馬車」の看板や漫画原稿、キャラクターグッズなどがある。

 

○「日本の笑い変えた」=赤塚さん死去に漫画家ら 

        「日本の漫画を変えた天才」。2日死去した赤塚不二夫さんについて、同時代を生きた漫画家らからは、偉大な才能を評価する声が上がった。
 友人だった漫画家の里中満智子さんは「赤塚以前と以後で日本の漫画は変わった。100年先でも通用するセンスで、単なる『天才』という言葉では表現できない」と話す。
 破天荒な言動でも注目を集めたが、「日常生活をもギャグにしようとしていたが、内心は照れ屋で、『気楽に描いている』というふりをしていた」と振り返った。
 里中さんは、2002年に赤塚さんが倒れた後、見舞いを続けた。「最初はまばたき一つしなかったが、次第に髪の毛につやが出て、指先が動くようになってきた。奇跡を信じていたが」と声を落とした。
 漫画家の黒鉄ヒロシさんは「笑いとはハッピーではなく、死に近いところにあるということを追求した。笑いの骨頂というものを理解しており、作品に投影されていた」と評価する。
 漫画評論家の呉智英さんは「『こっけい話』だった日本漫画の笑いを、爆発的、断片的なものに変質させた。漫画だけでなく、演劇や音楽にも影響を与えた天才だった」とする。
 アルコール依存症や食道がんなど闘病生活が続いたことについては、「まじめすぎる人で、私生活も面白おかしくすることを義務だと感じてしまった。そのストレスから酒に走り、死期を早めてしまった」と語った。

 

○優れた時代感覚のギャグ=幅広くひたむきに笑いを表現-赤塚不二夫さん死去 

         「誰もやったことがないことにチャレンジしないと、表現者として失格だ」と、口癖のように語っていた。時流に乗ったギャグを追い、常に新たな試みに挑戦し続けた赤塚不二夫さん。常識にとらわれない自由な発想と奔放さが魅力の、ギャグの天才だった。
 「漫画の神様」手塚治虫にあこがれた。「一流の漫画家になりたければ、一流の映画や本、音楽に接しなさい」という手塚の言葉を守り、さまざまなジャンルから貪欲(どんよく)に人を引き付けるセンスを磨いた。
 そうして生まれたキャラクターは200を超える。「天才バカボン」に登場する、目のつながった警官は、安保闘争の権力の象徴、「もーれつア太郎」のニャロメは、人間にこびない猫を反体制派の学生運動家になぞらえた。そこには単なるギャグにはとどまらない、優れた時代感覚があった。
 作品の多くはアニメ化された。人付き合いがよく、大の酒好きでも知られ、個性派の文化人として、タレントやイベントプロデュースなどの分野でも才能を発揮。晩年は病気との闘いだったが、「もっと面白いものがある、それを見つけたいし、作りたいし、描きたい」と語っていた。
 漫画の枠を大きくはみ出した、ひたむきな表現者。バカボンのパパの「これでいいのだ」という名ぜりふそのままに、唯一無二の個性で時代を駆け抜けた。

 

 

 当時のイギリスの田舎の小さな町リバプールに、音楽好きな少年ジョンとポールが居て、どういう訳か二人は知り合い、一緒に音楽をやることになった。喧嘩をしながらも続けて行く内に、やがてビートルズが誕生する。ビートルズは、世界の音楽史を塗り替える程の「天才」を創りあげた。ビートルズを解散した、ジョン・レノンとポール・マッカートニーはその後も、世界最高峰レベルのミュージシャンとして活躍したが、ビートルズの十年間で創出して見せた「天才」には及ばなかった。

 イギリスのごく小さな町に二人の、まあ、音楽の才能のある少年が居て、不思議な巡り会わせで一緒に音楽をやる。決して相性の良い仲の良かった親友ではなく、しょっちゅう喧嘩をしていた。この、ごく普通の音楽好きの少年、ジョンとポールが結び着いたことが、後の「天才」を生んだ。本当に不思議な巡り会わせだと思う。

 富山の片田舎の中学校で、ごく普通の二人の少年が出会う。この二人が後に、時代を作った天才漫画家として賞賛されるのはまだ先だ。二人の少年は青年となり、やがて東京豊島区の一軒のオンボロ安アパートで、多少絵心のある漫画好きな青年たちと出会う。ストーリー漫画という新たな世界を切り開いた一人の天才を師と仰いで、彼らは神様に会いたい一心でトキワ荘に集まった。超多忙な神様はすぐに越して行った。トキワ荘には貧しくも希望を持った青年たちが叱咤激励しながらも仲良く、貧乏な青春時代を楽しんで生活した。だが、そのオンボロアパートから、後の一時代を作った天才たちが続々と出て来た。石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫…。21世紀に入り、日本人なら誰でも知ってる大巨匠たちだ。

 才能ある若者たちが不思議な巡り会わせで出会い、集まると、才能どおしが刺激し合い、不思議な相乗効果でとんでもない「天才」が生まれて来ることがある。トキワ荘の若き漫画家のタマゴたちは、仲良く遊び一緒に生活し、お互いに助け合って一緒に仕事をする中で、漫画の腕前が成長して行くが、これが不思議なことに各人、才能が開花した後の作風は、みんな違う。作風は、石ノ森も赤塚も藤子も全然違う。細かく言えば、藤子不二雄も、「海の王子」「ドラえもん」の藤本弘と、「怪物くん」「笑うせえるすまん」の安孫子素雄の作風は、よく見れば全然違う。一緒に修行した仲間内で各人、独自の個性的な作風をものにして、開花させているのだ。これも不思議な話だ。

 当時のトキワ荘に住む漫画家のタマゴの内の一人、シャイでハンサムな貧しい青年、赤塚不二夫は描く漫画はことごとく全然売れなくて、生活に困窮し、同じアパート内に住む石森章太郎の手伝いをして何とか食べていた。石森章太郎が紹介した「まんが王」で、それまでストーリー漫画や少女ものを描いていた赤塚不二夫は、ゆかい漫画(ギャグ漫画)を描いて、それが初めてヒットする。初の連載ゆかい漫画、「ナマちゃん」だ。それから二、三年後、新興の漫画週刊誌、少年サンデーで「おそ松くん」を発表する。

 「おそ松くん」はそれまでの、ほのぼの生活児童ゆかい漫画の世界に革命を起こした。ゆかい漫画というジャンルに取って代わる程の、「ギャグ漫画」というカテゴリを確立した。「おそ松くん」でギャグ漫画の天才の片鱗を見せた赤塚不二夫は、それから、日本の少年漫画界で怒涛の活躍を続けた。次々と発表される驚きのギャグ漫画群。「メチャクチャNo.1」「もーれつア太郎」「レッツラゴン」…。ものすごい数だ。そして、60年代末、「天才バカボン」というギャグ漫画の金字塔を打ち立てた。

 赤塚不二夫はまごうことなき天才となった。60年代、手塚治虫が自分の数ある作品で科学と愛とヒューマニズムという、正統的文化を現出して見せたのに対抗する、まるでアンチテーゼのように、一見すると意味の無い価値の無さそうに見える、ナンセンスやアヴァンギャルドなギャグも含む、笑いのギャグの文化を、だがこれも一つの立派な文化であり教養の一つだと、堂々と表わせて見せた。すごい!

 赤塚不二夫さんは優しい人だった。60年代を通して、「天才バカボン」を代表とする自作のギャグ漫画を次々と大ヒットさせて、財を築いた。戦後の満州から死線を乗り越えて命からがら、引き揚げて日本へ帰って来、その戦後の日本でも赤貧の生活を続ける。しかし60年代を過ぎて長者となった。でも、お金に執着することなくどんどん使った。湯水のように使った。毎夜のどんちゃん騒ぎで、多くの友達・知り合いに大酒を飲ませ、持ってる金を使いまくった。金はしょせんは紙切れだと。

 天才・赤塚不二夫は知っていた。金も権威も虚飾であり、金などしょせんはたいしたものでもないと。心優しい赤塚不二夫さんは人間が好きだった。友達という人たちと触れ合うことを大事にした。金も権威もしょせんは虚飾だと知っていた赤塚不二夫さんは、才能を重んじて見た。才能って、そんな大袈裟なものではない。個性のことだ。だから、赤塚不二夫は、タモリや所ジョージのような面白い個性を仲間として遊んだ。タモリのような面白い個性の面倒を見た。

 しょせん金も権威も虚飾だとよく知っていた、人間愛あふれる心優しき天才漫画家は、人間が生きて行くということ、生き様で、一番大切なものが何かを彼自身、よく解っていたのだろう。

 僕は、子供の頃から青年期もそれからもずっと、「俺は何てどうしようもない人間なんだ」と幾度となく悔やんで来た、ちっぽけなちっぽけな人間で、つまんない人生を歩んで来たけれど、これだけは言える、子供の頃、トキワ荘関係だけで選んで言えば、手塚治虫、赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、寺田ヒロオ、つのだじろう‥他の描く漫画作品群に出会えて、本当に幸福だった、と。特に小学校6年間の時間に出会った、膨大な、素晴らしい漫画作品の数々を思い返すと、しみじみと幸福感に浸ることが出来る。あの子供の頃だけを考えても幸福な人生だった。そして、学生時代、特に小学校では全く勉強をしなかった僕に取って、漫画群は教科書であり、手塚先生も石森先生も藤子先生も赤塚先生も、みんな恩師みたいなものだ。ギャグという一つの教科を教えてくれた赤塚不二夫先生を失ったんだ。それは、僕という人間の精神の脳味噌の、哲学的なものや重大な部分を占めるものを作ってくれた、一人の恩師の死は非情に重いものだし、やはり心にぽっかり穴の開く、空虚感を持ってしまうのは仕方が無いことですね。寂しいです。

 一時代を作った巨匠、赤塚不二夫の訃報に、TVの情報番組ではどれも、アニメの「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」の映像ばかりを流しているが、僕の言う漫画はアニメではなく、あくまで雑誌やコミックスの漫画だ。漫画とアニメは別物だ。赤塚作品はジャンルとしてはギャグだが、だが、その作品群が含む要素はすごい程いろいろなものが込められている。あれらも、ただの笑いだけではなくて、立派な教養なのだ。60年代に大活躍した巨匠たちのコミックは、どんなジャンルであれ、素晴らしい要素をいっぱい含んでいて、一つ一つの教養を与えてくれる。若い世代に、60年代70年代の膨大な漫画群の一読を、是非勧めたい。  

   

※(08-8/5)ここの項の記事を自分で読み返してみて、十年くらい前に、日テレ系の「波乱万丈」というトーク番組に、水木しげる先生が出演していたときのことを思い出した。いや、番組内のエピソードではなく、僕自身の話だ。十年以上前だったっけかなあ(?)。番組が始まって、まだ会話が始まらず、冒頭、席に座った水木しげる先生の姿を見たとたん、僕は涙が溢れ出してしまったのだ。画面に映る、お元気ではあるが老齢になっている水木しげる先生を見て、トークが始まる前からもう、僕は泣いた。あの時、僕は何故、すぐに泣き出したのか?よく解らなかったのだが、今回の、自分の書いたここの記事の文を読み返して気が着いた。あれは、何十年も経って、年老いた恩師に再会した時の涙だったのだ。そういうことだったのだ。子供の頃に、怪奇とファンタジーとユーモアという教科を教えてもらった恩師に、何十年の時を経て、恩師の姿を見て、感激していきなり涙が出たのだ。そうだったのだ。僕は小学校の勉強はまるでやらなくて、また、解らなくて、小学校低学年の成績は5段階で、1、2、1、2の掛け声調で、小学校中高学年になると、2、3、2、3の掛け声調であった。学業も素行も本当に劣等生だった。でも、家庭学習での漫画の教科は、自分で言うのも何だが、かなりの優等生だった。これでよかったのだ。 

※(08-10/10)ココの記事文ワタシの感想冒頭、「当時のイギリスの田舎の小さな町リバプールに…」と書き込んでいるのだが、リバプールとは歴史あるけっこう巨大な都市でした。ヨーロッパ近代史に歴史的に重要な港湾都市です。現在は港湾都市というよりも、どちらかというと観光都市として栄えているようですね。ワタクシの無知に寄る誤った書き込みでした。訂正です。失礼しました。

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