生きたまま極楽! 

ワタクシ、naojiiの、巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。

タンタル

2012年02月24日 | Weblog

 

 

○レアメタル「タンタル」福岡県が再資源化事業へ

 

   福岡県は15日、三井金属鉱業(東京)と県内の廃棄物中間処理会社と共同で、使用済み産業用電子機器からレアメタル(希少金属)のタンタルを回収、再資源化する事業を今月から、リサイクル産業の集積地「エコタウン」がある大牟田市で開始すると発表した。タンタルは国内で使用されている量の全てを輸入に頼っており、県は「価格が高騰しているレアメタルの安定確保につなげたい」と意気込んでいる。三井金属鉱業によると、このような取り組みは世界初という。

 タンタルは、スマートフォン(高機能携帯電話)やパソコンなどの基板にあるコンデンサーの製造に欠かせない金属。近年、IT事業の振興を背景に価格が高騰しており、1月末の相場はタンタル1キロ当たり約4万円という。

 事業では、中間処理会社の柴田産業(福岡県久留米市)が、使用済みの企業の大型サーバーやデジタル電送装置などの破砕や選別を担当。国内で唯一、タンタルの抽出技術を持つ三井金属鉱業が濃縮や精製、販売を行う。県リサイクル総合研究センター(北九州市)の調整で、事業化が実現。センターは今後、事業拡大のため、小型家電からの回収システムの構築を目指す。  

   

 “タンタル”は、“コルタン”という鉱物から取れる。僕はこういう知識の全くない人間ですが、この“タンタル”という言葉も“コルタン”という言葉も知っていました。どうしてか? それは、僕が映画とTVドラマの「ターミネーター」シリーズが大好きだったからです。TVシリーズの「ターミネーター・サラコナーズ・クロニクル」の中で、この二つの言葉が出て来るのです。僕は、奇しくもその言葉「タンタル」「コルタン」を記憶していたのですね。場面は、確か、未来世界ではなくて、現代で、未来からやって来たロボット連中が、自分たちを大量生産しようと目論む施設関係の倉庫に、トラックで稀少鉱物のタンタルかコルタンを運び入れるシーンで、誰か登場人物から発せられるセリフの中に、この「タンタル」「コルタン」のレアメタル名の言葉がありました。ドラマを見ていた時は、適当にロボット製作用材料名を考えて命名した、想像上のでっち上げ名前かと思っていたんですけど、アメリカSFドラマってそういうところは割りとリアリティーなんですね。

 希土類とかレアメタルって、全部、大陸にしかありませんね。半島とか島にはない。日本て本当に天然資源は何にもない地域ですよね。まあ、北米大陸も広いからいろいろあるんでしょうけど、だいたい発展途上国とか第三世界、世界の紛争地域とかにありますよね。ヨーロッパとかにはないでしょう。あってもロシア方向の、ユーラシア大陸でもアジア方面。タンタルに限れば、日本は100%輸入でしょうが、コルタンの採掘国はだいたいオーストラリアとかブラジル、カナダとかですね。コンゴに大量の地下資源、コルタンがあるそうで、相当な量らしいですね。そしてそのコルタン採掘と売買をめぐって、コンゴで凄まじい内紛が起こっているんだとか。このコンゴのレアメタルをめぐる紛争は以前、ニュースで聞いたことはあったんですけど、その紛争の詳しい事情は申し訳ありません、不勉強ながら調べていません。途上国にありがちな人権無視の凄惨な紛争が起こっているのでしょう。まあ、こういうのはだいたい、大国や先進国の利権体制が絡んでますけど。

 日本には鉱石コルタンは無い。しかし、コルタンから精製されたタンタルは都市資源としてある。電子機器・IT機器の内部部品に使われているレアメタルですね。一つ一つのIT機器内にあるレアメタルはもう、ものすごい微量なものでしょうが、かつてのGNP世界2位・経済大国、先進技術国家日本には使い古されて廃棄処分を待つ電子機器がごまんとある。塵も積もれば山となる、でしょうね。しかしものすごい微量を大量に集めるんだから、大変な作業でしょうけど。日本に眠る都市資源。再利用資源ですけど、これが活かせるかどうかは技術の問題ですよね。低コストでリサイクル採掘できる技術があるかどうか、ですね。日本の資源といえば、最近の話題は日本国周囲近海の天然資源、メタンハイドレードですけど、これも採掘技術や実用技術がまだまだですよね。もう、すぐにでも、というものでもないでしょ。少なくとも二、三年内には、という話でもないし。確かに各企業や研究機関が開発には乗り出しているんでしょうけど。実用化には先ず10年以上は掛かるだろうしなあ。気が遠くなるような。中国とかロシアとか見返してやりたい気持ちが沸くんだけど。

 話は変わりまして、僕の趣味領域に戻って、「ターミネーター・サラコナーズ・クロニクル」は面白かったです。SF連続ドラマ。だいたい僕はシュワちゃんの「ターミネーター」シリーズ、全部大好きだったし、勿論、「ターミネーター4」も見たし、「ターミネーター3」と「ターミネーター4」の間のエピソード設定だといわれる、「ターミネーター・サラコナーズ・クロニクル」もワクワクして見ました。一作品が2、3時間の映画に比べて、連続ドラマはエピソードがメチャメチャ長いんで面白く楽しめます。だいたい一話45分くらいの長さで31話もありますからね。ただ、お話が尻切れトンボで突然終了しちゃうんですけど。これからいよいよ、って時に突然お話が強制終了。映画の「ターミネーター4」はまた違う設定だし。しかし「ターミネーター・サラコナーズ・クロニクル」の美貌の味方・少女ターミネーター、キャメロンは可愛くて良かった。

 

※2009-9/16 ターミネーター

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AKBタカミナ騒ぎ

2012年02月19日 | 芸能ログ

 

○AKB48高橋みなみ母淫行事件 スポーツ報知報道自粛の舞台裏が明らかに

 

   スポーツ紙の雄、スポーツ報知が、"超一級の情報"流出で揺れている。「部内の雰囲気は最悪。バカなデスクのせいで、参りますよ」と現場記者は嘆きまくっている。

 「芸能デスク日誌」なるブログが、一般の目にさらされてしまった。現段階ではすでに一部を除き削除されているが、残された一部がこれまたエグい。

 「幅広く読まれることを前提にしていない内部文書ですから、正直に書きたい放題ですよ。よく新聞紙面に"デスク日誌"みたいな連載がありますが、どうせならこういうものを連載にしたほうがいい。単行本にしても売れると思いますよ」と同業他社のデスクは、対岸の火事とばかりに冷ややかだ。

 さらされた日誌では、高橋みなみの母親が淫行疑惑で逮捕されていたというニュースを受け、編集局幹部と「今後のことも考えてやりたくない」「そっちがやりたくないのなら入れなくてもいい」といったやり取りがあったことなどが事細かに説明されている。現場記者の報告、同業他社の動きなども生々しい。なぜ、このようなものが流出してしまったのか。関係者が明かす。

「この日誌はいわゆるデスクの引き継ぎノートですが、昨年までは普通のノートでやっていた。今年1月からブログでやり始めたようです、担当デスク4人だけがそれにアクセスできるものだったそうです。ところがデスクは、コンピューターに詳しくもない40代の連中ですから、セキュリティーなんてまったく無頓着。何かの手違いで公開されてしまった。ブログで引き継ぎをやっているということも、現場の記者の大多数は知らなかったようで、あきれ返りますよ」

 頭を抱える現場記者は「こんな情報が流出してしまったら、誰もネタなんて振ってくれませんよ。しばらくうちはダメでしょうね」と白旗状態。いっそのこと、この文章を「リアルデスク日誌」として出版したほうが儲かるのでは......?

 

○AKB高橋みなみに「我が道を進め!」 謝罪ブログに応援コメント1万7000件

 

    アイドルグループAKB48のメンバー、高橋みなみさん(20)が、ブログに謝罪文を掲載し、読者からコメントが殺到する事態になっている。高橋さんに関しては、母親が逮捕されたという報道が出ていた。

    2012年2月16日、約2週間ぶりに更新したブログ記事で、「皆さんお伝えする事が遅くなりごめんなさい」と書き出した。

  「私はやっぱりここに居たい」

    「この度はご心配をお掛けしてしまった事そして 大変お騒がせさせてしまった事 本当に申し訳ありませんでした、本当にごめんなさい」と謝り、「沢山の温かいコメントありがとうございます」と感謝している。

    この1週間、自分がどうするべきか色々考えていた。自分に対して色々な意見があることも知っていて、AKBにいない方がいいと思われても仕方ないと思っているが、

 「でも続けさせてほしいですコメントを読ませていただいてお手紙を読ませていただいて 劇場に立たせていただいて 私はやっぱりここに居たいと思いました」

    支えてくれている人に対しては、いつか自分が「夢を叶える」ことが恩返しだとしている。「こんな私ですがどうぞこれからも見守っていただけると幸いです よろしくお願いします」ということだ。

 「コレからも走り続けるんだろ そうだろ、たかみな」

  具体的に何について謝っているのかは書いていないが、高橋さんに関しては、母親が1月に逮捕されていたという報道が2月上旬に出ていて、その動向が注目されていた。

    報道が出た直後、コメント欄には励ましのメッセージが大量に寄せられていた。今回の記事についても、

 「たかみながAKB48のリーダーなんだから!!居て当たり前だよ!」
「我が道を進め!! お前はコレからも走り続けるんだろ☆そうだろ、たかみな」
「みなみを哀しみに濡らし傷付けようとする輩が居るのなら俺は鬼にいつでも成る」
「AKB48はたかみながいないと意味がないんだよ。俺はたかみなを尊敬してます」

 といった熱いコメントが殺到し、17日17時現在約1万7000件にもなっている。

 

 ○ブログで謝罪のAKB48高橋みなみ 母淫事件"被害"少年Aに逮捕の可能性も!?

 

   16日夜、AKB48の高橋みなみがブログを更新。一連の事件報道について「皆さんお伝えする事が遅くなりごめんなさい。この度はご心配をお掛けししてしまった事そして 大変お騒がせさせてしまった事 本当に申し訳ありませんでした、本当にごめんなさい」(原文ママ)と謝罪した。

 先日から一部で報道されている「AKB48メンバー実母が淫行容疑で逮捕」のニュース。9日発売の「週刊文春」(文藝春秋)の記事には、高橋みなみの母親がヤンキー少年Aと関係を持った経緯について詳細が記されている。高橋の弟と親しかった少年Aは、弟との関係を盾に母親へ迫ったとされ、母親は息子可愛さのあまりに断ることができず、数回に渡って少年Aと関係を持ち、東京都青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された。すでに略式起訴され、50万円の罰金刑が確定している。

 このニュースは一部の一般紙でわずか数行掲載されただけで、スポーツ紙や大手メディアは完全無視。ネット上ではAKB48側による"圧力説"がウワサされ、炎上状態となった。だが、各社がこの事件について自主規制した背景は別にもあるのだという。

「報道されている記事では高橋の母親が加害者と思う人もいるかもしれませんが、実際は限りなく被害者に近い。少年Aは地元でも札付きのワルで知られ、母親との最初の1回は半ばレイプに近かった。その後、あるモノを材料に母親を脅し、関係を何度も迫った。それで仕方なく母親は関係を結んでいたのです。母親が淫行容疑で逮捕されたのは事実ですが、現在、母親とAKB48側は弁護士を通じて、少年Aを脅迫罪などで提訴できないか検討しているそうです」(事情に詳しい人物)

 今後の展開次第では、少年Aが逆に逮捕されることも十分ありえるという。

「事件の詳細を把握しているマスコミは多く、総じて高橋サイドに同情的。少年A逮捕の可能性もあるということで、一旦、ことの推移を見ようという判断をした部分もある」(週刊誌デスク)

 現在の大手芸能マスコミではAKB48なしの紙面作りは成り立たず、ビジネス的な側面から多くの媒体が掲載を見送ったのは事実。だが、この事件に限っては「仮にAKB48ではなく普通のタレントだったとしても、報じなかったケースかもしれない」(同デスク)という側面もあるようだ。

 

○高橋みなみ母親逮捕報道にコメント…自分はどうすべきなのかを考えていた

 

  人気アイドルグループ『AKB48』の高橋みなみ(20)の母親(44)が7日、昨年11月に知人の少年(15)とわいせつな行為をしたとして、東京都青少年健全育成条例違反容疑で逮捕され、略式起訴となり、50万円の罰金刑が確定したことについて、高橋が16日付の派生ユニット『ノースリーブス』のオフィシャルブログを通じ、コメントした。

 同日午後11時前と遅い時間に「高橋みなみです」とのタイトルで掲載され、「皆さんお伝えする事が遅くなりごめんなさい この度はご心配をお掛けしてしまった事そして 大変お騒がせさせてしまった事 本当に申し訳ありませんでした、本当にごめんなさい」と、お詫びする高橋。

  ファンからの温かい言葉に支えられたというが、報道から1週間以上たったあとの更新について、「この一週間沢山 色々な事を考えていました 自分はどうすべきなのかを…」と、思い悩んでいたという高橋。

  「色々な意見があることも知っていますAKBに居ない方が良いんじゃないかと思われても仕方がない事だと思います でも 続けさせてほしいです」と、思いをぶつけると、「コメントを読ませていただいてお手紙を読ませていただいて 劇場に立たせていただいて 私はやっぱりここに居たいと思いました いつの日か自分の足で立って夢を叶える姿を見てもらうそれが支えて下さった皆さんへの恩返しだと思っています こんな私ですがどうぞこれからも見守っていただけると幸いです」としている。 

 

  

 まあ、でもタカミナ自身が悪い訳じゃねえしなあ。タカミナは頑張ってて偉いよ。グループの中でワガママ言って、態度でかくて勘違いしてる訳じゃないしさあ。育った環境が悪いんだろうけど、極端な例え、「あしたのジョー」だよ。母子家庭貧乏ヤンキーから成り上がろうとして、素直に身一つで一生懸命頑張り続けてるんだもの。て、本当のところは本人もAKB環境もAKB内情もよく知らないけど。ま、身内が足引っ張ったって話だよね。タカミナはあの大所帯AKBのリーダーなんだもの。年上もいっぱい居る中でさ。すごいよ、よくやってるよ。リーダーってのは大変な役目だもの。タカミナ、頑張れ。弟は馬鹿だが、もうちょっと考えて人生渡って、一生懸命頑張ってる身内の邪魔するなよ。お母ちゃんも、もう少し賢く行動しろよ。頭の悪い親も兄弟もよく考えて生きないと駄目だよ。

  

 

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剛腕・マイク・ベルナルド、逝く

2012年02月17日 | 格闘技ログ

 

“K-1”マイク・ベルナルド薬物自殺…藤原紀香「信じられない」

 

  格闘技イベント、K-1で活躍した格闘家のマイク・ベルナルド氏が15日、母国の南アフリカ・ケープタウンで急死したことが分かった。42歳だった。関係者によると、薬物で自殺したとみられる。

 ベルナルド氏が所属するジムの会長であるスティーブ・カラコダ氏(59)は本紙の取材に応じ、「ベルナルド氏は14日朝、自宅で大量の錠剤を服用して倒れていた。救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された」と話した。

 カラコダ氏によると、ベルナルド氏は2006年に引退を表明してからは母国・南アフリカに帰国。後進の指導に当たるとともにケープタウン市内の大学に通い、心理学を勉強していたという。

 一方、数年前に離婚。昨年12月にはカラコダ氏とともに会社を立ち上げたが、「多くの人に取り囲まれていたが、同時に孤独にもさいなまれていたようだ」(カラコダ氏)。別のK-1関係者は「ベルナルド氏は、精神的に不安定な面があった。敬けんなクリスチャンで、心の隙間を信仰心で埋めていたようだ」と語る。

 「豪腕」「無冠の帝王」と称されて格闘技ブームを牽引した立役者の急死に、格闘界、芸能界に動揺が広がっている。

 K-1中継の司会を務め、ベルナルド氏と親交のあった女優の藤原紀香(40)は自身の公式サイトで、「ベルちゃん(ベルナルド氏の愛称)はもうこの世にいません。いまはまだ信じられないけど、心からベルちゃんのご冥福を祈っています」などとコメントを掲載。同時期にK-1の舞台で活躍した格闘家、レイ・セフォー(41)が、14日未明に自身のツイッターに英文で、「冥福を祈ります」と投稿するなど、同僚選手らも次々と追悼のコメントを発表した。

 ベルナルド氏は1995年3月のK-1グランプリ(GP)大会に初参戦。翌96年のGP大会で準優勝を果たし、故アンディ・フグ氏らとともに「K-1四天王」の1人として活躍した。

 リング外でもカミソリメーカーのCMに出演。「切れてなーい」と叫ぶ愛嬌タップリの姿が、お茶の間の人気を集めていた。

 ■格闘技ジャーナリスト・片岡亮氏の話

 「ジェロム・レバンナやアーネスト・ホーストといった超大型ファイターたちと真っ向打ち合う姿は、元ヘビー級ボクサーのマイク・タイソンのファイトを目の当たりにしたときと同じくらいの衝撃を覚えたものです。豪腕でひたすら敵を打ちのめす単純明快な格闘技の魅力を体現し、興味がなかった一般人も魅了し、K-1全盛期の最大の功労者といっても過言ではありません。豪腕の印象とは裏腹に、ファンににこやかに手を振り、『ベルちゃん』の愛称で呼ばれるなど多くの人に親しまれた。それだけに(自殺などの報道は)いまだに信じられません。近年は、悩みが多く、人と会うことも拒絶するほど落ち込む日もあったと聞いています。いまは残念の一語です」



○K1ベルナルドさん急死、薬物大量摂取か

 

   K-1の人気選手だったマイク・ベルナルドさんが14日(日本時間15日)、南アフリカ・ケープタウンで急死した。42歳だった。詳しい死因は明らかにされていないが、現地報道や関係者によると、薬物摂取による自殺とみられる。95年からK-1に参戦し、「剛腕」と呼ばれた強打を武器に、故アンディ・フグさんやピーター・アーツらと激闘を繰り広げ、「四天王」の1人と言われた。リングとは対照的な人懐っこいキャラクターで、テレビ番組やCMにも出演し、お茶の間で人気を博した。06年の引退後は、母国で後進の指導にあたっていた。

 

 K-1のレジェンドが突然、帰らぬ人となった。現地メディアや関係者の話によると、ベルナルドさんはケープタウンの自宅で倒れ、緊急搬送先の病院で亡くなったという。薬物の大量摂取による自殺が有力視されているが、敬虔(けいけん)なクリスチャンとしても知られており、死因の詳細は明らかにされていない。現在、警察当局が調査していると思われる。

 

 ジム、選手関係者からの連絡で訃報に接したK-1の谷川貞治イベントプロデューサー(EP=50)は「驚いたし、残念でしかたない。タレント性があり、野獣的でパワフルな選手だった。実は繊細なところがあって、最近は精神的に厳しい状況だと聞いていたので、心配していた」と故人をしのんだ。現役時代には手にしなかったたばこを吸い、過去4度も自殺未遂を起こすなど、精神的に不安定な時期があったという。

  ベルナルドさんは95年のK-1 GP(現WORLD GP)で初参戦。その初戦で優勝候補のアンディ・フグさん(故人)にKO勝ちして衝撃デビューした。翌96年のGP決勝では3連覇を狙ったアーツをKOする快進撃で準優勝。その後もジェロム・レバンナやミルコ・クロコップら強豪としのぎを削り、フグさん、アーツ、アーネスト・ホーストとともに「K-1四天王」と呼ばれた。

  リング外では温厚でユニークな人柄で、テレビ出演を通してお茶の間でも親しまれた。中でも、ひげそりメーカーのシック社製「プロテクター」のCMは、そり上げた頭でほほ笑みながら日本語で言う「切れてなーい」のセリフで話題になった。06年9月の引退式では、早実の斎藤佑樹投手(現日本ハム)をまねて青いハンカチで汗を拭いてみせた。結婚式を日本で挙げるなど大の親日家でもあった。

  00年にはプロボクシングに転向し、マイナー団体のWBF世界ヘビー級王座を獲得した。だが、同年8月にフグさんが白血病で急死すると、盟友の遺志を継ぐためにK-1復帰。タイトルこそ手にできなかったが、情熱的なファイトでファンを魅了した。

  現役引退後は07年のK-1 TRYOUTで、後にヘビー級王者となる京太郎(現プロボクサー)や元プロ野球ロッテなどで強打者として活躍した立川隆史氏らを母国に招いて指導。スポーツ心理学の勉強にも熱心だった。現在もベルナルドさんの直筆サインが入ったヘッドギアを練習で使用している京太郎は「温かい人だった。ジムの経営やボランティア活動で忙しい中、指導してもらった。あの人の思いを胸に刻んで格闘技人生を歩みたい」と残念がった。

  格闘技界黄金期に活躍、多くの人々に愛された「無冠の帝王」。再び世界の表舞台に立つことなく、あまりにも早く逝ってしまった。

 

ベルナルドさん死去、アーツ「悔しい」

 

  「K-1 WORLD GP」で活躍したマイク・ベルナルドさんが14日(日本時間15日)、母国の南アフリカ・ケープタウンで死去した。42歳の若さだった。死因は不明で自殺とみられる。

 ベルナルドさんらと「K-1四天王」と称されたアーツはこの日、IGF東京ドームシティホール大会(17日)に向けて都内で練習を公開。「一緒に酒を飲んだこともある。まだ若いのにもったいない。悔しいし信じられない」と気丈に話した。また、フジテレビのK-1中継にゲスト出演し、ベルナルドさんと親交があった女優の藤原紀香は自身の公式サイトで「悲しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうです。心からベルちゃんのご冥福を祈っています」とコメントした。

 

 

 マイク・ベルナルド選手も強かったなあ。K-1黄金時代の選手はみんな、怪物的に強かったなあ。まだ、セーム・シュルトとかチェ・ホンマンとかボブ・サップとかの、本物の怪獣的怪物が登場する前の、あくまでK-1立ちワザ格闘技の、重量級の迫力を、精緻な技術と共に凄まじい破壊力で、これでもかと見せ付けた、プロスポーツ格闘技のシビレル魅力。あの時代のK-1は、本当に面白かった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ジェロム・レ・バンナ、アンディー・フグ、レイ・セフォー、ミルコ・クロコップ・ジュニア、ステファン・レコ、サム・グレコ、スタン・ザ・マン、マイク・ベルナルド‥。古くはブランコ・シカティックやロブ・カーマン。佐竹雅昭。一試合、一試合、全てのファイトが迫力あって、本当にみんなメチャ強かった。格闘技ファンに毎回、すごい試合を見せてくれて、胸いっぱい堪能させた。格闘技K-1が、メチャクチャ面白い時代だったなあ。剛腕、マイク・ベルナルドのファイトもすごかった。あの一発のパンチの、重量級の迫力ったらなかったよ。アーツは無敵に、メチャクチャ強かったし、やっぱ、重量級選手はワンパンチの破壊力が凄まじかったし、そういう選手はけっこう居た。ベルちゃんもバンナも。それとは違って、素晴らしいテクニックで試合を運ぶ、どっちかというとヘビー級では細身に見える選手。ステファン・レコとか。精密機械、アーネスト・ホーストの技術は芸術的だったね。佐竹雅昭も強かったし、面白い試合を見せたよなあ。アンディー・フグもかかと落としだけでなく、精緻な技術があった。面白かったなあ、あの時代。憧れまくったなあ、K-1ヘビー級の超人たちに。

 ベルちゃん、死んじゃったのか。アンディー・フグも何だか知らぬ間に、あっと言う間に死んでしまったし。ベルちゃんの結婚式が東京でもあって、その時、レイ・セフォーとかアーツとかベルちゃんのK-1ファイターの親友、仲良し4人組みたいので、結婚のお祝いの歌を披露宴で歌ってた。あの結婚も、結局は別れちゃったのか。離婚は相当なストレスが掛かるというしな。死亡原因が自殺が濃厚ということだけど、内側から支えてくれる家族が居なくて家庭もない、というのは、精神的に参っている時期には、リスクが大きかったんだろうな。現役時代でも最高潮が急に来て飛ぶ鳥落とす勢いかと思いきや、何故か急にしぼんじゃった感じだもんね。何か、急に実力が落ちちゃった感じ。あ、そういえば一度、ヘビー級ボクシングに転向していた時期もあったんだな。ジェロム・レ・バンナも一時期、ヘビー級ボクサーやってたけど。往時のファイトで思うように行かなかったし、現役時代に存分に実力が出し切れずに引退しちゃって、不完全燃焼気分でその後のトレーナー人生もモヤモヤして過ごしてたのかな? でも、あの年齢からまた大学行って心理学を学んでいた、とかすごいですね。あれだけの剛腕ファイターだったけど、本当は頭も良かったんでしょうね。42歳は惜しいなあ。若過ぎる死。何だか、結婚してから下り坂になったような。サゲマン? なんて言ったら元奥さんに怒られますよね。でもやっぱ、離婚はネックだったように思うなあ。それと、精神的な心理状態的なものばかりでなく、ああいう激しいスポーツは、特にプロ格闘技でヘビー級のメガトンパンチを喰らい続ける仕事だし、脳味噌そのものにも影響があったんじゃないかなあ。あれだけの重量級過激パンチや蹴りが繰り返し当たれば、頭蓋骨に炸裂するんだし、脳味噌にしてみたらたまらないダメージだよねえ。いってみれば、パンチドランカーにも類するような後遺症の原因もあるんじゃないのかなあ。まあ、解りませんけど。だいたい、プロレスラーとか大相撲の人は、早死にが多いって聞くけど、あれは太り過ぎが大きいだろうし、無論、度重なる肉体打撃ダメージはあるでしょうが。キックボクサーとかボクサーは、もろ、頭部ダメージが大きいですからねえ。42歳って、若くて勿体なさ過ぎるけど、マイク・ベルナルドさん、御冥福をお祈りいたします。クリスチャンでしょうけど。

 しかし、あの、90年代、2000年代初頭の格闘技シーンが、今はウソみたいですよねえ。あの時代の格闘技熱は、メチャメチャ熱かった時代だったけど。僕の30代とK-1勃興時と隆盛期が重なるんですよねえ。また僕は調度、30歳から空手を習いに行って、僕の30代は武道・武術オタク時代だったし。あの時代、K-1ヘビー級のスター達に、ひたすら憧れまくってたなあ。極真の怪物、一撃・フランシスコ・フィリオの登場なんてゾクゾクしたものです。 もう、何だか懐かしい時代。帰らない時代。格闘技ファンにはもう一度帰って来て欲しい時代かも知れないけれど。

 

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太平サブロー・シロー漫才

2012年02月12日 | 芸能ログ

 

○大平シローさん急死 サブローと名コンビ

 

  漫才コンビの太平サブロー・シローとして80年代の漫才ブームで人気を博した、タレントの大平シローさん(本名・伊東博)が9日、大阪府内の病院で亡くなった。55歳だった。死因は不明。所属事務所によると、シローさんは今月4日に大阪市内の事務所で突然倒れ、医師から「難治性心室細動」と診断されていたという。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。

 昭和の漫才ブームを沸かせた人気者が、静かにこの世を去った。まだ55歳。早すぎて、突然すぎる旅立ちとなった。

 所属の吉本興業によると、シローさんは4日昼ごろ、大阪市内の事務所で仕事中に突然倒れ、スタッフの通報で病院に緊急搬送された。一時は心肺停止となり、蘇生措置で一命は取りとめたものの、意識不明の状態が続き、回復することなく9日午後2時32分、息を引き取った。医師からは「難治性心室細動」と診断されていたが、現在のところ死因は不明。最期は、両親ら親族と一部の弟子がみとったという。

 75年に漫才トリオ・レツゴー三匹に弟子入りしたシローさんは、76年に大平サブロー(55)とコンビを組み、太平サブロー・シローとしてデビュー。80年代の漫才ブームで、紳助・竜介、オール阪神・巨人、ツービート、B&B、ザ・ぼんちらとしのぎを削り、若手ながら一気にスターダムへと駆け上がった。サブローとの息のあった掛け合いで、「花王名人劇場 花王名人大賞」や「上方漫才大賞」などの賞を総なめにし、万人から愛される笑いを届けた。

 昨年、芸能界を引退した島田紳助さん(55)も、サブロー・シローのお笑いセンスをリスペクトしていた。紳助さんは85年に紳助・竜介を解散して漫才から身を引く際、「サブロー・シローとダウンタウンには勝たれへん」と“完敗”を認めていたほどだった。

 順調だったはずの漫才人生は、80年代後半に一転した。88年4月に、所属していた吉本興業をケンカ別れの形で飛び出したため、芸能界追放の状態に。92年にはサブローとのコンビを解消。同年、参院選に出馬するも落選し、失そう騒動まで起こした。

 97年には紳助さんの仲介もあり、放送作家として芸能界に復帰し、98年に吉本興業に戻ることも許された。その際、芸名を太平から大平に改めた。その後は、タレント業や劇団での役者業に加え、自身がプロデュースしたお笑い興行を定期的に開催。その一方で、飲食店を経営するなどしていた。最近は表舞台から遠ざかっていたシローさん。波瀾(はらん)万丈の人生は、あまりにも短い55年という時間で幕を閉じた。

 

○大平シローさん急死 55歳、心室細動…サブロー「信じられない」

 

  漫才コンビ「太平サブロー・シロー」(旧コンビ名)として1980年代の漫才ブームを築いたタレント・大平シロー(本名・伊東博)さんが9日午後2時32分、大阪市内の病院で死去した。55歳だった。シローさんは4日に大阪市内で倒れ、心肺停止に。その後、一時蘇生したものの、意識不明の状態が続き、ついに帰らぬ人となった。葬儀・告別式は近親者のみで行われる。

 漫才の歴史に一ページを築いた大物が、その生涯に早過ぎる幕を下ろした。所属の吉本興業によると、シローさんが倒れたのは4日昼ごろ。大阪市内にある自分の事務所だった。緊急搬送されて一命は取り留めたが、意識不明状態に。心臓が小刻みに震え、全身に血液を送れなくなる「難治性心室細動」と診断された。懸命の治療のかいもなく、この日帰らぬ人に。両親、弟子らが最期をみとったという。

 シローさんは1975年、松竹芸能の漫才トリオ・レツゴー三匹に弟子入り。76年に大平(当時太平)サブロー(55)とのコンビでデビューした。80年代にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞など多数の賞を獲得。先輩芸人らのモノマネも得意とし、人気者となった。88年、サブローと一緒に吉本を離れ、東京の芸能事務所に移籍。全国区の活躍を見込んでの移籍だったが、これが苦難の幕開けだった。

 大プロダクションの吉本に反旗を翻した影響は大きく、仕事は激減。コンビ仲にも亀裂が入って92年に解散。参院選に出馬するも落選し、ノイローゼ説や失跡騒動まで浮上した。サブローはこの苦境に耐えられず、93年に吉本に復帰。しかし、シローは自らの才能に対するプライドから謝罪を渋り、吉本への復帰を認められたのは6年後の98年だった。

 復帰後は昨年、芸能界を引退した島田紳助さん(55)らの後押しで放送作家としても活動したが、芸人としてひのき舞台に立つことはなく、一時、新たなコンビを組んだこともあったが、長続きしなかった。

 関係者によると、近年はほとんどタレントとしての活動をしておらず、大阪市内での居酒屋やバー経営が生活の中心だった。旧知の芸人らも、もはやシローさんを芸人とはみなしておらず、調理人として「大将」などと呼んでいたという。居酒屋経営は順調だったようだが、日頃の不摂生が続いていたためか、大幅に体重が増加、健康状態が心配される様子だったという。

 ◆サブロー悲痛
  シローさんとのコンビで、一世を風びした大平サブローは9日深夜、吉本興業を通じてコメントを発表した。「55歳というあまりにも若い年齢でのことにショックを受け、まだ信じられない思いです」。コンビ解散後は絶縁状態と言われた時期もあり、「どうしているんだろうなと思うことが多かった」と、近年も親交がなかったことをうかがわせた。

 ただ、現在のサブローがあるのもコンビで出発したからこそ、という思いは強い。「僕が世に出ることができたのも、『サブローシロー』というコンビがあったおかげ。ましてやシローさんという天才芸人と一緒にやれたことが、今、現在もこの世界で何とかやれることになっていると思います」と感謝の思いを表現した。

 山田邦子(「オレたちひょうきん族」などで共演)「同じ青春時代を過ごし、よくお酒を飲んだ同志。当時のサブシロは格好良く、シローさんはストイックでいろいろな夢を見ていた。『(米の番組)「サタデーナイトライブ」のジョン・ベルーシみたいになりたい』と熱く語り、彼のビデオを米国で買ってきたらすごく喜んだ。一方でネクラなところもあって、政治家になると言って騒がせたのも彼らしい。2人とも最近は大人になって、これから楽しみだったのに…」

 ◆大平(たいへい)シロー 本名・伊東博。1956年10月30日、大阪・泉大津市出身。子役から松竹芸能の俳優養成所に入り、レツゴー三匹に師事。76年、養成所で知り合った太平サブローと「太平サブロー・シロー」結成。吉本興業に移籍し、西川きよしらのものまねで人気を呼び、80年代の漫才ブームを支える。フジ系「オレたちひょうきん族」などに出演。86年、上方漫才大賞受賞。92年コンビ解散。99年、放送作家として芸能界復帰。

 ◆難治性心室細動 心臓の心室が痙攣(けいれん)した状態になり、全身に血液を送れなくなる。数秒で意識がなくなり、数分続くと死亡する。心臓に血液を送る冠動脈の異常や、心筋への血流低下が主な原因に。自動体外式除細動器(AED)による電気ショックで細動を防ぎ、正常な心拍のリズムに戻す治療が中心。2002年11月に高円宮憲仁さまは、この心室細動で亡くなっている。

 

 

 

 ホントに、太平サブロー・シローの漫才は面白かったなあ。あの時代、楽しくて大好きなお笑いだった。太平サブロー・シロー漫才にはハズレがなく、いつも爆笑した。今の大平サブローさんが、大平シローさんを「天才」だった、と評していたけど、やはり、ああいう面白さを出せる人って、天才だよなあ。例えば明石家さんまも島田紳助もそうだけど、ああいうふうに普通の会話の中に、即座にしかも幾つでも無限に、おかしいこと、面白いこと、ゲラゲラ笑えること、ギャグを入れ続けていける人って、やはりそれは「天才」なんだろう。普通の人ではとても出来ない。あの時代、太平サブロー・シロー漫才はもう、台本なんか考えてなくて、打ち合わせなんて簡単な設定だけで、後は舞台での即興だったらしい。そんなもので会場の大爆笑を取る。本当に「すごい!」と思う。ああいうのは、やはり「お笑い」の天分であり、戦後歴代を飾るお笑いのスターたちは、やはりその道の「天才」ですね。

 お笑いの天才児の一人でもあった大平シローさんは、漫才舞台で見せる顔とは真逆の、繊細な人であったらしい。とても気を使い、細心の注意を払う、神経の細やかな人。クレバー。ナーバス。ナイーブ。一面、そういう人でないと、クリエイティブな才能は現せないのかも知れない。

 昭和のバブル突入期の漫才ブームから「ひょうきん族」の時代。あの時代の「お笑い」は本当に面白かったなあ。おかしかった。昭和後期の輝けるお笑いのスターたちが居た、ひょうきん族は「お笑い」の宝庫でしたね。55歳はあまりにも早過ぎる。波乱万丈、全速で駆け抜けた人生だったんだろうか。大平シローさん、御冥福をお祈りいたします。

 

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