うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

小沢昭一さん逝く‥

2012年12月24日 | Weblog

○小沢昭一さん83歳で死去 独特な一人語りもう聞けない

 

    俳優でエッセイストの小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。83歳だった。個性的な脇役として舞台や映画で活躍したが、日本の伝統芸能に興味を持ち、研究の道へ。芸能にまつわる数々の著書を残すと同時に、劇団を主宰するなど幅広い活動で知られた。1973年にスタートしたTBSラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」では、名パーソナリティーとして幅広い層に親しまれた。

 40年近い間、ラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で独特な語り口と豊富な話題でリスナーを楽しませ続けてきた小沢さん。その声を聴くことは、もうできなくなってしまった。

 所属事務所によると、1998年に前立腺がんが見つかり、定期的に治療を続けていたが、一昨年、頸椎(けいつい)に転移。今年8月に検診を受けた際、体力低下の診断を受けて入院することになった。一時退院したものの、9月13日に再入院すると同時にラジオの休養を発表。が、入院中は売店に自力で歩いて買い物に行けるほど元気だったという。

 本人の意向で10月22日に退院。外出なども控えて療養に専念した。11月にはラジオに肉声でのメッセージを寄せるなど復帰に意欲をみせていたが、今月10日未明に容体が急変。妻の英子さんにみとられながら息を引き取った。

 マネジャーを務める津島滋人さん(63)は「ラジオは生活の一部だった。休んでから寂しそうだった」という。先週、小沢さんを見舞った際は、ベッドに横になっていたが、津島さんを確認すると「ヨッ」と右手を上げたという。

 早大在学中から演劇に目覚めた小沢さんは俳優座養成所に入所。卒業後、すぐ舞台に立ち、俳優としてのキャリアをスタートさせた。その後、映画に活躍の場を広げ、主に日活作品に出演。三枚目の脇役を好演することが多く、川島雄三監督の「幕末太陽傳」、その弟子で大学時代の同級生でもあった今村昌平監督の「にあんちゃん」など、映画史に残る名作に多数、出演した。

 俳優として着々と歩んでいた小沢さんに転機が訪れたのは69年。初の著書「私は河原乞食・考」を出版したことだった。以前から興味を持っていた日本古来の芸を研究した成果と、自分の芸観を発表したことで、自らの中に眠っていた伝統芸能への情熱に火がついた。71年にはレコード「日本の放浪芸」シリーズを発売、同年の日本レコード大賞で企画賞を受賞した。

 73年には「小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙な一人語りで注目を集め、放送回数が1万回を超す人気番組になった。82年には「劇団しゃぼん玉座」を創設。井上ひさし作品などを全国各地で上演するほか、歌手としてもコンサート活動を行っていた。

 芸能のあらゆる分野で精力的な活動を続けていた小沢さん。誰よりも日本の芸能を愛していた人が、静かに逝った。

 ◆小沢 昭一(おざわ・しょういち)本名・小澤昭一。1929年4月6日、東京都生まれ。51年に初舞台を踏み、映画、舞台で活躍。著書に「ものがたり 芸能と社会」「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」など多数。94年に紫綬褒章、2001年に旭日小綬章を受章。04年には愛知・犬山市の「博物館明治村」の村長に就任。「小沢変哲」という俳号の俳人でもあり、永六輔らと「やなぎ句会」を発足している。

 

最愛の妻に看取られ…小沢昭一さん、先月16日のラジオ出演が最後の仕事に

 

  俳優でエッセイスト、小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため死去した。83歳だった。自宅で夫人の英子さん(79)に看取られ、亡くなった。小沢さんは1998年に見つかった前立腺がんが、2010年に頸椎(けいつい)に転移。入退院を繰り返し、10月22日に退院してからは自宅療養しながらラジオ番組の収録をするなど、本格復帰へ並々ならぬ意欲を見せていた。が、それもかなわず、帰らぬ人となった。(サンケイスポーツ

 個性的な脇役として活躍し、日本の語り芸にも通じた小沢さんが、大好きだった自宅で最愛の妻に看取られ、逝った。

 関係者によると、9日深夜、英子さんが小沢さんの異変に気付いたが、手を施す時間もないまま息を引き取った。苦しんだ様子はなかった。

 小沢さんは1998年に前立腺がんが見つかり、2010年に頸椎への転移が判明。11年2月にがんを公表後、入退院を繰り返しながら闘病生活を続けてきた。が、今年8月に体調不良と体力低下で約10日間入院。9月13日に再入院したものの「自宅に帰りたい」という強い意志を主治医が尊重し、10月22日に退院して自宅療養に入った。

自宅では、出版を予定していた俳句集や自ら撮影した写真集の打ち合わせをこなしてきた。今月17日にはTBSラジオ系の長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の収録を予定するなど、最後まで本格復帰に意欲をみせた矢先の死だった。この1カ月間は食も細くなり、点滴と流動食に近い食事をしていたという。

 先月16日放送の「-小沢昭一的こころ」への出演が最後の仕事に。自宅のベッドで声を収録した際には「早く元気になって、この心の空(くう)の穴を、みなさんと埋めていきたい、そう思うんであります。よろしく」と小沢節を披露した。

 小沢さんは早大在学中に俳優養成所に入所。卒業後に俳優座公演で初舞台を踏み、大学の同窓だった故今村昌平監督の紹介で54年に映画デビューを果たした。「幕末太陽伝」「にあんちゃん」など多くの映画に出演し、脇役中心ながら、鮮烈な存在感を示した。特に性風俗を描いた今村監督の「『エロ事師たち』より 人類学入門」で主演し、賞を総なめに。以降も名脇役として200本以上の映画に出演した。

 73年には「-小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙洒脱な語りが人気を集め、放送1万回を超すギネス級の長寿番組に。また、浪花節や猿回しなどの伝統芸、放浪芸の収集にも力を注ぎ、69年に著作「私は河原乞食・考」を刊行。早大演劇科大学院に入学して芸能史研究を深めるなど、小沢さんならではの視点から放浪芸を見つめ直した。

俳優にとどまらず、芸能と風俗を愛した昭和の語り部が、また1人天国へ旅立った。

ラジオのこころ (文春新書) [単行本]

道楽三昧―遊びつづけて八十年 (岩波新書) 

■ 日々談笑 小沢昭一対談集 (ちくま文庫)

夢は今もめぐりて~小沢昭一がうたう童謡

■ 辻説法 (紙ジャケット仕様) 野坂昭如,小沢昭一,永六輔, Akiyuki

小沢昭一の小沢昭一的こころ ゴールドボックス

小沢昭一の「新日本の放浪芸」~訪ねて韓国・インドまで~ [DVD]

 

   小沢昭一さんといえば、やはり僕も、ラジオの「小沢昭一的こころ」ですね。僕が聞いていたのは相当昔な話で、僕が二十代後半、僕が当時勤めていた企業の、東京都心部の中央の営業所から飛ばされて、群馬大田や埼玉熊谷・行田に居た頃のコトですね。夕方でしたよね。午後から会社セールス車バンを運転して田舎道をあちこち走って、夕方・夕暮れ時、調度、営業所に帰って来る道のりだろうか。田舎の営業所のテリトリーは広いから、田舎道を相当遠くまで走って行ってましたけどね。埼玉の関東平野、田圃と畑ばっかりのところ、ひたすら。お客によっては行って帰って来るだけで三時間近く、とか。まあ、ここでは、当時の私の仕事の有様、成績などを語るのは省かせて貰いますけど‥。当時のバンのカーラジオで毎日毎日聞かせてもらってましたよ、一回の時間は短い番組でしたが、「小沢昭一的こころ」。あの当時、いっぱい爆笑もさせて貰っていたと思います。今から思い出すと、あの頃は、会社のバンで、一日中、関東平野を走り回っていたという感じでしたから、ラジオは毎日の友達でしたね。まあ、一応、営業業務で、バンは一人で運転して回っていたから。懐かしいな。

 僕が継続的読書を始めたのは、16歳で高二の春からですが、最初に虜になった作家は、松本清張と五木寛之です。そして、五木寛之ほどではなかったけど、当時の売れっ子作家、野坂昭如に辿り着く。野坂昭如には心酔してしまいました。憧れ、信奉。あの時代の僕の「人生の師」みたいな存在でした。五木寛之も野坂昭如も、放送作家やCMソングの作詞家など、当時のメディア方面から出て来て小説家として売れた人ですね。小説で流行作家となってからは、五木寛之さんは文筆業一本でしたけど、野坂昭如さんは小説やエッセイ集も人気作家でしたが、メディアでの活躍は八面六臂で、タレント業から歌手(シンガー)としてもステージに立ってました。売れなかったけど、野末陳平さんと漫才師をしてたコトもあったそうですね。17、18、19歳頃の僕はもう、まるで野坂昭如教信者みたいなもので、当時の野坂小説も、直木賞受賞作の「アメリカひじき・火垂るの墓」も含めて、長編・短編集いっぱい読んだし、エッセイ集も大好きでした。特に野坂さんの数々のエッセイには、当時の若き僕は、相当影響されたと思っています。あの当時、野坂さんメイン司会のバラエティー番組もあったな。後に、野坂さんは政治の世界にまで入って行ったりするし、その後も「朝まで生テレビ」や「TVタックル」などの討論番組で、言論人としても活躍して行く訳ですけど。まあ、僕自身が野坂信者だったのは、10代の終わりまでですけど。

 小沢昭一さんでした。野坂昭如さんは、僕が高三くらいの頃、歌手として、「黒の舟歌」とかヒットさせて活躍してたんだけど、当時、小沢昭一さんともコラボというのか、一緒に組んで歌のステージをやってました。「中年御三家」のライブ。「中年御三家」って、小沢昭一と野坂昭如ともう一人は、永六輔さんだったっけか。そういえば、あの当時、野坂昭如ソロのオリジナルアルバムのレコードを買って来て粗末なステレオで聴いてたな。「バージンブルース」や「マリリンモンローノーリターン」だとか。懐かしい。小沢昭一さんの歌う、「♪ハーモニカが欲しかったんだよ~」という歌は何度か聴いたけど、ジンと来ていつも涙が出そうになってた。この「生きたまま極楽」の記事は訃報ニュースが多いんで、訃報ニュースに寄せる僕のコメント文もいつもいつも同じになっちゃうんだけど、やはり、昭和を作った人々、昭和を彩って来た人々、子供の頃や青年時代、TVなどのメディアでしょっちゅう見聞きしていた有名人たちが、鬼籍入りしてこの世を旅立って二度と帰っては来ないというのは、本当に寂しいものです。昭和は遠くへ、遠くへ、と‥。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボイジャー1号

2012年12月08日 | Weblog

太陽系の中外をつなぐ「磁気ハイウエー」、ボイジャー1号が発見

 

  米航空宇宙局(NASA)は3日、探査機「ボイジャー1号(Voyager 1)」が太陽系の端で、これまで全く予測されていなかった「磁気ハイウエー」に遭遇したと発表した。

 打ち上げから35年経つボイジャー1号は今年、主要指標の値が上昇したことから「ヘリオポーズ(太陽圏界面)」と呼ばれる太陽系と星間空間の境界に近づいているとの期待が高まっていた。

 だが、太陽から噴き出る荷電粒子の影響圏から抜け出る代わりに、ボイジャーは全く予測されていなかったものと遭遇した。

 ボイジャー1号から毎日送られてくるデータによると、この領域では低エネルギーの荷電粒子が徐々に減少し、外側から高エネルギー粒子が流れ込んでおり、太陽の磁力線が星間磁場につながっていることが示唆された。

 この領域の外では、荷電粒子がまるでヘリオスフィア(太陽圏)内部の「一般道」にはまったかのように四方八方にに跳ね回っていたことから、プロジェクトチームはこの領域を「磁気ハイウエー」と呼んでいる。

 チームに加わる科学者の1人、米カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)のエドワード・ストーン(Edward Stone)氏は「ボイジャー1号はまだ太陽圏の中にいるが、粒子がこの磁気ハイウエーを高速で出入りしているので、太陽圏の外側がどんな様子なのかを垣間見ることができる。これが星間空間に飛び出す前の最後の区間だと考えている。あと数か月か、長くて2~3年しかかからないだろう。新たな領域はわれわれが予期していなかったものだが、ボイジャーから予想外の何かが届くことは織り込み済みだ」と述べた。

 ボイジャー1号は現在、太陽から約180億キロ離れた位置にある。この距離は地球-太陽間の122倍にあたるが、ボイジャー1号から地球に無線信号が届くには17時間しかかからない。(c)AFP/Mira Oberman

 

太陽系、想定より大きかった 探査機「ボイジャー」が新たな領域に到達 NASA

 

  (CNN) 米航空宇宙局(NASA)は3日、1977年に打ち上げられた無人探査機「ボイジャー1号」が、太陽系の果てに近い新たな領域に到達したと発表した。

ボイジャーは現在、太陽から約180億キロの距離にあって、NASAのこれまでの説明によれば、間もなく太陽系の果てに到達するはずだった。

しかし磁力線の方向が変わっていないことから、NASAではボイジャーがまだ太陽系内にいると判断した。星間空間に到達すれば、磁力線の方向が変わると予想している。今回到達した領域は、太陽系の磁気粒子と、太陽系外の星間空間の磁気粒子が合流する地点とみられる。

プロジェクト関係者は「これは星間空間に向けた旅の最後の行程と思われる」と説明、あと数カ月から数年で太陽系の果てに到達するとの見通しを示し、「新しい領域は予想外だったが、ボイジャーの発見は予想外のことばかりだ」と語った。

ボイジャー2は別の行程をたどっていて、現在、ボイジャー1より太陽に数十億キロ近いところにある。

 

 ボイジャー1号なんて、すっかり忘れていた。何と打ち上げは1977年という、今から35年前で、今居る地点は太陽から180億キロ離れた場所。太陽~地球間距離の122倍にあたる。素人はボイジャー1号・2号のことなんてすっかり忘れていたが、ボイジャーは健気にも35年経った今でも毎日通信を送って来ているという。その通信が届くのが光の速さで17時間後。アインシュタインの言う、この速度は万物最速で何者もこれを追い越す速度は出せませんよ、この速度を追い抜く者は未来永劫この世にはありませんよ、という光の速度で17時間。ネットの掲示板関係でコメント読んでたら、光速での一年間の距離、一光年は9兆キロ以上らしいね。180億キロって、一光年にも程遠い、どころかあまりにも遠過ぎる。太陽系に一番近い恒星系のケンタウルス座星系で、4.6光年は離れているんでしょ。確か。調べて確認してなくてゴメンナサイだけど。そんな、人類とは別の知的生命体に出会うなんて、ありうる訳ないじゃん。未来永劫、ないでしょ。また、向こうがどんなに人類よか進んだ文明持ってても、地球になんて来れる訳ないでしょ。だって、想像も着かないけど、一番近いケンタウルス座系でも、45兆キロくらい先だし。ボイジャー、35年掛けて180億キロだよ。まあ、宇宙の話は桁外れ過ぎて、想像も着かない数字ばかりだけど。人間の好奇心とか知的欲求はすごいもんだね。

 ネット掲示板のコメントの中に、ボイジャーがビジャーになって帰って来るお話の、1979年の映画「スタートレック」に関して書き込んだものがあって、そういえば当時20歳代前半の僕はこの映画を、当時の日比谷か何処かのロードショー館で見たな、と思い出して懐かしかった。実際のボイジャーの中には、人間のことをイラスト豊富に絵文字的に詳しく書き込んだ金属板を積んである、という話だった。人間の進化や文明、人間のDNAとか。ひょっとしてひょっとしたら、万が一、億が一くらいの確率で、ボイジャーが異性人に、地球外文明に出会うかも知れないから、その時のために、と。まあ、多分、ないだろうな、とは思うけど。ボイジャーは、冥王星軌道は越えたんだろうな。エッジワース・カイパーベルトはどうなんだろう?それも越えた? 調べたら、冥王星までの距離は平均50億キロ以上くらいだな。180億キロまで行っている、ということは、冥王星のさらにさらに先まで行ってるんだな。もうカイパーベルトを越えているのか? オールトの雲の中か? オールトの雲も出たら、何もない宇宙空間。果てしない‥。

 「トワイライトゾーン」と並ぶ、60年代のアメリカ輸入のSFドラマで「アウターリミッツ」というのがあったんだけど、多分、僕の記憶では、僕の育った地方では「宇宙の神秘」という邦題を着けて毎週日曜日の午後に流してた。と思う。僕の小学校低学年時代だけど。この題名のように宇宙は本当に神秘だ。途方もない、想像も着かない数量ばかりが出て来て、とりわけ脳味噌のデキのよろしくない僕のような凡人の下みたいな人間には、とても理解できない理論や数字ばっかりだけど、宇宙は神秘そのもので、宇宙は素敵で、宇宙の情報には心トキメキさせられますね。夢があって、ワクワクさせられる。

 

ビジュアル 宇宙大図鑑 太陽系から130億光年の果てまで [大型本]

 

宇宙―太陽系とその惑星から銀河宇宙の果て、地球外生命探査まですべてがわかる [単行本]

 

アウターリミッツ 完全版 2nd SEASON DVD-BOX

スター・トレックI/リマスター版スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水星に水

2012年12月06日 | Weblog

○水星に大量の氷存在 NASA探査機が初確認

 

  太陽に最も近い惑星の水星で、日の当たらないクレーターの奥に大量の氷が存在していることを突き止めたと、米航空宇宙局(NASA)の研究チームが30日、米科学誌サイエンスに発表した。

 水星を周回する探査機メッセンジャーの観測データを分析した。氷は20年近く前から地球上の電波望遠鏡による観測で存在の可能性が指摘されていたが確証が得られたのは初という。

 NASAによると、水星の赤道付近の温度は日中400度以上になる一方、自転軸が傾いていないため北極や南極のクレーターには永久に日陰の部分があり、氷が存在できる。研究チームは、探査機の3種類の観測データから両極に存在する氷の量は計1千億~1兆トンに上ると見積もった。

 水分は過去に衝突した隕石や彗星に含まれていたらしい。生命は存在しないとみられるが、チームは「ほかの惑星で生命が存在し得る条件を探るのに役立つ」としている。

 

  僕は、水星はあまりにも小さくて自転していないのかと思っていたけど、自転はしてた。僕は子供の頃からSF好きだったから、青年前期くらいの年齢になると、宇宙のことにも関心が強く、若い頃は太陽系の惑星のことをこと細かに解説した本など読んでいるのだが、何せ、あれから幾星霜、当時憶えてたことなぞ忘れてしまっている。ただ、水星の温度は太陽面とその逆側面では、おっそろしく温度差がある、というのは憶えている。太陽に向いてる方は気温が摂氏4百何十度。裏側は、え~とマイナス何度だっけ。マイナス百度以下でしょ。マイナス150度以下だろうな。水星は小さいんで大気を留めておくことができず、非常に大気が薄い。大気が希薄だったら、熱を地表表面に留めておくことができず、太陽の陽が当たってるかどうかでメチャクチャ温度が違う。四百度以上と熱いのは、あまりにも太陽に近いから。次に太陽に近い金星が同じように四百度以上あるのは、今度は重くて濃い大気が地表にどよんとあるから、メチャクチャ温室効果で熱が逃げなくて熱い。ヘタすると、四百度以上は水星よりも熱いのかも。でも、水星は自転してるから、一面だけが永久的に熱いんでなくて、反面どおしが熱くなったり冷たくなったりしてるんだろうな。

 SFの歴史と同じように、一般的な惑星の知識では、昔は、水星人、火星人、土星人、海王星人などと言っていた。そして、木星や土星、天王星など巨大ガス惑星では、今度はその周りの大きな衛星に、例えば土星の衛星タイタンから宇宙人がやって来たり、太陽系には地球以外はほぼ生命はいない、と言われたり、巷に流れる虚実混ざった情報も、いろいろと変わって来た。今度は火星に大昔大量の水があり、地下には水があるかも知れない、とか、極地には氷があると言う。微生物なら居る可能性もあるかも、とも言う。時代の流れ、人間の文明の発展、科学の発達で、いろいろなことが解明されて行き、時代が進むに連れ、人間の知る宇宙の姿の情報も変わり行く。

 調べたら、水星の自転は、地球時間でいう59日も掛かるんですね。水星の一日は地球の59日。一回、まわるのに59日間も掛かる。それで太陽の周りを回る公転は87日。地球は365日だからずっと早い。まあ、軌道の長さが違うから当たり前ですけど。しかし、水星は公転も自転も、一回りの時間はそんなに変わんない。太陽の周囲を2回公転する間に、自分は3回自転している。地球の公転軌道を飛ぶ速度って、うろ覚えだが、秒速30キロだったよーな‥。水星の公転軌道速度は秒速47キロだから、ずっと速いな。

 水星の両極に存在するかも知れない水って、氷じゃないのかな?液体だろうか? 昔から、「水があれば生命は存在する」って、よく言われてたけど、微生物くらいはいてもおかしくはないんじゃないかなあ? 単細胞の微生物。細菌とかバクテリアとか。

  

ガリレオからハッブルまで~宇宙の果てを探る望遠鏡の旅~ [DVD]

NHK VIDEO 宇宙の渚 映像集 ~宇宙から眺める地球一周の旅~ [Blu-ray]

宇宙兄弟 Blu-ray DISC BOX 2

星の地図館 太陽系大地図 (STAR ATLAS 21 星の地図館) [大型本]

ここまでわかった新・太陽系 太陽も地球も月も同じときにできてるの?銀河系に地球型惑星はどれだけあるの? (サイエンス・アイ新書) 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦難多き障害者人生

2012年12月06日 | 時事社会ログ

○発達障害:小中学生61万4000人 文科省調査・推計

 

  普通学級に通う公立小中学生の6.5%に発達障害の可能性があることが5日、文部科学省の調査で分かった。40人学級で1クラスに2〜3人が「読む・書く」が苦手、授業に集中できないなどの課題を抱えていることになる。調査対象地域の44都道府県(岩手、宮城、福島の3県を除く)を基に推計すると約61万4000人になる。このうち約4割は特に支援を受けておらず、専門家は「教員の増員などの手当てが必要」と指摘している。

 調査は今年2〜3月、学習障害(LD)▽注意欠陥多動性障害(ADHD)▽高機能(知的発達の遅れのない)自閉症−−の発達障害の主な3要素について、44都道府県の普通学級に通う計5万3882人を抽出し、担任教諭が回答した。

 「文章の要点を読み取れない」「簡単な計算ができない」などLDがあり、学習面で著しい困難がある小中学生は4・5%。「教室で離席する」などのADHDが3.1%。「周りの人が困惑することを配慮せず言う」などの高機能自閉症は1.1%。一部はこれらが重複していた。

 発達障害とみられる児童生徒を学年別に見ると、小学1年が最多で9.8%。成長に伴い障害が改善され、小学4年7.8%▽中学1年4.8%▽中学3年3.2%だった。

 また、38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。

 調査に協力した大南英明・全国特別支援教育推進連盟理事長は「医師らで構成される専門家チームの設置や教員の増員などの対策が必要だ」と訴えた。

 同様の調査は02年にも5県から約4万人を抽出して実施。発達障害の可能性がある子供は今回より0.2ポイント低い6.3%だった。

 

精神障害者の事件と犯罪 [単行本]

いのちの手紙―障害者虐待はどう裁かれたか [単行本]

デビル・インサイド [DVD]

障害者が社会に出る―その後の五人の人生 (ちくまプリマーブックス) [単行本]

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人が“恋愛難民”になる時代

2012年12月04日 | 時事社会ログ

 

○美人が“恋愛難民”になる時代  「恋愛できない女」の条件が変わった

 

   「以前、『恋愛できない』と相談に来る女性は、太っていたり、美人でなかったり、世間一般でモテない女性の条件に上がるような人たちばかりでした。ところが、今は、美人で明るくて誰からも好かれるような、いわゆる“モテ系女子”が、彼ができないと悩んでいます」

 そう話すのは、恋愛応援カウンセラーの羽林由鶴さん。体重103kg、バツイチで子持ちだけれど、13歳年下の東大卒男性と結婚したという経歴の持ち主。太っているというコンプレックスはそのままに、幸せな結婚をした経験を生かした恋愛カウンセリングで人気だ。

 「先日、テレビ番組である女性タレントの方の悩みをうかがいました。かわいくて明るくて、誰とでも仲良くなれる人気者。その方が、『私、彼ができないんです!』とおっしゃったんです」。会場内は、「まさか~」「うそうそ~」という声が上がり、誰も本気にしていなかった。しかし、その女性の真剣な目を見て、羽林さんは「本当だ」と思ったそう。

 

なぜ“モテ系”の女性に彼ができないのか

 「きれいな女性は、若い頃、会社でもプライベートでも、自分から声をかけなくても相手から声をかけられやすい傾向にあります。そのため、コミュニケーションが受け身になりがちです」。しかし、恋愛において“受け身のコミュニケーション”は、関係が進展しない要因になりうる。

 「コミュニケーション力とは、本来、人との関わりの中で磨かれるもの。ところが、若い頃に、自分からアクションを起こさなくても話しかけてもらったり、笑顔を返すだけでなんとなくその場が成り立ってしまったりすると、相手との関係を築く力が鍛えられないままになってしまいます。その結果、コミュニケーションが受け身になりがちなのです」

 

婚活・妊活で30歳前後の焦りがピーク

 さらに、女性を追い詰めてしまうのが、婚活と妊活のブーム。「婚活により、恋愛=結婚と考える人が多くなりました。そのため、出会いの段階から、結婚したら幸せになれるか、そのための条件がそろっているかなど、男性を条件で選ぶようになってしまった。結婚相手に出会うための合コンやパーティーも行われ、一つ一つの出会いが手軽になっています」。それに加えて、現在は、「子どもを持ちたい」という思いから、出産したい年齢から逆算して結婚を考え、そのタイミングに合わせて交際を考える人も増えてきた。「35歳くらいまでに出産したいと思うと、30歳前後で彼がいない女性は焦ってしまいます。そのため、『次の出会いを結婚につなげたい』『もう失敗したくない』という気持ちが強くなります」

 30歳をすぎて彼のいない“美人”は、そのときどうなるのか――。

 「彼女たちも、30代の女性として、焦る気持ちは同じ。ところが、受け身のコミュニケーションを続けた結果、自分から距離の縮め方、関係性の持ち方が分からない。人間関係の中で傷ついた経験も少ないので、踏み込む勇気も持てないまま、恋愛できない時間ばかり更新してしまうのです」

 

30代美女が「ずっと一人」と涙を流す理由

 さらに、追い討ちをかけるのが周りの目。あなたは、美人やかわいい女性が「彼がずっといなくて悩んでいるの」「出会いがないの」と言ったときにどのような反応をするだろうか。「○○ちゃんみたいにかわいい子に、お誘いがないわけないじゃない」「○○さんは、きっと理想が高いんだろうね」と言っているのではないだろうか。あるいは「本当はいい人がいるのに、隠してるんじゃないの?」などと勘ぐることもあるのではないだろうか。

 「そうやって、誰からも本気にされないまま、孤独に追い詰められてしまう“美人”が増えています。コンプレックスがある女性は、『私は太っているから』などと、うまくいかない理由を自分の中で見つけられます。そこさえ直せば…と、逆に希望が持てることもあります。けれど、他人からほめられてばかりの女性は、『自分の何が悪いのか?』と思いつめてしまう。私は、そのような女性から、たくさん相談を受けます。そして、最後にはみなさんが『私はずっと一人でした』と泣いてしまうんです」

 ただ、恋愛できない、結婚できないかもしれないと焦るだけではない。同じ女性とも気持ちを共有できないという孤独感にさいなまれてしまうのだ。

 このようなことが起こる根底には、多くの女性が恋愛や結婚をするためには、男性から“選ばれる”必要があると考えていることにあるという。「選ばれるために、自分を殺して相手に合わせてしまったり、本来の自分とは違う女性を演じてしまったりする。一方で、何もしなくても男性から声がかかりそうな女性に対しては、『苦労がないだろう』と想像してしまう。本当は、男女共に“選ぶ”のではなく、この人と一緒にいたらどんなことができるだろうかと、未来を期待するのが恋愛。そして、そのためにお互いの“ありのまま”を、時間をかけて知り合う必要があるんです」

 

「恋愛できない女」を卒業するために

 それでは、「恋愛できない女」を卒業するためにはどのようにしたらいいのか。「人と関わる勇気を持つことです」と羽林さんは言う。「これは、すべての女性に共通して言えることですが、人間関係の中で傷つくことを恐れないでほしいんです」

 羽林さん自身、昔は受け身のコミュニケーションしかできない女性だった。「私の場合は太っていることがコンプレックスでした。そのため、人から好かれようとして、自分から意見を言うことはなかったし、人の言うことは受け入れるようにしていました」。しかし、離婚したとき、父親から「これからの人生は好きなように生きなさい」と言われ、ハッとしたそう。「好きなように…と言われて、自分に“好き”がないことに気付いたんです」

 そこから、とにかくひとつひとつの場面で自己主張することを心がけた。自己主張をわがままと思っている人は多いだろうが、これは相手に自分を分かりやすく伝える方法のひとつだという。「最初は、好きな飲み物を取るところから(笑)。複数の人が集まる場所で、何種類かのペットボトルが用意されることがありますよね。昔は、みんなが好きなものを選んだあと、最後に残ったものを取るようにしていました。別にどの飲み物だって構わないし、それでみんなが気持ちよくいられるなら…って」。しかし、離婚後は、最初に飲みたいものを選んで取るようにしたという。

 「そうやって自己主張するようになったら、離れていく人たちもいました。…もちろん傷つきました。けれど、反対に以前よりも仲良くなれた人も現れました。それを繰り返すうち、最後に残った人間関係は、自分にとってとても心地いいものでした。その中で、今の夫とも出会えたんです」

 もし、あなたが自分を出せないまま恋愛できない女になっているなら、まずはわがままや自分勝手とは違う、相手のための自己主張から始めるのがいいかもしれない。「出会いの場だけでなく、友達関係、同僚との間などで、少しずつ始めてみましょう。それを繰り返すことで、コミュニケーション能力が培われていくはずです。ちやほやされてきた女性ほど、傷つくことへの免疫がなく、勇気が必要かもしれません。けれど、それを乗り越えた先に、必ずいい恋愛が存在するんですよ」

 

 


 僕が30歳を少し過ぎた頃、高校の同級生の男に会って、彼は当時まだ未婚で、「どうせここまで独身で居たんだから、これから結婚するなら特に良い女と結婚したい」というようなことを言っていた。また、僕が30代後半に出会った、同世代の一人の女性は、「私は昔からイケメン好きで、とにかく顔が良くないと結婚相手に選べなかったから、この年齢まで独身になっている」というようなことを言っていた。TVでだけど、だいぶ前に見た番組で、多分アラフォーくらいの一人の女性が、「私はこれまで数十回お見合いをして来たが、未だ独身。私の結婚は“条件闘争”なんです」というようなことを言っていた。「条件闘争」とは、如何に自分の思い描く理想の夫像になれそうな男を選ぶか、ということだろう。身長や顔という外観条件から、優しさとか気配りとかの性格条件、そして何よりも経済条件。自分の決めた高合格点をクリアする男に出会うまでは、そこらの男はみんな捨てる、という話だろうな。

  男側からすれば、アラサー・アラフォー独身の美女がいっぱい居る、ということは、こんな嬉しい話はない、ということでしょうけど、女の人側も、だからと言って、別に、相手は誰でもイイ、という訳ではないでしょうし、結婚してまで苦労はしたくない、とか、もうここまで独りで来たから特に結婚しなくてもイイ、という人も多いでしょうね。「結婚」が必ずしも毎日が楽しく過ごせるバラ色の生活を約束してくれる訳などでは、とんでもない、現実には、結婚したからこそ味わう苦労や苦痛も多い。また、昔から「結婚は大バクチ」という言い方もあるように、実際に結婚してみなければ“当たり外れ”は解らない。必ず「愛は醒める」時がやって来るし。「愛」を使って語弊があれば、必ず「恋は醒める」ですね。お互いでも片方でも、恋愛感情が無くなってからが問題。倦怠期から憎悪期へ。無論、うまく行くカップルも多いんでしょうが、今はあんまり「辛抱」というのはしませんものね。この危機を乗り越えれば後は、また元に戻って仲良くうまくやれる‥、という可能性があるのに、現代は「辛抱」しないでサッサと別れちゃうでしょ。昔、作家の開高健が書いてたケド、「結婚とは一に忍耐、二に忍耐。三、四がなくて五に忍耐」なんだそうです。今はでも、片方が死ぬほど耐えていれば末永くうまく行くか、というとそうとは限らないでしょうから。現代人はワガママだからいくら一方がひたすら耐えていても、気に入らなければこれもまたサッサと別れるでしょう。昭和とは時代が変わったしね。特に21世紀に入ってからは。昔とは変わってしまってる。

 恋愛は「愛情」でやってるけれど、結婚て、現代では、「愛情」よりも「条件」の度合いが大きいのでしょうね。昔は「手鍋提げても」なんて言葉もあったけど、現代の「結婚」の第一条件は先ず「経済」で、結婚後の経済状態なんでしょう。今でも、中には珍しくも、この人となら、苦労してもいい、お互い支えあって助け合っていたわりあって、苦労を乗り越えて一緒に生きていく、苦労してもこの人と家庭を築いていく、という殊勝な人も、希少価値として存在するのかも知れませんけど。でも、「結婚は条件」て考える人が多数派なのは間違いないでしょう。しかし、年齢はどんどん進んで行くし、こう言っては失礼ですが、女の人の方は「若さ」が価値、って面は大きいじゃないですか。ルックス面の比重は、男性よりも女性の方が圧倒的に大きいでしょう。男性は少々不細工でも、お金と地位と権力を持っていれば、それはかなりな高得点でしょうが、女性はどうしても価値が「ルックス」にいってしまう。ある意味、ルックスとは「若さ」と同義語みたいなものですからね。

 上記記事文で、言いたいことの一つは、美人は少女時代からチヤホヤされるし、黙っててもモテるから、必ず男からやって来てくれる。過去、ずうっと、女側、こちらから男に対してアクション起こす必要がなかったから、自分から男性に向かって行く方法が解らないし、慣れてないから自分から行ってもうまくやれない、とかってことですね。んー、どうなんだろうな。そういう気はあんまりしないけど、まあ、そういう一面もあるんでしょうね。むしろ、プライドがあるのでは? 仮にも若い頃あれだけモテてた私が、自分の方から行くか? っていうような。そういうプライド。これはあるんじゃないかなあ。まあ、それも含めて慣れてなくて自分からは行き辛い、ってことかな。まあ、35歳とか、それくらい以上の年齢で、アラフォーで、美人だったら、普通、先ず、結婚してるだろうなあ、と思いますね。結婚してなかったら、特定の彼氏は居るだろうな、って思いますよね。そういえば思い出した。僕が25歳くらいのとき、偶然入った小さなレストランのウエイトレスさんが美女で、26歳以上、アラサーくらいには見えたんですけど、一目惚れ気分で、そのレストランに毎日通って、何回目かについに世間話するくらいまで持って行った。「よしっ!」とガッツポーズ気分だったけど、次に行ったとき、シェフが出て来て、「あの娘は僕の弟の嫁でアルバイトでここで働いてるんですよ」と言われた。勿論、それっきりその店に行くの止めました。まあ、これは余談なんだけど。

 まあ、みんな結婚して欲しいですよね。男女共に婚期はどんどん遅くなっていってるんだから、男も、気になる女性が現れて、アラサー・アラフォー、もしかしてそれ以上でも、一度でも気になったんなら声掛けてみましょう。結婚しないと子供はできないんだから。結婚しなくてもできるけど、一応結婚した方が良い。男も女も気に入った人が現れたら、ダメモトでも一応アタックしてみましょう。ストーカーになるのは絶対に駄目ですけどね。頑張れ、30歳以上の独身男女。日本社会の未来のために子供を作れ。そして、政治家や行政側は、もっともっとラクに子供を育てやすい環境作りを! さらにさらに良い、子育てがやりやすい社会環境を作るように、尽力してください。お願いしますよ、政治家さんは。特に女性が安心して、働きながらでも、もっともっとラクに子育てできる社会。

 

ゼロからはじめる婚活入門!

3カ月で結婚できる おとこの婚活本。

次の誕生日までに結婚する!方法 「90日婚活メソッド」で理想の夫を手に入れる!

あらゆる婚活してみました (彼氏いない歴20年のオタ女ですが)

ただいま、婚活中!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バトルロワイヤル化するTwitter

2012年12月02日 | 時事社会ログ

○バトルロワイヤル化するTwitter なぜ”マス”メディアに変貌したのか

 

  Twitterはソーシャルメディア「だった」

 2009年ごろのTwitterを振り返った。炎上とはほど遠い、内輪のサロン的な空間だったと書き、「そう。かつて、Twitterはソーシャルメディアだったのだ」と思わせぶりな文章で締めたが、尻切れトンボで申し訳なかった。前回を読まれていない方は、読んでから戻ってきていただけるとありがたい。

 ソーシャルメディアの定義はまちまちだが、ここでは、ユーザーの発言と交流によって成り立つオープンなメディアというイメージで定義したい。ユーザー同士が対等に話し合え、そこから何らかのアウトプット、「メディア」が生まれるという意味だ。

ソーシャルメディアとしてのTwitterに助けられたことが筆者にも何度かあった。休日に原稿を書きながら、思いついたネット論などをTwitterに“だだ漏れ”し、読んでいる人から意見をもらって自分の考えを修正したり、Twitterで政治家に直接話しかけて“取材”したり――。ソフトバンクの孫正義社長は以前、Twitterを「外脳」と評したが、Twitterによって脳が拡張されたような感覚を、筆者も感じていた。

誰でも発信・交流でき、意見を言い合い、みんなでより良い答えを探していける。インターネット的だなぁ、楽しいなぁ、なんて思っていたのだった。

 だが、Twitterがソーシャルメディアだった時代は短かった。芸能人や有名人、新聞、テレビといった“マス”側の参加が増えるにつれ、マス情報を受け取るために、まるでメールマガジンを受信登録するような感覚で、受け身でTwitterに参加する人が増えてきた。

2011年の東日本大震災も大きなきっかけになった。電話がつながりにくくなった震災時、情報インフラとしてTwitterが注目を浴び、政府や自治体が次々に、情報発信のためのアカウントを設置。その情報の受信と、友人や家族などごく親しい人との交流だけを目的に、Twitterに参加する人も増えた。

「公式RT」の推奨も、Twitterの受け身化に一役買ったと思う。震災以前は、他人のツイートを自分のフォロワーにも見せたいと思った場合、手書きで「RT」と書いた上で元のツイートを引用し、意見や感想を付ける「非公式RT」を使うのが主流だった。

だが、震災をきっかけに、「公式RT」がTwitter運営側から推奨された。公式RTとは、ボタン1つで他人の発言をRTできる機能だ。ツイート主の言葉は編集なしに転載され、元発言が削除されればRT先も削除される仕組みなので、非公式RTでありがちだった、元ツイートの内容が歪めて転載されたり、ツイート主が後で間違いに気づいてもRT先の内容が消せないといった問題を解決できた。

 公式RTは、情報を正確に伝える手段としては優れていたが、交流や意見交換には向いていない。非公式RTの場合、RTした人が元ツイートに意見や感想を付け加えることが多く、議論や交流につながりやすかったが、公式RTはただ黙ってボタンを押すだけなので、発言主はRTした人の意見や意図を知りようがなく、ただ自分の言葉が拡散されていくのを見るだけになる。公式RTの普及でTwitterは、人をハブにした拡声器のような、小さなマスメディアのようなものに近づいていったと思う。

 失われた「Twitterの文脈」

 

“Twitterの文脈”も通じなくなっている。09年ごろまでは、発したつぶやきの影響範囲はTwitterユーザーでほぼ完結していたので、たとえ発言が炎上状態になっても、話題はTwitterの中で閉じるか、せいぜい、2ちゃんねるに飛び火するぐらいまでで収まった。Twitterは一過性のつぶやきという認識は何となく共有されていたので、1つの発言が長くくすぶり続けることもあまりなかった。

だが「Togetter」「NAVERまとめ」といった、Twitterの発言を第三者がまとめられるツールが普及。その場限りでつぶやいたつもりだった発言が第三者にピックアップされてまとめられ、Twitterに参加していない人にも発言を参照されるルートが増えた。炎上したツイートを、ネットメディアがニュース記事化するケースも激増。結果、Twitterの場の雰囲気と切り離された外部サイトやニュース記事で発言が切り取られて一人歩きし、Twitterを使っていない人からも袋だたきに遭うようになってしまった。

筆者も2010年、ツイートが炎上した経験があるが、本格的に燃え上がったのはTwitterの外だった。Twitterで問題の発言をした直後、「ちょっと言い過ぎたかな」と思って反応を注視していたが、ネガティブな反応はなく安堵していた。だがその発言を基に2ちゃんねるにスレッドが立って炎上。発言の翌日以降に、筆者のアカウントに罵詈雑言が殺到し、元発言の公式RTが激増した。その炎上の様子は、エロチックな文体で電子書籍『AiRtwo』に寄稿しています(※ステマ)。

 マスになると同時に、プライベートになっていた

 Twitterでの有名人や情報の受け取られ方がマスメディアに近づく反面、一般の人はTwitterをよりプライベートなSNSとして利用し始めた。iPhoneの普及に連動し、「スマホで使いやすいSNS」としてTwitterを利用する若者が増加。mixiのアカウントを交換する代わりにTwitterでフォローし合い、個人的な連絡にも活用し始めた。

その結果として相次いだのが、若者の発言の炎上だ。店の店員の若者が、来店した芸能人を名指しで中傷したり、“犯罪自慢”をしたり――。知り合いだけに見せるつもりで、プライベートな感覚で書いた中傷や反社会的な内容は、本人の想定を超えた広い世界に公開されており、大炎上につながった。

利用者の低年齢化も進んでおり、有名人に心ない言葉を投げつけるアカウントを見に行くと、高校生や中学生のアカウントにぶち当たることが増えてきた。ネットで見知らぬ人と対するときの礼儀や態度を身に付けていない一部の若年層が、誰とでも交流できるツールを十分な準備なく手に入れ、不適切な使い方をしてしまっている面もあるのだろう。

 今のTwitterは、マスでありながら同時に、プライベートなものでもある。有名人を罵倒するユーザーの態度は、そんなTwitterの今を反映しているのだと思う。テレビを見るような感覚で芸能人Twitterをフォローし、ニュースをRTする。テレビ番組の感想を友人と語り合う感覚で、芸能人を名指しで批判する。彼らのタイムラインでは、友達など「仲間」「内輪」と認める相手に対しては、温かい言葉をかけるなどとても優しいのだが、芸能人をTwitterで中傷・罵倒することに対してはまったく気がとがめない様子だ。

おそらく彼らに悪気はなく「いつもどおり、友達と芸能人について話していただけ」、「偶然Twitterがあったので、Twitterで感想を言っただけ」なのだと思うが、そんな人が数百人、数千人と有名人を名指しで非難すれば、相手の心を殺すことができる。

 バトルロワイヤルTwitter

 今のTwitterは、マス側・発信者側にいる人にとっては、徒手空拳のバトルロワイヤル状態だ。多くの人に情報を発信できる一方で、いつどこで、何がきっかけで批判・中傷されるかわからない。1つの発言が文脈から切り離されて切り取られ、Twitterのみならず、2ちゃんねるやニュースメディアを賑わすため、発言も慎重にならざるをえない。「優しい場所」だったあの日のTwitterは、もうここにはない。

先日、元AKB48の前田敦子さんがTwitterを始めたが、早速、中傷やひわいな言葉などが大量に投げつけられていた。アイドル生活で鍛えてきた精神力の賜物なのか、“中の人”でもいるのだろうか、あっちゃんは今のところ気にせずTwitterを続けているようで、さすがだなぁと感心する。

筆者も発信側の端くれだが、気の小ささと打たれ弱さには自信があるので、炎上を招かないよう最近は、できるだけ何も言わないようにしている。意見が割れそうなことは言わないし、思考のだだ漏れも書かない。

ただ、気になるニュースをつぶやいたり、テレビ番組の感想を(できるだけ無難に)書いたり、自分が書いた記事を告知するぐらいにとどめている。何かつぶやこうとフォームに入力までしても、結局「ツイート」ボタンを押さずに消してしまうことも多い。発信側にいながら、全力で受け身を取っている。

ただ考えてみると、女性や有名人が自動的にチヤホヤされた3年前のTwitterは、外野から見るといかにも内輪っぽくて気持ち悪かったかもしれない。内輪感が消えた今のTwitterは、飾らない本音に接することができる貴重なメディアともいえる。

とはいえ、発言が炎上するとすごく疲れるので、筆者はこれからもできるだけ、沈黙を保っていきたいと思っています。Twitterで黙っちゃう人が増えるのはもったいないよなぁ……と思いながら。

 

ネット炎上であなたの会社が潰れる!―ウェブ上の攻撃から身を守る危機管理バイブル

Twitterツイッター100%活用ガイド  (技評ベストムック)

ビジネスで成功している人の「ツイッター」活用術

ソーシャルメディア炎上事件簿


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけし総選挙斬り

2012年12月02日 | 時事社会ログ

○ビートたけし 民主党のマニフェストを「レバ刺し」に喩える

 

   政治家たちが繰り広げる選挙戦にメディアの注目が集まるが、ビートたけし氏は「イライラする」ときっぱり。11月30日配信の『メルマガNEWSポストセブンVol.42』では、選挙戦をたけし節で斬りまくった。

 世の中、すっかり選挙モードに入っちまったけど、オイラは選挙戦を見てるといつもイライラするんだよ。「今回の闘いに負けるわけにはいきません!」とか「絶対に勝ち抜くぞ、オー!」とか威勢よくやってるけど、本来議員たちが一番気合いを入れて戦うべきは、自分たちの政策をいかに実現するかという国会の場であるはずだろ。

 そっちのほうはテキトーにやってるくせに、選挙ばかりに本気になりやがってさ。選挙で勝っただ負けただのってやってるのは、結局政治家たちの私利私欲のためばっかりで、国民のことなんかまったく考えちゃいないのがバレバレなんだよ。

 だから民主党が図々しくまたマニフェストを作ってるのには笑っちゃうよ。それってレバ刺しで食中毒を出した店が、「今度は新鮮なレバーを出しますんで食いに来てください」といってるようなもんでさ。まったく信用できないし「誰が食うかバカヤロー」って感じだよな。

 そうすると、石原サンと橋下サンが組んで出した新しい店は、過激なメニューが並ぶけど、実際のところは旨いかマズイかわからない新店かな。一方の自民党の店は、古くさい味付けで代金もボッタクリで高いけど、まァとんでもないことにはならない老舗って感じでね。結局選挙に行く人たちは、新規店に挑戦する気があるか、いつもの店でいいやって守りに入るかの二択に近いことになっちまうのが寂しいとこだよな。

 

 


 うまいっ! さすがっ! って感じ。確かにっ! も、かな。民主党が政権取る時の選挙で書いたマニュフェストは、できようができまいが、とにかく大衆の喜ぶことを全部書いとけ。そうしたら国民は民主候補にいっぱい票入れるぞ、くらいの気持ちで作ったもんなんだろうけど、あれは全部、単なる「理想」でしたね。そうしていざ政権取って政権の座に着いたら、どうしていいか解らず、官僚をコントロールするどころか、官僚に一から教えてもらってお勉強して、結局、官僚が色を染め直して、民主党という名前の第二自民党を作り上げた。そうして官僚の言うとおりにこれまで自民党がやって来た政治と、たいして変わらぬ政治をまた続けて行くことになった。そんなところかな。しかし、民主党が前のマニュフェストで書いたことを何一つ実現できなかった、というのは、プロの政治家として「できない」は「やらない」ということと等しくなるから、これは国民に対する「詐欺」ですよ。「コンクリートから人へ」も「子供手当て」も「事業仕分け」もみんな、一生懸命やってるふうを演じるパフォーマンス詐欺。本当に、民主党が今度の選挙でまた「マニュフェスト」と言うのは、たけしさんの仰るように、笑い話か国民を馬鹿にした話ですね。だいいち「あれ」で、みんな、選挙で政党が作った「マニュフェスト」なんて信用しなくなっちゃったんですから。

 

 何だか、どの党が政権取ろうが、結局、官僚が自分たちの良いようにやるだけのような気がする。先ずないだろうが、仮に共産党でも社民党でも少数政党でも政権の座に着いたとしても、いざとなると結局、どうしていいか解らず、官僚頼りとなり、また官僚が都合の良い、官僚の政治が行われる。そんな気がする。民主党のこの三年間はそれを証明しただけではないのか。もう二、三十年も前から言い続けている、「官僚をコントロール」なんて本当にできるのか?? できない気がするんだけど‥。

 

 とにかく日本の社会が最悪状況で、これからさらにさらに悪くなって行きそうな事態ですよ。問題山積もいいところ。社会は閉塞感一色。これからの政治に期待できるのか? 大衆の絶望を廃して、国民に希望を与えてくれ。

 しかし、まあ、ビートたけしさんもセレブ側の人ですけどね。

 

間抜けの構造 (新潮新書) [単行本] ビートたけし

下世話の作法 (祥伝社黄金文庫) ビートたけし

アウトレイジ ビヨンド(北野武監督)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする