うろ覚えライフ。

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靖国

2008年04月12日 | 時事社会ログ

 

○映画「靖国」上映中止 毎日など5紙、表現の自由に懸念

 

         『    映画は、監督をはじめ製作にかかわる人たちが映像を通じて自分たちのメッセージを発する表現手段である。しかし、その表現行為も、上映する映画館がなければ多くの人々に伝えるすべは閉ざされてしまう。

 靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を中止する映画館が相次いだ問題は、メッセージの内容いかんによっては表現の場が失われたり、制約を受けたりすることもある現実を浮き彫りにした。それは民主主義社会にあって、極めて危機的な状況といえる。

 今月の公開を予定していた東京、大阪の映画館5館がすべて上映を中止することが明らかになって以降、新聞各紙は一斉に、事態を憂慮する社説を掲載した。毎日、朝日、読売、日経、東京の5紙がそろって強調したのは、憲法で保障された言論・表現の自由が損なわれることへの懸念である。    』 ・・・

 

○リ・イン監督、田原総一朗らが抗議「靖国 YASUKUNI」緊急記者会見

 

        『    4月12日からの公開が決定していたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の政治的圧力・上映中止に抗議する緊急記者会見が4月10日、東京・永田町の参議院議員会館にて行われ、リ・イン(李纓)監督の他、ジャーナリストの田原総一朗氏、映画監督の是枝裕和氏ら14名が出席した。

 稲田朋美衆院議員(自民党)の要請で議員向け試写会が開かれたことがきっかけで、大きな騒動に発展した今回の事件。監督は「去年の8月くらいから上映に向けて動き出したのに、ここに来て全ての劇場で上映中止になったのは驚き。こういったことは日本の国際イメージにとってもマイナスになるのでは」と懸念の色を示した。    』 ・・・

    

 

  ああ~、重たいテーマを選んでしまったな。

 勿論、僕はこの映画を見ていません。

 ネットのYouTube動画に、この映画の監督が映っていて、「敗戦後、日本人が背負い続ける戦争の後遺症と病気」云々、というセリフを言っていた。

 確かに、日本のことをまるで知らない外国人が見て、戦後数十年経った今も、軍服姿で儀式ばった参拝を行う多くの人たちの姿やパフォーマンスを、奇異に感じるだろう、とは思う。

 でも、多分、あの戦争を体験し、内地も外地の戦線も、ある種極限の世界、と言っていい程の時代下に、死線を共にし、友は死に自分は生き延びている、ということを背負っている人たちは、己の身体の中心に何か重大なものを、鉛の塊りのように持っている、というようなことじゃないかと思う。自分という人間の、もう、根本にあって、とても取り除くことは出来ない重く大きなもの、哲学みたいにもなってるんじゃないかな。

 僕は靖国神社には行ったことはないし、戦争が終わって十年を過ぎて生まれてるから戦争は知らないし、この映画も見てないし、8月15日に靖国神社を参拝する人々について語る資格なぞ全然ない。また映画の方も見ていないから、映画やその周辺について、しっかりした感想が言える訳でもない。

 軍服姿で参拝する人は戦争経験者で、かなりのお歳の方たちなんだろうが、今日の日本があるのは、先の戦争で犠牲になった、戦没者の方々の命があったこそなのだ、と思っている人たちも多く、本人は戦争に行ってなくとも、そういう気持ちを持つ人たちも参拝しているんだろう。参拝に訪れる人は、戦時中に子供だった人たちも、中には居るし、もっと若い世代も居るんだろう。身内に、戦争で犠牲になった人がある方々も来てるんだろうね。

 靖国神社そのものが宗教なんだし、宗教的行事ですよね。8月15日は大きな、命日のような意味の記念日でしょう。

 極端な例かも知れないが、アフリカの片隅の原住民の少数部族が、土俗信仰で、踊りを踊りながら奇声を上げて儀式を行うとする。その信仰に理解のない人、初めて見る人は、大変奇異に見えるし、馬鹿馬鹿しいと思うだろう。多分、外国人の見る靖国参拝もそれに並ぶような事柄なんじゃないかな。世界に何万、何十万、あるいは何百万とあるかも知れない宗教は、みんなそれぞれ、独自の儀式を持つものだろうし、信仰する人は、自分の参る神様だけが本物で、他の宗教・神仏は偽物だと思っている。そういう宗教が世界に何十万何百万とある。そういうもんだろう。

 世界のどの宗教も、本気で信仰している人々、8月15日に靖国神社を参拝する人々も、間違いなくみんな真剣なのだ。

 北東アジアの人たちは、日本人の靖国参拝を何故、そんなに恐れるんだろう?まさか現代の日本人が、靖国神社を参拝するからといって、今時、日本が東洋の盟主となりアジア全体の王国となるために、近隣諸国を支配して行こうと画策している、なんてキチガイじみた馬鹿話を考えるとでも、思っているんだろうか?

 だいいち日本国は、中国には人間の数でも軍事力でも到底適わないだろうし、今時、そんなキツイことやろうなんて日本人は居やしないし、そんなことやっても日本には何の得にもならないだろう。馬鹿馬鹿しくてそんなことは誰も、やりも考えさえもしない。

 勿論、世界の他の多くの国同様、この現代のグローバル経済下の世界では、経済面で周囲のアジア国家とは関係を持とうとするだろうが。

 フランス人が、ナチスの軍服や、ナチを真似たパフォーマンスに神経過敏になって怒りを表わすように、北東アジアの人たちは、日本の軍事関係の事柄は、ほんの小さなことでも神経過敏になるところがあるのかも知れないけど、今の日本人は、誰も自分本人が武器を持って近隣アジア諸国の侵攻に行こうなんて、そういうキツイことをやろうなんて絶対に思いはしないし、勿論そういうことに自衛隊に行って貰おうとも考えない。当然だが、昔の満州国みたいな、他所の国の中に、日本傀儡の一つの国家を建国しようなんて、夢にも思わない。

 だから日本人が靖国神社に参拝しても精神的なものだけで、それが何か行動を生み出すことは全くないのだ。これは信仰・宗教の自由である。逆に、靖国参拝を非難・抗議行動をされれば、神様に参って何が悪いのだ、と反発する。要するにこれは日本人の多くの信仰、先祖を参る、というのと同じものだ。死者の魂は眠りながらも、空気のように形はないが、何か、存在する、という考え方だ。

 靖国神社に参詣する人も、誰も、先の戦争が正しかったなんて思ってやしないよ。日本人の大多数は、戦争は間違った馬鹿げた行為だったと思っているよ。

 別に良いじゃん、宗教信仰の自由なんだから。直接的に誰かに迷惑掛けてる訳でなし。日本で信仰してる人が、誰か、他所の国に行って、自爆テロなんかやったか?

 靖国を撮った監督が、日本人の戦争後遺症と病状、に見える神社参拝のやり方が、例えどんなに奇異に見えても、それは各宗教の参拝のやり方と、本人の信仰の自由だ。それに、軍服を着て戦友たちに祈りを捧げてる人たちも、もう余命はそんなに長くはない人たちだろう。

 この映画を撮ったリ・イン監督は、確かに日本に十数年居て日本語も達者な方だが、多分、子供の頃は中国大陸で教育を受けているんだろうから、こういう人が映画を製作すれば、サイレントに近いようなナレーション皆無形式では、観賞者によってどうにでも取れる、とは言っても、どうしても反日プロパガンダのように思えてしまう。逆に、観賞者によってどのようにも取れるという形式を隠れ蓑にして。

 リ・インさんも母国、中国のドキュメンタリー映画を撮ればいいのに。ウイグルやチベットの現状とかも含め、中国国内でも国民として問題提起しなければならない、と思うことは、いっぱいあるだろう。天安門とかいうタイトルでもいいから。

 日本は自由な国で、日本国内で日本を問題視するドキュメンタリーを撮る方が、規制が厳戒な母国で作るよりも、ずーっとずーっとラクに制作出来るから、外国人から見た、ここが変だよ日本人、みたいな映画を作りました。自分の母国のことは棚に上げて、では理由が安易過ぎやしないか。それは日本人もいい気持ちは持たないよ。

 この次は、リ・イン監督、母国中国の現状を問題提起する映画を撮ってください。それとも、現代中国は何一つ問題提起することのない完成された国なんでしょうか。

 でも僕、この「靖国」という映画は見てみたいです。言論・表現の自由というならば、映画という手法で広く公共に見せて、参拝者の人たち個人個人を馬鹿にすることは許されない筈。大掛かりな名誉毀損、プライバシーの侵害でもある。でも僕も、映画そのものには興味ありますけどね。

 ちょっと前のTBS系の報道番組で、この映画の騒動の特集をやってて、当時、花見をしている右翼団体の幹部連を取材してる映像がありましたが、右翼幹部とはいかにも見た目ヤクザの怖い人たちかと思っていたら、普通の、けっこう温厚そうなその辺に居るオジサンたちでした。映画館一館に20分くらい街宣活動した、というごく小規模な右翼団体の若者も、普通にイイ兄ちゃんでした。これは僕にはすごく意外だったな。ちなみにワタシはネットウヨなる者ではありません。事柄に寄り、右サイドの意見も左サイドの意見もあります。

 

 

 

 

 

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