旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

チャイナの買い物 其の四

2009-03-04 18:51:56 | 歴史
■大英帝国が仕掛けた「アヘン戦争」は夙に有名ですが、赤子の手を捻るも同然に一方的な勝利を収めた英国政府は、1842年の8月29日に『南京条約』を清朝に押し付けた上で調印させることに成功します。莫大な賠償金を脅し取られるのは敗北者の定めですが、香港を「永久割譲」させ、広東・厦門・福州・寧波・上海を一挙に開港させて英国製品を売りつけようとしました。勿論、最も儲かる商品は阿片でした。何とも恐ろしい話です。

■念の入った事に南京条約が締結された翌年には、『虎門寨追加条約』まで押し付けて、ちょっとした忘れ物を取りに戻って来たように「治外法権」「関税自主権放棄」「最恵国待遇条項承認」を認めさせてしまいます。この遣り口を見ていた幕末の日本が瞠目して息を失ったのは当然で、鎖国だ!攘夷だ!などと寝言を言っていたら阿片と軍艦が押し寄せてエライことになるのは必定でした。天の配剤と申しましょうか、屈辱的な「南京条約」の11年後に米国のペリー艦隊が琉球を経由して江戸湾に来襲したのでした。そうなれば、少なくとも清朝よりも手強い国に変身しておかないと、取り返しの付かない事になるのは誰にでも分かるようになったという次第。

■さてさて、奪える物は全部手に入れたはずの大英帝国でしたが、実際には開港させた狭い地域でしか好き放題に振舞えず、阿片も期待した程には捌けないという現実に気が付きます。阿片商社としてはチャイナ全土を阿片の「マーケット」にしたい!そこで仕掛けられたのが「アロー号事件」と呼ばれる奇怪な事件でありました。1856年の10月8日、清朝の官憲がイギリス船籍を自称するアロー号を臨検します。実際に船籍登録の有効期限が切れていたのですから、国籍不明の実に怪しい船を調べるのは当然です。何をやっているのか調べるために清人船員12名を拘束して、取調べの結果、3人を海賊の容疑で逮捕したそうです。

■残りの9人が見逃されたのは、日本史にも登場するハリー・S・パークスという名の在広東の英国領事が大変な剣幕で怒鳴り込んだからでした。こういう場合、相手は自分の非を認めるどころか、ある事無い事を言い立てて喚き続けますから、絶対に自国の権利を譲っては行けません。パークスは臨検を不当だと言い張るだけでは足りず、「英国国旗を引き摺り降ろされたのは最大の国辱だあ!」とその場で見ていたような大嘘をつきます。こういう場面では言った方が勝ちのようです。本当は国旗事件は起こっていなかったのですから……。

■これが第二次阿片戦争とも呼ばれるアロー号事件の発端であります。パークスは本国から譴責を受けるどころか、外交官として大手柄を立てたと褒められて、1865年(慶応元年閏5月)に次の獲物とされた日本国に赴任して、オールコックの後任として日本駐在の公使に栄転して横浜に着任したのでした。危ない、危ない。

■類は友を呼ぶのか、パークスのゴリ押しぶりに感動?した清国駐在全権使節兼香港総督だったバウリングという人物が、独断で現地に駐留していた英国海軍に「暴れろ!」と命令したから堪りません。英軍が広州付近の砲台を占領すれば、「ふざけるな!」と清朝の民は英国人の居留地を焼き払って対抗します。でも、民衆には武力はありませんから、本物が現われたら手も足も出なくなるのが悲しい現実です。

■英本国では、首相のパーマストン子爵が議会で「軍隊をチャイナへ!」と大演説をぶって見せますが、案外と議会は冷静でこの恥知らずな謀略は否決されてしまいます。ところが民主国家というのは恐ろしいもので、パーマストン首相は「解散総選挙」に打って出ます。どんな選挙運動を展開したのやら……。何処かの首相が郵政民営化を押し通そうと参議院で法案が否決されたのに怒って衆議院を解散したのは最近の話ですが、パーマストンの出兵案は選挙後の議会で可決されてしまいます。そこで派兵される5000人をシビリアン・コントロールする責任者として派遣されたのがエルギンという名の前カナダ総督だったそうです。この人物こそ、オスマントルコのスルタンから許可を貰った!と言い張ってアテネのパルテノン神殿からレリーフを剥ぎ取って持ち帰った張本人。

■不思議な言い掛かりをつけてイラクに出兵した米国のブッシュ大統領は、欧州を半分に割って有志連合軍の形を採ったように、この時の大英帝国もフランスのナポレオン3世に共同出兵の誘いを掛けます。オスマントルコを分け合う事になる両国ですから、フランスが断るはずもなく、宣教師が逮捕斬首された話を持ち出して派兵の口実としたのだそうです。こうして1857年の末に広州を襲った英仏軍は、正当な臨検をして容疑者を逮捕した清の総督大臣を問答無用で捕らえて「条約改正」を強要するのですが、翌年の2月に清朝の北京政府に対して衝き付けられた交渉の要求書には、ちゃっかりロシアとアメリカの全権大使の名前も並んでいた!

■条約改正(悪)に成功した英仏艦隊は、1859年の6月17日に条約批准のために天津の白河口に来襲します。条約は批准されないうちは単なる紙切れですから、この元朝のフビライが開鑿した北京と天津を結ぶ運河を塞ぐ抵抗戦が起こります。何でもかんでも運河に投げ込んで航行不能にしたわけですが、障害物を自力で取り除かねばならなくなった無様な艦隊に対して、モンゴル人の将軍センゲリンチンが指揮する清朝軍に攻撃され、ホウホウの体で上海に逃げ帰りましたとさ。

■意気上がる清朝の咸豊帝は、英雄センゲリンチン将軍に命じてパークス一味を捕らえるわ、英仏使節団を拷問に掛けて死者まで出すわ、ちょっとやり過ぎてしまいます。面子丸潰れの英仏軍は大艦隊を再編成し、当初の3倍を越える約1万7千人の大軍となって天津に戻って来ましたから、皇帝は腰を抜かして北の熱河に逃げ出してしまいます。こういう長い長い前置きがあって、1959年の10月18日、英軍は使節団殺害に対する報復として円明園を大規模に破壊したというわけです。どうやら英国軍が乱入する前に仏軍の兵隊が一足先に円明園で掠奪していたというのが真相らしい……。というわけで、今回の競売に出品されたネズミとウサギは、どちらの国の軍隊が略奪したのかは分かりません。しかし、英国ならば「使節団殺害」に対する報復だったと言い張りたいでしょうし、仏国だったのなら飽くまでも「宣教師殺害」に対する報復だったと言い張るでしょうなあ。

チャイナの買い物 其の参

2009-03-04 18:51:16 | 歴史
■2月19日にチャイナの弁護団がフランスの司法当局に「競売」の差し止めを申請していた件は、23日にパリ市内の裁判所で行われてあっさり棄却されてしまいました。 

2009年2月24日、中国国家文物局は、清朝末期に北京の円明園から英仏連合軍に略奪された動物像をめぐり、競売中止の申し立てが棄却されたことを受け、「国際社会の協力を仰ぎたい」とする声明を発表した。人民日報が伝えた。国家文物局は声明で「中国人民の正当な要求が尊重されることを願う。中国政府は断固として競売の反対を表明する」と改めてその立場を強調。「違法に流出した中国の文物を他人の金儲けの道具にしてはならない」と強く反発した。

■珍しく?真っ当な意見が述べられているようですが、チベットから持ち去られた大量の金銀財宝についても、同じ主張を受け入れるのでしょうか?やっぱり、チベットは歴史的に元々チャイナの一部だったのだから、国内での文物の移動でしかない、などという木で鼻を括ったような話になるのでしょうなあ。チベットの仏像などから剥ぎ取られた金や銀は略奪後に溶かされてしまい、跡形も無いそうですから、「競売」にさえも掛けられません。今は禿山になってしまった原生林から切り出された大木の山も何処に行ったのやら……。本当に「国際社会の協力を仰ぎたい」とチベット人やウイグル人は思っております。


また、パリの裁判所が棄却の理由を「法的に問題ない」としたことは、95年に採択された盗難文化財の返還に関する国際条約「ユニドロワ条約」に反すると指摘。所有者のピエール・ベルジェ氏が「ダライ・ラマ14世をチベットに戻すこと」と政治的な条件をつけたり、高額での買い取りを要求したりしたことを非難した。

■「盗難文化財」として扱え!ということは、相手を盗っ人呼ばわりしているわけですが、これを始めると気が遠くなるような「水掛論」になります。どうやら、チャイナ側としてはチベット問題に言及されたことを看過するわけには行かない事情があるようです。取ってつけたように「国際社会の協力を仰ぎたい」などと言い出しても、国際世論の多くはノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ法王に同情的ですから、こちらの要請も本気ではなかったのでしょうなあ。


競売にかけられるのは、円明園から英仏軍の略奪を受け流出した「十二支像」のうちのネズミとウサギの2体。中国の弁護士約80人が競売の中止を求め、パリの裁判所に提訴したが、裁判所は23日、訴えを棄却する判決を下した。競売は現地時間の25日午後7時から行われる。(翻訳・編集/NN)
2009-02-25  Record China

■「弁護士80人」とは、世界を傍若無人に駆け巡った聖火防衛隊よりも規模が大きくなっておりますぞ。自国内ではマトモな弁護の仕事が無いから暇だというわけでもないのでしょうが、それにしても何かと言うと人海戦術に訴えるお国柄は相変わらずのようであります。

■さてさて、問題のブロンズ像は2体と言っても頭部のみのようです。どうせ運び出すのなら、どうして全体像を無傷で持ち去らなかったのか?公開された写真から類推すれば、首を叩き落して掠奪したとしか思えません。歴史、特に戦争には当事者双方に言い分が有るものですが、円明園の焼き討ちは英仏側にとっては「報復」だったことになっております。そして、実に興味深いことに、この事件にはアテネのパルテノン神殿からレリーフを剥ぎ取った張本人の名前も出て来るのであります。日本では役人の天下りが非難の的ですが、大英帝国時代には貴族階級のジェントルマンが、世界中を引っ掻き回して巡り歩いた模様ですなあ。

チャイナの買い物 其の弐

2009-03-04 18:43:48 | 歴史
■3月になってから、俄かに注目されるようになった感のある落札されたウワギとネズミのブロンズ象でありますが、既に2月の下旬から怪しい雲行きになっておりました。それも「チベット」絡みの口喧嘩も混ざっているので、短時間のうちに政治問題に発展してしまいました。前回の話題として英国とギリシアとマケドニアの問題を取り上げましたが、考えてみれば中華人民共和国と、モンゴル帝国から正式にカーン位を継承して女真族が建てた清朝とは何の関係も無いようなものなのですが……。

2009年2月23日、1860年に英仏連合軍の略奪を受け流出した北京・円明園の十二支像のうち2体がパリで競売にかけられることになり中国側が返還を求めている問題で、所有者のピエール・ベルジェ氏は「ダライ・ラマ14世をチベットに戻すことが条件だ」と話した。……ベルジェ氏は「チベットに自由を与え、ダライ・ラマ14世を彼らの領土に返すこと」を条件とし、中国政府がこれを守れば「喜んでお返しする」と話した。これに対し、環球時報は「馬鹿げた恐喝行為」と一蹴。文物の返還問題に「政治的色彩を加えた」と痛烈に批判し、「現地のフランス人も不快感を示している」などとけん制した。……

■ピエール・ベルジェという人は、2008年6月1日に死去したイヴ・サンローラン氏の長年のパートナーで、サンローラン社の会長も務めた人ですから、同氏の遺品を何処かに寄贈したり返却するのが惜しいという訳ではなさそうです。まあ、多少の嫌味を込めて「ダライラマ法王の帰国」に言及したのでしょうが、時期としては最悪でしたなあ。傍迷惑以外の何物でもなかった世界を巡る聖火リレーなどという過剰宣伝で顰蹙を買った苦い思い出が蘇ります。あの時、フランス大統領のサルコジさんも、いろいろと御苦労なさいましたなあ。


上海欧州学会の張祖謙副秘書長もベルジェ氏の発言に「全く筋が通っていない」と反論。「フランスは当時、中国から文物を略奪し殺人や放火を行った。これらのどこに人権が存在するのか」と話した。競売に掛けられるのはウサギとネズミの頭部の像。25日(現地時間)から開始されることになっているが、これに強く反発する中国の弁護団が19日、仏司法当局に差し止めを申請。その審理が23日(同)からパリ市内の裁判所で行われる。
2009年2月24日 Record China

■こうしたフランスとチャイアンとの間で火花が飛び始めたことを正確に報道した日本のメディアはほとんど無かったような気がします。ブランド好きが多い日本のことですから、サンローランの遺産が競売に掛けられるという話は、ちょっと物欲しそうな雰囲気で小さく報じられていたようではありますが……。北京市内の円明園は観光スポットになってはいますが、瓦礫が転がる廃墟同然ですから往時を偲ぶのにも相当な専門的な知識が必要だそうですなあ。チベット留学時代には否応なく短期間の滞在を余儀なくされた北京市ですが、旅限無はほとんど観光名所巡りなどしなかったので、ガイドブックの写真くらいしか見ておりません。でも、『円明園炎上』とかいう名の古い映画がVCDになっていたのを中古で購入しましたので、多少は歴史的な興味の対象にはなっております。

■清朝の全盛期を作った康熙・雍正・乾隆の三帝時代にほぼ完成したと言われる宣教師が設計した噴水などの設備を持つ美しい庭園だったそうですが、今は無惨な廃墟になっております。さてさて、正確に言えば今の状態になったのは文化大革命時代の破壊によるもので、今回の騒動の発端とされる1856年(咸豊6年)に勃発した第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー号事件では、確かにフランス・イギリス連合軍が乱入して破壊と略奪の限りを尽くしたことになっております。しかし、投入された軍隊の規模と庭園の規模とを比較すると、廃墟にするのは難しかったかも?その後も「義和団事件」などの騒乱が起こる度に破壊されたそうですから、アロー号事件の際に廃墟になったわけではなさそうです。そして今の風景を作ったのは文化大革命だったというオチが付くというわけであります。

■欧州列強がやった事は凄まじいの一言に尽きますが、何でもかんでも大日本帝国を悪役にして騒ぐのを中断して、他国や自国の「正しい歴史」を学び直すよい機会になれば幸いなのですが……。因みにチベット地域で行われた解放(侵略)戦争から文化大革命までに破壊されたままの寺院の跡は各地に残っておりますから、その光景を知っているチベット人が円明園の廃墟を見れば何かを感じられるのかも知れませんなあ。

小沢時代の終わり? 其の弐

2009-03-04 10:25:46 | 政治
西松建設と小沢氏の親密な関係が始まった背景には、小沢氏の“後見人”とされた自民党元副総裁の故金丸信氏の存在があった。「竹下派七奉行」の中でも小沢氏を特に重用した金丸氏が47歳の若さで小沢氏を自民党幹事長に推したエピソードはよく知られる。金丸氏の次男が、昭和40年代後半から西松の社長だった杉本三吾氏の娘と結婚しており、当時の状況を知る同社関係者は、「金丸氏から西松を託されたのが小沢氏だった」と話す。

■閨閥結婚・政略結婚などという前近代的な風習が残っている間は、民主主義は根付かないという話もあるようですが、日本の政・官・財の間には複雑な姻戚関係のネットワークが張り巡らされているのは有名な話です。当人同士が納得して結ばれるのだから、他人がとやかく言う必要は無いというのも道理でしょうが、「血は水よりも濃い」とも申しますから、官僚の天下りを叩くのは簡単でも、複雑な姻戚関係と利権構造とを照合する作業もジャーナリストの使命であるはずです。でも、案外と大手マスコミも同じ穴の狢になっている場合も多いとか……。


金丸氏一辺倒だった西松の“政界人脈”は、同氏の平成4年の政界引退とともに、小沢氏支援へと傾倒していった。西松元社員は「東北では小沢さんが建設に強く、何でも指導力を発揮するので、小沢さんの力を借りたいという動きはあった」と語る。また別の社員は「スーパーゼネコンが仕切っていた談合が6年前ごろからなくなり、業界内の付き合いで与えられる仕事がなくなった。その結果、小沢さんに頼る傾向が強くなった」と明かす。

■「談合」を糾弾するキャンペーンが展開されたのは記憶にありますが、談合が無くなったら「口利き」が横行するだけの事だったのなら、税金の無駄遣いなど無くなるはずはありませんなあ。口を利いた政治家に対する献金分を上乗せして公共事業を落札しては、お礼と称して税金が献金に化けるという具合です。


西松側は、違法献金が問題にならないよう、献金の原資を社員にいったん会費の形で負担させた後、会社側が全額負担するなど巧妙な手口を使っていた。社内では、献金システムを発案したとされる前社長の国沢幹雄容疑者ら一部の幹部以外、使途先などは一切明らかにされず、トップシークレットだったという。会費を払ったことがある西松社員は「上司に頼まれて、断れなかった。何のために使うのか、説明されなかった」。別の社員は「将来の出世に影響すると思い、妻と2人分を支払った。支給総額が10万円ほど多かったが、総額しか書かれておらず、本当に上乗せされていたのか分からない」としている。

■政治献金自体は決して悪い事ではなく、政治家にタカってばかりいて個人献金の額が少ないところが日本の政治風土の問題と指摘する声もあります。しっかりと政治家の政見を聞いて支援者が増えることで政治家の見識が磨かれ政治力が増して行くのが望ましい姿ですから、政党助成金も認められたのです。企業に命じられて献金させられ、自分が誰を支持しているのかさっぱり分からないのでは、帳尻合わせの補填があっても巻き込まれた社員には政治的な自由は無かったという事になりそうです。


……「賞与上乗せ」のほか、社員の名前を使って献金する「名義貸し」のパターンがあったことも新たに分かった。名義貸しに加担した社員は「上司に『名前を借りるよ』といわれ、後日、政治家の事務所から領収書が送られてきた」という。複数の同社関係者は「政治献金をコントロールしていたのは国沢容疑者だった」と証言している。
2009年3月3日 産経新聞

■民主党のリーダーが、まったく民主的でない政治献金を受けて政治活動を行っていたことだけは確かなようです。他人の不幸は蜜の味ですから、自民党よりも先に民主党が自滅崩壊してくれれば、自民党は贅沢を言わずに麻生コロコロ首相を看板にして総選挙に打って出ようとするのでしょうなあ。何だか詰まらない選挙になりそうです。いっそのこと、支持する政治家・政党ではなくて、支持しない政治家や政党の名前を書かせて頂きたいですなあ。

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小沢時代の終わり? 其の壱

2009-03-04 10:25:20 | 政治
■桃の節句に飾られるお雛様は、元々、子供に降り掛かる災厄を引き受けて流される人形(ひとがた)の紙だったそうです。どうやら日本の政界にも、似たような風習があるようですなあ。

東京地検特捜部が3日、民主党の小沢一郎代表の公設秘書を逮捕したことに、今国会で麻生太郎首相を追い込んでいた民主党は強い衝撃を受けている。小沢氏の進退問題が焦点として浮上しており、「ポスト小沢」をめぐる党内抗争に火がつく可能性もある。同党は「寄り合い所帯の色彩が強い」(同党筋)だけに、反小沢勢力の出方次第で、小沢氏は厳しい党運営を強いられそうだ。……
2009年3月3日 産経ニュース

■小沢一郎さんの政治資金を管理している団体の名前が「陸山会」で、逮捕容疑は政治資金規正法違反とは言うものの、本筋は「外為法違反」で逮捕されている準大手ゼネコンの西松建設が作ってばら撒いた「裏金」。小沢一郎さんの政治家としての経歴を思い出せば、首相として初めて逮捕された田中角栄という育ての親がいて、田中金脈の中枢にあったのは「越山会」という政治団体で、田中角栄さんが逮捕されたのはヴェトナム戦争が終わって商売が上がったりになっていたロッキード社から受け取った「裏金」に関して問われた「外為法違反」でした。

■田中派が分裂した後、小沢一郎さんの親分は金丸信さんで、この人は在日米軍に対する「思い遣り予算」を発明した人でしたなあ。秘書が逮捕される直前に、小沢一郎さんは「米軍の第七艦隊」以外は出て行け!と言ったとか言わなかったとか、マスコミが面白がって騒いでいたのも何かの因縁なのかも知れませんが、金丸信さんは北朝鮮で大恥を掻かされて政治家としての晩節を汚し、非常に怪しい金の延べ棒の山と急成長した佐川急便との怪しい関係を追及されて自滅したのでした。金丸逮捕を阻止できなかったと竹下派ばかりか自民党全体から、大番頭役だった小沢一郎さんを糾弾する声が上がって、それに嫌気が差して党を割って飛び出したという噂があるようです。

■政治家の秘書と言えば、竹下元首相の秘書で「金庫番」といわれた青木伊平さんが1989年の4月26日に謎の自殺をした事件を思い出します。竹下・金丸・小沢の三者は姻戚関係でも結ばれてもいますし、自民党内の最大派閥だった田中派を割って旗揚げされた竹下派、その竹下派の内部対立によって自民党を飛び出した小沢グループ、二大政党制などと言っても、与野党の要所要所には田中派出身の政治家がごろごろしているのですから、因果は巡る糸車の感が強くします。


民主党代表の小沢一郎氏と、準大手ゼネコン「西松建設」(東京)の癒着が3日、浮き彫りになった。西松と政界との関係をたどると、小沢一郎氏が“後継者”とされた自民党元副総裁の故金丸信氏との付き合いが原点とされる。……西松建設の2つの政治団体は、平成16~18年の3年間で、与野党の国会議員19人の政治団体などに対して献金を行っている。……自民党の尾身幸次元財務相の資金管理団体「幸政会」に対し400万円、自民党の森喜朗元首相の同「春風会」に対し300万円、民主党の山岡賢次国対委員長の同「賢友会」など……。小沢氏は資金管理団体「陸山会」が1400万円、代表を務める政党支部「民主党岩手県第4区総支部」が1000万円と突出していた。

■政治資金規正法では、企業から政治家個人への献金が禁止されているそうですから、西松建設は社員や家族に献金させて同額を賞与に上乗せして法の網をくぐったという話ですが、そんな単純な手口なら多くの政治家も利用しているのだろうと想像されます。まあ、日本のODA予算を食い物にしたも同然の西松建設による裏金還流事件を決着させるには、それ相応の大きな生贄が必要だったのかも知れません。


ある検察幹部は「ほかの議員は、パーティー券の購入が主だったり、献金時期が盆暮れに集中するなど儀礼的な傾向が強い。小沢氏の長年にわたる献金は、金額や献金時期においても際立っている」と小沢氏側の立件の意義を話す。

■自民党を飛び出した後、細川政権を樹立して政治改革法案を通したのは小沢一郎さんで、小選挙区制と政党助成金制度を核としたものでした。前者は「二大政党制」を目指すもので、後者は「政治とカネ」の問題を根絶するという話だったのですが、野党第一党が奇怪な寄り合い所帯政党のままでは、政治はいつまでも安定しそうにありませんし、税金から政党助成金を出しても政治家個人の「資金力」競争は無くなりませんでした。