旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

言った、言わない、記憶に無い 其の壱

2009-03-13 21:57:51 | 政治
■「政府高官」とだけしか報道されないオフレコ懇談が発火点となった民主党の小沢クラッシャー代表の政治規制法違反疑惑、米国では映画化もされたウォーターゲート事件の重要証言を繰り返した「ディープスロート」が有名ですが、情報源の秘匿はジャーナリストの生命線です。今回は国民の目にはほとんど触れない内閣官房副長官の口から出た言葉が独り歩きしたのが騒ぎの発端で、オフレコの仁義を破って実名をバラしたのは河村建夫官房長官という身内中の身内で、それも3月8日の日曜日の朝という人騒がせな時間帯、伝播力と衝撃度を高める目的とするかのようにフジテレビの報道番組という場所でのことでした。

■公共の電波で顔を晒して発言したのですから、河村官房長官は今更、「言ってない」とは言えません。一説には「捜査は自民党議員には波及しない」という重大な発言が政界中を揺るがしている様子に怯えた河村さんが、「オレじゃあねえよ」と保身の保険を掛けての公言だったとも言われているようです。しかし、総理大臣のスポークスマン役なのですから、個人的な保身と考えるより麻生コロコロ首相からの指示に従ったと考えた方が筋が通るような気もしますなあ。

■発言の主とされる漆間巌官房副長官は、実に堂々とした態度で国会やマスコミの前に姿を見せたのにはちょっと驚きました。不祥事を起こした会社の責任者が会見場に引っ張り出されると、大概は「この程度の人物か?」と呆れるような小人物だったという場合が多いものですが、さすがはエリート官僚の総元締め、そして警察一家のサラブレッドで警察機構の頂点に君臨していた人物らしく、野党議員だろうがオフレコ懇談の相手だった新聞記者本人だろうが、眉毛一つも動かさず、冷静に淡々と官僚答弁の見本みたいな応答ぶりを見せてくれました。

■「私と私の秘書官の記憶を突き合わせた結果、そういう発言はしたことはない」という卒の無い言い回しには感心してしまいました。自分の思い込みでなく複数の記憶を「突き合わせる」ことで客観性を静かに醸し出し、現場で取材していた20人の記者を徹底的に見下すエリート官僚ならではの迫力が出ていますなあ。漆間さんは歴代の社保庁長官などとは桁違いのエリートらしく、この程度の「暴言」を取り上げられても逃げも隠れもしません。テレビ局を馬鹿にしているのか?新聞や雑誌の取材には余裕シャクシャクで小まめに応じている様子なのに、今のところはテレビ局には出掛けていないようです。

■9日の首相官邸で行われた記者会見は大きな見せ場となったようです。何せオフレコ懇談に参加していた記者が前列にぞろりと並んでいたそうですからなあ。どうやら、最初にオフレコの仁義を破ったのが朝日新聞だったという話が広がっているらしく、同紙の記者が鉄壁の漆間証言に喰って掛かったとか……。「自民党って言ったでしょう?」と詰め寄ったものの、「『検察の捜査についてコメントする立場にない』と終わらせればよかったが、昔、捜査にかかわった経験もあり、一般論としていろんな説明をした。特定の政党の話が出た記憶はない」と釈明して見事な肩透かし!

■官房長官に実名をバラされた直後の会見でも、決して慌てず騒がず、「非常に微妙な時期なので一般論でも捜査に関する話をしたのは適切でなかった。みなさんの認識に誤りを生じさせ、大変申し訳ない。反省している」と謝罪したことにして、「飽くまでも一般論」だったの一点張りで押し通す様子です。検察のやり様と言い、警察官僚の親玉の話しぶりと言い、この国は大変な官僚専制国家になってしまっているのですなあ。そもそも、子供達に「勉強しろ!」と、明治時代から怒鳴り続けた日本の親たちは、我が子に高学歴を授けたい、出来れば高級官僚の採用試験に合格するくらいの「試験名人」になって貰いたい!という下心丸出しで、或る時は物や甘言で釣り、また或る時は鉄拳制裁も辞さない脅迫手段も駆使してお役人への道を進めようと頑張っていたのかも知れません。

■高級官僚とべったり関係を築いている大企業・一流企業への就職も似たような動機で我が子を受験戦争に投げ込んでいたのかも知れませんが、教育制度を弄繰り回し過ぎた結果、何が立身出世なのかが誰も分からなくなってしまった昨今の混乱振りは、喜ぶべきなのか、悲しむべきことなのか?答えに窮してしまいます。複雑怪奇な法令集や日本語とも思えない法律条文を正確に記憶し、陰謀渦巻く官僚の密林で生き延び、食われる側ではなく常に食う側に立ち続けた数十年の「キャリア」 があって、一滴の冷や汗も浮かべることなく。都合の悪い「記憶」は綺麗に消去して開き直れる神経と体質を手に入れることが出来るのでしょう。こういう人は長生きしそうですなあ。

■心臓に爆弾を抱えていると、もっぱらの噂になっている小沢クラッシャー代表が乱闘めいた喧嘩に勝てるのか?日本中が多少は白けつつも注目しているのであります。

3月になる前に 其の壱拾壱

2009-03-13 18:39:16 | チベットもの
■辛亥革命で成立した中華民国政府は、倒した清朝の不義を徹底的に非難していたのに、支配圏だけはどさくさ紛れに継承しようとします。でも、孫文の理想国家にはウイグルもチベットも入っていなかったのですから、ますます話はややこしくなります。1914年に大英帝国は独断でチベット独立を承認しますが、これは自分たちが領有していた植民地のインドとの境界線を画定してインドの隣国も支配下に置こうとしたのでした。中華民国は倒した清朝が持っていた「宗主権」を継承するとかしないとか、訳の分からないことを言っている間に大英帝国は全権代表としてヘンリー・マクマホンをインド北部のシムラという避暑地に送り込んで、中華民国を完全に無視して英領インドとチベットとの国境線を思い切り北上させる「マクマホン・ライン」を引いて新たな国際条約を結んだのでした。

■今でも帝国書院発行の世界地図でブータン王国を探せば、その東隣に奇妙な点線に囲まれた空白領域が明示されているはずです。その点線の北側には「マクマホン・ライン」と書かれています。100年以上も消えない聖なるガンジスの上流に残された巨大な真空地帯であります。でも、このブラマプトラ河が二つ折になるように方向転換する山岳地帯を英領インドに組み入れることで、チベットは完全な独立を国際条約によって勝ち取ったのでした。

■それから50年。昔のモンゴル帝国みたいに、世界最大の檀家さんにしてしまえば何とかなるとでも思ったのか、まさか相手が「宗教はアヘンだ!」と咆哮する18世紀の科学を剽窃した新興宗教集団とも知らず、チベットは仏教国ゆえの弱点を露呈してドイツ製・ソ連製・旧日本製・米国製の最新兵器に攻め滅ぼされてしまうことになります。そして迎えたのが1954年の4月、『中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインド間の通商・交通に関する協定』が締結されるのですが、これは「マクマホン・ラインは無効だよね?」と周恩来が猫なで声でインドに迫る内容で、その前文に例の「平和五原則」が書き込まれたのでした。

■つまり、日本の知識人と呼ばれたお祭好きな人達が思いっ切り拡大解釈して感動の余り金科玉条のように押し頂いたと言われる周恩来の『平和五原則』は、大英帝国が中華民国を無視してチベット政府と締結した条約を無効にするために作られた一見当たり障りのない理想主義が凝り固まったようにも見える遠謀深慮の結晶たる外交文書の「前置き」だったということです。これによって『シムラ条約』は無効となり、従って締結国だったチベットの独立も無効で、インドと中華人民共和国とは新しい国境線を探す間柄になりましょうね。という実に無視の良い策謀だったことが分かります。この周恩来の微笑み外交に騙されたネルーは、インド国内で政治生命を失うことになります。奇しくも周恩来がインドに微笑み外交を仕掛けてから10年後、即ち東京五輪が開催された年に「毛沢東の原爆」がウイグル自治区で炸裂したのでした。

■1954年の6月には、周恩来首相がインドを直々に訪問して『平和五原則』が両国の共同声明の形で再確認されまして、何となく一般国際関係にも適用されるべきものだ!と仲良く宣言したものですから当時は「第三世界」と呼ばれた国々や、何故か分かりませんが日本国の中にも熱狂的な支持の声が湧きあがったのだそうです。危ない、危ない。

■世界最大の人口を抱える革命社会主義国家を自認する中華人民共和国と、世界最大の有権者を抱える民主国家のインドとが手を結んだことで、何が何だか分からないまま「第三世界」と連帯すれば、どういう理由だか分からないけれども一挙に世界平和が実現する!という美しい夢物語があちこちで活字になって踊ったのだそうです。その勢いは冷戦最前線に位置していた日本の学校教科書にも反映していたのは確かです。しかし、運命の1959年にダライ・ラマ14世の亡命問事件が起こり、『平和五原則』など何処吹く風とばかりに始まったのが中印国境紛争でした。この時にインドはやっと目が覚めたのだそうですなあ。

漢字という財産 其の七

2009-03-13 18:39:03 | 日本語
■2003年から5回も「実地検査」を繰り返した文科省の姿は、毒ゴメ事件で共犯扱いまでされた農水省の出先機関を彷彿とさせますが、オウム真理教の最終的な管轄も文科省だったというのは因果な話であります。流石にオウム真理教には「天下り」役人は居なかったようですが、一説には日本漢字検定協会が文科省に付け狙われたのは「天下り」を拒否されたからだ!という身も蓋も無い話があります。文科省が正義の味方みたいに「公益のくせに儲け過ぎだ!」と義憤に駆られたようなことを言っているようですが、本音は「儲かったのは文科省の御蔭なのに天下りさせないとは怪しからん」という実に「さもしい」話。大儲けしている公益法人は他にもたくさん存在しているのに、しっかり天下り役人と儲けを山分けしているから安泰だとか……。

■漢検の受験者が急増したのは財団法人の威光ばかりでなく、大久保昇氏の息子で協会副理事長になっている浩氏が電話営業などの積極策を推し進めたからだいう話が『週刊朝日』に出ていますから、不動産業者が始めた怪しげな漢字検定に文科省が目を付け、そこに有名人やら学校関係者も群がって時ならぬ「漢字ブーム」が起こったという事なのでしょうなあ。でも、漢検用の教材などに手を出さなくても、自分の漢字力や言語能力を高めるのに役立つ良い本は山ほどあるのですから、役人が喜ぶだけの資格を取得しようと目の色を変える必要はないでしょう。

■試みに立派な理念でも掲げてあるかと、日本漢字検定協会のHPを覗いてみましたら、以下の文章くらいか見つかりませんでした。宣伝めいた「漢検のメリット」をくどくどと説明するコーナーや、漢検資格を単位認定に使っている学校名を羅列したページ、そしてお決まりの「合格者の声」などが載っているだけでした。


……近年では生涯学習が叫ばれていることからこのように様々な年齢層の方々に受検されています。これは漢字能力検定の魅力のひとつといえます。また、ワープロの普及によってワープロを効率よく、正確に、かつスピードをあげて打つには最低限度の漢字の知識が必要になることから漢検合格を目標として学習する方も増えてきており、企業の中には、漢検合格のための特訓講座をもうけるところまででてきています。さらに、漢検取得者を入試で評価する大学・短大の増加や、大学・高校での単位認定校の増加により、漢検の重要性が認められています。

■何故、今、漢字なのか?ボケ防止とワープロ入力の効率化に本当に漢検が必要なのか?もう一つ漢字検定の文化的教育的意義が明確になっていません。でも、高校・大学・企業へと浸透し続ける漢検の「魅力」は懇切丁寧に説明されていますぞ。こういう営業用の宣伝文句にうまうまと乗せられるようでは、あまり文化教養のレベルは高くないと判定されてしまいそうですなあ。漢検に関する寂しい話はこれくらいにしておきましょう。

漢字という財産 其の六

2009-03-13 18:38:46 | 日本語
■高島俊男さんの御指摘によりますと、「準1級、1級」の問題という代物は、

漢和辞典や漢字漢文の本から、なるべくむずかしげな、自分でもわからない字やことばを拾って問題にするのだろうが、その問題がまったく無系統で断片的……

なのだそうですから、教則本・練習問題・予想問題などなど、いくらでも濫造できることになります。もう少し、高島俊男さんの言葉を引用しますと、漢検に合格することは「無知、あるいは浅薄な知識をすすめ、もしくは品性低劣をすすめることになる」のだそうで、実際に出題された内容には「言語のバランスを失した文章がぞろぞろ出てくる」のだそうです。そんな問題を銭を貰って作っている「問題の作者は、現代口語文について常識がない」と切り捨てられてしまいます。出題者は「無知の極み、救いようがない」とまで断言されますと、何処かに今も暮らしている「出題者」がちょっと可哀想になりますなあ。

■悪口雑言のようにも思えますが、高島俊男さんが選び抜いた?珍問・愚問・大間違いの実例は『文藝春秋』4月号で御確認ください。虎の威を借るように高島俊男さんの言葉を引用してしまいましたが、実は旅限無も漢検2級の認定を受けております。以前に勤務していた某学習塾の指導方針に従って受験したまでの事ですが、勿論、人を喰ったような教則本や問題集の類はまったく購入しなかったのは不幸中の幸い?塾生の保護者の皆さんも熱心に受験していた姿を思い出しますと、あの後、大久保商法に載せられてしまったのでは?と少し心配にもなりますが……。

■大久保昇氏の立身出世?の概要が新聞記事に掲載されていますので、手元にある『週刊朝日』2月13日号などを参考にして一部手を加えて引用します。


1971年 大手家電メーカーを退社した大久保昇氏が不動産会社「オーク」を設立。

1975年 オークの事業として任意団体「日本漢字能力検定協会」を設立。第1回試験の受験者は672人。

1992年 財団法人となって漢検は文部省認定の技能資格になる。

1995年 受験者は40万人。

1997年 年間受検者100万人を突破

2002年 年間受検者200万人を突破

2003年 文科省が実地検査。
2004年 文科省が実地検査。
2006年 文科省が実地検査。収支均衡対策を兼ね漢検9、10級新設。
2007年 1級と準1級の受検料を値下げ。受験者は272万人。
2008年 文科省が実地検査を実施し「もうけすぎ」を指摘
2009年 文科省が異例の5度目の実地検査

2009年3月10日 毎日新聞

■ざっと見渡しますと、何だかオウム真理教と同時期に旗揚げして急成長しているような印象を受けますなあ。オウムが地下鉄サリン事件のテロを仕掛けて暴発した年を挟んで、大久保商法は文部省の認定を受けて100万人も信者ならぬ受験者を掻き集めていたことになりますなあ。旅限無が受験したのはオウム真理教の恐怖が日本中に充満していた96年頃だったはずです。オウム真理教の教祖様は偽薬の販売で摘発された前科を持つ自称救世主でしたが、大久保昇氏の本業は不動産業だったそうですから、80年代から京都市内の不動産を買い漁ったというのも無理からぬ話かも?