旅限無(りょげむ)

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チャイナの買い物 其の壱

2009-03-03 16:01:23 | 歴史
■歴史遺産の帰属と返却に関しては様々な問題がありますが、衆人環視の世界有数のオークションという場所で競り落としておいて、「元々は自分も所有物だからカネは払わんぞ!」と開き直るという荒業を使えるのは、チャイナの成金ぐらいなものでしょうなあ。この騒動を検証する前に、有名なギリシア・アテネのパルテノン神殿から剥ぎ取られたレリーフの問題を検証してみましょう。
 
■1980年代にギリシアの文化大臣を務めていたのが世界的大女優のメリナ・メルクーリさんで、『日曜はダメよ』という名作を筆頭にカンヌ映画祭などでも高く評価されていたネームバリューを活かして英国に対して正式な外交ルートを通して「お返し願いたい」と申し入れたのは有名な話。結局は保管している大映博物と英国政府から「お返し出来ません」との丁重な返答が送られてレリーフは返還されなかったようですが、メルクーリさんは欧州や日本で文化活動を展開して立派な業績を残したのでした。英国もひやりとしたことでしょう。18世紀と19世紀は欧州列強が古代文明の発掘に熱心で、大物狙いの競争が繰り広げられまして、エジプトやメソポタミアは文字通りの草刈場と化して考古学的なデータも取らずに強盗さながらに獲物を求めてあちこち掘り返してしまい、中には輸送中に壊れたり水没したりした貴重な品物もあったくらいです。有名なシュリーマンも相当に乱暴なことをやったそうですからなあ。

■何せ当時はオスマントルコ帝国が健在でしたから、エジプトもメソポタミアもスルタンの一筆を貰えば掘り放題だったようです。問題のレリーフにしても、英国のエルギン伯爵がスルタンの「勅旨」を受けて持ち返ったのだ!というのが英国側が主張する話の基盤になっているのです。後は取って付けたように「保管技術が優れている」だの「大英博物館は無料で公開している」だの、手前味噌な自画自賛が並べられたようです。それに対してギリシア側としては、スルタンの「勅旨」は偽物である可能性が高いぞ!という英国にとっては致命的なところを突きながら、大英博物館に負けない保存専用の施設を作るから返しておくれ、と食い下がったのだそうです。

■実は持ち帰ったレリーフを英国の誰かさんが乱暴に洗ってしまったので既に作品は変質してしまっているという事実を英国も認めざるを得ず、忸怩たる思いで「その点は謝罪します」と頭を下げた上で、改めて返却には応じられないという話になったようです。まあ、その後EU統合の時代になってしまいましたから、英国とギリシアの間で喧嘩をしても詰まらないという大人の政治決着となったようですが、欧州各国が保管している膨大なコレクションを持ち出した場所に返還するなどという事にでもなったら大変でしょうからなあ。

■更にややこしいのは、古代ギリシアと今のギリシアとはどれほどの結びつきが有るのか?という非常にややこしい問題があります。ユーゴスラビアが崩壊してあれよあれよと思う間に分裂独立が起こって「マケドニア共和国」も1991年に独立したのでした。しかし、マケドニアと言えばアレキサンダー大王が生まれた有名な国ですから、武力で占領されたとは言え大王の家庭教師がアリストテレスだったなど因縁深いギリシアとしては、古代マケドニア王国の領地を自国領に含んでいることもあって、「マケドニアという国名」を奪われたような気がするのでしょう。ヴァルダルやらスコピエなどの地名で呼んでいるそうです。国旗も古代マケドニアに由来するデザインになっているのが気に入らないそうで、今でも文句を言っているのであります。

■マケドニア側としても、アレキサンダー大王の時代は「今は昔」の話で、大王の帝国が分裂した後、スラブ人が続々と南下して定住して混血が続いた上にキリスト教化も進みましたから、古代マケドニアとの縁は薄くなったなあと思っているかも知れません。でも、世界的に知られている「歴史的な地名」ですから、観光産業や国際親善のためにも有効利用したいところでしょう。文句を言っている方のギリシアとて、アテナイやスパルタの面影などは神殿の遺跡くらいしか残っていないわけでして、長い長いトルコ化の歴史、その前にはビザンチン帝国のキリスト教文明化がありましたから、アレキサンダー大王の時代にまで遡って「マケドニア」の国名を商標登録みたいには扱えない弱みはありそうです。

■パルテノン神殿のレリーフに関して、さらに詳しいことを知りたければ、以下の本などが参考になるでありましょう。
パルテノン・スキャンダル (新潮選書)
朽木 ゆり子
新潮社

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