旅限無(りょげむ)

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チャイナの買い物 其の弐

2009-03-04 18:43:48 | 歴史
■3月になってから、俄かに注目されるようになった感のある落札されたウワギとネズミのブロンズ象でありますが、既に2月の下旬から怪しい雲行きになっておりました。それも「チベット」絡みの口喧嘩も混ざっているので、短時間のうちに政治問題に発展してしまいました。前回の話題として英国とギリシアとマケドニアの問題を取り上げましたが、考えてみれば中華人民共和国と、モンゴル帝国から正式にカーン位を継承して女真族が建てた清朝とは何の関係も無いようなものなのですが……。

2009年2月23日、1860年に英仏連合軍の略奪を受け流出した北京・円明園の十二支像のうち2体がパリで競売にかけられることになり中国側が返還を求めている問題で、所有者のピエール・ベルジェ氏は「ダライ・ラマ14世をチベットに戻すことが条件だ」と話した。……ベルジェ氏は「チベットに自由を与え、ダライ・ラマ14世を彼らの領土に返すこと」を条件とし、中国政府がこれを守れば「喜んでお返しする」と話した。これに対し、環球時報は「馬鹿げた恐喝行為」と一蹴。文物の返還問題に「政治的色彩を加えた」と痛烈に批判し、「現地のフランス人も不快感を示している」などとけん制した。……

■ピエール・ベルジェという人は、2008年6月1日に死去したイヴ・サンローラン氏の長年のパートナーで、サンローラン社の会長も務めた人ですから、同氏の遺品を何処かに寄贈したり返却するのが惜しいという訳ではなさそうです。まあ、多少の嫌味を込めて「ダライラマ法王の帰国」に言及したのでしょうが、時期としては最悪でしたなあ。傍迷惑以外の何物でもなかった世界を巡る聖火リレーなどという過剰宣伝で顰蹙を買った苦い思い出が蘇ります。あの時、フランス大統領のサルコジさんも、いろいろと御苦労なさいましたなあ。


上海欧州学会の張祖謙副秘書長もベルジェ氏の発言に「全く筋が通っていない」と反論。「フランスは当時、中国から文物を略奪し殺人や放火を行った。これらのどこに人権が存在するのか」と話した。競売に掛けられるのはウサギとネズミの頭部の像。25日(現地時間)から開始されることになっているが、これに強く反発する中国の弁護団が19日、仏司法当局に差し止めを申請。その審理が23日(同)からパリ市内の裁判所で行われる。
2009年2月24日 Record China

■こうしたフランスとチャイアンとの間で火花が飛び始めたことを正確に報道した日本のメディアはほとんど無かったような気がします。ブランド好きが多い日本のことですから、サンローランの遺産が競売に掛けられるという話は、ちょっと物欲しそうな雰囲気で小さく報じられていたようではありますが……。北京市内の円明園は観光スポットになってはいますが、瓦礫が転がる廃墟同然ですから往時を偲ぶのにも相当な専門的な知識が必要だそうですなあ。チベット留学時代には否応なく短期間の滞在を余儀なくされた北京市ですが、旅限無はほとんど観光名所巡りなどしなかったので、ガイドブックの写真くらいしか見ておりません。でも、『円明園炎上』とかいう名の古い映画がVCDになっていたのを中古で購入しましたので、多少は歴史的な興味の対象にはなっております。

■清朝の全盛期を作った康熙・雍正・乾隆の三帝時代にほぼ完成したと言われる宣教師が設計した噴水などの設備を持つ美しい庭園だったそうですが、今は無惨な廃墟になっております。さてさて、正確に言えば今の状態になったのは文化大革命時代の破壊によるもので、今回の騒動の発端とされる1856年(咸豊6年)に勃発した第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー号事件では、確かにフランス・イギリス連合軍が乱入して破壊と略奪の限りを尽くしたことになっております。しかし、投入された軍隊の規模と庭園の規模とを比較すると、廃墟にするのは難しかったかも?その後も「義和団事件」などの騒乱が起こる度に破壊されたそうですから、アロー号事件の際に廃墟になったわけではなさそうです。そして今の風景を作ったのは文化大革命だったというオチが付くというわけであります。

■欧州列強がやった事は凄まじいの一言に尽きますが、何でもかんでも大日本帝国を悪役にして騒ぐのを中断して、他国や自国の「正しい歴史」を学び直すよい機会になれば幸いなのですが……。因みにチベット地域で行われた解放(侵略)戦争から文化大革命までに破壊されたままの寺院の跡は各地に残っておりますから、その光景を知っているチベット人が円明園の廃墟を見れば何かを感じられるのかも知れませんなあ。

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