goo

極楽飯店.55

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


未だ壁が取り払われていない坂本、田嶋、藪内は置き去りのまま、白井の質問はさらに続いた。

とはいえ、坂本たちに「取り残されている」といった表情は見られない。彼らにとっては、俺たちの間で何が起きているかが捉えられないし、さらに言えば、このやりとり(繋がり)が、時間を超えた(時間のない)次元で行われているため、彼らにしてみれば、ほんの一瞬の中で行われているものにすぎないのだ。

(いや、ですから…。心を開けなんて簡単に言いますが、臆病な私たちにとって、防御壁(カルマ)を消すということは至難の業なんです。私自身も、なぜ今この状態にあることができているのかも理解できていないんです。自分の意志とは関係なく、何かこう、ハプニング的に起きたような……)

白井が源(ソース)を通じて無言のまま閻魔にそう問い掛けると、彼もまた(その疑問の中に、すでに答えがあるじゃないか)と、無言のまま返答する。

(まず第一に、「自分でカルマを消そう」という、その態度自体が間違っているんだよ。だって、考えてもみてごらん。そのカルマを消そうとしている「自分」は、カルマあってこそ存在できる「自分」なんだよ。壁があるからこそ生まれる自分だ。だからこそ、「自分がカルマを消そう」とすれば、そこに確固たる「自分」が在り続けてしまうでしょ。ムネっちが指摘したとおり、まさに「自分を守るために」カルマを抱えているんだから)

(あっ……。そうか、確かに)

(だからね、「自分でカルマをなくそう」という試みは空回りするだけだよ)

(いや、……だとしたら、余計にどうすればいいかわからないじゃないですか)

(難しく考えすぎだよ。「自分で」しようとせずに「繋がり」を信頼して、それに身を委ねるんだ。源(ソース)は燦々と降り注ぐ太陽のように、いつだって僕たちに熱を与えてくれている。君たちが冷却装置を切ってくれさえすれば、その熱は氷を溶かしてくれるんだ。繰り返し話している通り、「思考」と「恐れ」がなければ、その状態は自然に訪れるんだよ。君たちだって何度もその状態を経験しているじゃないか)

(何度も、経験してる? でもそれは、さっき言っていた自覚も一緒に失っている、寝ている時の話しですよね)

(いや、それ以外でだって日常的に経験してるさ。ただ、その状態を意識的に維持できていたかといえば「ノー」だけどね。思い出してみて。「思考」と「恐れ」が消え、源(ソース)の優しさと暖かさに触れることができる状態、それがどんな時かを)

なるほど…。そういうことか。

あのドアを通り、プリズムの向こうへと入った時に感じた「ここに来るのは初めてじゃない」という感覚は正しかった。

閻魔の示す通り、そこへは何度も、日常的に足を踏み入れていた。

ただ、それがあまりにも瞬発的なため、記憶に定着していないだけ。それでもやはり、その感覚は誰もが経験済みだ。

それに気づいたとたん、俺は、つい声を上げて笑ってしまった。

「あははははははは! ……なるほど確かに、この時ばかりは思考も恐れも停止するな」

そして、俺と閻魔は目配せすると、二人同時に白井を見つめ、さらに大げさに笑ってみせた。

「ほら白井、キョトンとしてないで早くおまえも笑ってみろよ」

「え?なに?どういうことですか?………あっ!そうか!!あはははは! なるほど!確かに!あはははは……」


……つづく。



←今日は、笑いながら。
コメント ( 295 ) | Trackback ( )

極楽飯店.54

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


『その自覚があろうがなかろうが、僕たちは、決して分割できない一つの同じ存在』

閻魔が話したその言葉の意味が、白井のカルマが消えた瞬間、ようやくクリアに飲み込めた。

白井の問いは俺の問いであり、その問いに対する閻魔の答えは俺の答えとなる。

奇妙な感覚の中で、理解は新たなカタチへと変わっていった。




「カルマ」という名の氷があろうがなかろうが、一つの同じ存在。

そしてその「カルマ」さえも、決して「悪」ではない。元から神の中にある、同じ質のエネルギーだ。

一つの同じ物質が、温度によってその状態を変化させるのと同じように、神の中に満ちるエネルギーの総量は、増えもしなければ、減りもしない。

風船の中にあるものを「H2O」だと例えるなら、それが気体として空間に満ちているか、液体として流動しているか、それとも、固体として形作られているかといった違いだけだ。


(そうなんだ!タクちゃん、いいところに気づいたね。まさにその通り、僕たちは一つの同じ存在として、増えもしなければ減りもしない。生まれもしなければ消えもしない(不増不減・不生不滅)。僕たちに満ちているそれは、「恐れ」によって冷やされ、愛によって暖められる。そうやって「状態」を変化させ続けて脈動するエネルギーそのもの(諸行無常)が僕たちなんだ。こう考えてみて。源(ソース)の中心に向かえば向かうほど高温になっていく。そこは、どんなに固まった氷だろうと、瞬時に気化させるだけのパワーを秘めているんだ。逆に、この源(ソース)から離れれば離れるほど、温度は低下し、気体を液体へ、液体を固体へと変化させていく。ムネっちが抱えていた氷が気化すればほら、この通り。僕たちは「ひとつ」を実感することができる。そしてまた、いまだ氷を抱えたメンバーだって、その「状態」が変化すれば、ひとつになれることが、ハッキリとわかるでしょ)



(人間が抱える「苦悩」は、まさに源(ソース)から離れようとする姿勢から生まれる。言い換えるなら、分離意識の強まりに比例して、凝り固まった思考の集積に比例して苦しみを感じる。神界(ソースの中心)から離れるからこそ不安が生まれ、神を、愛を求めだす。そして、愛を求めて彷徨い出すが、愛を見失っているがゆえに、その努力は「分離感」を増す方向に傾き、状況をより悪化させてしまうんだ)

愛を、見失っている…?

(そう。「愛」は存在の内側にある。「コミュニオン」という繋がりそのものが、もっと言えば自分という存在そのものが愛なんだ。でも、カルマで源(ソース)との繋がりを閉ざされた状態にいると、それが感じられなくなり不安へと変わる。そして、その不安を外側での交流、「コミュニケーション」で補おうとしてしまうんだ。「ひとつになる」という潜在的に知っている安心感を求め、「個」を保った状態の中で、擬似的に「ひとつ」を再現しようと藻掻く。しかし、その状態では何処まで行っても「個」という性質(「分離感」という苦悩の根本原因)から抜け出せ無い。むしろ「他」との関係性の中で、より「個」を強めてしまうんだよ)

じゃぁ、一体どうすればいいと言うんだ?

(だから、何度も言っているじゃないか。本質的な救いは、自分が神であることを思い出すしかない。愛を外にではなく、内に見つけなければならない。世界には数え切れないほどの対立が存在するけど、その原因をたどっていけば、どんな対立も同じ理由が起点となってる。それは「わかりあえない(隔たりがある)」という状況だよ。それを解決するには、その隔たりを無くさなければならないんだ。その「隔たり」とは、つまり、「カルマ」そのもの。「他」が存在するという錯覚の中で恐れが生まれ、その恐れゆえに「カルマ」という壁で防御をはかっているのが人間なんだ。そこから脱するには、「分離」という錯覚を見破るか、自らの手で築きあげた防御壁を取り払うかしかない。どちらにせよ、源(ソース)を信頼して心を開く必要があるね)


……つづく。



←神を信じるとはつまり、己を信じるということ。アナタハ カミ(じぶん)ヲ シンジマスカ?(シンジラレマスカ?)
コメント ( 54 ) | Trackback ( )

極楽飯店.53

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


その後も俺と閻魔は、源(ソース)を通して多くを語った。

とはいえそれは、これまで俺の中にあった「語り」とは全く異質なものだ。カタチとしては「個」を保ちつつも、質的には源(ソース)と繋がり、自他が「ひとつ」となっている。

そこにあるのは「やりとり」ではない。自分対自分の「繋がり」だ。

コミュニケーションや、テレパシーには、かならず「相手(自分以外)」が存在するものだが、この次元(閻魔曰く「聖霊の次元」)においては、「相手」が存在しない。奇妙な感覚ではあるが、自分を規定する壁が取りはずされた今、目の前にいる相手もまた、やはり「自分」なのだ。

源(ソース)を通じて「ひとつ」となった己しかないのだから、厳密に言えば、そこで「やりとり」は不可能。

「神」という本質的な自分自身の中において、未知と既知が溶け合う、この不可思議な繋がり。閻魔が「コミュニオン」と言ったそれには、どこか懐かしさに似たものがあった。


(そりゃそうさ。君は一時も源(ソース)と切り離されたことなんてない。ただ、自覚がなかっただけなんだ。その懐かしさや、既に知っていたという感覚はそこからくる。考えてもみてごらん。さっき話した通り、源(ソース)は存在する唯一の「命」、あらゆるエネルギーの原点だ。生命として生きる君が、命から離れられるはずがないじゃないか。君はこれまでも、これからも、この源(ソース)からエネルギーを供給され続ける)

いや、しかし…。これまで俺たちはその源(ソース)との間に「詰まり」が、「カルマ」があったワケだよな?だとしたら、その間エネルギーの供給が途絶えていたということになってしまうじゃないか。

(うん。タクちゃんの言う通りだよ。パイプが詰まっていれば、その間どんなエネルギーも通らない。だからこそ、君には「睡眠」が必要だったんだ)

睡眠?

(さっき話したよね、カルマは「思考」と「恐れ」によって形成されていると。それを逆に考えれば、「思考」と「恐れ」を落とせば「詰まり」がなくなる。つまり、源(ソース)と繋がるってことさ。君はそれを「睡眠」を通じて経験していたんだ。深い睡眠状態には「思考」も「恐れ」も存在しないでしょ?)

夢は?夢を見るのは「思考」じゃないのか?それが悪夢なら「恐れ」もあるだろ?

(「夢」を見るのは眠りが浅い状態の時だよ。聞いたことない?人間は一晩のうちに、浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返している。僕が言っているのは「深い眠り」の方。「思考」と「恐れ」が完全に消失した眠りのことだよ。そこにおいて、君は生命エネルギーの多くを得ていたんだ。だからさ、いくら食べ続けても、眠らないと活動し続けられなかったでしょ?)

「思考」と「恐れ」が完全に消失した眠り……。言い換えれば、そこで俺は、神と繋がっていたってことか?

(そう。タクちゃんだけじゃないよ。誰もがそうなんだ。タクちゃんの場合は、その状態を再現できていたのは一晩に数分程度。たったそれだけの中で、24時間活動するだけのエネルギー供給を受けていたんだ。しかし、残念ながら深い睡眠で得られるその感覚は、記憶されることは少ない。「思考」や「恐れ」と同時に、「自覚」も消失してしまっているからね。もしその感覚を朝起きた時に持ち帰ることができたなら、それは「予知夢」などの特異なインスピレーションとして活用されただろうね。タクちゃんにも、少しぐらいなら経験があるんじゃない?)

さて、どうだったろうな。

(本当は「睡眠」じゃなくてもいいんだけどね。問題は、いかに「思考」と「恐れ」から離れられるかって話しだから。「思考と恐れがない」ってことはつまり、「リラックスしきっている」という状態なんだ。君たちはカルマがあるからこその分離感によって、安心感を失ってしまっている。だからこそ、この「リラックス」や「くつろぎ」と呼ばれる状態を深められない。リラックスしきっているとき、くつろぎきっているとき、人は源(ソース)と繋がることができる)


と、その時だった。源(ソース)を通じた繋がりの中に、俺と閻魔以外の声が響く。気がつくと、白井がまっすぐな眼差しで閻魔を見つめていた。

(いや、しかし……。そうとはいえ、人が神を求めるのは、某かの恐れがあるからこそではないですか。数々の問題にさらされ、どうすれば苦悩と決別できるのかと、思考しているときではないですか。その状況において「リラックスしろ」だとか「くつろげ」と言われても、できるものじゃないと思います)

「白井、おまえもっ!」

そのエネルギーを内側で感じた時、またバツンと大きなインスピレーションが降ってきた。

すると、まるで俺の意志に合わせるかのように、閻魔の横で浮かぶ風船が、ボコボコと音を立て瞬く間に変形し、小さな突起を増やしていく。

「ああ、そういうことか!」



……つづく。




←深い眠りに入る前に。
コメント ( 46 ) | Trackback ( )

極楽飯店.52

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


「でも…、今の話が本当だとしたら、私自身が神ってことになってしまいますよね…」

白井が戸惑いながらそう言うと、閻魔はその通りだと笑った。

「ねぇムネっち。『モーセの十戒』は知ってるよね」

「え?『十戒』って、旧約聖書の出エジプト記に書かれているアレですよね。知ってますけど…」

「その一番目に出てくる言葉を思い出してごらん」

「一番目?え~と確か、『私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない』だったと思います」

閻魔は、白井のその答えに静かに頷き、ニッと白い歯を見せた。

「そう、すでに知っているじゃない。その言葉の通り君は、『私』のほかに、何者をも神としてはならない」

「え?……あっ!!! え~~~!?『私』って、その『私』!?」

「そして、モーセの言葉はこう続くよね。『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない』と。君はこれまで、この言葉の意味を理解しないままに神を求め、探し続けていたんだ。『私』以外の神がいると想像し、ありもしないそれにひれ伏していたんだよ。いいかい?神を探してどんなに長い旅を続けようとも、誰一人として、神と出会える者はいない。神を探し求めている当の本人が神自身だからね。自分自身が神であることに気づく以外、どこに神を求めても、決して見つかりはしないんだ。だから、別な時代、異なる場所でも違う言葉で同じ事が語られる。禅仏教なら『仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん』という言葉で、古代ギリシャならもっとシンプルに『汝自身を知れ』ってね」

閻魔の話が小休止に入ると、また、言葉にできない圧倒的な何かが押し寄せてきた。

(『私』は天と一つであり、地と一つであり、また地の下の水に中にあるものとも一つの同じものである。自分のために、刻んだ像(分離意識)を造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない……)

閻魔と目が合うと、そんな、話の続きが俺の中に勝手に入り込んでくる。

まるで、テレパシーで交流しているかのような、奇妙な感覚。

その感覚と共に、無造作に散らばっていたあらゆる記憶が、新たな意味をもって繋がってゆく。

なぜか、あのドアを通ってもいないのに、『源(ソース)』と繋がっているという感覚があった。

しかしそれは、先ほどの感覚とは若干の違いがある。

完全に源(ソース)へ溶け込み、「全」になっているワケでもなく、かといって、源(ソース)と切り離された「個」があるわけでもない。その間に漂うような、「全」と「個」を繋ぐ次元……。

(お、タクちゃん。いい感じじゃない!そうそう、それだよ、それ!そこが僕たちがいる『聖霊の次元』だ!)

視覚でも聴覚でもないところから感知される波動。その発信源が閻魔であることは明確に感知できた。

これは…、テレパシー?

(そうだね。似たようなものかもしれない。どちらかと言えば「コミュニオン」と呼ばれるものに近いけど)

コミュニオン?

聞き慣れない言葉だった。

(言葉、表情、ジェスチャー…、そう言った、いわば五感を通じて得られる情報・意志・感情共有。人間同士の交流の多くは「コミュニケーション」と呼ばれるもの。それは、繋がりが分断された関係の中で生まれる外側でのやりとりなんだ。それに対して「コミュニオン」は、五感を超えた次元でやりとりされる内側での交流、繋がりのことだよ。この交流の仕方において、僕たちは『源(ソース)』と『個』を繋ぐ。言い方を変えれば、「神」と「人間」を結ぶ次元のバイブレーション。「以心伝心」の次元のことだよ)




……つづく。




←言葉にしなくとも…。通じてますよね、僕の気持ち。
コメント ( 129 ) | Trackback ( )

極楽飯店.51

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


「じゃ、今度は『エネルギーの捻れ』を、別なものに例えて話を続けよう、これもあくまで模式図にすぎないんだけど…」

閻魔が串団子のようになった風船を、その手の上で何度か弾ませると、風船はまた、ポコンと小さな音を立ててそのカタチを変えた。

左右が不均等な鉄アレイ、とでも言おうか。大きさの異なる二つの玉を、細い管で繋いだ造形の風船が、閻魔の手の上に浮いている。

「ね、この中に、水が入ってるの見える?」

その言葉の通り、風船の中では少量の水がチャプチャプと波打っていた。まじまじと眺めていると、その水はまるで意志を持っているかのようにうねうねと動き出し、風船の中央、細くなった管の部分に集まっていく。

すると閻魔は、ただでさえデコボコしている額に、さらに皺を寄らせて口元をすぼめると、風船の中央に「ヒュウ…」と一息、真っ白に輝く冷気を送った。風船の中央部分が、パチパチと鳴りながら一瞬にして氷つく。

一連の動きは、まるで手慣れた手品を見せるかのごとく華麗に流れ、その顔に浮かべる笑みもどこか誇らしげに見えた。


「さて。こっちの小さい膨らみを『個人』、こっちの大きな膨らみを『源(ソース・存在する唯一の命)』とするね。で、その間に水が貯まっている。この水が、さっき話した『自他を定義づける思考・情報の集積』のことだよ。そしてさらに、その水を凍らせてしまった要因がある。それが『恐れ』というエネルギー。恐れが思考を固定化し、<自他>という無限のバリエーションを生み出す氷のプリズムになる」



「さっきの風船同様、カタチが変わってもこの風船は一つの同じもの。分裂して存在しているものじゃない。その自覚があろうがなかろうがお構いなしに、存在の全ては、必ずこの源(ソース・命)と繋がっている。『生物』と『無生物』などと分けられるものは何一つなくてね、あらゆる次元を通して、命以外のものは実在しない」

そこまで話すと、閻魔は一拍置いて白井を見つめた。

「そしてね、ムネっち。君が長らく信じてきたような『自分と別に存在する神』ってのも存在しないんだ。人を裁き、審判を告げるのが神じゃない。この源(ソース)こそが神であり、それは命そのもののことなんだ。君は長らくこの氷(カルマ)の障害によって源(ソース)との繋がりを見失い、それゆえの苦悩を抱え続けてきた。分離意識こそが苦しみの始まりであり、その強さは、源(ソース)からどれだけ離れてしまったかに比例する。神との分離感が増すほどに苦しみは大きくなる。君がなんども目にしてきた『キリスト』という言葉は、この氷による詰まりがなくなった状態、源(ソース)と繋がった状態であることを示した言葉なんだ」



……つづく。



p.s.

トークライブでは何度もしている話なのに、こうしてブログに書こうとすると、とたんに難しくなるのはなぜだろう。。。

どうでしょう。伝わってる?



←まるで手慣れた手品を見せるかのごとく華麗に。
コメント ( 127 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »