犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム裁判>法廷で技術論争する意味のつづき

2016年01月25日 | 辰巳ダム裁判
(「独自の考え方である」)
 裁判官は、専門技術的な判断ができない、あるいはできるとしてもしないことになっている素人という立場であるから、「安全側を取る」という、常識的な考え方を主張するのは、裁判では有力である。次にあげることができるのは、「独自の考え方である」という主張である。

(「学説が定まっていない」と反論できない)
 技術的論争において、「安全側を取る」という考え方は、「学説が定まっていない」という主張ができる場合に効果的である。これに対して、「学説が定まっていない」と主張しにくい場合には、「独自の考え方である」と反論する。

(例えば)
 例えば、「基本高水ピーク流量1750が流量観測記録による流量確率評価で800年あるいは2000年確率値である、この結果を辰巳ダムの費用対効果は、1以下の0.5にしかならない、経済合理性がない」と原告は主張したが、これに対して、被告は、単に「独自の考え方」に過ぎず、採用できるような考え方ではないと反論した。こうすれば、原告が作成した「学説が定まっている」証拠(流量確率評価と費用対効果)に直接、反論することもなくなる。

(その理由)
 裁判では、技術的内容について判断しない素人である裁判官がどちらかの主張に軍配をあげるだけなので、「独自の考え方である」という反論は、かなり有力である。学会で主流となっている考え方と違うということになり、採用できない考え方であることになるからである。

(「独自の考え方である」に反論しにくい事情)
 「独自の考え方である」と反論されても、その道の権威(専門技術分野で大学教授の肩書き)に裁判所で証言してもらうことで、その主張を立証することができるが、これも現実的には難しい。特に、水文統計学などという新しい分野であれば、権威は少数で現役であり、特に行政とかかわりの深い土木分野の現役の先生が、行政と対立する立場で証言するということはできない相談である。
(つづく)
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