犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

日本人>福沢諭吉は「支那と朝鮮は関わるな」という警告を残した(日-1)

2013年03月16日 | 雑談など
 最近、若い人たちも国の安全保障や日本の歴史などのことについて関心を持つようになったようだ。戦後日本の教育で、軽視あるいは放置してきた問題である。国をどう守るかなどと話題にするなら、すぐに軍国主義の復活などと結びつけかねない気分があった。国という存在自体がうさんくさいという意識すらあったような気がする。

 ところが、最近、竹島や尖閣諸島の領土問題などで国同士のトラブルが発生してみると、相手には国という強固な意志を持った存在があり、このような存在に対してこちらはどう対応するべきなのか、つまり国の安全保障はどうするのかなどと考えざるを得なくなった。

 領土を強引に奪われても手出しができない?、憲法で「武力の行使は、国際紛争を解決する手段として永久に放棄する」ので取り戻せない?、憲法を改正した方がいいのではないか?ということで、憲法改正についても抵抗無く議論ができるようになったようだ。つい少し前までは、改憲などは当分とても無理だろうという考えが大勢だったように思う。

 改憲を党是としていた自民党もつい最近まで弱腰で、改憲派の安倍晋三は一時、首相になったもののその後は泡沫に近い存在だった。ところが、李 明博や習近平のおかげもあって再び首相になると急に存在感がでてきてオーラがでてきた? 国家観が乏しく国益もぞんざいにした民主党政権の後でますますその差が明瞭で、安倍内閣の支持率は60%を超えている。

 中国の領海侵犯などが繰り返される事態となり、外敵の侵略が非現実的なことではなくなった。(憲法前文)「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」て作られた日本国憲法の前提が崩れつつある。平和主義を標榜して、友好関係を維持するために、問題が起こるたびに相手を刺激しないように怒らせないように譲歩を積み重ねてきた。譲歩することでされにつけ込まれ、相手を居丈高にさせた上に、日本全体を腐らせてきたのではないだろうか。

 福沢諭吉は「支那と朝鮮は関わるな」という警告を残した。日本人の国民性とは全く違う、別の人たちであり、日本人の謙譲の精神などは全く通じないのである。譲歩すれば、相手は譲歩しなければならない理由があるのだろうと考えて押し出してくるだけなのである。援助すれば援助しなければならない負い目があるからだと考えて感謝はしてくれない。関われば関わるほど馬鹿を見るのである。(つづく)
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