富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「星に導かれた東方の学者たち」 マタイによる福音書2章1~12節

2015-12-27 15:30:33 | 説教

      ↑  ユダヤ人の離散

  ユダヤ人の離散(ディアスポラ)の始まりは、アッシリアによる北王国イスラエルの滅亡(前722年)、バビロニアによる南王国のユダの滅亡と住民の強制移住(前598~582年)にまでさかのぼります。後になると、多くのユダヤ人が東(バビロニア)、南(エジプト)、西(シリア、小アジア、ギリシア、ローマ)へと移住しました。イエスの時代、離散ユダヤ人の数は4~5百万で、パレスチナに住むユダヤ人の数は、わずか50万ほどでした。離散のユダヤ人の多くは、ユダヤ教への改宗者も含まれています。下線のついた地名は、使徒言行録2・9~11に登場。

    981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

    日本キリスト教 富 谷 教 会

      週    報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)

 降誕節第1主日 年末礼拝     2015年12月27日(日)   5時~5時50分 

         礼 拝 順 

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 262(聞け、天使の歌) 

交読詩篇   98(新しい歌を主に向かって歌え)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  マタイによる福音書2章1~12節(新p.2)

説  教   「星に導かれた東方の学者たち」    辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 258(まきびとひつじを)

聖餐式    72(まごころもて)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷              

後 奏 

                                                                     次週礼拝 1月3日(日)新年礼拝   午後5時~5時50分

                                                                            聖書 ヨハネによる福音書1章14~18節  

                                                                           説教  「世に遣わされた神の御子」 

                           賛美歌(21) 368 55 24 交読詩篇 103 

本日の聖書 マタイによる福音書2章1~12節

  1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

          

           レンブラントの「東方三博士の礼拝」エミルタージュ美術館

            本日の説教

  イエスはヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで生まれました。ルカ福音書は、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に、イエスはベツレヘムで生まれたと記しています。西暦は主イエスの生まれた年を元年として、西暦525年にローマの修道僧エクシグウスの算定を採用して決められたものですが、その後、誤差があることが判明しています。

  ヘロデ王の死んだのが紀元前4年とされているので、イエスの誕生は紀元前4年以前になります。ルカ3・23で、イエスの宣教開始は約30歳のとき、と言われています。これはティベリウス帝治世下第15年目の時であったと記されています(3・1)。これは紀元27~28年に当たります。すると、イエスの誕生は、およそ紀元前4~6年頃になります。イエスの宣教は3年間続きました。イエスの十字架の死は、33歳頃で、紀元30年~33年頃と推定されます。新約聖書学者の新井献はイエスの生涯を紀元前4年~紀元30年としています。

  現在キリスト教界で広くキリストの誕生を祝うクリスマスは、四世紀頃(313年キリスト教公認、392年国教化)から異教の冬至祭に対抗して制定された日であって、実際の誕生の日付とは関係がありません。

  イドマヤ(エドムのギリシャ語読み、ユダヤの南に隣接する国)出身のヘロデは、紀元前40年、父の代から続くローマへの忠誠を評価されて、ローマの元老院から「ユダヤの王」の称号を与えらえ、ポンペイウス将軍の率いるローマ軍によるエルサレム陥落により、ヘロデはついにローマ皇帝に従属することを約束して、紀元前37年から4年まで、「ユダヤの王」としてイドマヤを含むユダヤ全土を治めました。

  イエスの生まれたベツレヘムは、エルサレムの南約9キロメートル、標高約750メートルの小高い丘の上に位置しており、古代イスラエル統一王国を築いたダビデ王の誕生の地です。

  イエスが生まれた時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来ました。<占星術の学者たち>とは、本来ペルシアのゾロアスター教の祭司です。ゾロアスター教は光(善)の象徴として純粋な「火」を尊び、信者は炎に向かって礼拝するため、拝火教とも呼ばれています。<占星術の学者たち>は天文学、薬学、占星術等の学者で、人の運命や世の動きについて神意を伝える人たちでした。彼らは闇の中に輝く不思議に光る星を見出したのです。彼らはその星が、世界の救い主となるユダヤ人の王の誕生の知らせだと悟ったのです。

  ユダヤ人の離散の始まりは、アッシリアによる北王国イスラエルの滅亡から始まり、バビロニアによる南王国のユダの滅亡によるバビロン捕囚と続きます。ユダヤ人はペルシアによりバビロン捕囚から解放された後も、帰国しないでペルシア地方(ペルシア帝国、現在のイラン)にも住みついていました。救い主が現れるのを待ち望んでいたユダヤ人やユダヤ教への改宗者から、ユダヤ人の王としてメシアが誕生するという預言を、この学者たちは聞いて知っていたものと思われます。メシア待望が、当時すでにユダヤ人だけのものではなく、ローマ帝国内の非ユダヤ教徒たちの心をかなり広く捕らえていたようで、「ユダヤ人の王」が礼拝すべき者として登場するであろうという期待がありました。

  不思議に光る星によって、ユダヤ人の王の誕生の神の示しを受けた<占星術の学者たち>は、星による神の不思議な導きによって、<東の方から>ユダヤの都エルサレムを目指してやってきたのです。<東の方>とは、おそらくペルシア(当時はパルティア王国)と思われます。彼らは千数百キロもある道をメシア(救世主)を求めてやってきたことになります。四か月もかかる旅でした。

  エルサレムに着いた彼らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」人々に尋ねました。

 ところがこれを聞いたヘロデ王は動揺しました。ヘロデは自分こそユダヤ人の王であると自認していました。自分の知らないところで、新しく王となるべき子が誕生したという噂(うわさ)を聞いて、不安に思ったのは当然です。ヘロデはユダヤ人とされていますが、純粋なユダヤ人ではなくエドム人とユダヤ人の間の子でした。当時イドマヤの地は、ユダヤに併合され、ユダヤの一部でした。

  ヘロデ王は、民に認められた王というよりは、ローマに認められた王でした。いつか誰かに王位を奪われないかと常に猜疑心の強い王でした。彼は王位を守るため、紀元前36年頃から7年頃にかけて、妻マリアムネ1世の弟アリストロブス3世を暗殺し、妻マリアムネ1世を処刑し、彼女の母であるアレクサンドラを処刑し、自分の二人の王子アリスロブス4世とアレクサンドロスまでを処刑したのです。

  一方、<エルサレムの人々>も同様に不安を抱いたとあります。神の民として選ばれながら、メシアを受け入れようとしない、心が頑なで、不信仰なユダヤ人を示しています。エルサレムの人々は、律法学者や祭司ら共に、キリストを十字架につけることを求めた民衆でした。

  王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただしました。すると彼らは、「ユダヤのベツレヘムです」と答えました。その理由として、旧約聖書のメシア預言、預言者ミカの言葉を伝えます。

「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」(ミカ書5:1)

  <祭司長たち>は、大祭司の次に位する神殿の職務を手伝った高級祭司や神殿財務担当の祭司を指します。<律法学者たち>は、律法書(旧約聖書)の学問的研究に専念し、その解釈と教育に当たった職業的な学者です。ユダヤ教の首脳部であったこの二つのグループが、聖書を正しく解釈し、メシア誕生の場所まで知りながら、ベツレヘムに行こうとしませんでした。

  ヘロデは、占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめました。王として生まれた子が、生まれて何か月位になっているのかを知るためでした。後に、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、メシアとなる男の子の年齢を割り出し、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残さず殺したのです(2章16~17節)。

  ヘロデは、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と心にもないことを言って、学者たちをベツレヘムへ送り出しました。ヘロデがメシア誕生の場所を尋ねたのは、そこへ行ってメシアを拝むためではなく、メシアを殺すためだったのです。

  彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が現れ、先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まりました。学者たちは、御子誕生の証しの星を見て喜びにあふれました。学者たちが家に入ってみると、幼子は母マリア共におられました。彼らはひれ伏して幼子を拝みました。光を象徴とする純粋な火や炎を神として拝んでいた彼らは、「光あれ」と太陽や月の光を創造された天地の造り主なる神の御子、世の救い主に出会うことができたのです。

  学者たちはメシアを拝んだだけではなく、宝の箱を開けて、彼らの最も大切な宝、最も高価な、黄金、乳香を献げました。乳香はや北東アフリカや東南アラビアで産するの力ンラン科のニュウコウジュから採れる芳香のある白色の樹脂であり、神に供え物とともに香炉で焚いてにささげる香です。没薬も、北東アフリカや南東アラビアなどに産するカンラン科のミルラ低木から採った樹脂で、香料や薬用、防腐剤として用いました。古代エジプトではミイラ製造の際に用いました。(私がカイロで買い求めた乳香は、アフリカのスーダン産、没薬はソマリア産です。)

  学者たちは、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。

  旧約聖書に記されたメシア待望は、ユダヤ人が期待したものとは全く異なって、ひそかに実現したのです。「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」(マタイ21:43)とイエスが言われているように、マタイによる福音書では、外国の人々に救い主の誕生が示されたのです。イエスを最初に拝んだのは、エルサレムの人々ではなく、イエスを拝むために、はるばる遠い東の方からやってきた人達でした。東方の学者たちが来たことは、異邦人の学問と知恵もイエスがメシアであることを認めて、イエスを拝むようになることを示しています。

  イエスは、ユダヤ人だけの王ではなく、ユダヤ人だけの救い主でもなかったのです。主イエスは、異邦人にとっても王、「全ての民の救い主」なのです。主の誕生は全世界の民にとっての喜びなのです。この物語は、ユダヤ教の枠を超えて福音が遠くにいる異邦人にまで伝えられることが語られています。日本のわたしたちにもこの福音が伝えられ、わたしたちも御子イエス・キリストの救いにあずかることができるようになったことを喜び、心から感謝し、礼拝いたしましょう。この福音をわたしたちも伝えましょう。

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