富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「十字架への道」ヨハネによる福音書18章28-40節

2024-03-24 00:01:07 | キリスト教

    ↑ ピラトの審問

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教    週 報
受難節第6主日(棕櫚の主日) 2024年3月24日(日)午後2時~2時50分        
                       

                                礼 拝 順 序                
前 奏                辺見トモ子姉
司 会                邉見 順子姉
讃美歌(21) 531(主イェスこそわが望み)
交読詩篇    64(神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください)
主の祈り    93-5、A
使徒信条    93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)ヨハネによる福音書18章28-40節(新p.204)
説 教      「十字架への道」   辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21)  297(栄えの主イェスの)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21)    27(父・子・聖霊の)

                             次週礼拝 3月31日(日)午後2時~2時50分
                             聖 書 ヨハネによる福音書20章1~18節
                             説教題   「キリストの復活」
                             讃美歌(21)325 332 27 交読詩篇 30 
     本日の聖書 ヨハネによる福音書18章28~40節
18:28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」38ピラトは言った。「真理とは何か。」
     ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。39ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」40すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

      本日の説教

イエスの十字架への受難の歩みが18章以下に記されています。木曜日の夕、イエスは弟子達と最後の夕食をしたあと、ゲッセマネ(油絞りの意)の園へ行かれた。その園で、ユダが連れてきた兵士と祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちに、イエスは捕らえら、大祭司カイアファ(カヤパ)のもとに連行されました。その後、大祭司アンナスの尋問を受けました。アンナスは、イエスを縛ったまま、カイアファのもとに送り返しました。

金曜日の明け方、人々はイエスをカイアファのところから、総督官邸に連れて行きました。

ユダヤ人たちは、過越の祭りの時には、異邦人に入らないことになっていたので、ピラトの官邸には入りませんでした。異邦人と接触することを避けたのです。「汚れないで過越の食事をするため」(28節)でした。中に入ろうとしないユダヤ人に対して、ローマ総督ピラトは、外に出てきて、イエスを訴える理由をめぐって、押し問答をします(29-30節)。

ピラトはユダヤ人の要求を退けて、「自分たちの律法によって裁け」と言うが、彼らは、聞き入れようとはしません。ユダヤ人には「人を死刑にする権限」がなかったからです(31節)。

ユダヤ式の石打ち刑ではなく、ローマ式の十字架刑に処せられることによって、イエスが自分の死に方について預言した言葉が実現することになります。12:32で、イエスは自分の死に方は「地上から上げられる」ことであると断言されています。「上げられる」は、十字架に昇ることと天への高挙の意味を合わせ持っています

 18章33節から、ピラトによるイエスへの尋問が開始されます。ピラトにとって、重要なことは、イエスが「ユダヤ人の王なのか」どうかということです(33節)。それはローマ帝国に反旗をひるがえす政治的メシア運動の首謀者かどうかということです。

イエスはそれに対して、ピラトが自分の判断で、そう言うのか、他人(ユダヤ人)の言葉に動かされてそう言うのかを問い正します(34節)。しかし、ピラトは、早急に決着をつけるために、イエスが「何をしたのか」を知ろうとします。

イエスは決定的な答えを与えます。「わたしの国は、この世には属していない」(36節)と。イエスの王的支配は、この世に属しているものではなく、上なる神の領域に属しているものであることをイエスは告げます。

イエスのそのような言葉を聞いて、ピラトは「やはり王なのか」と問います。イエスは「真理について証しをするために生れ、そのためにこの世に来たのである。ゆえにわたしの真理を受け、信じ、わたしの真理につく者は、わたしを真理の王、すなわち救い主、神の子なるまことの王として仰ぐのである。」神の真理は、イエスによって、この世に告知さ

 

 

れました。真理に属し、上なる神に領域に属する者は、イエスの「声を聞く」。その意味においてイエスは王なのです。しかしピラトは、イエスの言っていることが理解できません。

「真理とは何か」(38節a)という捨てぜりふを残して、ピラトは尋問の場を去っていくのです。政治的な関心、社会的な関心にのみつき動かされている者は、神の啓示者に相対しても、理解することができないのです。

総督は、ユダヤ人たちの所に戻って行って、「わたしは、あの男に何の罪も見いだせない」とイエスが無罪であることを宣言します。過越祭には、判決を下された罪人を釈放するのが慣例になっているピラトはイエスを放免するするのでなく、ユダヤ人に一つの提案をするのです。「ユダヤ人の王」とよばれるイエスを「釈放してほしいか」と、問うのです。しかし、ユダヤ人たちは、ピラトの予想に反して、強盗のバラバを釈放するように要求します。バラバは、強盗といっても、反ローマ運動を展開した人物であったと言われています。

ピラトはイエスの無罪をみとめながら、ユダヤ人たちの要求に押され、ユダヤ人対策のためから、遂にはイエスを十字架につけることを許してしまうのです(19:16)。しかもピラトは、自分には責任がない

として手を洗います(マタイ27:24)。ピラトは、

彼に委ねられた正しい裁判の責任を放棄するのです。

孤立を恐れて、周囲への同調、適応だけが関心と

なるとき、「真理とは何かという真剣な問い」は失 われます。そこからは、事なかれ主義、出世主義の道が通じます。

ピラトはイエスを捕らえ、鞭打ってから、十字架につけるために兵士に引き渡しました。年-36年) ポンテオ・ピラトはイエスを尋問し、十字架刑を宣告したことによって、「使徒信条」にその名を記されており、後世に悪名を残すことになります。

 

  ローマ総督(26 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と言われ、天上におられる主イエスは、わたしたちに聖霊を送って共にいてくださいます。勇気を与えられて、主イエスと共にこの世の旅路を歩むことができる幸いを感謝しようではありません2月14日水曜日から始まった受難節も、いよいよ今日から最後の一週間の受難週に入ります。ヨハネ福音書では、次のようになります。 
日曜日昼:エルサレム入城(ヨハネ12:12-19)
日付不明:エルサレムでギリシア人、イエスに会いに来る(ヨハネ12:20-50)
木曜日(過越の準備の日)の夕:最後の夕食(ヨハネ13:1-2)
           (過越の準備の日)の晩:ゲツセマネでの逮捕(ヨハネ18:1-12)
金曜日未明:大祭司の尋問(ヨハネ18:13-27)
   明方:ピラトの元へ(ヨハネ18:28-40)
      正午頃:イエスの裁判(ヨハネ19:1-17)
     12時~3時頃(マタイ27:45)十字架への張り付けと死:(ヨハネ19:18-30)
      夕:埋葬される(ヨハネ19:31-42)
土曜日(安息日):過越祭                                                                                    日曜日(週明けの日)の朝: 墓石の移動、復活する(ヨハネ20:1-10)

 

 イエスの十字架への受難の歩みが18章以下に記されています。木曜日の夕、イエスは弟子達と最後の夕食をしたあと、ゲッセマネ(油絞りの意)の園へ行かれた。その園で、ユダが連れてきた兵士と祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちに、イエスは捕らえら、大祭司カイアファ(カヤパ)のもとに連行されました。その後、大祭司アンナスの尋問を受けました。アンナスは、イエスを縛ったまま、カイアファのもとに送り返しました。

 金曜日の明け方、人々はイエスをカイアファのところから、総督官邸に連れて行きました。ユダヤ人たちは、過越の祭りの時には、異邦人に入らないことになっていたので、ピラトの官邸には入りませんでした。異邦人と接触することを避けたのです。「汚れないで過越の食事をするため」(28節)でした。中に入ろうとしないユダヤ人に対して、ローマ総督ピラトは、外に出てきて、イエスを訴える理由をめぐって、押し問答をします(29-30節)。

 ピラトはユダヤ人の要求を退けて、「自分たちの律法によって裁け」と言うが、彼らは、聞き入れようとはしません。ユダヤ人には「人を死刑にする権限」がなかったからです(31節)。

 ユダヤ式の石打ち刑ではなく、ローマ式の十字架刑に処せられることによって、イエスが自分の死に方について預言した言葉が実現することになります。12:32で、イエスは自分の死に方は「地上から上げられる」ことであると断言されています。「上げられる」は、十字架に昇ることと天への高挙の意味を合わせ持っています

 18章33節から、ピラトによるイエスへの尋問が開始されます。ピラトにとって、重要なことは、イエスが「ユダヤ人の王なのか」どうかということです(33節)。それはローマ帝国に反旗をひるがえす政治的メシア運動の首謀者かどうかということです。

 イエスはそれに対して、ピラトが自分の判断で、そう言うのか、他人(ユダヤ人)の言葉に動かされてそう言うのかを問い正します(34節)。しかし、ピラトは、早急に決着をつけるために、イエスが「何をしたのか」を知ろうとします。

 イエスは決定的な答えを与えます。「わたしの国は、この世には属していない」(36節)と。イエスの王的支配は、この世に属しているものではなく、上なる神の領域に属しているものであることをイエスは告げます。

 イエスのそのような言葉を聞いて、ピラトは「やはり王なのか」と問います。イエスは「真理について証しをするために生れ、そのためにこの世に来たのである。ゆえにわたしの真理を受け、信じ、わたしの真理につく者は、わたしを真理の王、すなわち救い主、神の子なるまことの王として仰ぐのである。」神の真理は、イエスによって、この世に告知されました。真理に属し、上なる神に領域に属する者は、イエスの「声を聞く」。その意味においてイエスは王なのです。しかしピラトは、イエスの言っていることが理解できません。

 「真理とは何か」(38節a)という捨てぜりふを残して、ピラトは尋問の場を去っていくのです。政治的な関心、社会的な関心にのみつき動かされている者は、神の啓示者に相対しても、理解することができないのです。

 総督は、ユダヤ人たちの所に戻って行って、「わたしは、あの男に何の罪も見いだせない」とイエスが無罪であることを宣言します。過越祭には、判決を下された罪人を釈放するのが慣例になっているピラトはイエスを放免するするのでなく、ユダヤ人に一つの提案をするのです。「ユダヤ人の王」とよばれるイエスを「釈放してほしいか」と、問うのです。しかし、ユダヤ人たちは、ピラトの予想に反して、強盗のバラバを釈放するように要求します。バラバは、強盗といっても、反ローマ運動を展開した人物であったと言われています。

 ピラトはイエスの無罪をみとめながら、ユダヤ人たちの要求に押され、ユダヤ人対策のためから、遂にはイエスを十字架につけることを許してしまうのです(19:16)。しかもピラトは、自分には責任がないとして手を洗います(マタイ27:24)。ピラトは、彼に委ねられた正しい裁判の責任を放棄するのです。

 孤立を恐れて、周囲への同調、適応だけが関心となるとき、「真理とは何かという真剣な問い」は失われます。そこからは、事なかれ主義、出世主義の道が通じます。

 ピラトはイエスを捕らえ、鞭打ってから、十字架につけるために兵士に引き渡しました。

  ローマ総督(26年-36年) ポンテオ・ピラトはイエスを尋問し、十字架刑を宣告したことによって、「使徒信条」にその名を記されており、後世に悪名を残すことになります。

 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と言われ、天上におられる主イエスは、わたしたちに聖霊を送って共にいてくださいます。勇気を与えられて、主イエスと共にこの世の旅路を歩むことができる幸いを感謝しようではありませんか。

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