富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「貪欲は偶像礼拝にほかならない」 使徒言行録19章23~40節

2013-08-25 22:32:00 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403   

日本キリスト教 富 谷 教 会

聖霊降臨節第十四主日   2013年8月25日(日)

讃美歌(21) 149(わが霊(たま)たたえよ)

交読詩編  115(わたしたちにではなく、主よ) 

聖 書  使徒言行録19章23~40節

説 教「貪欲は偶像礼拝にほかならない辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 531(主イエスこそわが望み)        

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

本日の聖書 使徒言行録1923-40

23そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。24そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。25彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、26諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。27これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」28これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。29そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。30パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。31他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。32さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。33そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。34しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。35そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。36これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。37諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。38デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。39それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。40本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。

本日の説教

今日の聖書の個所は、パウロの第三回宣教旅行中、エフェソで起こった騒動です。このエフェソでの伝道活動は、2年も続いたとありますが(19:10)、後にパウロがエフェソの長老たちを呼び寄せて語った話の中では、パウロは3年にわたって(西暦52、もしくは53年の冬から西暦55年ペンテコステまで)この地での伝道を続けた、と言っています(20:31)。

 

(画像1では、「エフェソ」の表記が、「エフェソス」になっています。エフェソからコリントまでの中間訪問を表すブルーの線は、使徒言行録には記載されていません。)

その結果、10節にありますように「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」のです。26節にありますように、パウロは「エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ」たのです。もちろんこれは、パウロ一人によって為されたことではありません。パウロを中心とした伝道者集団が形成されていたのです。その人たちの一部のリストが20章4節にあります。「同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモ」でした。この人たちがすべてではありません。この他にも、テモテやエラスト(19章22節)もおりました。これらの伝道者たちと共に、パウロはこの地での伝道を展開したのです。この時に建てられた教会は、黙示録にあるアジア州の七つの教会、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアと、それにコロサイ(エパフラスが伝道)、ヒエラポリス(現在名・パムッカレ)といった町の教会が考えられています。

使徒言行録19章21節に、「このようなことがあった後」というのは、11節から20節までに書かれています。ユダヤ人の七人の祈祷師たちが、パウロが行っていた神による奇跡をまねて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言って、悪霊どもに取りつかれている人々に向かって言ったところ、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかり、ひどい目に遭わせました。このことが、エフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知ら渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになったのです。そして、このようなことがあった後、パウロは御霊に感じて、「ローマを見なくてはならない」との決意を持ったのです。当時の世界の中心地ローマ帝国の首都ローマでのキリスト教の伝道の志を彼は与えられたのです。先ずその前にパウロは、エフェソを去ってからマケドニアとアカヤの諸教会を再訪し、エルサレムに行こうと決心しました。これはエルサレム教会に持っていく献金集めのためでもありました(コリントニ、8:22,23、ガラテヤ2:10)。そして、これから行く予定のマケドニア州に向けて、テモテとエラストの二人を先発させ、パウロ自身は、アジア州の州都エフェソに留まったのです。エラストについては、ローマ16:23に<市の経理係>と紹介されています。

「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった」とあります。「この道」とは、「キリストを信じる信仰」を意味しています。パウロの一行とこの町の人々の誇りあったアルテミスを祭った神殿の擁護者との間におおきな騒動が起きました。騒動のいきさつは、次のようなものです。この町にデメトリオという銀細工師がおり、アルテミスの女神の像を入れた神殿の模型を銀で造って売り、職人たちにかなり利益を得させていました。ところが、パウロがキリストの福音を伝え、偶像崇拝の誤りを指摘したので、福音が広まるにつれて、この神殿の模型は売れなくなっていったのです。この銀細工の神殿は、おそらくお土産か記念のお守りであったろうと思われます。

デメトリオは、同じ仕事をしている職人たちを集め、次のように言ってパウロを非難しました。「あのパウロが、手で造られてものは神様ではないなどと言って、エフェソばかりでなく、アジア州全体にわたって、大勢の人々に説き伏せ、迷わせている。これでは、お互いの仕事に悪評が立つおそれがあるばかりか、大女神アルテミスの神殿も軽んぜられ、ひいてはアジア州全体、いや全世界で拝んでいるこの大女神の威光さえも、消えてしまいそうである」と、デメトリスは、同業者たちに言葉巧みに訴えたのです。

 画像2アルテミス神殿予想復元図 紀元前8世紀から、4回にわたって建築され、紀元前6世紀に作られたものは、55×110mの大きさで、ギリシアの  パルテノン神殿をしのぎました。

 利益と信仰心とをうまく絡ませたデメトリオの熱狂的なことばは、同業者たちばかりでなく、エフェソのギリシア人住民たちを怒らせました。この銀細工人の演説は、自分金銭たちの営業上の金銭的損害を受けることが起因でした。自分たちの仕事が悪評をうけるおそれがあるばかりか、他方、偉大な女神アルテミスの神殿が軽視され、女神の<御威光>が喪失するという、神殿擁護者たちの高尚な関心に訴えたのです。「これを聞いた人々はひどく腹を立て、『エフェソ人のア ルテミスは偉い方』と叫び、町中が混乱しました。彼らは、パウロを捕まえることはできなかったが、パウロの同行者ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場(アゴラと呼ばれた野外市場)になだれ込みました。アリスタルコの名は、フィレモンの手紙24節に、パウロの<協力者>とあります。彼らは、パウロの同行者の処置を、集会を開いて、決議しようとしたのです。この劇場は当時二万五千人が入ることができた野外劇場です。その騒ぎを知ったパウロは、この騒動を解決しようと、自分も群衆の中へ入ろうとしました。しかし弟子たちがこの危険な行動を、どうしても許そうとしませんでした。パウロの友人である<アジア州の祭儀をつかさどる高官たち>も、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼み、パウロを止めました。群衆はわめき立て、集会は混乱するだけで、まとまりのつかない状態でした。

 アルテミスは、ギリシアの女神で美しい、奔放な狩猟の女神です。ローマではラテン名で「ディアナ」と呼ばれていました。英語読みにすると、ダイアナです。しかし、エフェソで祭られてたアルテミスは、小アジアのいわゆる地母神(大地の母)、多産、肥沃、豊穣をもたらす女神と結びついたもので、この像は胸部に18の乳房に見える形の装飾を付けた外衣をまとっており、あたかも「多数の乳房を持つ」ように見える(異説として女神への生け贄とされた牡牛の睾丸をつけられているともされる。)頭には獅子や牛の像をもって飾られ平たい円形の冠をかぶり、タイトスカートの前面には、腰から足許にかけて獅子・牡牛・鹿・羊・山羊などの動物が並び、側面には地母神の使者である蜜蜂・エフェソスの象徴であるバラの花あるいは想像上の動物・グリフィンなどで飾られている。また像の両側に鹿を従えている。これらは、いずれも野獣の女主人アルテミスに仕える動物たちである。アルテミスは、天から降ってきた出産と肥沃と豊穣の女神と信じられていました。乳房のような形をした隕石が、そのご神体であると言われていました。

 画像3 エフェソのアルテミス像

その神殿は世界の七不思議に数えられるほど、壮麗でした。有名なアテネのパルテノン神殿の四倍の大きさでした。(七不思議とは、①ギザの大ピラミッド②バビロンの空中庭園③アルテミス神殿④オリンピアのゼウス像⑤ハリカスナッソスのマウソロス霊廟⑥ロ-ドス島の虚像⑦アレキサンドリアの大灯台の七つです。)

他のユダヤ人たちが、どうにかしてこの騒ぎを止めようとして、アレキサンドロという男を前に押し出し、群衆に話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとしました。彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、<エフェソ人のアルテミスは偉い方>と二時間ほども叫び続け、手のつけられない状態になりました。ついに、エフェソでもっとも重要な公務員であった町の書記官が群衆をなだめて言いました。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。」と言い、訴えたいなら、法廷に訴えなさい。本日のこの事態は、治安を乱す暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会を、弁解できるような理由が全くない、と言って、書記官は集会を解散させました。

このようにして、福音は異教と激しく接触しながら、進展していったのです。エフェソの騒動の根本原因は経済上の利益に関わる事件でした。その限りではフィリピの事件(女から占いの霊が出ていくことによって、その主人たちが金儲け出来なくなった事件(16:19))と同じです。アルテミス神殿では、貨幣まで鋳造し、銀行までしており、アルテミスの女神は金融の神でもあり、負債者の守護神でもありました。アルテミス礼拝は、金銭的な経済上の利益と密接に結びついていました。アルテミス神殿が軽んじられるということは、彼らの宗教的をもあおる騒動でした。宗教的熱狂は、さらに愛国心が結びつき、一層騒動を大きくしました。このような利益と宗教と愛国心(町の誇り)の結びつきは、あらゆる町に、今日も存在しているのです。

「手で造られた神」は、真の神ではなく、偶像を指します。偶像は、人間の欲望や誇りの投影です。それらは、私たちの中にあるさまざまな欲望、自分の誇りや名誉を満足させようとする思いの投影なのです。パウロは、「地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない(コロサイ3:5)」と言っています。「悪い欲望」に生きていること自体が偶像礼拝なのです。この「悪い欲望」、罪の力から解放され、自由にされるには、主イエスによりたのみ、聖霊の力によって強くされなければなりません。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、罪の支配する闇の力、悪の霊に対する戦いです(エフェス6:12)。

 

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