富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「イエスの病気の癒しと罪の赦し」

2015-02-01 12:51:11 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

           日本キリスト教 富谷教会 週報

    降誕節第6主日   2015年2月1日(日)    5時~5時50分 

           礼   拝    

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  204(よろこびの日よ)

交読詩編      32(いかに幸いなことでしょう)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ルカによる福音書5章12~26節       

説 教  「イエスの病気の癒しと罪の赦し」    辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                次週礼拝 2月8日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分 

                                  聖 書  ルカによる福音書8章4~15節

                                   説 教   「教えるイエス」501

      本日の聖書 ルカによる福音書5章12~26節

12イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。 13イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。 14イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」 15しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。 16だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。                                                                                                                               17ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。 18すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。 19しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。 20イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。21ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 22イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。 23『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 24人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。 25その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。26人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

      本日の説教 

   ガリラヤで伝道を始められたイエスは、カファルナウムで「汚れた霊に取りつかれた男」を癒し(ルカ4:31~37)、シモンの家で熱病で苦しんでいるシモンのしゅうとめを癒し、いろいろの病気で苦しむ者の一人一人に手を置いて癒されました(ルカ:38~41)。 ゲネサレト湖畔(ガリラヤ湖)で、漁師たち、シモン・ペトロとシモンの仲間、ヤコブとその兄弟のヨハネを弟子にされました。そして、「イエスがある町におられるとき」という書き出しで、「重い皮膚病を患っている人」の癒しの物語が始まります。マルコによる平行記事では、カファルナウムの出来事としています(マルコ2:1)。

 「重い皮膚病」は、ギリシャ語原典では「レプラ」という語が用いられています。新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳していますが、新改訳聖書や、日本聖書協会の口語訳聖書では「らい病」と訳されています。「らい病」という言葉は差別用語とみなされ、新共同訳聖書では「重い皮膚病」と改定されています(96/11/01)。

  【らい病」は、体の末梢神経がまひしたり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴で、病気が進むと容姿や手足が変形することから、患者は差別と偏見の対象になり、感染力が強く、遺伝病であり、不治の病であるとする誤解と思い込みがありました。1873年(明治6年)にノルウェーのハンセンが、らい菌を発見したことにより、「ハンセン病」という名称が使われるようになり、その後研究が進み、らい菌は、感染力が非常に弱く、たとえ感染しても発病することはまれであることが明らかになりました。また、1940年(昭和15年)代以降は、治療法が確立され、早期に発見し、適切な治療を行えば、治すことができる病気となりました。ハンセン病が感染症であり適切な治療を行えば治ることが分かっても、日本では隔離政策が1996年(平成8年)まで続いたことなどから、それまでの誤解が払拭されず、ハンセン病患者やその家族は偏見と差別を受けました。私は、昭和34、5年頃、当時東神大の学生だったとき、郷里の教会の牧師と共に、宮城県栗原市瀬峰町にある東北新生園というハンセン病患者の収容施設である国立療養所におられた患者の方を見舞ったことがあります。ハンセン病は、当時「らい病」と呼ばれ、「らい予防法」廃止後は、官民ともに「ハンセン病」が正式な用語となりました。

  ギリシャ語の「レプラ」は、ヘブライ語の「ツァ-ラアト」の訳語で、「ツァ-ラアト」は現代医学でいうハンセン病だけでなく、治療がきわめて困難な皮膚病を含もものでした(レビ記13~14章参照)。この場面に登場する患者がどのような皮膚病を患う患者であったかは明らかではありませんが、「ツァ-ラアト(レプラ)」を患う者は、当時は恐れや無知から非常に不思議で恐ろしいものとされ、イスラエルの律法では不浄の者と見做され、この病気に罹った人々は人々の目に触れない所に隔離され、共同体の外に住まねばならなかったのです。だれかが近づいたなら、<わたしは汚れた者です。汚れた者です>と呼ばわって警告しなければなりませんでした。それは伝染病予処置だったが、本人にとってはみじめな状態に陥ることから大きな苦痛を伴いました。

  この男は人から聞いて、イエスなら自分を助けることができるだろうと信じていたのでしょう。この男は律法を犯し、刑罰を受けることは覚悟のうえで、町に入り、、イエスに近づき、ひれ伏したのです。そして、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願ったのです。                                                     「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去りました。マルコ福音書によると、「イエスが深く憐れんで」、その人に触れて癒したのです。主イエスはこの男に触れることによって、その人の孤独と恥を共に負われたのです。そしてイエスのこの行為と<清くなれ>という言葉によって、全身をおおっていた「重い皮膚病」はたちまち彼から去りました。イエスの命令によって、古い汚れた状態から新しい清い状態への大逆転が、一瞬にして起きたのです。

 今や重い皮膚病が癒されたその人に、イエスは二つの指示を与えました。一つは、彼は誰にもこのことを語ってはならない、ということです。イエスはすでにたくさんの人々に取り囲まれており、これ以上、うわさが広まると、4章42節で起こったように、群衆に引き止められ、ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせることが出来なくなるためであったと思われます。もう一つの指示は、祭司の所に行って見せ、律法に適った儀式として、清めの献げ物をし(レビ記14章)、人々に証明しなさいと命じたのです。

  しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来ました。 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられました。父なる神との絶えざる祈りの交わりが、イエスの霊の力に満たされる源だったのです。

 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていました。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのです。ファリサイ人は、サドカイ人とは違って祭司ではありません。イエスが彼らを「偽善者」と非難しましたが、しかし彼ら全員を「偽善者」と見做したわけではありません。彼らの活動の中心は神殿ではなく、会堂であって、その宗教の中心は書物と口伝からなる律法でした。彼らは律法を詳細に読み取って、生活の種々な状況に当てはめました。そのようにして、信仰を保ち、共同体を維持しようと努めたのです。彼らは宗教指導者として、イエスに関して流布されている話の真相を確かめるために集まってきたのでしょう。

 主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられました。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとしました。         中風(ちゅうぶ)とは、半身の不随とか、腕や脚のマヒする病気です。一般的には、脳出血後に残る(後遺症の)マヒ状態のことで、「中気」とも言います。】                  ここでは<中風(ちゅうぶ)の人(パラリュティコス)>は「不随の者」を意味し、病名を確定することは出来ませんが、いずれにしても、患者は歩けない状態にあった人です。男たちのグループ(マルコ福音書では4人)が中風の人をイエスの前に連れてきて寝かせようとしました。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、開けた穴から、人々の真ん中にいるイエスの前に、病人を寝床ごとつり降ろしました。

  当時パレスチナの家屋の屋根はおそらく横梁(ばり)の上に角材を並べ、その上に木の枝や柴を編み、粘土で練り固めた平屋根でした。屋根には外から階段で上ることができました。屋根は、マルコ福音書では<屋根をはがして穴をあけ>とあるので、粘土を固めた屋根のようですが、ルカ福音書では<瓦をはがし>とあります。これはルカ自身のギリシャ・ローマ的な背景を反映しています。男たちは、瓦の屋根をはがして、イエスの前に病人を床ごとつり降ろしました。<床>は貧しい人が使う小さくて粗末なベッドです。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われました。<その人たちの信仰>とは、癒された病人が家に帰る時<神を賛美しながら>とあることから、中風の患者の信仰と四人の信仰です。イエスの権威と奇跡的な力に対する信頼です。中風の人へのイエスの最初の言葉が、「人よ、あなたの罪は赦された」と言う言葉でした。彼の病気が彼の霊的な状態と関係していることが明らかに暗示されています。イエスが、あなたの罪は赦されたと言えば、病人は癒されたも同然なのです。イエスは癒しかつ罪を赦すという両方のことができる<主の力>(17節)を与えられているのです。

  ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めました。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と考えたのです。イエスは、彼らの考えを知って、お答えになりました。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言われました。イエスにとっては罪を赦すのも病を癒すのも同じ権威に属することでした。病を癒すイエス行為は、罪の赦しによる神との好ましい関係の見える「しるし」なのです。これがイエスが病人を癒す理由であり、<圧迫されている人を自由にする>(4:18)ということの意味でもあり、神の救いの見えるしるしです。

  そして、イエスは中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われました。癒された人はすぐさま立ち上がって、寝ていた台を取り上げて、神を賛美しながら帰って行きました。主イエスの癒しの権威により、この人は、古い病の状態から健康な全く新しい完全な状態に転換した神の救いの喜びを賛美しました。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めました。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言いました。

  中風の人の癒しの伝承は、後の弟子たちの時代にも伝えられ、弟子たちは、生まれながらの足の不自由な男を<イエス・キリストの名によって>癒しています(使徒言行録3:6)。   イエスは四福音書の随所で幅広い病気を治しています。失明、難聴、中風、重い皮膚病、てんかん、歩行困難、手の委縮など身体的症状が最も多いが、他に、悪霊を追い出す必要がある状態として描かれる、精神的疾患があります。イエスは症状にあわせ、触れる、言葉をかける、唾(つばき)を使うというような異なる手段をとっています。新約聖書の癒しの話は、罪の赦しの話であり、罪の赦しによる神との好ましい関係の見える「しるし」であり、神の国へ入れる救いなのです。

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