富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「真理の柱である神の教会」テモテへの手紙一、3章14-16節

2022-07-18 21:46:39 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

聖霊降臨節第8主日   2022年7月24日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   4(世にあるかぎりの)

交読詩編 119編129~136(あなたの定めはおどろくべきものです)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) テモテへの手紙一、3章14-16節(新p.386)

説  教   「真理の柱である神の教会」 辺見宗邦牧師

祈 祷                                       

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇オンラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019

の牧師の電話に、携帯電話で申し込みください。

          次週礼拝 7月31日(日)  午後5時~5時50分

          聖 書 コリントの信徒への手紙二、6章1~10節

          説教題  「神による完全な武器」

          讃美歌(21) 433 463 27 交読詩編 18 

本日の聖書 テモテへの手紙一、3章14-16節

3:14わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。 15行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。 16信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、

キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。

本日の説教

 「テモテへの手紙一」の宛先人のテモテは、パウロの弟子であり、パウロの伝道旅行の同行者であり、また宣教の同労者です。パウロはテモテを、「わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれているわたしに生き方を、あなたがたに思い起させることでしよう」(コリント一、4・17)と紹介しています。テモテは宣教と指導の務めを託されてパウロのもとから諸教会に派遣されています。

「テモテの手紙一」の執筆の目的は、「わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」(3:15)と明確に述べています。

今日の聖書の箇所、3章14~16節は、小見出しにもあるように「信心の秘められた真理」について述べています。

「わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。」(3章14節)

パウロとテモテはエフェソで一緒に活動したが、パウロはやがてマケドニアに出発し、テモテは異端から教会を守るためにエフェソに留まっています(1・3)。しかし執筆当時のパウロは、エフェソの諸問題を解決するために、すぐにもまたエフェソに行きたいと思いながら、この手紙を書いているのです。14節は、この手紙を使徒パウロの指示として読ませるためのものと思われます。

「行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」(3章15節)

しかし、彼が書いている時、自分のエフェソ行きは遅れるだろうと察知したのです。そして、この手紙の意図を端的に述べます。「神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたい」ためにこの手紙を書いていることを。その生活とは、神の家での礼拝、説教、教え、組織化、そして道徳的生活です。

信じている者の集まりである教会は、「神の家」、神の家族です。教会(エクレシア)は、建物ではなく、神によって招かれ、キリストを信じている人々の集まりです。続いてパウロは教会を「真理の柱であり土台>である建物にたとえています。柱と土台の両方とも、真理の証人としての教会の機能をさしています。<真理>とは、神が人間にキリストによって啓示された真理です。一人一人が信仰を明らかに告白している基礎の上に真理の柱はならび立ち、そこに教会が建てられます。

<生ける神>は、旧約聖書では死せる偶像と対照的に用いられています。救いを与え、命を与える故に生ける神と呼ばれています。教会はキリストによって示された真理を柱とし、土台とする、生ける神の教会です。教会は神が建て、所有し、臨在され、神の力によって支えられているのです。

「信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(3章16節)

 キリストによって啓示された真理を、「信心の秘められた真理」と言っています。<信心>は、神への畏敬とそれにふさわしい生活態度を指します。<信心の秘められた真理>とは、3章9節の「清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません」とあるように、キリストは信心者に啓示された神秘であり、その真理は現に啓示されたが、以前として秘められたものです。「実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」ものであり、聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」とは言えないのです。キリストによる啓示を強調するのが「神秘」なのです。

  「すなわち」の後にしるされている「キリストは肉において現われ」からが初代教会の讃美歌を記しています。啓示された、秘められた真理が、確かに偉大であることを、初代教会のキリスト者たちがその中に彼らの信仰をあかししている讃美歌の引用によって示しています。

 第一に、<キリストは肉において現れた(「彼は体で現れた」)>。神は人間として現れ、見られるようになり、われわれの人間の形で、われわれのひとりとして人間性をとられました(テモテ二、1・10、ヨハネ1・14)。

 「キリストは肉において現れた」という言葉は、何よりも重要な真理です。旧約聖書では、神はいと高き天にいまし、人は地にいる、神は絶対的な「超越者」です。神は天地万物の創造者です。人間は神によって造られた被造物です。人間が神になることは絶対に不可能であるばかりでなく、神も人間にはなりません。十戒の「第一戒」には、「わたしをおいてほかに神があってはならない」(申命記5:7)とあります。だが、神の御子は人となられました。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るために、神はその独り子を世に遣わされたのです(ヨハネ3:16-17)。天におられた神が罪深いこの世に、人間と同じ者になられて来られました(フィリピ2:7)。「信心の秘められた真理」とは、このことです。これは「あらゆる奇跡の中の最大の奇跡」です。

次に、<彼は霊において義とされ>ました。彼は、聖霊により、正しさを立証され、とくにその復活により正当化されたのです。聖霊は、彼が御子であることを証明しました。聖霊はイエスの洗礼に臨み、彼の職務に力を注ぎました。その同じ聖霊が、最後には彼を死者の中から復活させることによって、彼の正しさを立証したのです(ペトロ一、3・18)。彼は、「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」(ローマ1・4)。ここに、キリストが真の神であり、また真の人であることが宣言されています。

「天使たちに見られ」は、現代的視点からは奇妙に見えます。キリストの地上における働きは、見えざる天使たちにより見守られたのです。この讃美歌によれば、受肉によって、人間と同じように、天使たちも肉体になった神を見ることができたのです。これらの天使たち(神に奉仕する霊)は、この誕生を讃え歌い、イエスの誘惑の時に仕え、彼の墓を守り、彼の昇天を証明し、そして彼の帰ってこられるのを待ち望んだのです(エフェソ3・10)。これは実に神秘です。それゆえ、わたしたちは、「神秘にふさわしく生きるように」招かれているのです。

「世界中に知られ」とあるように、キリストはさまざまの国で宣べ伝えられました。彼はいまやエルサレムから地の果てまでも宣べ伝えられています。良い知らせは世界中で信じられるようになりました(16節b)。この宣教の結果は信仰の生きた共同体(教会)の証言によるものです。

キリストは「栄光のうちに上げられ」ました。彼はこの世に来られ、神のみこころを教える職務を果たし、死んで、死者の中からの復活させられ、天に上げられ、父の栄光に迎えられたのです。このようなことは、信仰によって知る神秘であり、わたしたちの救いが啓示されている秘義なのです(ローマ16・25)。この初代教会の讃美歌は「あなたこそ、生ける神の子キリストです」という告白を讃美したものです。

エフェソに誕生した家の教会は、規模こそ小さいが、「真理の柱をもつ生ける神の教会」であることを信徒に知らせ、人を救う真理の福音は教会にあることをパウロは説き、信心深く、敬虔に生きるよう勧め、神の望む民となるように指導したのです。

   

     アルテミス神殿の想像図    アルテミス神殿の遺構

この手紙が送られたエフェソ(現在名は、トルコの「エフェス」)には、紀元前7世紀から紀元3世紀にかけて存在した、世界の七不思議の一つに挙げられている、壮大で壮麗な異教のアルテミス神殿がありました。柱や土台も、全体が総大理石の神殿で、豊穣をもたらすアルテミスの大女神像が祀られていました。その壮麗さは多くの礼拝者もひきつけました。パウロはこの異教の大神殿に比べて、「家の教会」について語ったのです。

アルテミス神殿は、何度か崩壊と再建を繰り返えしたが、紀元3世紀頃には、エフェソの人々の大多数はキリスト教に改宗し、アルテミス神殿はその魅力を失いました。その後、キリスト教徒によって神殿は完全に破壊されてしまいました。その残骸の石は他の建物に使われ、神殿の跡地には、一本の柱しか残っていません。現在のトルコ共和国の人種はトルコ人80.0%、クルド人20.0%で、宗教別では イスラム教徒が99.8%を占めています。キリスト教徒はごく少数なのは残念です。

 日本にも多くのキリスト教を信じる信徒が増えて、多くの信徒が礼拝できる教会堂の誕生を期待しますが、何よりも大切なことは、「真理の柱と土台をもつ生ける神の教会」の建設です。

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