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富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ヨブの叫びに答えられた神」 ヨブ記1章1章1-12節

2014-09-07 16:43:24 | 礼拝説教

               ↑ 「ヨブと彼の友」ロシア美術館所蔵                         Job and His Friends. Oil on canvas. 133 × 199 cm. The State Russian Museum, St. Petersburg.

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

                   日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十四主日   2014年9月7日(日)    5時~5時50分 

                 礼   拝    

               司会 永井 慎一兄

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 219(夕日落ちて)  

交読詩編  104(わたしの魂よ、主をたたえよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ヨブ記1章1~12節

説 教  「ヨブの叫びに答えられた神    辺見宗邦牧師

賛美歌(旧)305(わがものすべては)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

            次週礼拝 9月14日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題  「王妃に選ばれたエステル」

 聖 書   エステル記2章1~14節

 交読詩篇 67  讃美歌(21)412 512 24

            本日の聖書

 1ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。2七人の息子と三人の娘を持ち、 3羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。 4息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。 5この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。 6ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。 7主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。 8主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」 9サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。10あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。 11ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」 12主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。

       本日の説教

  ヨブ記について,カトリック教会の神父であり、聖書学者の和田幹男氏は次のように記しています。「なぜ人はこの世で苦しみ、悩まなければならないのか。しかもなぜ、何の理由もなく悲惨なことが身に起こることがあるのか。このような人生に、はたして意味などあるのだろうか。この世界そのものが不条理にできていて、正義なる神などいないのではないだろうか。これは、古代イスラエル人のみならず、人がいるところにはどこにもある問題である。ヨブ記はまさにこの問題を正面から取り上げ、解答を求める。」(共同訳旧約聖書注解Ⅱ、ヨブ記の序論)

ヨブ記全体のメッセージを把握するために、まずその文学的構造に注目する必要があります。先ず、散文で書かれている序文(1章1節~2章12節)と結び(42章7節~17節)の間に、詩文の主要部(3章1節~42章6節)があります。

 この序文と結びでは、何の罪もないヨブが突然次々と災いに見舞われたが、依然として罪を犯さず、ついに以前にまさる幸いを得たことが語られています。

 他方、主要部では、身の上に起こったことを嘆き、自分の潔白を徹底的に主張するヨブを提示しています。最後に神からの答えがあり、それを受け入れる恭順なヨブが示され、結ばれています。

  1、2章の序文に提示されるヨブとは対照的に、3章から始まる主要部では、雄弁で、しかも神の御業を冒涜するかのように激しく神に立ち向かうヨブが示されています。この二つのヨブ像は相反するかのようです。この主要部では、ヨブの本来の苦しみを明るみに出して、理由のわからない苦難にあえぐヨブがどのような経緯をたどって神に栄光を帰するに至るかを記したのです。

ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。」(ヨブ記1章1節)

 <ヨブ>と言う名は、旧約聖書ではエゼキエル書14章14、20節に出ています。この名前は<ノア>、と<ダニエル>と並んで、いかなる苦しみに襲われても神への信仰を貫いた典型的な人物として出ています。しかし実在の人物であるかどうかは立証できません。ヨブ記は実在した人物の記録としてではなく、その著者がヨブという人物を主人公とした書と思われます。ヨブ記の著者は不明ですが、イスラエル以外の知恵や宗教伝承も含みながら長い成立過程を経て出来上がっていた口伝を、バビロン捕囚期以後のペルシア時代、おそらく紀元前5世紀前半に、著者がヨブ記として編集し書いたと想定されています。

<ウツの地>とは、アラビア方面のエドム説の他に、シリア南部のハラン説があるが、いずれにせよ、ヨブはイスラエルの地以外の東方に住んだ人物として考えられています。

ヨブ記の主人公の<ヨブ>は、「非の打ち所のない」人で、神を怖れ敬い、その御心に従って自己を律する、潔白で、真っ直ぐな人物でした。ヨブは七人の息子と三人の娘に恵まれ、豊富な資産を持つ東の国一番の大富豪でした。正しく生きながら、平安で幸福な人生を送っていました。

 ところがある日、天上の主の前に、神の使いたちが集まり、サタンも来ました。サタンはここでは神の使いの一人として神の会議にあずかっており、いわゆる悪魔ではありません。サタンは神の許可のもとに行動する者で、人間の罪を神に訴える任務を負っています。地上を巡回してきたサタンに主は言われました。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」

サタンは答えました。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。……ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」

 このサタンの疑惑による挑発で、神は、ヨブに試練を与えることをサタンに許しました。

  ヨブに次々と災難が襲いました。略奪隊による被害や二度も天災に遭い、財産も、家畜も、使用人たちも、さらには息子や娘たちまでも、すべてを失ってしまいました。すべてを失っても、ヨブは神を呪いませんでした。むしろヨブは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1章21節)と言って、神を非難することもなく、罪を犯しませんでした。「そこに帰ろう」とは、主権者であり創造者なる神に自己の生死を託そうという意味です。サタンは第一の賭けに敗れました。

 またある日、主の前に神の使いたちが集まりました。主はサタンに言われました。「お前は理由もなく、わたしを唆(そそのか)してかれを破滅させようとしたが、かれはどこまでも無垢だ。」

 サタンは答えました。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなた呪うにちがいありません。」

 主はサタンに、「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、彼の命だけは奪うな。」と言って、試練を与えることを許しました。

 サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏まひどい皮膚病にかからせせました。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしって苦しみに耐えました。

 彼の妻は、夫のあわれな姿を見るにしのびなく、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と告げました。              だが、ヨブ「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」と妻をたしなめました。     妻からも理解されず、見放されたヨブの孤独はいかばかりのものであったでしょう。                                                                                                       このようになって、彼は唇をもって罪を犯すことをしませんでした。<不幸をいただこう>とは、ヨブが全財産と息子、娘たち、自分の健康まで失うという不幸を神から受け入れることを言っています。

  「さて、ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。」

  「テマン人エリファズ」の<テマン>は、エドムにあった町。「シュア人ビルダド」の<シュア>は、エドムに近い北アラビアにあった町。「ナアマ人ツォファル」の<ナアマ>は、北アラビアにあった町か。彼らは遠くからヨブを見ると見分けらえないほどの姿になっていたので、しばらく茫然とし、嘆きの声をあげました。彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできませんでした。

  「唇をもって罪を犯すことをしなかった(2:10)」ヨブですが、彼の心には、神が「ゆえなく」災いを下されたのではないかという疑いが、決して起こらなかったとは言えません。いやむしろ、この疑い、この疑問こそが長いヨブ記の主要部の中心的な問いであり、課題でした。

  やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪い、自分の潔白を主張します。自分には罪を犯した覚えがまったくないにもかかわらず、災難につぐ災難に見舞われた。この現実に起こった出来事に悩み苦しみ、深い嘆きを吐露し始めます。なぜ正しい自分が苦しまねばならないのか、なぜ不正な人が栄え、正しい者たちが不幸に会わなければならないのか、神に問いました。ヨブの強烈な嘆きの歌は、読者の胸を刺します。

  ヨブの苦悶の前で沈黙していたエリファズは、ついに、ヨブが自分の誕生を呪い、死を願う独白を始めたことにたまりかねて口を開きます。こうして三人の友とヨブとの長い議論が続きます

 ヨブの友人たちは、因果応報の原則に従って人間の苦しみはそれなりの原因がその人間にあるはずだと言います。こうして苦しむヨブにその原因としての自分の非を認めさせようとします。これに対してヨブはいかなる非もないのに苦しんでいるのだと、あくまでも自分の潔白を主張します。

 このヨブの主張は因果応報の原則に挑戦することになり、ひいてはこの世界に秩序があるのかどうか、その秩序を与えて保つ正義の神がいるのかいないのか、という根本問題に疑問を呈することになります。ヨブの友人たちはあくまでも正義の神を擁護しようとし、ヨブを裁きます。

  ヨブとその友人たちとの議論は決着のつかないまま終わり、ヨブは再び嘆きの独白を始めます(29章1節~31章40節)。ヨブは神を否定してはいません。ヨブにとっての絶望は、近くにいたもう神が、今や遠くにおられ、彼に対して沈黙を続け、み顔を隠しておられることです。ヨブが苦しみの中で格闘しているのは、生ける神と出会いであり、神ご自身の声を聞くことにありました。

 ここでエリフという人物がとつぜん現れ、ヨブと三人の友人に語り始めます(32章)。エリフは「ブズ出身で、ラム族バラクエルの子」です。<ブズ>は地名で、アラビアのヨブと故郷ウツと関連ある地方出身の人であると思われます。<エリフ>という名は、「彼はエル(神)」という意味で、神への信仰を表明する崇高な名前です。このエリフという若者はヨブに対しても、ヨブに反論できない三人に対しても怒り、「なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることをいちいち説明されない」(33:13)と語り、ヨブの神への問いかけは高ぶりとして非難するのです。エリフのヨブに対する攻撃には、信仰者同志の深い同情に欠けています。エリフもヨブに対して、神の審(さば)きを語るのです(35章)。エリフの語るところは教理的に間違ってはいないが、しかし、ヨブを納得させるものでもありません。今、神に呼び求めても答えられず、神との交わりを断たれたのではないかと苦悶するヨブに対して、彼は一方的に彼の神観を陳述しています。

 サタンによってヨブに与えられた第二の試練は、ヨブの骨と肉を撃てば、ヨブは遂に神を呪うだろうということでした。ヨブは重い腫物で悩みました。そのとき妻は絶望の余り、「神を呪って死になさい」と言いました。ヨブの妻はサタンの賭けた方に加担する第一の人物となりました。三人の友人が因果応報の主張でヨブを説得しますが、これがヨブにとっての災いとなりました。最後に神観と教理に精通しているエリフの主張までが、ヨブを苦しめました。ヨブは今や妻にも友人たちにも、理解してもらえず、罪ある者として見放され、ただ神の答えを待ち望むだけになりました。

 ヨブ記の主題は、なぜ正しい者に苦難がのぞむのかという、いわゆる「義人の苦難」の問題にとどまらず、1章9節のサタンの言葉に示されているように「(人は)利益もないのに神を敬うでしょうか」ということが主題です。

 神は今まで沈黙を続けていましたが、問い続けるヨブを、見捨てられていたのではありません。今、その全能の力と愛をもってヨブの前に現れます。主は嵐の中からヨブに答えて仰せになります。(38章1節~39章30節)

 「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

 これまで、「なぜですか」と神に問い続けたヨブは、逆に神から問われるものとなり、腰に帯し、苦難を受け止めて、神の前に自らの全存在をかけて立つことを求められました。

  神はヨブに苦難の意味を語りません、語ろうともされません。神は、天地創造の業一つ一つを取り上げ、ヨブに向かって、すべてを知っているのか、創造に参与したのかと問うたのです。ヨブの知らない、参与できない自然のこと、天体のことの、一つ一つにも神の深いみ旨が及んでおり、神の愛が注がれている事を、ヨブは知らされます。今、こうして苦難の中にあり、しかも苦難の意味がわからないヨブにも神の愛は注がれていることを、ヨブは理解しました。

 主は仰せになりました。「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責めたてる者よ、答えるがよい。」

 ヨブは主に答えて言いました。わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません。(40章3節~5節)                                         ヨブにとって主が直接答えられたことは大きな喜びでした。ヨブはこの主の前にもはや返す言葉はありませんでした。しかしヨブはまだ悔い改めにまで至っていません。

                      

↑ウィリアム・ブレィクの画いたべへモット(上)とレビヤタン(下) ↑ギュスターブ・ドレのレビヤタン    

第二回目の神の弁論が40章6節から41章26節になされます。 

主は再び語ります。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪とするために、わたしを有罪とさえするのか。」              神は、創造のはじめに神と戦って神に征服された混沌の怪獣、ベヘモット(河馬)とレビヤタン(わに)という怪獣について語られた。その混沌の力に対してヨブが全く無力であるおとを示しました。神のみが混沌の象徴である怪獣の力に打ち勝ち、治めたもう。創造者である神は無と混沌の世界に秩序を与えるのみならず、レビヤタンも神の愛の対象とされている。神の支配の外にある虚無や混沌はないといことが言われています。そして、ヨブはそのような神の全能と愛の力が自分にも注がれていることを知ったのです。ここにヨブの問題の根本的解決の道が示されています。

  ヨブは主に答えて言いました。あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。『これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。『聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。』あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。(42章2~6)

 ヨブの悔い改めは、神の恵みにふれて引き起こされたのです。悔い改めは罪を嘆くことに始まるのではなく、神の恩寵に対する畏怖に満たされて起こったのです。ヨブ記の中心的主題である「(人は)利益もないのに神を敬うでしょうか」は、まさにここで最終的な解答を得るのです。ヨブは生ける神を自分の目で見ることによって、神を怖れ信じたのです。神が生ける神であるゆえに信じたのです。人は何かの利益が伴っているので信仰するのではないのです。「災い」と「幸せ」を越えて、ひたすら神を礼拝し、より頼むことが、真実の礼拝です。

 「なぜ」と神の答えを求めてヨブは神と争いました、これは神への熱心な信仰の裏返しだったのです。熱烈に神を求めたからこそ、神と出会うことができたのです。神と人とに捨てられたかに見えたヨブでしたが、ヨブは信仰の勝利を確信ししていました。それが、19章25節から27節に書かれている、ヨブの独白です。わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る。ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

 

 

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「ニネベを憐れむ神から逃亡した預言者」 ヨナ書1-11節

2014-08-30 23:29:17 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

          日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十三主日   2014年8月31日(日)     5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(旧) 358(こころみの世にあれど)  

交読詩編   69(神よ、わたしを救ってください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ヨナ書4章1~11節

説 教 「神の愛を理解できない預言者ヨナ 

辺見宗邦牧師

賛美歌(21)494(ガリラヤの風)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

               次週礼拝 9月7日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

               説教題  「ヨブの叫びに答えられた神」

               聖 書   ヨブ記42章1~6節

               交読詩篇 40  讃美歌(21)219 364  24

   本日の聖書

  1ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。 2彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。 3主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」 4主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」 5そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。 6すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。 7ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。

  8日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 9神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」 10すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。 11それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

           本日の説教

  ヨナ書は、旧約聖書のホセア書から始まる十二預言書の5番目に配置されていますが、預言を集めた預言書ではなく、ヨナという預言者を主人公とした創作物語です。偏狭なユダヤ民族主義を風刺して、異邦人にも神の愛が及ぶことを説いた作品です。成立年代は捕囚期後と見做されています。

  預言者ヨナは実在した人物で、「ガト・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナ」と列王記下14:25に記されています。「ガト・ヘフェル」は、ガリラヤ湖の西20キロ位のところにある町です。ナザレとカナの間にヨナの墓が古跡としてあるとのことです。ヨナは、ヤロブアム二世(B.C.786~746年)の時代の預言者です。北イスラエル王国の繁栄を預言した国粋的な預言者として知られている、この預言者ヨナを、ヨナ書の作者が物語の主人公に用いたのです。実在した預言者ヨナとヨナ書のヨナとは、とくに関係はありませんが、時代的にはアッシリアの繁栄した時代なので一致しています。

 主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。』しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。(ヨナ書1章1~3節)

  ヨナは都ニネベに行って宣教するように、神から命じられました。遠いアッシリアの都ニネベに行き、その罪を責め、悔い改めなければ滅亡することを語るように命じられたのです。ニネベは、アッシリア帝国のセンナケリブ王が紀元前705年に首都と定めてから、紀元前612年の滅亡の時まで、繁栄をきわめました。しかしヨナはこの神の命令から逃れようとして、ニネベとは反対方向のタルシシュを目指し出発しました。タルシシュは、スペイン南西部(アンダルシア地方の西部)にある古代商業都市タルテソスを指すようです。他にはキリキア(トルコ南部の地中海に面した地域)のタルソス(パウロの生誕地)とする説があります。

  ヨナは港町ヤッファに下ると、タルシシュ行きの船が見つかったので、人々に紛れて乗船しました。海上で、突然大嵐が起こり船は大波で難破寸前となりました。船員たちは神々の助けを求め、貴重な船荷まで捨てて船を軽くし、難破しないように努力を続けました。

  一方ヨナは船底で熟睡していました。彼は神の手の届かないところにいると思って安心したのか、この災難に気付かずにいました。船長はヨナのところに来て、平気で眠っている彼に、「起きて、あなたの神を呼べ」と、神の助けを祈るように求めました。

  人々は誰のせいで災難が降りかかったのかを知ろうとして、くじを引くことにしました。そのくじがヨナに当ったので、人々は彼に詰め寄って、「あなたは何の仕事で行くのか。どこから来たのか。国はどこで、どの民族の出身なのか」と、災いの原因を探ろうと訊ねました。

  ヨナは、「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。」と答えました。

 人々はヨナが天地の創造主から逃げて来たことを知り、非常に恐れ、「何という事をしたのだ。」とヨナを責めました。そして、「あなたをどうしたら、海は静まるのだろうか。」とヨナに問いました。海は荒れる一方だったので、ヨナは、「わたしの手足を捕えて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちに見舞ったことは、わたしが知っている」と答えました。彼らがヨナを海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。 

  主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられました。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいました。ヨナは主に祈りました。主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出しました。なんと、ヨナは魚に飲まれ、魚の腹の中で三日間も生き、神に救いを求めて祈ったのです。すると魚はヨナを陸地に吐き出したので、ヨナは助かりました。

  勿論これは、創作の物語です。イエス様はこの寓話を、復活するまで陰府(よみ)にいた三日間にたとえています。「ヨナは三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」(マタイ12:40)と言われています。

  神の命に従わず、神の御許から離れようと、逃げたヨナでしたが、ついには自滅の道を選んだことになります。しかし神はこのヨナを救われたのです。伝道者として召されながら、主の委託に応えて献身せず、自分で選んだ道を歩み、ついには絶望的な状況に追い込まれ、死の淵から助けを求めて救われた伝道者は、ヨナだけではありません。私もその一人です。(ブログの記事一覧の中に「証し『神の力は弱さの中で発揮される。』」という題で掲載しています。)

  神に救助されたヨナの感謝の歌が、2章3~10に記されています。「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。陰府(よみ)の底から、助けを求めると、わたしの声を聞いてくださった。……わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげ、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」 

 主の言葉が、再びヨナに臨みました。ニネベに行って主の言葉を語るように、ヨナは命じられました。ヨナは言われたことを、直ちに実行しました。ニネベの都に入ってから、ヨナは一日歩きながら叫び続けました。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」ヨナは悔い改めを呼び掛けるよりも、罪のゆえにニネベの都が滅びることを告げました。すると、ヨナが予想していなかったことが起きました。ニネベの人々は神を信じ、断食して悔い改めたのです。

  このことが、ニネベの王に伝えられると、王も大臣も断食して悔い改め、「おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我我は滅びを免れるかもしれない」という布告を、王はニネベの住民に出したのです。

 「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられました。」

 「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。彼は、主に訴えた。『ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。』」(ヨナ書3章10節~4書3節)

  ここにヨナが何故タルシシュに逃げたのか、その理由が明らかにされました。ヨナは、偶像を崇拝する汚れた民、イスラエルを脅かす残忍な民の滅びを望んでいたのです。主に命じられたように、ニネベに行って彼らの悪に対する神裁きを宣言すれば、慈しみ深い神は彼らを憐れみ、神は定めた災いを撤回するだろうと予感しました。ヨナは神が彼らを憐れむことが気に入らず、逃げたのです。

   いやな予想が的中し、神がニネベを憐れみ、宣告した災いを取りやめたことに、ヨナは非常に不満であり、怒ったのです。もう死んだ方がましだ、とまで言って、神に不服を訴えました。

 神がニネベを憐れみ、宣告した災いを取りやめたことに、ヨナは非常に不満であり、怒ったのです。もう死んだ方がましだ、とまで言って、神に不服を訴えました。

  主は言われました。「お前は怒るが、それは正しいことか。」ヨナ自身も神の憐れみによって救出されていながら、神がニネベの人々を憐れんで救われるのを認めようとしないのです。

  ヨナは都を出て東の方に小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、神が都をどうなさるのかを見届けようとしました。

  すると主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまの木を生えさせ、ヨナの背丈よりも高くし、蔭をつくって涼しくしたので、ヨナの不満は消え、ヨナはとうごまの木を喜びました。

【トウゴマ(ひま)は熱帯アフリカ原産の植物で、暑い気候の土地では、樹木のように成長して、1~4㍍あまりの高さになります。】

   ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木を食い荒らさせ、木を枯れさせました。日が昇ると、神は東から熱風を送り、太陽も頭上に照りつけさせたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言いました。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」

  神はヨナに言われました。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」

  ヨナは言いました。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」

  すると、主は言われました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

  十二万人もいるニネベの人達や無数の家畜が滅びることを創造者なる神は悲しみ、滅ぼすことを思い留まれたのです。ヨナは、自ら労し育てたのでもない、一夜にして生えた一本のとうごまが枯れたのを惜しんで、腹を立てたのです。

   ヨブ記は、創造者なる神は、滅ぼすことを望まず、救おうとする神であり、異邦人をも区別せず愛する神であることを描いています。

  B.C.662年頃に書かれたナホム書は、イザヤ書やエレミヤ書のように、自国の罪に対する回心や神の罰にはふれず、ただ敵であるニネベの悪と滅びに関する宣言をしました。

  また、エルサレムへの帰還と、神殿再建を記したエズラ記やネヘミヤ記は、異民族との結婚を厳しく禁じるなど、一種の排他的な思想があります。このような、まちがった選民意識や、自国のみを愛し、「それ以外」の人々は愛さないという、偏狭な愛国心や異国人に対する排他的で不寛容な民族主義を、ヨナ書は批判しているのです。

  他国との戦争や、国際紛争が起こるのは、共存共栄の道を模索せず、自国が優位に立とうとし、他国や他民族への愛に欠けることが、根本的な原因となっているのではないでしょうか。

  「ヨナにまさる者がここにいる」(マタイ12:41)と語った主イエスは、信仰者の排他主義に警告し、神の博愛と救いを伝えるために「行って、すべての国民を弟子とせよ」(マタイ28:19)と命令されておられます。

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「殉教も恐れなかったダニエルたち」 ダニエル書3章16-30節

2014-08-24 00:28:22 | 礼拝説教

     ↑ ライオンの穴の中のダニエル(部分)  リュベンス  ワシントン、ナショナル・ギャラリー

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

              日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十二主日   2014年8月24日(日)     5時~5時50分 

              礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 528(あなたの道を)  

交読詩編   51(神よ、わたしを憐れんでください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ダニエル書3章16~30節

説 教 「たとい『そうでなくとも』という信仰」~殉教も恐れなかったダニエルたち~ 

                                                                      辺見宗邦牧師

賛美歌(21)535(正義の主イエスに)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 8月31日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題  「ニネベの人々の滅びをのぞむヨナと主なる神の思い」

 聖 書   ヨナ書4章1~11節

 交読詩篇 130  讃美歌(21)旧258 566 24

             本日の聖書 

16シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。/「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 17わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。18そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」

19ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。 20そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。 21彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。 22王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。23シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。

24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。/「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」/彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」

25王は言った。/「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」

26ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。/「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。 27総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。 28ネブカドネツァル王は言った。/「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。29わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」30こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。

            本日の説教

  今日の聖書の個所に入る前に、イスラエルの歴史とその背景についてお話しいたします。イスラエル民族の始祖アブラハムは、神に示されたカナンの地に移住しました。後に、パレスチナと呼ばれるようになるカナンは旧約聖書の舞台となりました。

   アブラハムの孫ヤコブの時代に、一族はカナンで起きた飢饉から逃れてエジプトに移住しました。エジプトで420年も過ごすうちに、エジプト王によって強制労働を強いられ、奴隷状態になりました。紀元前1230年頃に、指導者モーセに率いられてエジプトを脱出し、40年間も荒野の旅を続けました。後継者ヨシュアに率いられてカナンの地に入り、ヤコブの子孫の12部族はカナンの土地を分割して定住しました。

  統一王国を築いたサウロ王の後、ダビデが王となり、紀元前992年にエルサレムを首都としました。ダビデの後を継いだソロモン王が没した後、イスラエル統一王国は分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国の二つの王国として共存しました。

  新アッシリア帝国(前934~609年)が抬頭(たいとう)し、紀元前722年に北イスラエル王国は攻撃され滅亡しました。

  新たに抬頭した新バビロン帝国(前626~539年)は、アッシリアを滅ぼし、南ユダ王国もその支配下におきました。バビロン帝国によって、紀元前597年にエルサレムが攻撃され、陥落しました。多くの主だったユダの民は三度にわたって捕囚地バビロンに連行されました。これ以後イスラエルの民はユダヤ人、ユダの民と呼ばれるようになります。

 次にぺルシヤ帝国(前559~332年頃)が抬頭し、キュロス王は紀元前539年にバビロンを征服し、捕囚のユダヤ人を解放し、ユダの地への帰還を許しました。バビロン捕囚期間は48年~58年でした。

  ギリシアの北部にあるマケドニアのアレキサンドロス大王の東方遠征により、紀元前332年にぺルシヤ帝国は滅ぼされ、パレスチナ(ぺリシテ人の住む地の意)はマケドニア帝国(前332~148年)に支配され、ヘレニズム時代(ギリシア風の文化)(前334~30年)を迎えました。

  アレキサンドロスの死後、四人の将軍に領地は分割され、ユダヤは、最初はエジプトのアレキサンドリアで王位についたプトレマイオス一世(王朝は前323~30年)に支配されました。紀元前198年には、シリアのアンテオキアで王位についたセレウコス一世(王朝は前312~前63年)の支配下になりました。

  紀元前167年、セレウコス王朝のアンティオコス四世による、ユダヤ教徒に対する大迫害が起こりました。エルサレム神殿にゼウス像が祭られ、ユダヤ人が守っていた安息日、食事規定、割礼の遵守は禁止になりました。この迫害に対してマカバイ家の反乱が始まりました。これがマカバイ戦争(紀元前167~164年)です。反乱を率いたのはユダ・マカバイでした。この戦争の終わり頃、激しい迫害の下に書かれたのがダニエル書です。

  紀元前143年に、ユダヤは政治的独立を勝ち取り、ユダヤ人によるハスモン王朝(前167~37年)が続きました。ハスモンとは、迫害に抵抗したマカバイ一族の先祖の名です。

  ユダの民はおよそ400年の間に、4度も大帝国(アッシリア、バビロニア、ペルシア、マケドニア)に支配されましたが、厳しい圧政の下で、主なる神(ヤハウェ)への信仰を貫き通しました。ユダヤ人は、「ヘブライズム(ユダヤ風の文化)」を維持し、「ヘレニズム」と共に欧州文化の二大源流の一つとなったのです。

  ダニエル書は旧約聖書の中で成立年代が最も遅い書です。激しい迫害の下に書かれたことが黙示文学の表現形式を取らせたと考えられています。書いた著者は、異教的帝国の支配下で、ユダヤ教の信仰を守り抜こうとした敬虔な人々からなる集団でした。ダニエル書は将来についての預言を記した預言書と見做されて、旧約聖書のエゼキエル書の後に置かれています。ダニエルは伝説的人物で、エゼキエル書の中で最高の義人として、ノアとヨブに並んでその名が挙げられています(エゼキエ14:14,20、28:3)。ダニエル書はこの伝説的人物のダニエルを主人公としています。

  前半(1~6章)では、3人の友人と共に、バビロン王ネブカドネツァルの時代からペルシア王キュロスの治世にいたるまで帝国の宮廷で活動した敬虔なユダヤ人として登場しています。                                                    後半(7~12章)では、ベルシャツァル(バビロン王)、ダレィ(ペルシア王)、キュロス(ぺルシア王)の治世に、ダニエルが見た四つの幻を記しています。この中でユダヤの歴史と世界の終末及び救済が語られます。

  ダニエル書は、異教の為政者による弾圧の中で、殉教の精神をもって戦うべきことを教え、ヤハウェ(主なる神)の信仰の勝利を物語にたくして教えようとしたものです。

  「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。(ダニエル書1章1~2節)

  ダニエル書のこの書き出しは歴代誌下36章5~7節の記述によっています。しかし、列王記下24章1~6節によれば、ヨヤキムは11年間エルサレムで王位にあり、「先祖と共に眠りにつき、その子ヨヤキンが代わって王となった」とあります。この列王記下の記述が正しいようです。第一回のバビン捕囚はヨヤキムが死んで、それに代わったヨヤキンの治世の始めに起こりました(王下24:8~17)。紀元前597年のことです。

 バビロンの王ネブカドネツァル(在位前605-562)がエルサレムを包囲し、ヨヤキン王と主だった民を連れ去った第一回の捕囚では、捕囚民の数は、歴王記下24章16節によれば、「18歳のヨヤキン王と軍人7千人、職人と鍛冶千人」とあり、少なくとも8千人以上になります。しかし、エレミヤ書の記述では、この時の捕囚民は3023人(エレミヤ書52:28)と記しています。より正確な人数と思われます。指導者階層をバビロンに連行したのは、ユダ王国から抵抗力を奪い取リ、反乱をなくすためでした。

                   エルサレムからバビロンに連行されるユダの捕囚民

  捕囚の民は、強制労働にも駆り出されたが、比較的自由でした。彼らは自分たちの住む集落をもっており(エゼキエル3:15)、家を建て、庭園を作り、収穫物は自由にでき、結婚もできました(エレミヤ29:5,6)。しかし彼らにとって、バビロンの地は異質な国であり、汚れた国(エゼキエル4:13)でした。エルサレム神殿での祭儀行為が出来なくなった今、安息日と割礼とが彼らの連帯のしるし、神との契約のしるしとして重要になりました。

   ダニエル書1章3節以下によると、ネブカドネツァル王はユダヤ人の王族や貴族の中から、才能と知識と理解力に富んだ少年を集めて教育し、4人の少年を自分に仕えさせました。この少年たちの中にダニエルがいました。これらの少年たちはみな特別に有能だったので、すぐにバビロンの宮廷で認められる存在になりました。

  2章には、誰にも解くことができなかったネブカドネツァルの夢をダニエルが解いたので、王はダニエルを高い位につけたことが記されています。

  3章には、ネブカドネツァル王は金の像を造り、皆にその像を拝むように命じたことが記されています。王国の者は誰でも像を拝まなくてはならず、もし従わなければ、燃え盛る炉の中に投げ込む、という伝令が出されました。諸国、諸族、諸言語の人々は皆ひれ伏し、金の像を拝みました。金の像は、<高さは60アンマ>でした。1アンマは約45センチです。その像は27メートルもの巨大なものでした。

  しかしダニエルの友人たち、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人の青年は、この像を拝まないという告げ口が王に伝えられ、三人は王の前に連れて来られました。王は激怒して、彼らにこう言いました。  
 「今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」(ダニエル書3:15)

  三人は答えました。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」

 「そうでなくとも」とは、神が救ってくださらなくとも、偶像は決して拝まないということです。この言葉に殉教の覚悟が表されています。彼らの返答に、王はますます怒り、炉をいつもより熱く燃やすように命じました。三人は衣服を付けたまま縛られ、燃え盛る炉へ投げ込まれました。炉から噴き出る炎は三人を引いていった男たちをさえ焼き殺しました。しかし、予期しなかったことが王と側近たちを驚かせました。

  王は言いました。「わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」      王は炉に近づいて呼びかけました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出てきなさい。」

  炉から出てきた三人に、王は言いました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」             王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけました。

  6章には、ダニエルがダレイオス王の定めた、「三十日間王様を差し置いて他の人間や神に願い事をしてはいけない」という勅令を無視し、エルサレムに向かって日に三度の祈りと賛美を神に捧げたことで、獅子の洞窟に投げ込まれことが記されています。ダニエルは天使に守られて無事でした。

  これらの物語は、偶像礼拝を拒否して、殉教していったマカバイ戦争時代の人々を励まし、また復活の希望を与えるために書かれたものです。復活の信仰については、「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。12章2,3節)」と記されています。

  たとい「そうでなくとも」という信仰は、たとい神が全能をもって危機から救ってくれなくても、神を信じるということです。命を失っても神のみこころに従うということです。

  江戸時代の寛永年間に、東北地方には、2、3万人のキリシタン信徒と巡回する神父たちがいました。そのうち、990人が殉教しました。【秋田(久保田)140、青森(弘前)88、宮城(仙台、白石)370、岩手(南部)146、山形(米沢、庄内、山形、新庄)159、福島(白河、会津、二本松)87】(日本史小百科キリシタンH.チ―クリス監修、太田淑子編p.105)                  この人たちは、死にいたるまで父なる神と御子キリストに従順でした。この人たちに対する迫害も剣も死も、キリストと、父なる神の愛からこの人たちを引き離すことはできませんでした。この人たちは、キリストに結ばれて輝かしい勝利を収めたのです。

   ナチスの迫害下で処刑されたD.ボンヘッファーの祈りが残されています。「生きようと死のうと、私はあなたと共にあります。そして汝、わが神は、私と共にあります。主よ、私はあなたの救いを待ち望みます。そしてあなたの御国を待ち望みます」。神と共にあることこそが、わたしたちにとって、最高の幸せなのではないでしょうか。

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「エゼキエルの召命と幻視体験」 エゼキエル書1章1-28節

2014-08-16 12:10:48 | 礼拝説教

          ↑ バビロンに捕囚されたイスラエルの民の行程(創元社発行聖書大百科より)

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

     日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十一主日   2014年8月17日(日) 5時~5時50分 

礼   拝    

             司会 永井 慎一兄

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 492(み神をたたえる心こそは)  

交読詩編   86(主よ、わたしに耳を傾け) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   エゼキエル書1章1~28節

説 教 「エゼキエルの召命と幻視体験」     辺見宗邦牧師

賛美歌(21)529(主よ、わが身をとらたまえ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 8月24日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題   「燃える炉に投げ込まれて無事だった三人」

 聖 書   ダニエル書3章8~30節

 交読詩篇 51  讃美歌(21) 528 535  24

      本日の聖書 

1第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。2それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった。3カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。

4わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。5またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。6それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。7脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。8また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。9翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。10その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。11顔はそのようになっていた。翼は上に向かって広げられ、二つは互いに触れ合い、ほかの二つは体を覆っていた。12それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせる所へ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。13生き物の姿、彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた。火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。14そして生き物もまた、稲妻の光るように出たり戻ったりしていた。

15わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。16それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。17それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。18車輪の外枠は高く、恐ろしかった。車輪の外枠には、四つとも周囲一面に目がつけられていた。19生き物が移動するとき、傍らの車輪も進み、生き物が地上から引き上げられるとき、車輪も引き上げられた。20それらは霊が行かせる方向に、霊が行かせる所にはどこにでも進み、車輪もまた、共に引き上げられた。生き物の霊が、車輪の中にあったからである。21生き物が進むときには車輪も進み、生き物が止まるときには車輪も止まった。また、生き物が地上から引き上げられるとき、車輪も共に引き上げられた。生き物の霊が、車輪の中にあったからである。

22生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。それは生き物の頭上に高く広がっていた。23大空の下では、生き物の一対の翼がまっすぐに伸びて互いに触れ合い、他の一対の翼が体を覆っていた。すなわち、それぞれの一対の翼が彼らの体を覆っていた。24それらが移動するとき、翼の羽ばたく音をわたしは聞いたが、それは大水の音のように、全能なる神の御声のように聞こえ、また、陣営のどよめきのようにも聞こえた。それらが止まっているとき、翼は垂れていた。25生き物の頭上にある大空から音が響いた。それらが止まっているとき、翼は垂れていた。

26生き物の頭上にある大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。27腰のように見えるところから上は、琥珀金が輝いているようにわたしには見えた。それは周りに燃えひろがる火のように見えた。腰のように見えるところから下は、火のように見え、周囲に光を放っていた。28周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた。

           本日の説教

  エゼキエルは紀元前6世紀頃、エレミヤとほぼ同時代にバビロニアの捕囚地で活躍した予言者です。エゼキエルは、エレミヤと同じく、エルサレムの出身の祭司で、祭司ブジの子です。   バビロニア王ネブガドネツァルの侵略により、紀元前597年に、ユダの王ヨヤキンと共に、エゼキエルは、第一次の捕囚民として、バビロンに移住させられました。 一方エルサレムでは、ヨヤキンの弟ゼデキヤが新たな傀儡(かいらい)のユダの王とされました。

   「第三十年の四月五日のことである。」という1章1節の書き出しの「三十年」は、エゼキエルの書き記した日付で、ヨヤキン王の捕囚の第三十年(紀元前568年)のことと解されます。ヨヤキン王の捕囚を起点とする日付は、エゼキエル書中14か所あります(例、8:1、20:1、24:1など)。

 ヨヤキン王の誕生の年を起点として「四十年」とする説がありますが、ヨヤキンは18歳のときに捕囚にあっているので(列王記下24:8)、ヨヤキンが捕囚となって第五年後の年齢は、23歳くらいであり、第三十年はヨヤキンの年齢とは合致しません。エゼキエルの誕生年とする説もあります。

 捕囚の第5年(B.C.593年)、エゼキエルは、バビロニア(カルデヤの地)南東部に流れるケバル川の河畔で神の顕現に接し、預言者として召命を受けました。ユダ王国は、滅亡寸前の最後の王ゼデキヤの時代です。故国のエルサレムが陥落(B.C.587)する16年前のことです。バビロン捕囚は、597年、587年、583年の3回行われ、合計4600人(エレミヤ記52:28)が強制連行させられました。エゼキエルはこの捕囚民に対して、紀元前593年頃から573頃まで、少なくとも20年間、預言活動をしました。彼には妻がいましたが、捕囚地で亡くなりました(24:18)。ぺルシア王キュロスの勅令により、捕囚民は紀元前538年の解放されるので、捕囚の期間は最初の捕囚の時から数えると60年ほどになります。

  エゼキエルが神の顕現に接したケバル川は、現在のイラクの首都バグダットから南へ90㌔のところにあるニップルという町を貫いて流れる、ユーフラテス川から引かれた運河です。このケバル(大いなるの意)川のほとりにいたとき、天が開けて、神の幻を見たのです。

 

    エゼキエルは、主の王座を守る奇妙な四つの顔、四つの翼を持つ、四つの生き物-のちにケルビムとされるーを見ます。それらの生き物が動かす車輪の付いた乗り物の幻を見ます。それらは向きを変えずに自由にどの方向にも移動できます。この乗り物に王座が運ばれているため、主はどこにでも移動することができます。それらが動く時、嵐のような風と、地震のような音、全能の神の御声のように聞こえます。その動力は<霊>です。この四つの生き物の顔は、人間、ライオン、雄牛、鷲です。神に仕える人獣混合のような生き物(天使)です。

   エゼキエルは王座に、主らしき姿を見るのですが、「主のように見える」と言うように、直接に神を見たのではないのです。主は超越的な存在であり、死すべき人の目で見ることはできません。彼が目撃したのは、主なる神の栄光であり、その玉座です。エゼキエルは世界に遍在する全能の神、永遠なる方の御前に立たされたのです。

   エゼキエルはこの生き物の上にいますかたの栄光の姿を拝し、ひれ伏しました。この奇怪な幻視体験の記述は、人間のことばでは語ることができない神の尊厳と崇高さであり、バビロンという異国において、イスラエルの神のご臨在に驚いた表現なのです。そのとき、彼に語りかける神の声を彼は聞きました。これがエゼキエル書第1章に記されたエゼキエルの召命を受けた時の神顕現の物語です。

   2章1節から3章の11節は、預言者の召命と派遣にかかわる記事です。エゼキエルに語りかける声は、「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる」と言われ、すると、神の<霊>が彼の中に入り、彼を自分の足で立たせました。主なる神は、「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす」と、彼に語りかけました。エゼキエルは、この反逆の家であるユダの人々に、しかも彼らは神の言葉を聞き入れないと神が言われている民に、御言葉を語ることを命じられたのす。

  エゼキエルが、南ユダの人々に拒まれるのを恐れて、彼らに主の言葉を語らないということがないように、主は巻物を食べなさいと、繰り返して(2:8、3:1)、命じたのです。「食べよ」と命じられた<巻物>は、神の言葉を具体化したものです。<食べなさい>とは、神の言葉を受けて、それを心に聞くだけでなく、聞いたことが身に付き、血となり肉となり、自分のものとすることが求められているのです。「御言葉」を食べるという表現はエレミヤ書(15:16、17節)にもあります。エレミヤもまた、民の拒絶にあって苦しんでいる時、主の言葉を食べ、心は喜びに躍るということを経験しました。

   「あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は躍りました。」とあります。巻物は、表にも裏にも文字が書いてあって、しかも、<哀歌、呻き、嘆き>の文字にうめつくされていました。哀歌と呻きと、嘆きの言葉で満ちた神の裁きの御言葉です。これはユダ民族の悲哀を記しているのではりません。それは民族に対する神の審(さば)きの言葉に満たされていたのです。これはイスラエルに対する神の審判のことばであり、神の審きのかげには、神ご自身の悲しみと、嘆きと、呻きがかこめられているのです。イスラエルのための悲しみと、嘆きと、呻きの言葉は、イスラエルに対する神の愛によるものです。

  「わたしが口を開くと、主はこの巻物を食べさせて言われたとあるように、御言葉は神から食べさせて頂かねばなりません。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹に満たせ。」と主は言われました。ところが、どうでしょうか、それを食べてみると、それは蜜のように甘かったというのです。その巻物の内容自体は、エルサレムに対する裁きに関するもので苦いものでしたが、エゼキエルが神の言葉を受け入れた時、御言葉は素晴らしく甘かったというのです。詩編に、神の御言葉は、「金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い(詩編19:11)とあります。また、「あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう」(詩編119:103)とあります。

  エゼキエルの語るべき主の言葉は、エルサレム神殿とユダ王国の徹底的な破滅と苦しみの預言でしたが、その裁きの言葉は信じて受け入れると蜜のように甘かったというのは、そこには新しい希望があふれているからです。何故ならば神の怒りの背後には神の愛があるからです。神は滅ぼすためではなく、救うために裁きの預言をさせるのです。               18章31節にはこのように記されています。「『イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ。』と主なる神は言われる。」とあります。イスラエルのだれの死をも喜ばない、生きて欲しい。それが神様の本当の思いなのです。

   エゼキエルは、南ユダ王国の滅亡を預言するために召され、派遣されるのです。エゼキエルは、イスラエルの歴史上、最も悲惨な事件と言われるバビロン捕囚、すなわちエルサレムの陥落を経験しました。エゼキエルは、バビロンの北方約300㌔の「テル・アビブ(洪水の丘)」(エゼキエル3:15)に住み、捕囚の民の中にあって、少なくとも20年間、預言活動をしました。彼はパレスチナ以外の異教の地で活動した最初の預言者です。その後に、ダニエルや、第二イザヤが続きます。

   当時バビロニアの各地の捕囚地に散らばっていたユダの民は、故国を追われた失意と無力感、深い絶望の中に陥っていました。人々の中には、主なる神への敬虔な信仰を捨て、バビロニアの異邦の風習に同調する人々も出てきました。また、ある人々はエルサレムの滅びを受け入れる事ができず、すぐにでも故郷に帰還することが出来るという偽りの預言を信じる人達もいました。

  このような状況の中で、エゼキエルは、捕囚の民に、なぜユダ王国が滅び、エルサレム神殿が破壊されることになるのか、その理由は、彼らが異邦の神を礼拝し、偶像の神々に仕え、主なる神の神殿の名に値いしない、穢れたことばかりを行っている事によるのだと告げたのです。エゼキエルの使命は、ユダ王国の罪を責め、エルサレムの滅びは避けられないことを語り伝えると共に、新しく回復された約束の民による復興を予言し、イスラエル民族の回復、神の約束による希望を与えることにあったのです。

   エゼキエル書24章までは、来るべきエルサレムの破滅に関する裁きがくりかえされて語られます。また、25章~32章には、諸外国に関する裁きの託宣が語られます。偶像崇拝者たちに対する神の痛烈な怒りが語られます。 

 エゼキエル書の33章からは、イスラエルの復興に焦点が当てられます。エルサレムの神殿は破壊され、都が完全に陥落した後の預言です。先ず「見張り」というエゼキエルの第二の使命が語られます。エゼキエルは捕囚の民に回復を預言しました。 

 34章では、捕囚の責任は堕落した牧者、つまり民を迷わせたユダの支配者たちにある。それゆえ神が良い牧者となり、捕囚の民を連れ戻し、民が平和に暮らせるようにする、とエゼキエルは預言しました。

  36章では、神は、捕囚の民の石のような頑なな心を取り除き聖霊の豊かな働きによる新しい柔らかな心を与えると約束したのです。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える(36:26)。」

  37章では枯れた骨の復活を予言します。この幻はイスラエル再生の象徴です。

 40章から48章までは、エゼキエルがエルサレムに戻る幻を見て、理想の神殿を見て回ります。神殿が破壊されてから14年目の紀元前573年の時です。主の栄光が神殿に戻り、二度と再び離れないと主は約束するのを目撃するのです。イスラエルの民は、各部族に嗣業の土地が割り与えられる、と主の言葉を伝えます。神が民の罪を清めた後に、来るべき主の民の偉大なる未来が語られます。

   エゼキエルを通して語られた予言、石のような心を取り除いて聖霊が豊かに働く柔らかい心が与えられ、枯れた骨が復活する預言は、私たちにも向けられています。神は救い主イエス・キリストを下さったことによって実現しました。主イエスは十字架の死と復活により、わたしたちの罪を赦し、神の子として下さり、天の父よと呼ぶ聖霊を与えて下さり、天の御国に行く復活の希望を与えてくださいました。それゆえ、わたしたちは救われて、信仰を持ち、永遠の生命の道を日々感謝のうちに歩むことができるのです。

 

 

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「神の真実を説いた涙の預言者」 エレミヤ書1章1-19節

2014-08-09 21:52:32 | 礼拝説教

     レンブラント(オランダ 1606~1669) 「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」1630年 油彩板 58.3x46.6cm  アムステルダム国立美術館 (かすかに、エルサレムが燃える火と逃げ出している人の姿が、左奥に描かれています。エレミヤは大きな柱に寄りかかり、足元に絨毯が見えます。エレミヤの傍らに見える金属製のものは、神殿から持ち出した聖杯なのでしょうか?二本の紐がついたものは、預言を記した巻物でしょうか?)               

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                      TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

  日本キリスト教 富谷教会 週報

  聖霊降臨節第十主日   2014年8月10日(日)  5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(旧) 12(めぐみゆたけき主を)  

交読詩編   21(主よ、王はあなたの御力を喜び祝い) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書     エレミヤ書1章1~19節

説 教   「神の真実」を説いた涙の預言者    辺見宗邦牧師

賛美歌(21)556(神の賜物を)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

      次週礼拝 8月17日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題   「エゼキエルの召命」

 聖 書    エゼキエル書2章1~3章11節

 交読詩篇 86  讃美歌(21) 492  529  24

    本日の聖書 エレミヤ書1章1~19節

  1エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。2主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、3更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。

  4主の言葉がわたしに臨んだ。 5「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」 6わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」 7しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。 8彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。

  9主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。 10見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。」

  11主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」 12主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。」 13主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。「何が見えるか。」わたしは答えた。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。」

  14主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる、この地に住む者すべてに。 15北のすべての民とすべての国にわたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、エルサレムの門の前に都をとりまく城壁とユダのすべての町に向かって、それぞれ王座を据える。 16わたしは、わが民の甚だしい悪に対して裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき手で造ったものの前にひれ伏した。 17あなたは腰に帯を締め、立って、彼らに語れ。わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな、わたし自身があなたを彼らの前でおののかせることがないように。 18わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせる。 19彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと主は言われた。

     本日の説教

  イザヤ(B.C.739年)がエルサレムに現れてから112年後に、エレミヤが現れました。北イスラエル王国が滅亡(B.C.722年)してから95年後のことです。エレミヤの出身地はベニヤミン族の相続地の中にあるレビの町アナトトです。アナトトはエルサレムの北東4.5キロにある小村です。エレミヤが活動した期間は、南ユダ王国のヨシヤ王の治世の第13年から、ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキンを経て、ユダ王国最後の王ゼデキヤの治世の第11年に、エルサレムの住民が捕囚となるまでとされています。エレミヤの活動期間は、紀元627年から紀元587年までの40年間です。この時代の歴史は、列王記下22:1~25:26、歴代誌下34:1~36:21に記されています。

  ユダの最後の王となったゼデキヤに、バビロンに降伏すべきだと予言するエレミヤ危険人物と見做し、投獄しました。ゼデキヤはアンモンと共謀してバビロンに反乱を起すが、遂にバビロンによってエルサレムは包囲され、陥落しました。エルサレム神殿は略奪され、745人が捕囚としてバビロンへ移送されました。エレミヤはラマで釈放され、ユダの地の総督とされたミツパにいるゲダルヤに保護されました。バビロン帝国の占領に反抗したユダ王族の一人であるイシュマエルのグループによってゲダルヤは暗殺され、数人のバビロンの駐留兵は殺されました(B.C.585年頃)。ゲダルヤに仕えていたヨハナンと数名の者は、バビロンからの報復を恐れ、エジプトへの逃亡を計画しました。ユダの地に残って国を再建すべきだとするエレミヤの言葉は受け入れられず、エレミヤはエジプトの地中海沿岸の町タフパンヘスへ連行されました(エレミヤ書39:11~43:7)。エレミヤはエジプトの地で殉教の死を遂げたと言われています。

    エレミヤ書1章4節以下は、エレミヤの召命に記事です。                主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。』

  わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』

  しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す。』」(エレミヤ書1:4~8)

  神の言葉は圧倒的な権威に満ちてエレミヤに臨みました。神はエレミヤを母の胎内に造る前から知り、母の胎から生まれ出る以前に聖別し、「諸国民の預言者として立た」と告げました。

  この神の呼びかけに対し、エレミヤは、わたしは語る言葉を知らず、若者に過ぎませんと言って抵抗しました。20歳代の青年が、与えられた任務に堪えられないと思い、たじろぐのは当然です。しかし、神は、若者にすぎないと言ってはならない。だれのところへでも行って、命じることをすべて語れと言われました。彼らを恐れず、エレミヤを使命に向かわせたのは、「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」という神の励ましの言葉でした。

  「主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。『見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。』」(イザヤ書1:9~10)

  すると、神はエレミヤの口に直接手を触れてみ言葉を授け、預言者として任命しました。神はエレミヤに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねました。その職務は破壊と建設です。諸国民の運命を究極的に支配している神の言葉を、預言者は語らなければなりません。

  エレミヤが伝えるべき預言を明らかにするために、神は回復と審判の二つの幻を見せます。

  「主の言葉がわたしに臨んだ。『エレミヤよ、何が見えるか。』 /わたしは答えた。『アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。』  /主はわたしに言われた。『あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。』主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。『何が見えるか。』 /わたしは答えた。『煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。』  /主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる、この地に住む者すべてに。北のすべての民とすべての国にわたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、エルサレムの門の前に都をとりまく城壁とユダのすべての町に向かって、それぞれ王座を据える。わたしは、わが民の甚だしい悪に対して裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき手で造ったものの前にひれ伏した。」(エレミヤ書1:11~16)

  エレミヤが召命のときに見た最初の幻は、アーモンドです。アーモンドは、春いちばんに花を咲かせる木です。これはヘブライ語の語呂合わせが関係しています。    アーモンドの花

アーモンド(シャーケード)は、神が「見張っている」(ショーケード)ことを心に留めよという意味だったのです。これは回復の幻です。神は「わたしの言葉を成し遂げようと見張っている」と言われます。神の関心は、神の民を滅ぼすことが真意ではなく、ユダ王国を回復させるために注意深く見張っている、というのです(31:28、44:27参照)。

   第二の幻は、煮えたぎる鍋です。これは審判の幻です。それが北からエレミヤの方に傾いています。この幻は北から災いが襲いかかることを意味します。騎馬民族のスキタイ人の来襲を指しています。神の呼びかけによって、北の国々は、エルサレムとユダの町々を襲撃するというのです。それはユダの民の悪と偶像崇拝に対する神の裁きのためである、と神はエレミヤに告げたのです。

   「あなたは腰に帯を締め、立って、彼らに語れ。わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな、わたし自身があなたを彼らの前でおののかせることがないように。わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせる。彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと主は言われた。」(エレミヤ書1:17~19)

   神はエレミヤに命じます。「あなたは腰に帯を締め、立って、彼らに語れ。わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな。」「腰に帯を締め」とは、通常、武装を意味します。気をひきしめて、敵を恐れず立ち向かえ、ということです。神はエレミヤを、<堅固な町><鉄の柱><青銅の城壁>として立ち向かわせると約束し、勝利と救助を保証しました。

       「涙の預言者」

    エレミヤが預言者として活動したのは、ユダ王国が衰退し、王国の滅亡とバビロン捕囚という破局に向かっていた時代です。エレミヤは、数十年にわたって警告者、勧告者として同胞の民に、神の裁きがまじかに迫っていることを語り、悔い改めの呼びかけをしなければなりませんでした。エレミヤはヨシュア王の宗教改革に協力しましたが、ヨシュア王の戦死後、ユダ王国はエジプトの支配を受け、王と民は政治的な不安の中にありました。しかし、エルサレム神殿があるかぎり大丈夫だという思いがありました。エレミヤは、「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉(偽りの預言者の言葉)に依り頼んではならならない。…お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。(エレミヤ書7:4~8)」 、と預言しました。エレミヤの言葉は、人々の反感を買い、迫害を受け(8:6)、エレミヤは深い苦悩と悲しみを味わいました。

  「呪われよ、わたしの生まれた日は。母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。呪われよ、父に良い知らせをもたらしあなたに男の子が生まれたと言って大いに喜ばせた人は。……なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い、生涯を恥の中に終わらねばならないのか。」(エレミヤ書20:14~18)

   エレミヤは自分の誕生を呪うまでに苦しみ、二度とふたたび主の言葉を語るまいと決意するのですが、彼の心の中に、神の言葉が「燃える火」となって、彼は語らざるを得ませんでした(20:9)。エレミヤの苦しみは預言者として語らなければならない苦しみだけではなく、エルサレムの滅亡と背信の民の滅びを悲しみ、痛んでいました。エレミヤは「涙の預言者」と言われていますが、それは彼が味わった苦悩と悲嘆の深さを表す表現です。

   「神の真実」

  アモスが「神の義」を、ホセアが「神の愛」をイザヤが「神の聖」を強調しましたが、エレミヤは「神の真実」を強く訴えました。

  「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか。正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。 /主は生きておられる」と言って誓うからこそ、彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。 /主よ、御目は真実を求めておられるではありませんか」(エレミヤ書5:1~3)

  エルサレムに一人でも、「公義を行ない、真実を求める者」が見つかるならば、エルサレムを赦そうと主は語っています。ところが、だれ一人としてそのような者はいません。「主よ。あなたの目は真実に向けられていないのでしょうか。」と、エレミヤは神の真実を強調しています。エレミヤは長いイスラエルの歴史の中に神の真実が一貫しているのを見ています。民がどんなに神を裏切ったとしても、神は決して民を裏切ることがないという真実です。エレミヤによれば、人間が真実を貫くということはむずかしい。それは、人間性の弱さ、もろさのためであり、結局、人間は自分本位にしか物事を考えられないエゴイズムによるのです。人間の真実は、神の側の真実に支えられ、助けられて、はじめて、真実を求めようとする自己を見出すことができることをエレミヤは知ったのです。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみ(真実)を注ぐ。おとめイスラエルよ、再び、わたしはあなたを固く建てる。」(エレミヤ記31:3,4)神はイスラエルを不変の愛をもて愛し、真実をつくし、イスラエルを再建すると言われたのです。そこに、弱くもろい人間の救いの希望を見出ことができるのです。

     「新しい契約」

   「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(エレミヤ記31:31~34)

   エレミヤは、神と民との関係を、夫(主人)と妻との間の契約として述べています。ところがイスラエルは、この契約を破ってしまったので、神は新しい契約を結ぶ日が来る、と言われるのです。新しい契約は、まず第一に、律法が、イスラエル人の心の中に記され、外からの義務や強制によるのでなく、内からの意志によって律法に従う者となる。第二に、自分の神はだれかを他人に教えられるまでもなく、一人ひとりが平等に、しかも直接的に、主と向き合い、神を知るようになる。第三に、神の絶対的な恩寵によって、完全な「赦罪」が与えられる。ここに、神と民との新たな契約の関係が実現する。このエレミヤの「新しい契約」の預言は、イエス・キリストによって実現するのです。エレミヤは神に召された預言者としての活動に生命を捧げ、神の御子イエス・キリストによる救いを予言した偉大な預言者です。

 

 

 

 

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