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富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「苦難の共同体」使徒言行録20章17節~35節 

2025-08-22 18:07:48 | キリスト教

 〒981-3302 宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 

TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

E-mail:munekuni-hemmi@vesta.ocn.ne,jp

 日本キリスト教団 宗教法人富谷教会週報

聖霊降臨節第12主日 2025年8月24日(日)午後3時~3時50分

               礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 218(日暮れてやみはせまり)

交読詩編   57:1~12(神よ、憐れんで下さい)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)使徒言行録20章17節~35節(p.254)

説  教     「苦難の共同体」  辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   474(わが身の望みは)

献 金   

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷          

後 奏  

 次週礼拝 8月31日(日)午後3時~3時50分

聖書 コロサイの信徒への手紙3章:18節~4章1節

説教   「家族」

讃美歌(21)155 544 24         

交読詩編 128:1~6

 本日の聖書 使徒言行録20章17節~35節(p.254)

    エフェソの長老たちに別れを告げる

    17パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。18長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、(あなたがたは)よくご存じです。19すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。20役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。21神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。 22そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。23ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。24しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。25そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。26だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。27わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。28どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。29わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。30また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。31だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。32そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。33わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。34ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。35あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

   本日の説教

    今日の聖書の今日の聖書の箇所は、パウロの第三回目の宣教旅行中(使18・23~21・16)の出来事です。

 この宣教旅行は、紀元53年から56年にかけて行われましたが、パウロはエフェソの伝道に最も力を注ぎ、約二年間(19:10)、または3年間(20:31)もエフェソに留まりました。その後、パウロはマケドニヤ州の諸教会を再訪し、アカヤ州(ギリシャ)のコリントを再訪問し、三か月滞在しました。コリント滞在後、宣教旅行を終えたパウロは、集めた献金をエルサレムに届けるため、船出しようとした時、パウロを待ち構えて殺町ミレトス(ミレト)に着きました。そうとする陰謀を察知したので、やむをえずマケドニヤを経由して帰ることになり、まずフィリピ(ピリピ)に行き、そこから船出しました。ア庶個所は、パウロの第三回目の宣教旅行中(使18・23~21・16)の出来事です。この宣教旅行は、紀元53年から56年にかけて行われましたが、パウロはエフェソの伝道に最も力を注ぎ、約二年間(19:10)、または3年間(20:31)もエフェソに留まりました。その後、パウロはマケドニヤ州の諸教会を再訪し、アカヤ州(ギリシャ)のコリントを再訪問し、三か月滞在しました。コリント滞在後、宣教旅行を終えたパウロは、集めた献金をエルサレムに届けるため、船出しようとした時、パウロを待ち構えて殺町ミレトス(ミレト)に着きました。そうとする陰謀を察知したので、やむをえずマケドニヤを経由して帰ることになり、まずフィリピ(ピリピ)に行き、そこから船出しました。

     いくつかの寄港地を経由して、エーゲ海の港ミレトスはエフェソに近い町(距離は約50㌔)です。パウロは五旬祭(ペンテコステ)までにエルサレムに着きたいと旅を急いでいたので、使いをやってエフェソ教会の長老たちを呼び寄せて、最後の勧めをしました。これが有名なミレトスの別れの(訣の)説教です。紀元56年頃のことです。

エフェソ(現在名はエフェス)は、ローマ帝国時代、トルコ西部のアジア属州の州都でした。パウロはエフェソの長老たちに、アジア州に来た最初の日から、伝道のためにどのように過ごしてきたかを「あなたがたはよくご存知です」と言って思い起させます。パウロが最初にエフェソを短期間訪れたのは、第二伝道旅行の終わり頃、紀元52年頃です(18:19-21)。パウロは謙遜の限りをつくし、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってふりかかった試練にあいながら伝道しました。信仰の益になることは、公衆の面前でも方々の家の集会でも伝え、教えました。神に対する悔い改めと、主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししました。

   この世の矛盾と人間生活の混乱は、自我中心に生きている神に対する罪に原因があることを説き、罪を赦し、罪から解放してくださるために神が世に送られた御子イエスを信じ、神の愛を受けて生きるように説いたのでしょう。

    今やパウロは、「投獄と苦難」とが自分を待ち受けていることを、どこの町でも預言者たちを通して告げられ、はっきり知りながらも、人間の判断によらず、聖霊に促されてエルサレムに向かう決意を伝えます。主イエスが十字架の死を覚悟してエルサレムに向かったことを思い起させます。パウロが語ったように、この後エルサレムで捕らえられ、ローマに送られ、四年後には殉教の死と遂げます。

   パウロにとって生きることは、キリストから与えられた使命を達成するためであり、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務」を果たすことができさえすれば、「この命すら決して惜しいとは思いません」と、その覚悟を伝えます。

  「そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています」と、最後の別れになることを告げます。パウロは、「あなたがたの間を巡回して御国を継ぐ福音を宣べ伝えた」のだから、「特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません」と、告げます。パウロは神の意図あるいは計画をすべて伝え、使徒として責任を果たしたので、永遠の生命を失う者があっても、自分には責任がないことをはっきりと告げます。「わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」と、重ねて注意します。次に長老たちが守るべき務めとして、「自分自身」と「群れ全体」とに気を配るように勧めます。教会の指導者は、まず御言葉によって自らが養われ、霊的に成長していくこと努めながら、「群れ全体に気を配る」ようにと教えました。

   「神の教会」は、貴い御子の血によってつくられたものであり、その教会の世話をさせるために、聖霊が長老たちを、信徒たちの監督者として任命したのである、と監督者の任務の光栄と重大さを告げます。

     パウロがこの世を去った後、「残忍な狼ども(偽教師)が入り込んで来て群れを荒らす」ようになり、また、教会の中にも曲がったことを語って、信徒たちを自分の方に引き込もうとする者たちが起こるでしょう、と警告します。教会は、内外からの危険にさらされているので、パウロが、三年間夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、見張るようにとパウロは勧めます。

    そして今、パウロは長老たちを「神とその恵みのことば」とに委ねます。なぜなら、パウロがいなくなっても、この福音は、長老たちを始め、すべての信徒たちを造り上げ、共に恵みを受け継がせることができるからです。

  「恵みを受け継がせる」とは、「御国を継ぐ」ようになる、ということです。この世では、神から新しい生命が与えられ、神の支配の中に感謝と喜びをもって生活することができ、神の子たちされ、永遠の命を与えられ、主イエスと共に、御国を継ぐ者とされることです。

     パウロはこの後、彼がエフェソで示した生活態度を長老たちに思い起させて、怠惰を戒め、勤労と奉仕の生活をするように勧めます。「わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません」、自分の手で自分自身の生活を支えたと言います。パウロは、アキラとプリスキラ夫妻と共にテント造りをして働いています。

   しかし、伝道に専心するために、彼を助ける人の、信仰による心からの献金は喜んで受けました。「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」(コリント一、9:14)と言っています。主イエスは、「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ10:10)と言っています。パウロがこの権利を、エフェソや、コリントで用いなかったのは、キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、耐え忍んだのです。だれにも負担をかけまいと夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

    あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました」と語って、訣別説教を終えました。

     この後、パウロは、ひざまずいて長老たちと共に祈りました。彼らは、パウロが「もう二度とわたしの顔を見ることがない」と言ったので特に心を痛め、「声をあげて泣き」、悲しみました。私たちは、彼らの信仰の交わりによる親愛の情の深さと、パウロの伝道に対する並々ならぬ決意のほどをここに見るのです。彼らに見送られたパウロは、エフェソ教会、広くはアジアの諸教会をこの長老たちに託し、新しい伝道の局面へと乗り出して行ったのです。

     この別れの説教の中で、パウロは教会を「神の教会」と言っています。教会は本質的に神に属するもの、神が所有している、というのがパウロの教会観の基本です。教会は「神が御子の血によって御自分のものとなさった」ものだからです。教会は単なる人の集まりではありません。たとえ多くの欠けたところがあるとしても、それは神が御子を代価として育ててくださる信徒の群れです。イエス・キリストの十字架の血によって、あがない出された共同体です。この世にあって、内外の激しい戦いを受けるであろう苦難の共同体です。神の国のために苦しむのです(テサロニケ二、1:5)。この教会は、パウロが言うように、「神とその恵みの言葉とに」委ねられています。神の力によって守られています。

    江戸時代、キリスト教徒(キリシタン)は、徳川幕府の迫害を受けました。キリシタン禁教令(1614年)の発布から、禁令高札撤去(明治6年,1873年)までの259年間、弾圧が続きました。各地で仏教徒を装う「隠れキリシタン」が、ひそかに信仰を守りました。東北六県では約500人(内家臣が40人)が潜伏キリシタンになりました。大浦天守堂献堂式(慶応1年、1865年)のときには、浦上信徒がパリー外国宣教会のプチジャン神父の前に名乗り出たので世界を驚かせました。明治6年には、浦上のキリシタン信徒が1万5千人いることが明らかになりました。全国で、およそ4000人~5000人のキリシタンが処刑されましたが、しかし、主イエス・キリストによって示された神の愛から、信徒を引き離すことはできなかったのです。信仰の創始者また完成者である主イエスも恥をもいとわないで十字架の死に耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。神は正しい報いを実現なさるのです。

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