フェンディ、クロエそしてシャネル。
カール・ラガーフェルドは様々なメゾンで活躍した稀有な存在でしたが、故郷のドイツではなく隣国フランスが主な活躍の場でした。
2次大戦で対戦国だった両国
フランスを常に痛めつけてきたドイツ
という観念からすれば、カール・ラガーフェルドにしても難しい面があったのでしょうか。
ドイツサッカーでも
ルディ・フェラーとアンドレアス・ケプケがオランピック・ドウ・マルセイユでプレイ
フランツ・ベッケンバウアーがそのマルセイユの指揮官に指名
というように、携わった例はありますが。
逆にキングスレイ・コマンやビセンテ・リザラスなど、FCバイエルンに移籍するなどドイツで研鑽を積む事例も多いですね。
戦勝国と敗戦国
支配した側とされた側
は案外サッカーの移籍先には構わないのかもしれないとも思えますが、複雑に思う方はいると思うのです。
ちなみに西洋史が苦手という方は案外多いですよね。
確かに人名と年号が難しいという側面はよくわかります。
例えばカール・ラガーフェルドの「カール」はイタリア語では「カルロ」、スペイン語では「カルロス」になるだけです。
つまりレアル・マドリードの指揮官カルロ・アンチェロッティは
スペインではカルロス・アンチェロッティ
ドイルではカール・アンチェロッティ
と呼ばれるわけですが、基本は同じ人間ですから歴史表の王侯貴族も、名前が現地読みなだけで同じ人物ということがよくあります。
確かに嫌いになる理由、わかります。