塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

古橋享吾、ナイキと新契約が始まるのか

2023-09-08 22:01:40 | 日記

 アシックス契約選手として知られる日本代表の古橋享吾。

 

 昨年のスコットランド・リーグ得点王は、アシックスの応援があったことを心強く思ったに違いありません。

 

 しかし、古橋は日本代表招集を受けると、何とアシックスではなく「ナイキ」を履いており、ファンが騒然としています。

 

 僕は彼の決断に何も言えませんが、思い出すのがピーター・ケニオンです。

 

 マンチェスター・ユナイテッドで辣腕を振るい、その業績が認められ2004-05シーズンからチェルシーで陣頭指揮にあたります。

 

 現在チェルシーはナイキと契約していますが、ケニオン就任の際はアンブロがスポンサーでした。

 

 ケニオンはアンブロに契約解除金を50億円支払い、アディダスとサムソンをスポンサーに迎えます。

 

 ケニオンは、トップになるためにはアディダスからナイキと契約する必要があると自論を述べ、ここからアンブロは一気に市場占有率が減少していきます。

 

 古橋がアシックスに大きな感謝と敬意を持つことは当然です。

 

 しかしプロである以上、ナイキがより良い契約条件と機能のスパイクを提示した、それを受け入れたのであればアシックスが引き下がるしかないとも言えます。

 

 僕の陽に小心者は、契約が切れる際は相当悩むと思いますが、それを乗り越えてのプロなのでしょうか。

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あのアルバムが登場して、今年で30年を迎えます

2023-09-08 21:43:12 | 日記

 今年2023年は、ドクタードレが生み出した最高傑作のひとつ、「ドギースタイル」が発売されてから丁度30年になります。

 

 僕はこのアルバムを既に手放しましたが、楽曲のいくつかはコンピレーションCDとして所有しています。

 

 当時、祥伝社の「BOON]では、このアルバムを引っ提げて全米全土から大注目のスブープ・ドッグをいち早く特集したくらいで、今聴いてもまったく古臭くありません。

 

 ぼくは2000年代以降のヒップホップやラップには相当疎いのですが、ドクタードレがこの30年、常に最前線で最先端を発表してきたこと。これはすごいと思いますね。

 

 サッカーでいえば、アリゴ・サッキとゾーンプレスのような形ですか。

 

 サッキがいなければ、少なくともユルゲン・クロップのGプレスが採用される下地は無かったように思いますし、日本代表が

 

 加茂周の下でゾーンプレスを採用

 彼の布陣は4-2-2-2,もしくは3-5-2と従来の4-4-2とは程遠い形であった

 それでも日本代表の戦術として、当時は多くの記事で解説

 

 というように、時代の最先端だったわけです。

 

 ラップの本場が米国東海岸であったことは事実ですが、ドレの影響が西海岸と「サウス」と呼ばれる南部のラップが表舞台に立つ要因になりました。

 

 サッカー監督でいえば、ボラ・ミルティノビッチのような代物で、彼がいたからこそFIFAワールドカップとであえた国もありますよね。

 

 陳腐な言い方ですが、伝道師ような存在があると、どの分野でも成功に近くなると言えそうです。

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2PACの名曲、ディア・ママ

2023-09-08 21:33:46 | 日記

 1990年代の米国西海岸に、2PACCという今でもその楽曲で知られるラッパーがいました。

 

 彼の代表曲「カリフォルニア・ラブ」は、今でも相当な頻度でかかることが多いですし、バスケットファンならば

 

 1996年アトランタ夏季五輪代表のグラント・ヒル

 彼が大ファンである2PACに、自分のバッシュ「フィラ・グラント・ヒル2」をプレゼント

 

 という話を聞いたことがあると思います。

 

 彼の楽曲に「ディア・ママ」というのがあるんですね。

 

 2PACの母親はお世辞にも、教育や子育てに熱心とは言えない存在だったようですが、彼はそれでも日本風に言いますと

 

 「親愛なる母上様」

 「私を生んでくれてありがとう」

 

 という形になりますが、サッカーでもラッパーのように貧しい暮らしの選手は、両親との結びつきが強いと言えます。

 

 アルゼンチン代表なrばファン・リケルメがそうで、彼はあれだけの実力者でありながら、両親のように身近な人間以外には、簡単に心を開きませんでした。

 

 それはカルロス・テベスもそうで、掘っ立て小屋の中で家族が団結して生きてゆくことが必要だったためでしょうか。

 

 ロナウジーニョと兄のアジス

 ネイマールと父のネイマール・シニア

 

 

 そのマネージメントに常に不愉快な印象が持たれるのは、まず金と肉親が最優先と思う彼らの考えにあるためっかmしれません。

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