ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



数学なんてさ、将来使いもしない難しいこと教えられても、やってられないよね。なんの意味があるんだろうね。社会人になったら、関係ないんじゃないの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「頭も、鍛えると強くなるものだ」ということは信じていただきたいのです。(中略)
 中学・高校・大学等で学んでいる学問は、社会に出てからストレートに使えるものではないことが多いのですが、「人生の基礎をつくり、頭脳を鍛える」という意味では非常に大事なものなのです。(中略)
 特に、学校での勉強に不適応を起こす人は、たいてい、数学か英語に問題があって、授業についていけなかったり、授業が嫌いだったり、「こんなものを勉強する必要はないのではないか」と感じたりして、「おもしろくない」と思う人が多いようです。(中略)
 数学や英語の能力は、日本人として生まれて社会生活をする上で不可欠なものかというと、なければないで済むものではあります。そういう能力がなくても、それなりに大人になっていき、生活することは可能です。(中略)
 作家のなかにも、「二次方程式なんか、解けるようになる必要はなかった」と言う人もいます。それはそうかもしれません。その人は、大人になってから二次方程式を使うことは、まったくなかったでしょうから、そういう言い方もあるとは思います。
 ただ、数学と英語には、「頭を鍛える」という意味では非常に重要な面があります。(中略)
 専門の研究者のように職業として数学を使うことはないにしても、数学は、頭の訓練において非常に大事であり、理性を鍛えるのに役立ちます。
 人間には理性というものがありますが、理性そのものは、赤ちゃんのままの状態で放っておいたのでは発達しないものです。食べ物を食べて大きくなり、大人になるだけでは、理性自体は発達しません。理性は、ある程度、訓練しないと、発達しないのです。
 理性とは、筋道を立てて合理的に考える能力のことです。これは、やはり訓練を必要とします。
 その意味で、二十歳までに理性を鍛えようとしたら、数学の教育は非常に大切になってきます。それが、いちばんの早道なのです。
 また、「学生時代に数学ができたかどうか」ということと、社会人になって職業に就いてからの収入との相関関係を調べてみると、「数学のできた人のほうが収入が多い」という結果が出ているので、数学は職業的成功にも関係があるようです。(中略)
 そのなかには、数学そのものを職業に使っている人もいるでしょうが、そういう人ばかりではありません。正確さ、問題を解決する速度、論理的な思考能力、筋道立った考え方、仮説を立てて解いていこう、証明していこうとする努力、こういうことには、実社会に出てからも、かなり役に立つ面があるのです。
 職業によって仕事の内容は違いますが、そのもとになるものとして、論理思考の教育があるわけです。したがって、それを軽視しないでください。
(17~26ページ)

頭も鍛えると強くなるものである。

学校で学んでいる学問は、社会に出てからストレートに使えるものではなくとも、人生の基礎をつくり、頭脳を鍛えるという意味では非常に大事なものである。

特に数学は、頭の訓練として大事であり、理性を鍛えるのに役立つ。正確さ、問題解決速度、論理的な思考能力等は、実社会でかなり役立つ面があるので、軽視してはならない──。

英語の勉強の意味については、すでに一度ご紹介しました。

英語と並んで嫌いになる人も多い数学についても、無理に学校で勉強させられるというのには、とても重要な意味があるんだってこと。

今は納得できないかもしれないけれど、学校に通っているみなさんは、この大川隆法先生の教えを素直に受け止めて、数学もどうかがんばられますように!
 

『青春の原点』

 大川隆法著


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いま、幸福実現党をぜんぜん報じないマスコミの報道方針って、偏ってないのかね。あれって、誰が決めてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『NHKはなぜ幸福実現党の報道をしないのか』―受信料が取れない国営放送の偏向(幸福の科学出版)で、NHKの最高幹部の一人、石田研一放送総局長(当時)の守護霊の発言(「霊言」)を、小林幸福の科学副理事長(当時)によるインタビュー形式で、次のように伝えられます。

小林 宗教全般に対する報道もそうですが、とりわけ、二〇〇九年に幸福実現党が立党したあと、NHKは大量の撮影をしながら一切報道をしませんでした。あの極めて特殊かつ異常な編成方針は、どういう理由によるもので、どこから出てきたのか、教えていただけますか。
石田研一守護霊 そらあ、現場は労働時間や日当を使ってやっとるから、「何とか報道価値のあるものにしたい」とは思うだろう。
 その当時は、わしが完全な責任者ではないんだがな。ちょっと、ほかに、いたことはいたんだけども、まあ、知っては……。
小林 でも、その報道方針は、今も引き継がれておりますよね。
石田研一守護霊 うーん、もちろん知ってはいたから、逃げられんとは思うが……。
 まあ、みんなで見ていましたよ。「資料価値としては撮っといたほうがいい」と思うから、撮ってはおいたけれども……。
 何ていうかなあ、結論が先に出るんだよ。つまり、「応援するか、しないか」「落とすか、通すか」みたいなのを、先に決めるんだよ。今だって、自民党の総裁選とか、民主党の代表選とか、やってる最中だろ?(収録時点)
小林 それは、誰と相談して決めるのでしょうか。
石田研一守護霊 ヘヘヘ……。まあ、われら仲間内の数名で決まる。
小林 その仲間内というのは、必ずしもNHKの人だけとは限らない?
石田研一守護霊 いや、いちおう、NHKはNHKで決めてはおる。
 われらにも、予知能力はあるわけであって、将来を予想して、「どういうふうに振る舞ったほうが、会社の安定につながるか」っていうことを考えた上で決めている。「誰が次になるのが望ましいか。そうなった場合、どうなるか」みたいなことは、いちおう予想して、「この人を応援する感じで行こうか」と話している。
 例えば、総裁選みたいなものでも、誰をクローズアップするかだ。それをやれば、そちらのほうに票が入ってくるのは、ほぼ決まっているからね。
小林 それを経営幹部で相談して決めるんですね。
石田研一守護霊 君ね、マスコミのいちばんの楽しみは、ここなんだよ。
小林 ほぉー。
石田研一守護霊 「どこを強く推す」かは、推薦しているのと、実質上、一緒だからね。そうやって、国民の投票だとかを、知らないうちに操作している。あるいは、国会議員だって操作できるからね。
小林 そうしますと、松本NHK会長は、「雇われマダム」とは言いませんが(中略)NHKに来られてまだ一年ですからね。(中略)副会長以下で、だいたい、そのへんのことを決めていると?
石田研一守護霊 うーん、全部とは言わんが、基本的に六割ぐらいは、私の一存で決まるかもな。
(37~40ページ)

NHKは、その仲間内の数名で、将来を予想して、選挙報道で誰を応援するか、落とすか通すかを先に決めているが、6割ぐらいは自分(放送総局長)の一存である。

どうするのが会社の安定につながるか、誰が次になるのが望ましいか、なった場合にどうなるかなどを予想して、誰を応援するかを決めている。

これはマスコミのいちばんの楽しみであって、そうやって、知られないように国民の投票を操作している──。

国を繁栄させること。

国民の安全を守ること。

国家ビジョンを描くこと。

消費税は上げるべきではなく、むしろ下げることで、景気をよくしよう。

中国の覇権主義から日本を守るために、国防強化と憲法改正を。

未来産業をしっかり育てよう。

日本が世界のリーダーになっていこう。

NHK関係者はもちろん、選挙報道に携わるすべてのマスコミの方々が、心素直に本書の内容を受け止められ、釈量子党首を先頭に、立党以来10年間がんばり続けている幸福実現党の政策を、真正面から報じられますようにと心より私は願っているのです。

 

『NHKはなぜ幸福実現党の報道をしないのか』

 大川隆法著



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個性は大事だよね。私の個性を花開かせてくれるような世界じゃないと、私がいるべき場所じゃないと思うんだ。でも、うちの職場って、個性を押しつぶすような雰囲気で、上司も最低。もっと私の個性が生きる世界はないのかなあ? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子供にとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 それぞれの人が個性を花開かせるということは大切なことだ。
 でも、その前に、社会の中で、みんなといっしょに生活できるようになるぐらいの基礎をつくらなければいけないんだ。
 その基礎とは何だろう。それは、「大人になって人にめいわくをかけないようにする。」ということなんだ。そのために、みんなができるようなことは、だいたいきちんとこなせるようにしておく必要があるんだね。
 そのときに、「できなくてもいいんだ。」と開き直ってはいけないよ。できないことを注意されたら、くやしい思いはするだろうけれども、それを教わって、きちんとできるようにすることが、大人になって、逆に自分が人を教えるときにも大事になるんだ。
 人から教わったことがない人や、しかられたことがない人、教えてもらったことをすなおに聞いて努力したことがない人は、自分が人を教えるようになったときに、じょうずに教えることができないんだ。
 よく教わる人が、よく教えることができる。人から教わる気持ちのない人は、やはり教えることもむずかしいんだ。だから、「いろいろな人から教わろう。」 という気持ちを持っていなければいけないね。
 知識や経験を得るためには、それを得ようという心がまえが大事なんだ。
 「水は高きから低きに流れる。」と言う。人から何かを教えてもらおうと思ったら、自分を低くして受け取らなければだめだ。そうしないで、自分をあまり高いほうに高いほうに持っていくと、人の意見が聞けなくなってしまう。
 昔から、「耳は二つで口は一つ。だから、しゃべることの二倍、聞きなさい。」とよく言われるけれども、その通りなんだ。よく聞かないと、よくしゃべれない。しゃべってばかりいる人は他の人の意見が聞けなくなるんだ。
 だから、まず人に学んでから、しゃべらなければいけないね。
 「まずは、よく聞きなさい。人の言うことをよく聞いて、次に半分ぐらいしゃべりなさい。しゃべるほうが先で、人の意見を聞かない人は、進歩が止まってしまいますよ。」ということだ。これを知らなければいけないと思う。
 人生には、たえなければいけない時期というのがある。「自分は今が最高だ。」と思って、自分の力を出してしまっている人は、わりに早く進歩が止まることもあるから、気をつけなければいけない。(中略)
 それでも、心に決めた志は失わず、高い理想を持っていなければいけないし、その実現のために努力や勉強も必要だね。
(147~150ページ)

個性を花開かせることは、とても大切。でもその前に、社会人としての基礎は作っておかなくてはならない。

人生には、耐えなければいけない時期というのがある。

今の自分だけで勝負しようとしている人は、わりに早く進歩が止まることもあるから、気をつけなければならない──。

子供向けの御法話だからといって、ばかにしていてはいけません。

大人の私たちにこそ、じつはとても実になる教えをいただいたのだと私は改めて深く感じ入っているのです。



『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著

 

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幸福実現党の人って、人物はいいし、言ってることも正論ばっかりじゃない。宗教というとまだ偏見があるから、無所属で出れば、当選する人が多いんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「アエバる男」となりなさい』(幸福実現党)で、こう教えておられます。

 今も、たぶん、「幸福実現党という名前だと当選しない」とか、「人気が出ない」とか、いろいろ、もだえて、悩んでいる人もいるのでしょうが、「幸福」も「実現」も、ポジティブなワードなんですよ。だから、この言葉を否定し続ける人は、不幸になっていく人たちなんですね。
 一生懸命に無視したり否定したりしようとすればするほど、不幸の罠のなかにはまっていくんですよ。
 幸福の科学をつくったときもそうでした。「幸福」も「科学」もポジティブなイメージなので、幸福の科学を否定すると、その反対は、「不幸」と「迷信」ということになります。「不幸の迷信」というのが、その反対の名前になるんですね。
 最初は、「幸福の科学などという名前では流行らない」と言われていましたが、だんだん逆になってきて、「名前がよかったから流行ったのだ」と言われるようになりました。
 幸福実現党も、今は、たぶん、「何だ、これは?」と言われることがあるでしょうし、日本人から見ると、青臭いのだろうと思うのです。若いというか、青臭く見えるので、「現実を知りなさい」と思っているところがあるのでしょうが、この言葉が、だんだん潜在意識のなかに入ってくるんですよ。
 この名前を否定している人は、だんだん、つらい立場に追い込まれていくようになるので、次第しだいに人は、こちらの言葉のほうに惹かれてくるようになります。
 今は、もうひとつ流行らないかもしれないけれども、アメリカ人の反応と同じことが、必ず、日本でも遅れて起きてくるので、それほど心配しなくていいとは思っているんですよ。
 今は、「幸福実現党を名乗ったら落ちるので、無所属で出たい」などと思っている人もいると思いますが、そのうち、幸福実現党を名乗らなければ当選しないようになるのは時間の問題です。
 まだ、「幸福」や「実現」という言葉に対する、積極的なイメージが描けずにいるのだと思うんですよね。(中略)
 宗教としては、「絶対に潰れない」という自信があるので、政治のほうで、節を曲げたくはないんですよ。「もし、うちが言っていることが間違っているのなら、選挙で負けても別に構わない」と思っていますし、「うちの言っていることが正しいのであれば、うちが勝たなければ、この国は終わりだ」と考えています。
 当会の主張が、正しいのか正しくないのかが分かるまでに、ある程度、時間をあげなければいけないでしょう。そこは、短気を起こしてはいけないと思っているんですけどね。
(73~77ページ)

「幸福」も「実現」も、ポジティブな言葉だから、この言葉が、だんだん潜在意識のなかに入ってきて、これを否定し続ける人は不幸になっていき、いずれ幸福実現党を名乗らなければ当選しないようになるのは時間の問題である。

この党名に共感するアメリカ人の反応と同じことが、必ず、日本でも遅れて起きてくるので、それほど心配しなくていいと思っている。

宗教としては絶対に潰れない自信があるので、政治のほうで節を曲げたくはない。当会の主張が正しいのか正しくないのかが分かるまでに、ある程度、時間が必要であり、短気を起こしてはいけないと思っている──。

たしかに、2009年に幸福実現党が立党したとき、中心的な主張の一つは国防問題でした。北朝鮮の核ミサイルの脅威に備えなくてはいけないというのは、何度も何度も訴えていたところだったと思います。

10年前には、国民の大半は、そんなことあるの? というボーッとした反応だったと思います。

その後、実施あのミサイルの驚異に備えて避難訓練まで行われた体験を経て、幸福実現党の訴えはその大部分が現実化してきたことを、改めて日本人すべてに知ってほしいと話だと私は強く思っているのです。
 

『「アエバる男」となりなさい』

 大川隆法著

 

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いやあ、天才って世の中に必要だよね。でも、自分とは関係ない世界の人だなあって思えるんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんは、才能は頭のよし悪しで決まるように思うかもしれませんが、そうでもありません。
 現代では、よい学校がたくさんあるので、秀才は、毎年、量産されていますが、天才と言われるぐらいの人になると、ぐっと数が減ってきます。
 ところが、天才は秀才より頭がよかったかというと、そうとも思えない部分があります。天才には、秀才として見ると、それほど極上の秀才までは行っていない人が多いのです。天才になった人には、変形しているというか、何かが欠けている人が多いわけです。(中略)秀才のなかでも、何か一つのことについて、大変な情熱を持ち、かなり長く続けた人でなければ、どうしても天才まで行きません。そのように、「何としてでも」と考え、一意専心で、一つのことに専念するためには、ある意味では、頭がよすぎては駄目なのです。
 頭のよすぎる人は、気が散るため、いろいろなことに手を出してしまい、総花的になって大成しないことがあります。一方、そういう人より頭の悪い人が、「何もかもはできない」と思って、ある一つのことにグーッと絞り込むと、秀才の群れのなかから抜けていくことがあります。そして、その分野においては天才的な光を放ちはじめるのです。
 その人は才能が優れていたかというと、そうではありません。それほど頭がよかったかというと、そうではありません。もちろん、頭が悪ければ駄目なので、そこそこは頭がよいのですが、あとは、根気や情熱、執念によります。それなくして天才になった人はいないのです。(中略)
 天才と言われる人のなかには、いろいろな才能を散らすようなダ・ヴィンチ型の人もいます。しかし、人類史のなかで、その数は少なく、どちらかというと、狭い範囲内で長く深く掘った人のなかに天才は多いのです。
 才能には限りがあるので、能力もそれほど突出していないのであれば、やはり、一つのことを三十年ぐらい続けないと、なかなか一流にはなりません。ほかのことに、あまり気を取られては駄目で、一つのことに対して無骨にグーッと押していくと一流になるのです。
 それはそうでしょう。たとえば、将棋を三十年やれば、初心者との差は歴然とするでしょう。あるいは、中学時代に英語の成績が大してよくなくても、英語を使う職業を三十年もやれば、英語がよくできるようになります。(中略)
 そういうかたちでの成功を求めていくと、それぞれの人に、いろいろな成功のあり方があります。「あれも、これも」と欲張ってはいけないのです。自分の持ち味、才能のなかでの成功、それでずうっと押し進めていって得た成功は、ほかの人はまねのできないものになります。
 学校教育では、いま、全国一律にセンター試験が行われ、一位から最下位まで序列がつきますが、「それで人生が決まるわけではないのだ」ということを知っていただきたいのです。
(75~79ページ)

学校教育の偏差値で人生が決まるわけではない。

むしろ頭のよすぎる人は、いろいろなことに手を出してしまい、総花的になって大成しないことがある。

秀才より頭がよいから天才というわけではなく、何か一つのことについて、大変な情熱を持ち、それをかなり長く続けた人が、天才となっていく──。

日本にゴールデンエイジを拓くために、一人でも多くの天才が出てきてほしいというのが、大川隆法先生の強い願いであると思います。

そして、もし突出した巨大な才能がなかったとしても、自分の持ち味を長い時間かけて伸ばし熟成していくことで、ほかの人がまねのできない境地へと至って、天才と呼ばれることもある。

それは私たち一人一人にとっても、可能性があるということだと私は思っているのです。
 

『希望の法』

 大川隆法著

 

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もうすぐ参院選だよね。幸福実現党って、選挙でぜんぜん勝てないのに、また候補者を立てるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福実現党という政党を立てましたが、この世的な利害のために、やっているのではありません。
 単に、「政界進出をして、名前を上げたい」とも思っていません。単に、「利益誘導をしたい」とも思っていません。そうしたことは、まったく考えていません。
 われわれは、今、天上界からの大いなる意向を受けて、「あなたがたが幸福維新の志士となれ」という力強い指導を受けて、立ち上がっているのです。
 したがって、「自分は一人の人間として戦っている。一人の『人間力』のなかで働いている」というように小さく考えるのは、やめていただきたいのです。みなさんは、天上界の諸如来・諸菩薩、天使たちの期待を担って、今、仕事をしているのです。
 この世の俗人たちが偉く見えるのなら、その曇った目を払ってください。これは、人間の戦いではありません。神の戦いであり、仏の悲願を実現しようとする運動なのです。「この地上において、仏国土ユートピアをつくれ」という天命が下ったのです。
 簡単にギブアップしてはいけません。まだ始まったところです。(中略)ただ、政党の名前を知っただけでは応援をしてくれません。それはそうでしょう。中身がまだ分からないし、納得がいかないわけですから、私たちには、もっと努力が要ります。
 しかし、いったん流れ始めたエネルギーは止まりません。この幸福実現党の運動は、人間が行っているものではない以上、それほど、単純な運動でも、単純なエネルギーでもないのです。(中略)最初は難しく思えるかもしれません。最初は小さく見えるかもしれません。しかし、この流れは、決して逆流することはないのです。必ず、前に進み続けることでしょう。(中略)
 幸福実現党の運動が、今はささやかに見えたり、他の政党が大きく見えたりすることもあるだろうと思います。
 しかし、時間の問題です。時機が来たら、あっという間に、形勢は完全に逆転します。どうか、単純に考えないでください。(中略)私たちの本当の力は、まだ、このようなものではありません。これから十倍、百倍、千倍になっていきます。この流れは、必ず、大きな大きな大河になっていきます。
 その間、私たちは、勝つ経験も負ける経験も積みながら、大きくなっていきたいと思います。その過程で、偉大な智慧が生まれてくるでしょう。そして、国民を真に幸福にする道というものを確信できるようになると信じてやみません。(中略)
 この国の八百万の神々、および、外国の神々も、幸福実現党に期待しています。ほかの政党の人は、もう競争相手ではありません。
 ですから、みなさんは、真一文字に押して押して、押しまくってください。勝利への道は必ず拓けます。(中略)
 幸福実現党を無視する新聞やテレビは、みな、消滅していくのです。
 どうか、そのような滅びゆくマスコミの批判などに負けずに、ただただ正論を説き、「国民を救わん」という意志を伝えてください。
(305~308、311~314ページ)

幸福実現党は、この世的な利害のためにやっているのではない。この地上において仏国土ユートピアをつくれという天命が下り、幸福維新の志士となれという力強い指導を受け、立ち上がっている。

幸福実現党の運動は、人間の戦いではなく神の戦いであるから、それほど単純な運動でもエネルギーでもない。この流れは決して逆流することなく、必ず前に進み続け、大きな大河になっていく。

幸福実現党を無視する新聞やテレビは、みな消滅していく。滅びゆくマスコミの批判などに負けず、ただただ正論を説き、国民を救わんという意志を伝えていくことである──。

2009年7月、立党した直後、最初の総選挙のまっただなかの御法話ですが、それから10年間がすぎ去っても、まるで今現在、語られたかのようです。

10年もの歳月が経過しても、幸福実現党の立党の志は、そのまま貫かれ、維持されている。

幸福実現党こそが、迫り来る国難から日本国民を本気で救わんとする、真の国民政党である。

今は改めて、そう信じ切ることができると私は心の底から思っているのです。
 

『宗教立国の精神』

 大川隆法著

 

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びっくりする話なんだけど、通り魔に子供を殺されちゃった人がいるんだ。悔しいし、悲しいし、犯人を恨んでるんだよね。死刑にしてほしいって。無理もないよね。そこまで行かなくても、泥棒に入られて大金を盗られたり、ひったくりにあったりと、いろんな話を聞くことがあるんだけど、こういう犯罪の被害者になっちゃったときって、どう考えればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人を憎むということ自体に、自分自身もまた罰されてくる面があるので、やはり、どこかの時点で許さなければいけないのです。
 亡くなった子供は帰ってこないので、その子の「あの世での幸福な生活」を願い、供養してあげることが大切です。そうすれば、その子の魂を救うことはできます。
 しかし、親が、憎しみの念波を強く持っていると、亡くなった子供のほうも、「そうだ、そうだ。あいつが悪いのだ」と一緒になって相手を恨んでいます。そのため、なかなか成仏できず、天国には還れないのです。
 許しの心を持ったときに、成仏、すなわち天国に還ることが可能になります。
 裁判官が裁判において公平な判断を下すのはかまわないと思いますが、個人としては、ある程度のところで、「許す」という行為が大事です。(中略)
 犯罪を起こす人は、たいてい、不幸な人です。
 家庭環境や生い立ち、現在の状況を見ると、現実には不幸であることが多く、その辺を掛酌したならば、「許す」ということも、分からないことではありません。(中略)
 恨みを持ったまま一生を生きてはいけません。それが、宗教に触れることの意味でもあろうと思います。
 罪を犯した人も自分自身も不幸になるというかたちで、不幸な人をダブルで出してはいけません。相手は、罪を犯したこと自体によって、もう十分に罰されています。すでに罰されている人のことを、「もっと罰したい」と思い続け、自分自身も罪を犯すようなことがあってはいけません。(中略)
 根本的には、自分の幸福な未来、バラ色の未来が壊されたことへの恨みがあると思いますが、世の中全体を見るかぎり、バラ色の生活をしている人ばかりではありません。
 人生には、試練もあれば、苦しみもあり、いろいろな事件があるのです。自分が、そういうものに出会うには、それだけの理由のあることが多いのです。
 そして、過去世のリーディング(転生を霊的に読み取ること)をすれば、その理由が出てくることはよくあります。殺人事件などに巻き込まれる場合には、やはり、「過去世の転生に何らかの関係がある」ということが多いのです。
 特に、過去には戦争がたくさん起きているので、誰しも、転生の過程で、一度ぐらいは人を殺した経験があるのです。たいていは、人を殺したり人に殺されたりする経験を何度もしています。
 それが、今世、別なかたちで現れ、犯罪に巻き込まれたり、交通事故に遭ったり、病気になったり、いろいろなかたちで出てくることがあるのです。
 今世限りで考えても分からないことはあるので、あまり相手を責めすぎないほうがよいのです。
「仏や神の考え、御心には、深いものがあるのだろう。この出来事のなかには、自分に対する何らかの『諭(さと)し』があるに違いない」と思わなければいけない面もあります。
(48~53ページ)

恨みを持ったまま一生を生きてはいけないので、誰かの犯した罪は、やはりどこかの時点で許さなければいけない。

人を憎み続けていると、自分が病気になったりして、自分自身も罰されてくる面がある。

また、亡くなった子の「あの世での幸福な生活」を願い、供養してあげれば、その子の魂を救うことはできるが、親が憎しみの念波を強く持っていると、亡くなった子は、なかなか天国に還れない。

犯罪を起こす人は、もともと不幸な人であることが多いし、それだけでなく、罪を犯したこと自体によって、もう十分に罰されている。

さらには、人生の大きな試練や事件には、今世限りで考えても分からない、過去世の転生での体験など、霊的な原因があることが多い。仏や神の御心をそんたくして、この出来事のなかには、自分に対する何らかの「諭し」があるに違いない、と思わなければいけない面もある──。

さまざまな角度から、仏の慈悲をいただいた、大事な教えだと思います。

以前、幸福の科学の小冊子「ザ・伝道」に、乳飲み子の時期に大切な父親が殺され、母親も行方不明になっていた海外信者の体験談が掲載されたことがありました。

どんな理不尽と思える事件が起きたとしても、仏法真理の光は、それを乗り越え、生き抜いていく力を与えてくれるのだと私は確信しているのです。 

『超・絶対健康法』

 大川隆法著

 

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幸福実現党って、真正面から宗教政党だと名乗ってるでしょ。日本では、そんなの今までなかったと思うんだけど、なんでなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今の日本には、宗教政党が公明党一つしかありません。
 しかし、「公明党は、宗教政党を代表するには、器として足りない」と考えています。
 公明党は、仏教の諸宗派の一つである日蓮宗のなかの、大石寺系の一派の在家団体(講)がつくった政党ですが、その日蓮宗そのものは非常に排他的な性質を持った宗教なので、公明党にも性質的に非常に排他的なものがあります。
 宗教政党そのものの存在は否定しません。しかし、公明党は、あまりにも排他的なものを背景に背負っているので、やはり、もっと大局的で寛容な宗教政党が存在すべきであると私は考えます。そして、その他の宗教勢力、他の宗教を信じる人たちが、よすがとするような政党が必要なのではないかと思っています。
 幸福実現党においては、もちろん、幸福の科学の信者が核になることは間違いありませんが、それ以外の人々であっても、仏法真理に賛同する人たち、あるいは、宗教をよきものと考える人たちの勢力を結集していきたいと思っています。
 今の日本の宗教界は、宗教間の代理戦争を政治を通して行っていることが多いのです。例えば、公明党にはバックに創価学会が付いていますが、公明党が自民党と連立すれば、立正佼成会などの、創価学会に対抗する「新宗連」(新日本宗教団体連合会)のほうは、「従来は自民党を応援していたのに、今度は民主党のほうに付く」というかたちで、政治を使って代理戦争をやっていることが多いのです。しかし、これは、あまりにも不毛な選択です。
 やはり、政治は政治として、一定の合理性と、筋を通さなければならない面が必要なので、「宗教的に好きか嫌いか。敵か味方か」ということとは、また別の次元の考え方があろうかと思います。この世的になすべきことは、なしていかねばならないのです。
 私たちは、『三国志』的に言えば、いわゆる「第三の極」として、今、現れてきているものだと思います。
(25~27ページ)

今の日本には、宗教政党が公明党一つしかないが、仏教の諸宗派の一つである日蓮宗のなかの大石寺系の一派の在家団体(講)がつくった政党であり、日蓮宗の持つ性質から排他的性質であるため、宗教政党を代表するには、器として足りない。

やはり、もっと大局的で寛容な宗教政党が存在し、その他の宗教を信じる人たちがよすがとするような政党が必要である。

幸福実現党は、もちろん幸福の科学の信者が核であるが、それ以外の人々であっても、いわゆる「第三の極」として、仏法真理に賛同し、あるいは宗教をよきものと考える人たちの勢力を結集していきたい──。

2009年の立党から早くも10年。

いま見直しても、さすが幸福実現党の立党時の志の高さは、やはり注目に値するものだと改めて私は深く感じ入ったのですが、みなさんは、いかがお感じですか?

さて、いよいよ参院選が公示されました。

一人でも多くの方が、その練り込まれた政策に耳を傾けて、釈量子党首と幸福実現党、そして幸福実現党の全国の候補者を応援してくださることを、心より期待したいと私は思っているのです。

 

『幸福実現党宣言』

 大川隆法著

 

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リーダーになりたいよね。人びとを引っ張っていくリーダーにさ。でも、どういう人がリーダーになれるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 リーダーの資質とは、いったい何でしょうか。まず、「常に先が見えなければならない」ということがあります。人よりも一歩でも二歩でも先が見えなければいけません。
 人よりも先が見える人を、他の人はどのように見るかというと、自分たちよりも未来について多くのことがわかるわけですから、能力的に優れている、あるいは偉大な人物であると思うわけです。あたかも、二メートル、三メートルの背丈のある人が、他の人よりも遠くまで見えるように、人物自体が大きいがゆえに見晴らしがきくのか、それとも予言者的資質に恵まれているがゆえに先のことがわかるのか──そのように、その人の周りにいる人びとは見るのです。やがて人びとは、その人の持つ不思議な魅力に惹かれて、その人に従うようになっていきます。(中略)
 しかし、ただ先が見えるだけではだめです。先が見えて、常に「あなたはこのままでは失敗するよ」ということしか言わないような人や、失敗や不成功の例ばかり言うような人は、一時的なリーダーにはなれても、やがて人は離れていくに違いないのです。(中略)
 先が見えるだけではなく、リーダーの資質として二番目に要求されることは、その人のそばにいると、あるいはその人に従っていると、未来が開け、よきことが起きてくるという予感がすることだと思います。
 そして、三番目に、そうした未来を開拓する力がある人には、逆に、その人の過去そのものにおいても、人びとが「なるほど」と思うだけの実績が必要だと私は考えます。ただし、過去の実績といっても、その人の経歴に輝かしい勲章が並んでいるというような人生である必要は、必ずしもないと思います。
 たとえ、どのような人生を生きてきたとしても、そのなかをどう乗り切ってきたか、その道筋をこそ、人びとは見、そこに優れたリーダーとしての資質を見出すのではないでしょうか。
 歴史上の偉人たちの人生を見たときに、よく考えることは、恵まれた環境に生まれるということが、あまりないということです。もし恵まれた環境に生まれたとしても、途中で必ずや、何らかの大きな挫折、あるいは人生の転機がきて、厳しい苦難のなかに身を置くことがあったはずです。たいていの場合には、さほどよい環境ではないところに生まれながらも、努力して一代で力をつけて出てくるということが多かったようです。そのなかにこそ、人びとは何ともいえないひとっの力を感じるのだと思います。
(15~18ページ)

リーダーの資質とは、第一に、常に人よりも先が見えること。

第二に、その人に従っていると、未来が開け、よきことが起きてくるという予感がすること。

第三に、その人の過去に、厳しい苦難を克服してきたなど、人びとを納得させるだけの実績があること──。

この3つの資質を身につけるためには、さてさて、どうすればいいのか。

それこそが、この書籍の全編で紹介されている、幸福の科学の教えのエッセンスの一つでもある「常勝思考」を身につけていくことだと私は思っているのです。
 

『常勝思考』

 大川隆法著

 

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私って、自分で言うのもなんだけど、仕事がガンガンできるんだよね。だから、瞑想とかさ、あんなかったるいこと、やってられないんだよね。べつにそれでいいでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世的に仕事のできる人は、口や手足が忙しいだけではなく、心もけっこうせわしくて、いらいらしていることが多いのですが、実は、そういう人ほど、ビジネスマンとしてはエリートだったりするのです。
 そういう人が、たとえば休日に幸福の科学の研修所(精舎など)に来て、精神統一をしようとしても、なかなか、うまくいきません。ほんとうに、かわいそうなぐらいできないのです。
 ビジネスエリートたちは、「自分は仕事ができる。自分は優秀だ」と思っているのですが、研修所においては、「なんと出来の悪い人だろう」と思われるほど、瞑想ができないわけです。(中略)
 人間の脳波にはアルファ波とベータ波があります。アルファ波は、凪いだ水面のような、非常に穏やかな心の状態にあるときの脳波です。一方、ベータ波は、がちゃがちゃとした忙しい心の状態にあるときの脳波です。
 ビジネスエリートたちからはベータ波がよく出ていて、これを直すことは、残念ながら、そう簡単にはできません。
 そういう人が幸福の科学の研修所に来ると、「何か忙しそうだな。時計ばかり見ている。もう少し、どうにかならないのだろうか」というような印象を周囲に与えます。そのため、心境の進んでいる人たちが迷惑することもあります。
 しかし、これは、心の傾向性であって、なかなか直らないのです。
 そういう人は、朝の通勤において、人より少しでも早く会社に着きたいと思い、人をかき分けて満員の電車のなかに入っていきます。ほんとうは会社での仕事が嫌いなのに、嫌いな会社に一分でも一秒でも早く着きたいと焦っています。これは、長年続けると、なかなか直らないのです。
 しかし、せめて、研修所に来るときぐらいは、心を入れ替えてみてください。
 日ごろ、会社では、「こういう人は自分より仕事ができない」と思っていたようなタイプの人たちが、研修所では、打って変わって自分よりも優秀になります。そういう人たちに少し〝精神棒″を入れてもらい、「なっとらん」などと言ってもらったほうがよいのです。
 こういう人には、忙しさの代償として何か置き忘れたものがあるのです。
 人間はそれほど器用には変わりませんし、現在の仕事そのものを変えることはできませんが、ときどき、仕事とは違ったような精神状態を維持する場所を、努力してつくってください。精神統一をする空間や時間を、努力してつくることが大事です。
(174~177ページ)

ビジネスエリートは、忙しさの代償として置き忘れたものがある。

ときどき、仕事とは違った精神状態を維持する場所、精神統一をする空間や時間を、努力してつくることが大事である──。

日頃忙しい、ビジネスエリートのみなさんほど、ときどき幸福の科学の精舎や支部などで、瞑想体験をすることで、心の平静を持つ習慣を作ることがお勧めです。

そうすれば、必ず、新たな仕事のアイデアがわいたり、抱えている問題への回答が得られたり、日々のストレスが解消されて、また仕事への活力がわいてきたりと、なにかしら素晴らしい成果が得られるはずだと私は確信しているのです。
 

『感化力』

大川隆法著

 

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やっぱり、「お客様第一主義」だよね。お客様は神様だって気持ちで商売すれば、うまく行くはずだよね。でも、そう指導してるはずなんだけど、売り上げ、ぜんぜんあがんないんだよね。なんでなんだろう? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 どこの会社でも、「お客様第一主義」ということを掲げ、「顧客を大事にせよ」「お客様のほうを向け」などと、言葉としては言っているのですが、この点に関して、よく間違いがあるのです。
 その間違いとは、「『お客様のために』と言いながら、自分たちの考え方、やり方を押しつけていることが多い」ということです。本社など現場から離れたところで、「このようにすれば、お客様のためになる」と考えていても、自分たちがよいと思うことを、顧客に押しつけているだけの場合があるのです。
 正しい考え方は、「お客様のために」ではなく、「お客様の立場」で考えることです。
 実は、「お客様のために」という考え方のなかには、供給する側の論理、物やサービスを売る側の論理が入り込んでいるのです。
 例えば、テレビをつくる家電メーカーであれば、「お客様のために、よいテレビをつくりました」と言うのは簡単です。しかし、「そのテレビは、お客様の立場で考えて、つくられていますか」と問えば、話が違ってくることがあるのです。(中略)
 八百屋が、「お客様のために、よい野菜を揃えています」と言っても、実は、ただ自分が「これは、よい野菜だ」と思うものを仕入れているだけの場合があります。
 そのように、「お客様のために」と言ってはいても、気をつけないと、供給者の側のものの見方、考え方をしてしまいやすいのです。
 「お客様のために」という言葉に騙されてはいけません。また、そういう言葉で自分を騙してもいけません。そうではなく、「お客様の立場」で考えなければいけないわけです。
(25~27ページ)

企業は、「お客様のために」と言いながら、じつは自分たちの考え方、やり方を押しつけていることが多い。

正しい考え方は、「お客様のために」ではなく、「お客様の立場」で考えること──。

家電製品のなかには、最新の性能を搭載とかいって、操作方法を覚えようとするだけで嫌になるようなものが、ものすごく多いですが、これがまさに、「お客様のために」と言いながら、作っている側の自己満足に陥っている例ではないでしょうか。

メーカーが「お客様の立場」でいつも考えてくれれば、ボタンが多すぎて、どう操作したらいいのか分からないような製品が、街にあふれることはないはず。

自分がお客様になったときに、いったい、どういう製品がほしいのか。どういうサービスをしてほしいのか。

「〝お客様のために″ではなく、『お客様の立場』で」。

商売のためのとても大事なヒントがここにあるのだと私たちは理解しているのです。 

 

『経営入門』

 大川隆法著

 

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