ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「因果の理法」って、このブログでもときどき出てくる気がするんだけど、どういうことなの。〝親の因果が子に報い…″って、あれのことなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『釈迦の本心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 次に「因果の理法」について語っていきましょう。これも仏教のなかに色濃くある教えです。
 たとえば、「今世で夫婦になったのは、過去世で縁があったからだ」という考え方があります。この考え方を一般的に展開すると、「ある原因行為があると、それがなんらかの結果を生むことになる。よい原因をつくると、よい結果が生まれ、悪い原因をつくると、悪い結果が生まれる」という法則になります。
 これは人生における最も基本的な法則の一つであり、仏教が哲学としても成功したのは、因果の理法について深い洞察がなされているからです。
 親子や兄弟、夫婦の緑が、今世のみならず過去世からもきている理由は何でしょうか。過去世において、親子や兄弟、夫婦であって、「お互いに幸福だった」という思いがあるからこそ、今世においても、親子や兄弟、夫婦の縁となって表われてきているのです。
 このように考えると、「人間は日々に因果の種をまいて生きている」と言えます。日々に種まき作業を行ない、その結果、まいた種がどのように発芽し、どのように成長していくか──そこに成果が見られるようになります。
 したがって、因果の理法は仏教における成功哲学であり、また、幸福哲学でもあります。仏教は人生の苦しみばかりを説き、苦悩ばかりを見つめたように語られがちですが、実はそうではありません。多くの偉大な哲学者がそうであったように、釈迦もまた幸福哲学を説いていたのです。そして、仏教の幸福哲学は何に集約されるかと言うと、それが「因果の理法」という言葉なのです。
 すなわち、幸福という結果を手に入れるためには、幸福という果実が実るだけの種をまき、水や肥料をやり、日ざしをあてて、成長させる必要があります。これが成功哲学の一法則なのです。
 これはあらゆるところに見受けられる法則です。「一生懸命に努力すれば、その努力は必ずなんらかのかたちで実る」というのは、人間の経験則にもあてはまることです。
 なかには、一生懸命に勉強したけれども、大学受験に合格しなかったということもあるでしょう。しかし、一生懸命に努力したことは、本人の将来のどこかで必ずよい影響を与えるものです。また、「悪事、千里を走る」といいますが、悪いことをしていると、やがてどこかで必ず露見し、破滅を生むことになるのです。
 このように、人生を一つの法則、運動のダイナミズムとしてとらえるならば、「人生は原因・結果の連鎖によってできている」と言えます。まいた種は、今世では必ずしも実らないかもしれませんが、少なくとも朝顔の種をまかねば、朝顔の花は咲かないことも事実なのです。(中略)
 したがって、「因果の理法は、時間の流れのなかにおける一種の幸福論である」ということに気づかされるのです。
(186~189ページ)

「ある原因行為があると、それがなんらかの結果を生む。よい原因をつくると、よい結果が生まれ、悪い原因をつくると、悪い結果が生まれる」という、原因・結果の法則が、「因果の理法」。

そしてそれは、よくよく考えてみると、一生懸命、努力すれば、将来の幸福を自分の力で生み出すことができることを意味する。

その意味で、これは仏教における成功哲学であり、幸福哲学であった──。

つまりは、〝親の因果が子に報い…″なんてのは、その一部を取り出して誇張しただけの香具師(やし)の口上にすぎない。

この「因果の理法」こそが、仏教の中心的な教えの一つであるのだと私は理解しているのです。

 

『釈迦の本心』

  大川隆法著

 

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