あーあ、なんで思い通りに生きるって、できないんだろう。嫌なことばかりだなあ。恋には敗れるし、嫌な同僚はいるし、争いはあるし、風邪引いて体調悪いし、・・・なーんて悩んでる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
この世のなかを見渡してみると、不幸の種はあちこちにたくさんあるので、「これを取り除かないかぎり、幸福になれない」という考え方をし、不幸の種を完全に取り除いて極楽浄土の姿をこの世に下ろそうとしても、それは極めて難しいことです。
しかしながら、「この世という世界は、そういうものである。この世には、闘争や破壊、憎しみ、嫉妬、恨み、狂気の世界がたくさんある。また、この世は弱肉強食の世界でもある。この世は、生きていくのがなかなか難しい世界なのだ」ということを認めつつも、それはそれとして、逆に、そのなかで、この世に自分が生まれた意義、生きている意味を見いだすことが、非常に大切なことなのです。
仏法では、これを「泥中の蓮華の花」にたとえています。(中略)
大切なのは、「そのなかで、あなたは、いかにして一輪の花を咲かせるか。いかにして、蓮の花のような清らかな花を咲かせるか」ということです。(中略)
「どのような環境のなかにあっても、泥沼のなかから咲く蓮の花のように、一輪の花を咲かそう。清らかに生きていこう。すがすがしく生きていこう」と決意して生きていけば、それなりの花を咲かせることは可能です。その花の大きさは、さまざまでしょうが、小さい花でもかまわないのです。
(42~46ページ)
見渡せば不幸の種はいくらでもあるが、この世はそういうものだと認めた上で、そのなかで、この世に自分が生まれた意義、生きている意味を見いだすこと。
仏法では、これを「泥中の蓮華の花」にたとえている。
大切なのは、どのような環境のなかにあっても、泥沼のなかから咲く蓮の花のように、一輪の花を咲かそうとすることである──。
今日は、一つのすごい「悟り」を教えていただいたんだと思います。
一つの悟りの言葉で、人生の苦しみは、パシッと切って捨てられる。
人生の意味はここにあるという、明確な視点、人生を透徹した目。
自分が咲こうとしている泥の池から逃げ出すことはできないけれど、そのなかで、すーっと茎を伸ばして、一輪の花を咲かせることは、自分にもできる。
その花が大きくても、小さくても、自分なりに精一杯、今の環境の中で、美しい花を咲かせていくのが、この人生の意味なのだと。
よし、前をしっかり向いて、明日もがんばろうと、改めて私は強く思っているのです。
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『信仰のすすめ』
大川隆法著 |
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