「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

面舵をいつぱいに切り初日の出 今野紀美子

2019-03-17 03:31:33 | 日記
塩竃市在住の作者ですから、塩釜観光桟橋から出る初日の出クルーズ船ですね。松島の島々を巡り、仁王島付近で初日の出を遥拝。水平線に浮かび上がる黄金の朝陽に照らされた、まばゆいばかりに輝く水面と島々のコントラストは息を呑むほどの、まさしく絶景。と観光ガイドに書いてある。「面舵をいつぱいに切り」と瑞祥の気を満たしクルーズ船が出航する。高揚感も厳かさも感じられる句。乗ってみたいです。(博子)

煮凝りを揺らして火球落ちにけり 後藤外記

2019-03-15 05:26:19 | 日記
 煮凝りがプルンと揺れた。それは火球が落ちた振動によるものだ。そう言い切る発想の柔軟さ、飛躍の大きさもさることながら、残る余韻に痺れた。火球は流星が隕石となって地表に落下したものを言い。どこかで起きているかもしれない稀な現象。煮凝りの揺れの描写は、家庭の冬の台所から、火球の落下した所まで地続きの地球という星に暮らしていることの再認識と、地球も宇宙の中の星の一つだという大きな景を広げて、煮凝りを見ている作者に戻ってくる。手元を書いたら、遠くを書いて景を広げる俳句の手法は、感性こそがその広がりを拡大させるのだと思い知った。一句一章で一気に詠まれた発見の句は、「か行」の韻も又、功を奏している。(博子)

冬銀河三連星の棋譜並ぶ 原田健治

2019-03-13 06:04:42 | 日記
冬の冴え渡った空の銀河。白い帯状の光は秋より弱まるが、銀河とその周辺に見られる明るい星の数は、冬の方がはるかに多い。そんな事を連想する「三連星」だったし、「棋譜」は将棋の「棋」の字が使われているので将棋かと思ったら、将棋・囲碁・チェスもその対局の記録を「棋譜」と呼ぶのだそうです。知識が無いながら、銀河の白が囲碁の事だと教えてくれました。碁盤の升目の合わさった所に黒い点があり、それを「星」を言い、九つある。その真ん中の星は「天元」と言い。「三連星」序盤戦の打ち方。『ああ、碁盤は宇宙なのだなぁ』と思った。    
ルールを調べたら
・黒白交互に打つ。
・相手の石を囲ったら取れる。
・陣地が広い方が勝ち。
なのだそうだ。冬銀河なので、白い石の陣地がはっきり分かるほどではないけれど勝っていたと思いたい。そんな激戦の棋譜が読めたらと、ちょっと悔しいけれど、美しい取り合わせの妙の句。(博子)

<碁盤は宇宙>
・碁盤の目の数は361。天元を除くと360で、これは円周の度数である。
・碁盤の目の数は361。これに四辺の数4を加えれば365となり1年の日数。
・碁盤が四角であるのは四季を表す。
・碁盤の外回りの数は18×4=72で、72候に対応する。
・碁石に白と黒があるのは陰陽に対応する。
・碁盤の中央の天元が天であり、周辺は地である。
・河図と洛書も置ける。

日の重さのせうすらひのまはりけり 石母田星人

2019-03-11 05:18:22 | 日記
「八年」と題した八句の中の句一であり、東日本大震災から八年なることを思えば、この「日の重さ」は「陽」でなく「日数」であり、そこに「重さ」を感じているのだろうか。「薄氷」は、うすごおり、うすらい、はくひょう、どんな読み方をしても、儚さと危うさを伴う。平仮名ばかりの中七・下五は心象で、それはぐるぐるとまわって、怖れに包囲されている作者だろうか。震災体験の壮絶だったことを思わせられる句だと思った。
今日、平成31年3月11日が8年にあたる日である。震度7。マグニチュード9.0。巨大津波、原発事故を伴う日本の観測史上最大規模の地震の犠牲になったたくさんの命に黙祷。(博子)

塩壺のかすかな湿り三月来 成田一子

2019-03-09 06:28:51 | 日記
 東日本大震災のあった三月が来る。十一日が来る。犠牲になられた沢山の方への想いが空気を湿らせ、塩壺にも及ぶ。そんな風に読みながら、三月という季語の本意に戻らなければ、と思う。
「三月の声のかかりし明るさよ 富安風生」
本来はこんな風に、明るさを伴って三月は来る。卒業、就職、転勤などの別れの涙はあるが、拭って新しいことが始まる高揚感が春の入り口としての三月のはずだ。もうすぐ桜も咲くなあと楽し気な気分にも繋がってくるが、「塩壺のかすかな湿り」と言う日常からの気づきのフレーズに「変化」を託したとすれば、三月は鎮魂の月になった。と、私の思考は戻ってしまう。塩が海水から作られる物だからだろうか。巨大津波と化した海がどうしても思われてしまう。
一子主宰が三月号の「虚実淙淙」に震災詠のことを書いている。東日本大震災の大惨事を「なぜ詠めなかったのか。詠まなかったのか。」その自問は未だに続き、苦悩も続いているようだ。壮絶な体験が感受性の強さ故、心身のダメージが大きかったのだろう。私もあの日のことを思い出すと身がすくむが、家族が無事だったこともあり、大変の中にも安堵があったが、次の日、太陽光パネルから取った電源で主人が情報を得るために映したテレビの映像に言葉を失った。これほどまでの惨事は想像すらしていなかった。昼食用にと石油ストーブで卵の入らないホットケーキを焼く甘い匂いの中で涙が止まらなかった。今も、こう書きながら胸が詰まり泣いてしまう。合掌。(博子)