しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

満州帝国の日本人

2021年12月01日 | 昭和元年~10年
満州国の建国については、史書に必ず出るのが石原莞爾の思想や、日清・日露戦争からの利権に関する日本の国家的犠牲者数と膨大な国費であって、
けっして
そこに住む異国民のことが考慮されたことはなかった。

そのため、1945年の悲劇が生じたが
悲劇の人はまた加害者であった。
が、それを言う人は2022年の今も誰もいない。





満州帝国

「いのちと日本帝国 14」 小松裕 小学館  2009年発行

日本では不可能な使用人を置いた派出な生活。
そんな満州で育った日本人小学生が日本に修学旅行に来ると、
日本の女性はなぜあんなに働くのだろうと不思議に思い、
人力車夫や荷物運搬夫などを見ては、
日本には日本人の苦力(クーリー)が多い、と感じたという。

お金を稼ぐことを目的に満州に来た日本人が多かったので、
その目的が達成できれば帰国する人が多く、人口の流動が激しかった。

そのような満州の日本人社会をリポートした水野葉舟の「満州で見た日本婦人」が、
『婦人公論』1926年11月号に掲載された。
水野は、満州の日本人が、自分たちの区域のなかに
<まるで牡蠣のようになって閉じこもって、鎖国>
していることを指摘し、
現地の生活に適用しようとはせずに、酷寒の満州に行っても和服で通して身体をこわす日本婦人などの姿を描いた。

水野のレポートに触発された山川菊枝は「日本民族と精神的鎖国主義」と題する文章を、『婦人公論』1927年(昭和2)1月号に発表した。

山川は、この世に生まれたときから、日本は<地上の楽園>であり、
日本人は世界一優秀な民族で、それ以外の国や民族は<辺土>であり
<皇化に浴せぬ蛮人>であるということを聞かされつづけてきた日本人が、
植民地に行って<どうして虚心坦懐、謙抑平静な心をもって、異民族に学び、
異郷の風土に適順しようとする心持になりえよう?
敵意と排他心以外の感情を持って、他国と他国人に対することがどうしてできようか>
と述べた。

そして、日本人にとっての真の問題は、
<植民地的能力の問題>以前に、
<偏屈な郷土愛的愛国心と民俗的優越感の問題>
であるとして、
それが
〈日本人自身の解放の最大の障害になっている>
と指摘したのであった。

植民地で生活した日本人にほぼ共通することであったが、
満州の日本人にとっては、
異文化に適応し、異民族から学ぼうとする姿勢が、決定的に欠けていたのである。


「いのちと日本帝国 14」 小松裕 小学館  2009年発行






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