しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

福山空襲・福山海軍航空隊とその周辺区域

2015年08月27日 | 昭和20年(終戦まで)
海軍の飛行場があった大津野村には何度か機銃掃射を受けているが、
では正確に、何月何日でどうゆう攻撃で、どのような被害があったのか?
といえば不明だと思っていたが、以下

「福山空襲と戦時下のくらし」福山市人権平和資料館より転記する。

福山海軍航空隊への攻撃は3月19日が最初であり、艦載機と陸上機の攻撃を受け20機以上の水上練習機、施設が損害を受けた。
また米軍機密資料から、鞆・走島・宇治島・北木島付近の海面に多数の機雷を投下している。


「吉備製陶合資社」の跡地(笠岡市茂平)
茂平海岸にあった吉備焼き登り窯を軍事施設と見たためか、機銃掃射を受けた。





航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)
茂平海岸は遠浅で水上機を分散疎開係留していたため、銃撃を受けた。




※管理人記・茂平が二ヵ所機銃攻撃を受けたことになっているが、「航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)」の写真は吉備焼きの海岸を使っている。
いずれにせよ、茂平が・・・すくなくとも吉備焼き・・・攻撃を受けたのは事実のようだ。


コメント
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