しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

海軍兵学校(江田島)

2021年02月13日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・広島県江田島市 海上自衛隊幹部候補生学校
訪問日・2013年1月16日  

大学進学可能は極限られた貧しい時代、
日本の子供(男)の進学コースの一番人気は、海軍兵学校であっただろう。

終戦により学校は無くなったが、
卒業生は、戦後に産業エリートとして日本の経済復興や成長に大きく寄与した。





明治26年にイギリス製煉瓦を使って建てられた旧生徒館。


旧生徒館は赤煉瓦造り。現在は幹部候補生学校として使われている。



江田島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島ではあるが、呉鎮守府と至近の位置にあり、しかも軍艦の出入りできる湾もあり、
都会を離れて自然豊かな環境のもとで教育を行うのに適していたことで選ばれた。
以後、江田島は海軍兵学校の代名詞となった。

兵学校の生徒は、おもに16歳から19歳までの少年。
一般教養とともに外国語や理工系教科に重点がおかれ、軍事学や精神教育、体育訓練など独自の方針に基く教育が行われた。
修業年限は3~4年であった。


旧海軍兵学校時代の多くの建物がそのまま残されており、歴史の証言者としての役割を果たしている。
「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行








大講堂は、入校式や卒業式に利用されている。
外観には国会議事堂にも使われている倉橋島産の御影石が用いられたと言われている。





大正6年に完成、以後入校式や卒業式が行われている
御影石で造られた大講堂










NHK「坂の上の雲」の場面に欠かせない長い廊下。(もっくん廊下の別名があるそうだ)














特殊潜航艇「甲標的」、
事実上特攻艇で、真珠湾攻撃に出撃して9名戦死。9名は大東亜戦争初の軍神となり、生存した1名は初の捕虜となった。
後にY標的が開発され、人間魚雷”回天”と呼ばれた。










教育参考館は巨大な円柱が特徴。
ギリシャ神殿を思わせる。海軍関係の資料が多数展示されている。






多くの戦死者や特攻兵の手紙も展示しているが、少し美化しているように思った。


・・・・・


構内の見学は毎日3回、
予約不要、無料、元隊員のガイドさん付き。

江田島は今は離島でないので、ドライブでも、船でも行ける。
一度は見学しておくのもいいかな。





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