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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦争とは歩くこと・・・・

2020年06月03日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
父と同じ歩兵10連隊の記事があるので転記する。

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「一億人の昭和史・日本の戦史4」1978年 毎日新聞発行より
棗田博(作家)


塘沽に上陸した。
初めて実包(実弾のこと)が支給された。
合計120発、ずしりと重い。
被覆もすべて新品、背嚢(はいのう)も新品である。

雑嚢と水筒、手榴弾3発と三八歩兵銃。
通常、完全軍装はおよそ8巻目といわれていた。

行軍にはいって、しばらくの間、陽気にしゃべっていた兵隊も、もう今はだれ一人ものを言う者はいない。
汗は出尽くすと、もうまっきりでなくなり、手のひらを顔に当てるとざらざら浮いている。
肩は背嚢の負い革と銃の重みで感覚をなくしていく。
「小休止」の命令が待ち遠しい。

やがてわかってきた。
行く手に銃砲声が聞こえると、カンフル注射でも打たれたように、へとへとの身体が緊張してしゃんとなる。
足取りが早くなり、駆け足もできる。

野砲の弾道の下を前進するとき、一種の酩酊状態のような極度の昂奮のみがある。
恐怖の心理など入り込む余地はない。

内地では、命令がない限り、襟のホックや上着のボタンなど勝手にはずすことは許されないが、戦地では勝ってであった。
銃の「替え銃」も、戦地ではてんでんばらばらに替え銃をする。

眼を楽しませる変化のない風景は行軍を単調なものにし、足取りを重くする。
行軍の影響は季節により違う。
夏が最もつらい。
日射病で倒れるものが続出した。死亡する者もあった。
秋は、防寒帽と防寒胴衣が支給された。

夜行軍はやりきれない。
「落伍せず、命がけで睡魔と戦え」
歩きながら眠れるし、夢まで見れるのである。
二日目三日目になると、転落兵が続出した。
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