しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

最後の日ソ戦・・・その4・占守島積極戦闘の停止

2020年06月16日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。

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8月18日15時、長島厚大尉ほか10名の軍使が大観台を出発した。
師団長の意図は、まず現在線において両軍とも停戦し、武器引き渡しを交渉することにあった。
その夜、長島大尉は帰還しなかった。
ソ連軍は夜になっても攻撃を続行してきた。
18日20時、上陸司令官グネチコ少将は、
「19日の日没までに全島を占領する」命令をした。

8月19日、
互いに時々撃ちあった。
日魯漁業の女子従業員400~500名が独航船26隻に分乗して島を出発、全員北海道へ到着。
朝、杉野旅団長は山田大尉ほか3名を軍使として派遣。
その日、15時竹田浜で「正式な軍使」と会うことが決まった。
師団長は、杉野旅団長に停戦交渉に当たるよう命じた。
杉野旅団長は、
師団参謀長柳岡大佐、防空隊長木村大佐、砲兵加瀬谷中佐を軍使として出発した。
海岸の天幕で交渉に入った。
ソ連側は高圧的で、直ちに武装解除を要求するとし、日本側は、停戦はするが武装解除の返事は直ちにできぬとやりあった。
無用の損害をださぬため、結局承諾した。
ソ連側は正式な降伏と解釈した。
軍使として大観台に帰還した杉野旅団長は、幌筵島を出て占守島の千歳台に進出していた堤師団長に電話で報告したところ、
本人の回想によればえらく叱られたという。
停戦はよいが、武装解除等の条件は許可していないといって承認しなかったのである。
師団長は柳岡参謀長に再度の交渉を命じた。

8月20日朝、
柳岡参謀長は日魯漁業の通訳一人だけ伴いソ連側に向かった。



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