場所・島根県大田市温泉津 温泉津温泉
温泉津(ゆのつ)は”ひなびた”感じがする温泉街としては、日本一のような気がする。
町は重伝建にも指定されている。
その温泉津の温泉街に浅原才一という詩人の像がある。
信仰の詩を人生の後半に書き続けていたそうだ。
如来の御姿こそ かかるあさましき わたしのすがたなり なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(響流山勝福寺)
~念仏生活を妙好人に学ぶ~
浅原才市さん
才市さんは、石見の国温泉津町小浜に、嘉永三年(一八五〇)二月二十日に生まれました。
アメリカの使節ペリイが浦賀に 来て開国を迫った年でした。
十一才の時に両親が離婚、才市さんは母に連れられて実家に帰りました。
やがて母は再婚。
才市さんは、十一歳で大工の弟子として年期奉公に行き、二十歳の頃には船大工の職を持ちました。
酒や賭博など荒っぽい生活をしていました。
四十歳を過ぎてからは下駄作りの大工になりました。
才市さんが四十五歳の時に、父が八十二歳の生涯をお念仏と共に終えました。
その頃から才市さんは「おやのゆいごん、なむあみだぶつ」と、近在のお寺の法座に足を運ぶようになりました。
それから二〇年間が求道に燃えた時期でした。妻のせつさんと御本山参りもし、帰敬式も受けました。
そして六〇才を過ぎた頃よりお念仏の詩が生まれ、六四才の頃よりかんなくずに法悦の詩を書いては夜にノオトに書き写す日課が始まりました。
詩ができると、安楽寺の梅田謙教和上に見て貰ったそうです。
才市さんは昭和七年一月十七日、八十三才でお念仏の生涯を終えました。
撮影日・2011年10月27日
温泉津(ゆのつ)は”ひなびた”感じがする温泉街としては、日本一のような気がする。
町は重伝建にも指定されている。
その温泉津の温泉街に浅原才一という詩人の像がある。
信仰の詩を人生の後半に書き続けていたそうだ。
如来の御姿こそ かかるあさましき わたしのすがたなり なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(響流山勝福寺)
~念仏生活を妙好人に学ぶ~
浅原才市さん
才市さんは、石見の国温泉津町小浜に、嘉永三年(一八五〇)二月二十日に生まれました。
アメリカの使節ペリイが浦賀に 来て開国を迫った年でした。
十一才の時に両親が離婚、才市さんは母に連れられて実家に帰りました。
やがて母は再婚。
才市さんは、十一歳で大工の弟子として年期奉公に行き、二十歳の頃には船大工の職を持ちました。
酒や賭博など荒っぽい生活をしていました。
四十歳を過ぎてからは下駄作りの大工になりました。
才市さんが四十五歳の時に、父が八十二歳の生涯をお念仏と共に終えました。
その頃から才市さんは「おやのゆいごん、なむあみだぶつ」と、近在のお寺の法座に足を運ぶようになりました。
それから二〇年間が求道に燃えた時期でした。妻のせつさんと御本山参りもし、帰敬式も受けました。
そして六〇才を過ぎた頃よりお念仏の詩が生まれ、六四才の頃よりかんなくずに法悦の詩を書いては夜にノオトに書き写す日課が始まりました。
詩ができると、安楽寺の梅田謙教和上に見て貰ったそうです。
才市さんは昭和七年一月十七日、八十三才でお念仏の生涯を終えました。
撮影日・2011年10月27日
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