しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

嫁菓子をもらう

2024年03月29日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

「嫁どりがある」
それを聞けば、茂平の子どもたちの心は踊った。

 

【嫁菓子】
嫁菓子が楽しみじゃった。
ただでお菓子をもらえるから。

 

 

(おじさん=父の弟の嫁どり=昭和31年)

嫁どりは大きな娯楽だった。

 

 

【嫁どり】
嫁どりがあると言えば、楽しみなのは、

①「嫁菓子」をもらえる、
②「花嫁」を見れる。
③「嫁入り道具」が見れる。

 

①一番の楽しみは「嫁菓子」。
嫁菓子は紙袋に2~3箱のお菓子が入っている。
茂平の子どもは、お菓子を食べることはめったにない。

②花嫁を見れる。
頭にカツラを乗せ、白塗りで、しかも下を向いて歩く花嫁の顔は、皆同じ。
しかし、「花嫁衣裳」の女性を見る。
普段、農夫しか見ない茂平の子供にとっては大きな娯楽だった。

③「嫁入り道具」を見る。
これは正直、関心はなかった。
自転車やミシンやタンス類を見ても感じることは何もなかった。

 

大正時代のはじめ頃

(母に聞いた話)

母の父母=管理人の祖父母の結婚

 


祖父母の結婚式に嫁菓子を、近所の子どもたちに配ったが
子どもたちはもらっても帰ろうとしなかった。

嫁菓子をもらっても不満顔だったそうだ。


「取り子・取より嫁じゃけえ、二袋もらわにゃあいけん」
と言ったそうだ。
その事を母は笑い話として話した。


祖父母は、取子取嫁(とりことりよめ )だった。
おおかたの場合は、先にどちらかが養子になり、結婚によって二人そろうが、
祖父母の場合は結婚と同時に、二人養家には入った。

この珍しいことの訳を95才まで生きた母に聞く機会はあったが、
不思議とも、珍しいこととも思ってなかったので聞かず、ついに知ることはできなかった。

・・・

 

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子供の間食

2024年03月29日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

イモ・あられ・豆は、ほぼ年中あった。

果物
一家の生計を立てるものが、果物であったので、
その傷もの・変形ものが夏の間食になった。
・・・桃・葡萄・スイカ・ナシ瓜・枇杷・サトウキビ・ナンバ・イチジク・柿・ミカン・・・。

野山のもの
ビービー・シーシー・さるきん・野イチゴ・ナツメ・ニッケ・

川・池のもの
トーチカ

海のもの
ツブ・ドンガメ

家のもの
おやき・ハッタイコ・

買うもの
飴玉・アイスキャンデー・ニッケ紙・

買えなかったもの
ミルキー・・・不二家のペコちゃん・ポコちゃん。あれを食べるのは、憧れだったな。
チョコレート・・・中学か高校生になって初めて食べた。(チューインガムのロッテがチョコレートを作りだした頃)


「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

子供の間食

冷や芋、蚕豆や大豆の炒り豆、
春にはユスラ、ビービー、苺、スモモ、フームーサー、野苺、イタドリ、竹の実・・。
夏には、桑の実、野苺、オオカワイチゴ、ホンボロイチゴ、ビワ・・・。
秋には、トウガキ、ザクロ、アサダレ、ヤマブドウ、ナツメ、ニッケー・・。
冬には、アラレ。

 

「北川の民俗」 北川の昔を訪ねる会 令和4年発行


子どもの頃の食べもの
おやつとしての果物など

昭和30年頃の果物については、大変に多い。 
大抵の家には、 お菓子になる植物が植えてあるのだ。 
子供も大人も食べる。 
桃、ビワ、 サトウキビ。 
サトウキビとは、砂糖を絞るための植物。 
この茎を10 センチぐらいに切って、口に入れて噛んで汁を吸う。 甘いのである。 
イチジク、ザクロ、甘柿、グミ(ビービと言っていた)、ユスラ梅、 桑の実(桑イチゴともいう)、ナツメ。
野には、アケビの実、とか山ブドウが。 
近くの人から梅雨の頃、スモモを貰っていた。

 

 

「矢掛町史」 矢掛町 昭和55年発行

こどものオヤツ
豆類が多く、ソラマメ、ダイズのいりまめ、あげまめ。
砂糖というのは、玄米またはもち米と大豆のいったも 砂糖(Fブザトウ)で固めたものである。
山野のものとして、アサダ、ダイビ、アケミ 山ナスなどを採った。

「鴨方町史民俗編」  鴨方町  昭和60年発行

子供の間食

春には、グイビ(ナワシログミ)やユスラ(ユスラウメ)ノイチゴ(ダイイチゴ・ナワシロイチゴ)・キイチゴ・マスイチゴ(カクミノスノキ)・シャッポン(イタドリ)・シイトー(スイバ・シイナ・ギシギシ)のとう・スモモ・ズンベー(ズンバエ)といって、ノボセ(チガヤ)の穂などを食べる。
ズンベーの白い地下茎をカンゾウだといって噛んだ。
竹の皮を三角形に包み、なかに梅漬けのシソを入れ、角から吸う。
カッコウといった。
炒った大豆やソラ豆・アラレ・カキ餅なども間食であった。
大豆とアラレ、または大豆とアラレと干し飯を一緒に炒ることもある。
また、砂糖をまぶすこともあった。

夏には、ビービー(ナッグミ)の実・サトウキビ・スイカ・マクワウリ・ヒンの実などである。

秋には、ヤマブドウ・ヤマナスビ(ナツハゼ)・アサドリ(アサダレ・アキグミ) ・カキカキのずくし・ミ カン・キンカン・アケビ・ガラビ(エビズル)・桑の実などを食べ、松の幹にできたこぶに出る甘い樹液を蜜といい、ササですくいとってなめた。
松ビービー(マツグミ)といって、松の木に寄生しているヤドリギの赤い実を食べたり、青い実はよく噛んで、口の中でトリモチ状に伸ばしたり、ふくらませたりして楽しんだ。
集落に一本程度あったニッケイの根を掘って、根を噛んだり、葉柄も噛むことがあった。
ゆでたクリや 蒸したサツマイモなども間食であった。
風呂をわかすと、しばしば焼き芋にした。
サツマイモの皮をとって輪切りにしてほうろくに並べ、少量の塩をふりかけ、鍋蓋でおおい焼く。
芋せんべいといった。

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