しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「ひな祭り」の食べ物

2024年03月02日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

 

「北木島の流し雛」 2023.4.22 岡山県笠岡市北木島町)

 

「雛祭り」という行事は、城見保育所の園児の時に知った。
保育所の先生が千代紙で作った右大臣・左大臣を教室の壁に貼って、
♪今日はうれしい ひな祭り・・・を歌ってくれた。

だが、
それ以外の「ひな祭り」は、茂平にも、城見にもなかった。
町の商家や玩具屋では雛飾りがあったり、白酒を飲む家があったのかも知らないが、
町に行くことはなかった。

女の子の祭で、家には姉がいた。以前、姉に聞くと、
飾り・食べ物・祝等、家でも近所の子の家でもまったくなかった、
と予想通りの返答があった。

強いて言えば、母が手製の「あられ」を食べていたが、
それは「雛あられ」ではなくて、普段のおやつとして食べていた。

 

 

ひな祭りの源流  昭和33年3月3日  ~天声人語~ 荒垣秀雄


ひな祭りは元は流しびなという戸外の行事だった。
人間には罪の自覚や穢れの意識がある。
その罪の罪や穢れを去って、清らかになりたいとの願いやあこがれがある。
昔の人はそれを素朴な形で表現した。
人間の姿に似せて人形をつくる。
それを形代として、わが身の身代わりに罪や穢れを背負ってもらい、川や海に流す。

ひなを流したあと、身も心もきれいになったと、せいせいした気持ちで、また精出して働く。
いかにも原始的な宗教心のようだが、一年のうちにはそうした折り目を正しては、
また明日から心も新たに出直そうとする。
われらの古き祖先には、人間の生き方としてこのような謙虚な知恵があった。

 

「食で知ろう季節の行事」  高橋司 長崎出版 2008年発行


桃の節句  3月3日


上巳の節句と人形信仰とが結びついた
女の子の成長を祝う祭り

桃の節句は、女の子の成長を祝うお祭りです。
日本古来の人形信仰と、中国で三月の最初の巳の日に行われていた上巳の節句とが結びついたも のといわれています。
日本古来の人形信仰とは、紙や草で作った人形で体をなで、自分の穢(けが)れを人形に移して川や海に流す風習です。
これが「流し雛」の原形とさ れています。

上巳の節句とは、川で身を清め不浄を祓う習慣です。
この日に、桃の花を入れた桃花酒が飲まれていました。
桃の花には、魔や穢れを祓う力があるとされていました。
桃花の流れる水を飲んで、三百歳まで生きたという伝説もあるくらいです。
また、縁起物として、菱餅や雛あられ、 白酒や蛤のお吸い物、草餅などを食べます。

 

「矢掛町史」

三月の節供

草餅、オムシ(赤飯)。
初雛に家は、お巻きなどする。


「聞き書 広島の食事」 神田三亀男  農山漁村文化協会 昭和62年発行


ひなの節句
もちとほとぎ、甘酒をつくり、神さまやおひなさまにあげる。
ほとぎは玄米を炒ったもので、ときには黒大豆を炒って混ぜることもある。 
菱もちはよもぎもちと白もちを一臼ずつ搗く。 
もち米と寒ざらし粉で、よもぎだんごもよくつくる。

 

「鴨方町史民俗編」  鴨方町  昭和60年発行

ひな祭り

三月二日を宵節供といい、三月三日はひな祭りである。 
桃の節供・女の節供あるいは三月の節供ともいって、女の子たちが優しく健やかに育つことを願う行事である。
床の間にひな壇を飾り、ヨモギ餅を菱形に切ったものやアラレや白酒を供える。 
ひな祭りの御馳走としては赤飯・ちらし寿司・アサリ貝のすまし汁・ワケギのぬたなどであった。
赤飯は、一升枡に三合目くらい入れて神様にお供えして、それを下げて家族でいただいた。
また、すべての屋内神に、お神酒徳利に桃の花をさして供える。

古くから、資力のある家では段雛を飾った。 
床に五段の棚を設け、その上に緋毛氈を敷き、上段よりオビナメビナの内裏様を、
次に官女・五人囃子・やっこなどの供の者やお供え物を飾り、
段の両端にはボンボリ・橘・桜を飾る。
また、段の背後には掛け絵雛の軸などを掛けた。
そして段の両端には、近所や親戚から 贈られた市松人形や柳の枝に餅菓子をつけたもの、
桃の花枝などを飾った。
ひな人形を出すときは、家族の一員のように語りかけながら大切に扱ったものだという。
また、ひな祭りが終わったのにそのまま長く飾っておくと、女の子の嫁入りが遅れるといわれていて、
四日のヒナアラシが終わるとすぐに箱に納めるという。

 

「笠岡ひなめぐり」 2024.2.28) 笠岡市中央町

 

 

枕草子・正月(田辺聖子訳)

三月三日は、上巳の節句。
この日は水のほとりで祓をし、曲水の宴を張る日である。
うらうらとのどかに日は照り、桃の花の咲きほころぶのがいい。
柳の美しいさま、
それもまだ葉のよく開かず、蚕の繭ごもりに似たさまがいい。
広がってしまったのはにくらしい。
花の散ったあとも厭わしいものだ。


「枕草子 蜻蛉日記」  世界文化社  1975年発行

・・・

 

 

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