しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

田植え唄

2023年03月09日 | 民謡

農業をしていた両親は、昭和44年に最後の田植えと稲刈りをした。

それ以降、農家でありながら米を作らなくなった。

 

手植えから、機械化へ相当悩んだ・・・のでなく、いくらか悩んだようだ。

機械化するほどには田んぼを所有していなかった。

米あまり、米の自由化が叫ばれていた。

で稲作を止めた。

その田んぼは、イチゴとイチジク畑に変わった。

 

・・・

 

小学校では「田植え休み」が3日間あった。

休みはうれしいが、そのぶん夏休みが少なかった。

田植えは、子どもにとってはんぶん祭りきぶんだった。

三軒共同で田植えをし、終わったら輪番で「しろみて」をしていた。

 

ヒールにかまれる(平均日に2~3匹)のが嫌いだった。みんな、そうだろうけど。

 

 

・・・

「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行

 

田植え唄

美星町

暑や苦しや手拭いほしや

さまの浴衣の袖ほしや

田植え時には子供がほしや

あぜに腰かけ乳のます

 

水踏み唄

倉敷市

伊勢に参る間にゃエンヤーレ

親さま拝め 親にナー越してのエンヤーレ神はない

大工さんと寝りゃ鉋を枕

左官さんと寝りゃ鏝ょ枕

・・・

 

「矢掛町史 民俗編」 矢掛町 昭和55年発行

小田

田の草取り唄

あつやよえー 手拭いほしや

さまのな ゆかたのきれ ほしやよ

 

わたしゃ十五でよほ ええ田草がよ

初めよ あとになぎのこるかえ

なぎばかりよ

 

・・・

 

「高梁川44」 高梁川流域連盟 昭和61年発行

久米郡南部・御津郡北部の俚謡 石田農夫男

 

田草取りの歌

(土用の盛夏、男女が田草取りに唄った)

汗と泥とで よごれたからだ

亀のかっこで 田草取り

 

田草取る手を

一寸休ませて

腰をのしたり さすったり

・・・・・・・・・・・

 

 

 

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臼挽き唄

2023年03月09日 | 民謡

子供の頃、どこの家にも既に使用されなくなった石臼を、軒下や縁側や土間に保管していた。

小学生の時、母方の祖父母宅で、祖母が「そば粉」を作って、蕎麦を作って食べさせてくれた。

それが自分が見た、最後の臼挽きだった。

 

・・・・


「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行

唐臼挽き唄

唐臼挽きは夜なべ仕事で、娘がいる家には村の若衆たちが手伝いにきた。

夜食には団子または大根飯が必ず出た。

各地

臼の軽さよ拍手のよさよ

愛てかわすな明日の夜も

わしとお前は臼ひき女

ひいて回せば子ができる

・・

粉挽き唄

石臼で屑米・麦・そば・豆など粉にしてよく食べた。

とくに団子がよく用いられた。

思い石臼をゴロリ、ゴロリと挽きながら、ゆっくりと歌うのである。

笠岡市

臼よ回え回えきりりとしゃんと

ここは道端ひとが聞く

・・・

米搗き唄

米搗きは、はね杵を踏んで精米をした。

一臼に一斗の米を入れて精米されるまでには約3.000回搗かねばならなかった。

主に、夜なべ仕事である。

米搗き唄・麦搗き唄・搗き臼唄と呼ばれる。

 

笠岡市

麦のおえんのは混ぜようのからよ

搗くにおろか(横着)があるものか

真鍋天神鼻 黒雲かかる

いわしひけとの黒雲が

・・・・

 

「高梁川44」 高梁川流域連盟 昭和61年発行

久米郡南部・御津郡北部の俚謡 石田農夫男

 

俚謡(りよう)は素朴な村人の間に、自然発生した生活の歌であり、

労働の歌でり、愛情の歌として、幕末から大正時代にかけて唄いつがれてきた。

 

籾摺り歌

(唐臼で収穫の籾を摺る時)

臼の軽さよ相手のよさよ

相手変わるな 明日の夜も

今年豊年 穂に穂が咲いて

道の小草に 金がなる

・・・

 

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庭歌

2023年03月09日 | 民謡

母の話 2005・2・5


みしろも今はいらんようになった。

稲や麦や除虫菊や。
干しつきょうた。


何回も干すとこを変ようた。
陽の照るトコと照らんトコと。

うちらでもかみざのくちはじきかげるけえ、ひどいときゃ日にさんべんぐれい向きを変ようた。

・・・


「鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行

前庭
前庭はカドと呼んでいる。
カドには、籾など五穀を筵にひろげて干す。
筵干しとかカド干しという。
干しあがると、脱穀・調整作業をする。
カドは筵干しの場であり、
作業場・牛繋ぎ場・まき割り場・子供の遊び場である。
また、苗床・温床をつくることもあった。
昭和30年ごろから乾燥機で干すようになり、カドは庭園化して行く。

 

・・・

 

「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行

 

麦打ち唄

(唐竿で叩いて実を落とす作業)

笠岡市

唐竿叩きゃすりゃお手に豆ょ七つヨー

夜は殿さに寝て話すアー

桜三月 あやめは五月

咲いて年とる梅の花

 

・・・

「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行

 

綿打ち唄

綿打ち弓の弦に実綿を当て、

槌で打って弦を振動させ、実綿をほぐして繰り綿にする。

 

倉敷市

辛い連島で綿打ちしょまにゃ

去(い)んで豊島(てしま)の石を割ろ

百日綿打ちゃ十三文

酒を一杯飲みゃてっぱらこ。

 

・・・・

 

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