農業をしていた両親は、昭和44年に最後の田植えと稲刈りをした。
それ以降、農家でありながら米を作らなくなった。
手植えから、機械化へ相当悩んだ・・・のでなく、いくらか悩んだようだ。
機械化するほどには田んぼを所有していなかった。
米あまり、米の自由化が叫ばれていた。
で稲作を止めた。
その田んぼは、イチゴとイチジク畑に変わった。
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小学校では「田植え休み」が3日間あった。
休みはうれしいが、そのぶん夏休みが少なかった。
田植えは、子どもにとってはんぶん祭りきぶんだった。
三軒共同で田植えをし、終わったら輪番で「しろみて」をしていた。
ヒールにかまれる(平均日に2~3匹)のが嫌いだった。みんな、そうだろうけど。
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「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行
田植え唄
美星町
暑や苦しや手拭いほしや
さまの浴衣の袖ほしや
田植え時には子供がほしや
あぜに腰かけ乳のます
水踏み唄
倉敷市
伊勢に参る間にゃエンヤーレ
親さま拝め 親にナー越してのエンヤーレ神はない
大工さんと寝りゃ鉋を枕
左官さんと寝りゃ鏝ょ枕
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「矢掛町史 民俗編」 矢掛町 昭和55年発行
小田
田の草取り唄
あつやよえー 手拭いほしや
さまのな ゆかたのきれ ほしやよ
わたしゃ十五でよほ ええ田草がよ
初めよ あとになぎのこるかえ
なぎばかりよ
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「高梁川44」 高梁川流域連盟 昭和61年発行
久米郡南部・御津郡北部の俚謡 石田農夫男
田草取りの歌
(土用の盛夏、男女が田草取りに唄った)
汗と泥とで よごれたからだ
亀のかっこで 田草取り
田草取る手を
一寸休ませて
腰をのしたり さすったり
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