しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

審判

2022年05月01日 | 昭和20年(戦後)
父は、中支の戦線で「刀で人は斬ったことはないが豚は斬った」と話していたが、
その豚は現地人の家畜を泥棒したのに違いない。


よく言われるように野戦では、最初の殺しは動揺するが、次からはなんとも感じなくなる。
それでも、なんらかの負い目みたいなものを生きている限りは、背負っていたのだと思う。





・・・・



審判 「武田泰淳全集第二巻」 筑摩書房 昭和46年発行 


私は終戦後の上海であった不幸な一青年の物語をしようと思う。
この青年の不幸について考えることは、ひいては私たちすべてが共有している不幸について考えることであるような気がする。


老教師の息子の二郎が現地復員した。
私は老人から息子について何度も聞かされていた。
私自身もその青年がこの家へもどってくるのを待ち望む気持ちになっていた。
老人の自慢の息子はたしかに立派な青年であった。
二郎は政治上の意見ものべず、悲苦の情もあらわさず、本心らしいものを吐露しようとはしなかった。


二郎の恋人の鈴子さんがはじめて訪ねて来た時にはちょっと驚かされたものだ。
パッと人眼を惹く美しい彼女は、湿った暗い気分を解放する新鮮な光にみちていいた。
このような美しい乙女に愛されている二郎をつくづくうらやましいと感じた。


二月になって、私は彼の口から鈴子さんとの婚約をとり止めにしたむねを聴かされた。
理由は別に語らなかった。
説明しにくいことだから、とだけ言った。
二郎の父は、
自分たち二人は次の船で日本に帰国するつもりだと私に告げた。


二郎の手紙
『私はあなたにあててこれを書き残すことにしました。
私はある理由によって帰国しないことにきめました。
裁きがあるものかないものか、私にはまだわかりません。
私は戦地で殺人をしました。


戦争である以上、
戦場で敵を殺すのは別にとりたてていうほどのことでもありますまい。
兵士として当然の行為でしょう。
しかし、私の殺人は、私個人の殺人でした。
住民を侮辱し、殴打し、物を盗み、家を焼き、畠を荒らす。
私には、
住民を殴打したり、女を姦したりすることはできませんでした。
しかし豚や鶏を無断でもってきたりしたことは何度もあります。
無用の殺人の現場も何回となく見ました。


一昨年の四月ごろ、私はA省の田舎町にいました。
二人の農夫らしい男がこちらに歩いて来ました。
日の丸の旗を持っています。
分隊長は差し出す紙片を読みあげました。
それは二人を使っていた日本の部隊長の証明書でした。
善良な農夫であるので、途中の日本部隊は保護せられたい由が記されてありました。
二人が歩き出すと分隊長はニヤリと笑い、小さな声で
「やっちまおう」とささやきました。
「おりしけ!」と彼は命令しました。
兵士たちはあわてて自分勝手に銃をかまえました。
命令の声、銃声、私も発射しました。
一人は棒を倒すように倒れました。
もう一人は片膝ついて倒れましたが、悲鳴をあげ、私たちの方を振り向きましたが、すぐにふせてしまいました。
ぱらぱらと兵士たちはかけて行きました。
一人はまだ手足をピクピク動かしています。
とどめが発射されました。
あとで聴くと四、五名は発射しないか、わざと的をはずしていました。
「俺にはあんなまねはできないよ。イヤだイヤだ」


私には鈴子がありました。
鈴子と私は愛しあっていました。
私が熱を出した時など、
もう奥さんにでもなったようすで
「おとなしく寝ていらっしゃい。
キッスしてあげるからね」
私は一緒に暮らすようになり、二人とも老人に至るまでのことを考えていました。
その時、突然、
私は自分の射殺した老人夫婦のことを想い出しました。
そして私が老夫だけを殺して、老妻を残しておいたことに気づきました。


「君にぜひとも話しておかなきゃならぬことことがある」と私は言いました。
「何なの?」
鈴子は寒そうにちぢめるた肩をよせかけて歩きました。
「僕が人を殺した話なんだ」
私は真面目な話であることを説明してから一気に喋りました。
彼女は途中で一度、
「イヤ、おやめになって」と頼みました。
私はかまわず終わりまで自分の感情の底をさらけだして話しました。


三日目に彼女の方から訪ねてきました。
両方ともに口がうまくきけませんでした。
彼女の声は疲れはてた人のようでした。
私は今や自分が裁かれたのだと悟りました。


一月ばかりして鈴子の父上が見えました。
君の苦しみはよくわかる。
鈴子との婚約を打ち切りたいなら打ち切ってもよい。
それで君は今後どうするつもりか、とたずねられました。
私は、中国にとどまるつもりだと答えました。
私は自分の犯罪の場所にとどまり、私の殺した老人の同胞の顔を見ながら暮らしたい。
こんなことをしたからとて、罪のつぐないになるとは考えていません。
しかし私はそうせずにはいられません。
鈴子の父親は微笑されました。
そして、
「君のような告白を私にした日本人は三人目だ」と言われました。
どんな愚かな、まずいやり方でも、ともかく自分を裁こう。
これを報告できる相手としてあなたを友人として持っていたことを無限に感謝します』



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