goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

とりあえずグラぶるのお散歩バージョン!

2016年05月10日 | O60→70(オーバー70歳)
自分はスマホのゲームをまったくしませんので、「グラぶる」がどんなものか知りませんが、テレビコマーシャルは大好きです。そこで、他人事とは思えない心境もあって、散歩バージョンを考えてみました。

「仕事しに来ているのか、昼飯を食いに来ているのかわからない奴にはなりたくないと思っていたが、(ヒマなので、)とりあえずお弁当でも食って、散歩する。よし昼だ。」
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『正岡子規』(その16)

2016年05月10日 | O60→70(オーバー70歳)
【330ページ】《歌よみに与うる書》(明治31年2~3月)
定家に傑作無く探幽にも傑作無し。しかし定家も探幽も相当に練磨の力はありていかなる場合にもかなりにやりこなし申候。両人の名誉はあい如くほどの位置におりて定家以後歌の門閥生じ探幽以後画の門閥を生じ両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗いたし候。いつの代いかなる技芸にても歌の格画の格などというような格がきまったらもはや進歩いたすまじく候。

【331~332ページ】
古今上下東西の文学などよく比較してご覧なさるべくくだらぬ家書ばかり見ておっては容易に自己の迷を醒まし難く見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで隣の汽車が動くように覚ゆる者にござ候。不尽(ふじん。手紙の末尾に添える語で、言い足りないことを表わす)。

[ken] 私は短歌や俳句の勉強をしたことがなく、古文や漢文が大の苦手であったことから、本書を読むにも最初は難渋させられました。しかし、そのおかげで『樋口一葉』(ちくま日本文学)を読むのが楽でしたから、とても感謝しています。
330ページの「格がきまったらもはや進歩いたすまじ」とは、10数年にわたり詩吟を勉強してきた中で痛感しているところです。詩吟は20年、30年と修行を続けなければ、とても一人前にはなならないと教わってきましたが、なかなかそれだけではない「制度」や「決まり事」が多すぎるのではないか、と感じています。かといって、「詩吟の進歩」に一言あるわけでもなく、今はただ心身の健康のためと信じての芸事と思って、とりあえず続けている状態です。
331~332ページで、正岡子規さんが述べたいことは「評論」や「解説」に左右されることなく、良い文献そのものに向き合って学び取りなさい、ということだと思います。そうしないと、隣の汽車が動いているのに、自分が乗車している汽車が動いているような錯覚に気づきませんよ、と述べているのでしょう。肝に銘じたい言葉ですね。(つづく)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )