miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

パンタ・レイ=万物は流転する

2010-12-17 | Weblog
首題の言葉は、今日の、中日春秋で使っていました。「万物は流転する」古代ギリシャの有名な哲学者の言葉で、ギリシャ語でパンタ・レイと言います。中日春秋からの引用ですが、当時ギリシャでは大変な、流行語になったそうです。その挿話の一つに、お金の返済を迫られ「借りた私と、今の私は変わっている、パンタ・レイ」。貸した男が頭にきて、相手を殴り、裁判になった「殴った私は、いまの私ではない、パンタ・レイ」。

「政権交替後の民主党は、交替前の民主党ではない、パンタ・レイ」。このパンタ・レイ政権が、筋を通した、数少ない例が、諫早湾の開門でした。賛否両論、結果的にどちらが正しいのか分りませんが、あのギロチンと呼ばれた、海水遮断門が、開門します。

日本は、比較的貧富の差が少ない国ですが、それは占領政策でマッカーサーが、財閥解体を断行し、地主制度を解体したことにあります。しかし貧富の差は、政治面でこまめにテコ入れしなければ、直ぐ増大します。田中内閣が日本列島改革を打ち出し、農村部の収入が一挙に増大したことで、国民の60%までが、中間層意識を持つようになりましたが、小泉内閣以降また貧富のさが大きくなりつつあります。

弱小企業に対する、徹底した保護と、税制の抜本的な改革です。消費税は貧富の差の抑制にはなりません、所得税の徹底改革ですが、改革を検討する人たちが、おおむね高額所得者ですから、問題が解決しないのです。「市会議員の給料が高すぎるので、民間ベースまで下げようではないか」市長が提案しても、決定権を持つ市議会がこぞって反対で解決しないのと同じです。情けない人たちを、選んだわれわれが悪いのだから、以後肝に銘じよう。