ほうげん日記
江戸川区鹿骨 もっとい不動密蔵院の和尚ブログ
88ばなし
台風de遍路
花山の思い 17番札所 六波羅蜜寺
花山の思い 17番札所 六波羅蜜寺
さて、西国33観音も折り返しとなりました。
17番札所は、ここも京都市内の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)。
花山法皇が読まれたご詠歌は、
重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂に 参る身なれば
大意は――どんなに悪人であろうと、両親を殺したり、坊さんをころしたりするような大罪を犯すことはありますまい。この六波羅蜜寺へお参りするくらいですから。そうしたあなたを観音さまはしっかり救ってくださいます。
仏さまにお参りする人々の思い千差万別です。
亡き人の菩提を弔う(冥福を祈る)ため。
病気平癒や、「私を救ってください」などのお願いごとをするため。
感謝をするため。
ほかにもたくさんあるでしょう。
そのいずれもが、結果的に自分を見つめることにつながっていきます。
私も自分を見つめるために、少々お参りをして参りますので、次回はしばらくは、現場から携帯電話での投稿となります。
メールを打ちなれない私のことですから、かなり短い文章になるでしょう。わははは。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
さて、西国33観音も折り返しとなりました。
17番札所は、ここも京都市内の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)。
花山法皇が読まれたご詠歌は、
重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂に 参る身なれば
大意は――どんなに悪人であろうと、両親を殺したり、坊さんをころしたりするような大罪を犯すことはありますまい。この六波羅蜜寺へお参りするくらいですから。そうしたあなたを観音さまはしっかり救ってくださいます。
仏さまにお参りする人々の思い千差万別です。
亡き人の菩提を弔う(冥福を祈る)ため。
病気平癒や、「私を救ってください」などのお願いごとをするため。
感謝をするため。
ほかにもたくさんあるでしょう。
そのいずれもが、結果的に自分を見つめることにつながっていきます。
私も自分を見つめるために、少々お参りをして参りますので、次回はしばらくは、現場から携帯電話での投稿となります。
メールを打ちなれない私のことですから、かなり短い文章になるでしょう。わははは。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
花山の思い 16番札所清水寺
松風や 音羽の瀧の 清水を 掬(むす)ぶこころは 涼しかるらん
※掬(むす)ぶは、両手ですくうということ。
ご存じ、京都の清水寺(きよみずでら)は、れっきとした西国観音霊場の一つ。
松風の音も聞こえてくる、音羽の瀧のきれいな水を両手ですくって飲んで見ると、どんなに涼しく清々しい気持ちになることでしょう。―――そう花山法皇はご詠歌を詠んでいます。
もとより、松風は観音様の説法の声、そして清水は、八つの功徳があるという浄土の水にたとえての歌です。
いまでは、長いひしゃくで音羽の清水を飲むために行列ができていますが、かつては両手ですくって飲んでいたんですね。
☆ ☆ ☆ ☆
「密蔵院は日曜に法事があるから、二次会は駅そばの居酒屋です」--そう言って、密蔵院で解散になったのは22時50分。
一カ月ほど前に南アフリカへ植林に行った若者たち(一部をのぞく。わははは)の同窓会件、報告会。
このうち今日の朝5時に密蔵院へ帰ってきたのは、京都大阪組の・・・4人かな?わはは。よくわからん。9時にも一人帰ってきたからな。
京都組は二台の車にのって帰って行った。
今回参加のみんなには、本堂で、拙い私の法話を15分ほど聞いてもらった。
心を静かにしないと見えない、聞こえない、わからないことがあるという話から--
鐘の音は三種類あるということを実際に聞いてもらった。
ちょうど中秋の名月だったから、「月輪観(がちりんかん)」という真言の瞑想法を体験してもらった。---私にとっても、彼らのとっても貴重な体験になったようだ。
※掬(むす)ぶは、両手ですくうということ。
ご存じ、京都の清水寺(きよみずでら)は、れっきとした西国観音霊場の一つ。
松風の音も聞こえてくる、音羽の瀧のきれいな水を両手ですくって飲んで見ると、どんなに涼しく清々しい気持ちになることでしょう。―――そう花山法皇はご詠歌を詠んでいます。
もとより、松風は観音様の説法の声、そして清水は、八つの功徳があるという浄土の水にたとえての歌です。
いまでは、長いひしゃくで音羽の清水を飲むために行列ができていますが、かつては両手ですくって飲んでいたんですね。
☆ ☆ ☆ ☆
「密蔵院は日曜に法事があるから、二次会は駅そばの居酒屋です」--そう言って、密蔵院で解散になったのは22時50分。
一カ月ほど前に南アフリカへ植林に行った若者たち(一部をのぞく。わははは)の同窓会件、報告会。
このうち今日の朝5時に密蔵院へ帰ってきたのは、京都大阪組の・・・4人かな?わはは。よくわからん。9時にも一人帰ってきたからな。
京都組は二台の車にのって帰って行った。
今回参加のみんなには、本堂で、拙い私の法話を15分ほど聞いてもらった。
心を静かにしないと見えない、聞こえない、わからないことがあるという話から--
鐘の音は三種類あるということを実際に聞いてもらった。
ちょうど中秋の名月だったから、「月輪観(がちりんかん)」という真言の瞑想法を体験してもらった。---私にとっても、彼らのとっても貴重な体験になったようだ。
ちょっと、レッツ テイク ア ブレイク
花山( かざん)法皇;の思い 第十五番札所(時系列)
〔昔より 立つとは知らず 今熊野 仏の誓い あらたなりけり〕
世の中には「へぇ、そうだったんだ」ということが往々にしてあるもの。
花山法王もそうだったのか……
「弘法大師が開祖だと思っていた泉涌寺(せんにゅうじ)だと思っていたら、それより昔から、熊野の地と縁がある観音様が、ここにはおいでだったのですね。そう思うと、昔のこととはいいながらあらためてこの仏様の御利益を願わずにはいられません」
――まあ、そういう意味だろうと思います。
「昔より」と「今熊野」で、昔と今を対比させて、さらにあらたで「新た」をつなげ ていく手法はなかなか見事ですね。
いったい、私は、「昔」と「今」と「あらた」をどのように心の中でつなぎ合わせるようなことを体験しているのだろうと思います。
「昔はこうだった」、「でも今じゃこうだ」、でも(だから)、「これからは新たな思いで、こうしていこうと思う」―――見事な時系列な発想と言葉のつむぎ方をしたご詠歌ですね。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日はご詠歌を勉強中の若手の先生の卵5人の〔自主トレ in 密蔵院〕を10時から15時30分まで。
一人一人の唱え癖に耳をそばだてて注意力を持続させるのは、楽しい時間です。
自主トレーニングの監督役を終えてから、東京は白山(はくさん)にある東洋大学へ。
年末に講義の演習科目の中、「仏教の伝統歌謡」という4コマをいただいて、20才学生さんたちに「ご詠歌」を伝えちゃおうという企画。
いわゆる二部の学生さんたち向けの講座ですが、おお、おもしねえ。
わっしのご詠歌と語りが、どこまで通用するか、ひとつやってみましょうって心持ちであります。
加えてあすの夜は、密蔵院はえらいことになりそうな予感・・・それはまた明日のお話をお楽しみに。
もう寝ないと、絶対に明日もたないわい。ぎゃははは。
世の中には「へぇ、そうだったんだ」ということが往々にしてあるもの。
花山法王もそうだったのか……
「弘法大師が開祖だと思っていた泉涌寺(せんにゅうじ)だと思っていたら、それより昔から、熊野の地と縁がある観音様が、ここにはおいでだったのですね。そう思うと、昔のこととはいいながらあらためてこの仏様の御利益を願わずにはいられません」
――まあ、そういう意味だろうと思います。
「昔より」と「今熊野」で、昔と今を対比させて、さらにあらたで「新た」をつなげ ていく手法はなかなか見事ですね。
いったい、私は、「昔」と「今」と「あらた」をどのように心の中でつなぎ合わせるようなことを体験しているのだろうと思います。
「昔はこうだった」、「でも今じゃこうだ」、でも(だから)、「これからは新たな思いで、こうしていこうと思う」―――見事な時系列な発想と言葉のつむぎ方をしたご詠歌ですね。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日はご詠歌を勉強中の若手の先生の卵5人の〔自主トレ in 密蔵院〕を10時から15時30分まで。
一人一人の唱え癖に耳をそばだてて注意力を持続させるのは、楽しい時間です。
自主トレーニングの監督役を終えてから、東京は白山(はくさん)にある東洋大学へ。
年末に講義の演習科目の中、「仏教の伝統歌謡」という4コマをいただいて、20才学生さんたちに「ご詠歌」を伝えちゃおうという企画。
いわゆる二部の学生さんたち向けの講座ですが、おお、おもしねえ。
わっしのご詠歌と語りが、どこまで通用するか、ひとつやってみましょうって心持ちであります。
加えてあすの夜は、密蔵院はえらいことになりそうな予感・・・それはまた明日のお話をお楽しみに。
もう寝ないと、絶対に明日もたないわい。ぎゃははは。
花山の思い 十四番札所(湖面の月)
出(い)づ入(い)るや 波間の月を 三井寺の
鐘の響きに 空(あ)くる湖(みずうみ)
「月を三井」は「月を見る」にかけてります。
琵琶湖を眼下に望むこの三井寺(みいでら)。海とも見まごう、その湖の波間に映る月影は出て、そして沈んでいく。そんな時間を暫(しば)し楽しんでいる間に、三井寺の朝の鐘が聞こえてきて夜があけてしまう。
――そんな情景を詠んだ歌でしょうか。
もとより、出たり入ったりすることも諸行無常のたとえ。
もとをただせば水なり、のその表面に立つ波も現象世界の無常のたとえ。
こうした諸行無常の中にあって、十一面観音をまつっている三井寺の、早朝の鐘は、まさに観音さまの説法であり、(諸行無常のあり方を常住と勘違いしてしまう)煩悩の闇も夜があけるように、悟りの世界へと導いてくれることだ。
――そんな意味が裏側にあります。
こういう心のあり方は、一人、もしくは少人数でないと形成されません。
花山法皇はこの歌が浮かんだ時、一人だったのだろうか……そんなことを思ってしまいます。
さて次回は、JRが“夏が終わり秋になる前”みたいな宣伝中の(たぶん東日本だけ)「そうだ京都へ行こう」のお寺、京都は泉涌寺(せんにゅうじ)の中にある、今熊野(いまくまの)観音堂のご詠歌をご紹介したします。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
○ ○ ○ ○ ○
良かった、今日中にアップできた・・・。
今日の東京の月は綺麗でした。アワタダシイ日々の中で、清涼感を覚えるほどの秋の月でした。明日からは雨模様の予報。
そしてまた、台風の情報が。 来週からの小豆島88ケ所の巡礼は大丈夫だろうか・・と少々ワクワクしてます。ぎゃはははは。
鐘の響きに 空(あ)くる湖(みずうみ)
「月を三井」は「月を見る」にかけてります。
琵琶湖を眼下に望むこの三井寺(みいでら)。海とも見まごう、その湖の波間に映る月影は出て、そして沈んでいく。そんな時間を暫(しば)し楽しんでいる間に、三井寺の朝の鐘が聞こえてきて夜があけてしまう。
――そんな情景を詠んだ歌でしょうか。
もとより、出たり入ったりすることも諸行無常のたとえ。
もとをただせば水なり、のその表面に立つ波も現象世界の無常のたとえ。
こうした諸行無常の中にあって、十一面観音をまつっている三井寺の、早朝の鐘は、まさに観音さまの説法であり、(諸行無常のあり方を常住と勘違いしてしまう)煩悩の闇も夜があけるように、悟りの世界へと導いてくれることだ。
――そんな意味が裏側にあります。
こういう心のあり方は、一人、もしくは少人数でないと形成されません。
花山法皇はこの歌が浮かんだ時、一人だったのだろうか……そんなことを思ってしまいます。
さて次回は、JRが“夏が終わり秋になる前”みたいな宣伝中の(たぶん東日本だけ)「そうだ京都へ行こう」のお寺、京都は泉涌寺(せんにゅうじ)の中にある、今熊野(いまくまの)観音堂のご詠歌をご紹介したします。
国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
○ ○ ○ ○ ○
良かった、今日中にアップできた・・・。
今日の東京の月は綺麗でした。アワタダシイ日々の中で、清涼感を覚えるほどの秋の月でした。明日からは雨模様の予報。
そしてまた、台風の情報が。 来週からの小豆島88ケ所の巡礼は大丈夫だろうか・・と少々ワクワクしてます。ぎゃはははは。
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