へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2010-06-30 08:32:42 | Weblog
梅雨時の木の楽器の湿度管理は難しい。生業にしているならば、一日中エアコンを入れて湿度や温度の管理もよいが趣味では限度があるなっ!オマケに弾く場合、どうしても右腕はギターの表面にぴったりと張り付き汗がベトリと着く訳である。一曲弾く毎にタオルでは拭くのだが、それが何十年もと言うとやはり汗でニスが曇り始める。これが、現代の中程度の楽器だとウレタン吹き付け塗装だから何ともないが年代物の楽器ならば必ずニス塗装だから色褪せ曇りが生じる。経年変化と言えば其の通りだがやるせない。ウレタン吹き付け塗装の場合は、厚塗りだから粗も隠れ綺麗な光沢の楽器に仕上がるが、元々粗も隠れると言う事は其為りの楽器だと言う事。やはりニスの多層薄塗りだと塗りだけで一月以上掛かるし、其の度に製作者は表面を眺める訳だから作品としては完全である。しかし高価だなっ!

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2010-06-30 08:32:36 | Weblog
「さらばジャマイカ」も完全に近づき、此の曲を紹介して歌ってくれた御仁に聴いて戴きたいモンである。やはり、其の後に再度譜面起こしの手順に至るが、書いた譜面が無駄に為る訳ではなく「叩き台」として活用した次第である。今、店に持ち込んである楽器がよぉく歌うので此の「さらばジャマイカ」もヤル気に為った訳。此の楽器の順番でなければ此の曲も手掛けなかったかも知れないなっ!思うが、ギターを始めて37年、さらばジャマイカは其の間に幾度も聴いた筈だが興味も起きずにいた。此の年齢の此の時期に、あの御仁の出逢いと今ある楽器のタイミングが揃わなければ手掛けなかったかも知れない訳である。人とモノとの縁を広めて活用出来たのも色々様々なオカゲである。

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2010-06-29 06:25:40 | Weblog
先日、簡単に書き上げた「さらばジャマイカ」の譜面も、見ながら何度も弾く内にどんどんフレーズが出てきて曲は変わっていく。つまり、いずれ書き直しである。余りの叙情豊かな色気たっぷりの名曲中の名曲なので編曲は無理だろうと、早々に書き上げたのだが弾き込む内に新たなフレーズが出てきてしまう訳。おそらく此れは、他の趣味の叙情的古典派印画機械持込散歩術やお絵描きや料理から発想を導かれているのだろう。つまり、家元としては教授の依頼を受けた場合、料理や叙情的古典派印画機械持込散歩術やお絵描き等という他の趣味の稽古を優先するであろうから、中々に教授は困難な訳である。やはり、唯我独尊である。

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2010-06-29 06:25:32 | Weblog
昨夜は、脳の内部の映像から色々様々を分析する心理学者で北海道大学院の先生。一見さんだが、連れ合う方は常連さんである。何万枚も脳の輪切り写真を撮って分析していると初見で其の方の脳内の雰囲気が判るらしい。で、オイラをジッと眺める。意気なり、完全直感型右脳ですなっ!と来たモンである。確かに、生活の殆どが感情表現であるなっ!職業も趣味も全てが感情表現型である。記憶なんかも引き出し型ではなく「徒然音楽型」思い込んだら一直線だが、新発見が在れば直ぐに見直し修整し再び一直線。だから、つまり計算ずくではないので回り道のあっち行ったりこっち行ったりで近づく迄に多くの労力と時間を要する訳である。要するに、要領が悪い訳。その代わり、失敗と見直しと修整の経験は多いのである。

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2010-06-28 06:22:49 | Weblog
モノを教わるにも時代が在るのかも知れないが、オイラが料理や音楽や彫金や筆を習っていた頃、嫌々学生時代の部活なんかの頃はとことん食いついた。解るまで、出来るまで、「よしっ!」と言われるまで食いついた。先生、師匠も根負けして可愛がってくれた訳である。鍋釜フライパンは投げつけられ、ギターでは手を叩かれ、彫金では制作途中で投げ棄てられ、筆は折られの記憶は今でも忘れない。しかし、そういう経験をしてきた稽古事に限って何十年も続いている訳である。続いている処か今では自分の流派も築いてしまった。ギターも家元だし、料理は温故知新流だし、写真は叙情的古典派印画機械持込散歩術派だし、筆は先生から「枯樹の型」の印可を授かった。頑張って古典を続けるとは、追ぞ自らの流派も築いていける訳である。だが、今は築いただけで後継の行方は判らない。

へんな洋食屋

2010-06-28 06:22:42 | Weblog
昨日の夕方にマァ常連のギター弾きの女性と店前で会い、立ち話から店内に連れ込んで、嫌々引き込んで嫌々引っ張り込んでギター談話。ちょっと頑固な女性で、オイラにギターの奏法や理論を色々様々尋ねるのだが「ふんふん」と言った感じでやらない訳である。結果、一年位尋ねる度にコツを伝えても、騙されたと思って実行しないから全く進歩無し。癖は採れず残念である。もう二人、此れは男性だがやはり年がら年中尋ねるのだが騙されたと思って実行しないから全く進歩無し。此れ又、残念である。オイラが嘘やその場しのぎのおべんちゃらを言う筈が無いのに、信じていない訳である。今頃、騙されたと思って続けていたらと思うが他人事だからマァいいかっ!オイラも熱が入りあんまり言うと「いつまでも続けるとは限らないし」とか「好みのジャンルと違うから」とか言っちゃて開き直る。技術は、やるか?やらないか?である。マァ、オイラは指導者でも教授者でもないから伝えるのは下手なのかも知れないが、技術は「ふんふん」では上達しない訳である。

へんな洋食屋

2010-06-27 06:25:31 | Weblog
日本のサッカーもラテンの雰囲気の動きであった。リズムがである。緩急を巧みに取り入れた色気在るサッカーだ、色気とは、あの色気ではなく見応えの在る動きという事だなっ!ラテンのリズムには、ルンバやチャチャチャ、マンボ、カリプソ、ハバネラ、サルサ、ボサノバ、タンゴ、ショーロと色々様々在るがとにかく色気を感じるのは其のリズムに隠れた叙情であろう。オイラも母の影響で小学生の頃から馴染んでいるが、40才を過ぎてから其の色気が判ってきた。切れの良い、艶っぽい、叙情豊かな単調なリズムとメロディーに魅了されて沢山の曲を編曲し演奏している。欧州の古典も素晴らしいが、如何にせよ固い。技術的な巧みさは必要だが、何か圧し殺した様な感じで稽古的だが演奏向きではない。

へんな洋食屋

2010-06-27 06:25:26 | Weblog
夕方の暇な時間にあっさりと書き上げた。「さらばジャマイカ」の事である。途中、間奏にやはりハリーベラフォンテが歌った「帰っておいでライザ」という曲を注入してしまった。編曲していて気付いたのだが、ハリーベラフォンテの同じLPレコードに入っていて曲順は違えどおそらくは「さらばジャマイカ」のドラマの相手が「ライザ」なのではないか?と直感した訳である。直感の割には、40年前に聴いていたレコードなのだが、今、直感したのだ。思えば、調も同じだから間違い無く「さらばジャマイカ」と「帰っておいでライザ」は連結するドラマである。40年目の解明解読に世界同時発表しなくてはならないなっ!世紀の大発見だし、後生の為にも音楽史に燦然と輝く大発見である。マァ、そんなこんなであっさりと書き上げてしまい物足りない訳である。

へんな洋食屋

2010-06-26 06:25:59 | Weblog
昨日に観た「レッド・バイオリン」も先日観た「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」も数奇な運命の映画だったが、数奇な運命を描いた映画は沢山観た。きっと自分には起こらないであろう数奇な、オイラなんて平凡な人生である。平凡なのだが、他人とは似非だなっ!似て非なる人生である。一々比べる必要はないが、会社経営は100人中4人らしいし、其の内にレストラン経営は何人だろうか?更にオーナーシェフでギター趣味人は何人だろうか?オマケに写真趣味も何人だろうか?ついでに絵を描いたり旧バイクを駆るのは何人だろうか?えーい、更に日本の歴史を勉強しているのは?嫁さんと生年月日が同じなのは?とキリがなく平凡でもないなっ!つまりオイラ流の人生である。嫌々、誰しも比べる必要はないがオイラ流なのである。

へんな洋食屋

2010-06-26 06:25:50 | Weblog
へんな洋食屋にとっての週始めの木曜日だが、世間一般は給料日直前、更に深夜ワールドカップでの日本の出番だから今日の営業も如何なモンであろうか?しかし、変な予測ばかりしても仕方がないので暇なら暇なりの大仕込みをする。しかも、新曲「さらばジャマイカ」の譜面起こしも始められる。思えば、オイラの人生は趣味で固めた過ごし方だなっ!暇なりの利用・活用に要領がいいというのも謂えるが、料理趣味で生活をし、役に立たないギター趣味や叙情的古典派印画機械持込散歩術で休日を過ごし、後々の為に絵を描いて、趣味人との縁を広め、徒然為るままに過ごし、日本の歴史を学び、バイクを駆って知らない街に出掛け見聞しているだけである。先日の「さらばジャマイカ」の方に謂われた「いい趣味ですねっー!」と。そうは謂っても、何のお役にも立っていない訳である。人を楽しませながらも自慢だし唯我独尊だかんねっ!それでも続ける訳は何なんだろうか?